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2006.08.31

應蘭芳/歓喜歌謡完全版

Ohranfan01


全国のお色気歌謡ファンの皆様、残暑厳しい折いかが御過しでしょうか(笑)
そんな暑さを吹き飛ばす様な素晴らしいアイテムが発売されましたよ!

例えば以前ここでも紹介した「谷ナオミ」や「池玲子」等は、
ニューソウルで言えばカーティス・メイフィールドの「スーパーフライ」や、
マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーング・オン」に匹敵する名盤な訳だが、
映画での実績等を知らない人間に聞かせるにはやや難がある。
谷の場合は所謂「語り」物だし、池の場合は下手な歌にバックの音の一つとして、
悶えが強引に重なるだけで、「歌謡」としては少々心許ない作品だったりする。
では「お色気歌謡」って何?と聞かれた時、ドラえもんが四次元ポケットから、
「ハイどうぞ」と差し出せるアイテムは何なのか?
「ドラえもん!夏の暑さで弛緩し切った男を元気にするお色気歌謡を出してよぉ!」
「・・・・ハイ!應蘭芳!!」ってなもんである。

お色気歌謡の紙ジャケ化が始まってから常々欲しいと思っていたアイテムが、
應蘭芳の作品集だったりしたのだが、それが無理だと云うのも解っていた。
何を隠そう應蘭芳は4枚のシングルしか出しておらず、
アルバムと云うものは制作されて居なかったのだ。
それだけに今回の発売の話を聞いて、何をどうするんだ?と考えた訳だが、
全シングルに、所謂ラウンジな演奏にエッチな語りの入ったムード物の作品、
「ピンク・ムード・デラックス」から應蘭芳の語りの部分だけを抜粋、
しかも終盤に今年に録音された最新のイイお声まで収録されている。
更に94年に行われたデビュー30周年イベントでのライブ音源、
更に更に、解っている男・横山剣率いるクレイジー・ケン・バンドによる、
「Oh!LangFung」と云う新録も含まれると云う盛り沢山な内容に成っていた。
ゲイトフォールで展開される應蘭芳の艶姿も素晴らしい1枚なのである。

さて何はともあれこの中の1曲「渚の歓喜(エクスタシー)」を聴いて欲しい。
自分が最初に聴いた應蘭芳の曲は「幻の名盤開放同盟」の作品集に収録されていた、
この曲だったのだが、正しく衝撃を受けた1曲だった。
この曲は初主演作品の為に歌った「火遊びのブルース」のB面な訳だが、
「火遊びのブルース」は青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」を意識した、
ため息を効果的に使い「夜な雰囲気」を演出するお色気歌謡である。
そのA面の路線を更に先鋭化させた作品が「渚の歓喜」だと言えるだろう。
名盤開放同盟のアルバムにて、應蘭芳の歌にこの様な解説が成されている。
「声が全裸である」「声帯そのものが性器である」と、正に正鵠を得た表現だ。
歌詞を見れば解るが特に扇情的な言葉が使われている訳ではない。
ムード歌謡なら常套とも言える様な使い回しの言葉が並ぶ。
「恥ずかしいの」「痛い」「だめ」「好き」「いや」等など、
しかしこれがひとたび應蘭芳の口から発せられると途端にピンク色に染まる。
母音を極端に強調した洩れる様な呟きは小波の様に押し寄せ高まり消えて行く。
解っている人間には解る、しかし解って無い人間をも納得させるその力業、
例え小学生が聴いても察せずには居れない生物の根源の如き魔力である。
ロリだの萌えだの、昨今大勢を占めるそう云う未成熟なエロとは対極の、
酸いも甘いも噛み分けた、解っている大人の解り合えない性愛の世界がそこに有る。
同様にお色気歌謡をコンパイルする場合、そこに必ず含められる筈な、
名曲「ドラマチック・ブルース」も実に素晴らしい。
フルートとベースがユニゾンで入って来る淫靡なイントロから、
サム・テイラーの如きねっちょりしたテナーサックスが蠢くトラックにのって、
トーキング・スタイルな應蘭芳の語りが炸裂するブルース・ナンバーだ。
曲の展開に合わせて緩急織り交ぜた自在な語りが演出するクライマックスが見事だ。

勿論中には自らの出自を感じさせる「チャイナタウンの夜」の様な、
ある意味普通のエキゾチックな歌謡曲も歌っていたりするが、
そんな曲の中でも淫靡な溜め息が織り込まれている所が面白い。
CKBの「Oh!LangFung」もおまけ的な楽曲にしては悪くない出来だと思う。
本域のCKBはレゲトン風だったりR&B的だったり、昨今の音処理で聴かせるが、
ストレートに録音された楽曲に昔のいかがわしさが感じられて非常にイイネ!

所で應蘭芳と言えば自分の世代で言えば「マグマ大使」のモル夫人なのだが、
石井輝男の異常性愛路線作品等にも出ていたらしい、気付かんかった。
しかしまあ篤実なお色気ファンならば、やはり「プレイガール」と云う所か?
「プレイガール」も長く続いた作品だし、隠れて観ていた関係上、
何処に出ていたか記憶が曖昧な所が残念だ、あの作品も全部見返したいなぁ・・・
さてライナーを読んで始めて知ったのだが、何と應蘭芳は女優・歌手でありながら、
レーサーとしてA級ライセンスの持ち主であり、オートバイもあやつり、
スカイ・ダイビング連盟の理事も務め、スキューバ・ダイビングも得意だと云う、
陸・海・空を制覇し、しかもお色気満点と云う峰不二子並みの女性なのだそうだ。
應蘭芳をトリビュートしたCKBの名曲「ハンサムなプレイボーイ」ではないが、
これは正しく「ハンサムなプレイガール」と云う奴ぢゃあないか!

凄いぞ!應蘭芳!!

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2006.08.24

過ぎ行く夏に想い出すあの映画

え~加減、夏の暑いのには飽きて来た。
早く枯れ色の秋が来て欲しいもんだと切に思う。
しかし夏には夏ならではの季節の良さは当然の様に有る訳で、
個人的には晩夏の日暮れ時の一瞬がたまらなく好きだ。

昼間の喧騒を残しつつ、打ち水された路地を子供達が家路に付き、
気の早い連中が始めた花火の音が遠くで聞え、
それと供に凪いだ風に乗って盆踊りの音がしたりする。
蝉が最後の営みに精を出し、それよりも大きく聞える虫の鳴き声、
葦簾の向こうから漏れる明りとテレビの音、夕闇に沈もうとする街。
余り馴染みの無い筈の街でそう云う光景に出くわすと、
不思議と妙な郷愁を感じる・・・・そんな刻がたまらない。

たまらないと言えば映像作品の中でもたまらない夏の要素が有る。
それが「真夏の男の子と女の子、プール、入道雲、自転車、教室」等々だ。
それらが映像の中に描かれた作品には無条件でやられる。
何故やられるかは簡単だ。
そんなエヴァーグリーンな学生生活にはこれっぽっちも縁が無かったからだ。
体験して来なかったからこそ、そう云う物に無条件な憧れが有るのだろう・・・

例えば映画「バタアシ金魚」。
高岡早紀の初々しい水着姿と、筒井道隆の怪演でお馴染みな作品である。
当時ヤンマガで連載していた原作が余りにも異常で大好きだったから、
勿論それを期待して映画に出掛けた訳だが(あ、勿論高岡早紀の水着もね)、
良い意味で予想を裏切る真っ当な青春映画で感心したもんだった。
そしてそこで展開されるさっきの様な「ツボ要素」の数々に、
改めて自分がズルズルに弱い事気付かされた訳だ。
跳ね上がる水飛沫に溶け合う真っ青な空とプールの青、
真っ当と云うよりはかなり異常な少年と大人に成り掛けな少女、
夏の夕方の空を走る平塚のモノレールとそれを追う自転車、
しみじみする!いや~もうしみじみしまくるシチュエーションだ。

「そ~云うのって割と定番なシチュエーションぢゃない?」
という意見は当然有る訳だが、これが余り普通の恋愛物だとそうでも無いのだ。
若干ひねくれた状況にそう云う定番的シチュエーションがハマる、と云うか、
余り普通に「真夏の恋」をやられると逆に白ける部分が有ったりする。
まあ単純に個人的な趣向の問題なんですけどね。

そして例えば短編テレビドラマ「大人はわかってくれない」の一本、
「1992年のバタフライ」もそう云うツボ要素にハマった忘れられない作品だ。
「大人はわかってくれない」は「世にも奇妙な物語」の時間枠の後番で、
「奇妙」に対して泣ける要素のドラマを主軸にした番組だったが、
秀作の多い「奇妙」に比べると凡庸な作品が多く記憶に残らない番組だった。
しかしその中で唯一異常な輝きを見せた作品がこれだった。
但しこの作品、前述のツボ要素の条件と微妙に異なる部分が有って、
それは舞台が「冬」だと云う事だ。

真冬でロクに活動も出来きない高校の水泳部の連中の話なのだが、
とにかく全員ボンクラ揃いで、しかも異常に弛緩し切っている。
何日間人と口をきかずに過ごせるか実験している奴や、
水泳部への思いを形にする為に常に競泳用パンツを穿き続ける奴、
女の子に「やらせてくれ」と頼むも、常に変な試練を課せられ、
それを疑いもせず淡々とこなす奴(あ、これは山本太郎です)等々、
高校時代のクラスの何処かに居た様なボンクラ揃いで嬉しくなるが、
一番弛緩し切っているのは、今を時めくSMAPの稲垣吾郎。
もう生命力ゼロでずるずるでぐだぐだな日常を過ごしている。
そんな吾郎ちゃんが俄かに息を吹き返すのは、
つみきみほ演じる古本屋の少女に訳の解らないアプローチをする時だけだ。
しかしその古本屋の少女も同じ様に退屈で弛緩していて・・・

特に事件も無く、無為に過ぎる日々、そんな毎日に思い描くのは、
何もかも蕩かす様に降り注ぐ太陽と水飛沫が眩しいあの夏の日々・・・・
閑なのに濃密で、熱狂を求めているのに何処か冷めた学生の日常が、
何も劇的な事が無い故にリアルに可笑しくそして懐かしく胸に迫る、
そんな逆説的な描き方で夏の「熱さ」を表現している所が秀逸だ。
どんよりとした冬の晴天や寒そうな部室、冷たい雨が降る場面が続くのだが、
それ故にラストのプールの青さと水飛沫が「夏」を強烈に印象的付ける。
実際番組も人気無かったから観ている人は少ないだろうが、
何せSMAPの出ていた作品なだけに、もしやの商品化は望みが無くもない。
そう言えば同様に「奇妙」の後番でこちらも左程面白くなかったが、
「If~もしも」の中の一本で岩井俊二監督作なだけに商品化もされている、
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も結構ツボだったなぁ・・・

そしてそう云うツボ要素の最終兵器とでも言うべき作品が邦画以外で現れた、
それが台湾映画の「藍色大門(日本題・藍色夏恋)だ。
これは正にタイミングとしては見事に現地でしかも初日に観た作品だった。
当然前知識など何も無く、ただ久し振りの純正台湾映画だな~等と思って、
何の気無しに観に行ったのだが、これがもう・・・・やられた。
余りに良かったんで短い滞在期間でもう一度観に行ってしまったほど。
見事なまでにエヴァーグリーンで、心地良いほどにツボを押してくれる作品だ。

鋭く脆いイノセントさを形にしてスッと起たせた様な短髪の女の子、
ボンクラだけど芯の強い優しさを秘めた真っ直ぐな男の子、
それぞれを演じたグイ・ルンメイとチェン・ボーリンの二人が瑞々しい。
チェン・ボーリンは今や日本映画や香港映画にも出演する人気者だが、
この作品がデビュー作でありこの頃はまだ普通の素人だった訳だ。
同時にグイ・ルンメイの少年と少女を行き来する様な危うさと、
時に見せる妙に大人びた眼差しが不思議に透明でハッとさせられる。
日本公開に合わせて二人揃って来日してその映像も見たのだが、
もう既にこの頃のイノセントな雰囲気は感じられなかったりする所に、
本当に微かな一瞬をフィルムに刻み付けた作品だと実感する次第だ。

話は良く有る三角関係の話なのだが、そこに微妙な仕掛がされている。
主役の少女の戸惑いは女性なら何処と無く思い当たる所も有るのではなかろうか?
所詮この頃の男がどんなに背伸びをしても女の子には敵わないと云う部分は、
男として非常に良く理解できる。
正直、前述のツボ要素は当然諸外国の作品にも当て嵌まる要素な訳だが、
それに感情移入出来るかどうかはそれに抱く郷愁度も重要な要素な訳で、
ボンクラな学生だった自分がハリウッド映画に郷愁を抱けない様に、
やはり邦画でなければこう云う感覚は無理なのか?と思っていたが、
流石は台湾!異国なのに一々場面のそこかしこに郷愁がビンビン突き刺さる。

猥雑なプールサイド、何処かに似ている海岸、夜に沈む街、
友達が好きだという相手を覗き見る為に相手のクラスをうかがう階段の踊り場、
先輩達の落書に混じって思い出を書き付ける体育館の裏の柱、
好きだった相手を忘れる為にノートに何度も書き付ける芸能人の名前、
そう云う場面の一つ一つがここぞとばかりに幾層も胸に染み入って行く。
そして象徴的に何度も繰り返される自転車に乗った二人のシーン、
最初の出会いで抜きつ抜かれるする信号の場面、
夜会う為に街灯の下を学校へ急ぐ場面、並んで押しながら公園を歩く場面、
そして出会いの時と同様に走り抜ける男の子の背中を見つめるラストシーン、
そこに重なる夏の終わりと、ある時期の終わりを予感させる台詞、
全力疾走ではためく男の子のシャツが終った後も眼に焼きついて離れなくなる。

「真夏の男の子と女の子、プール、入道雲、自転車、教室」
総てがそこに有り、そこに刻み込まれた傑作である。

実際舞台の台北では自転車よりもスクーターの方が遙に多くて、
自転車通学の高校生など余り見掛けたりはしないのだが、
それでも自転車に拘った監督の思い入れは評価できる。
現地で映画の主人公達と同じ年齢の連中と一緒に見れたと云うのも良い思い出だ。
細かい内容は解らない物の、映画に反応する部分が色々見れて面白かった。
しかも読めもしないのに映画のノヴェライズとか買って来ちゃったし・・・↓

Bluegate01


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2006.08.17

ユーライア・ヒープの紙ジャケ

Uriahheep01


さて久し振りに紙ジャケのコーナーだ。
今回は6月から出始めた「ユーライア・ヒープ」の中からご紹介。

ヒープが紙ジャケで出るのは多分これで2回目だと思うのだが、
前回との違いは大量に収録されたボーナス・トラックであろう。
しかしまあ良くこれだけアウトテイクや未発表音源が残されているもんだ。
「魔の饗宴」などは元の収録曲数が8曲なのに対してボートラが9曲も入ってる。
そんなお得な状況についつい財布の紐も緩むと云う感じである。

・・・とは言っても、なんだかんだと有名な所を三枚ほど買っただけだが・・・・
今回購入したのは「対自核」「悪魔と魔法使い」「魔の饗宴」の三枚。
しかしこれ、パープルで言えば「イン・ロック」「ファイアー・ボール」、
「マシン・ヘッド」の三枚を買った、みたいな超鉄板買いではある。
今回のヒープの再発は前回されなかった後期の作品も紙ジャケ化されている。
それこそベースを抱えた渡り鳥、ジョン・ウェットンが居た頃や、
ジョン・ロートンが歌っていた頃なんかを紹介出来ると「シブイ」感じなのだが、
まあ余りヒープを知らないと云う人向けの企画と云う事で(^_^;
(しかし俺は毎回誰に弁解しているんだか・・・)

ヒープと言えば欧米では、Zepやパープル、サバスに匹敵するビック・ネームだが、
どうもその辺のバンドと比べると「伝説」的な要素に掛けるバンドでもある。
リッチーやペイジの個性に比べると、ギター・ヒーローとしての、
ミック・ボックスの影が薄いと云う話が何処かに載っていたがそれも確かに有るし、
メンバーの顔や名前が即座に出て来ない様な印象の薄さもある。
例えば「対自核」と同じくらい有名なウッシュボーン・アッシュの「アーガス」。
ジャケは思い出すだろうが、そこでメンバーの顔が出て来るか?である。
テッド・ターナーとアンディ・パウエルって持ってるギターで区別してません?
まあそう云う余談はさて置き・・・

しかし改めて聴くとやはりヒープはスケールの大きい良いバンドである。
何よりも楽曲のストレートな明解さが光っていると思う。
ヒープと云うとどうしてもゴリゴリなハード・ロック的なイメージが強いが、
「魔法使いと悪魔」や「魔の饗宴」等はバラエティに富んだ楽曲が、
アルバムとしてのトータリティに貢献したスケールの大きさが光る作品だ。
コンセプト作と云う訳ではないので共通したモチーフは無い物の、
アルバムの中の起承転結が解り易く、プログレバンドの様な難解さは余り無い。
まあしかしやはりキモは「対自核」のタイトル曲、
「魔法使いと悪魔」の「安息の日々」、「魔の饗宴」の「サンライズ」等の、
アップテンポでキャッチャーなハード・ロックナンバーだろう。
押し寄せる荒波の如きハモンドの唸りとギターのリフが絡み合う冒頭から、
分厚いコーラスが荘厳さを加える明解なサビの部分まで、
ついつい足がテンポを刻んでしまう完成された楽曲の素晴らしさには唸る。
「対自核」のラストに挿入されたアフロ・バンド「オシビサ」の太鼓隊による、
呪術的な熱狂を誘う、うねる様に高速なパーカッション・パートが最高だ。
かつてソウル・ファンでお馴染みの志村けんが「好きだ」と明言していた、
「6月の朝」の、スケールの大きな物哀しい叙情的フレーズも美しい。
志村けんの話からも、かつてこの曲がプロコロ・ハルムの「青い影」とか、
ムーディー・ブルースの「サテンの夜」の様に、
洋楽好きの耳に普通に浸透していた事が知れると云うものだ。

さて紙ジャケとしての出来だが今回も非常に素晴らしいクオリティだ。
特殊ジャケの一種としてお馴染みな「対自核」の鏡面ジャケだが、
解像度の高い紙により鏡としてのクリアさが際立っている。
三作品供に内袋もそれぞれしっかりと再現されているのも重要なポイント。
「魔法使いと悪魔」や「魔の饗宴」の2枚は、イエス等のジャケでお馴染みな、
この世界の巨匠、ロジャー・ディーン先生の作品だと云うのは有名だが、
同じディーン先生の作品でも作風の違いが楽しめる作品に成っている。
「魔法使いと悪魔」は水彩画を使った文字通りファンタジックな作品で、
ロジャー・ディーンの作品としては最もイメージに近い画風だと思う。
対して「魔の饗宴」の方は中央の戦士の描き方が、
何処かフランク・フラゼッタの描く人物に似ている様な感じもする作品だ。
水彩画の淡い画面に鮮やかなエナメル絵の具の紅を配した構成が見事で、
見開きの中間を横切り背後の崖と同化して紅く描かれる怪人の姿も印象的だ。
ディーン先生の手掛けたジャケ画の中でも最高峰に位置する1枚だと思う。
ちなみに「対自核」に参加したオシビサのジャケもディーン先生だったりする。

内容の良さ、見開きジャケの美しさと、紙ジャケの醍醐味が味わえる、
ユーライア・ヒープのアルバムをあなたも是非!(笑)

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2006.08.08

安徳天皇漂海記/宇月原晴明

Hyoukaiki


宇月原晴明を知ったのは実はつい最近の事だ。
「安徳天皇漂海記」が出版された折に東雅夫さんのブログで見掛けたのが最初。
澁澤龍彦の「高丘親王航海記」を髣髴とさせる傑作と云う言葉に興味をそそられた。
まあ何せタイトルがタイトルなだけにそれを読まなくても髣髴とさせられる訳だが、
流石にそれだけで購入に到るほど裕福では無いので記憶に留め置く程度だった。
それが俄かに気に成りだしたのはやはり本作が山本周五郎賞を受賞してからだ。
で、宇月原晴明と云う名前が気になって本屋で概作を探してみた、
そこで手に取ったのが当時文庫化されていた中の一冊「聚楽-太閤の錬金窟」だ。

いや、参りました、打ちのめされました、凄過ぎでした。
古川日出男を始めて知った時にも感じた感覚だが「凄い奴って居るんだな」である。

「聚楽~」は所謂伝奇小説である、しかも凄まじいまでのケレン味に溢れた。
話は秀吉が天下統一を成した後、関白と成った秀次が闇に暗躍、
しかもその裏には何とヴェネツィアから流れて来た異端の伴天連の影が、
壮麗な聚楽台の下に秘密裏に築き上げられた邪悪な錬金窟(グロッタ)、
見目麗しい乙女達を攫って行くと言われる「殺生関白」と呼ばれた秀次の牛車、
信長の幻影に取り付かれ、奇妙な思いで結ばれた秀吉と家康、
京洛の闇で凌ぎを削る蜂須賀党と服部党の忍者たち、
そして異端者を狩る為に現れるイエズス会異端審問組織「主の鉄槌」等々、
ありうべからぬ歴史の闇に刻まれた正しく「オカルトの万艦飾」な傑作だ。

とにかくそのスケールの大きさに唸らされるのはまず必定。
作者のデビュー作をイメージさせるアンドロギュヌス的信長と相似形のお市、
その二人に魅せられた若き日の秀吉と家康の姿がひどく新鮮だが、
同時に話は同様な思いに魅せられた異端の碩学ポステルをも描いて行く、
しかもポステルの思いの源泉は、何と青髭公ジル・ド・レイとジャンヌ・ダルク。
その歪んだ異端の実験の場に選ばれるのが秀吉の天下成る大阪なのだ。
正直、過去に飛んだり現在に戻ったりの慌ただしさが読み難かったりするのは確か。
入れ違う主観の描写も読み手を少々混乱させる部分ではある。
しかし緻密に織り込まれた、歴史に描かれぬ「有ったかも知れない」創作と、
実記を準拠とした「記された」事実のあわいの見事さは正に伝奇小説の醍醐味だ。
しかもそこにオカルト好きならたまらない「異端カタリ派」が登場する訳だ。
過去にキリスト教の分派として、グノーシス主義を源流に持ち、
しかしマニ教的な善悪二元論を信奉しそれによりローマカソリックに目を付けられ、
異端審問によりアルビジョワ十字軍を向けられ殲滅させられた異端カタリ派。
その流れを継承したポステルの導く異端の秘術が、聚楽台の地下で花開く。
その謎を追う家康が放つ服部党の凄腕の乱破(忍者)平六、
そして平六と奇妙な連帯感で結ばれる「主の鉄槌」の伴天連ガーゴ。
二人が忍び込んだ地下で繰り広げられる秘術を尽くした闘いには燃える!
それだけでもクライマックスに十分な分量なのに話は家康の天下統一まで続く。

とにかく恐るべき知識量と素晴らしい大風呂敷な話にページを繰る手が止まらない。
冒頭の感想に戻るが只々「凄い奴って居るんだな」である。
そんな訳で完全に宇月原晴明に魅せられて早速「安徳天皇漂海記」を手に取った。
所がこれがまた「聚楽~」の邪悪で極彩色な世界とは趣の違う、
非常に淡い幻想味が横溢した叙情的な作品だったのが驚きだった。

壇ノ浦の合戦で死んだと思われていた安徳天皇が実は生き延びていて、
追っ手の手を逃れ、流れ流れて流浪の漂海・・・みたいな、
阿呆が事前に想像した与太話など及びも附かぬ奇想が今回も繰り広げられる。
この話には1部と2部で一見関係の無い、別々の語り手が登場し、
安徳天皇を中心に話が紡がれる。
一人は鎌倉幕府最後の将軍にして和歌の素養深い、三代将軍源実朝。
そしてもう一人は西洋と東方を橋渡しする稀代の旅人、マルコ・ポーロである。
何故己が係累を滅ぼした相対する源氏の末裔と、
日本へは来ていない筈のヴェネツィア出身の探索者が重なり合うのか?
そもそも一門と入水した筈の安徳天皇は生きていたのか?死んでいたのか?
宇月原晴明は、そこに恐るべき仕掛を用意した。
安徳天皇が携えていたのは有名な三種の神器だけでは無かったのだ。
天孫降臨の折に天照大神が孫神を包んだと謂われる真床追衾(まとこおうふすま)、
安徳天皇はその琥珀の玉の様な真床追衾に包まれ生きながら眠り続けているのだ。
眠り続ける安徳帝を担ぐ幻術を使う天竺冠者は、都から鎌倉へ帝を運び込み、
安徳帝を実朝に託そうと江の島の洞窟に安置する。
しかし夢の中に表れる安徳帝はかの崇徳帝の如く恨みを呑んだ怒れる神だった。
真床追衾と供に帝が持つ神器、塩乾珠・塩盈珠(海幸彦・山幸彦のアレですね)、
その力により潮が引き、現在の様に地続きと成る江の島に始まり、
頻々と鎌倉に起こる天変地異、そして安徳帝に魅入られた人々の死。
誰もが知る史実上の最後に向けて実朝が取ろうとした行動とは?

そして話は鎌倉から、中原の覇者クビライ・カーンに率いられる元の大都、
華南の果ては広州、そして南宋最後の皇帝が逃げ延びた南の島へ。
都を追われた南宋の幼帝と安徳帝の夢の中での交感が何とも云えぬ情感で迫る。
この二人の哀しい末路を辿った帝同志を導き合わせるアイデアは秀逸だ。
そして恨みを呑みながら解脱の境地に達したと言われる高丘親王の下へ・・・
そこまで読み進めて来たからこそ、ある種のリアリティを持って展開される、
極彩色の幻想に彩られた荒ぶる悲哀と仄かな安らぎが交差するラストの場面まで、
これまた一気呵成に読み切ってしまう巧みな手腕に唸らされる1冊だ。

「安徳天皇~」のひとつ前の作品「黎明に叛くもの」もつい最近文庫化された。
ちょっとした小箱の様な分厚さだが、ケレンに満ちた邪悪そうな話でそそられる。
それにしても恐るべし宇月原晴明!
次はどんな奇想でもって大風呂敷を拡げてくれるのか?
次作を待つ愉しみの有る作家がまた一人増えて嬉しい限りだ。

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2006.08.03

響きの調べは終らない

Carry


放映終了から半年経っても、相変わらず響鬼アイテムが賑やかだ。
そう云えば昨年の今頃は例の騒動で大変だったなぁ・・・・
等と思い出しつつ書き連ねて行こう。

まずはDVDの最終巻「12の巻」が出た。
他の作品と比較した訳ではないので何とも言えないが、
最終巻にして特殊パッケージの登場と相成った。
まあ特殊と言ってもブックレット収録用のバインダーが添付されているのだが、
店頭で手に取った瞬間ムラムラと物欲が疼いて来る。
しかしDVDを揃えている訳でもないのでバインダー持ってても無意味なのは確か。
CDの様にDVDを入れられるDAキャリーケースでも付いてたら・・・う~む。

さてお次は続々とリリースされるSICの響鬼フィギュアの2回目、
「響鬼紅」と「轟鬼」のパッケージだ。
これ前回の時に書いたが、当初購入を見合わせようとか思っていた。
いや、響鬼の方は前回のリデコ・バージョンと云う事に成るだろうし、
同じ弦の使い手なら轟鬼よりも斬鬼の方が欲しかったから、
まあ3回目の「威吹鬼&斬鬼」の方買えば良いか?位に考えていて、
6月末の発売時に特に緊急で探さなかったりしたのだ。
所がフィギュア誌の記事に紹介されていた中身の或るアイテムを見てから、
これは買わなくてはイカンと猛烈に物欲を刺激されたのだ。
そのアイテムが写真にも写っているDA(ディスク・アニマル)用のキャリーケース。
シビれる・・・なんちゅうシブイ物を入れて来るんだ・・・
「猛士」のステッカーや細かいマーキング等が無いのは残念では有るが、
蓋を開ければちゃんと中にディスクを入れられる様に成っている細かさが泣ける。
ちなみに蓋に乗っている緑大猿は一緒にエアギターしてくれる轟鬼の持ち物だ!

さて本体の方だが轟鬼は例の如く原作と殆ど変わりは無い造形だ。
まあ正直さほど弄り様が無いのはしょうがない所だが、
もう少し雷神っぽいイメージなどを取り込んでも良かったのではないかと思う。
そう云えば驚いたのが轟鬼のバックル部に当る音撃震・雷轟の所に、
何かプラスティック状の物が付着しているのでバリか?と思って見てみたら、
何と雷轟にトレモロ・アームが付いてるではないか!
「嘘?」とか思って写真集見直してみたらちゃんと本物にも付いていた・・・
アーミングを効かせているシーンなど無かったので気が付かなかったが、
そこまで楽器として再現させていたのか・・・と、認識を新たにした次第で。
その轟鬼の武器・烈雷は剣撃モードから音撃モードへと変形する優れもの。
ずしりと手に重い金属感とギミックの軽快さが非常に良い。
轟鬼に関しては斬鬼と戦っていた時の「戸田山変身体」にする為の零式や、
太鼓祭りの時の斬鬼伝来の緑色の撥と太鼓も付属しているのもニクイ。
勿論豊富な手のパーツには戸田山御得意のVサイン用の手も付属している。

紅は予想通り同じ原型を使っているが一部が赤のクリアパーツに成っていた。
赤の色味は劇中に比べると幾分暗くまるで血の色の様だ。
付属品では音撃棒の鬼石の部分が炎状に変じた物、剣状に変じた物が付いた。

今回も例によって弄くっているとパーツがポロポロと外れて行く状態なので、
全く持って遊ぶには適さない商品では有る。
しかしSICは商品の状態と云い値段と云い入手困難さと云い、
いい加減おもちゃと云う体裁取るの止めればいいのにな・・・

さて最後に紹介するのは予想もしてなかった響鬼の写真集「輝」だ。
斬鬼さんの単独写真集が出た時も驚いたが、半年も経ってまさか!と云う1冊だ。

制作発表時の笑顔が硬い栩原楽人と細川茂樹を表紙に使い、
エンボス加工で表は鬼の紋章を、裏は河原に佇む三人の鬼をあしらい、
白地に康唯子の墨太な筆文字が躍る中々洒落たデザインが嬉しい。
基本は媒体に未発表の劇中スチール集と云う趣だが、
何気に話の通りに写真を配してあったり、人物中心の編集に好感持てる。
その辺はスーツ中心の「魂」や撮りおろし中心の「鬼の肖像」との差別化だろうか?
何よりも珍しいカットに劇中場面を思い出ししみじみしてしまう。
そしてこれ大事な所は本書の80%が29話までの前半部分に集中している所だ。
こう云う本を購入するファン層を実に良く解っている編集である。

本書の中でも一番「良いなぁ~」と感じてしまうのは十八の巻の時に撮影された、
主要キャストが「たちばな」のセットの中で一同に会したカットである。
何かこ~云う雰囲気が良くてあの番組観ていたと確認出来るようなセッションだ。
例え幸運にも続篇や特別篇が作られたとしても明日夢やひとみやあきらは、
もうこの頃の顔でも雰囲気でもない訳で、勿論大人キャストも同様で、
そう云う意味でもこの一瞬はもう二度と見れないと思うと感慨深い。
少なくともリアルタイムで番組を観て楽しめた幸運を喜びたい・・・

さてまだまだ今年一杯は響鬼ネタで楽しめそうである。
9月の末頃とアナウンスされているSICの「裁鬼&弾鬼&鋭鬼」のセットは、
正しく待望のゲストキャラ大集合で何よりも早く手にしたい一品だ。
そしてわざわざ屋久島まで出掛けてそのマニア振りを炸裂させている、
東雅夫編集による究極のマニア本「響鬼探求本(仮)」がトリに控えている。
その頃に特別篇のアナウンスでも有ったらもう言う事無いのだがな・・・
Kagayaki01

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