浮世のうたた寝~岩佐又兵衛の世界
予告通り(って誰も覚えてないだろうが)千葉美術館に「岩佐又兵衛展」を観に行った。
や~それにしても遠いわ千葉、片道で展覧会の入場券並みの交通費だったし。
おまけに駅前の一帯が歩行禁煙区域に成ってて、吸いかけて慌てて消しましたわ。
通り過ぎた、もしくは乗り換えに降りた事は何度か有るにしろ、
駅前に下りたのは初めての事でごちゃごちゃしてる割に何も無い所だ
と云う感じでした、千葉の皆さんすいません。
でもまあ行き慣れていない美術館に出掛けた時は、
その時通った道筋や寄り道した場所も展覧会の記憶の内に刻まれる訳で、
一服したそごうの横の広場や立ち寄った古本屋の品揃えも
岩佐又兵衛と供に記憶されると言う訳だ。
さて展覧会だが、最初に目に付くのは「旧金屋屏風」の中の「伊勢物語・梓弓図」だ。
この「にょしょう」の家を訪ねた貴公子の顔がエロい、とてつもなくエロい。
そう云うつもりで描いた訳ではないのだろうが、どうにも淫蕩さが押さえ切れずに、
含み笑いの様に顔面に浮き出てきた様な下衆なエロさが滲み出ている。
前回の楽しい一時を思い出したのか、果てまたこれから宜しくしたい
あれこれを想像しているのか形(なり)が上品なだけに笑える。
笑えると言えば「人麿、貫之図」の二幅の掛け軸も独特のおかしさが有っていい。
対照的な描法で描かれた服の表現も見事だが、
何と云ってものほほんとしたその表情がたまらない。
特に柿本人麿の赤塚富士夫の漫画にでも出てきそうな、
超然とした好好爺振りは大好きだ、裸足だし。
後ろに「ぼ~~~」とか書き込みたくなる。
そしてやはり圧巻は絵巻物だ。流石にこれだけは印刷物で無く、
実物を眺めないとその凄みは伝わって来ない事を思い知らされる逸品だ。
岩波新書の「江戸の絵を愉しむ/榊原 悟」によれば、
日本絵画の鑑賞の特色として「披見」つまり披いて見る事を挙げている。
絵巻物と言うのはそのワンカットを切り取って鑑賞するのではなく、
手元で巻を披きながら物語の経過を愉しむ為に創られた様式な訳だ。
重文を手元で披見するのは不可能な話で、例えガラスケースの中とは云え
拡げられた巻物を順を追って鑑賞して行けると云うのは
こう云う機会でもないと不可能だ。
勿論巻全部と言う訳ではないが、それでも十メートル近くも伸ばされた絵巻を
目で追っていけるのは得難い体験だった。
そしてもう一つ印刷物に不可能なのが金地の再現だ。
建物や武士の衣の稜線、そして衣服の小紋や刀の金具に至るまで
細かな金地の描線で描かれている、それらが一刷きされた金泥の綾雲と供に
光の加減によって煌めく様は、艶やかで眼にも楽しく何とも言えぬ効果を放っている。
こればかりは実物を見なければ解らなかっただろう表現だ。
「小栗判官絵巻」の中の僧侶が何十人と立ち並ぶモブシーンでは
個性豊かな顔が連なり、途中で飽きてきたのか
コピーしたかの様に同じ顔立ちの僧侶も何人かいる所も面白い。
「堀江物語絵巻」には見たかった凄惨なシーンが含まれており、
血糊や血飛沫の痕も生々しい合戦舞台が見れる。
それにしても血の生々しい表現はどうだろう?
白々しい赤さではなく、静脈から流れ出たようなドロっとした赤黒い血の色なのだ。
あれは一体どんな絵の具で塗られているのだろう?退色もせずに未だに赤黒い。
観たかった「山中常盤」はそれ程の分量が展示されておらず少々残念だったが、
その分「小栗判官絵巻」のグロテスクでユーモラスな
地獄での裁き場面等が見れたのは良かった。
もしも子供の頃に薄暗い蔵に忍び込み、裸電球のほの灯りの下で
披き出した絵巻にこんな華美にして毒々しい極彩色の世界が展開されていたら、
間違いなく一生この世界に憑かれそうな吸引力が在りそうだ。
ついでにその上で催されていた「モノクローム絵画の魅力」と云う奴も観て来たのだが、
これはこれで或る意味笑えた。
最初に会場に入った時に「あれ?何も無いじゃん」とか思った。
所謂掲げられた作品が室内装飾の一環に見えた訳だ。
極彩色の絵巻を鑑賞して来た後にこの唐突感の落差は面白い、
展示効果として抜群の物が有ると思う。
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