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2006.12.21

竹中英太郎と妖しの挿絵展

Eitaro01


近場なのを良い事に今回も会期終了間際に成って出掛けた弥生美術館、
今回は生誕百年を記念した「竹中英太郎と妖しの挿絵展」である。
確か以前にも英太郎の展覧会は有った様な気がしたのだが、
あれは松野一夫も含めた探偵小説の挿絵展だったろうか?

さて竹中英太郎と言えば探偵小説を語る時には外せない画家の一人な訳だが、
それもこれも江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作などと云う、
きらめく大看板の挿絵を担当していたからに他ならない。
特に後に作中人物である「大江春泥」の名前に執拗に拘りをみせた、
乱歩の傑作「陰獣」の挿絵は名作の誉れも高く今展の見せ場の一つである。
デッサン画の如く、紙質もあらわに淡く浮き上がった様に描かれる挿絵は、
粘着質な作品世界を何処か夢幻能の様な夢現の世界に中和してくれる。
しかしそれは輪郭が曖昧なだけに心霊写真の様な不気味さも内包するのだ。
そう云えば松野一夫が手掛けた小栗蟲太郎の「黒死館殺人事件」も
「陰獣」同様モノクロで意図的に変ったタッチの作品だったのは面白い。

対して明瞭な線で描かれた横溝の「鬼火」は恰も野芝居の舞台画の様で、
悪どく見得を切る登場人物の異形さが、独特の禍々しさを持って迫って来る。
頭でっかちで4頭身のデッサンが狂った様なその姿は、
渓斎英泉が描く花魁の様にグロテスクな奇形美に溢れている。
ペンと薄墨によって描き出される人物は今にも呻きだしそうな存在感があり、
今にも「代ちゃん、あばね」と云う作中の呟きが聞えて来そうだ。
余談だが戦前の結核療養中の横溝が手掛けた幻想味溢れる作品は大好きで、
金田一耕介シリーズしか知らない読者にはかなり新鮮に映ると思う。
今回同時期の作品で名作「真珠郎」の挿絵も公開されていたが、
(挿絵画家の名前を失念、しかし真珠郎の挿絵を見たのは初めてだ!)
それらと比べても「鬼火」の邪悪さや淫靡さは際立っている。
しかし人が作品を呼ぶのか作品が人を選ぶのか知らないが、
乱歩が悪ノリして人体損壊場面を書き散らし、後で酷く反省したと云う、
一部に大好評な「盲獣」の挿絵も竹中が描いていると云う所に何か因縁を感じる。

基本的に挿絵画家は器用に色々な画風を作品毎に書分けたりするが、
竹中もその例に洩れず、少し意外な画風の作品も残していたりする。
「鬼火」辺りだけを見れば余り画が上手くない、と思い込む人も居るだろうが、
デッサンのしっかりとした当世風の作品も多く手掛けている。
そのタッチは同世代の挿絵画家同様にビアズリーの影響が大きいが、
それを抜け出し独自の奇形美的な方向へ指向出来た事が大きかったと思う。
挿絵以外の作品と成ると戦後息子の竹中労と組んだ仕事が殆どだが、
その作品は既に竹中英太郎としての芸風が完全に現れている。
そう、あの淡い輪郭に熱帯の生き物の様な極彩色が絡み合ったあの画風である。
色彩だけを見ればサイケデリックなのにサイケなだけに陥らないのは、
土俗的なモチーフと内に孕んだ反骨の熱情がそうさせるからなのか?
映画「戒厳令の夜」の(南米の画家パブロ・ロペスの作品)と云う体で描かれた、
竹中の油絵作品が意外なほどそれまでと違和感が無いのが面白い。

しかし挿絵の展覧会でいつも思うのは展示の仕方が難しいと云う所だ。
元の絵自体が大きくないし、本文組との関係で細切れの様なカットが多い。
所謂「一枚の絵」としては少々ポイントに欠ける展示しか出来ないのが難だ。
かといって掲載誌を見開きで展示しても「原画じゃないのか?」と云う事に成るし、
もう少し間近で、タッチが確認出来る位の展示だと嬉しかったりする。

さて出来れば丸ごと竹中英太郎でまとめて欲しかった所なのだが、
タイトルに有る様に同時代の挿絵画家達の作品も同時展示されていた。
以前ここで展覧会が有った時は2度も足を運んでしまった、
「橘小夢」の作品に久し振りにお目に掛れてたのが非常に嬉しい。
今度は是非「水島爾保布(みずしまにおう)」の展覧会が見たいもんだ・・・

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