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2005.12.31

怪談専門誌「幽」第四号発売

怪談専門誌「幽」の4号が目出度く発売と成った。
2号で頓挫した「小説幻妖」や3号までは出た「BGM」を乗り越えた訳で、
流石大手出版社の刊行する雑誌と云うか、まずは目出度い事だ。

巻を重ねる毎に中身も充実して行ってる様で今回は結構な厚みに成っている。
所謂、怪談実話以外の部分が充実して来ていると云う感じだろうか?
確かに季刊とは云え、これだけまとめて怪談実話物を読むと少々飽きる。
優れた雑誌は特集以外のコラムとかの充実に掛っていると云うから、
その辺の充実を計って更なる飛躍を期待したい。
・・・・ってその辺は編集氏も充分解っているだろうが。

今回の巻頭特集は直球勝負の「泉鏡花」である。
八雲、綺堂、百閒、と来て次は絶対田中貢太郎だろうと予想していたのだが、
直球勝負に見事やられたと云う感じだ。
特集自体も面白いが、事前に東氏のブログで読んでいたのだが、
夜叉ヶ池探訪の後に起こった編集者の恐怖体験が面白い。
事件に遭遇した各人各様の経過話がそれぞれ微妙に異なっているのも面白い。
それに付随してか「巻頭の夜叉ヶ池の写真に変な物が見える」、
等と云う話題が東氏のブログで取り上げられていたが、
個人的には「そーかね~?」的な感想を抱くに留まった。
しかし再録された鏡花の「妖怪年代記」は面白いなぁ・・・
正に鏡花御得意の草双紙趣味が全開でしかも実話テイストな所が素晴らしい。
あの持って回ったクドイ言い廻しに辟易してしばらく読まない時期が有ったが、
こう云う面白い短編をポツポツと読んで行くのも良いかも知れないなぁ。

今号の中で一番面白く読めたのは有栖川有栖氏の「密林の奥へ」。
「空の鯨」等と云う怪鳥の話を冒頭に持って来て、
秘境探検的なテイストを見せながら、徐々に歯車が狂って行く辺りは見事だ。
あの濃密な熱帯のむせ返る様な生き物の「気」が原初的な恐怖心を煽り、
言葉の通じない異国での寂寥感が何かを狂わす様は空恐ろしい。
割と日常に寄り添った話が多く成る怪談実話を集めた中に、
こう云う異国の恐怖が濃厚な作品を持って来るのは、良いアクセントだと思う。

前回素晴らしかった山白朝子氏の作品は、今回も仏教説話的で独自の色が有る。
小野不由美氏の「鬼談草子」は相変わらず安定した出来の怖さだ。
平山夢明氏の全身麻酔に関する話は、実際に全麻に立ち合った者として頷ける。
でもってやっぱり安定して怖いなぁ・・・・と感じるのは「山の霊異記」。
山でケルンを崩した後に、宿屋に付いて来る男の話は非常に怖い。
暴風雨の中で見た、土木作業を続ける瞳の無い男なんぞは実にタマラん。
やはり山に対する異界的な感覚が恐怖感を倍増させるのだろうかね・・・

怪談実話以外の企画だと、対談に登場した新倉イワオ氏にグッと来る。
新倉イワオと言えば、今は無き宜保愛子との絶妙なコンビを思い出す。
霊視で見た物に怯える宜保愛子と、それに冷静に突っ込む新倉イワオ、
と云う図式が最高に面白かった。
正直子供の頃は特に新倉イワオに真摯な姿勢を感じでいた訳ではないが、
今の様に、野放図な霊能力者(スピリチュアル・カウンセラーもね)の言う事に、
スタジオの芸人がガヤを入れたり大袈裟に怖がるだけの様な、
投げやりな番組ではなかったのは確かだ。
んでそんな芸人絡みの話だった「やじきた怪談旅日記」も怖かった。
関西最怖と言われる霊スポットの廃ホテルに出掛けた芸人達が、
ライブで使う様に廻していたハンディカムの映像に霊が写りこんでいて、
その場所にわざわざ夜中に出掛けて確かめてみる、と云う罰ゲームの様な企画だ。
一度どこぞの番組で紹介されたらしいが、その映像が見たくてしょうがない。
不鮮明なモノクロ写真は誌面に載っているのだが、やはり動画が見たいもんである。

いや~しかし今年も最後のブログだと言うのに、
怪談実話誌で〆ると云うのもナニだよなぁ・・・・
まあ来年もそんな感じで時節に関係無い事を呟いて行くので、
たまに御覧の皆様、来年も宜しゅうに。

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2005.12.26

鶏の御馳走

「チキン・リトル」と云うでずにーのアニメ映画が公開されているが、
あのキャラを見ていると、鼻から饂飩を出す芸人「ほっしゃん」を思い出す。

秋に台湾に行った時に現地で大々的に公開されていたのだが、
1年で一番、鶏が消費されるこの時期にチキン・リトルを観るって有りなのか?

と云う訳で微少ながら鶏の消費に貢献すべく、今年もチキンをいただいた。
毎年この時期に成ると鶏処理職人と化す友人の所で御馳走に成った。

(関係無いが敬愛する内田の百鬼園先生がこの「御馳走」、
と云う言葉を良く使用するがその際の語感が非常に宜しい。
「御馳走が出た」「御馳走に成る」等様々に使われるが何れも非常に旨そうだ。
詳しくは百鬼園先生のその名も「御馳走帖」を読まれたし。閑話休題)

友人は期間中二桁近い鶏を捌く故、饗される鶏の味は甚だ美味である。
今回は中にセロリライスが詰められていて肉を開くとホッコリと崩れ出す。
じっくりと焼かれた鶏の身も柔らかくてジューシーだ。
中から茹でた鶏卵なんぞが出て来たら笑うよなぁ・・・
まあ笑わす為に鶏をせっせと焼いてる訳じゃあ無いけれど。

御馳走様でした・・・・・ってまたここで御馳走が!

tori

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2005.12.24

闇のアルバム/楳図かずお作品集

真冬にホラー、クリスマスに恐怖を!

と云う事で時節と何の関係も無く、今年で画業50周年を迎えられると云う、
「恐怖と笑いは単に立ち居地の違い」と言う事を遥か昔に実証していた、
「天才」梅図かずお先生が1975年に発表した唯一のソロアルバム、
「闇のアルバム」が唐突に再発されたりしたので聴いてみた。

梅図先生と怪奇漫画と云う事で有るのなら語る事も多々有るのだが、
梅図先生と音楽と云うと、思い出すのは「まことちゃん」がブレイクしていた頃、
異常にトゥーマッチな衣装を着て、異常にトゥーマッチな歌声で、
異常にトゥーマッチなロックと自称される音楽をやっていた事だ。
それはもうTV番組「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」にて、
三橋美智也が「ミッチー」と自称して派手な衣装でフィーバーしていたのと同様な、
見る者に意味不明な焦燥感を掻き立てさせる御姿だった。
梅図先生は紛れも無い天才だと思うのだが、「流石天才は違う!」と云う、
かつて岡本太郎に投げ掛けられた様な言葉も言ってみたくなる壊れっぷりだった。

そんな梅図先生が全編に渡って歌を披露するソロアルバム、
しかも作詞作曲アルバムカヴァーに到るまで梅図先生が手掛けた作品、
1975年に発売されて以来再発される事の無かった幻の作品!
と来れば、否が応にも期待が高まる物だが・・・

普通だった。
結構あっけらかんとするくらい普通の出来だった。
驚いた事に、と云うか意外に梅図先生は歌が上手かった。
梅図先生の声は全体的に繊細でジェントリーな声だったりするので、
ロックの様なハイテンションでギンギンとした音には似合わないのだが、
今作の様な唱歌的と云うか穏やかな曲調の作品には意外に似合っている。
そう、穏やかなのだ、異常に、アルバムタイトルと曲目の邪悪さの割りに。
「洗礼」「イアラ」「へび少女」「おろち」「漂流教室」等々、
元に成った作品の恐怖を思い出すだに慄然とするタイトルなのだが、
何処にもギミックの無い、普通に聴き易い作品なのだ。

例えばそう云う穏やかな歌曲の中に狂気を潜ませる作風と云うのも有る。
極上のメロディながら、どう聴いても狂人の鼻歌の様にしか聴こえない、
ケイト・ブッシュの「嵐が丘」とか、
明らかに朗らかな音頭物なのに、どう聴いても刃物を振り回す白昼の惨劇の様な、
大屋政子の「政子ちゃん音頭」なんかがそうだ。
それらは歌声が超個性的だったり、完全に外していたりする所が「怖い」訳だが、
梅図先生の場合、なまじ歌が上手かった事がカルト化の道を阻んだ様だ。
単純に訳有りで再発されなかった訳ではなく面白くなかったからなんだろうきっと。

しかしこれ聴いてると80年代によく出ていた漫画のイメージアルバムを思い出す。
勿論今でもそう云う物は出ていたりするのだろうが、あの頃の作品数は多かった。
このアルバムにも声優によるスキットの様な物が何箇所か挿入されているのだが、
イメージアルバムと云えば声優によるミニドラマは不可欠だ。
梅図先生のこれも言ってみればその系譜に属する様な作品なんだろう。

さてソロアルバムと言えばこれ1枚きりなのだが、
先に書いたトゥーマッチな時代の梅図先生の作品を納めたアルバムも出ている。
「まことちゃん・梅図かずおワールド」と云う奴で、
「ビヂグソ・ロック」とか「グワシ!!まことちゃん」などと云う、
今でも「グワシ!」「サバラ!」の出来る人間には涙物の曲も納められている。

しかし梅図先生いつまでも若いなぁ・・・歳を重ねる事に変に成って行ってるし。
やはり時代と供にこう云う破天荒な人も少なくなって行くんでしょうなあ・・・

と、妙に時節柄寒々しい話題で〆

(いやぁ~しかしこの梅図先生の怪しさはたまらんなぁ・・・)

Umezu004

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2005.12.19

ブレイキング・ニュース~大事件

やっぱり最終的に描きたかったのは男の友情だったのか、杜琪峰!

雇われ仕事と趣味性の仕事をそれぞれ高いレベルでこなし、
間違いなく今の香港映画界を背負って立っている杜琪峰の、
商業性と趣味仕事が微妙に混ざり合った「ブレイキング・ニュース(大事件)」、
今回日本ではレイトショウと云う事に相成りました。
まあ客の呼べそうなスターさんが陳慧琳一人では致し方ない所だが、
内容の充実度は正しく折り紙付きの、特濃な息をも付かせぬ娯楽映画だ。

題材的にそれほど斬新な事をしている訳ではない。
テーマは実際の事件と足並みを揃える様に80年代から描かれて来た、
最近の「旺角黒夜」でも取り上げられて居る省港旗兵物の一つだ。
犯罪者と警察のマスコミを巻き込んでの虚々実々なやり取りは、
ハリウッド映画では何度も取り上げられて来た要素だ。
しかし手垢の付いたテーマでも描き方一つでそれは如何様にも見せられる。
ましてやそれが、あの街も人も特濃な香港で有るならば・・・

話は簡単だ。
警察に追い詰められた任賢齊たち省港旗兵が香港の住宅に人質を取って篭城、
マスコミの批判に晒されていた警察がその挽回を期して、
陳慧琳の指示の元、マスコミを操作して犯人逮捕を通じ権威の復活を目指すが、
任賢齊達も同様にマスコミを巻き込んで警察との駆け引きを繰り広げ、
陳慧琳の指示に反発するCIDの張家輝は独自に暴走を始める。

本来ならクレジット的に主観は陳慧琳に集約される所なのだが、
立場上の悩みは描かれる物の、怜悧なエリートとして鼻持ち成らない描かれ方で、
むしろ犯人役の任賢齊の方に観客の主観が行く感じだ。
元々は台湾出身の歌手だった任賢齊だが「星願」でブレイクしてから、
映画の方での華々しい活躍が増えている様だ。
若い頃の元彪に似た素朴な顔だが、大陸出身の犯罪者と云う感じが良く出ている。
その任賢齊を中心に、たまたま篭城したアパートを根城にしていたお陰で、
大騒動に巻き込まれる事に成った大陸出身の殺し屋との不思議な友情。
命令を無視してまで逮捕に命を掛ける張家輝との妙な連帯感。
立場は違えど鉄火場で心が通い合う男達の不思議な関係が見事に描かれる。
そしてそれはかなり男泣きなラストシーンに収斂されるのだ。
そんな血塗どろな友情を育む男達の描き方に比べると、所詮陳慧琳の存在は、
振り回している様で振り回されているが如き頼り無さが目立つ。
そう、やはり杜琪峰が描きたかったのは男と男の熱い魂のせめぎ合いなのだ。

今回も杜琪峰映画には欠かせないイイ親父、林雪の絶妙なオヤジ演技が爆発だ。
凶悪な顔の癖に今回は人質に取られるタクシー運転手のオヤジを好演、
犯人にへつらい、それを幼い息子に責められる所が最高だ。
更に子供を置き去りに台所から逃走を計り、途中で宙吊りに成る間抜けさも最高。
そして全般に情けないオッサンをやらせたら右に出る者の無い、許紹雄。
今回も暴走する張家輝の下で嫌々危険な目に合わされる中間管理職を熱演。
鶴瓶に激似の情けない顔で奔り回される所では同情を禁じえないが、
緊迫感のある場面で、腹が弱いからと放屁を繰り返す件には爆笑だ。
他にもほんの僅かだが任達華がイイお顔を見せてくれている。

緊迫感がキリキリと続く1時間半だが、
任賢齊が大陸の殺し屋と仲良く包丁を使い鍋を振る食事の場面が良い。
それに負けじと陳慧琳がマスコミに振る舞い、一気に休憩モードに成る所が、
飯喰う事が何よりも大事な華人魂を感じさせしかもほのぼのとさせる場面で、
そこが非常に効果的な息抜きの場面に成っている所が上手い。
ちなみに警察の出した弁当は叉焼に煮玉子、しかも鶏の脚まで入っている豪華版だ。
スチロールの容器入りをレンゲでパク付く姿にはつい自分も食いたくなる。

さて杜琪峰と言えば話題なのは新作の「黒社会」だ。
生々しい黒社会の権力闘争とその歴史を真正面から描いた傑作だそうだ。
実は台湾に出掛けていた時、帰るその週の週末から公開が始まる状態で、
テレビでも頻繁にCMが流れ、映画館でもポップが設置されていて、
タイミングの悪さに非常に悔しい思いをしたもんだった。
任達華と張家輝も出演しているが、一応主役は演技派・梁家輝である。
今や「ラ・マン」出演と云うのが日本でどの位効果有るのか知らないが、
まあいずれ日本公開してくれるのではないかと期待したい所。

(下は台湾の劇場の「黒社会」のポップ。)

kurosyakai

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2005.12.15

ワダエミの衣装世界

最初に会場の案内を見て「梅窓院・祖師堂ホール」と書かれていたから、
「寺の庫裏で公開してるんか?」と驚いたが、
会場に着いてみると竹を装飾に使った様な瀟洒なホールだった。
実際は後で裏に廻って見ると寺院の敷地内に建てられた施設らしいのだが、
何にしろ「こんな所もあるんだ?」と辺に感心してしまった「ワダエミ」展。

服飾関係の人間でもなければ実際に興味有るのは、
役者が着て映画に使われた衣装が実際に見れると云う点に尽きるだろう。
「スター・ウォーズ」の様に二次使用で稼ごうと考えていたり、
コレクターに高価で流出する着ぐるみや特殊メイクのプロップ以外、
映画に使われた衣装が見れる機会は殆んど無い、ましてや香港映画など・・・
昔「風雲」公開時に新宿のタワレコで短期間衣装が公開された事が有ったが、
あれも何か遠くからガラスの中の衣装を眺める様な物だった。
そう云う意味で香港金像賞の最優秀衣装設計賞を受賞した物が見れる今回は、
香港映画好きには正しく見逃せない機会な訳である。

入場していきなり一番観てみたかった「英雄」の衣装が展示してあった。
ワダエミの衣装へのこだわりが張藝謀に衣装の色による場面の変移を思い付かせた、
と云うくらいワダエミの衣装が作品に深く関った物だ。
やはり実物を目にすると「これが梁朝偉の為に作られたものか」とか、
「うわ!張曼玉、腰ほそぉ!」等と役者に関する感想が浮かんでくる。
張曼玉が演じる飛雪の着た赤い衣装は、下から扇風機で風が送られ、
ドレープがパタパタたなびく様な展示方法がされていたが、
アクションに映える為に作られた衣装なのでこうするとその効果が良く解る。
ペラペラではなく、腰の有る柔らかさとでも言おうか、
正に武侠が画面を優美に舞うあの感じが美しく設計されているのが知れる。
実際にはアクション用等を含めて十数着作られたそうだが、
確かに破れている所が有ったりと如何にもな感じが嬉しい。
贅沢言えば横に使われた小道具、例えば残剣の使った折れた刀とか、
長空が使った房の付いた槍とか置かれていたら更に良い感じなんだが・・・

その辺を意識したのか「十面埋状」での章子怡の衣装の部分では、
レプリカなのか知らないけど、ちゃんと例の太鼓が配置されて居て感慨深い。
章子怡が演じる小妹は最初妓楼の踊り子と云う設定なので、
「英雄」の衣装に比べると装飾が派手で刺繍も豪華な感じに成っていたが、
その衣装でしかもあの袖の長さでの太鼓のシーンはさぞ大変だったろう。
武術者では有るのだが「英雄」の様な超絶技巧の使い手ではなく、
無骨な剣の達人と云う設定の劉德華や金城武の衣装は、
それに合わせて革が使われていたりして質実剛健な感じが面白い。

他にオペラ「マクベス」の衣装だとか、舞台の「浪人街」、
新春にやる「里見八犬伝」の衣装なんかの展示が有ったが、
実際に見ていないと展示された衣装の動いてる様を想像出来ないので、
(モニターで映像を流したりはしているのだが)いまいち感慨は薄かった。
ただ昔好きだった八犬伝の怨霊「玉梓」の衣装がおどろおどろしくて好きだ。

今日は期間限定の特別公開日と云う事で、
京都は清水寺の青龍会の衣装部分を、普段は柵のこっちで眺めるだけだった物を、
柵の中に入場して眼の前で見れると云う事をやってた。
最初に解説で読んだ時、「古い経文を龍の身体に張り込んで」等と解説されていて、
確かに竜頭や角や爪の部分はそうなのだが、鱗は普通に緑青色で、
「こんなもんかい?」等と高を括っていたのだが、
実際近くで観て見ると、何と鱗の裏にびっしりと経文が張られているのだ。
驚いてそこらの鱗をそっと捲ってみたら、どれもこれも経文が張られている。
その数八千枚だそうな・・・これは近くに寄らないと実感出来ない部分だった。
成る程「耳なし芳一」では無いが俄かにかの龍が神聖に見えて来てしまった。

物販コーナーで500冊限定でサインとシリアルナンバー入りと云う、
非常に豪華な1万2千円のメイキングブックとやらを拝もうかと思っていたのだが、
当然の様に売り切れていた。
見本くらい置いといて欲しかったなぁ・・・買う気は無いけど。

出口の所に「英雄」で使った物か、衣装用の青い生地のロールが、
自由に触れる様に展示してあった。
これが非常に手触りが良くてさらさらで気持ちの良い物だった。
やはり着ていて快適な衣装と云うのは大事だよなぁ・・・

最後に、
ワダエミが受賞した作品のトロフィーが中に展示して有った。
黒澤の「夢」で獲得したアカデミー賞のオスカー等に並んで、
3つの香港金像賞のトロフィーが並べられている。
「英雄」「宗家の三姉妹」そして始めての香港仕事「白髪魔女傳」。
「白髪魔女傳」!そう林青霞と張國榮のあの映画の衣装もワダエミだったんだ。

あぁレスリー・・・あんたの着たあの衣装も観てみたかったなぁ・・・

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2005.12.13

師走のまどろみ

tosikure01

色々な意味で達成感の無いまま日々生きていると、
年の瀬にでも成れば意味の無い焦燥感に捕われるもんで御座います。
今の内にあれしとこう、今年中にあそこに出掛けよう、等々・・・

さりとて焦ってみた所で格別大した事をするでもなく、
別段来年に廻した所で負債が増える性質の物でも無く、
単に慌ただしい気分に成っていたりするだけで、
実は風物詩的に楽しんでいる節も有ったりするので
まあ呑気なもんで御座います。

「過ぎ行く秋を収めねば!」等と街に繰り出そうと思うのですが、
温い暖房についつい出掛けるのが遅れて、
釣る瓶落としの日が落ちて、すっかり巷に灯がともり、
正月飾りの出店の裸電球を眺めて帰る事も多々有りと云う所。

そんな忙しい師走の人々の暮らしを尻目に、
長閑な冬陽の下で猫はふぐりを弄び、
床机の上で犬は惰眠をむさぼる訳です。

さて来年は如何様に、
太平楽に生きて行きたい所存で御座います。

ってまだ終ってないけど・・・

tosikure02

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2005.12.10

最近買った紙ジャケ其の9

色んな意味であやふやに成って来ている「最近買った紙ジャケ」シリーズ。

基本的に「出てすぐ」ではなくとも、ぽつぽつ買ってはいるのだが、
紙ジャケとして紹介するほど「旨味」の有る作品が無いのが現状だ。
せめてゲート・フォールとかインナースリーブでも付いていれば良いのだが、
単にシングルジャケで出る物など普通の再発物と変わらない気がして、
わざわざ取り上げる事に躊躇する様な感じだから・・・・

そんな中、久し振りに取り上げるに値する素晴らしいブツが出た。
それがアルカンジェロから再発された、アトミック・ルースターの諸作だ。
中でも久し振りに紙ジャケの工芸的な感動を与えてくれるのが、
彼らの4作目である「メイド・イン・イングランド」だ!
何が凄いってアルバム自体がすっぽりとデニム地の袋に包まれているのだ。
まあそれにしても良くこんなもんジャケットにしたもんだと、
アナログ時代のデザイナーの発想にも驚かされる。
勿論余りウエイトの無い、少しペラペラなジーンズ地を使っては居るのだが、
三方も綺麗に縫製されていて、上部の口の所もちゃんとステッチされている。
解説を読むと物が物だけにジャケにも色々とヴァージョンが存在するらしく、
対角線に縫い目が入っている奴とか、貼られたラベルの表記の違いとか、
後はデニム地の色なんかにも違いが有ったりするそうだ。
昔、中古屋で現物を見た時、もうちょっと色が薄い感じがしたのだが、
デニム地だけに色褪せたか、擦れたかした物なかもしれない。
まあ何にしろ手に取った時のミニチュア感がたまらない一品なのは間違いない。
これぞ紙ジャケと唸らされる楽しさだ。

アトミック・ルースターと言えば初期のラインナップに、
EL&Pのカール・パーマーが居た事で紹介される事の多いバンドであるが、
その真髄はリーダーのヴィンセント・クレインのオルガンを中心とした、
何処か弾けきらないドロドロとしたハードロック・サウンドに有る。
ボッスの絵画をジャケにした二枚目の「Death Walks Behind You」辺りが、
もっともその黒魔術的イメージを打ち出したアルバムなのであるが、
どうにもVoの技量がサウンドに追い付いていない感じがするのである。
その辺を埋める為にVoにリーフ・ハウンドのピーター・フレンチを入れるのだが、
そのピーター・フレンチも1枚で脱退、更にクレイン以外のメンバーも脱け、
起死回生を図って元コロシアムのクリス・ファーロウを向え入れ、
他のメンバーも新たに再編し、作られたのがこの四枚目のアルバムなのだ。
暑苦しいハードロックを歌わせたらピーター・フレンチは最高の人材だが、
クリス・ファーロウも同じく暑苦しく、しかも非常にソウルフルだ。
なので「何処か弾けきらないドロドロとしたハードロック・サウンド」は、
今回形を潜め、ファンキーでさえ有る躍動感漲るサウンドにシフトしている。
多分サウンド的には一番充実した時期なんではないだろうか?
個人的には初期の黒魔術的な暗黒サウンドが好きだったりするのだが、
やはり聴いていて一番楽しめるのはこの編成なのも確かだ。
なのでボーナス・トラックスに入っているBBCセッションで、
その時代の色を残した楽曲をファーロウが歌っている所にはかなりシビレる。

さてもう1枚はフランスの異能派音楽集団マグマの名作、
トゥーザムターク第三楽章に位置付けられる「呪われし地球人たちへ」。
ちなみにこれは日本で発売された紙ジャケではなく、
フランスで制作された紙ジャケに日本語解説を付けて発売された作品だ。
アルバムタイトルや楽曲に日本語訳が付けられている訳だから、
当然以前日本盤が発売されていたのだろうが寡聞にして観た事が無い。
最初にCD化された時に聴いたのも輸入盤だったし・・・いつ出たんだろう?

マグマはリーダーにしてドラマーのクリスチャン・ヴァンデが率いる、
断続的に現在も続く孤高にして異常なアンサンブル集団だ。
初期はコルトレーンに影響を受けたジャズ・ロックを演奏していたらしいが、
ヴァンデの妄想・・・いや奇想がリミッターをぶちぎる内に、
他の国の誰とも似ていない、異常に濃く激しい集団に変容していった。
マグマと他のバンドを隔てる最も顕著な相違点は、
マグマの楽曲は地球外の宇宙人、コバイア星人の楽曲であり、
その歌詞はすべてコバイア語で歌われていると云う事で有る。
ジャズ由来の手数足数が多く、異常にラウドなヴァンデのドラムの上に、
重要人物ヤニック・トップの重戦車並のベースラインが蹂躙し、
目まぐるしいブラスセクションがパーカッションと供に駆け回り、
コバイア・チャントと呼ばれるコバイア語による重厚な叙事詩を
大人数のコーラス隊が絶え間なく歌い上げる様は正しく悪夢の様だ。

数々のフォーマットで発売されているらしい今作は、
クレジット上タイトルが7曲収録されているが、実際は全1曲のコンセプト作だ。
先にも書いた壮大なスケールの叙事詩「トゥーザムターク」の三楽章目に当たる。
マグマの最高傑作といえば75年の、爆裂ライブ盤と決まっているが、
スタジオ作で選ぶならやはりヤニック・トップ在籍中の今作と云う事に成るだろう。

紙ジャケの出来としては、元のアナログ盤を観た事が無いので何とも言えないが、
海外の紙ジャケに共通のボール紙にプリント紙を貼り付けた、
やたらに分厚い体裁なのは残念だが、コーティング加工で印刷も良い感じだ。

所で余り他では言われていない様なので、つるっと言ってしまうが、
世界で唯一マグマと同様の音を出していたバンド、と云うか集団が居た。
それこそは劇団員のコーラスワークがコバイア・チャント並に炸裂していた、
J・A・シーザー率いる「天井桟敷」の劇伴の数々、
技術を極めたプロの演奏家では無いのでアンサンブル的に破状は有るのだが、
その漲るテンションと過剰な世界観は、間違いなくコバイア星人に近いモノだ。
マグマがお好きなら是非「国境巡礼歌」「身毒丸」辺りの御一聴を!

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2005.12.03

夜市/恒川光太郎

角川が主催する日本ホラー小説大賞の本年度の受賞作、
恒川光太郎の「夜市」を読んだ。

特にこの賞の受賞作品を追い駆けている訳では無いのだが、
後ろの歴代の受賞作を見てみると結構読んでいる事に気付く。
まあ好きなジャンルなだけに何かと手に取る訳だが、
結構メジャーに成った作家も生んでいたりして驚かされる。

さて「夜市」だが、これは所謂ところの「ホラー」と呼ばれる作品とは違う。
「ジャンル分け不能だが面白い小説はその頃勢いの有るジャンルに収斂される」
と云う思いが有るので、かつてならSFに分類されたかもしれない。
例えば「奇想小説」とか「奇妙な味の話」とか呼ばれた小説群にも近い感じだ。
しかしこう云う話が「ホラー」と云う分野に接近してくる事からして、
今「ホラー」と云う分野に、如何に勢いが有るかと云う事だろうか?

夜市と云う舞台からして、諸星大二郎の「諸怪志異」シリーズの中の、
「鬼市」を思い浮かべながら読んで行ったりした。
しかし正直この作品の夜市は少々ありきたりのイメージしか描いていない。
出て来る「夜市」世界の住人達もさして面白みの無い「魔」ばかりだ。
それから主人公である祐司といずみの会話部分の台詞が酷く詰まらない。
「近頃の若者の会話」と云う事で有れば、確かに間違ってはいないのだが、
それがそのまま出てくる事で作品の雰囲気を酷く安い物にしている感じだ。

さてこの小説のキモと云うのは中間部分でガラリと雰囲気が変わる事だ。
捨てた弟を夜市に買い戻しに来る、と云うのは確かに有り触れた展開なのだが、
そこにSF的なヒネリを加えた斬新さが評者に好印象を与えたのは良く解る。
謎の男が「バサリ」と人買いの首を切り落とす辺りの転回の鮮やかさは見事だ。
そこからSFで云う所のパラレルワールド的な男の話に成るのだが、
前半のもたついた感じが嘘の様に話が転がって行く所が面白い。
夜明けの叙情的な余韻を残して物語りは淡いに消えて行くのだが、
この作品だけだったら「まあ悪くは無いけど」と云う感じで終っていた。
何と言っても白眉なのは受賞後第一作目の「風の古道」の出来の良さだ。

受賞作同様、この話も一般にホラーと呼べるジャンルではない。
児童文学に傑作の多い、少年の異界放浪冒険譚と云うのが一番近い所か。
これも良く有る感じで始まって行きながら途中でガラリと雰囲気が変わる作品だ。
似た様な展開を見せながら、前作に比べてこの作品の方が優れている原因は、
何と言っても古道世界の豊かな描写に尽きる。
異形が跋扈する恐ろしさも有り、桃源郷の様な懐かしさも有り、
古道世界の人間たちもそれぞれの曰くの有る生い立ちを抱え、
深みの有る人物造形を見せている辺りも素晴らしい。
特に「永久放浪者」レンの、キャラの起ち方が良い。
レンの母、ホシカワ、コモリ、レン、と連なる因果の糸が、
旅の途中でするすると解けて行く感じは何とも言えぬ面白さだ。
児童文学なら旅の経過で、少年の成長が描かれる訳だが、
古道から戻った少年は、古道での日々が総て曖昧なあわいに帰ってしまう。
今も消え行きながら存在している筈の古道を時に幻視する、
甘い寂寥感漂う終り方も、余韻を残す良い終り方だ。

「夜市」も「風の古道」も共通する世界観を持った異界の様だが、
作者は今後、この別世界の拡張に挑んでみては如何だろうか?
道先を案内するのは、勿論水牛の引く車に乗った「永久放浪者」で・・・

さて下の写真はもしかしたら作者はここで「古道」のヒントを得たのではないか?
と云う気がしないでもない、小金井に有る「古道」で有る。
作中でも少年が迷い込む場所は小金井公園と云う事に成っているし・・・
ちなみに道沿いの民家の玄関がこの道の方に向いてはいない、
などと云う事は無い・・・・

koganei

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2005.12.01

ブラザーズ・グリム

カルト大作「未来世紀ブラジル」で御馴染みのテリー・ギリアムによる、
実に7年振りになる劇場公開作品にして、題材はグリム兄弟。
しかもグリム兄弟が所謂「妖怪ハンター」として活躍する話と来ては食指が動く。
奇怪なビジュアリストとしても知れるギリアムの作品を是非劇場で!
と思って出掛けた訳なのだが・・・・
一言で言ってギリアム特有の「あくどさ」が薄いなぁ・・・と云う所か?

監督の名前で観に行く人間にとっては、あの「黒い冗談」センスを期待する訳だ。
悪趣味すれすれの、と云うか悪趣味に片脚突っ込んでいる様な表現に、である。
勿論、所々にそう云うやり過ぎ描写が差し込まれていてニヤリとするが、
観終わった時に感じるのは「結構普通の映画だったな」と云う感覚なのだ。

映画雑誌に載っていたギリアムのインタビューを読んだのだが、
やはり今回は予算の事も有り、かなり己を抑えて制作に挑んだ様だ。
ギリアムといえば必ず制作サイドと一悶着を起す事で有名な監督だ。
そのお陰で超大作だったドン・キホーテ映画が頓挫した訳で、
流石に長期に亘って干されていた事で慎重に成らざるを得ない状態だったのだろう。
それでも何だかんだと制作期間が2年にも亘ってしまったのだからギリアムらしい。
本来なら主役のマット・デイモンの鼻を特殊メイクで潰そうとしたり、
時代背景に合わせて俳優の歯並びを変え汚す事まで考えていたそうだ。

さて肝心の内容だが中世を舞台にした妖怪ハント物と云う事で、
何処と無く「ヴァン・ヘルシング」に似た様な雰囲気に成って居る。
とは云えグリム兄弟は基本的にボケと突っ込みの詐欺師だし、
特殊な能力や強力な武器も持ち合わせていない。
出てくるクリーチャーはラスボスの「鏡の女王」も含め余り斬新な物ではない。
直立する狼など、もう一工夫欲しかった所だ。
しかし中盤に出てくる泥人間「ジンジャーブレッド・マン」は最高だ。
軟体動物の如くヨタヨタ歩きながら潰れたり変形したりと悪趣味で良い。
悪趣味と言えば余り存在理由が解らないズラ男「カヴァルディ」の手掛けた、
自称「芸術の域まで高められた」拷問機械の数々も無意味にでかくて笑える。
「天井桟敷」の芝居に出てきそうなシュールさ極まる機械だ。
どだい逆さ吊りした人間の頭に透明な箱を付け、
その中に無数の蝸牛を這わすって、それほど効果の有る拷問か?
そんな拷問機械の餌食に成るのが、誤って飛び込んだ子猫だと云うのも笑う。
そして頬に付いた子猫の肉片を舐め取り、フランスの将軍ドゥラトンブが漏らす、
「ん、レアだな。」の一言が実にギリアム的な感じだ。

グリム兄弟を主役に使っている関係上、
その辺の有名な童話ネタが幾つも話に散りばめられている。
モニカ・ベルッチ演じる「鏡の女王」の元ネタは、
シンデレラの継母だったり、眠れる森の美女だったり、
「アイアン・メイデン」で有名なエリザベス・バートリーの複合技だそうだ。
森に迷い込み生贄にされる少女のエピソードには赤頭巾ちゃんが混入している。

余談だが赤頭巾モチーフの映画化作品では、ニール・ジョーダンの、
「狼の血族」が文句無しに、イマジネーションに溢れた傑作だと思うが、
あの暗く優美で複雑な作品と比べてしまうと、
こちらはどうしても健全なハリウッド印と云う感じは否めない。
まあしかしマーケット的にはこう云う作品が望まれるのだろうが、
興行成績的にはどうだったんだろう?

果たしてギリアムは完全復活を遂げるのか、また逼塞させられるのか・・・?

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