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2005.09.29

「奇談」は、ぱらいそさ行けるのだろうか?

知らない内に諸星大二郎の「妖怪ハンター」シリーズが映画化されていた。
「奇談」と云うタイトルで11月の半ばに公開だそうだ。
しかも初期の傑作と名高い「生命の木」が映画化とは期待と不安が混じる。
かつて塚本が「黒い探求者」を「HIRUKO」として映画化した、
出来自体は悪くなかったが原作のファンとしては今ひとつの出来だった。
塚本の作品では沢田研二が演じていた主人公の稗田礼二郎を、
今作では阿部寛が演じる。
なにやっても阿部ちゃんな最近の芸風が気に成る所だが、
写真で見る限りでは中々陰鬱そうな稗田に成っている。
狂言回しになる村に調査に現れた原作の男を女性にシフトした様だ。
演じている藤澤恵麻と云う女優は聞いた事が無い人だが初主演らしい。
他に出演者では白木みのるが気に成る所だ、映画だから良い訳ね。
特別出演の一龍斎貞水もどんな役になるのか非常に気に成る。
多分「世界開始の料の御伝え」を講談調で語るのではないだろうか?

原作の話は普通にやると60分位の話しなので、
ある程度話を膨らますのだろうが、どんな感じに成るのやら。
まあ何にしろ「いんへるの」に落とされた「はなれ」の者たちが、
「おらといっしょに、ぱらいそさいくだ」と昇天する所が話のキモな訳で、
そこの所のCG描写に於けるカタルシスがどんなもんかが成否の鍵だろう。

しかし「はなれ」の村人たちや「さんじゅわん」の表現は大丈夫なんだろうか?
「なんです?こいつまるできちがいか白痴だ」と云う、
原作の台詞通りの表現は可能なんだろうか?気に成る所だ。
と云うか話の設定自体キリスト教団体から抗議は来ないのだろうか?
まあ「善ずさま」はアダムの子孫ではなく、
「じゅすへる」の子孫を救う存在な訳だからイエスに関係は無いかも知れんが、
アメリカの「キリスト教右派」の連中が知ったら銃弾撃ち込まれそうだわな。

そんな素晴らしい「妖怪ハンター」が、かつて「ジャンプ」に連載されていた、
と云うのは良く考えると凄い事実ではある。
いきなりあんなのを読まされた子供は「何なんだ!」ってな事に成るだろう。
下の画像はジャンプ・スーパー・コミック当時の単行本。
その後まとめられた再刊本「海竜祭の夜」では「妖怪ハンター」は使われず、
「稗田礼二郎のフィールド・ワーク」のサブタイトルに替わっていた。
それと第1話の「黒い探求者」の頭に書き直しと再配置が行われている。
そして最大の違いは「妖怪ハンター」の第5話「死人帰り」が、
「海竜祭の夜」には再録されていないと云う事だ。
反魂の術を使った死体蘇生の話に、ヒルコの話とも共通してくる
地底に住まう疑似生命体の話を絡めた非常に面白い話なのだが、
作者が気に入らない所が有るのか、今の所再録の機会は訪れていない。

こんど映画の公開に合わせて角川のホラー文庫から、
映画と同タイトルで諸星大二郎の作品集が発売されるそうだが、
稗田のシリーズを集めた物なのか、作者の傑作集なのか良く解らない。
まあ多分そちらにも「死人帰り」が再録される事は無いだろうが、気に成る所だ。
さて稗田の新作はこんど何時出るんだ?


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2005.09.26

頭文字「D」

別に期待していなかった、等と云う訳ではなかったのだが、
予想を裏切る、余りにも出来の良い王道の娯楽作品に仕上がっていて感動した。

で、済ませてしまいたい位、余計な事の言い様の無い作品なのだが、
余計な事をくだくだ語るのが「繰言」なので、くだくだ語る。

しかし感無量なのは映画の形態と云うか、
非常に良い意味でのキメラ的なそのスタイルだ。
全盛期の香港映画ではその時の流行り物を映画の中に取り入れる為、
版権無視、パクリ上等の姿勢で数々の「なんちゃって映画」を作ってきた。
数え上げれば・・・って数え切れない位の漫画やゲームがパクられて来た。
自分が見ただけでも「ワイルド7」「クレヨンしんちゃん」「スラムダンク」
「ストリート・ファイター」などなど挙げてゆけばキリが無い。
実は「頭文字D」も早々にパクられて居る、しかも監督は同じ劉偉強だったりする。
まあそれはそれでC級作品好きな自分としては無問題なのだが、
残念ながらそれらの作品が日本で公開される事は殆んど無く(そりゃそうだ!)
しかし某「悪魔男」なんかより遙に漫画に近かったりするので、
そう云う状況が非常に歯がゆかったりしたのだが、
そんな中、きちんと版権を取り漫画の世界を変に歪める事も無く、
舞台も登場人物も完全に日本でありながら、中国人が日本人を演じると云う、
少し前では考えられない様な状況で制作されたこの映画は恐ろしく画期的だ。

一応この映画は普通に上映される前提では吹き替え版として上映されるそうだが、
まあ敢えてマニアとしては広東語発声字幕版を観に行ったので有るが、
やはり黄秋生が日本家屋で酔い潰れているのを見るのは何か変だ。
もう普通に地方の都市の風景で、コンビニもガソリンスタンドも日本語なのに、
「唔便驚!」とか言い合っていたりすのも笑える。
しかし逆に黄秋生が日本語でクダまいたり、陳小春が日本語で怒ったりしても、
香港映画ファンとしては何となく違和感が有ったりするのも確かだ。
まあしかし香港映画に詳しく無い連中が原作の映画化を目当てに出掛けるのなら、
吹き替えで上映されていてもさほど違和感を抱かないのではなかろうか?
と云うかそう云う瑣末な事など観ている内に全く気に成らなくなる筈だ。

原作に関しては連載中の話を掲載誌で読んでいただけなので余り詳しくないのだが、
車のバトルに主人公の身辺が描写されると云う比率の原作に対し、
映画版では車のバトルにより自己を確立しようとする主人公の成長物語、
と云う感じで父との相克も良く描かれていて感心した。
原作では寡黙な所が目立つだけでそれ程描写されない拓海の父だが、
黄秋生が演じる父は粋で憎めない抜群の存在感でキャラを見事に立たせている。
それと父の親友であるガソリンスタンドの店長(演じるは鍾鎮濤!)が、
馬鹿な息子と拓海を見守るいい大人として、若手中心の作品に深みを与えている。
(しかし最初店長誰なのか解らなくて、どっかで観た顔だなぁと思っていたが、
なんと阿Bだとはなぁ・・・久し振りに見たなぁ、元気そうで何よりだ。)
原作者のしげの秀一は「バリバリ伝説」の頃から女キャラを書くのがヘタで、
(顔じゃなくて内面ね、まあマシンのバトル中心の漫画だから良いんだけど)
原作でもそう感じていたのだが、やはり映画の中でも「なつき」は薄っぺらい。
もう設定からして薄っぺらい、女性が見たらどう思うだろう?
鈴木杏はミニスカ履いたり水着に成ったりと濃い映画に華を添えて可愛いのだが、
どう考えても拓海を成長させる為だけの存在に見えてしまうのが残念だ。

対して主役の周杰倫はふにゃふにゃした主人公を好演している。
自分自身も役に近いと言っているそうだが、映画初出演の初々しさも相まって、
初恋にドギマギする所から、バトルの精悍な表情まで見事拓海に成り切っていた。
周杰倫と言えば中華ポップス界に君臨する大スターで有りカリスマで有る訳だが、
それでいて保護欲を掻き立てる様な可愛らしさが受ける所なのだろうか?
「無間道組」とでも言えるほど競演作が多い陳冠希と余文樂だが、
今回も2人揃って実にカッコいい。
クールな陳冠希も良いが無精髭でジャージの上下を纏った余文樂が中々シブい。
もうすぐ公開の「江湖」でも競演しているがそちらも楽しみだ。
ギャグパートを一手に引き受けていたチャップマン・トーは、
今や香港映画に欠かせないバイプレイヤーに成りましたなぁ・・・
「チーム・アメリカ」並に嘔吐シーンが多いこの映画で一番吐いてたし。

さてこの映画の最高の見せ場と言えば勿論、峠でのバトルシーンに成る訳だが、
もう余りにもドリフトが凄過ぎて笑える位だ。
漫画の中で描かれた「路肩落とし」とか忠実にやってるし、
ラストバトルの3台が並んでヘアピンをドリフとしていく様はもうサーカス。
カースタントは勿論日本が誇る「高橋レーシング」の皆さんな訳だが、
いや~半端じゃないっすわ、実写だと迫力違いますわ。
カーマニアなら各車毎のエクゾースト・ノートだけでも劇場に行く価値有りだし、
曲芸の様なシフトハンドル捌きとペダルワークも見所だ。
撮影の細かいカット割りも緊迫感を演出するし、運転席から車中をスルーして、
エンジンルームに抜けて前の車の運転席に抜けて行く特撮もスピード感抜群だ。
それと同時に外国人ならではのカメラアングルと云うか、
路肩の地蔵をなめて車が通り過ぎると揺れる地蔵の前の野草とか、
高圧線が並ぶ何も無い田舎道の、美しい朝焼けをバックに走り去るAE86など、
日本人だと気に留めない様な何気ない風景が美しく納められている。

これだけのレベルで作れるのなら続編を期待したい所だが、
監督の劉偉強によると、やはり日本で制作する苦労は大変だった様で、
次回作を作る気は無いと発言していたのが残念だ。
う~む、それにしてもこうも巧みに漫画を映画化して成功させる、
香港映画の底力は侮れない。
そろそろベストセラーの映画化やTVドラマの延長の様な映画作りは控えて、
もうちょっと冒険する様な娯楽作品を作らないとイカンだろう日本映画も・・・

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2005.09.22

生ける屍の島

モノクロの世界で、死者が蘇り始めた「夜」が68年、
血肉の花をスクリーンに咲かせて世界を恐怖させた「夜明け」が77年、
生者と死者が逆転した暗鬱な閉鎖世界の「日」が85年、
20年の月日を経た後に再び「彼」の死者たちがスクリーンに現れるとは、
一体誰が想像しただろうか?

勿論その布石は着々と打たれては居た。
「バイオハザード」「28日後」そして極め付けは「夜明け」のリメイク。
現代的なスピード感と全力疾走する死者たち、良く出来た映画ではあったが、
しかし頭の何処かで声がする、「俺の知っている死者の映画じゃない」。
繰り返し見た、あの終末観漂う暗鬱なとぼとぼとした死者の歩みが観たい。
だが、その1年後によもやその願いが叶うとは思ってもみなかった。

マスター・オブ・ゾンビ、ジョージ・A・ロメロと彼の死者たちの帰還だ!
今度は「島」である。

ロメロの映画の基本は閉鎖状況でのコミュニティーの崩壊だ。
「夜」に於ける、墓場の家に取り残された人間たちから、
ショッピングモールを占拠した俄か造りの仲間たち、
そして小社会と化した地下の軍事施設と、作品毎に規模が拡大している。
それが今回は河に挟まれた中州の島に出来た街が舞台に成っている。
ゾンビ物を作ろうと考えた事の有る人間は、如何に魅力的な舞台設定を考え付くか、
いかに生者が死者に追い込まれ、そこから脱出するかに頭を捻ると思うが、
そう云う点ではこの舞台設定はかなり良く出来ていると思う。
橋や電流の流れるフェンスで分断され、雇われた傭兵が周囲を固め、
その中では相変わらず金持ちと貧乏人が格差の激しい生活を強いられ、
傭兵がゾンビの溢れた街で略奪してくる物資を支配層が優先的に戴く。
現代の米国をカリカリチュアした世界の創造に感心させられる。

但し今回、進化したゾンビの描き方には多少不満がある。
全力疾走は否定したロメロであるが、やはり新機軸は打ち出したかった様で、
「日」で描かれたバブの進化系で有る思考するゾンビを打ち出して来た。
そして思考するゾンビは唸り声でコミュニケーションを図り、
プリミティブに道具を使い集団で行動する様になった。
それは良い、それは良いのだがその集団を指揮する大柄な黒人ゾンビ、
通称「ビック・ダディ」が余りにも人間的過ぎるのだ。
生者の肉を喰らって生きるゾンビが、どうして仲間のゾンビの死を嘆くのか?
と云うかその判断はどう云う基準の下に為されるのか?そもそも死んでるし・・・
まあそれは色々裏設定等でフォロー出来る事かも知れないが、
問題はそれによって「ビック・ダディ」が余りにも人に見えてしまうのだ。
ゾンビの恐ろしさと言えば、姿形の変わらない者に襲い掛かられ、
あまつさえ生きたまま喰われると云う理不尽な恐怖感に有ると思う。
所が仲間のゾンビが気ままに狩られる所を見て怒りにかられ、
集団と化して人間に報復すると云うのでは余りにも人間的過ぎないか?
単に捕食原理にかられて集団行動する知恵を得たと云うのなら解る。
しかし「ビック・ダディ」は積極的に人を喰おうともしない。
そのお陰でゾンビ側に感情移入してしまう部分が出てきて、
映画の中の視点が散漫に成ってしまうのだ。
アーシア・アルジェントと云う或る意味マニアにはたまらないキャスティングを
しておきながら正直余り活躍が見れないのが悔やまれる。
「島」を牛耳る金持ちのカウフマンにデニス・ホッパーを持って来ているのに、
下品さとかエグさが余り描かれないのも残念だ。

しかしそうは言ってもマニアがロメロのゾンビ映画に期待する部分は、
大方描かれているので昨今のゾンビ映画の不満を補って余りある内容だ。
やはりゾンビは崩れた顔でヨタヨタと歩かなきゃいけない。
「夜明け」のリメイクに於いてレイティングの関係か、殆んど描かれなかった、
血塗れのゴア描写が全開なのが何を置いても嬉しい。
流石に特殊メイクやらCGやらの技術が上がった昨今、昔の様な衝撃は薄いが、
ダイレクトに人喰らってると云う描写が殺伐感を倍増させる。
「夜明け」でショッピング・モールに略奪に入ってゾンビ化した、
御大トム・サビーニ演じるバイカーのゾンビが登場するのも嬉しい。
ビック・ダディに率いられたゾンビ達が「島」を目指して渡河するシーンで、
濁った水面に一つ二つ、ゾンビの顔が浮かんでくるシーンは非常に印象的だ。
人間側のキャラでは一応主人公らしいがえらく影の薄いライリーを慕う、
半面火傷で頭は弱いが実は射撃の名手であるチャーリーが素晴らしい。
旧式ライフルの照星を舐めながら寸分たぐわず獲物を仕留める様が最高だ。
欲望に忠実ながらやけに引き際の良いチョロも最終的に良いキャラだった。

時代的な物なのかも知れないが、過去の作品に比べると若干トーンが明るい。
個人的にロメロのゾンビ映画は、もうちょっと哲学的、
と云うか思索的で有って欲しかった部分は有る。
しかし直接的に「全滅」を描いたリメイクの「夜明け」よりも、
花火を打ち上げて走り去る今作のラストの方が明らかに終末感は濃い。

いずれにしろ「地獄が満員」に成ってしまった今、
何処へ行こうがそこは地上の地獄でしかないのだから。

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2005.09.19

中秋節

夜中に便所に下りてきてしばらくしたら、何処からとも無く
「トゥプ、トゥプ、トゥプ、トゥプ、トゥプ」と云う音がする。
耳を凝らしてみると便所の横の流しから聞こえて来た。

夏祭りの最終日に姪が大盤振る舞いで貰ってきた金魚が、
小さな水槽の中に何匹も入れられていた。
その金魚たちが一斉に水面に口を出して空気を吸っているのだ。
「トゥプ、トゥプ、トゥプ、トゥプ、トゥプ」と夜の闇に響き渡る。

ふと窓の外を見てみるとほのめく様な明るさだ。
外に出てみれば月明かりに照らされて、庭の木々も影をまとう白さに。
中秋節の満月が遠くの空にポカリと浮かぶ。

日本ではススキに団子と月見は質素な物だが、
中華圏では色取り取りの供物に蝋燭を立て、紙銭を火にくべたり豪勢な物だ。
昔、台北に行った時に中秋節に当たった事があった。
繁華街を歩いていると店にしろ会社にしろその前に台を置き、
賑々しく飾られた供物の横で、紙銭をくべている所を何度も見掛ける。
その煙で曇ったのか、その日台北の空に満月を確認出来なかったけれど・・・
後は忘れてならぬのが月餅だ。
本来は老舗でケーキの様に大きいのを買って、切り分けて食べるのだそうだが、
近頃はコンビニで「キティちゃん月餅」「ドラえもん月餅」等が売っていたりして、
時代を感じさせる部分も有ったりする。

なるほど確かに月餅の様だ・・・と中秋の満月を見ながら思う。
いや、月を模したのが月餅だったか・・・

虫の鳴き声が、金魚の呼吸と相まって月明かりに染み入って行く。


mangetu

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2005.09.15

東映特撮祭り見聞記

多分30年振りくらいで、東映特撮祭りを観に行ってきた。
しかしよもや「ちゃんと現場を見ておけ」と云う言葉に頷くが如き、
あんな面白い体験をするとは思ってもみなかった。

本来子供の為の映画なんだが、夏休みも終わってる事だし、
「大きいお友達」ばかりで映画を観るのはイヤダなぁ~とか思っていたのだが、
王子と云うローカルな劇場だっただけに子供が一杯でまず良かった。
しかし明確に子供をターゲットにした映画に行く事など普段殆んど無いし、
行く時間も遅かったりするから余り子供に縁が無いのだが、
補助シートを抱えた子供がわらわら入場する所が何とも面白かった。
そう!子供にはシートが低過ぎるので補助シートが必要なんだった。
知ってはいたが、山の様に積まれた補助シートが新鮮な物に見える。

さて、昨今この辺の分野も大人の文脈で語られる事が多くなった。
例えば「話のテンポが遅い」だとか「画面が締ってない」等々・・・・
一般の映画と同様な批評のされ方をするし、実際自分もそうしていた。
昨年公開された「特捜戦隊デカレンジャー」の映画版をDVDで観て、
「少々詰め込みすぎかなぁ」とか「テンポ速すぎじゃん」と突っ込んでいた。
が、しかし映画館で子供達と一緒に観てみて、よ~く解った!
そう「ガキはとにかく飽き易い」と云う事だ。

何となく頭で解っていてもやはり直に目の当たりにするとはっきり解る。
とにかく奴らは集中出来ない、話がダレて来ると途端にうるさくなる。
大人からすると肝心な感情表現の部分で、買ってきたお菓子の袋を開ける。
「響鬼」が始まってかなり経っているのに「マジレンはぁ?」とか親に聞く。
前に座ってるガキが退屈して椅子に乗ってこっちを観る。
普通の映画ならブッ飛ばす所だが、子供映画に便乗させて貰ってるのはこっちだし。
だからして子供に見せる映画として成立させるのが製作者の第一義であれば、
如何に子供達を楽しませ、退屈させないか、と云う事が肝心な訳だ。
落ち着きの無いガキどもを見ていると、如何に大人の批評など二の次か解る。
大人が自宅にてDVD等で鑑賞してる場合、そこの部分が抜け落ちる。
子供を退屈させずに楽しませ、そして大人の鑑賞に堪える作品を作る事の難しさ、
それを劇場にてとくと思い知らされた感じだ。

そう云う点で今回の戦隊物である「マジレンジャー」を観て思ったのが、
「戦隊物」で有る事の見事なまでの磐石さ加減だ。
或る意味、「戦隊物」と云うジャンルは完全に確立した様式が出来ている。
それはもう「歌舞伎」や「大衆演劇」等の芸能と同様の様式美が確立している。
その「型」の中で繰り広げられる世界は些かの揺るぎも無く完璧だ。
もう退屈の仕様も無い、と云うか「子供娯楽」の釣べ打ち状態だ。
性善説な世界観に裏打ちされた、努力と勇気と団結の仲間達が、
TVの三倍の火薬量のパイロをバックに、見事なフォーメーションで名乗りを上げる。
「よっ!JAE日本一!」とか大向こうから声が掛りそうな爽快感だ。
劇場版だけにデラックスに揃ったロボ戦も賑々しくて良い感じである。
多分自分位からその下の世代は何かしらの戦隊物を観て育ってるだけに、
たぶん身体の中に、こう来た時にこう来れば気持ち好いと云う様式が出来ている。
それが寸部も裏切られずに展開される気持ち良さは格別だ、しかも大スクリーンで。
テレビに出て来たゲストキャラが次々出てくる展開も楽しいが、
やはり大人にはマジトピアに君臨する大魔女役の曽我町子先生がツボだ。
「5年3組魔法組」の魔女ベルバラからヘドリアン女王まで、
今や世界に名の知れた曽我町子先生を大魔女に持って来るなど実にイキな計らいだ。
さすが東映印!と再び声を掛けたくなる所である。

さて打って変わって「ライダー」シリーズでは初の時代劇となる「響鬼」だが、
公開後の「大きいお友達」の皆さんの評判は否が多めの賛否両論と云う感じか。
今回のプロデューサー交代による作風の変化に対する過剰反応を見ても、
響鬼ファンの多くはテレビでの世界観が好きな人が多い様なので、
殆んどパラレルワールド(まあ事実そうなんだけど)の映画版は評判が良くない。
しかしまあ子供と楽しめる娯楽作品としてはそう悪くないのではないだろうか?

ただどうしても時間的な制約が、大人には端折り過ぎと感じるし、
子供には冗長と感じてしまうのは致し方ない所だろう。
現代と過去を入れ替わりに描いて行く描写も子供には解り辛かったかもしれない。
或る程度どっちかに舵を切れれば良かったのだろうが、難しい所だ。

今回の目玉である地方色豊かな鬼たちは概ね上手く描けていた様に思う。
歌舞鬼の扱いに平成ライダーの悪夢を見て、嫌悪する人達も多い様だが、
大河にテレビと映画の方での出番が異常に少ない響鬼=細川茂樹の穴を、
トリック・スター的な部分で補っていたのは歌舞鬼だし、
人部分の、やさぐれた感じのキャラ設定は良く出来ていたと思う。
まあ何にしろヒーローが群舞するシーンは特撮の目玉である。
中間部のドラマパートでは飽きて来てガヤガヤしていたガキどもも、
遂に立ち上がった響鬼の元に鬼たちが集結し決戦に挑む場面では、
さすがに固唾を呑んで見守っていた。
OPの8人揃っての太鼓祭りも最高に決まっていたし。

しかし安倍麻美のやっていた「ヒトツミ」って余り意味の無いキャラだったなぁ。
だけどあれって「変身忍者・嵐」の血車魔神斎だよね?どう見ても。

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2005.09.11

「乱歩」夜の夢こそまこと


「大乱歩」!

猟奇にして理知的で、邪悪にして稚気に溢れ、淫靡にして間抜け、醜悪にして華麗、
浪漫都市の闇に蠢くその世界は今もあらゆるジャンルの作者達を魅了して止まない。
そんな乱歩世界に魅せられた興味深い本がまた1冊。
この本、中々ジャンル分けに難しい内容なのだが、
敢えて言えば「イマジネーション的写真集」だろうか?
作者の石塚公昭は人形作家なのだが、自作の人形を見せるだけの本ではない。
CGにより等身を細工し、生身の役者と組み合わせ、時には実景にはめ込み、
乱歩の小説世界を写真で再現しているのだが、
ある章では殆んど人形が出て来ない話が有ったりと、
人形を見せるよりも、乱歩世界を造る事に腐心した本だと言える。

元々昨年の乱歩展に行った時に販売していた絵葉書を見たのが最初だろうか?
着色された背景に、存在感の有る乱歩の人形が組み合わされた絵葉書だった。
とにかく乱歩が良く似ていて笑えるのだが、その笑える感じが実に乱歩の或る局面、
残忍な割に何処か間抜けさが漂う感じを表している様で感心した。
この本の中にも作中に姿を現した、鹿爪らしい顔をした乱歩が登場する。

「盲獣」の、女体のパーツの中に埋もれる乱歩は相当間抜けだ。
盲獣と言えば増村保造の撮った映画も相当間抜けな映像だったが、
猟奇的な小説での描写も実写化するとその間抜けさが浮き立つと云う所か?
「目羅博士の不思議な犯罪」は、殆んど人形の登場しない構成に成っていて、
闇に浮かぶ顔だけ出した乱歩の人形が目羅博士を演じているのだが、
今度はそれが非常に不気味な質感を出している。
殆んど女優を使った写真で構成される「人間椅子」も、
ラストの椅子に腰掛けた女優の肩先から浮き出る乱歩の顔が奇妙な味だ。
それとは逆に「黒蜥蜴」に於ける、女賊黒蜥蜴の人形は、
リアルな人形とは言えない造形ながら、何とも言えぬ淫靡さが見事だ。
「盲獣」に出てくる実写の女体より実に艶かしく、
そこがまた「夜の夢こそ真」な乱歩世界に上手くフィットしている。
個人的に一番良かったのは、作品自体も好きな「白日夢」。
これまた殆んどの場面を、小金井の「江戸東京たてもの園」での実写で、
ショーウィンドウを覗き込む乱歩の姿だけが人形なのだが、
原作の妙に白っ茶けた雰囲気が良く出ていて良い。
こうして見ると、実際の看板建築が次々無くなっている昨今、
「江戸東京たてもの園」の意義は意外と有るもんだなぁ・・・と感じたりもした。
アップク、チキリキ、アッパッパァ・・・・関係ないけど。

乱歩世界を耽読している人間には是非お勧めしたい1冊だ。
更に今年中に4本のオムニバスから成る「乱歩地獄」と云う映画も控えている。
「姑獲鳥の夏」を監督したばかりの実相寺昭雄が「鏡地獄」を撮ったそうだが、
気に成るのはピンク映画界の鬼才、佐藤寿保が撮る「芋虫」だ。
「芋虫」は漫画家の先輩が常に書きたいと話していたヤバイ作品である。
一体あのヤバくてエグイ話をどの様に映画化するのか楽しみだ。
是非とも迂遠な表現に逃げずにストレートに勝負して欲しい物だが・・・・


Ranpo001

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2005.09.08

カルト化必至の「チーム・アメリカ」

や~スゲエ、カルト映画が生成される瞬間ってこんな感じなんだろうか?
久々に映画を観て引き攣るほど笑いながら冷静に「ヤバイなぁ~」とか思った。
最低だが、最高だ。
しかしカルト映画たるものこうでなくてはいけない。
「ピンク・フラミンゴ」はどうだったか?「怪奇奇形人間」はどうだったか?
そして「ゆきゆきて神軍」はどうだったか?
こうだった、確かにこんな感じだった、激しく観る人間のタイプを選ぶ。
多分「最低だ」と云う人間が多かろう、しかし好きな奴にはたまらんだろう。
凄いらしいとは聞いていたが本当に凄かった、っつうかそれ以上だった。
R-18指定の「チーム・アメリカ / ワールド・ポリス」。

話は簡単だ。
サンダーバード風のマリオネットによるハリウッド風アクション映画だ。
しかしその操り人形が曲者なのだ。
パロディの生臭さを中和する筈が、操り人形だからって嵩にかかってエゲツない。
とにかくこの人形、時に人間か?と思うほど表情は良く出来ているのだが、
意図的に紐は見えるわ、歩く時はワザとらしくカクカク動くは最高だ。
その人形たちが、とにかく考え付く限り下品で最悪な人間を演じる訳だ。

ハリウッド風アクションと云うのも曲者だ。
この映画は所謂ジェリー・ブラッカイマーが作る様な大味なアクション大作を、
心の底から小馬鹿にして作られている映画なのだ。
緊迫した場面でも色恋の事に現を抜かす典型的な登場人物造形、
知能指数の低い威勢のいい科白、無駄に炸裂する派手な爆発などなど、
「アルマゲドン」に泣き、東京ドームに「パールハーバー」を観に行く様な、
そんな観客が多数を占める日本人の映画ファンには明らかにキツかろう。
更に輪を掛けてテロリストの親玉である北の方の偉大なる主席様、
キム・ジョン○ルに加担するのが、リベラル派でお馴染みの俳優の皆さん。
F・A・G(映画俳優協会)(但し訳では別に意味の「オカマ野郎」で出る)の
ショーン・ペンだのリブ・タイラーだの実名の良く似た人形たち。
マッド・デイモンは自分の名前を連呼するだけの精薄扱い。
アレックス・ボールドウィンに至っては、殆んど悪の幹部である。
もうその辺からして普通の映画ファンには受け付けないだろう、
パロディとかじゃなくて明らかに物凄い悪意の元に描いているから。
実際は仲の良い友人であるかのマイケル・ムーアも、口の端にマスタードを付けた、
単なるアブない親父だし、爆死するし、腸は飛び出すし、人形だけど・・・

そんならこの映画はタカ派擁護なのかと言えばそれも全く違う。
自分勝手な正義を施行しているしているチーム・アメリカの連中は、
自分らがしている非人道的な行為に対してどこまでも無意識だ。
ターバンを被った「おむつ頭」のテロリストが出没するパリでは、
エッフェル塔を誤爆で倒壊させ、シャンゼリゼを壊滅状態にする。
エジプトに出向けば、狭い路地の露店をジープでことごとく破壊し、
ピラミットにミサイルを撃ち込み、ルクソールを瓦礫の山と化す。
逃げ惑い、唖然とする現地の人間を尻目に「私達が来たからもう安心」と放送し、
誰が好きだの相手にされないだのうわっついた話ばかりしているのだ。
そう、ブラッカイマーの映画「パール・ハーバー」の様に・・・・

元アメフトのQB、マッチョな体育会系、華人系の女性科学者、
プラチナブロンドの美女など、絵に描いた様な登場人物像だが、
昨今の映画に良くある、どうでも好いトラウマに囚われている。
深刻ぶって悩んだりするが、まあ男と女やる事は一つだ。
多分ここがR-18指定になった一番の要因だろうが、激しいラブシーンが有る。
しかし良く考えて欲しい、人形だよ?人形の激しいラブシーン?
だが凄いのだ、もう果てしなくやりまくっている。
人形で延々48手しているのだ、そらもう上になったり下になったりだ。
くどい様だが人形がだ。胸も下の方もつるつるの裸の人形がだ。
もう最高に下品で下らないがそこがもう大爆笑な訳だ。
とにかくこの映画の下品なシモ関係のネタは最強だ、中坊の発想で爆走している。
主人公のゲイリーが酒場でクダをまくシーン、予想通りカウンターでリバースだ。
そして千鳥足で外に出て、汚い裏路地でグダグダに成って再びリバース。
肩で息をするゲイリー、一呼吸置いて再度リバース、そしてついに逆噴射。
香港映画なら良く有るが、ハリウッド映画でここまでゲロ塗れとは・・・
吐瀉物の海に沈むゲイリーに笑いが止まらん・・・勿論人形の話ですよ。

この映画にはハリウッド大作の様な勇ましい挿入歌が多々有るのだが、
それもまた揃いも揃って馬鹿だ、しかも良く出来ている。
ゲイリーがチーム・アメリカにスカウトされる前、
ブロードウェイのミュージカル俳優だった場面で爽快に歌われる、
「エエイエイエイエエッエッエーーーイズ」が爆笑の「みんなエイズ」。
平和の為に自己犠牲を即す「自由は只じゃないんだよ」、
主役がトレーニングを積んで強くなって行くシーンで良く使われる、
モンタージュ技法を茶化して実際そう云うシーンのバックで流す「モンタージュ」、
主席様が自らの境遇をチャーミングに歌う「ボクちゃんって孤独」、
素直に成れない愚かな自分を「俺はベン・アフレックより惨めだ、
俺はパールハーバーの様に愚かだ」としつこく叫ぶ歌なんかも有る。
そしてキメは何と言っても「アメーリカァ、FUCK YEAH!」
のコーラスが勇ましいチーム・アメリカの主題歌で決まりだ!
(各曲のタイトルは何となく意訳・・・つうか超訳)

まあ細かなネタを拾って行くとキリが無い程、素晴らしい作品な訳で、
DVD化した際には是非ともじっくり色々確かめて見たい。
(アメリカで発売された「NO検閲バージョン」は更に酷いそうだし・・・)
しかしやはりこう云うデラックスな馬鹿映画は是非劇場で観たい物。
今度は名画座で「パール・ハーバー」と2本立てでどうでしょ?

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2005.09.05

2枚組み再発物、三話題

いつも通り「最近買った紙ジャケ」と行きたい所だが、今回はこれだ。
別に紙ジャケを買っていない訳ではないのだが書こうかと思ってる内に、
「最近買った」の時機を逸してしまった。
ヴァンダー・グラフ・ジェネレーターの3、4枚目とか、パイロットとか・・・・
今回のも微妙に買った時期はズレていたりするのだが、再発で2枚組み、
等と云う同じ様な体裁の奴が揃ったりしたのでまとめて書いておこう。

1枚目は紙ジャケで買うつもりで居たイタリアの「デリリウム」。
アルカンジェロのユーロピアン・ロック・コレクションの一環で、
デリリウムの1~3枚目までが紙ジャケ化された訳だが、
名作の誉れ高い2,3枚目は紙ジャケで購入するつもりだった、当初は。
しかしその前から実は本国イタリアでデリリウムの美味しいCDが再発されていた。
「Delirium ’71ー’75」と云う2枚組みのセットで、
紙ジャケで再発される3枚の全曲に加え、5枚のシングル曲を完全収録した、
正にパーフェクトなコレクションと呼べるべき物だった。
これに手が出た。
お徳と云うのも有るがやはりシングル曲の存在はでかい。
本来の紙ジャケマニアはレコードの完全再現が必定で「ボートラは不要」
と云う意見が有るそうだが、その点俺はマニアとは呼べんわな、全くもって・・・
デリリウムは元々歌物のバンドだったのだが、メインである歌い手が脱退、
時代的な背景も有ってインストパートを強化しプログレ化したと云う、
イタリアのバンドによく有る展開を辿ったバンドだ。
なので1枚目の「甘い水」はどちらかと云うとカンタトゥーレ方面の音だが、
2枚目の「愚者の住む村」3枚目の「同時代の群島への旅」と進む内
シンフォニックなアンサンブルを聴かせるバンドサウンドに変化する。
しかしその後再びポップ化し、後半のシングルは明朗な歌物に成っている。
本国では超有名な「ジェザエル」等も入っているが、気に成るのはシングル曲の、
「オザンナの歌」と題された曲だ、これってあの・・・あれの事か?

それとほぼ同様な経過を辿ったのが「シェラ・マクドナルド」の再発2枚組。
こちらも買うのに手間取っている内にストレンジ・デイズから、
1、2枚目の紙ジャケでの再発がアナウンスされて少々迷った作品だ。
ブリティッシュ・フォーク界・幻の歌姫のジャケットは実に工芸的で美しい。
特に2枚目の「スターゲイザー」はミュシャの描くポスターの様な感じで、
アール・ヌーヴォー的な装飾と文字に囲まれたシェラの写真が美しい。
なので経済的な余裕でも有れば文句無く紙ジャケに飛びつくのだが、
何時ものしみったれた理由で全曲集の方に手が伸びたと云う訳だ。
冒頭に入っているBBCがコンパイルしたフォーク歌手のオムニバスアルバムに、
2曲吹き込んでいた最初期の音源こそトラッドなフォーク歌手の範疇だが、
何とあのキース・ティペットまで揃えたバックの演奏陣で歌う1作目のシェラは、
もはやトラッドの括りでは納まり切れない歌い手に成っていた。
それがフェアポートのリチャード・トンプソンやデイブ・マタックス参加の2枚目、
とも成るとかなりトラッドから離れた普通に良い歌を歌っている感じの、
フォーキーともプログレともロックともとれるサウンドに変化している。
素朴なトラッド臭を求める人間には少々トゥーマッチ過ぎるかも知れないが、
感覚としては「メロウ・キャンドル」辺りに近い感じだろうか?
在りがちな感想だが、2作目のトンプソン・マタックスの参加した
「オデッセイ」からタイトル曲の「スターゲイザー」に続く流れが素晴らしい
ロバート・カービーがアレンジした物悲しくも美しいオーケストラ入りのこの曲は、
翳りの或るシェラの歌唱も相まって素晴らしい出来である。
ディスク1のラストにこの曲のデモが2曲入っているが、
装飾を取り払った剥き出しのメロディの美しさも一聴に値する。
さてシェラが幻の歌姫と称されるには訳が有る、今もって消息が知れないのだ。
元々経歴自体も不明な所が有るのだが、短い活動後の足取りが辿れない。
今回も元マネージャーのサンディ・ロバートソンが行方を追ったらしいのだが、
そう云う身近に居た人物でさえその一端さえ掴めないそうなのだ。
薬物による再起不能説、死亡説等、囁かれながら何一つ確証が無い。
まさか生まれ故郷のスコットランドの妖精に曳かれた訳でも無いだろうに、
そんな経歴が更にこのミステリアスな歌姫を妖しく輝かせる。

さて最後の再発2枚組みはまたガラリと変わって、
迷彩服に身を包んだ子泣き爺がグラインダーの様なザラついた声で叫び、
鉄壁のフォーメーションが檄重でメタリックでクラシカルなフレーズを決める、
西ドイツが産んだ必殺の戦闘部隊「アクセプト」の日本初ライブ盤、2枚組み。
アクセプトと言えばあの時代にメタル者だった人間には正に基本アイテムで、
いまや高校教師で一男一女の父である友人の男も生涯唯一のライブがこれだった。
そんなアクセプトが黄金期のラインナップで再結成し、
先日来日公演を行って、数々の男泣きナンバーを披露してくれた。
その再結成記念で旧作がデジタル・リマスター化で一気に再発された。
その中の目玉が85年の日本ツアーを納めた、ベスト・オブ・ライブなこれだ!
「スラブ行進曲」を使った、あのイントロが流れてきた瞬間に心騒ぎ、
生音が炸裂しリフが奏でられた瞬間に一気にテンションが上がるオープニング。
メタリックな音の連なりに挟まれる「エリーゼのために」使いのソロが最高な、
名曲「メタル・ハート」からスピーディーな「ブレイカー」への流れに、
興奮しないメタル者はいないっちゅう話の出来な訳だが、
ウルフのソロから重い「レストレス&ワイルド」、余り字面にしたくない
「サン・オブ・ア・ビッチ」の放送禁止な掛け合い、
そして「ロンドン・レザーボーイ」へと続く後半の流れも最高だ。
しかし何と言っても歴史にその名を残す「ハーディハ、ドーハダ」の童謡から、
怒涛のスピードで駆け抜ける珠玉の名曲「ファスト・アズ・ア・シャーク」と来て、
ラストの「ボール・トゥ・ザ・ウォール」の流れに泣かぬ者は居ないと云う奴だ。
全くあの血の気の多い高校の頃に引き戻される素晴らしいテンションだ。

「ジェファーソン・エアプレイン」の諸作が紙ジャケ化されたと思ったら、
今度は同じシスコ系の「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サービス」が
堂々の紙ジャケ化と云う話だ。
ジェファーソンも変形物が有ってそそられるのだが内容が付いて行かん。
クイックシルヴァーは何かオモロイジャケ有ったかなぁ・・・・?
まあそれはそうと次回は是非とも紙ジャケで勝負したいと思ってます。

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