2009.12.26

「村山槐多-ガランスの悦楽」展

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「四月短章」

血染めのラッパ吹き鳴らせ 耽美の風は濃く薄く われらが胸にせまるなり

五月末日日は赤く 焦げてめぐれりなつかしく

ああされば 血染めのラッパ吹き鳴らせ われらは武装を終えたれば


「村山槐多」と云う圧倒的な熱量を持った男を評す言葉は様々に存在するが
昨今流行の言葉を使えば「童貞をこじらせた男」と云う風に言えるかもしれない。
「童貞をこじらせた男」とは確かみうらじゅん辺りから出て来た言葉だと思うが、
存在としての童貞を指すのでは無く、ひとりよがりな自意識過剰が、
偏愛する物事に対して余りにも不器用で純粋な態度と行動をとらせてしまう。
その支離滅裂ながら哀しくもパワフルな衝動の事だと認識している。

槐多のエピソードの多くは暑苦しい、しかも青臭い。
しかしその根底には抑え切れない表現衝動と純粋さが同居していて憎めない。
14歳の時、中学の授業で遠泳をした時の写真が残っているが、
そこに写る槐多のフンドシには「MERANCHOLY」の文字が、しかもスペルが違うし。
同じ頃ポオに影響された槐多は自作のグロテスクな仮面を被り、
深夜の京都の町をオカリナを吹きながら歩き回ったと云う。
何たる恥ずかしさ!しかしそんな少年を憎める筈が無い。
殆どのチャイルディッシュな連中同様に、青臭い槐多はペニスが大好きだ。
早熟な彼の詩歌には「魔羅」「陰茎」等の言葉が(伏字に成って)頻出する。
同級生のノートに裸の男女を描き「GOKAN」と文字をいれ嫌がられたりする傍ら、
実際には二、三回言葉を交わしただけの間柄の後輩の美少年に激しく恋して、
凄まじく熱烈で大袈裟なピンク色の恋文を送ったりする支離滅裂さが最高だ。

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「スキと人」

槐多は生涯を通じてデカダンを希求し、無頼な日々を生き様と決めていた。
東京に出て小杉未醒邸の離れに住んだ槐多だったが、そこでの暮らしも滅茶苦茶で、
障子紙は総て便所の尻拭き紙に破り取られ、壁には到る所に画が描かれ、
残飯は庭に投げ捨てられ、着の身着のままの汚らしさだったそうだ。
東京に於いてもモデルを勤めていた訳有りの中年女性「お珠さん」だとか、
癩病(ハンセン氏病)と噂される「さわちゃん」と云う娘等に一方的に恋して、
叶わぬまま失恋して熱烈な多くの詩と浴びる程の酒を消費している。
酒を呑めば周囲の人間の顔を誰彼構わずベロベロと舐め回し、
小杉未醒の画室で立小便したり道行く女に抱きついて警察に捕まったりと散々だ。
その荒れ果てた生活の末、肺結核に成った槐多は療養に努めたりするが、
生来のデカダンさは納まらず、飲酒癖も復活し更なる奇行を重ねる様に成り、
当時流行のインフルエンザに罹り激しく燃焼し切った22歳の生涯を終えるのだ。

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「尿(いばり)する裸僧」

槐多の名前を始めて知ったのは実は画ではなく彼の創作小説によってで、
例によって探偵小説のアンソロジーに収録されていた「悪魔の舌」が最初だった。
その後に「大正デカダンスの画家」の一環で彼の画業と生涯を知る事に成るが、
「悪魔の舌」の作者と知って、その言文一致ならぬ画文一致さに驚かされた。
その時に観た画は今回の展覧会にも出品されている「尿する裸僧」だったが、
熱情を画面に埋め込むかの様に執拗に厚塗りされた油絵の具の質感と狂的な色彩、
そして聖俗が交じり合ったかの如き異様な画題に圧倒されたのを覚えている。
言い方は悪いが、己をストイックなまでに醜悪的な方向に突き詰めて行った挙句、
アウトサイダー・アート的な領域にまで突き抜けた作品とで言う感じである。
とにかく展覧会のタイトルにも成っている「ガランス」の紅い色彩が強烈だ。
良く有る「植物」と「人物」を描いた肖像画である「カンナと少女」画は、
恰もガランスの色彩のせいで煉獄の火に焼かれる少女の如き不気味さである。
そして画業以上に魅かれたのは槐多の残した多くの詩作や文章だった。
まだ自分が十代だった事も有ってその漲る青臭さに日夏耿之助同様に夢中に成り、
ボール紙の箱に入った「村山槐多全集」を買ったのもその頃だった。

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何故あの頃そんなに村山槐多に夢中に成ったのか?
槐多が夭折した年齢を遥かに越えた今、その答を求めて展覧会に出掛けた。
小さいながらも凝った展示で愉しませてくれる松濤美術館で画を巡りながら、
卑俗な言い方だが「青春の煌き」の様な耀かしくもほの哀しい想いに駈られた。
あの頃の青臭い衝動に、槐多の描き出す世界はなんと雄弁に響きあう事か。
槐多は己の顔を「悪相」「悪物」と称し、眉間の皺を「悪魔の線」と忌み嫌った。
しかしそれでも槐多は短い生涯に数多くの自画像を残している。
己の内面を探る様に、己の心の内を確認するかの様に、己と対峙するかの様に。
そしてその槐多の自画像は恰もあの頃の自分の姿を写した様にも観え、
あの頃の自分に問い掛けられた様な気に成る、「今のお前はどうなんだ?」と。

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槐多・自画像

そんな訳で「村山槐多‐ガランスの悦楽」展が渋谷松濤美術館で公開中だ。
展覧会は前期・後期と来年も続けられ作品の入れ替えも有るそうで、
後期にはかの大乱歩が所蔵し、愛着していた名作「二少年図」も公開される。
ついでに本展のカタログが値段の割りに非常に充実した1冊で有る事を付記する。
タイトルに合わせて紅い文字を使った前文、かの「悪魔の舌」の全文掲載、
詳細な年表に充実した文献目録と読んでも観ても面白い良く出来た1冊だ。
展覧会に出かけた折には是非確認してみて欲しい物である。

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2009.12.19

瀬下耽探偵小説選

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以前紹介した西尾正の作品集を刊行している「論創ミステリ叢書」の新刊で、
なんと「瀬下耽」の作品集が刊行された。
西尾正以降も戸田巽だの酒井嘉七だの宮野村子だの実にレアなセレクションで、
一部の人は狂喜だが売り上げの方が心配に成る如きマニア路線が最高だが、
今回の瀬下耽に関しては実に待ちに待った甲斐の有る1冊である。
瀬下耽の個人著作集と云うのは実に今回が初めての刊行と成るそうで、
没後十年にしてほぼ「全集」と言えるこの本は正に待望の1冊と言えるだろう。
それにしても、生前にその著作集が編まれている訳でもないのに、
何故瀬下耽の名前が後世に語り継がれているかと言えば、
様々なアンソロジーに収録されている名作「柘榴病」のお陰なのは間違い無い。

「このえやみ、後にジパングに入りて、人面痩というものになれり」
と云う奇怪なエピグラムから始まる、推理小説と云うより一遍のこの怪奇小説は、
飲料水の欠如に喘ぐ和蘭丸が、海図に無い不気味な島を見付ける所から始まる。
喜び勇んで上陸した和蘭丸の乗員がそこで観たのは、無人の街に転がる奇怪な死骸。
そして進んだ先で遭遇したのが、その島の医師が今際の際に書き残したと思しき、
「立ち入り禁止」の文字と「疫病により全島民が死に絶えた」旨の記述だった。
その医師が残した手記を携え、慌てて船内に駆け戻り出航した和蘭丸の船員は、
患部が柘榴の様に爆ぜ、恰も奇怪な仮面の様に見える奇病が蔓延し死滅した、
その島と島の医師夫妻の怖ろしくも哀しい顛末を知るのだった。

おぉ!これは正にW・H・ホジスンの「夜の声」の正統な嫡子、
と云うより恰も後にカルト的な人気を持つ映画「マタンゴ」の先駆けか?
等と「現代怪奇小説集」でこの作品を始めてを読んだ時に感じた物だったが、
単に怪奇譚の道具立てとして柘榴病の奇怪さとその恐怖に重点を置くよりも、
疫病の蔓延で一時的に島の覇権を握った医師の慢心と妻の罹病による改心、
そして死せる妻に接吻して自らも罹病して死に行くと云う、
ポオ辺りに影響された如き、如何にも「新青年」風な浪漫主義的作風に魅了された。
この一作のお陰で瀬下は怪奇幻想派の作家として長らく記憶されていた訳だが、
こうして生涯に書き連ねた22本の創作を一望に俯瞰してみると、
実は「柘榴病」のみがその様な傾向を持った殆ど唯一の作品だと云う事が解る。
この作品こそが彼のイメージを固定化した功罪半ばする作品だったと云う訳だ。

本書の解題に詳しいが、かの大乱歩が「日本探偵小説傑作集」の序文に於いて、
日本の探偵小説作家を「論理派」と「文学派」の二系統に分類し、
瀬下耽を「文学派」の系統の内の「情操派」としているそうだ。
「瀬下耽の作品は二三の探偵小説が有るとは云え、多くは犯罪小説に属すること」
「この作者の著しい特徴は怪奇美への異常な憧憬にあること」と評している。
そして「幻の探偵作家を求めて」で瀬下に貴重な取材を行っている、
鮎川哲也・編集のアンソロジー作品集「あやつり裁判」の瀬下の作品解説に於いて、
「氏の作品は文学派の枠におさまりきれぬほどに振幅が大きくて~
一枚のレッテルを貼って済むような人ではないのだ」と書いている。
今までは一部の作品を除いて瀬下の作品を再読する機会は殆ど無かったが、
本書の登場により、ようやく先の両人の発言を確認出来る様に成った訳である。

確かに本書には様々なスタイルの作品が混在していて固定観念を覆してくれるが、
共通しているのは、中々に格調高く文学的な情景描写の数々と、
事件、もしくは犯罪に関った人たちの心理や心模様を丁寧に描写している所だろう。
「文学派」と分類されてはいるが「論理派」的なトリック作品も手掛けている物の、
トリックが機械的と云うより心理的な綾に絡めて有る所が特徴だろう。
「四本の足を持った男」「呪われた悪戯」「シュプールは語る」等がそうで、
現在なら「ばかミス」と呼ばれそうなトリックも有ったりするが、
犯罪に到る心理の綾が主眼だと思えば、まあ御愛嬌と云う所だろうか。
他に「裸足の子」「古風な洋服」「幇助者」「手袋」「やさしい風」等に共通する、
無垢な子供が関った話は、どれも何とも言えぬほの哀しい哀愁が漂っていて、
特に滑稽な洋装で出掛ける友人の謎を追った「古風な洋服」の結末には泣けた。
瀬下探訪記に「海恋いの錬金道士」と云う題を付けた鮎川哲也が指摘する様に、
確かに「柘榴病」も含めて、瀬下には海や島に材を採った作品が多くみられる。
「海底」「罌粟島の惨劇」「R島事件」「欺く灯」「海の嘆」等がそれだが、
同じ女性を好きに成った潜水夫兄弟の関係が何処か横溝正史の「鬼火」的で、
哀しい幻想味が漂う結末が夢野久作辺りをも髣髴とさせる「海の嘆」、
フォークロア風な怪談的雰囲気を持つも謎の解明が鮮やかな「海底」、
島の土俗的風習と犯人の末路が妙に無惨な「R島事件」等が印象に残る。
珍しく「中央公論」に掲載されたと云う「女は恋を食べて生きてゐる」は、
ミステリー的な謎も孕みつつ最後は文学的な結末に帰結する異色作だ。

個人的に怪奇幻想タイプの作品を期待していただけに若干の喰い足らなさは有るが、
総体的に好きなタイプの作品だと言えるので結構満腹に成った次第だ。
地味にだが着実に進んでいる「論創ミステリ叢書」の探偵作家発掘作業、
今後もあっと驚くラインナップに期待したい所である。

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2009.12.12

徒然なるままに綴る最近のイイCD

CDなどをネタにする時に、大概個人的に「括り」の様な物を用意する。
例えば「紙ジャケで再発した」とか、「思い入れの有るバンドの新譜」とか、
別に有っても無くても良い様な物だが、まあ個人的な動機の如き物である。
しかしすると輸入物の再発などで紹介出来なかった物が多々出て来たりする訳で、
今回は特にそう云う括りは無しに、単純に書きたい物だけを書いてみる事にする。

まず最初の一枚は個人的に待望の、待ち望んでいた一枚である。
「イタリアの種馬」・・・じゃなかった、ニューヨークのピアノ一代男、
巨匠ビリー・ジョエル大先生がソロデビュー以前に組んでいた幻のバンドで、
オルガンとドラムと云うミニマルな編成ながら、超ヘヴィな音を叩き出す、
「ATTILA」の「フン族の王アッティラ」(旧邦題)の再発である。

Disc01
長髪で髭の男が大先生です。

「ハッスルズ」でプロデビューしたビリーだったが、バンドは泣かず飛ばず状態で、
心機一転ドラムのジョン・スモールと二人で組んだのがこのアッティラだ。
紀元五世紀に中央アジアでその勢力を誇り、度々ローマ帝国をも脅威に晒した、
騎馬民族フン族の偉大なる王・アッティラをバンド名にいただいただけに、
ジャケでも甲冑を着込みコスプレして食肉工場に佇み野蛮さを表している所は笑う。
何故にこの様な恕ヘヴィでプログレッシヴなスタイルを選択したのかは不明だが、
殆ど一発録りらしい荒々しさと漲るインプロのテンションが凄まじく、
正にバンド名に負けない野蛮にして爽快な傑作に成っている。
リズムと云うより空間に音を撃ち込んで行く様なジョン・スモールのドラムの上で、
ビリーが弾き倒すハモンドB-3はブリブリなまでに歪まされて唸りまくり、
後のリリカルなピアノマンからは想像も付かないヘヴィな歌声が気持ち良い。

比較的歌メロがクッキリとしている(けどうるさい)頭の3曲を過ぎると、
トライバルなリズムに乗って「ゴジラ」「フン族のマーチ」と章別けされた、
7分に渡る、インプロを含んだ超ヘヴィな「AMPLIFIER FIRE」へと突入する。
そこからスピーディなシャッフルのリズムに乗って、
オルガンの早いパッセージが炸裂する恕等のHRナンバー「ROLLIN'HOME」へと移り、
サバスの如き・・・と云うかアトミック・ルースターの如きうねりの有る、
ヘヴィでドーミィなナンバー「TEAR THIS CASTLE DOWN」への流れが最高である。
ラストの「BRAIN INVASION」はビリーがパープルのジョン・ロードの如く、
これでもかとハモンドを弾き倒すサイケ風味も漂う良曲だ。

この作品85年に一度CD化されているのだが、ビリーのクレームでも有ったんだか、
回収されたかの様にあっと言う間に市場から姿を消してそれっきりで、
まあ「幻」とまでは言わないが結構レアな商品として再発が待たれていた。
正直今回の商品もブートとまでは言わないが、妙に安さが際立つ商品で、
まあ正規の再発商品では無さそうな感じだし、直に市場から消えそうな感じだ。
しかし「有名人の過去仕事」と云う様な芸能的な話題を抜きにしても、
アメリカン・ハードロックの傑作としても欠かせない作品なだけに、
きちんと再発して正統な評価を与えて欲しいもんである。

Disc02

さてお次はガラリと変わって英国発モダーン・ポップの知られざる名作、
シティ・ボーイズのセカンド作「DINNER AT THE RITZ」をご紹介。
08年に米国でシティ・ボーイズの諸作がまとめて再発されたのだが、
クレジットの文字も読み取れない様な印刷の如何にも安い再発であり、
日本でリマスターした挙句の美麗な紙ジャケ化を待ち望んでいたのだが、
どうもそちらも望み薄そうなので、とりあえずこの機会にでも紹介しようと思う。

シティ・ボーイズは八十年代までに6枚のアルバムを残した英国のバンドで、
英国チャート一位の曲も残している位で左程マイナーな存在ではない。
プロデューサがロバート”マット”ラングと云う事で、サウンド的に云えば、
重層的なコーラスワークを多用した、ポップで明快なハードロックであり、
プレ・デフレパード的な物を想像して貰うと解りやすいかと思う。
所がどう云う訳かこのセカンド作だけは、デフレパード的と云うよりも、
クイーンだったり10cc、ELO辺りを髣髴とさせるモダーン・ポップ作なのだ。
タイトルからして「オペラ座の夜」や「オリジナル・サウンドトラック」、
もしくは「キモノ・マイ・ハウス」を連想させる華麗なコンセプト臭がする。
このバンド「Lead Vocals」とクレジットされる人間が二人居て、
更にベーシストもVoをとれるだけにそのコーラスワークは実に凄まじい。
それがエッジが有りつつもポップで豊かな曲想の上で展開される訳だから、
モダーン・ポップス好きには実にたまらない内容に成っている。

後の作品にも受け継がれるハードな曲調に華麗なコーラスを加えた1曲目に、
ラテン調の変わったメロディが聞ける2曲目、ミステリアスな3曲目を経て、
ブライアン・メイ的なギターから始まり展開が目まぐるしいタイトル曲、
そして前曲同様にシアトリカルな曲調で実に掴みの有るブレイクが頻発する、
英国的な捻くれた展開が最高な「GOODBYE BLUE MONDAY」辺りが山場だ。
そしてタイトル通りのストリングスと爪弾かれるギターが絡み合う、
メロウでリリカルな「The VIOLIN」で和んだ後は、三部作の本編最終曲へ。
ハードな曲調が突然リコーダーの牧歌的なソロで分断され、転がるピアノに乗り、
重なり合ったコーラスがギターのブレイクに導かれてフィニッシュすると云う、
正にホテル・リッツの狂乱のディナーの幕切れを示す劇的な最終曲と成っている。
何故これだけの作品が当時話題に成らなかったのか理解に苦しむ出来なのだが、
多分にキラー・チューン的な決め曲が欲しかったと云う所だろうか?
その思いは4作目の「BOOK EARLY」収録のNo1ヒット「5-7-0-5」で叶えられるが、
アルバム的にはポップな小品ばかりと云う感じで面白味は少ない。
米国での人気を背景に解り易い方向に走り過ぎた感も有る訳だが、
コーラスワークは健在だし曲の粒も起っているしでやはり侮れないバンドである。

Disc03
No1ヒット作を含む彼らの4枚目

さて最後は更にガラリと変わって最近出た現役バンドの新作である。
マース・ヴォルタ辺りと並んで、スタイルとしてのプログレッシヴ・ロックで無く、
文字通りのプログレッシヴな道を行くミューズの新作「レジスタンス」だ。
音楽雑誌が仕掛けてくるハイプな「ブリティッシュ・ロックの救世主」的な、
有象無象に一番ウンザリしていた頃にデビューした連中だけに、
1枚目の頃は全くノーマークだったが、3枚目の余りの出来の凄さに驚嘆し、
すかさず聴いた4枚目で完全に惚れ込み、期待して待っていた5枚目なのだが、
凄い!これは凄かった。聴けば聴くほど唖然とするほどの傑作だ。
ポップで有りながらヘヴィ、緻密で有りながら明解、絶望的で有りながら美しい。
難解な物をそのまま提示するなら簡単だが、姿形は飽くまでも親しみ易く簡素。
しかしその底辺に流れるアイロニーや絶望が恰も万華鏡の如く、
その感触を変え描き出す世界を重層的に変換して行く見事さよ。
マシュー・ベラミー、流石は親爺がジョー・ミークん所でお馴染みの、
トーネイドス(テルスターね)でギター弾いていただけある血筋の確かさよ!
よくぞ前作の高みから更なる高みへと圧倒的な飛躍をしたものだ、末恐ろしい。

Disc04
これ元から紙ジャケって所がイイね

1stシングルと成る一曲目の解り易い軽さも良いが、タイトル曲である二曲目、
薄明の闇をひた走る様な静かなAパートから、ポップなコーラスを経て、
一気に闇に光が差し込む様なサビへ移行する壮大な歌メロが最高にいい。
そして壮大さと云う事では極め付けな四曲目の「United States Of Eurasia」、
重厚極まりないコーラスワークに、サビの後のヘヴィな中近東フレーズ、
そしてミサイルが飛び交うSEをバックに奏でられるショパンの「ノクターン」。
クイーン+ツェッペリンと云う豪華極まりない賛辞を送りたくなる傑作。
UB40がカヴァーしたプレスリーの「好きにならずにいられない」的なメロを持った、
「Guiding Light」も好感触だが、ラストでは三曲の連続したシンフォニーである。
「Exogenesis」とタイトルされたオーケストラを豪華に投入したこの曲で、
バンドのプログレッシヴさは頂点を極める訳だが、
これがまた重厚な割に実にメロディアスですんなり聴き進んで行ける所が上手い。
しかしそこに織り込まれた暗喩や仕掛けは一聴した程度では到底伺い知れずで、
聴き手の探究心をそそる所なんざ実に見事な仕事である。
再び言おう、マシュー・ベラミー、実に末怖ろしい男で有る・・・・

Disc05
末恐ろしいマシュー・ベラミー

と云う訳で非常に取り留めの無いネタに成ってしまったが、
まあたまにはこうして心の赴くままに好きな事を書き連ねるのも良いかもな・・・

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2009.12.05

洒落に成らん所だった話

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紅葉の季節である。
今年も紅葉を愛でにあちこち出掛けて写真などを撮ってきた。
昨年は京都なんぞに出掛けたが今年は再び鎌倉に行ってみた。
例年の如くその辺をネタに書こうかと思っていたのだが、
一昨年と同じ様なコースだった故に余り書く事が無い。
なので今回は全然画像と関係ない話で御茶を濁そうかと思う。
と云う訳で美しい紅葉の写真と供に、洒落に成らん所だった話をお楽しみください。

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先日、友人と呑みに出掛けた。
何時もは近所なのだが、最近少し河岸を変えようと云う傾向に成っていて、
一駅歩いた先の盛り場へと歩いて出向いた。
その辺は昨今の不況を反映して安い店がポツポツと開店しており、
今日は前回出向いた時に開店準備中だった新規の店に入る事にした。
所謂「浜焼き」とでも呼ぶ様な形態の店、とでも云おうか、
炭箱の上に乗せられた金網の上で海産物を焼いて喰うと云うシステムに成っている。
新宿でも同じ様な形態の店に入った事が有るので、
まあ流行りのスタイルなんだろう、もしくはチェーン店なのかもしれない・・・
魚市場に有る魚を入れる木箱を積み上げたような雑多な内装に成っているが、
開店したばっかりなので、恰も学園祭の模擬店の如き白々しさが漂っている。

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結構繁盛している様で先客の居る四人掛けのテーブルに案内された。
そして先客のと並べられてさして広くないテーブルの上に、
おもむろに炭火が熾った長方形の墨箱が運ばれてくる。
四人掛けのテーブルの上に並ぶ二つの炭箱である、何気に熱い、そして煙い。
焼肉屋に設置されている様なローターが個々に付いている訳でもなし、
換気は当然しているだろうが追い付かない位煙が店内に充満していた。

料理の方は特筆するべき事もなく、まあ何時もの様に淡々と呑んでいた。
妙に煮詰まった感じの黙り勝ちな隣のカップルが店を出て、
新たに来た客の炭火に燻されて2時間ほど経ったろうか、
向かいに座る連れが妙に何度か生欠伸を噛み殺している感じで有る。
こちらもいい加減熱いわ煙いわで、少し早いがそろそろ店を出る事にした。
会計を済まし外に出ると寒い筈の外気が妙に気持ち良かった。
時間的に早かったのですぐ近くの立ち飲み屋へハシゴする事にして、
その薄暗い店内で一息付いた所で連れがおもむろに調子が悪いと言い出した。
悪酔いするほど呑んでない筈なのだが、どうも眩暈がして来るらしい。
体調不良が多い奴だけに、大丈夫かいなと便所からの帰りを待っていたが、
気持ち悪いと云うより、何かクラクラするらしくその内床にへたり込んで、
終いには視野狭窄に成った様な感じだと言い出した。

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流石にこれはマズイだろうと一杯も呑まない内にその店を出た。
何とか歩いて帰れそうだと言うので自販機で水を買って飲ませ、
地元までの道を支えながらとぼとぼと歩いていった。
因果関係が解らない体調不良と云うのは確かに怖いものである。
多少なりとも気を紛らわす意味で、関係無い思い付いた時事ネタを話してみた。
知り合いの二児の母と結婚詐欺殺人事件の女との共通点とか何とか・・・・
そこで不意に腐れ切った脳細胞に有る因果関係が閃いた。
ぽっちゃり女→結婚詐欺殺人→練炭自殺に見せ掛けて→一酸化炭素中毒死・・・
「これもしかして一軒目の店の煤煙による一酸化炭素中毒なんじゃないか?」

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「軽症では、頭痛・耳鳴・めまい・嘔気などが出現するが、風邪の症状に似ているため一酸化炭素への対処が遅れる。すると、意識はあるが徐々に体の自由が利かなくなり、一酸化炭素中毒を疑う頃には また、高い濃度の一酸化炭素を吸った場合には、自覚症状を覚えることなく急速に昏睡に陥る。この場合、高濃度の一酸化炭素をそのまま吸い続ける悪循環に陥り、やがて呼吸や心機能が抑制されて死に至る。」 (ウィキペディアの「一酸化炭素中毒」の項目より抜粋)
正に「コレ」じゃないか!つうか「コレ」しかないだろう!
「怖えぇぇぇぇ!」「殺される所だったぁぁぁあ!」等と騒いでいる内に、
新鮮な酸素が供給されたお陰なのか、何時の間にか連れの調子が戻っている。
あまつさえ地元に近付く頃には「腹が減った」
「ラーメンが喰いたい」等と言い出す様な始末であった。
流石にラーメン喰ってまた体調不良に成るやも知れず真っ直ぐ帰宅した訳だが、
家に帰ると何事も無かったかの様に「赤いきつね」を完食していた。

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しかし全く世の中何処にぽっかりと落とし穴が開いているか解らない。
たまたま友人が座った席が駄目だっただけなのかも知れないが、
何にしろ換気の悪い炭火を使った店には気を付けねばいけない。
そう云う店で予想外に早くつぶれた奴が出た時は注意だ。
「洒落に成らん所だった状態」に成らない様に気を付けなければ・・・・・

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2009.11.28

徳川夢声の小説と漫談これ一冊で

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宮沢賢治や石川啄木が生前殆ど評価されていなかった様に、
現在も書店の棚に並んでいる文学作品が必ずしも当時人気が有ったとは限らない。
と同時に嘗て庶民から愛されていた作家が、現在殆ど読めない状況と云うのも有る。
娯楽性の強い、大衆文学とか中間小説と呼ばれた作品群の中には、
時代との密接性故に愛されそして忘れ去られてきた作品や作家が数多く居る。
それでも探偵小説や推理小説の様にマニアが多いジャンルは発掘も盛んだが、
捕物小説では無い髷物や戦前のユーモア小説等は中々発掘され難い状況だ。
例えば川口松太郎の人情物や源氏鶏太のサラリーマン小説など、
嘗ては当たり前の様に書棚に並んでいた本も今では殆どお目にかかれない。
そう云う点で云えば本稿の主役、徳川夢声も正にその一人であろう。

等ともっともらしい事を書いているが、
特に夢声に付いて詳しいとか思い入れが有るとか云う訳では無い。
夢声が国民的なマルチタレントとして活動していた頃の事は当然知らないし、
個人的に認識したのは戦前・戦後の探偵小説関連の本を読んでいた時に、
作家でも無いのに良く出て来る、ケッタイな名前のおっさんとしてである。
簡単にその素性を紹介すると、無声は映画がまだ「活動写真」と呼ばれていた頃に、
独特の語り口で一世風靡した活弁士として世間にその姿を現わす。
大方の活弁士は映画がトーキー化する事によって失業する事になるが、
夢声はその風貌と才能を活かして、俳優・漫談家として成功する事になり、
それと同時に文才も認められ、小説・随筆・コラムや社会時評など、
様々な文章を様々な媒体に発表し、その方面でも確かな地位を築いて行く。
戦後はラジオドラマなどで人気を集め、後に黎明期のテレビにも出演する様になり、
昭和を代表するマルチタレントとしてその名を刻み込んだ男である。
物凄く昔に観たテレビの中の夢声は、何処か得体の知れない飄々とした老人で、
長らくそのイメージを頭に描きながら夢声の書いた物を読んでいたのだが、
若い頃の夢声は中々にイイ男であり、後にイメージが随分と修正された物だが、
本書を読むにつけ、更に夢声と云う男のイメージがが修正される事と成った。

Musei03
「新青年」連載作品「超特愚作苦心譚」の扉

今まで夢声の書いたまとまった物を殆ど読んだ事が無く、
アンソロジー等に採録された短編や芸談などを幾つか読んだに過ぎなかった。
そこで読んでいた物の殆どは、所謂漫談的な語り口で書かれたユーモア小説で、
そう云う点では本書の半分以上はそのイメージを裏切らない作品が揃っている。
恰も落語の速記本の如き、語り口が聞えて来そうな軽妙な話が続くが、
「浦島太郎」「花咲爺」「桃太郎」「猿蟹合戦」「かちかち山」などの、
御伽噺を現代に置き換えた「37年型~」連作が如何にもな感じで愉しめる。
昭和初期の企業タイアップ物の一環として書かれたと云う「河鹿殺人事件」は、
今もその名を残す商品や、既に消え去ってしまった商品名が作中に噴出する、
ナンセンスな珍品具合がアホらしくも有り、興味深くも有る作品だ。
映画のシナリオの如く書かれた簡素な描写が軽快な「錯覚劇筋書・ステッキ」は、
龍膽寺雄辺りのモダン都市文学辺りと通じる物が有り、その部分でも面白い。
五代目古今亭志ん生の有名な自叙伝「なめくじ艦隊」の御題の元ネタだったらしい、
その志ん生師匠の貧乏暮らしをモデルにした「蛞蝓大艦隊」はやはり爆笑だ。
直木賞候補作と言われる「九字を切る」は反戦的な意味も含めた作品だが、
その妙にカラッと突抜けた狂気に語り物的なグロテスクな笑いが加わっていて、
夢野久作の「キチガイ地獄」辺りを髣髴とさせる黒さが有って最高だ。
そして或る意味、夢声の文学的な到達点を示すかの如き内容の一篇が「連鎖反応」。
「ヒロシマ・ユモレスク」と付けられた副題が示す通りに、
原爆投下直後の広島を舞台に煉獄の様に成った街を彷徨う男の話なのだが、
敢て悲劇的な状況を強調せず、主人公の混乱した思考に導かれるまま、
躁的な狂気を伴って展開する話は、それ故に強烈に原爆の無情さが心に迫る。
特に原爆の衝撃で不意に意識の底から立ち昇って来た一つの言葉、
「イグナチオ・ロヨラ」の持つ質感と重みが本作を更に格調高く彩っている。

夢声は霊魂や超常現象に興味が有り、その手の話も多く書いているそうだが、
本書にも「噂の戦慄」「幽霊大歓迎」と云う2本の話が収録されている。
ただ「噂の戦慄」はコントだし、「幽霊大歓迎」も亡き友の懐旧譚であり、
期待する様な怪奇な味わいが殆ど無い所が残念である。
夢声の怪奇譚と言えば、最怖の一篇に「田中河内介」と云う作品がある。
創作ではなく、「新耳袋」の様な所謂「実話怪談」に属する話であるが、
泉鏡花や黒田清輝など各界の著名人が催した怪談を語る会に於いて、
飛び入り参加した男が幕末に惨殺された田中河内介の話をしている最中に怪死し、
その話を聞いて以降、河内介に関する数々の因縁に夢声が遭遇すると云う話だ。
この話が怖ろしいのは夢声がその話を発表した後に、
幾人もの作家がその怪談会の怪事に触れた話を書き連ねて行く様になり、
歴史の闇に葬られていた田中河内介が俄かに闇の中から浮上する様な事態となり、
怪談が更に怪談を産むと云う実話怪談その物な様相を示して来た事にある。
その辺の所は夢声の「田中河内介」「続・田中河内介」の二篇も含めて、
東雅夫氏の編集による素晴らしい「文藝怪談実話」に収録されているので是非!

Musei05

さて最後に本書に付属のCDに付いてだが流石に本業だけ有って実に楽しい一枚だ。
BGMや効果音も伴った結構尺も長い「25時」が個人的に中々面白かったが、
「銃後の守り」や「慰問袋」等の言葉が出て来る戦中の「湧き立つ感謝」とか、
その当時の誰か元ネタが居るのだろうか?と云う「大薮先生の話」などは、
時代を感じさせる内用に、それはそれで興味深い物が有った。
しかし活弁口調の夢声の話術はやはり非常に素晴らしい。
こう云う芸能も廃れさせずに後世に伝えて行って欲しいものだわなぁ・・・・

Musei02


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