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2006.10.29

不知夢


こんな夢を見た。

信号の先に彼女を見た時にすぐさま彼女だと解った。
現実に人を認識する時は視覚に入った者を徐々に認識して行くのだが、
夢の中ではまるで焦点がそこにだけ合っている様に彼女が解った。

彼女もすぐさま自分を認め、そこでお決まりの再会の挨拶が始まる。
自転車に乗った彼女の横には同じく子供用の自転車に乗った幼児が並んでいる。
「お子さんですか?」と聞くと「下の子なのよ」と快活に答が返って来た。
不思議な物をみる様に見上げるその子に笑い掛けると、
照れた様に母親の顔を伺ってもじもじしていた。

当時大学生だった彼女は、中学生の時の塾の講師である。
今の様な歳に成れば大した年齢差では無いのだが、当時はひどく大人の女性だった。
勉強の時以外に披露される彼女の知識は新鮮な驚きで、
少しでも大人に見て欲しくて、詰らない事ばかりを話してた事を思い出す。
そんな粋がりを興味深そうに聞いてくれるほど彼女は大人だった。

彼女が今住んでいる所は帰り道に有り、彼女とその息子に自分も同道した。
懐かしい人たちの消息をお互いに話し合いながら道を行く。

先を行く自転車に乗った息子は母との会話を邪魔するでもなく、
見慣れている様で曖昧な街を、真っ直ぐに先導してくれる。

時たま伺う彼女の横顔は見る度に中学生の頃に近付いて来て、
掛けている眼鏡さえあの頃主流だったフレームの物に戻っている気がした。

広い場所に出る。
それも並みの広さではなかった。
皇居とか天安門広場とか遙に空が開けた様な場所だった。
自転車で進む内に眼の前に巨大な唐門が現れる。
周りに見物人がぱらぱらと散らばり壮麗な様式の屋根を見上げていた。
門には達者な字で「西門」と書かれた扁額が掲げられている。

「これ西門なんですかね?」
「そうみたいね」
「じゃあ向こうに有るのが東門で、さっき通って来たのが南門かな、
ちゃんと風水の様に配置されてるんですねぇ~」
「そうなんだ?良く知っているのね」

彼女は中学生の時と同じ様に鷹揚に話を聞いて、頷いてくれている。
それが何か得意気な気分で次々と無駄な知識を披露した。
それでも彼女は時に驚きながら話を聞いてくれる。

唐門の横のブランコで彼女の子供が楽しそうに立ち漕ぎをしていた。


「それじゃあまた連絡下さい」
そう言って交換したのがメールアドレスだった事を契機に、
不意に街はビルが建て込んだ何時もの街に戻っていた。
手を振る子供に振り返しながら最後の言葉を言おうとして、目が覚めた。

食卓に座りながら、先程の夢を反芻し懐かしい思いに捕われていた。
そう云えば今彼女は何処で如何しているのだろうか?
そう考えてふと気が付いた。

彼女って誰だ?

思い返してみるだに該当の存在が思い出せない。
そもそも中学生の時に通っていた塾に女の講師など居なかった。
気が付くと眼鏡のフレーム以外の彼女の顔の輪郭が曖昧に成っていた。

彼女って誰だ?何に懐かしさを感じていたんだ?


唐門の横でブランコを漕ぐ、彼女の子供の軌跡が不意に揺らぐ・・・・

Muma01


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2006.10.26

最近買った紙ジャケ其の11

Wailers001


何気に随分と紙ジャケネタを書いていない事に気が付いた。
それなりにブログに書く様な時は緩いテーマを決めてから書いているのだが、
取り留めの無い買い物が続いていて纏まらなかったので、
今回は買い溜めてあった奴をまとめて羅列する事にする。

9月の末にユニバーサルの紙ジャケシリーズの一部がまとめて再発された。
ジミ・ヘンやフリーなど有名所が多く余りマイナーは少なかったのだが、
買い逃していた物も多々有り、この期に入手へ走った。
余談だが今回もフリーのライブは早々に店から姿を消していて、
人気の高さを思い知らされた感じだ、まあ買う予定は無かったけど・・・・

今回真っ先に狙ったのがウェイラーズの「キャッチ・ア・ファイアー」だ。
地元のマイナー・レーベルからアルバムを発売していたウェイラーズだが、
クリス・ブラックウェル率いる英国のアイランド・レーベルに認められ、
ジャマイカのいちローカル音楽だったレゲエが世界に放たれた瞬間の作品だ。
まだボブ・マーリィーのワンマン・バンドでは無く、次のアルバムまで続く、
ピーター・トッシュとバーニー・ウェイラーとの三巨頭政治時代である。
CDで流通している現行盤はマーリィーがガンジャを燻らせているジャケだが、
オリジナルはジッポライター型の変形ジャケで、ライター同様に蓋が上に開き、
発火した火口の中に盤面が納まると云う、変形ジャケの傑作である。
紙ジャケでは火口と盤面が印刷された状態に変わってはいるが、
正しくこれぞ紙ジャケにする価値が有るギミック・ジャケと云う奴だ。
このアルバムは元々ジャマイカで録音された物にオーバー・ダビングを施し、
世間に流通しやすい様にリミックスされた形で発売されたのは有名だが、
2001年にそのキングストンで録音された元の状態の音源が、
デラックス・エディションとして発売されそのレア過ぎる音が話題に成った。
音源としてはデラックス・エディションの2枚組みが完璧な物と言えるが、
やはりジャケットはこのギミック・ジャケを持っていたいものである。
ライター型の蓋を跳ね上げる度にニヤリとしてくるホビーな楽しみが有る。
ボブ・マーリィーでは後、ライブ盤の「バビロン・バイ・バス」が、
バスの窓の部分がくり抜かれたギミック・ジャケとしてお馴染みだ。

同じ時期に再発された物で買った物に、バークレー・ジェームス・ハーヴェストの
「妖精王」と「ゴーン・トゥ・アース」の2枚が有る。
これは発売されたのが去年で、「もう再発するのか?」と驚いたが、
その後何軒か店頭を探してみたら確かにその2枚は見事に売り切れていた。
これはそんなに早く無くならないだろうと買い控えていた物だけに、
再発して貰って結局助かったと云う感じのアルバムである。
バークレー・ジェームス・ハーヴェストと言えばプログレの範疇に入るバンドで、
テクニカルさを売りにする代わりに、クラシカルな叙情性を前面に出していた。
初期のハーヴェスト時代はシンフォニー・オーケストラとの共演が目玉で、
その頃はオーケストラを帯同してのツアーもしていたそうである。
その後レーベルをポリドールに変え、重厚長大な路線を整理して、
その叙情性をコンパクトにまとめ、元来のポップ風味を加えた路線に変更、
ヨーロッパでは根強い人気を誇り、アメリカでも随分と人気が有ったらしい。
「妖精王」はそんな中初期方向への揺り戻しが来た大作を含むシンフォニック路線、
「ゴーン・トゥ・アース」は逆にコンパクトな楽曲を納めたポップな路線の作品だ。

「妖精王」はタイトル通りの妖精の王を面にあしらった幻想的なジャケで、
イラストがエンボス加工で浮き上がっている所が中々の格調の高さに成っている。
対して「ゴーン~」はジャケがくり抜かれた穴開き仕様に成っていて、
装飾的に縁取られた森の茂みが複雑にくり抜かれ、その中に中袋に印刷された、
暁の日輪をバックに舞い降りるフクロウの姿が見える美しいジャケットだ。
どちらも作品世界を象徴したデザインと仕様のトータリティが素晴らしい。
「ゴーン~」のボーナス・トラックには初期の名曲、
「メディスン・マン」のライブ音源が収録さているが、
この曲はシングル、アルバムとバージョンが異なり、アルバムはオケ入りである。
ライブは基本的にヘヴィなアレンジのシングル・バージョンが収録されているが、
染み出る様に流れてくるオケの響きが何とも美しいアルバム版もかなりお勧めだ。
個人的に重厚なハーヴェスト時代が好きだが、この頃の音も実に捨て難い。

さてお次はマニア垂涎な「プリンシパル・エドワーズ・マジック・シアター」の、
国内盤再発1stの「サウンドトラック」である。
バンドの名前や下の怪しい集合写真風見開きジャケを見ても解る通り、
当時14人ものメンバーを抱えた総合芸術を標榜したグループである。
昔、クリムゾンのメンバー紹介に「詩とイルミネーション」とパート紹介された、
ピート・シンフィールドの名前を見た時にも驚いたが、
その頃にこれを見ていたらロックの範疇に入れるのに拒否感有ったろう人の多さだ。
まあ「劇団」と云うか、総合的に見せたいパフォーマンス集団と云う感じか?
イタリアのオザンナの初期なんかもこう云った感じだったのかも知れない。
当時の彼らはコミューン的な生活を送りながら活動していたそうだから、
ドイツのアモン・デュールなんかにも共通する形態だったりする。

彼らの名前を意識する様に成ったのは、偏愛するコウマスとの共通項が挙げられる。
所謂「アシッド・フォーク」とか「前衛的トラッド」と呼ばれるような一群、
まあ一群と言っても僅かな数だが、その中に数えられていたと云う理由だ。
で、聴いてみてどうだったのかと言えば、エキセントリックな所は多い物の、
左程奇異に感じるほどの音ではないかな?と云う感じだ。
ただ2曲目のハードなリフに導かれた緩急激しい暗黒な楽曲などは、
バタバタしたリズムの感じがイタリアの無名なバンドっぽくて結構良い。
ただ流石にあのコウマスと比較されたりすると少々酷な所は有ると思うが、
音源だけでは大人数製である意味が余り伝わってこない所は残念だ。
例えば天井桟敷のシーザー師の劇伴に於ける団員の分厚い合唱とか、
怒涛の変拍子に導かれたマグマのコバイア語に於けるチャントの様な、
大人数ならでは小業が効いていると違ったかな?と云う感じがする。

彼らはこの後フロイドのニック・メイソンをプロデューサーに迎え、
ジャケもヒプノシスが手掛けると云う気合の入った姿勢で2作目を制作し、
一度解散したのち、バンド名を短縮しレーベルを変えて3作目をリリースする。
バンド名を変えるのと同時にメンバーもかなり整理して、
音楽方面だけでがんばると云う決意を感じる物の、その後あえなく解散。
この3枚目はフォーク度がぐっと減り、楽曲も解り易いメロディアスな物に成り、
何処か後のモダン・ポップに通じる捻くれた感じが結構気に入っている。
リード・ヴォーカルのベリンダはリンダ・ホイルがぬけた後のアフィニティに加入、
しかし在籍時の音源も出さぬ内にアフィニティも解散と云う裏街道人生だ。

今回のユニバーサルの紙ジャケの再発と云うのは実に良い企画だと思う。
出始めの頃には余り感心が無かったが最近ハマっていると云う人も多いだろうし、
自分の様に何時の間にか買い逃がしていた、なんつう人間にも助かる企画だ。
他社も是非追従して欲しいもんですね。

Pemt001

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2006.10.19

ぼくらの小松崎茂展


Komatuzaki01


展覧会の冒頭に、作者少年時代の東京を描いた一連の作品が展示されている。
正しく「浮世」の絵と言うべき精緻な描写と叙情性が混ざり合う素晴らしさだが、
その中でもとりわけ眼を引かれたのが「汐入の渡し付近」と云う作品だ。
他の作品が風景を切り取った「スケッチ」と呼ぶべき作品なのに対して、
突然のにわか雨に遭遇した渡しの客が雨を避けて走る様が、
恰も広重の有名な「大はしあたけの夕立」や五十三次の「庄野」、
そして近代の伊藤深水や川瀬巴水辺りを髣髴とさせる物語性に溢れているからだ。
南千住の出身で、若い頃は良く散策したと云う「汐入」への想いが、
そう云う郷愁的な作品に結実したのか?ふと興味をそそられたりする。


小松崎茂と言えば多くの挿絵画家の中でも群を抜いた大家である。
また小松崎の画業は挿絵画だけに留まらず、その晩年まで多方面に及んでいる。
或る年代のかつての少年なら、誰でもその絵を眼にした事が有る筈だし、
幾度と無くその絵に心躍らされたりした筈でなのだ。
今回の展覧会のタイトル「ぼくらの小松崎茂展」にそれは如実に現れている。
逓信総合博物館と云うこれまた微妙に郷愁をそそられる会場で行われた今展は、
さほど大きな規模ではない物の、その画業を俯瞰した興味深い展覧会だった。

前にここでも取り上げた石原豪人の展覧会でも同様の感想を持ったが、
とにかく恐ろしいほどに画が巧い、なんにしろ画力が半端ではない。
万人が万人「画が巧い」と賞賛するであろう画の巧さである。
印刷された物でもその画力は伝わってくるが、生原稿の迫力はその比ではない。
書き込まれたペンタッチの一本一本から気迫が滲み出て来るようで、
その精緻な画面と満ち満ちた「画力」に、観ている内に眩暈がして来るほどだ。
なので展示された画をつぶさに観て行くと途中でかなり疲労が襲ってくる。
流して観て行けば良いんだろうが、タイトルも自分で書き込んである絵物語など、
原画と印刷を比べながら観入ってしまうのでとても流してなど観れない。
なので丁度中頃から始まるプラモデルのボックスアートを集めたコーナーが、
目を休める良いアクセントに成っていて良かった。
戦車や軍艦などのボックスアートは正しく先生の独壇場と云う感じだが、
流石に「マジンガーZ」等のアニメ物は昔から微妙に外している気がして成らない。
元々極端にパースの付いたデフォルメされた絵がロボット・アニメの主軸なだけに、
几帳面に描き込んで行く先生の手に掛ると妙にアンバランスな感じがするのだ。
まあ今ではそれもキッチュの極みとして味わい深く感じる様には成ったが。
キッチュと言えばその後に続く未来のテクノロジーを描いた作品は、
デッドテックなサイバーパンク等なんのそのな、多幸感に満ちた輝ける世界で、
例えカタストロフな描写の画で有っても、どこか明るい感じなのが面白い。
まだ未来にそれなりの希望が抱ける世の中だった、と云う事だろうが、
変な話、未来世界を描いているのに何処か不思議な郷愁を覚えたりする。
そう云うレトロ・フューチャーな所が後々注目されて、
ジェフ・ミルズやデリック・メイなどのテクノ・アーティストのリミックス集、
「Mix-Up」のジャケ画に使われたりする要因になったりする訳である。
最後のフロアにはそれらジャケ画と供に切手のカバーやメダルのデザイン画等、
最後まで旺盛に続けられた画業の最晩年を飾る作品が展示されていた。

どの作品も涎を垂らしそうに成るくらい素晴らしい展示ばかりだが、
中でも東宝の特撮美術に協力した「海底軍艦」や「地球防衛軍」には泣けた。
残念ながら世界に誇る轟天号のデザイン画は複製だったが、
その他の映画のメカニック・デザインやイカしたポスターも掲げられ、
轟天号やマーカライト・ファ-プのミニチュアの展示も素晴らしかった。
やはりあのダイナミック極まりないデザインは今こそ見直されても良い野放図さだ。
ああ云うバカ・テクノロジーが極まっていたからこそあの頃の特撮は愛おしいのだ。
その源泉も小松崎先生だったのだからその影響恐るべしである。
そして昨今の漫画原稿は掲載誌よりやや大きめのサイズで決まっているが、
先生が自分の生涯を振り返って描かれた絵物語「旭日は沈まず」の生原稿は、
驚く事に掲載誌のサイズとほぼ同サイズの原稿なのだ。
B5くらいのサイズで3つくらいに割られたコマの中に、
鬼の様に細かいタッチで微細に書き込まれた己の半生の迫力に固唾を呑む。
先生の生涯を綴った決定的な伝記本「異能の画家・小松崎茂」の冒頭に、
充血した目をホウ酸水で洗い、熱を持った手を傍らの金だらいの水で冷やす、
完徹3日目な超売れっ子時代の描写が有る。
先生はどんなに忙しかった時でも弟子に仕事を手伝わせなかったそうだ。
正に身を削り、魂打ち込んで、娯楽を当時の子供達に届けていた訳で、
それ故に生原稿から立ち昇る気迫には有無を言わせぬ迫力が有る。

しかし、それにしても平成7年の先生の自宅全焼が惜しまれる。
そのお陰でそんな気迫に満ちた生原稿や資料の数々が灰燼に帰してしまった訳だ。
それ以前に出された画集の数は僅かに4冊、それも網羅的な物ではなくてだ。
無くなってみて始めてその物の価値に気付くのは世の常、人の常だが、
小松崎茂と云う偉人の評価はようやく始まったばかりなのである。

先生は南千住に産まれ、その後谷中でバリバリ仕事をこなし、
売れっ子に成ってからは駒込は染井墓地の近くに移り住み、
結婚を期に新居を千葉の柏に移しそこでその生涯を終えた。
千葉以外はどこも自分にとってお馴染みな土地だけに何処と無く嬉しい。
もしや灰燼に帰した資料の中に谷中は山王ホテルから見た風景や、
まだ牧歌的だった染井墓地の移ろい行く季節が残っていたかも知れず残念だ。
先生の描いた風景画は「小松崎茂・昭和の東京」として纏められているが、
風俗画家としての小松崎茂の側面もこれから注目されるべき部分だろう。


「渡し」が有った頃の汐入の風景など勿論見た事は無いが、
それでもほんの10年ほど前にはまだ汐入には昔ながらの風情が有った。
武家屋敷の様な家屋から懐かしい棟割長屋、銭湯に小規模な工場、
隅田川に突き出した土地柄と云うべきか、造船場も二軒ほど残っていた。
しかし今、再開発によって汐入は根こそぎ無くなってしまった。
何もかもが浚われかつての面影は何処にも無い。
立志に燃えていた小松崎茂少年が「名を成したら金無垢の鳥居を奉納する」
と誓った神社も同様に何処かへ行ってしまった。
何もかもが無くなってしまった汐入をみたら、先生は何を思うだろう・・・


Komatuzaki02

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2006.10.12

裸電球の咲く街

Denki01


裸電球の灯りが好きだ。
夕暮れ時の見知らぬ街を流していて、片隅にふと燈るその明りを見ると、
恰も誘蛾灯に誘われる蛾の如く、ふらふらと灯りの下に彷徨い出てしまう。
今や東京の夜は殆どが白色灯の白々しい明るさに満ちているが、
東京の片隅に裸電球率が異常に高い街が有る。

釣瓶落ちの日が落ちて、辺りが一気にかわたれ刻に突入する頃、
不図迷い込んだ街の只中で、不意に裸電球の花が咲く所に遭遇した。
片隅の植え込みがいきなり橙色に染まり、脇の板塀が明るく発色する。
まるで夕焼けが焼け残りの火の粉を街に降らせたかの様に、
その暗闇に一つ、その駐車場に一つ、テレビの音が流れるその家に一つ、
灯りが燈る度に見知らぬ街が何処か温かい物に変わる。

白色灯には無い、総てを橙色に染めてしまうあの主張の強さが良いのだ。
裸電球に照らされた物は、何処か懐かしくはしゃいだ風に視えてしまう。
だから夜店の灯りは絶対に裸電球でなくてはいけない。
あの灯りの下だから、その安っぽい商品が何処か魅力的に視え、
あの灯りの下だから、その毒々しい食べ物も無上に美味そうに視えるのだから。

Denki02


大好きな谷内六郎の作品には裸電球が登場する作品がかなり多い。
「虫も浴衣」と云う作品は夏祭りの金魚すくいの裸電球に群がる蛾の姿に、
色とりどりの浴衣の模様を重ね合わせた代表的な作品だが、
中には「光の戦争」と云う裸電球と白色灯が違う色の光を競い合っている様を、
「蛍光橙の光は青白くて宇宙人の軍隊、
昔から有る電球の街灯はオレンジで色で地球の軍隊、
坊やは夜通し続く秘密の光の戦争を目撃してしまった」(表紙の言葉より)
と云う子供の幻想を絵にした作品が有ったりして面白い。
この絵が週刊新潮の表紙に成ったのは昭和43年の事だから、
その頃から裸電球に変わって白色灯が街を無機的に染めていったのだろう。

風物詩の一つとして凄く好きなのが年の暮れに成ると街角に現れる、
正月の松飾を売る屋台、と云うか簡易販売所。
白色灯に支配された街でも、あの時期に成ると一気に裸電球の花がそこここで咲く。
裸電球に照らされた松飾に、正月の賑わいと歳の瀬の寂しさを感じる訳である。
もうそろそろそんな季節も近付いて来た・・・・

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2006.10.02

演劇実験室・万有引力「ブラック・イン・ザ・ダーク」

Sibai01

「生命は互みにもつれ 運命は無限に生まる
ああ、もはやすべもなき 
奥処ではたった一つの水滴湧く ブラックインザダーク 

黒!わたし!その影により 一切のものを所有させられしもの
すなわち わたしの空間は 暗黒の領土なり  

肉体の黒 魂の黒が 夜の闇に没するとともに熾きる試練
人格喪失 自己喪失 果ては漆黒 黒に燃ゆる砂漠なり

イン・ザ・ダーク!イン・ザ・ダーク!」

ああ素晴らしい、今回も冴え渡るシーザー節。
「イン・ザ・ダーク」の輪唱が闇に溶け行く時に芝居の幕は上がる。


さてお馴染み、J・A・シーザー師率いる演劇実験室「万有引力」の新作、
「ブラック・イン・ザ・ダーク」の公演を観に出掛けた。
今回の作品は珍しくシーザー師の作品ではなく、劇団の井内俊一氏の作である。
はて如何なる舞台が繰り広げられるのであろうか?

結論から言えばサブタイトルとして掲げられた、
「暗闇に燃え上がる肉体の交響即興劇」と云う言葉に集約された様な舞台だった。

シンプルな舞台を縦横に繰り拡げられる役者達の乱舞と、
闇に浮かび消え行く躍動する肉体の蠢き、象徴的な闇と記憶のあわい、
そして高鳴るシーザー師の音楽が混ざり合い放たれる闇の熱量、
滅減する闇に溶け込んで行くような熱と冷ややかさが交差する舞台だった。
相変わらず役者達の基礎技術が素晴らしい。
抑制された動きの中にも指先まで張り詰めた神経がしなやかに躍動している。
しっかりとした発声と印象的な口跡も実に見事だ、これぞプロ!

しかし・・・それ故に余りにも破綻が無く安心して観れ過ぎる。
言ってみれば主題が暗黒なだけで良く練れた普通の商業演劇の様な感じだ。
そう云う物を目指しているのならしょうがない事だと思うけれど、
少なくとも「演劇実験室」と云う看板には反する気がするのだが・・・
もう少し冒険的な芝居が観たいと思うのは無いものねだりなんだろうか?

それからせっかく作をシーザー師以外が手掛けたと云うのに、
余りにも出て来た物が従来通りのカラーの作品だったと云うのも残念だ。
幾つもの場面で何度か強烈な既視感におそわれたりした。
劇団のカラーにそぐわない物をやっても意味無いが、
似た様な作品を提供し続けると云うのも非生産的な様な気がする。

・・・と、まあ非常に辛辣な事ばかりを書き連ねてしまったが、
それもこれもシーザー師に対する期待が有ってこそ。
来年に予定されていると云う「カフカの卵鐘(仮)」と云う新作に期待する次第だ。
ところでシーザー師の劇伴は一時のミニマル路線から、
一気にロック的なダイナミズムを持った作品に揺り戻しが来ているが、
この辺でまとめてCDかなんかにしてくれないだろうか?
テクニカルなバックの面子を集めてトータリティのある作品を創れば、
クリスチャン・ヴァンデのMAGUMAにも匹敵する様な評価が待ってると思うのだが。

乞う作品化!!

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