『地図集』 / 董啓章
九十年代半ばの返還前から二千年代の半ばまで、毎年香港に出掛けていた。
目的は映画とVCDとパチ物漁り、そしてだらだらとした街歩きだった。
今考えれば、戦艦の甲板の様に波打った異常に巨大な映画館の、
早場(朝の十時半位から旧作を安い値段で公開する香港独自のプログラム)を、
完全に人生をリタイアした爺さん達と煙草をふかしながら観たと云うのも、
今となってはかなり良い思い出だったと懐かしむ。
それからまあ怪しい商品を扱う店が開店する午後の遅い時間まで街歩きだ。
そもそも余り広くない香港は交通機関を使えば観るべき所は大体回れる訳だが、
毎度毎度観光客的に殆ど用の無い所ばかりを歩き廻っていた。
無機的な倉庫とひなびた港しかないトラムの終点の堅尼街まで出掛けて、
昼日中から釣り糸を垂れてるオッサン達と海を見ながら呆けていたり、
MTRの駅名だけは豪華なダイアモンド・ヒルの貧民街に出掛けて、
それでもトタン屋根の上にエアコンの室外機が必ず付いている事に感心したり、
工場が建ち並ぶ牛頭角の巨大な団地の下に出来た屋台街に鍋を喰いに行ったり、
そのくせ未だビクトリア・ピークに行った事が無いと云う体たらくである。
その行動に全く持って意味は無い、ただ単純に好きだったと云うだけだ、
香港と云う、特異な歴史を背景に歪に発展していった都市の様々が。
あの都市ほど西洋と東洋と言った雑多な要素が交じり合わずに同居し、
危うい均衡の上、しかも高密度に圧縮された様に存在する都市は無い。
残念ながら今や伝説の九龍城砦には足を踏み入れずに終わってしまったが、
あの様な胸踊る魔窟感は街中に有る商業ビルの中に今も存在しているのだ。
さてそんな一筋縄では行かない香港の街をモチーフに、
香港出身の作家が相当変わったアプローチで描いた作品が日本で出版された。
それが今回紹介する董啓章の作品集『地図集』である。
この『地図集』と云う作品は「理論篇」「都市篇」「街路篇」「記号篇」
と云う四つの章でもって香港と云う都市の奇妙な成り立ちと歴史を、
古地図や記録、伝承等の豊富な歴史的資料を駆使して焙り出す作品だ。
但し、引用される資料や伝承は全くの嘘、完全な創作パロディである。
つまり巧妙なホラ話を積み上げて虚構の香港を創出した一作であり、
同時にそれが香港と云うキメラ的な都市を合わせ鏡の様に映し出す話でもある。
しかしこの一篇、浅学な人間には余りにももっともらしく出来過ぎていて、
「理論篇」「都市篇」の中に出て来る創作歴史資料噺等を読んでいると、
「へぇ~そんな歴史的な背景が有ったのか・・・」等と感心した後に、
「あ、いかんいかん、これ創作だったんだ」と気付く事がしばし有った。
本作中最も面白いのが或る種ファンタジックな「街路篇」で、
植民地支配者の英国人が香港の温湿な気候に於いて故郷の厳冬を追憶する為に、
氷室を創ったと云う笑える噺を当てはめた『雪廠街』の話とか、
何処か映画「五人少女天国行」の原作「五人の少女と一本の縄」を彷彿とさせる、
民話的エピソードが中々に味わい深い『七姉妹道』の話、
台湾で神に成った日本の警察官「義愛公」の逸話を思い出す『愛秩序街』、
実際に良く通った『通菜街と西洋菜街』の話等もニヤリとする面白さだった。
本書には『地図集』以外にも作者の多彩な味わいの短編が収められていて、
「地図集」の発想を小説的な手法で描いたノスタルジックな『永盛街興亡史』、
日本でも知られた古代薬学の神様「神農」の人間くさい半生を、
現代の香港にそのまま持って来たような滑稽だが哀しい『少年神農』、
そして舞台が日本だからか何処か村上春樹の作風を彷彿とさせる『与作』、
と云う三本の発表年代も作風も異なる作品が愉しめる。
個人的には「永盛街興亡史」辺りを巧く脚色した映画などが観てみたい所で、
陳可辛のUFOが全盛の頃なら面白い作品にしてくれそうな内容なんだが・・・
さて余り関係無いが本書を読んでいて思い出したのが「二樓書店」の事だ。
詳しい事は以前ここで書いた記事を参考にしていただくとして、
あの「二樓書店」に集っていた人達の独特の雰囲気が本書から感じられた。
もしかしたら作者とは何処かの「二樓書店」で擦違っていたかも知れない。
そんな妄想も本書を読んだ後なら許されるのではないだろうか・・・・
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