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2006.01.29

狗年快樂,恭喜發財

2006-16

明けましておめでとう御座います。
農暦を信奉する亜細亜圏の皆様、如何御過しでしょうか?

しかしもう春節かぁ・・・早いもんだなぁ。
今年は例年に比べると春節の時期が早いもんで、
元宵節に間に合う様に香港に行けそうに無い。
今年は時計台の下で元宵節の提灯飾りは復活しただろうか?
酉年の去年は工事していて飾り付けが無くて淋しかったからな。

昨年と同じに成るが申年の時の提灯飾りの画像を載せよう。
なんせ今年は月9で「西遊記」もやっている事だし、ナイス・タイミングだろう。
仙桃から飛び出た斉天大聖の子供たちが非常に可愛い。

でわ今年も良い年で有る様に!

monkeyday

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2006.01.26

マヂック・オペラ/山田正紀


平成のミステリー界に漆黒の伽藍を打ち立てた山田正紀の「ミステリ・オペラ」。
そこで生み出された、探偵と云うより歴史の闇に起ち表れる超絶的存在にして、
「検閲図書館」もしくは「検閲映画館」とも呼ばれる男、黙忌一郎。
その黙忌一郎が還って来た。
昭和十一年二月二十六日、払暁に銃声の轟く雪原の帝都に。

巻末を見ると「ミステリ・マガジン」に連載されていた作品なのだそうだが、
全然その事を知らなかったので年末に書店で見かけた時にはひどく驚いた。
生頼範義による最高に味の有るカバー画も同様に、
前回の満州と同様、昭和史を彩る2・26事件が舞台とあっては胸躍る所だ。
しかもいつからそんな壮大な計画に成ったんだか知らないが、
これが昭和史を探偵小説で描く「オペラ3部作」の内の2作目なんだそうだ。
う~ん凄い事に成ってるなぁ・・・

さてそれでは「マヂック・オペラ」は如何な物だったかと言えば、
それはもう山田風太郎の明治物に肉迫する様な荒唐無稽さで、
消化不良を起しそうな位、様々なガジェットが詰め込まれた作品だった。
あとがきで本人も述べている様にこれはかなり山田風太郎を意識している。
作家の鹿島茂が山田風太郎の明治物を、
「時代背景や人物と云うアナグラムを用いた歴史の別解である」と解いていたが、
まさにそれはこの小説にも当て嵌まる事。
この小説の様な事件が有ったと云う様な事実は無いし、
実在した人物同士がこの様にして出会っていると云う事実も無い。
しかし羅列された事件や人物は確かに有った事であり存在した物である、
「もしかしたら」こう云う事が有った(かもしれない)と云う可能性は、
絶対に否定出来ない事なのだ。
その虚実のあわいの中に歴史的な人物がくり出すニアミスが、
話を面白くしているのである。
作者があとがきに「江戸川乱歩の昭和史」を書きたかったと有る通り、
作中には様々な形で乱歩の名作が見え隠れする。
そもそも帯のタタキ文句からして「検閲図書館Vs怪人二十面相」なのだ。

今回、話の狂言廻しに成る警視庁・特高の志村が黙忌一郎に観せられるのが、
前衛的な手法で撮られた(公開されていない映画)「押絵と旅する男」。
事件の鍵を握る奇怪なナチュラル・ボーン・アクターな男、
遠藤平吉を称しての「空気男」、そしてその後のペルソナと成る「怪人二十面相」。
その遠藤の暗躍に拠る物か自身のドッペルゲンガーに怯える芥川龍之介の「歯車」。
世相の不安な空気と相まって、その様相を一瞬にして変える街の有様を、
その時代同じ場所をうろついていた萩原朔太郎の「猫街」の上に重ねたりする。
そもそも特高・志村の二つ名からして「小林多喜二を殺した男」だったりするのだ。
そうした同時代の文学作品を散りばめながら2・26事件に関った軍人達、
そしてかの阿部定までもが事件の陰に姿を表す。

前作「ミステリ・オペラ」でも強烈な印象を放っていた、
北一輝さえ操っていた怪人・占部影道は今回もスケールの大きい悪役振りである。
次回作「ファイナル・オペラ」では多分検閲図書館との最終決戦が見れそうだ。
或る意味権力側に属していながら香具師や博徒を手足の様に使う黙忌一郎だが、
その理由の一端と成りそうなのが鉄火肌の美少女、猪鹿のお蝶。
お蝶の下で暗躍する粋な男・伊沢、そして特異な技能を有した渡世人達。
今回の魅力的な敵役である、憲兵隊・貴族非常駐特別班、通称「狐」。
その首魁である雷鳥白のキレたキャラクターも最高だ。
まじめなミステリー・ファンならその余りにも活劇チックな登場人物や、
見得を切らんばかりのキメに決まった盛り上げ方に鼻白む向きも有ろうかと思う。
しかしこのクサいまでの盛り上がりが探偵小説の醍醐味と云う物だ。
トリックの奇矯さとキャラ設定だけで書き切っている昨今のミステリーでは無く、
風呂敷を拡げるだけ拡げて無理繰りそこに押し込んで行く様な力技と、
突っ込みどころ満載ながら何時までも愛すべき存在の探偵小説なのである。
前作は舞台設定と宿命城の存在から映像化は難しいと思われたが、
今回の作品なら脚本と演出の処理のし様によっては映像化が可能だと思う。
勇気有る、もしくは大作の企画をお捜しのプロデューサーは如何だろうか?

ただ今回の話は主に活劇に主眼が置かれていてミステリー的な要素は希薄だ。
何せ事件らしい事件と言えば「乃木坂芸者殺人事件」だけなのだし、
その結末にした所で余りピンと来る様な解決では無い。
況してやそれが隠蔽されるに到る理由に到っては余りにも牽強付会な感じがする。
大元の2・26事件の真相が有ってそこに無理やり挿入されたと云う感じだ。
なのでミステリー的な部分を楽しみに読むと結構腰砕けるかもしれない。
まあその分話の起伏は大きいし活劇としては最高に面白いのだが・・・

読後、書店のカバーを外して生頼範義の書いた表紙絵をもう一度眺めてみる。
公開当時「スター・ウォーズ・帝国の逆襲」のポスターを担当していただけに、
氏の書く表紙絵は非常に映画的な物だ。(それを意識しての起用だろうが)
作中の印象的な出来事が一つ一つ表紙絵に曼陀羅に組み込まれている。
その中に最終決戦の場面の黙忌一郎の奇異な黒色の軍服姿が描かれている。
それを観ながらふと思った、もしかして黙は第三帝國の・・・・

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2006.01.23

響鬼・最終の巻

毎週楽しみにしていた「仮面ライダー響鬼」が昨日で終了した。

「仮面ライダー」と銘打たれてはいるが、
響鬼ほど仮面ライダーから隔絶した存在は無かった。
先日次回作である「仮面ライダーカブト」のお披露目で、
歴代ライダーが勢揃いしてのフォトセッションが有ったそうだが、
そこに居並ぶライダー達を観て見ても響鬼だけは完全に造形が違っている。
前任プロデューサーの数少ない談話を見ると、
当初はライダーを意識して制作していなかった様である。
今更その特異点を一つ一つ挙げて行く様な事はしないが、
そう云う従来のライダーではない要素が自分の様なヒネた視聴者を惹き付けた様だ。
結局「仮面ライダー」と云う中心点を外れようと意図されながら、
様々な要素で近付いたり離れたりを繰り返す奇妙な味の作品に成った。

響鬼を語る時に避けられないのは制作陣の交代による作風の変化だ。
今では前期後期に別けられるその時には、一部ネットでも騒然と成った。
ただ前情報が無かったから、その時点で左程作風が変化した様には感じなかったし、
共感出来そうにも無い新キャラやOPのナレーションの有無に反応した位で、
「情報が無かったらそこまで過敏な反応するか?」と云う感じだった。
しかしその後確かに作風の変化は加速して行って、
従来的のライダー的なテイストに戻って行ったのは確かだ。
ただ原理教的に初期を崇拝する程ではないので後期にも良い所は多かったと思う。
特に師弟関係の描写は後期の白眉なエピソードだった。
威吹鬼とあきら、斬鬼と轟鬼、響鬼と明日夢に京介の関係には考えさせられた。
そう云う点では一年通しての話のぶれは少なかったとは思う。

ただ前期との違いを出そうとしたのか後期に登場して来るキャラや設定が、
尽く尻つぼみや尻切れに終っていたのがどうにも釈然としない物が有る。
傀儡を皆殺しにしてまで出した童子と姫の最強体は作中の本人達の言葉ではないが、
「我々は一体何の為に生まれたのか?」と言わざるを得ない物だし、
京介が漏らしていた謎めいた言葉もさっぱり作中に影響して来なかった。
そして最高に思うのが「結局オロチって何だったのさ?」と云う奴だ。

とは云え観終った今感じるのは、本当に面白い番組だったと云う事だ。
間違い無く、後々に語り継がれる作品に成るのは間違い無いと思う。
番組を観ながらいつも思っていたのが、あの愛すべきキャラ達を使って、
ちょっと本筋からずれた様な外伝を作ってみたいと云う様な欲望だ。
キャラが見事に起っていたお陰で、少し変なシチュエーションを与えれば、
キャラが自ずと動き出してしまうほど、良いキャラ達だったと思う。
製作者側も、演じた役者側も素晴らしい仕事だった。

「もう少し観ていたい」と思わす所で終るのが華、
と主役の細川茂樹が言っていたが、確かにそうなのかも知れない。
けれどもう少し観たかった・・・やっぱり・・・

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2006.01.21

酔狂道新春第弐勝負

setugen

あああぁぁ雪だ!

4時ごろから降り始めて、あっちゅう間に雪原に成っちまっただ。
昔は雪降るととりあえず足跡は付けに行きたくなる性分だったが、
駄目だ、寒くて外に出る気がせん・・・ゴミも出しに行けん・・・

酔狂道を極めようとするならここは一つ「雪見」な訳だが、
江戸時代の古川柳「柳多留」の中にも一首有る通り、
「雪見とは  あまり利口の  沙汰でなし」である。

ここは一つ温い部屋で外をぼんやりと眺めたり、
温い布団に入って雪ならではの静寂を楽しむのがオツと云うもの。

受験生の皆様、仕事に出掛ける皆様、ご苦労様です。
おやすみなさい。

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2006.01.14

女王蜂

遅ればせながら録画して置いたドラマ「女王蜂」を観た。

その職人技が冴える作品群にて「探偵小説」の面白さに目覚めさせられ、
その絢爛にして陰鬱な映像作品にて「和的な怖ろしさ」を知らされ、
或る意味現在の趣味性の一端を型創った思い入れの有る横溝正史作品だけに、
ここ何年かのビデオ映像による軽いテレビ作品にはかなり違和感が有ったのだ。
しかし近頃の作品とも成れば余りにも個人的なイメージから懸け離れ過ぎて、
或る意味パロディの様に気軽に眺められる様になった。
なにせ金田一耕助が稲垣吾郎である、コントかコスプレってなもんだ。

更に今回個人的なキモとして栗山千明の出演が挙げられる。
最初に「栗山千明、金田一耕助物に出演決定!」と云うのを知った時、
栗山千明がばっさばさと人を殺しまくる様を思って「おお!イイ」と思った訳だが、
作品が「女王蜂」と聞いて、はてそんな役有ったか?と首を捻ったりした。
そしたら案の定、栗山千明は美貌のヒロイン役だったりした。
で、まあどんなもんかいな?と云う感じで観始めた訳だが、
これがまた予想外に素晴らしかったりしたので非常に嬉しい誤算だった。

栗山千明はかつて「妖怪大戦争」の時にも書いたが、
「人外」とか非現実的な役を演じた時こそ一番輝くと常々思っていた訳だが、
そう云う意味では今回の大道寺智子・琴絵の二役は素晴らしく非現実的だった。
中盤、歌舞伎座に演目を観に行く件で升席の真ん中を歩く智子に、
居並ぶ客が感嘆の声を上げて注視するシーンが出て来るのだが、
もう正に「人外」の美貌が歩いている様で恐ろしく非現実的な画面だった。
またその場面の紅いドレスや舞踏会用の白のドレス、
琴絵の回想シーンに於ける艶やかな着物姿等、目を見張るほどの非現実さだ。
舞踏会で及川ミッチーと踊るシーンなど正に漫画並みな画面の華やかさである。
あのパッツンとした前髪と漆黒の長髪、恐ろしいまでの首の長さ、
感情が余り表れない表情等、人間と云うより人形の様な美しさである。
美しいとか可愛いとか演技が上手い言うのなら他にも沢山の女優が居るが、
やはり存在感だけで異界へ連れて行かれる様な非現実感の持ち主はそうは居ない。
既に探偵小説の多くは今の基準からすれば大いに非現実的な訳だが、
それ故にドラマに多く出ている様な薄い役者の手に掛ると途端にペラペラに成る。
そう云う意味で五郎ちゃんの金田一など特にプランも無く癖で演じているだけで、
何処からどう見ても吾郎ちゃんのコスプレと云う風にしか見えなかったりする。
詰る所、荒唐無稽な話を現実と繋ぎ止めるのは役者の肉体と存在感でしか無い訳で、
「演技っぽくない自然な演技」等と云う物とは真逆の、
嘘を真にさせる存在感とでも云う物がこう云った作品には必要だと思う訳だ。
そう云う意味で「現実離れした謎めいた美女」と云う演出に見事適っている所の、
栗山千明の存在感は実に素晴らしかった。
更に推理上の仮定と云うシーンでは有るが、栗山千明が月琴片手に、
男の頭をカチ割る等と云う素晴らしく嗜虐美溢れるシーンも有って良かった。

他のキャストにしても概ね、探偵小説的なケレン味がよく出ていたと思う。
ちょっと見ない間に非常に貫禄が付いた石橋凌の悪人振りも面白かったし、
短い時間ながら静謐で哀しみ溢れる役を淡々と演じた手塚理美も悪くない。
あと個人的に文彦をやっていた、かなり昭和な顔の子役がツボだった。
イガグリ頭のガキ大将顔も少ないが、ああ云うお坊ちゃん的な顔も今では貴重だ。
上手い所をキャスティングしたとニヤリとした。

映像は例によって軽いが随分と美術が頑張っていた様に思う。
劇中で横溝が金田一に「これ新刊ね」と言って差し出す「八つ墓村」が、
東京文藝社が出していた「金田一耕助探偵小説選」の箱装本だったりする。
あの小道具の箱の部分だけ欲しいと云う古書マニアは多かろう(笑)
横溝正史役を劇中に導入するのはこのシリーズの常の様だが、
さほど効果が感じられなかったりするのだが、
その分脚本はコンパクトに上手くまとめられていて中々見事だった。

さて大和映画で復活した角川春樹だが、ここらで金をが~んと掛けて、
自身の出発点である金田一映画でも作ってくれんもんかなぁ・・・
もちろん金田一耕助は吾郎ちゃん以外でね。

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2006.01.10

コウマス賛歌

Comus01


昔から無理解な現実に突き当たると、私はよくあの深い森に出掛けた。
ブルーベルの群生や咲き乱れるラベンダーの野原を抜けると
オークやトネリコが生い茂った深く暗い森が現れる。
昔は迷子に成るから危ないと入る事を禁じられていた場所だった。

短い夏の木漏れ日が下生えに複雑な彩りの影を落とす。
踏み出すと気付いた様に逃げ出す足元の虫の名前を、
ジェフリー兄なら答えられるだろうか?
「こんな陰鬱な森ばかりの所に居ても何も変わりはしないよ」
ジェフリー兄はそう言って大きな街に出て行った。
肩まで髪を伸ばした男の人がカラフルな衣装を身にまとって、
自由な自分を謳歌している事ぐらい「森ばかりの所」に居る私でも知っている。
ヴィクトリア朝の頃から変わらぬ暮らしを営む日々に倦む事は勿論有る。
けれど見知らぬ街に出る事で何かが劇的に変わる物なのだろうか?
近頃、街に多く居る筈の長髪の若者達をこの辺でも見掛ける事が増えた。
彼らは決まってクラシカルな衣装をまとい、自然の美しさを賛美する。
街に出て何かが変わるのなら何故彼らはこんな田舎にやって来るのだろう?
それは幼い私には解らない事だ。
ただ私はこの深い森と同じ様に都会の深みも怖ろしい。

啄木鳥の鳴らす音に混じって太鼓の音が聞こえて来たのは、
丁度朽ち掛けたドルイドの石盤が残っている沼の辺りだったろうか。
ケモノ道を踏み分けて沼に近付いて行くと弦楽器と供に歌声も聴こえて来た。
木の間に水面の反射が見えて来ると同時に音楽もはっきり聞こえて来る。
沼の畔の開けた場所に幾人かの長髪の若者達が座り込み、
誰に聞かせるでもなく森に沁み込む様な演奏を続けていた。

不思議な音楽だった。
森にやってくる若者達がギターで爪弾く様なかそけき繊細な音とは違う。
妙に足許が湧き立つ様な躍動感の有る、呪術的とも言える様な旋律、
優美と云うより荒々しいフィドルとフルートの音色も奇妙だった。
気が付くと金髪の美しい女性が眼の前で微笑んで居て、
彼女は無言のまま私の手を取ると彼らの輪の中に招き入れた。
彼女以外の5人は全員男性で長髪だったり髭面だったり様々で、
私の方をチラリと見ただけでそのまま演奏の手を止めたりはしなかった。
驚いたのは歌を唄っている男性の個性的な歌声だった。
妙に甲高く耳障りで演劇的なのに耳に付いて離れない。
呟く様に、吐き捨てる様に、溜め息付く様に、太鼓の音にまとわり付き離れ、
そこに金髪の彼女が濁りの無い美しいコーラスを加えると、
怖ろしく蟲惑的で躍動的な歌に成るのだ。
聴いた事も無い曲なのに自然と足がリズムを刻む。
歌に混じる禍々しいフレーズが気に成らない訳ではなかったが、
木々を揺らすかの様なフィドルの響きや、森を突き抜けるフルートの絶唱に、
時間の感覚を喪失したかの如く聴き入ってしまった。

気が付くと辺りは深い闇に閉ざされ、眼の前には赤々と揺れる焚き火が有った。
手にはカップに入れられた温かな飲み物が握られていた。
口に含むと甘ったるいミードにレモンを混ぜた様な奇妙な味がした。
何時頃からこうしているのだろうか?
夏の日は長いから随分こうしているのだろう、しかし一瞬の様な気もする。
相変わらず続いている呪術的な奇妙な音楽と濃密な夜の森の気配、
焚き木の爆ぜる音もアドリブの様に闇に沁み込んで行く。
音の調子が一段と上がり、掻き鳴らされるギターの音や太鼓の音、
憑かれた様な男の歌声と霧の様にまとわり付く女の声が熱を帯びた。
焚き火の明りが一心不乱に演奏する彼らの顔に複雑な彩を見せる。
それはまるで異形な色彩の仮面を被った楽士の様だった。
何処かでこんな仮面劇の話を聞いた事が有る。
古の邪な神々の話。
森の奥で、世にも妖しく奇妙な音楽を奏で、
迷い込んで来た処女(おとめ)を我が物にする醜い邪神。

眼の前の焔が一層高く跳ね上がった。
闇に深く沈む木々が俄かに明るく映し出される。
そこに・・・・
木々の隙間にあの大きく陰鬱な顔が垣間見えた。
深い皺をたたえ、痩せこけた、醜い顔が・・・・

コウマス、コウマス・・・・

背中を押す様に合唱が一段と高くなる。
抗えない、朦朧としているのに酷く澄んだ意識のまま立ち上がった。

コウマス、コウマス・・・・

闇の中で私を抱きしめるのはこの深い森なのか、それとも別の物なのか?
恐れながらずっと魅了されていた深い闇に身体を投げ出す。

甘美な戦慄きが、今私を突き抜ける・・・・


コウマスは70年代の頭くらいに活動していたイギリスのバンドで、
形態としてはアコースティックなフォークやトラッド風のバンドである。
しかしそこから奏でられる音楽は唯一無二と言える奇妙な妖しい音楽で、
歌う内容も、狂気、磔、邪神崇拝、死姦等の暗黒な内容だ。
意外にポップでは有るのだがコマーシャリズムの欠片も無い内容に、
当然売り上げは振るわず解散状態に、しかし74年に暫定的に復活。
2ndアルバムを発売するもこれも黙殺され永久の闇に沈んだバンドである。

始めて聴いたのは「Dawnレーベル」のバンドが一斉にCD化された時で、
噂には聞いていたがその内容の素晴らしさに狂喜したものだ。
その後2002年にビクターから限定で紙ジャケ化されたが、
シングル曲をボーナス・トラックとして収録するでもなく、
例の分厚い厚紙状の紙ジャケで不満が残る代物だったのは確かだ。
それが突然去年の秋に2枚組みの「Complete Collection」が発売された。
1st全曲とマキシ・シングルの全収録曲のみならず未発表曲まで入り、
2nd全曲の後には中心人物ロジャー・ウートンのソロ曲まで入っていると云う、
正にコンプリートと呼べる作品で必死に輸入盤を入手に走った。
そしたら今度はストレンジ・デイズ・レーベルから2ndが紙ジャケ化、
更にアルカンジェロからは前回再現されなかったインナーも復刻し、
しかもマキシ・シングルを別ジャケで再現した1stも再び紙ジャケ化。
ビクター盤に比べてジャケの発色や細部が奇麗でいい仕事の作品だ。

と云う訳で新世紀の今、再び暗黒の邪神が日本で目を覚ましたと云う訳である。
さあ今こそ供に歌おうコウマスを称える「コウマス賛歌」を・・・

Comus02

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2006.01.08

深大寺に鬼太郎ハウス

jindaiji

昨日友人と会った折、彼の新車で深大寺に出掛けたのだが、
いきなり門前に鬼太郎の家が有って驚いた。

一体、鬼太郎と深大寺に何の関係が有るのだろう?
等と思って調べてみたら水木しげるが調布に住んでいる、
と云う縁で深大寺に作られているそうな。
実は結構有名な観光スポットらしいと言う事をそれで知った。

商品を見るとつい裏のタグを見てしまう習慣から置いて有る商品の裏を見てみたら、
鳥取県の境港に有る「妖怪舎」と云う所が手掛けているらしい。
おお、水木先生の地元の地場産業な訳か?
ついでに言えば、ここ深大寺の鬼太郎茶屋もそこが経営母体だそうだ。

そこの茶屋には鬼太郎グッズの他に御菓子系のお土産や、
奥で茶菓子をいただけるコーナーも併設されていて、
「目玉おやじの栗ぜんざい」「塗壁みそおでん」等と云う、
キャラにちなんだメニューも供されていて大勢の人で賑っていた。
しかしそう云う商品開発だの販売だの規模の大きい展開をしていると云う事は、
必ず大きな広告代理店も絡んでいる事だろう。
凄いなぁ・・・妖怪も産業としてすっかり定着してるんだなぁ。

そう云えば去年の夏くらいからタワーレコードの「目玉」キャンペーンに、
万寺タツヤ・・・もとい水木しげる先生の描いた、
ヘッドフォンをした目玉親父が使われていたりしたが、
今年の正月も目玉親父がキャンペーンキャラに使われていて、
3ヶ日には目玉親父のストラップを配っていたりしたそうな。
(2日の夕方にタワレコへ買い物に行ったのにもう品切れてやんの(>_<)
確かに幅広い年齢層に有効なメジャーなキャラだもんなぁ。
去年辺りからまた妖怪がキてる様な感じだし、また代理店が仕掛けて来るのか?

・・・等云う事は一切考えずに深大寺の境内を散策した。
ウん十年前に来たっきりで「あれこんな賑やかな所だったか?」と云う感じだが、
やはり松の内だからだろうか、境内の茶店が賑やかで良い。
何か地方の観光地の如き感じで非常に和んだ。

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2006.01.03

酔狂道新春初勝負

新年だ!

新年といえば普通初日の出だろう。
いや、初日の出なんであるからして、今年も出掛けて行った訳だよ。

週間予報に元旦が入ってくる辺りから天気予報をチェキっていたのだが、
しっかと「曇り・雨」マークが1日2日と出てたりしてウンザリした。
しかし気象庁が当てに成らない事はここ何年で甚だしい状況だし、
どうせ行ってみねえと解るまい、と云う感じで大晦日を迎えた。

今年で通算二十四回目の初日の出なのだがとうとう初回の状態に戻ってしまった。
と云うのも歳を重ねると供に酔狂に付き合う連中が欠けていったのだ。
一人付き合ってくれる酔狂者が居たのだが、今回インフルエンザにて撃沈。
まあそう云う訳で連続酔狂記録を更新する為、
凍て付く明け方に一人走り出したのだった。

とは云え珍しく予報通り上空に暗雲が垂れ込めている様な状態で、
日が昇る方向には厚い雲がどしっと構えていた。
流石に一人で海の方まで行く様なガッツも無いので、
せいぜい風景の開けている河川敷の辺りに出掛けて土手に座り込んだ。

天気が悪いと云うのに割りと人の出が多い。
何が目的なんだが解らなく成ってる中坊達が犬の様に転げ回っていた。
あの頃から酔狂暮らしが始まったのだな、と遠い目で眺めるも、
一向に日が昇る気配が無い。
周囲はそこそこ明るくなり諦め顔の人々が河川敷を後にする。
雲間から覗けるかも知れないと執念でその場にしゃがみ込んでいたが、
既にダダ冷えの缶紅茶を煽るも寒々しく、今年はこれで仕舞いと腰を上げた。

そんな訳で新年1発目の酔狂は見事不発に終った。
まあしかし好いのだ、酔狂は結果より心意気に有るのだからして。

「初春や 道ぞ険しき 酔狂道」 お粗末。

hinode

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