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2005.07.26

杉浦日向子氏追悼

新聞を開いて、ギョッとすると供に何とも言えぬ寂寥感が押し寄せる。
ネットで知った橋本慎也死去のニュースもそんな感じだったが、
個人的な思い入れからすればその比ではない。
(あえて)漫画家の杉浦日向子氏が亡くなった、享年46歳だったそうな。
橋本氏の時にも感じたが、早過ぎる死だ。

しかし今から考えてみると恰も早過ぎる死を予測したかの様な生き方だった。
とにかく、ある種並ぶ物の無い領域に達していた漫画業をあっさりと廃し、
「隠居宣言」と称してエッセイや小説の方に活動を移し、
NHKのバラエティ番組に江戸風俗研究家として出演するなど多彩に活動していた。
多分大好きな江戸の黄表紙に出てくる若旦那の楽隠居を模したのだろうが、
その引き際の鮮やかさには唸らされると供に、画業を惜しむ気持ちが大きかった。
テレビ番組などで見知った人には着物をまとった評論家としての印象だろうし、
新聞の肩書きにも「江戸風俗研究・文筆家」と付けられていたが、
どうしたって杉浦日向子は漫画家だ、それも唯一無二の。

杉浦日向子が「あの」ガロ出身と云うのは有名だが、
時期的に根本敬やみうらじゅん等の「へたウマ」系と被っていたりする。
マイナーな漫画家がサブカルの流れでメディアに多く取り上げられていた頃で、
杉浦日向子もその流れの一つとして紹介されていたのを覚えている。
ただその取り上げられ方が非常にフォトジェニックだったりしたのが懐かしい。
当時二十代前半だった杉浦日向子は美人漫画家と称されるに相応しい、
そしてその「うら若き美人が江戸の廓の話を書いている」と云う、
「オヤジ週刊誌」的なネタとして取り上げられる事の多い存在だった。
当時ガロを立ち読みしたりしていたが、そう云う記事の紹介で彼女の存在を知り、
そして意識して作品に眼を通す様に成ったのは確かだ。
漫画的な技巧で言えばけっして達者な人ではないのだが、
その描く所の世界観は、確かにメジャー誌のフィールドでは難しい内容だが、
素材の斬新さと、つき離した様な透明性が忘れがたい印象として残る作品だった。

第一作品集の「合葬」は彰義隊志士の敗走を描いた表題作が素晴らしい作品だ。
走り抜けた先で見た田舎の大空に作中人物と同様の開放感を感じさせる傑作。
「ゑひもせす」は初期のバラエティに富んだ作品を収めた作品集。
冒頭の「袖もぎ様」がペーソスと哀しみに溢れた小品で大好きだが、
先の「合葬」に通じる幕末の秘話「駆け抜ける」、戦国奇譚の「崖」、
吉良サイドから「忠臣蔵」をジェノサイドとして検証した「吉良供養」も良い。
後の「二つ枕」に通じる「もず」、「江戸雀」に通じる「日々悠々」など、
後の作品に繋がる要素がここらで顔を揃えているのも見逃せない。
「ニッポニア・ニッポン」では、馬風庵のセンセ、おかつ、若の3人が繰り広げる、
連作の3本が、探偵物風にして飄逸な感じがまず面白い。
当時掲載誌で読んで印象に残った「鏡斎まいる」の2本も絵草子風の話がいい。
「百日紅」は最も長く続いた長編作で、葛飾北斎と娘の「アゴ」こと、お栄。
後の溪斎英泉こと「ヘタ善」が中心と成って織り成す江戸の人間模様だ。
これによって溪斎英泉の存在を知ったと云う事で思いで深い作品だ。
「二つ枕」はこれまた非常に実験的な作品で、全四話有る作品を、それぞれ
春信、歌麿、英泉、国貞と云う4人の浮世絵師に似せた絵で描いた廓話だ。
「風流・江戸雀」は川柳「柳多留」から取られた句を前後に話を構築して行く、
これまた実験的で有りながら、のほほんとした空気が漂う作品で、
これにより文藝春秋漫画賞を取った出世?作と言える。
「YASUJI東京」は、舞台は当時の東京で珍しい完全な現代物ながら、
明治時代の版画家井上安治をモチーフに過去を透視する様な話に成っている。
「百物語」はこれまた長編の連作集、古今の怪異譚を再構築し、
独自の間と画面構成で描いた屈指の名作、とにかく怖いですこれ。
「東のエデン」は文明開化時の西洋の学問を学ぶ学生たちの連作群像。
こうして見ると江戸のみならず明治開化期の作品がかなり多い事に気付く。
「とんでもねえ野郎」は確かメジャー誌に散発的に掲載された作品で、
単行本は何故か青林堂から出ていたりする、徹底的に笑える作品だ。
どうにもスチャラカな道場主と腕の立つ可愛い奥方のしょうも無い話が最高だ。

等と漫画家時代の作品を書き連ねてみたりしたが、
杉浦日向子と云う人の資質からすれば代表作は「百日紅」かな?と思うが、
やはりその突き抜けて透明な恐怖描写も鮮やかな「百物語」をお勧めしたい。
しかし個人的には?と問われれば間違いなく「YASUJI東京」が一番好きだ。
かの時代と地続きな東京、と云う表現に身近なものを感じるし、
何よりその1篇1篇が詩的であり、画力がそれに拮抗している所が良い。
数ある東京を描いた作品の中でもかなり本質に近付いた作品ではなかろうか?
異質な作品では有るがそれだけにその資質が良く出た作品だとも言える。

杉浦日向子が田中優子と供に果たした江戸文化紹介の功績は非常に大きい。
何よりもビジュアル的に表現された事でその理解度は飛躍的に高まったと思う。
「隠居宣言」後の著作に付いては漫画家時代ほど丹念に追っては居ないので、
読み残している様な作品も多いが、新作が読めなくなった今それもまた楽しみだ。
編集者と全国に酒を呑みに出掛けた「呑々草子」だとか、
蕎麦好きの連中を集めて「ソ連」と称し、蕎麦を喰い歩くなど、
非常に旦那芸的な活動を続けていた「隠居宣言」後の彼女だが、
「怪人」荒俣宏との結婚→スピード離婚など家庭方面では色々と波乱が有った。
それでも多分好きな事をやって終えた一生は幸せだったのではないかと思う。
羨ましい人生だったと思うのだ・・・

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2005.07.23

怪談専門誌「幽」第参号発売

怪談専門誌「幽」の3巻目が発売された。
奇矯なテーマの雑誌だけに、続くんだろうか?と云う危惧は有ったが、
内容も更に充実してきて御同慶の至りだ。
話題の「本屋大賞」を取った恩田陸が新たに連載を持ったのも話題だろう。

さて、今回の巻頭特集は自分が最も敬愛する「百鬼園」こと内田百閒だ。
故郷である岡山での取材を絡めた特集で、私淑する者として見逃せないネタである。
所がこれがどうにもパリっとしない内容だったのが残念だ。
「道連」のプロトタイプ版の掲載や百鬼園怪談の読書案内等は、
さすが元「幻想文学」!と唸らされる素晴らしさだったのだが、
眼目の岡山取材が余り面白くない・・・と云うか面白い所が無いと云う感じか?
昔日の面影を残す所がかなりの割合で無くなっていると云うのも有るが、
結局、百閒の描く所の岡山と云うのは、ある種あの人の頭の中の岡山で、
東京に出て来てから一度も戻らなかった幻想の岡山だからだろうと思う。
まあそれでもその場に出掛け、その土地の地霊に触れると云うのは、
そこで生を受けた人間を理解する為には欠く事の出来ない行為だろうとは思う。
土手に座って夕暮れを見ながら「冥途」を幻視するなんざ堪えられん行為だろう。
ちなみに古京町の路地奥の子供は確かに怖いっす、写真も・・・

第2特集は先日ここでも触れた、最終巻を迎えた「新耳袋」だ。
昨今の怪談ブームの火付け役である「新耳袋」をここで総括しておこうと云う所か?
リアルタイムで読んでいるのでかなりスパンが有って忘れている部分も多い。
「新耳袋所縁の十人が選ぶ十話」なんかでも思い出す話も有れば、
どんな話だったか思い出せない話も有ったりする。
この前のブログでも書いた一巻で一番印象に残った「雪の降った朝」を、
デザイナーの祖父江慎氏も選んでいて、非常に嬉しかった。
小学5,6年生百人に、怖い話・印象に残った話を選ばせる特集も面白い。
やはりビジュアル的に恐ろしい話を良く選んでいるようだが、
ジェントル・ゴースト・ストーリー的な話を、印象に残ったと言っている所も、
何故か日本人には普遍的に好まれる要素なんだなぁ・・・と思わせる。

連載陣に目を向けると、やはり前回も印象に残った山白朝子氏の作品が良い。
残酷民話的と云うか、怪談と云うより幻想譚だが、何とも良い味わいである。
恩田氏同様今回から連載が始まった有栖川有栖氏の「夢の国行き列車」は、
列車と万博と云うモチーフからどうしても「ウルトラQ」を思い出さずに居れない。
あの辺のテイストが好きな人間にはたまらない話になっている。
怪談実話では福沢徹三氏の作品がやはり手だれの味わい。
「食卓」の原因の解らぬ不条理さ、歪んで聞えるチャイムの
「ふぁんふぉーん」がたまらなく恐ろしい。
所で平山夢明氏の「4日間」って公共広告機構のCMだよね?狙ったんですかね。
( ゚Д゚)ハッ!それともCMの方が怪談に影響されたのか!
「新耳袋」の作者の一人中山市朗氏の「やじきた怪談日記」は怖いなぁ・・・
元に成ったホテルで起こった怪談事例も怖いが、あの心霊写真はヤダよなぁ。
今回、確たる怪現象が有った訳でもないのに、そくそくとした怖さが漂う。
フロントの対応とかも何気にたまらん所が有る。

諸星大二郎や高橋葉介、五十嵐大介などのここのブログでも触れている、
作家の漫画作品は敢えて触れるでもなく素晴らしいのは当然な訳だが、
余り絵柄的に好きではなのだが、伊藤三巳華氏の作品が面白い内容だった。
いかにも地方のヤンキーな「見えない物が視える人」オギモト氏が最高だ。
ぶっきらぼうで淡々と視える物の話をするオギモト氏のキャラが立っている。

さて次回は冬でしょうかね?冬の怪談・・・大英帝国的ですね。
予想だが次回の巻頭は多分、田中貢太郎で、舞台は高知だろう。
・・・って怪談をモノにしている作家と言えば自ずと限られて来る訳だがね。
今回で「小説幻妖」の呪縛は脱した訳で、次回で「BGM」の呪縛も脱しますなぁ。
是非ともがんばって発刊して行って欲しいもんです。
・・・・って毎回こんなんで〆てる様な気がする・・・・

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2005.07.19

近頃の見世物

先日、見世物を観に靖国神社に行ってきた。

まあ見世物と言っても純粋に巡業して廻る、かつての見世物ではなく、
劇団員と云うかパフォーマンス集団が、見世物と云う形態を取って行う興行、
とでも云う物で、その点は事前に認識して観に行った。
好事家の友人が昨年観に出掛けて話は聞いていたし、
今年「天井桟敷」の芝居に行ってそこで貰ったチラシにて今年の興行を知った訳だ。

中央の参道から横に入った一画に小屋掛けの一群がテントを広げていた。
その見世物と並んで、横にはこれも懐かしい「お化け屋敷」が掛っていた。
多分うちの地元の神社にも来ていた大寅興行の小屋だと思う。
入り口で呼び込みをやっていたおばさんに見覚えが有った。
その横に並んで見世物の小屋が出ていたのだが、
これがまた怪しさの欠片も無い見栄えのしない小屋で・・・
しかも肝心の入り口での口上が、やっているんだかいないんだか曖昧な物ときた。

大体見世物において、いかに客をコマすかは入口でのタンカが総てだ。
裸電球で照らされた怪しい絵が描かれた前幕やそれっぽい記事の切り抜き、
その前で講談師の張り扇宜しく、棒で叩いてリズムを取りながら、
いかに客を口車に乗せ「お代は見ての後」とばかりに小屋に引き込む、
その手腕が見世物興行の出来を左右する重要な要素なのだが・・・
そう云うトラディショナルなスタイルを使わないと云うのなら、
それに代わる様なそそられる客寄せのスタイルを見せて欲しかったものだ。

さてその興行の内容はと言えば・・・
鼻から口への鎖通しでバケツを持ち上げる所謂「蛇女」芸のお姉さん。
怪しい標本を見せたり、手妻や舌で扇風機を止める肉体芸のお兄さん。
ぐだぐだなマジックやらパフォーマンスを見せる白塗りと優男の2人。
そして4ピースのバンドをバックに踊り子4人と歌のお姉さんによる、
大衆演芸と云うか昭和歌謡的なレビューと云う様なサイクルで廻していた。

「蛇女」のお姉さんは中々慣れた口ぶりで客をいじっている。
盛んに「デジカメや写メで撮影しても良いですよ」と、愛想を振りまいていた。
ブログやらミクシィだのネット用語がポンポン出てくる落差が面白い。
まあしかし肝心の芸としては素人に毛が生えた様な有様だった。
安田興行の見世物ではそれより遥かに太い鎖を鼻から口へ通すは当然として、
蛇女芸として小さい生きた蛇を鼻から口へ平然と通していたもんだった。
蛇を喰う時も、動作は大袈裟に見せる事に徹していて完成されてた。

宴会芸の如きお兄さんのコーナーは特に言う事も無し。

レビューの方は、バックの演奏も歌や踊りもそれなりに纏まっていたし、
なかなか踊り子達が可愛かった事で、まあ許せる範囲では有った。
しかしだからといって金を払ってまで見たいかと言われると返答に窮す。
街角のパフォーマンスなら「おお、中々」とか思うかもしれないが・・・

まあ結局、間違っても面白かった等とは言わんないが、
何となくあのユルユルの済し崩しな場末感がたまらなかったりする訳である。
そう云う点で小屋掛けのアングラ芝居の様なそのユルさは悪くないと思う。
まああれで喰ってる芸人の方に比べれば素人芸の如き拙さだが、
それも祭りの夜の裸電球の幻影の如きもんだと思えばそれも一興だ。

話は変わるが流石にあれだけ大きな規模での祭りと云うのは楽しい。
どことなく場所柄、幻覚の様にふわふわした気分になった。
元々亜細亜方面に魅かれる理由は、あの裸電球の色合いと
下世話な賑わいみたいなものだし、
やっぱり夏の夜祭は良いなぁ・・・と云う思いを噛み締めた。

(同行者が写メを撮ったが暗いわ暑いわで散々の出来だ・・・)
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2005.07.11

タイ映画「シャッター」は怖いぞ!

昨年の「マッハ!」のヒットで注目され始めたタイ映画だが、
そのクオリティが一過性の物ではない証としてかなり凄い映画が後に控えている。
現地のみならずアジア全域で大ヒットを飛ばした激怖映画、
それが「シャッター」だ。

バンコクで活動する若手カメラマンが友人達と酒宴からの帰途、
人気の無い田舎道を走行中に恋人の運転する車が若い女性をはねてしまう。
ピクリともしない被害者を見て恐怖に駈られその場から逃走、
しかしその日から悪夢の様な日々が始まる・・・

篤実な仏教国であるタイだけに、日本のモダンホラーの様に理由無き恐怖では無く、
因果応報的なスタイルに貫かれている訳だが、その因果が曲者だ。
当然その後の怪異は轢き逃げした事による応報と云う風に想像する訳だが、
話は何度か展開して行き様々な事実が明らかになって行く。

大学の卒業式で記念撮影の仕事をするカメラマンの男、
しかし現像されてきたその写真には、どれも白い影が写り込んでいた。
その後、男の写す写真にはどれも決まって影が写りこむ、
そしてカメラマンの恋人は部屋で、夢とも現ともつかない不気味な現象を見る。
釈然としない2人は事故現場に戻ってみるが、人が轢かれた事実は何処にも無く、
警察に問い合わせてみてもそんな報告は何処からも入っていないと言われる。
事故が無かったとするなら、写真に写り込むこの白い影は何なのか?

そうこの映画の「リング」に於ける「呪いのビデオ」は心霊写真なのだ。
中々この心霊写真と云うアイテムの使い方が巧妙でそれがまた怖い。
いつの間にか撮影済みに成っている部屋に置かれたカメラを現像してみると、
ベットでくつろぐカメラマンと恋人の横に、四つん這いに成った女が写っている。
連写されたらしいその写真をパラパラ漫画の様に繰って行くと、
その四つん這いの女がジリジリとベットに近付く様が再現され、非常に怖い。
映画のポスターも一般から集められた心霊写真を大量にコラージュした物で、
現地の映画館は心霊写真でデコレートされていたらしい・・・狂ってんなぁ。
また日本ではこの手の物って昔から目線を入れたもんだけど、
タイの心霊写真はその辺ぶっちぎりで生のまま使ってる所も凄い。

不可解な現象の頻発と供に例の交通事故の後遺症なのか、
カメラマンの頸部の痛みが取れず肩が重い状態が続く、
病院でレントゲンを撮っても異常は発見されず、状態は改善されないまま。
写り込む影のせいで仕事もままならないカメラマン、だが現に見る怪異と、
像を結び始めた白い影の中に、記憶の中に封印された或る顔が浮かぶ。
それは学生時代に付き合っていた女の顔だった。
そして学生時代の思い出を辿る内、学生時代の友人が一人、また一人と、
不可解な死を遂げて行く・・・・・

テイストとしてはかなり日本の実話怪談映画の影響が大きい、
怪異の出方やカットバックで一瞬だけ映る姿など、よく手法を研究している。
「呪怨」のヒットのお陰で米国でも怪異描写の演出に良く使われる様になったが、
既にスタンダードな手法だと言えるのではないだろうか。
とは言え最終的にこの映画はタイ怪奇映画のジャンルの一つである、
「ナンナーク物」をそう云う手法で撮った映画だと云う事に気付く。
「ナンナーク」とは恨みを持って死んだ女が異形として復讐しに来る、
まあ「妖怪」と云うか「ジャンルそのものの総称」というか・・・
女の生首の下に内臓が全部繋がってて、空飛んで復讐しに行くと云う、
インドネシア産のバカ映画「首だけ女の恐怖」も確かそれだった様な・・・
間違ってたら、スマン。

当初その位の「恨みで」化けて出るのか?と思わせたりするのだが、
更にその後、カメラマンと元彼女の何とも言えぬ嫌な因縁が浮かんでくる。
そして淡々としたラストの描写は非常に背筋が寒くなる。
はっきりと映さずに動くドアにその姿を収めた所がさりげなく恐ろしい。
解ってはいてもビジュアルで現れると怖さが増すと云うものだ。

しかしバンコクの話とも成ると見ていて外国の映画とは思えぬほど違和感は無い。
韓国でも香港でも台湾でもタイでもシンガポールでもマレーシアでも、
多分都市を舞台に描くと看板の文字位しか違いが無いのでは無かろうか?
主役の男はちょっとトニー・レオンに似たイイ男で、ハーフなんだそうだ。

非常に面白かった香港映画の「見鬼-The Eye」は余り日本でヒットしなかったが、
今作が日本で公開された折には是非劇場に出かけて恐怖に震えて欲しい。

<香港版VCDのパッケージ↓>
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2005.07.07

最近買った紙ジャケ其の7

まあしかし傍から観てれば、毎月発売される紙ジャケのCDに、
義務でも有るかの様に「あれも買わねば」「これも買わねば」しているのは、
手前で立てた予定に右往左往して「忙しい忙しい」を連発している、
知恵の足りない与太郎と同じ様なもんなんだろうなぁ・・・
まあ、得てしてマニアと云うのは自分の欲求に義務や理屈を付けたがる物だが、
「そうでもせんとやってられまへん」と云う所だろうか?

と云うのもここの所方々から食指のそそられる紙ジャケが、
懐具合と関係なく矢継ぎ早に発売されたりしているからだったりする。
しばらくスペインのプログレバンドを発売していたディスカスの
「哀愁のユーロピアン・ロック」シリーズがイ・プーの諸作を発売し始めた。
プログレ・ファン的に言えば70年代の「パルシファ」を中心とした辺りが、
最もそそられる時代な訳だが、前にも書いたが自分がイ・プーを知ったのが、
「PALASPORT」の冒頭に入っていた"Cantero' Per Te"だったりするので、
その「あなた色のうた(邦題)」が入ったアルバムはどうしても欲しくなる。
更に今月また4枚ほど出るらしいのだが多分「PALASPORT」も出そうな気がする。
やはりイタリア物好きとしてはイ・プーはどうしても外せないバンドな訳だが、
同じく外せないバンドである「デリリウム」の3作品が今月末に出たりする。
この辺は1枚が三千円レベルなので2~3枚出されると非常にキビシー!
他にもドイツのアヴァンギャルド・バンド、「CAN」の諸作が紙ジャケ化されて、
先月から発売されているのだが、目玉の「フューチャー・デイズ」が今月出る。
アルカンジェロからは英国フォーク・ロックの「ミスター・フォックス」とか、
「C」の方の「サーカス」や切り抜きジャケの「ストレイ」も出ちゃったりする。
お馴染みユニヴァーサルの紙ジャケシリーズはサンディー・デニーの諸作が、
ボートラ入りで4作まとめて発売されるし、「メイ・ブリッツ」も出る。
何と言っても真打は待望の!「ヴァンダー・グラフ・ジェネレーター」の初期3作。
あ~しかし書いてて踊らされとるよな~レコード会社に。
まんまとハマってるよな~好い鴨ですわ、ネギ背負って歩いてる。

しかしこの辺って、例えば最近紙ジャケでまとめて発売された、
ブルース・スプリングスティーンなんかに比べると再発の可能性がひどく低くて、
紙ジャケで無くても今度市場に出回るのは十年後、なんつう事は容易に有る。
これは本にも言える事だけど、最近はとにかく出た時に即買って置かないと、
すぐに店頭からその姿が無くなる。
誰でも読む様な本や、バカスカ売れるCDは店頭に平積みで置かれる訳だが、
結構基本アイテムでも大量の新刊や新譜の海にすぐ流されてしまう。
様々な大型店や専門店が有る都市に住んでいる人間は良いが、
地方在住者には結局同じ様な商品しか届かないと云う様な問題が出て来てしまう。
・・・まあその辺の流通問題を論じて行くと話しが長くなるが、
とにかく都会に住んでいる人間でも、良さそうな奴は即押えて置くのが原則だ。

さて最初に紹介するのは、壷、時計、扉、と初期の名作がBMGから再発され、
今度は70年代後期の作品がストレンジデイズから発売された、
イタリア・プログレ・バンドの重鎮「バンコ」から。
今回の目玉は名作の誉れ高い「最後の晩餐」だが、もう1枚「春の歌」を買って、
それからまとめて書こうと思ったのだが、まだ「春の歌」を買えていない・・・・
バンコと言えば度肝を抜かれる特殊ジャケでお馴染みだが、
今回は「最後の晩餐」が見開きジャケで、後はは普通のシングルジャケばかりだ。
さて「最後の晩餐」だが、表はモノクロでキリストの磔刑図を模した写真で、
杭打たれた部分に流れ出る血が赤く着色されていると云う地味な物だが、
内ジャケの見開きで展開される最後の晩餐図は実に美しくカラフルな仕上がりだ。
使徒の顔がバンドのメンバーの顔に書き直されている所が面白い。
抽象的なイラストが入った歌詞ブックレットのミニチュアも付いてくる。
サウンド的には初期に有ったアクが強過ぎる強引な展開やコントラストは影を潜め、
どちらかと云うとメロディや自然な流れで曲を転がして行ってる感じがする。
かなり聞き易くなっていると言えるんではなかろうか?
これが「春の歌」辺りに成ると更に歌物、カンタトゥーレ的な展開を増す訳だ。

次はユニヴァーサルから出る何時ものシリーズでドイツ物がまとめて出た。
以前このシリーズから「ファウスト」が驚異のオリジナル再現で発売されたが、
今回の目玉は「クラスター」とか「ハルモニア」のプレ・テクノ・バンドだろう。
しかしその辺は「ノイ」にしろ「アシュラ」にしろ聞くけど買う程ではないので、
シンフォニック系の「ノヴァリス」とかハードロックの「ジェーン」
なんかに食指をそそられたのだが、どちらも代表作と云う訳ではなく、
今の所ジェーンの「レディ」しか購入していない。
いかにも素人臭いジャケに包まれたジェーンはハードロックと紹介されているが、
どちらかと云うとプログレ・ハードとでも呼んだ方が良い感触の音だ。
1曲目の疾走するリズムの上をKeyが走り回るナンバーが結構気持ち良い。
ただ御国柄かハードに爆裂せずにかっちり纏まって居る所が残念か。

次は同じくユニヴァーサルのアリスタ・レコードの再発物の中から、
ブリティッシュ・ファン待望のイングランドの「枯葉の落ちる庭園」だ。
既にプログレ・ムーブメントも終末近い77年発表作ながら、
実に端正で美しく、それでいてアンサンブルの妙にも唸らされると云う、
時代が時代ならもう少し高く評価されていたであろうバンドで、
その運の無さも含めて、マニアに愛聴され続けるバンドである。
とくに凝った仕掛けも無く、単なるシングルジャケでは在るが、
英国の老舗なジャムメーカーのラベルを模したジャケも非常に人気が高い。
サウンドは非常に英国的と言える独特の、しかし伝統的な感触の音で、
展開に無理が無く、なんにしろ楽曲が良いので非常にすんなり聴ける。
イエスの影響の大きさを云々されるが、あそこまで大袈裟なサウンドではない、
しかしコーラスは非常にイエスっぽく、3曲目の中間部にはつい笑みがこぼれる。
このまま生き残っていたらXTCみたいなバンドに成ったかもしれない。

アリスタのこのシリーズは同じく幻だった「パイロット」のラスト作、
大好きなオザンナの残党による「ノヴァ」、「ハッピー・ザ・マン」と、
殆んど手に入れて置きたい作品ばかりで往生する。

ま~さっさと買うけどね、原則だから(笑)

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2005.07.02

オヤジの細道 其の二

老人の朝は早い。
夜勤仕事をしていると早朝に様々な老人が見れる。
本人達は至って普通にいつもの朝を過ごしているのかもしれないが、
老人特有の「無意識過剰」振りが炸裂していて朝から楽しまして貰っている。

その日は休日だった。
普段は激しく聞える車の走行音も控えめで、
開け放たれた窓から入ってくる風も爽やかな朝だった。
こう云う天気の日に帰って寝るだけなのは勿体無いな、等と思いつつ
仕事明けの疲れも有って、ぼうっと外を眺めていた。

不意にそんな朝の空気を掻き乱す様な金属的な音が響いて来た。
微妙な音割れが伴うその音は間違い無くカーステの音だ。
すぐにカーステでヒップホップやユーロビートを大音響で流して、
周囲を威嚇したがるこんがり焼けた連中を連想して嫌な気分に成った。
そんな不快な気分を察してか、その音が徐々に近付いて来る。
どんな阿呆が朝っぱらから存在を主張しているのか見てやろうと、
2階から下の道路を見張っていた。
やがて騒音の主が下の道路に入って来た。
その時に成って、始めてその大音量がヒップホップでもユーロビートでもなく、
軽音楽をバックに喋る女性アナウンサーの声だと気が付いた。

・・・なに、ラジオ?しかもNHKとか・・・その辺の?

姿を表した車はアメ車だった、しかもオープンカーの。
オープンカーのアメ車に乗って大音量でラジオを流している主は、
どう云う訳か、それを見ている自分の少し先で停車した。
エンジンが切られラジオの音が不意に途切れると妙な静寂が流れる。
その静寂の中、車から降りて来たのは、足許も覚束無げな、
小人か?と思うほどの老人だった。

身なりは悪くない、と云うか老人にしては中々お洒落だと言える。
しかし小さいのだ、白木みのるの様に・・・ってそこまで小さくないが、
池乃めだかとは確実にタメを張りそうな小ささだ。
最初、只でさえ馬鹿でかいアメ車のオープンカーから降りて来ただけに、
微妙にパースが狂っているんじゃないかと、目の錯覚を疑った位だ。
しかもそれが木久蔵師匠が真似する彦六師匠の如くぷるぷる動いてる。
ボンネットに手を添えてぽつぽつ歩いているのだ。
恰も誰かに「あんよはじょうず」とか言われているかの様に。

やがて老人は漸う車のフロントの辺りまで歩いて行くと、
おもむろにジャケットのポケットから何かを取り出した。
そして腰を屈めると、その小さな歩幅で右に行ったり左に行ったりしている。
状況の不可解さから、最初は何らかの呪術でも行っているのかと疑ったが、
よーく見てみると、老人は盛んにアングルを変えて写真を撮っている様なのだ。

何故にこんな所で車の写真を?と疑問が浮かぶ。
しかも車からの位置とその身長を考えると、
フロントガラスからその後ろしか写らんだろ?とすっかり引き込まれて考える。

「よっしゃ、よっしゃ」とばかり大げさに頷くと、
老人はまた牛歩戦術も斯くやと云う歩みで運転席の方に戻って行く。
運転席の横に戻った老人は、身を乗り出してダッシュボードの辺りを探っている。
いい加減帰る準備をしなければいけないのだが全く老人から目が離せない。
やがて老人はダッシュボードの上から何か白い塊を持ち上げた。
こんな所で車の掃除でもするのか?
等と連想してよく眼を凝らすと、その塊に耳が在る。
耳?・・・口も在る、口?・・・・目も在る、目?・・・・・

ウサギだ!

ダッシュボードの上にウサギが乗っかっていたのだ!
馬鹿でかいアメ車のオープンカーのダッシュボードの上に、ウサギ・・・・
老人は何とも言えぬ笑顔でウサギの頭を撫でている。
「ああああああああああああ、あああ~ああ、あああ、あああああ~あああ」
とか意味不明瞭な言葉をウサギに呟きながら撫で続けている。
そうか!老人は車では無しに、ダッシュボードのウサギを撮っていたのだ!
そ~か、そうなのかぁ・・・・しかし何で?
老人はカメラとは逆のポケットからパン屑の様な物を取り出すと、
ウサギに与えながら「ああああああ、ああ~あああ」と、呟き撫で続けた。

そこで時間が来た、名残惜しいが事務所に引き上げなければいけない。
帰りしな近くで観察してやろうとあがる支度をした。

いそいで戻って来て下の道路まで出てみるとそこに車は無かった。
遠くの方でひび割れたラジオの大音量が遠ざかって行く。
足元ではウサギがこぼしたパン屑をハトが長閑についばんでいた。

白日夢の様な休日の朝の話だ。

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