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2004.10.30

台北の空 其の四

台北は文字通りの大都会だけれど
開発が東の方に伸びて行ってるせいか
かつての繁華街辺りには廃墟が多く見られる。

日本なら古い建物は速やかに破壊して
すぐさま更地にしてしまう所だが
何故か手付かずのまま残されている事が多い。
それが南国の緑に侵食されて
あたかも自然の一部の様に存在しているのが面白い。

それが日治時代に残された瓦屋根の日本家屋だと
過ごして来た歴史を考えて何とも言えない気分に成る。

鄭州路38巷の裏側 かつての鉄道省宿舎跡 

sora06

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2004.10.28

台北の空 其の三

「指南宮」は台北郊外の猫空と云う可愛い地名の山の上に建っている、
道教系寺院の総本山と言われる壮麗な寺院だ。
とにかく良くぞあんな高所にあれだけ豪壮で馬鹿でかい物造ったと、
感心するしかないような非常にゴージャスな大伽藍で、
麓から階段でえっちら登って行くと要所要所にこれまたでかい分院が有って、
その後長い回廊の先にでぇーんと本殿が鎮座すると云う良く出来た造りで、
まあ麓から登ると感動もひとしおって感じになるのでしょう。
自分はタクシーで頂上まで行ったから関係無いけど・・・

そこから台北市内が一望出来る。
右手に世界一高いビルと云うまだ建築中の台北101、
そして中央奥に新光摩天楼も確認できます。

sora04

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2004.10.25

台北の空 其の二

東京の空に銀杏の木々が似合う様に
台北の空には南国の樹々が似合っている。

ガジュマルや檳榔や椰子の樹々が
絶え間ないスクーターの排ガスに晒されても
思いがけずに奇麗な花や実を付けているのを見ると
この場所と同様のたくましさを感じる。

照りつける日差しも木陰では爽やかなほど
今年は例年に比べると随分涼しかった様だ。
それでも日中は28度くらい有るのに
台北市民は既に厚着で、そこがまた台北らしくも有ったりする。

新生南一段、台北科技大學、
光華商場に行く時にいつも通る場所。

sora03

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2004.10.23

台北の空 其の一

とにかく東京は雨ばかりで
気が滅入る様な日が続いていて
南国の空の太陽の下で思った事は
やっぱりお日様の光は最高だなって事。
流れてゆく雲も何処となく愉快で
つい今回は空ばかりを写真に撮ってしまった。

台北市 西寧南路

sora01.jpg

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2004.10.20

2046 at 台北

日本では今週末に公開されるウォン・カーワイ待望の新作「2046」は
台湾ではすでに10月1日から公開されている。
香港、台湾、大陸、そして日本のビックネームが集う作品なだけに、
宣伝媒体は多岐に渡り大々的に展開されていた。
この映画のメインビジュアルは3種類有って、
オリエンタルホテルで抱擁するトニー・レオンとチャン・ツィイーの版、
未来世界のカリーナ・ラウとチャン・チェンの版、
そしてお馴染み、木村拓哉とフェイ・ウォンの版が有る。
やはりアジア諸国で木村拓哉のネームバリューは大きい様で、
タイトルロールでは3番目にも関わらず、
木村とフェイの版が最も多く使われていた。
(ちなみに写真はMRTの構内の広告)
と同時に書店に行けば並べられた雑誌の表紙が
軒並み「2046」関係で埋め尽くされていた。
主にファッション誌が中心だが、トニーと木村の2ショット、
映画同様フェイと絡み合う木村の表紙など木村絡みが多い。
サントラCDも同様に3種類のパッケージが有るのだが、
並べられているのは木村の奴が圧倒的に多い。
現地では異常に細長いネジ止めの写真集が売られていて
置く場所には困るがビジュアル的には最高にお洒落だ。

さて映画に付いてだがダイアローグの異常に多い
カーワイ作品だけに、広東語を解さない耳には不明な点も多く、
正直まだ内容をどうこう言う段階に達していない。
日本で細部までしっかり鑑賞してからどうこう言いたいです。

ウォン・カーワイ作品は現地の香港ではひどい扱われ方だが、
こと台湾では日本同様それなりの評価を受けているようだ。
観たのは日曜日の1回目の上映回だったが、
かなりの数の観客で賑わっていた。
そう云えば金城武の出た「天使の涙」も台湾で観たのだった。
あれも客が笑ったりシンとしたりと好いリアクションしてたなぁ。
あの時共演していたチャーリー・ヤンはその後引退したが、
何と今回、ジャッキー・チェンの映画で復帰していた!
めでたいめでたい!!

2046

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2004.10.11

無間序曲~この世は絶え間なく続く道

正に圧巻の2時間弱!
ダレ場一切無し、息をも付かせぬ釣べ打ちの山場、山場。
爽快感の代わりに背に圧し掛かる「業」と云う人の営みの重さよ。
これだけの物を見せられて、唸る以外に何が出来よう?

等と興行師の売り言葉の如き賞賛が幾つも浮かぶ、そんな映画だ。
勿論それは1作目を観た上で、あの傑作の登場人物たちに感情移入した上で、
今作に対する評価へと繋がる訳だが、
例え独立した作品として観たとしても迷う事無き傑作である。
マフィア=黒社会と云う図式から名作「ゴッド・ファーザー」サーガーを
例えに出した批評が有る様だが、正にこれは華人社会から産み出された
華人社会故の「ゴッド・ファーザー」だと言える。
それは深夜の大牌トンで外車を路肩に止めて夜食を頬張ったり、
火鍋を囲み身の振り方を相談する幹部たちの姿に、
あの湿った街でしか描けない人物造形がある。

まず圧巻は主役のン・ジャンユー演じるハウだ。
(香港金像賞では「主演男優賞」にノミネートされているので一応)
家族を思いやり、いつも眼鏡を押し上げて優しげな言葉で訥々と話すその裏で、
緻密な計略と容赦ない粛清で組織をまとめあげ、勢力を拡大してゆく
非情さを演じ切ったその手腕は確かに主演男優に値する演技力だ!
穏やかな顔がキレかかる一瞬、狂気を剥き出しにした目付きになる
その瞬間が見事だ。
そしてマリーを演じたカリーナ・ラウ、
この人は激した強い女とその女が垣間見せる弱さを演じさせたら抜群だ。
愛するが故に堕ちて行くその深みと、それでもそれに立ち向かい
果てて行く悲しさが男臭いドラマに美しい色を残す。
余談だが、マリーの死に様に久し振りに香港映画の真髄を見た気がした。
実質的に主役の2人、アンソニー・ウォンとエリック・ツァンに関しては
今更どうこう言う事も無駄な気がする存在感で痺れまくりだ。
ラスト近く、マリーとの写真を傍らに「香港回帰」の花火が打ち上がる風景を
ガラス越しに見つめる背中越しの哀愁、そして外のお祭り騒ぎへと加わる時の
笑顔が更にその哀愁を掻き立てる演出の妙味。
緊迫した状況で計らずもハウを撃ち殺してしまったウォンの戸惑いとも慙愧とも取れる
複雑な表情など、実に見事だ。
ハウの側近として台詞の無い所が更に存在感を増していたロイ・チョン、
車の中でヤンと疑惑の視線を投げ掛け合う部分が実は・・・と云う演出も見事だ。
1作目へと流れてゆくキョンとヤンの関係、オーディオにこだわりを持ったラウの真相、
そしてラストの1作目でサミー・チェン演じたマリーとの出会い等、
伏線の張り方も楽しい。
4人の幹部、「蛍の光」をハーモニカで吹きながら生き埋めにするハウの片腕、
群がる手下たちなど、香港映画ならでは「いい顔」の俳優が目白押しだ。
ああそうそう、エディソン・チェンとショーン・ユーを忘れてはいかんな。
重厚な中年たちに混じってよく健闘していました。
線の細そうなショーンも秘めた凶暴さを剥き出しにしてて良い味出してた。
(そう言えば今年の夏の王晶の「無間道」パロディ馬鹿映画、「精装追女仔2004」
では、ショーン・ユーとエリック・ツァンがそのままの役で、馬鹿やっていたそうだが、
彼も香港俳優として着実に仕事こなしとるね(^^)・・・)

それと同等に主役は「香港」と云う街。
上り調子だった90年代初頭、そして返還を迎えた97年、
ラスト近くで警帽のバッジを入れ替える姿にそぼ降る雨、
そして幻の様な花火に香港市民はあの日の自分を重ね合わしたのだろう。
日本では未公開だが現地では大ヒットした「金鶏」と云う映画が有る。
一人の娼婦の目を通して70年代からの香港を回想してゆく映画だが、
この映画にはかつて「借り物の土地」として「夢の中継点」でしかなかった香港を、
己の故郷としてもっと愛そうと言う昨今の意識が反映された映画だった。
それはSARS騒動の時に香港映画人が無償で作った
「電影行動1:99」と云うオムニバス作品にも強く表れている。
そう云う観点からこの映画を見ても面白いと思う。

エンドクレジット後に最終章の「終極無間」の予告が流れたが、
いまいち現地の評判を聞くだに心配な気分が抜けない。
しかも来年のGWって遅すぎない?
もし腰砕けに終ったとしても、それはまた「♪この世は絶え間なく続く道」
と云う事なのだろう・・・

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2004.10.09

蛋白質ガール/王文華

活字中毒ゆえ海外に出掛けてもつい本屋を探してしまう。
しかし日本の様な「書物」的な物であれば何でも扱う
と云うスタンスの書店は海外では少ない物で、
基本的に雑誌等はスタンド売りが中心、書店は硬い本中心と云う様な形態が多い。
日本も最近そう云う傾向に成って来たが、書店の数も多くないのが現状だ。
しかしこと台湾に関しては違う。
台北の重慶南路には中華社会最大の書店街が有るのだ。
活字中毒者はそれだけで甘い点を付けたくなる街である。

そう云った書店の棚先を眺めていると、欧米や日本の小説の翻訳書以上に
かなりの数の華人作家の書籍が出版されている。
所が残念な話で、なかなか華人作家の本が日本で出版される事は少ない。
この所の上海ブームにあやかって頭に「上海」と付けた女性作家の
作品がリリースされたりはしているが、台湾の作家と言うとそう多くない。
純文学に限ってもかつてのJICC出版から出ていた華人作家の作品集に
台湾の作家を集めた奴が含まれていたり、
国書刊行会から現在も刊行中の「新しい台湾の文学」シリーズなどが有るくらいだ。
それがこと大衆文学に成ると金庸や古龍等の武侠小説を抜かすと殆ど出ていない。
文学的な命題や奇矯な設定を抜きにして、普通に街中ですれ違う
台湾人の日常を描いた本を読みたいと思っていた。

そんな所で書店で手に取ったのが王文華の「蛋白質ガール」だ。
「おお、これは!」と勢い込んで読み始めてみたのだが
3分の1くらいで読む手が止まった。
正直これは自分が嫌いな・・・と云うか、めったに手に取らない類の小説ではないか?
つまり要約すれば「ヤンエグのリーマンが愛だ恋だと御題目並べて
女をとっかえひっかえする話」なのだ。
いい加減途中くらいから特定の女が登場してそこから話が展開するのかと思いきや、
結局最後まで尻を追い掛け回すだけで終るので辟易した。
「蛋白質ガール」って何よ?冒頭に出てくるだけやん。 

気の効いた書評家なら「都市生活者の癒されぬ孤独と希
求しても止まない欲望を資本主義社会と重ね合わせて書かれた・・・」
等と論評するかもしれないが、正直何もこんな物を翻訳してこなくてもな、と云う感じだ。
もっとも解説を読むと「韻を踏んだ表現が掛け合いの様な面白さを醸す文章で」
等と有るから、原典はもうちょっと軽みの有る艶笑譚として読めるのかもしれない。
作者同様、作中の男2人もアメリカの大学の留学経験者で、
これでもかと云うくらいアメリカナイズされた無駄にヘルシーなサラリーマン・ライフも
なんだかなである。
少し旧い例えだが「LESS THAN ZERO」とか
「BRIGHT LIGHT BIG CITY」辺りの感覚に近い本かもしれない。
もしくは「文中のマテリアルがトレンドの指標として取り上げられ」みたいな
評価のされ方を見ると、某長野県知事の出世作を思い出したりする。
ただそう云うマテリアルも外国人からすると中々興味深いもので、
「成る程ヤンエグは霹靂布袋戯なぞ観ないのだな」とか
「蔡依林や謝霆鋒はそう云う扱われ方されるのか」など勉強に成る事は多々有った。
しかし金城武とブリジット・リンを同系列に出すのは如何なんだろうか?
ブリジット・リンの美貌はまだそこまでの威力を持っているのか?知りたい。

出版社も是非これに続く様な良質な作品を出版して欲しいものだ。
この作者よりもう少し下の作家に成れば哈日的な要素も入ってくるだろうし、
そうすれば日本人にも馴染みの部分も増えると思うのだが?
例えば「藍色夏恋」のノヴェライズの様に。
あれは映画も最高だったがノヴェライズも別物として良かったなぁ・・・・

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2004.10.04

興行師達の映画史/柳下毅一郎

かつて香港映画界が元気だった頃、柳の下にはドジョウが5匹は居た。
「男たちの挽歌」に始まる黒社会ノアール物、
「笑傲江湖」シリーズから始まる古装片シリーズ、
「八仙館飯店」から始まる猟奇片シリーズ等々。
商業主義に忠実に量産される金儲けの為の映画たち。
その殆どは見てすぐ忘れられるトラッシュ・ムービーだが、
数多有る石の中から角度を変えて見ると輝く玉が混じっている事がよく有る。
またご都合主義と臆面の無い模倣がえも云われぬ味わいを醸し出す時が有る。
映画を語る時、評価の定まった芸術的な作品を語るだけでは片手落ちなのだ。
何故ならば映画の発生は興行であり、見世物として発展して来たからだ。

「興行師達の映画史」はそういったエクスプロイテーション(搾取)映画の
歴史を語った非常に意義深い本である。
映画の裏面史等では無く、有る意味語られなかった正史とも言える内容だ。
トッド・ブラウニング、ヤコペッティ、フーディニー、エド・ウッド、ラス・メイヤー、
ウィリアム・キャッスル、大蔵貢、若松考二、等々目次を見ただけで
その悪どい顔ぶれの数々に嬉しくなる。
ヒップ・ホップカルチャーが引用した事から近頃とみに発掘が進んでいる
黒人向けのブラックスプロイテーション映画や、
ゾンビと食人が跋扈するスプラッター映画、先に挙げた香港映画、
そして大スターの大作と併映される目的で作られるプログラム・ピクチャー等、
それだけで1冊書けるそれぞれのジャンルに付いては紙幅の関係で
記述の少ない部分もあるが、通史と見た場合妥当な配分だろうと思う。
その中でも筆者の好みなのだろう、かなりページを費やした
トッド・ブラウニングの生涯に付いては非常に興味深かった。

ブラウニングといえば一般に伝説のベラ・ルゴシと組んだ
「魔人ドラキュラ」が有名だが、やはりその名を永遠に刻み込んでいるのは
「フリークス/怪物團」の監督としてだろう。
この映画を始めてみたのは80年代の中頃、家庭用ビデオの普及により
権利の安いB級からZ級の映画が次々ビデオ化され、
話に聞いただけのエクスプロイテーション映画の数々が続々リリースされていった
狂った時代の頃だ。
それでもこの映画はそう云う乱発が一段落付いた頃にひっそりとリリースされる。
この呪われた映画に関しての逸話は作品を知った時から幾つも読んでいた。
しかし血糊や肉塊が画面を覆いつくすスプラッターを見続けた後には
意外な程「気品の有る映画だな」等と感じたりもした。
しかしそういった雰囲気だからこそ、始めから突き抜けた様な
陽性の狂気がそこここに滲んでいて異様な雰囲気を醸し出している。
けれど不快感を感じる事は全く無く、変な話だがこのクラシカルな雰囲気と
出てくる見世物芸人達に、妙に郷愁をそそられたりした。
と云うのも昔から地元の祭りで小屋掛けの見世物興行が催されていて、
或る意味子供の頃からの日常の断片にそう云った見世物が
組み込まれていたからかもしれない。
アメリカで今どのくらいの見世物興行が廻っているのかは知らないが、
まだまだ見世物が健在だった時代に、あえて醜悪な形で見世物芸人を
フィルムに刻み付けたブラウニングが批判されるのはしょうがないと思う。
しかし見世物興行が殆ど死に絶えてしまった今、
ブラウニングがこれだけの素晴らしい芸人たちを作品として残してくれた事を
素直に喜びたい、文字通り見世物映画の最高峰として。

同様に面白かったのがセクスプロイテーション映画に関しての記述。
ヘイズコードにより直接的に性描写が描けないハリウッドに対し、
「性病予防」「性知識の啓蒙」と云う御題目でセックスを扱った映画を作り出した
インディー業界のやり方は、かの「衛生博覧会」を踏襲したものだろう。
それがドキュメンタリー的な手法により、
その頃隆盛を極めていた「ヌーディスト村」を題材にする事で、
裸を出す事に成功すると云う件で有る事を思い出した。
かつて東京12チャンネルで放送されていた「金曜スペシャル」で
ヌーディスト村ネタが繰り返し放映されていたのだ。
金スペは夜の9時台という時間帯にも関らず、
「これがくノ一の全て」とか「衝撃!スケバンの実態」等と云うタイトルで
殆どポルノ紛いの内容を放送していた狂った番組である。
その中でも「スウェーデン・フリーセックスの国」とか
「潜入、ヌーディスト村」の特集は好評だったのか繰り返し放映され、
日本人ヌーディストを仕立て上げてヌーディスト村に潜入させる
(と云う手法で日本人モデルの裸を撮る)と云う内容まで有った。
今思えば何とセクスプロイテーションな番組だったのだろう!

等と書いてると思い出話に終始してしまったが、
映画の製作本数が激減している昨今、
エクスプロイテーション映画も少なくなりつつある。
勃興時の「Vシネマ」にその辺の臭いを感じたし、三池崇史や清水崇等の
優れた監督を輩出したがかつて程の勢いは感じなくなった。
今強力にエクスプロイテーションな臭いを感じるのは、
バブル真っ最中のアニメ業界だ。
もはや門外漢には個々の差異を見付けるのも不可能なほど、
テイストの似通った作品ばかりだし、所謂「萌え」要素が余りにも
マニア・ライクに特化し過ぎて理解不能だ。
しかし無駄に豪華なDVDBOXや関連商品など、
搾取する要素は見事なほど揃っている。
残念ながら昨今のアニメ事情に疎いので良く解らないが、
あれだけ作られている作品群の中にはきっと光る玉も有るに違いない。
そんな「鬼っ子」がいつか水面上に浮かび上がり、
安穏としたシーンを掻き回してくれることを祈りつつ静観していたい。

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2004.10.02

巨匠ラス・メイヤー追想

先月、偉大なるカルトの帝王ラス・メイヤーが亡くなった、享年82歳。
己が性的欲望に忠実にあの素晴らしき巨きな2つの双球を追い求め、
フィルムに刻み付け、そしてそれで金を稼いだ香ばしき生涯。

男の本懐とも言えるその半生に残した作品が、
最近「エロくて、ポップで、ファニー」等と云う生温い言葉で
ポップ・イコン化さされつつ有る。
かつて池袋のロサ会館で名作「ファスター・プッシーキャット・キル!キル!」に
初めて日本語字幕が付いた上映会にて、意外な程の女性客が
輸入物の「ヴィクセン」のポスター等に群がっているのを見て、
結構ショックを受けた物だ。

ラス・メイヤーと言えばポルノだ!
まだラス・メイヤーのなんたるかを知らなかった頃、
洋ピン誌の裏の広告に扇情的なタイトルの付いた
(ポルノとしての)ラス・メイヤーの作品のビデオ広告思い出す。
「女豹ヴィクセン」「淫獣アニマル」「ウルトラ・ヴィクセン大巨乳たち」。
昨今のラス・メイヤーの宣伝媒体に見れるポップでキャンプなイメージとは真逆の、
小便臭い地下道の極彩色の筆文字の如き世界だ。
しかし例えばそんな感覚から導き出される世界を
ラスが描いているのかと言えば違う。
明るい日差しの差し込む野外で、ぼんやりとした田舎の一軒屋で、
その逞しい肢体をさらす巨乳の女はあくまで健康的で、
そこで繰り広げられる性の営みは原初的で余りにも自然だ。
主体はあくまで巨乳の女性であり、男は只々それに圧倒され
精力を注ぎ込んで行くのみの存在だ。
確かにそれは清清しいまでの女性至上主義だ。
それが何故「おしゃれ」と結び付くのかは解らないが、
女性にとって不快感を催さない作品がラスには多いのは確かだ。

中でも前出の「ファスター・プッシー~」の主人公トゥラ・サターナ演じたヴァーラは、
一点の曇りも無く欲望に忠実で強く頭も切れ
その漆黒のジャンプ・スーツと相まって、正に女も惚れる悪徳のヒロインだ。
「Welcome To Violence!」と云う渋いナレーションから始まる
このラスの最高傑作は、シュールなまでに暴力的だが不思議に殺伐とはしていない。
コミック的とでも言おうか・・・確かにそれは「キャンプ」である。
そう云う点ではようやく本来のラスの資質が理解されて来たと云う事なのだろうか?

とにかくこれでラスのフィルモグラフィーは完結した訳なのだが、
その作品を俯瞰してみて感じるのは世界共通の
「ズル剥けた」「無意識過剰な親父」の
「俺が好きなんだから皆もこれが好きに決まってる」的ないい味わいである。
何とも形容出来ないがその熱さだけはビンビンに伝わってくる
押しの強さとでも云おうか?
たまたま電車で隣に座っただけなのに
己の趣味嗜好から筆おろし話までこってりと聞かされて、
気が付けば親父の家でやたら精力の付きそうな物を肴に強い酒飲まされて、
出て行った女房とのエロ話の後に男泣きされるが如き感じである。
そんなズル剥けた親父が一番嫌いな小娘が
ラスの映画に価値を見出していると云うのは、やはり解せない。
作品と本人は別だと言う意見も有るが、
ラスの様に「全身(巨乳好き)映画監督」と云う人にはそれは無意味だろうと思う。
まあ意見は人それぞれだろうが、何にしろ好きな物を撮り続けて、
好きな物に囲まれて、それで評価を受けてきた訳だから
この上も無く幸せな人生だったろうと思う。
「老いて益々御盛ん」と云う話だったから。

R・I・P・「その女の胸の谷間で眠れ!」

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