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2005.03.29

キョウコのキョウは恐怖の恐/諸星大二郎

今回は斯界にその独自の世界を確立する異能の漫画家、諸星大二郎の初小説集、
「キョウコのキョウは恐怖の恐」を遅ればせながら紹介したい。
諸星先生と言えば74年のデビュー作以来、並ぶ物無い奇想と博識と世界観を、
これまた並ぶ物無い独自の画力で描く通好みの作家である。
常に新作が楽しみな作家では有るが、寡作とまでは言わぬも多作では無い活動に、
よもや小説を書いている事など全く知らなかったので驚かされた。

一般に云う所の画が上手いと言われる作風ではないが、その画風は唯一無二であり、
事この世ならざる物を描く時の、漫画的な想像力を遥かに越えた禍々しさは物凄く、
その画力を封印した中での小説では如何にその想像力を発揮させるのか?
ファンとして興味をそそられつつ心配な部分だったが、
見事に行間にあのどす黒い絵を髣髴とさせる素晴らしい作品に成っている。

一応短編集なのだが、連作なのかと思わせてそうでも無く、
共通しているのは日常に滑り込んでくる異常を描いた恐怖小説だと言う事だ。
最初の3篇には「キョウコ」と名乗る女性が現れ、ある時は主人公を救い、
ある時は状況を掻き回し、ある時は異界へと誘う役目を持っているのだが、
それぞれ「凶子」「恐子」「狂子」と名前が違う。
それでは「キョウコ」を狂言回しにした連作なのかと思いきや、
残りの2本には全く出て来ない所も、何か肩すかしの様で面白い。

「狂犬」は、どこか初期の短編作に似た黒いユーモアーが有って面白い。
近年「栞と紙魚子シリーズ」で炸裂しているが、作者は最初の頃から、
黒いユーモアーを書かせても上手い人だった。
迫り来る様な恐怖に襲われつつも、どこか民話の様なおかしさが有る。
それが不気味なバイオSFを絡めて書かれている所にも初期作を感じさせる所以だ。
「秘仏」は作者の作品として一番想像しやすい形の小説だと思う。
土俗的な舞台設定、形のハッキリしない不安、闇の中を蠢く人の影、
のんびりとした前半とは打って変わって、禍々しさが全開に噴出する後半の、
緊迫感溢れる描写が面白い。
作者によるカットが一つ入っているのだがそれ見ただけでもう、この作品だけでも
是非とも漫画化して欲しいと思わせる傑作だ。
主人公を稗田礼二郎に改めて「妖怪ハンター」シリーズの一つで如何か?
「獏」も「狂犬」に近いテイストの作品だが、素材から中国物も想像させる。
今作の「狂子」は名前通りに主人公を狂わせるファム・ファタールである。
(そう言われれば主人公に凶運をもたらす「狂犬」のキョウコは凶子、
主人公の恐怖に付き合う「秘仏」のキョウコは恐子と、
作風に合わせた名前の変遷が有るのだという事に気が付いた。)
添えられたイラストがデビュー作の「生物都市」を思わせる。
「鶏小屋の有る家」は広い庭の有る賃貸住宅に越して来た中年夫婦が、
と云うか主人が、庭の鶏小屋に取り憑かれる怪異小説だ。
鶏小屋を曰くの有る物件と見る事で恐怖小説にも成るが、
鶏小屋を何かのメタファーと考えれば、芥川龍之介的な心理小説とも読める。
「濁流」もそれに近い設定の初老の男が主人公の話だが、
小説的な深みなど遥かにこちらの出来が素晴らしい。
読んだ時にしみじみ感じたのは、期せずしてこれは内田百閒の如き作品だと云う事。
と云うかもしかしたら百閒を意識したのかもしれないが、実に素晴らしい。
主人公と碁を打ちながら次第にこの世ならざる物に変わって行く浅井君の描写、
幼い頃に見て取り憑かれた禍々しい思い出の幾つか、
そして縁側の先に轟々と音を立てて流れ行く濁流の描写など非常に鮮やかだ。
濁流が意思と関り無く流れ行く人生のメタファーなら、
その流れを無心に泳いで行く少年の姿は何を表しているのだろう?
そしてそれを自分の若き頃の姿と認めた老い行くばかりの主人公の思いは?
いや全く漫画家の余技とは思えない素晴らしい仕事に感服する。
そしてこの作品ばかりは漫画では描ききれない小説ならでは技巧が見事だ。

作者の画を窓の中にあしらい、エンボス加工にコーティングを施した、
熱帯の鳥の姿が表紙に浮かぶ、中々凝った造りの装丁も素晴らしい。
しかしやはりこのタイトルはもう少し工夫して欲しかった所だ。
まず作者を知らない人間が安々と手に取るようなタイトルでは無い。
前半の「キョウコ」のシリーズとしての連作ならそれでも良いのだが、
余りに「濁流」の出来が異質でしかも素晴らしいので残念だ。

さて今度は漫画作品の新作を早く読みたいものだ、稗田礼二郎物などを・・・

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2005.03.26

哀愁のユーロピアン・ロック~スペインの旅

ワーナーミュージックから「哀愁のユーロピアン・ロック」と云うシリーズが出た。
「スペインの旅」と題された第1弾は、去年大量にリ・イッシューされた
スペインのバンド群、合計8組をを扱っている。
流石にスペインのバンドと云うと殆ど予備知識が無い。
ヴィバルディの「四季/春」をモチーフにしたクラシカルなテイストで有名な、
ロス・カナリオスなんかが浮かぶくらいの物で未知の領域である。
そこで今回は一応の安全策として、未聴ながらシンフォニック系として世評の高い、
「ゴティック」と、スパニッシュ的な「トリアーナ」の2枚を購入した。
先のロス・カナリオスのアレンジを手掛けたアルフレド・カリオンの「錬金術師」
と云うソロアルバムも出ていたが、とりあえずこの2枚で様子見する事にした。

まずは「トリアナーナ」の1stアルバムだが、これは正しくスパニッシュ・ロック、
と聞いて連想する音そのもので独特のアクの強さが何とも云えぬ味わいだ。
バンドは3人編成でドラム、キーボードにスパニッシュ・ギターと云う、
物凄い編成がこのバンドの資質を物語っている。
エレキがゲストによる演奏で、メインは飽くまでアコギなのである!
何とも強烈にスペイン人として自己のアイデンティティを感じさせる音だが、
解説によればこう云ったフラメンコを導入したロックを産み出したのは、
彼らが最初の存在で、アンダルシア・ロックとも呼ばれているそうだ。

とにかくその魅力は1曲目に集約されていると言っていい。
爪弾かれるギターの旋律に乗って幽かに流れて行くメロトロン、
そしてクラシカルなピアノとアコギの哀愁の旋律に乗って、
ミッドテンポで打ち込まれるビート、正にあの節回しで歌われる哀調の歌声、
静と動の対比も見事で、中間の手拍子とアコギの絡みには唸らされる。
通して聴くと似た様な展開の曲が目立ってしまうのは少々残念だが、
アコギと効果音のみで演奏される小品の7曲目まで殆ど飽きさせずに聴かせ切る。

対して「ゴティック」はスペインのバンドと限定されない汎ユーロ・ロック的な、
淡い色彩を連想させるシンフォニックなロックを聞かせてくれるバンドだ。
帯タタキに「スペインのキャメル」と有るが、正しくキャメルを髣髴とさせる、
フルートを主旋律とした翳りの有るサウンドが魅力的だ。
「ゴティック」はユーロ・ロック界隈ではかなり名の知れたバンドで、
その手の解説書ではロス・カナリオスと供に良く見かける名前で有る。
確かに高水準のアンサンブルと、カモメの舞う水彩画のジャケットに象徴される、
幻想的な味わいは素晴らしい。
しかし余りにも、良くあるフュージョン的なサウンドスタイルなのは確かだ。
上手いんだけどスリリングさが無い、BGM的に聴けてしまう部分は否定できない。
静謐な最後の大曲に聞かれるピッコロ(?)の旋律などは、
ぼやっと聞いていると、あたかもオカリナの宗次郎か?等と思ってしまう。
しかし結局その後の盛り上がる展開にはついついリズムを取ってしまったりして、
エレキが加わってテーマを盛り上げて行くに連れ、やはりロック的なダイナミズムも
併せ持っている事に改めて気づかされると云う次第だ。

やはり個人的にはトリアーナのスパニッシュ的なアクの強さに強く引かれる。
同傾向の「グラナーダ」やジャケも怪しい「ゴーマ」、
スパニッシュ・チェンバーの最高峰と謳われる「グァルベルト」等を聴いてみたい。
4月の後半には第2シリーズとしてスペイン物の続編が新たに発売されるらしい。
しかし一つ残念なのはやはり直輸入のデジパック仕様の体裁の事だ。
やはり日本なら紙ジャケで何とか出来なかったのか、そこが惜しい。
まあ確かにイタリア物に比べれば売れる数もずっと少ないだろうが、
そこは一つ体裁の美しさで勝負して欲しかったと云うのが正直な所。
現にディスク・ユニオンではこのシリーズを4枚買うと付いてくる特典で
ゴティックの紙ジャケが特典に成ってた(ほ、欲っすい・・・)
せめてどこかでロス・カナリオスを紙ジャケ化する時は、
ブックレット付きの豪華な仕様にして欲しい物だ。

それにしても80年代後期のワールド・ミュージック全盛時に、
各地の民俗音楽とポピュラーミュージックの融合に驚かされた物だが、
実は70年代の中頃からこの様な音楽が作られていたとは驚きだ。
まだまだ世界には知らない音楽が多いって事だな・・・・

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2005.03.21

冬の渡り鳥

sinobazulake

日本に冬を越にやってくる渡り鳥は多い。
東京の池や川にもいつの間にやら鴨が悠々と泳いでいたりする。
上野の不忍の池も同様に冬は鳥類の天下だ。

朝方にあの辺を通ると普通に歩道で朝日を浴びていたりする。
ボート置き場の脚漕ぎ白鳥の上にも鳥が群がっていて変な感じだ。
ベンチに座ってパンくずをやっている人が居ると、
その周辺はもう大変な事に成る。
路上に溢れかえってパンくずを追い、その合間をスズメがひしめく。
スズメ同様、それを狙いにこの池には都鳥(ユリカモメ)も多く来る。
海に居るカモメほど大きくは無いがやっぱりあんな風に、
ビル風に吹かれて滑空していたりする。

さてそんな鳥たちでひしめくある朝の不忍の池だ。
サムネでは見えにくいかもしれないが、
池の杭の端の方まで見事に並んで都鳥が日光浴をしている。
その下の鴨は何気に遠慮しがちに見えて面白い。

その鴨たちがこの池から姿を消す頃、
この池の堤が桜で桃色に彩られる季節が来る。
上野の山の馬鹿騒ぎまで、あともう少し・・・

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2005.03.17

三省堂のポイント・カード

先日、神保町に出掛けた折、三省堂でポイントカードを作って来た。
いまどき家電屋や大きいCD店などに行くと何処でもやっているあれだ。
何でこう云う物が書店には無かったのかと思っていたが、
再販制とか色々な絡みで難しい所が有ったそうな。
そんな訳で書店としては始めての試みで、新聞にも取り上げられていた。

本かCDかDVDか、そう云う所に金を使ってる人間として、
「これで本にポイントが付くとかなり助かるんだが」と、
たまったポイントでCD等を買った時などは良く思う。
事実特定の雑誌や音楽関係の本などを買う場合、
書籍の充実しているタワーレコードなんかで買い物する場合が多い。
ザッパの自伝を買った時はかなりポイントが加算されたもんだ。

そんなこんなでようやく書店にもポイントが!喜んだのだが、
しかしこれがまた普通のポイントカードと若干内容が異なる。
普通買い物の金額の多寡によってポイントが加算されて行く訳だが、
このカードの場合如何なる金額の商品でもポイントは同じだ。
書籍1冊に付き3ポイントで、100ポイントから特典が出る。
で、そのたまったポイントの成果は300円分の商品券と云う奴だ。
クレジットカードにその分換金されると云うコースもある。

まあはっきり言ってそれ程魅力を感じる内容では無い。
勿論ポイントが返って来ると云うのは結構な話だが、
300円分って雑誌もろくに買えない金額だし・・・
それもこれも再販制の問題が絡んで来るかららしいが、
無理して三省堂で買う、と云う気に成る内容では無い。
まあ何にせよまだ始まったばかりで色々と試行錯誤なんだろうが、
金額によるポイントの違いくらいは何とかして欲しい物だ。
5千円くらいする専門書とペラペラの雑誌が同じと云うのは下せん。

三省堂も始めた事だし、きっと書泉とかジュンク堂も始めるだろう。
その時にどんな内容に成るかによって、
今後ポイントカードのシステムも色々と変わりそうだ。

しかしこうなると街の書店は更にキツくなるだろうな・・・
せめて街の小さな本屋だけには再販制を何とかして、
新古書を廉価で売れるとかの制度でも出来ないだろうか?

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2005.03.13

イ・プー~伊太利亜・浪漫集成

さて通常営業に戻りまして、毎度お馴染みの紙ジャケ物の新作を・・・・
今回のお題は先月に発売している、ストレンジ・デイズ・レーベルから出た、
イタリア・ポピュラー・ミュージック界の大御所「イ・プー」の再発物だ。

イ・プーを始めて聴いたのは結構早い、と云うかイタリア物では
かなり最初期に聴いたバンドの一つではないかと思う。
近所の図書館にアナログ2枚組みの「PALASPORT」が何故か置いてあったのだ。
図書館物では良く有る事だが、解説書が紛失していて詳細が解らなかったが、
まあイタリアのバンドと云う事は解って興味をそそられ借りてみた。
後になってこのライブ盤が名作の誉れ高い作品だと言う事を知るのだが、
何の予備知識も無かっただけに、とにかくそのメロディの豊かさに驚かされた。
1曲目の"Cantero' Per Te"の欧米の産業ロックも斯くやと云うポップな音、
そして何とも哀愁のあるメロディアスな厚いコーラスに打ちのめされる。
その後も続く、ポップながらロック的な芯の有る演奏に支えられた珠玉のナンバー、
情熱的な歌声、熱狂する観客の声とアナログ2枚組みのボリュームに圧倒された。
その後忘れた頃に入荷する少々高値の輸入盤CDを見かけて、手に取ってみたり、
3期に分けて発売された本国編集のベストを購入したり、
突然日本でベスト「浪漫大全」が発売されたりと色々有ったが、
めでたく今回イ・プーが今の地位を築き上げた初期の作品が再発された訳である。

71年の「オペラ・プリマ」から78年の「ブーメラン」まで、
8作品が今回再発したが、当然総てを買い揃える予算など無い訳で、
順当と云うか、面白みが無いと云うか、名作どころを3作品ほど購入した。
「愛のルネッサンス」と云う最強のヒット作を含む72年の「ミラノの映像」、
当時隆盛のプログレに最も接近しているシンフォニックな73年の「パルシファ」、
そしてトータルコンセプト化を推し進めた儚くも美しい75年の「ロマン組曲」、
イ・プーの歴史を語るなら外す事の出来ない3枚なのは間違いない。
今回の紙ジャケは変形だったり、ギミックが有ったりする様な面白みは無い。
しかしその表題や音世界を象徴する様な非常に美しいデザインが魅力的だ。

「ミラノの映像」は原題の「アレッサンドラ」がバンドのメンバーである、
ロビー・ファッキネッティの娘の名前だったりする所から、
ジャケもロビーの子供2人がモノクロでおさまったほのぼのとした物だ。
表面コーティングのゲートフォール・ジャケットで角がカットされた内袋と、
写真のネガフィルムを模した、しおりの様なカードが再現されている。
「パルシファ」はワーグナーの歌曲「パルシファ(パーシヴァル)」を元に、
イメージしてして作られた組曲をアルバム・デザインのコンセプトにしている。
歌曲の有名なシーンを元にした優美なジャケは特殊紙のゲートフォール。
中世の騎士のコスプレをしたメンバー4人が石段に佇む姿が微笑ましい。
コンセプトのストーリーとモノクロのポートレートをあしらったブックレット付き。
「ロマン組曲」は楽曲のトータル・コンセプト・アルバムに相応しく、
デザインもそれに準じた淡く美しいアンティークの様な味わいの物に成っている。
メンバーがバロック調の部屋でクラシカルな服装の家族と納まっている写真は、
正にヴィスコンティの「家族の肖像」を連想させる優美な物だし、
ゲートフォールの中ジャケの広大な庭で遊ぶセーラー服の少年とドレス姿の少女、
付属のブックレットの中の粒子を淡く飛ばした写真の構図など見事なまでの構成だ。
この中でどれか1枚と言われたらやはり「ロマン組曲」のトータルさを押す。
ジャケの美しさ、楽曲の粒の良さ、そしてオーケストラとのハマり具合、
どれも見事なまでの美しさで迫ってくる。
組曲的には「パルシファ」よりも本作の作品の方が優れている気がする。

イ・プーのサウンドはやはりPFMやバンコ等に比べるとポピュラー系の音だ。
とにかく甘い、鋭角さの少ない、もうこれでもかと云うくらいスイートな音だ。
てんこ盛りの華美で華々しいフル・オーケストラもそれに拍車を掛ける。
そして当時のディレクター氏が付けた(まあ好い味だけど、今になれば・・・)
突っ込みどころ満載のロマン溢れる邦題の数々。
「愛のルネッサンス」「愛の後に美しく燃える君」「紺碧のロマン」
「夢のオリエント急行」「愛のファンタジア」ハーレクイン・ロマンスかい!!!
そんな所からイタリアン・ロックのファンでも敬遠する人が多いらしい。
だから是非ともイタリアン・ロックなどに馴染みの無い人達に聞いて欲しい物だ。
最近一部で人気らしいカンタトゥーレのファンなんかにも良いんじゃないかと思う。
ちょっとそんじょそこらじゃお目に掛かれない浪漫溢れる耽美な世界は、
一度ハマると病み付きになる事請け合いな、特殊な甘さに溢れている。

来月は、ななななんと!ロヴェッショ・デッラ・メダーリャの
あのメダル付きが再発されるそうだ!これはまた店頭から即消か?
シャーリー・コリンズ&アルビオン・バンドも紙ジャケ化だ!
う~む。

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2005.03.10

霧に霞む摩天楼

frostcity

さてそれでは最後に香港の街の様子などを・・・

行っていた間は連日の様に霧が出て時々雨が降る様な
あいにくの天気だった。
どちらかと云うと4月頃の天気に近いのではないだろうか?
ただし4月頃は湿気で汗だらだらに成る気候だが、
今回は香港に行って初めて寒いと感じる気候だった。
大体この頃の季節、香港人は厚着をしているが、
東京から来ると「温ったけえなぁ!」と思う様な気候で、
少し歩いていると汗ばむような感じだったのだが、
それが夜にでも成るとぞくっとするくらい寒い。
なのにホテルに帰ると冷房効かされてるので、
なんだかなぁ・・・と云う感じである。
流石は「冷気開放」こそがサービスの中華主義だ。

霧の事に付いては新聞なんかでも1面に載ってたりして、
結構珍しい事なんじゃないだろうか?
まあとにかく高いビルの天辺は軒並み霧の中に有って、
ある意味それもまた珍しい光景で面白かった。
半島側のフェリーポートにはいつものアイスクリーム車と供に、
焼き芋屋が出ていたのが冬らしい光景だ。

ところで毎年楽しみにしているここの提灯飾りなのだが、
ちょうど時計台の下が工事のフェンスに囲われていて、
何も開催されていなかったのが残念だった。
と云うか、実はもう開催されて撤去されていたのだろうか?
今年はどんな鶏の提灯が出るのか気に成っていたのだが・・・
残念!

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2005.03.08

「ラマ島、猫の島」

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では書店に続いて香港で買ってきた本を御紹介。

南Y島と云うのは香港の中環からフェリーで30分ちょいで行ける
島嶼部では2番目に大きな島である。
この本はその島で生活する猫の姿を写した写真集だ。
香港の街中にも猫の姿を見ることは出来るが、
日本に比べればそれ程数多く居るとは云えない。
犬を飼っている人の姿は多いが、
猫は飼われていると云うより、やはりその場に居ると云う感じだ。
南Y島は他の島に比べて欧米人が多く住んでいる関係で、
野良猫に優しい島なのではないだろうか?

まあこの手の猫を写した写真集は日本では良く見掛けるが、
香港で見たのは初めてだ。
まどろむ猫、あくびする猫、怒る猫、戯れる猫、
猫の鼻、猫の耳、猫の後姿、そして肉球と様々な姿が、
非常に美しいレイアウトで構成された愛すべき本だ。
阮麗碧(ペギー・イェン)と云う女性が撮影しているのだが
島の猫に対する愛情がひしひしと伝わってくる。
キャプションには英語も併記されているので
猫に付いての一言を読んでみるも面白い。

ちなみにこの本は前回の新華書城ではなく、
油麻地はブロードウェイ・シネマティークの横の
「Kubrick」で購入した本だ。
ここは現地アーティストの本やデザイン本が充実している。
地元関係の本を探したい時はここもお勧めです。

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2005.03.06

香港の書店事情2005

活字マニアは書店を目指す!例えその身は異国に有ろうと書店を求めて・・・

昔は台湾も路上の本屋が幅を利かせていたが今はすっかりコンビニに駆逐された。
その点香港は若干数が少なくなった様な気もするがまだまだ健在だ。
まあそう云う事情が有るからかもしれないが、香港に本屋は少ない。
一応「商務印書館」や「中華書局」なんかの大型店は繁華街に幾つか有るのだが、
ワンフロアが文房具関係に占められていて実は左程売り場が広くなかったりする。
まあそれでも何軒か廻ってみればそれなりに目当ての物が手に入ったりはするが、
例えば台北の中華社会に誇る重慶南路の充実した書店街や、
品揃え店の雰囲気も最高な誠品書店なんかに比べると今ひとつの感は拭えない。

そんな香港にも誠品書店の様な洒落た感じの書店が出来たのは返還前後だったか?
銅鑼湾の時代廣場の地下に出来た「ページ・ワン」がそれだ。
外国資本の書店なんじゃないかと思うのだが、洋書がかなり充実している。
分けてもデザイン関係の本に多くのコーナーが使われていて、
現地のデザイナーの書籍も同じ様に扱っている。
日本でCMにも使われた「アメイジング・ツインズ」の存在を知ったのもここだ。
その後、尖沙咀の海洋中心の3Fにもオープンして便利に成った。

香港の書店と言って忘れちゃいけないのが「二樓書店」の存在だ。
香港は狭いし家賃が高いので普通の書店は一階部分に店など出せない、
そこで雑居ビルの二階に店を構える事が多かった事からそう名付けられた。
近年、二樓書店の存在を知らしめたのが「洪葉書店」の成功だ。
センスの良いハイソな品揃えとイベントスペース的な役割も兼ねていて、
香港の若いデザイナーや読書家に愛されていた。
中環のヒルサイド・エスカレーターの横に支店が有って、そこはゲイ映画、
「美少年の恋」の一場面に使われていたが、ここも去年辺りに閉店してしまった。

さて今年出掛けてみて銅鑼湾で見付けたのが「新華書城」と云う本屋だ。
ここはスペースの取り方が台湾の誠品書店に近いゆったりとした感じで、
フロアには中々座り心地の良いソファが置かれていたりして居心地が良い。
大陸の新華社と関係が有るのかも知れないが、大陸の本が充実していた。
四階にはかなり大きなイベントスペースが有ったり、
三階の児童書のコーナーは多分香港最大規模なんじゃないだろうか?
デザイン関係の本は「ページ・ワン」には敵わないが、
他の書店で見かけた事の無い、面白そうな本が多々有ったりした。
一階はDVD他、映像関係のコーナーに成っている。

これでまた香港で本漁りを楽しむ場所が増えて嬉しい限りだ。

sinkabooks

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2005.03.04

戯院の思い出

90年代初頭まで香港では現地映画の公開線が3つ有って、
つまり現地に行けば常に3本は新作が見れると云う具合だった。
それが今では1本だけに成ってしまい、しかも今年は運の悪い事に
併映館でやっているのが「ミスターインクレディブル」だったりして、
信じられない事に新作と呼べる物を観れたのが1本だけだった。
興行が枯れる時期なら話は解るが、元宵節が終ったばかりなのに、
と云うか何時もなら春節映画がまだ掛かっている頃なのに・・・

そう云う訳で今回はモンコクに有る豪華戯院だ。
南華戯院の廃業に衝撃を受けてつい館内を撮影した物。
写真で観るとそれ程でもないかも知れないが、
固そうな椅子がびっしり並んだ様は実にクラシカルな戯院だ。

昔は席の書かれた紙を客が指差して位置を決めると
判読不明な番号を鉛筆で書かれて差し出される。
大抵は空いているから適当な所に座るが、
入り口で懐中電灯を持ってるオジサンにチケットを見せると
判読不能な文字を解読して席に案内してくれる。
まあ流石に最近はコンピューター管理しているけど、
あんなんでもダブル・ブッキングしないから大した物だ。

基本的にそう云う劇場では普通に客が煙草吸って観ている。
勿論「煙草吸ったら罰金」みたいな広告は有るのだが、
それはもう見事に何事も無い様に煙草を吸っている。
おまけにオヤジがこれまたよく痰を吐く。
アクション映画とかで場面が緊迫してくると
それに呼応するかの様に痰吐く速度が速くなる。
香港映画のアクションの要諦はきっとそこに有るに違いない。

若い連中はVCDだのDVDだのを見ればいい訳だが、
ああ云うリタイアしたオヤジは早場の無い今
何処に行って何をしているのだろう?
オヤジたちと手に汗握って「賭聖」を観た頃が懐かしい。

goukathiater

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2005.03.02

さようなら南華戯院

さて無事に帰って来たので、しばし香港シリーズが続きます。
第1回目は個人的に非常に悲しいお話で・・・

南華戯院が廃業していた。
周星馳の「功夫」のポスターが掛かったままだったから、
年明けてすぐにでも廃業したんだろうか?非常に淋しい気分になった。
しかもそれに追い討ちを掛ける様に近所の金聲戯院までも閉まっている。
新聞には改装中と書かれていたが、映画館としての改装なのか解らない。

それでは香港の映画館は減少しているのかと言えば
実はスクリーン数だけ見れば増えているかもしれない。
と云うのも日本同様に映画館が次々とシネコン化しているのだ。
こじゃれたビルの中のこじゃれた内装のミニシアターである。
それに対して戦艦の甲板の様にうねった館内に椅子が連なっている、
暗くて大きくて客が爺さんばっかりだった映画館は無くなりつつある。
言ってみれば南華戯院は旧来の巨大な映画館の生き残りだったのだ。

昔ながらの映画館が好きだと云うのも有るけれど、
そう云う映画館には実はもう一つ見逃せないお楽しみが有ったのだ。
それは朝の10時半位から廉価で旧作が観れる「早場」と云うシステム。
思わぬ名作が安く見れたり、新たな発見が有ったりで楽しいのだが、
現地で行きたい様な店が大概12時過ぎないと開店していなかったりして、
夜更かしな旅行者にはいい暇つぶしだったりもしたのだ。
朝飯を喰いに行く時に新聞を買って、今日の早場をチェックするのが
香港へ行った時の朝の過ごし方だった。
しかしその早場と云うシステムがシネコンには無い。
無くなりつつある旧来の映画館のみで行われているシステムなのだ。
勿論、今回の南華戯院以前にも馴染みの戯院が無くなっている。
佐敦に有った快楽戯院、その向かいの新寶戯院、
尖沙咀のミラマータワーに有った美麗華戯院も無くなってしまった。
みんな味の有る良い戯院だったんだがなぁ・・・

南華戯院で観た数々の映画思い出しつつ、
さようなら南華戯院!

nankatheater

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