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2004.11.30

今は無い風景 その1

デジカメを使い始めてそろそろ3年になるが
3年前に撮った写真の中に意外にもう存在しない風景が多くある事に驚く。
有名な建物だったり、殆ど注意される事も無い一角だったり、
気が付いたらいつの間にか馴染みの景色が変わっている。
それはこの街では良くある事だが、喪失感は常にある。
だから残されたデジタル画像からかつての風景を呼び覚ましてみる。

江東区は清澄の近くにかつて「食糧ビル」と云う建物が有った。
ここのビルはよくテレビのロケとかでも使われてた古い洋風建築で、
中庭を囲む様に建っている所から学校として撮影されたりしてた。

取り壊される日が近付いたある日、最後の姿を納めに出掛けた。
もうビルの中には入れなかったのだが周囲をカメラに収める。
洋風建築に特有の重苦しさが無くすっきりとしたフォルムの建物だ。

かつてこの近所に友人が住んでいて、
何度と無くこの前を通り、中を覗いたりしたのを思い出した。

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2004.11.29

陰陽座「組曲~義経」完結

陰陽座、3ヶ月連続リリースの「組曲~義経」が完結した。
同じテーマのシングルを続けて出すと云うなかなか前例の無いパターンを
楽しませて貰ったが、ここで勝手に総括してみたいと思う。

来年の大河ドラマの事は意識しなかったとブレーンの瞬火は発言していたが、
事実あまり大河絡みでメディアに取り上げられる事が少なかったのは
良い事なのか悪い事なのか?
もう少しその辺で注目を浴びても良かった様な気がするが、
そう云う意味で多少リリース時期が早かったのではないかと考えたりする。
能楽師と組んだプロモビデオの話題はスポーツ新聞で読んだのだが
NHKの歌番組辺りに喰い込めなかったものか?売り込んで欲しかった。

1枚目の1曲目「悪忌判官」は、正に陰陽座の魅力を
ここぞとばかりに詰め込んだ名曲だ。
スリリングな楽曲にサビのメロディのポップさが相まって
一聴しただけで耳に残るポピュラリティは流石の一言。
物語的にも源氏が義経の鬼人の如き働きで平氏を次々打ち破って
快進撃を続けている部分だけに、曲間の雄叫び
そして疾走感の有る楽曲が気持ち良い。
似ている訳ではないがIron Maidenの「The Trooper」を髣髴させたりする。
2曲目の「微睡忍法帖」は正直余り変哲の無いバラード曲。
2枚目の1曲目「夢魔炎上 」はなかなか評価が難しい曲だ。
長尺曲はかつて何曲か手掛けている訳で構成や緩急の付け所は悪く無いのだが、
問題は語りの部分だ。はっきり言って聴いていて恥ずかしい。
今までも語りの入った曲は何曲も有ったのだが、
正直ここまで恥ずかしい語りは無かったように思う。
楽曲として語る部分と、直に語る部分をもう少しアレンジした方が
良かったのではないだろうか?
語るにしてもベタにアングラ演劇の様に語るのではなく、節談や浄瑠璃語りを
モチーフにした様な語りにするとか・・・・
楽曲にしても十分以上有る訳だしもう少し展開しても良かったように思う。
長尺曲としては「鵺」が非常に好きなのだがシングルとして
あれに匹敵する物を期待したかった。
2曲目の「傀儡忍法帖 」イントロが布袋の「Beat Emotion」にそっくりな
珍しいパターンのR&R曲で楽しめた。
ドライヴィングするベースと例によって漢字の掛け声が良い効果をあげている。
傀儡と云うテーマになかなかマッチした楽曲だ。
そして最終作の「来世邂逅」はタイトルを見ただけでこれはこう来るだろう
と言う予想を裏切らない、案の上のバラード曲でした。
ここでラストをバラードで絞めないで死して再び「夢魔」と化した義経が
朝廷に仇なす荒ぶる怨霊となって帰って来ると云う様な、
全然予想を裏切り、しかもメタルらしいテーマのラストを疾走曲で絞める
と云うのも面白かったんじゃないかと勝手に思うのだが・・・
まあ美しくまとめたかったという所なんでしょうか?
曲的には黒猫の様々な歌い回しを駆使した美しい曲だが、
オケかストリングスでも入れてもっとクサく盛り上げるのも
映画のエンドクレジットの様で面白かったと思う。
カップリングの「荊棘忍法帖」はリフで展開して行く
マイナー・キーのハード・ロック曲で、これまた安心して聴ける得意技だ。

3作まとめて俯瞰してみればもう少し冒険してみても良かったんじゃないかと思う。
今までに無いパターンの曲といえば「傀儡忍法帖 」のR&R的な楽曲くらいで、
後は手の内で勝負したと云う感じがする。
組曲として各1曲目は流れを重視したかったのだろうから、
せめてカップリング曲で新しい局面が見たかった。
まあそれは多分春先辺りにでも用意される7枚目の新譜で
披露する事に成るのだろうが・・・・
そろそろオファーも来だしていると云う海外公演に付いての展開も楽しみだ。
ちなみに3枚目の初回限定で付いてくる・・・と云うか入っている、
シングル全部が納められるシブいBOXの発想は、
せがわまさきの「バシリスク」の最終巻から出てきた発想なんじゃないでしょうか?
瞬火さん。

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2004.11.25

落葉路

残念ながら東京の紅葉はまだまだです。
一部色付いたり落葉している木々も有りますが
銀杏並木が黄色く染まった時にこそ
東京の紅葉は極まると思うのからです。

落ち葉の敷き詰められた道を歩くのは楽しいですが
銀杏の葉は脂分が多くてたまに滑りそうになります。
それに踏み付けられた落ち葉を掃除するのも大変で
こうして朝日に照り映える様を眺めているのが
一番のんきで楽しいかもしれません。

ko-yo02

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2004.11.22

解説者の話芸~例えば政則

朝日新聞の日曜日に掲載される「読書」面で、
亀和田武が「マガジン・ウオッチ」と云う雑誌に関するコラム記事を連載している。
今回は「リラックス」と云う雑誌の特集に於けるDJトークの妙味に付いての話だ。
内容は、かのメタルの伝道師「伊藤政則」による(美味い店紹介)の
語り口とレトリックの巧みさを賞したものだ。
これが実に膝を打つ様な内容で朝から非常に小気味好い気分に成った。

つまみの多い博多のラーメン屋を「ウッドストックの様」と括り、
それに対し「この店のメニューはウッドストックの出演者リストなんだよ!
それで、出演順は自分で決めてくれよと」とその雑誌で語っているそうだ。
解る解る、完全に解るよその政則の語り口!
特にその最後の「~くれよと」のとの部分で、あの顔が眼前にうかぶ様に解る。
昔から政則の原稿を、しゃべりを、そして御尊顔を拝み、
「断言」に酔わされて来た身にはその語りの巧みさが良く解る。
政則の書く文は決して美文ではないが、あの畳み込むような語りに即した
非常に味わい深い文だ。
音楽を聴き始めた若いリスナーにも必ずや訴え掛ける物があるが故に、
そのあくどさを嫌う連中が多いのも事実だ。
しかし何にしろそれは一つの「芸」だし、それに酔わされてこそ
メタル音楽の隆盛も有ると思う。

かつてはそう云う名調子の解説者が多かったし
(って皆さんまだまだ現役な人達だが)それがそれぞれのジャンルの
隆盛に一役買っていたと思う。
そう云う点で最近語りの巧みさで酔わせる様な解説は少なくなったと感じる。
特に最近パンク方面で解説書いてる
おもちゃ屋の兄ちゃんの書く解説には腰砕けた。
正直ブログやHPで書いてる人の方がまだマシだと思える。
「ヤバイ、マジ!ヤバイ」ってそんなの連発された日にゃ、
何で輸入盤より多めの金出してこんな車中に携帯で話している
若造の与太話の如き、実の無い話聞かないかんのか泣けてくる。

北村昌士がユーロ・ロックの名盤に書いていた様な含蓄の有る話や、
茂木健がザッパの解説で暴走する語り口や、湯浅学がP-FUNKに付いて書いた
ねっちょりしたレトリックなど、金払って読んでも納得出来る解説が減ってきてる。
昔、森脇美貴雄が書いたライナーを集めた「パンク・ライナーノーツ」
と云う本が出ていたが、これからああして集められて読まれる様なライナーを
書ける人間が出て来るのだろうか?
解説と云う日本独自の文化がこれからも続く限り、
ライナーを書く人間はその話り口をもっと磨いていって欲しいものです。

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2004.11.21

浮世のうたた寝~岩佐又兵衛の世界

予告通り(って誰も覚えてないだろうが)千葉美術館に「岩佐又兵衛展」を観に行った。
や~それにしても遠いわ千葉、片道で展覧会の入場券並みの交通費だったし。
おまけに駅前の一帯が歩行禁煙区域に成ってて、吸いかけて慌てて消しましたわ。
通り過ぎた、もしくは乗り換えに降りた事は何度か有るにしろ、
駅前に下りたのは初めての事でごちゃごちゃしてる割に何も無い所だ
と云う感じでした、千葉の皆さんすいません。
でもまあ行き慣れていない美術館に出掛けた時は、
その時通った道筋や寄り道した場所も展覧会の記憶の内に刻まれる訳で、
一服したそごうの横の広場や立ち寄った古本屋の品揃えも
岩佐又兵衛と供に記憶されると言う訳だ。

さて展覧会だが、最初に目に付くのは「旧金屋屏風」の中の「伊勢物語・梓弓図」だ。
この「にょしょう」の家を訪ねた貴公子の顔がエロい、とてつもなくエロい。
そう云うつもりで描いた訳ではないのだろうが、どうにも淫蕩さが押さえ切れずに、
含み笑いの様に顔面に浮き出てきた様な下衆なエロさが滲み出ている。
前回の楽しい一時を思い出したのか、果てまたこれから宜しくしたい
あれこれを想像しているのか形(なり)が上品なだけに笑える。
笑えると言えば「人麿、貫之図」の二幅の掛け軸も独特のおかしさが有っていい。
対照的な描法で描かれた服の表現も見事だが、
何と云ってものほほんとしたその表情がたまらない。
特に柿本人麿の赤塚富士夫の漫画にでも出てきそうな、
超然とした好好爺振りは大好きだ、裸足だし。
後ろに「ぼ~~~」とか書き込みたくなる。

そしてやはり圧巻は絵巻物だ。流石にこれだけは印刷物で無く、
実物を眺めないとその凄みは伝わって来ない事を思い知らされる逸品だ。
岩波新書の「江戸の絵を愉しむ/榊原 悟」によれば、
日本絵画の鑑賞の特色として「披見」つまり披いて見る事を挙げている。
絵巻物と言うのはそのワンカットを切り取って鑑賞するのではなく、
手元で巻を披きながら物語の経過を愉しむ為に創られた様式な訳だ。
重文を手元で披見するのは不可能な話で、例えガラスケースの中とは云え
拡げられた巻物を順を追って鑑賞して行けると云うのは
こう云う機会でもないと不可能だ。
勿論巻全部と言う訳ではないが、それでも十メートル近くも伸ばされた絵巻を
目で追っていけるのは得難い体験だった。
そしてもう一つ印刷物に不可能なのが金地の再現だ。
建物や武士の衣の稜線、そして衣服の小紋や刀の金具に至るまで
細かな金地の描線で描かれている、それらが一刷きされた金泥の綾雲と供に
光の加減によって煌めく様は、艶やかで眼にも楽しく何とも言えぬ効果を放っている。
こればかりは実物を見なければ解らなかっただろう表現だ。
「小栗判官絵巻」の中の僧侶が何十人と立ち並ぶモブシーンでは
個性豊かな顔が連なり、途中で飽きてきたのか
コピーしたかの様に同じ顔立ちの僧侶も何人かいる所も面白い。
「堀江物語絵巻」には見たかった凄惨なシーンが含まれており、
血糊や血飛沫の痕も生々しい合戦舞台が見れる。
それにしても血の生々しい表現はどうだろう?
白々しい赤さではなく、静脈から流れ出たようなドロっとした赤黒い血の色なのだ。
あれは一体どんな絵の具で塗られているのだろう?退色もせずに未だに赤黒い。
観たかった「山中常盤」はそれ程の分量が展示されておらず少々残念だったが、
その分「小栗判官絵巻」のグロテスクでユーモラスな
地獄での裁き場面等が見れたのは良かった。

もしも子供の頃に薄暗い蔵に忍び込み、裸電球のほの灯りの下で
披き出した絵巻にこんな華美にして毒々しい極彩色の世界が展開されていたら、
間違いなく一生この世界に憑かれそうな吸引力が在りそうだ。

ついでにその上で催されていた「モノクローム絵画の魅力」と云う奴も観て来たのだが、
これはこれで或る意味笑えた。
最初に会場に入った時に「あれ?何も無いじゃん」とか思った。
所謂掲げられた作品が室内装飾の一環に見えた訳だ。
極彩色の絵巻を鑑賞して来た後にこの唐突感の落差は面白い、
展示効果として抜群の物が有ると思う。

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2004.11.17

銀杏坂/松尾由美

いや~そう来たか!これはやられた!
そう確かに松尾由美の書く物だけに一筋縄で終る訳は無いと思ったが・・・

確かにデビュー作の「ブラック・エンジェル」にしても
SFなんだか、ホラーなんだか、果てまたジェンダー小説なのか
レコードから天使が現れて人を殺すと言う、
こうして書くと噴飯物の話なんだが、それだけにカオティックな内容で、
話の構成として成功しているとは思わなかったけど、
問題のレコードのバンドにやけにリアリティが有って、
そう云う細部が面白いなと思ったりして記憶に残った。
でもってぶっ飛んでいたのが次作の「バルーンタウンの殺人」だ。
この設定には参ったと云うか意表を付かれた感じだった。
ストゥージーズ聞きながら煙草くゆらす、やけにハードボイルドな
主人公の妊婦探偵にも胸躍らされた。

そんな彼女の金沢らしき古都を舞台にした連作推理小説で、
さてどんな手腕を見せてくれるのかと思いきや、
いきなり幽霊だ、しかもトリックとかでなく、普通に幽霊だ。
しかし因果物に話が流れる訳でもなく、事件は正常に解決される。
なんなんだこれ?と思うまもなく二話目は予知能力だ!
三話目は幽体離脱、四話目はサイコキネシス。
どれもこれもある、確実に話の中に超常現象が存在する。
しかし正常に謎は解かれる、不可解な解決の仕方は無い。
これには参った。
怪奇で不可解な現象が整然とした論理によって覆されるのは
推理小説のパターンとして良く見受けられる。
しかし推理小説として話は解決するも依然として怪異は残る、
こんなパターンの話って有っただろうか?
しかし古びた街に残る前時代の残り香のように
慎ましくその存在を主張する怪異達の何と妖しく優しげな事よ。
そしてそれを受け止める狂言回しの木崎刑事や
香坂市の人々の何とも言えない温もりが心地いい。

しかしそれさえも最終話において更に淡くそして哀しくぼかされる。
そしてそのあわいの中にこの作品がメタ・ミステリーとして
「虚無への供物」や「ハコの中の失楽」や「サマー・アポカリプス」等に
通じる深く暗い水脈の一派だと認識する事が出来るのだ。
何とまあ控えめで優しげで、それ故に破壊的な作品なんだろう?
恩田陸の「月の裏側」を読んだ時同様の小気味いい裏切られ方だ。
今月発売した爽やかな感じの「スパイク」と云う奴も同様なのか?
全く松尾由美恐るべし・・・・

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2004.11.15

辿り着けない場所「2046」

明確な話の流れを作らずに、その場その場で変化して行く演技をフィルムに収め、
その膨大な量のフイルムを元に話の辻褄を合わせて行くのが
ウォン・カーワイの映画だとしたら、最終的にその辻褄に乗れるか乗れないかが
観客の好悪の判断だと思って良い。
「ブエノスアイレス」辺りから全くその辻褄に乗れなくなり、
「花様年華」でもその思いは変わらなかったのだが、
では最新作の「2046」はどうだったかと言えば、
「近未来小説」と云う場面変化と、「欲望の翼」「花様年華」の続編的な意匠
と云う部分において、「割と今回は乗れた」と云う所だろうか?

ただ例えば主人公の心の喪失感を表す為に、コン・リーとチャン・ツィイーと
2人もの女が必要だったのかと云う疑問が残る。
結局それら2人の撮影が「花様年華」を挟んで後半に行われた事から、
「大陸の上映基準の緩和による大陸のマスに対する色目」
と云う風に取られても仕方が無いような感じはする。
タイトル・ロールを観るだに本当に凄い豪華なキャスティングだと思うが、
どうにもそれらをコントロールし切っていないし、
豪華さが災いしている様にも感じられる。
もしも知名度が「ブエノスアイレス」のシャーリー・クワン程度だったら
ばっさりと全面カットした方が話が整理出来る所も有るのなぁと云う感じだ。
今更辻褄合わせの最たるもので有る、CGや未来都市の
イメージの貧困さを言い連ねてもしょうがないが(例えあれが監督の言う様に、
60年代の香港の作家が抱くレトロ・フューチャーなイメージを具現化した、
と云う言い訳を聞いたとしても)その近未来的なイメージから或る作品を想像した。
ウォン・カーワイは常々マヌエル・プイグ等のラテン・アメリカの作家の
影響を口にするが、それなら当然読んでいるであろうウイリアム・バロウズの
原作を映画化したデビット・クローネンバーグ監督の「裸のランチ」だ。
原作にしろ映画にしろドロドロなジャンキーの幻覚を具現化したような
暗鬱で取り留めの無い作品だが、現実と折り合いの付けられない作家が抱く幻影と
逃避してゆくべき場所(映画ではアネクシア)と云うテーマの共通性を連想させる。
そして予め撮られた素材を解体しはめ合わせ繋いで行くと云う作業は
(脚本の筋道が出来ている普通の映画における編集とは違う意味で)、
まるでバロウズが作品の中で実践した「カットアップ」や「フォールドイン」
などと同様ではないか?
まあそこまで本編が実験的な様相を示している訳ではないが、
夢のあわいを漂う様な画面に同様の危うい陶酔感は共通する様な気がする。
そう、こと画の美しさと官能性に関しては相変わらず見事だと言う外無い。
画面の質感や粒子で、一目でカーワイの画面と感じさせる画創りは流石だ。
(勿論それにはクリストファー・ドイルのカメラワークも関係してくるのだろうけど)
今回から始めてシネスコを取り入れた訳だが、まるでマニアが
「実相時アングル」と名付けた実相時昭雄の実験映画の如き、
肩先から極端に俯瞰したアングル、画面の半分以上が前景の置物で
隠れる様なアングル等、横長のシネスコをフルに活用した目眩のする様な
画面構成が、話の錯綜に拍車を掛ける効果を上手く出している。
それにしてもフェイ・ウォンは可愛いなぁ、とても子持ちとは思えない繊細さだ。
恋人の為に訥々と日本語を練習している場面も可愛いが、
木村の告白に戸惑って小首を傾げた時の首筋のラインの美しさは驚くほどだ。
それに比べるとチャン・ツィイーは体付きや顔の可愛らしさに反して無骨だ。
それが大陸の女らしいと言えばそうだが(あ、フェイもそうだったな!)
やはりああ云うしぐさの優美さと言うのは経験が物を云うのだろうか?

カーワイ作品は国によって編集を変えている場合が有って、
今回も台湾版と比較して見てみたが余り大きな違いは見られなかった。
ただタイトル・ロールで3番目だった木村拓哉が日本版では2番目に来ていたくらいか?
DVDにでも成ったら詳しく確認してみないと何とも言えないが。

カーワイの映画で一番愛着が有るのは「欲望の翼」だが、
カリーナ・ラウのバックでザビア・クガートの「パーフェディア」が掛かると
大好きなあの映画を思い出してぐっと来るものがある。
そして「スー・リーチェン」の名を聞くとサッカー場の暗闇から
「1分間の友達」である「彼」が現れそうで切なくなる。
もしもはっきりと「これは欲望の翼の続編です」と言われていたら
多分この映画を否定する事を出来ないほど思い入れが有るから・・・

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2004.11.11

「奇想」の地平線

辻惟雄の名著「奇想の系譜」がちくまにて文庫化された。
朝倉無声の「見世物研究」が文庫化された時も唸ったが、
毎度絶妙なセレクトだ。
あとがきにも書かれていたが、本書が書かれた当時
ここに掲載されていた画家は殆ど忘れられていた存在だった訳だが、
CMにまで使われるようになった若冲を始め現在それなりの知名度を持っている。
現に「奇想の系譜」自体を知ったのもそれらに関する文献を読んでからだった。
岩佐又兵衛は今、千葉美術館で展覧会が催されているし(来週行くぞ!)
蕭白は去年だと思うが「美の巨人」でも放映された。
それにつけても惚れ惚れする様な悪趣味さ加減だ。
あっけらかんとした人体損壊具合が三隅監督、若山富三郎主演の
「子連れ狼」を髣髴とさせる岩佐又兵衛の「山中常盤」。
妖怪の如き山雪の「寒山拾得」や蕭白の描く「郡仙図屏風」に見る
仙人たちの怪物っぷりはどうだろう?
美術に等何の関心も持てない小学生にも喜ばれる事請け合いの不気味さだ。

子供の頃からこう云った「あくどく」「毒々しい」絵が好きだった。
日本美術で云えば何と言っても浮世絵だったし、
しかも後期の芳年や英泉の爛熟した様な異形さが好きだった。
長じて興味が日本美術の始祖である中国美術、
しかも民間方面に向いた訳で
例えば中華圏の道教寺院に行った事が有る人なら解るだろう。
それはもう圧倒的に神々し過ぎるの一言だ。
原色を基調とした色彩に金が埋め込まれ、照明がそれに反射して
もう堂内目映いばかりに色が混ざり合い収集が付かなくなっている。
そして天井から壁から欄間の透かしからありとあらゆる装飾品が
盛り上がり渦を巻き一つ一つが息付いて居るかの様に主張している。
あの圧倒的な空間に身を置くと、ただただ嘆息するしかない状況に成る。
侘び寂だけで語られる事の多い東洋美術の、これも一つの形である。

岩佐又兵衛の「山中常盤」の残虐描写と香港はタイガーバーム・ガーデンの
稚気に溢れるが故に残忍な地獄絵や、
蕭白の描く仙人と「山海経」に見る異星人は同じ所から出ている。
大好きな見世物の看板絵が因果物絵巻から出発している様に。
それはアウトサイダー・アートやプリミティブ・アートへも繋がっている。
スーパーフラットと云う流行の言葉は好きではないが、
若冲と山下清が、東照宮と二笑亭が同じ地平で語られるのは愉快だ。

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2004.11.07

武蔵野の湧き水

長々と降り続いた9月の雨のお陰で
普段は枯れ沢に成っている小平霊園の水源地に
滾々と水が湧いているらしいと云う話を友人に聞き
その友人と供に日暮れ時の小平霊園に出掛けた。

いやー湧いてます、もう水溜り通り越して池の様です。
普段は「ここが川に成ってるんだねえ」等と言いつつ
水が流れていたであろう川筋を歩いてゆくのに
ちょっとした沼沢地と化しているにびっくりした。

それも水が溜まっているのではなくて
確かにかそけき支流からふつふつと
水が湧き上がっているのが嬉しかった。

いくら霊園だとは云えこの雑木林が、
かつての武蔵野の原風景だとは思わないが
それでもあまり伐採のされていない木々と
腐葉土のお陰で下生えの生い茂る地面を浸す様に
溢れる清流に釣瓶落ちの夕日が映り込む様は
在りし日の原野を如何にも幻視させる。

夢中で写真を撮っていたら
見事に泥濘に足を取られて転びそうになった。
桑原々々・・・

kodaira01

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2004.11.04

同潤会アパートの思い出

「同潤会アパート」と云う名を知ったのは18位の頃だったが、
街の一部のシブイ建物として子供の頃から記憶に残っている。
記憶に有るのは行動範囲に有った「大塚女子アパート」と
「鶯谷アパート」」の2つだが、あの古びた個性的な建物の同類が
他にも都内に点在していると知って俄に興味を覚えた。
その内「江戸川アパート」を発見して、友人から「清砂アパート」を教えてもらい
表参道に有るのが「青山アパート」だと知り、「代官山アパート」を訪ねた。
学校の卒業制作で東京に残る古い町を写真に撮り始める内に、
地図を頼りにまだ見ていない同潤会アパートを何個か観て廻った。
昭和だった当時は、まだ個々のアパートも普通に人が生活している場で、
外観は押さえられるにしろ、余り踏み込んだ所まで写真に撮れず
消化不良のまま建物に見惚れて帰ってきた。

その後時代は平成に移って行くと同潤会アパート取り壊しの話が
方々から聞こえる様になった。
もう1度見ておきたいと云う思いが募って、
既に住人の立ち退きが始まっていた「住吉共同住宅」に出掛けた。
ここは子供が遊べる中庭を囲んでコの字型に建物が囲み、
そのコの字型の部分にある螺旋階段は
かつて講談社の江戸川乱歩文庫が発刊した時の広告にも使われた、
下から見上げると何とも怪しげな階段なのだ。
(ちなみに当時まだ現存していた仁丹塔も広告に使われた)
人気が少ない建物に入ってその階段を見上げた。
ぼんやりと灯る電灯が、消え行く建築を象徴する様に、
2,3度瞬いてまたぼんやりと弱い灯り階段に落としていた。
廊下の隅に固まった暗闇が何処か淋しげに見える。
道路に面した商店街は賑やかな夕暮れ時を迎えているのに
建物一つ隔てたこちら側は既に廃墟のようだった。

その帰りに「清砂アパート」にも寄ってみた。
清砂通りに面した1号館のエントランスも美しく、
裏に廻ってみても住民の温かな生活の息吹が感じられる。
仕舞い忘れた洗濯物を眺めながら、
こう云う猥雑さが感じられてこそ建物が生きていると実感できる。
その「清砂アパート」も今はもう無い。

昔ながらの食堂と銭湯も有った「代官山アパート」は
平成8年に取り壊された。
昔、中を探検した思い出が有る「鶯谷アパート」は
平成11年に取り壊された。
表通りのパン屋で何度かアイスを買ったことも有る
「大塚女子アパート」は平成15年に取り壊された。

建築資料研究社から出ている「Design Of Doujunkai」や
河出書房新社から出た「消え行く同潤会アパートメント」など
同潤会アパートを偲ぶ本は今も出続けているが、
あの生活臭は住民の居なくなった部屋の写真からは感じられない。
建物はそこに在り、人が住んでこそのものだから・・・

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2004.11.03

向左走、向右走

しばらく続いた台北シリーズ、それではついでにこれもってな訳で、
ようやく日本でも公開が始まった「ターン・レフト、ターン・ライト」。

日本でもお馴染みの絵本作家、幾米の同名作品を杜琪峰が映画化した作品だ。
かつて名作ドラマ「君の名は」に、「すれ違いドラマ」と云う名が
付けられていたそうだが、事この映画に関してはもう非現実的なくらい
すれ違っちゃってる作品なのだ。
話は、隣同士に住んでいるのに決して交わる事が無かった二人の男女が、
ひょんな偶然から心を通わせ合い、再会を約束して分かれるものの
運命の悪戯がまたも二人を引き離していく、
果たして二人はまた出会う事が出来るのか?
と云う様な話な訳だが、とにかくこの二人のすれ違い振りが見事!
幾らなんでもそこまですれ違っていれば気付きそうな物の、
翻訳を生業としていつも外国語の原書を片手のどこかぽ~っとした感じの梁詠琪と、
人付き合いが苦手そうで自分の世界に閉じこもり気味のヴァイオリニスト金城武なら
それも有りそうな感じで笑かしてくれます。
しかもこの二人、今現在だけじゃなくて実は過去にもすれ違っていた
と云う事実が後に発覚して更に笑かしてくれます。
笑かしてくれるといえば梁詠琪をストーカー的に追い掛け回す医者の役、
シンガポールの著名な役者エドムンド・チェンが切れてて最高。
片や金城武を追いかける出前料理屋の娘を演じた台湾のテリ・クワンは
初々しくてちょっと切なくて2人とも良い脇役だ。

舞台は台北なのでMRTの北投駅や天母の辺りが出てきたりするのだが
クライマックス近くでワーナー・ヴィレッジと西門街でお互いの番号を
大声で呼び歩くシーンが印象的だ。
一般の中をゲリラ的に撮ったそうなので
あの雑踏を考えると苦労が偲ばれるってなもんだ。
凄くほのぼのとした良い映画なんだけど、多少ラストは意表を突かれると云うか、
確かに原作の絵本にもそのシーンは有る訳なんだけど、
「だからってそう来るか?」的なラストです。
でもあれだけ無茶苦茶にすれ違っているのなら、そのくらい力技じゃないと駄目か?
と云う気もするので不快感的な物は無いですけどね。

以上の様な内容の記事を去年の今頃某サイトに投稿した。
そう実はこの映画去年に台北で見ていたりしたのだった。

公開当時、当地でこの映画の豪華本が売られていて、
これが香港のアート雑誌「IdN」が手掛けた非常によく出来た美しい本。
「2046」の本といい最近現地の方が良い本造っている気がする。
でもやっぱし日本では発売しないんだなあ・・・

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