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2007.01.29

色々と微妙な「犬神家の一族」

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市川崑の新作「犬神家の一族」を観に行くのは、どうにも微妙な感覚だった。

未だ観ぬ新作で有るなら、何らかの期待を孕んで劇場に出掛ける訳だし、
お馴染みな旧作なら、お気に入りのシーン等を思い浮かべたりもするだろう。
しかし今回の作品に対してどう云う心構えで出掛けるのか、
人それぞれだろうが微妙な感覚が伴うのは誰しも共通だろう。
同一監督、主役による、ほぼ完全なリメイク作。
しかも問答無用な大ヒット作にして名作の「犬神家の一族」である。
微妙だ・・・・実に微妙だ・・・・

あの当時、角川が仕掛けた横溝正史ムーブメントはそれはもう凄かった。
まだ薄らボケな小学生だった自分の周辺も小学生なりに凄い事に成ってた。
ただまだ低学年だっただけに自分の中でブームが来るのはもう少し後なのだが、
それでもあの禍々しい土俗的な雰囲気はそこいら辺に蔓延していた。
後年、血飛沫や内臓が飛び散る様な映画を好むとは思えないほど、
当時の自分は血の出る映画や怖い映画が全然駄目だった。
そんな訳だからテレビで放映された時の犬神家の怖さたるや半端では無い。
多分フィルムとか血糊の素材の関係なんだと思うのだが、
日本映画に於ける血の色と云うのはどう云う訳かドス黒くそして粘質な感じで、
如何にも派手にケチャップの様な洋画に比べると、生理的にイヤだ。
その生理的にイヤな血飛沫がこれでもかと飛び散る画面に何度も顔を背けたし、
高峰三枝子の顔面返り血シーンには腰が砕けそうに成った。

そんな訳で少年時代の恐怖と供に彩られた「犬神家の一族」な訳だが、
物心就いてから見返すと、その格調の高さと斬新な映画術に唸らされる事に成る。
当時は割とインディペンデントな映画を中心に観ていたりしたのだが、
それとは真逆の、金を掛け重厚な俳優を配した計算された画面創りに圧倒された。
しかしそれと供に昔は漫然と鑑賞していたが、市川崑の凝りに凝った映画話法、
斬新な語り口、音楽と作劇の素晴らしさを思い知らされる訳である。
その後、数々の金田一耕介の映画やテレビ作品が作られて来たが、
個人的には原点にして最高峰の高みを誇るこの作品に勝る物は無いと思っている。
なので下手なリメイクなどされよう物なら真っ先に突っ込んでやりたい所なのだが、
これが当の市川崑の作品と来た日にゃあ・・・・微妙である・・・・

さて今回の平成「犬神家の一族」を進んで観に行く様な人間は、
多分「昭和版のあの部分が今の俳優によって如何に再現されているか?」
と云う所に興味の殆どを寄せているのではないかと思う。
なんせクオリティと話の面白さは解り過ぎるほど解っている訳だから、
そう云う所以外に観るべき所は無いぢゃあないですか・・・・・

と云う訳で犬神佐兵衛臨終の場面が始まった途端、
強烈な既視感と予想通りの展開に、ついほくそ笑みが浮かんでしまう。
キャスト的には総じて昭和版に比べて軽めの顔立ちが揃っていて、
特別誰かだけ重厚で変に目立っていると云う様な事は無いのだが、
やはり画面の重心がやや高めに浮いている感じは否めない。
犬神家の三姉妹は年齢が若く成った分、華やかだがエグみに欠けて、
青沼菊乃を折檻する場面の「白塗り娘姿」の異形さは薄れた感じだ。
期待の佐清君は殆どゴムマスクなんで特に言う事は無いのだが、
やはり青沼静馬の潰れ声は、あおい輝彦に軍配を上げたい所だ。
しかし佐清を演じている尾上菊之介とその母役の冨司純子は実の親子で有る訳で、
それが濃厚な母と子の演技をしていると云うのはなんだかなぁ・・・・である。
あと昭和版では犯人扱いの様な広告展開されている容疑者の猿蔵だが、
ハンサムな永澤俊矢だと「こいつが犯人か?」な感じがしないのが残念だ。

巨大な蛙をなでなでしながらがんばった奥菜恵は結構良かったが、
外食券が出回る食糧事情の悪い時代にムチムチし過ぎな深キョンはアレだわな。
しかしコメディ・パートの出演なので悪くは無い、
と云うかもう少し素っ頓狂でも良かったのではないかと思う次第だ。
最後に珠世役の松嶋菜々子だが、今だ嘗てあんなに綺麗な松嶋菜々子を見た事無い、
・・・・と云う位、非常に美しく撮られていた。
あれはやはり「ヒロインはここまで美しく撮る」と云う矜持の様な物だろうか?

各場面は当然全く同じと云う訳ではないが、かなり同じ様に創ってあった。
しかし昭和版を観ている時にいつも苦笑してしまう、菊人形上の佐武の生首の場面、
あれが今回も正直余り良く出来ているとは言い難い出来で残念だった。
アレもう少し何となんなかったのかなぁ・・・・いかにも造りもんだったしなぁ。
佐清君のゴムマスクの関しては質感も演技も非常に良かった。
特にマスクをはめた後、顎をくゆらせて装着感を確かめる演出は最高だった。
でもって最も残念だったのが昭和版では名場面中の名場面である事件解決後の場面。
流石に昭和版の様な古い駅舎が残っていないのでしょうがないとは思うが、
古舘法律事務所に関係者が集まって来てラストを迎える今回の処理より、
事件後の長閑さを象徴する様な、個々の場所でのラストカットが観たかった。
それでこそあの怪しかった猿蔵の「あの人忘れられない」が生きてくるのだが・・・

さてそんな昭和版に強い思い入れを抱く様な人間にも良い知らせが有る。
「犬神家の一族」のDVDがデジタル・リマスター版の2枚組みで発売されたのだ。
犬神家のソフトと言えば、まだVHSでさえ発売されていない時期に、
高田馬場に有ったイリーガルなレンタルビデオ屋で借りた、
レーザーディスクのVHS落しを更にピーコした粗悪な品を珍重していたので、
(ビデオの途中で「ディスクを裏返せ」とか出るんだよね、これが)
HDテレシネでマスターをレストアしたデジタル・リマスターの画質の良さと、
新作絡みが多いが、市川崑の証言も貴重な特典ディスクの中身の良さ、
そして縮小された当時のパンフの復刻など、待ってて良かった内容で非常に嬉しい。

「勝ったんだ!俺は犬神家に、勝ったんだぁ!」
と云う青沼静馬の末期の叫びの様な勝鬨を上げたくなりますわな。
さ、DVDで昭和版の良さを噛み締めるかぁ・・・・

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2007.01.22

朧の森に棲む鬼

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松竹と劇団☆新感線とのコラボレーションによる「新感染」の芝居、
「朧の森に棲む鬼」を観劇に新橋演舞場へと出掛けた。

演出の「いのうえひでのり」の名を取って「いのうえ歌舞伎」とも呼ばれるが、
完全に中島かずきのオリジナルだった「阿修羅城の瞳」「髑髏城の七人」に対し、
今回の作品はシェークスピアの「リチャード三世」に材をとった、
所謂、古典の翻案と云う趣の作品に成っている。

以前ここのブログでも書いたが、映画「阿修羅城の瞳」を観に行って、
「芝居ならもっと面白かったに違いない」と云う感想を抱いた事に対する、
雪辱の様な気分で今回の芝居に挑んだ訳である。(誇張あり)
で、まあ感想なのだが、もう言うまでも無いと云うか、言わずもがなと云うか、
金の掛った商業演劇の極みを見せ付けられるが如き舞台だった。

大体からして主役が古典のDNAを持って現代劇もこなす御曹司・市川染五郎である。
口跡の見事さ、立ち廻りの素晴らしさ、大舞台に映える演技の所作、
それらを合わせて更に、役柄によるギラギラした若き野卑さも加わり、
瓢げた劇頭の軽さから、邪念に押し潰される劇終まで縦横無尽である。

その縦横無尽さに緩急を付けるのが道化の相方を演じる阿部サダヲである。
前半のギャグ・パートを総て受け持っていると言っていい闊達さであるが、
後半は一転して悲哀に達観を滲ませた座頭市で話の結末を付ける。
達者と云うには達者過ぎる舞台での賑やかさは、やはり文句無しである。

運命と男に翻弄されつつも正義を貫くヒロインを演じるは秋山菜津子だ。
亡き夫を想いつつ、猛々しいモノに抗えないたおやかな女の面と、
武人の魂を鼓舞しようとする颯爽とした立ち姿を、確かな演技で見せてくれる。

そして悪徳の巷に君臨し、悪事に手を貸しつつも、最後は己の宿命に目覚める、
一種のトリックスターとでも云う様な役を、「看板」古田新太が演じる。

新感線の芝居に比べれば遥かに古典に近い作劇で、賑々しさは少ないが、
その分、古典の典雅さと格調の高さが加わっている様に感じた。
セットチェンジの間に幕や舞台に映し出される模様や映像も良い効果を見せ、
明解で中だるみも殆ど無く、子供が見ても退屈する様な事は無いだろう。
いや実にお見事、拍手喝采の舞台であった。

・・・・と云う様な事だけ書いて終っても良いのだが、
きっと何処を読んでも絶賛されているであろう、だけに、
あえて難癖を付けてみたりしちゃったりなんかするのも良いかな?

①「キンタ」と云う役柄以前に、阿部サダヲが阿部サダヲでしかなかった。
②阿部サダヲ以外が受け持つギャグパートが総じて笑えなかった。
③花道を抜かせば、舞台の奥行きを生かしていなくて舞台が単調に見えた。
④滝や雨など舞台で水を使っているのだが水を使っている効果が余り感じられない。
阿部サダヲは最高なのだが、別に役柄として最高なのではなく、
阿部サダヲが面白いだけで、それが「キンタ」である必然性が無いのだ。
そして阿部サダヲが突出して面白いせいで、舞台としては平均的な劇中の笑いが、
押並べて寒い様に感じてしまうのが難点だ、正しく諸刃の刃な阿部サダヲである。
③は演舞場の3階と云うかなり上の方から観ていたせいも有ると思うのだが、
俯瞰で見ていると殆ど前後の動きだけで、単調さは否めなかった。
舞台の水に関しては正直もう少し派手な使い様が有ったのではないか?
小屋掛けの小劇団でも遥かに凄い水芸を観ているだけに、
この規模の芝居であの程度だったら別に無くても良かったのではないかと思う。

・・・・ってな感じだが、飽くまでも難癖と云う事でひらに御容赦を。
いや~また観てぇ・・・・

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2007.01.18

萌える?「僕僕先生」

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 仙人萌えキタ━(゚∀゚)━ !!!!!

・・・・・と云う感じな1冊、それが仁木英之作「僕僕先生」である。

酒見賢一が「後宮小説」で華々しくデビューを飾って以来、
日本ファンタジーノベル大賞の受賞作品は結構マメに読んでいた。
それが或る時期から受賞作品がどうにも感覚に合わなくなって来て、
それ以来店頭に並べられた受賞作を見てもさして食指が動かなくなった。

そんな中でこの作品を手に取ったのは、やはり好みな中国古典物であり、
遥か昔に読んだ「後宮小説」の面白さを思い出したからかもしれない。

さてストーリーはと言えば・・・・(若干意訳有り)
「僕(王弁)は生活する事に意味を見い出せない22歳の男だ。
父親の財力で働かずに済む事から、ひがな一日茫洋と暮らしている。
元役人の父は当然僕におかんむりだが、少々諦め気味な所も有る。
そんな或る日、道教に傾倒する父から街外れに住む仙人に、
供物を届けに行くよう言われた。
端から仙術など信じていない僕だが、不承不承言いつけ通りに出掛けた。
仙人と言えば掛け軸や芝居などでお馴染みな白髭の老人を思い浮かべる所だが、
僕の前に現れたのは眼も醒める様な美少女で自らを「僕僕」と名乗った。
見た目は少女ながら自分でも何時からこの世に居るのか覚えていない程で、
その仙術は信じられない程の力を持っていた。
そんな物凄い仙人にどう云う訳か気に入られた僕は、訳有って彼女の弟子と成り、
江湖へ、そして仙界へ、不思議な旅を続ける事に成った。
当然の如く物事に達観した先生は、辛辣で常にクールなのだが、
一緒に旅しているとその合間に見え隠れする優しさや思いやりに気付かされる。
何時しか先生を違う想いで見詰る様になる僕。
僕の想いを受け入れる様な、はぐらかす様な、先生の態度は良く解らない。
ああ!僕の想いは一体?先生は僕をどう思っているのだろ?・・・・・」

ハイ、これ東京12チャンネルの深夜にやってるアニメの話じゃないですよ!
でもこれ完全にそう云う話に思えない?
「仙術・仙人」と云う所を「魔法・魔女」に置き換えても良いかもしんない。
無為で平凡な主人公が凄い力を持った少女に見初められるって話、
もう典型的な「萌え」パターンの話ぢゃないですか?
しかもこの仙人「僕僕」さんは明らかに属性が「ツンデレ」系な訳ですよ。
なんつっても名前がそれだけに、自分の事は「ボク」で相手は「キミ」、
主人公に対して突き放した様な事言って、凄い仙術で問題解決したりするのに、
疲れると五色の雲に乗ってウトウトとまどろむ様な無防備な所を見せたり、
妙に慈愛に満ちた態度で主人公に接したりと実にツボを得たキャラなのだ。

いや~驚いた。
ライト・ノヴェルの新人賞受賞作ならまだしも、ファンタジーノベルでこれとは!
まあ最近のライト・ノヴェルは侮れない程レベルの高い作品も多いし、
何気にこう云った風味の作品も存在しているのではなかろうかと思うのだが、
選考委員とか出版社はその辺の区別を付けようと思わなかったのかな?

まあこの様な神仙譚と云うのはそれこそ良く有る話な訳だが、
感じとしてバリー・ヒューガートの「鳥姫伝」辺りを思い出した。
勿論あの作品みたいに(良い意味でも悪い意味でも)壮大な話ではないけど、
何処か伝統的な神仙譚と云うよりファンタジー風な雰囲気を感じた。
と云うかむしろもう少しそっちの方へ弾けた方が良かった様な気もする。
作者はもう少し伝統的な中華物を書きたい様な感じだが、
資質は明らかにファンタジー方向に有る様な感じだし・・・

いやしかし、この作品文庫化する時は是非とも表紙は美少女漫画風と云うか、
ライト・ノヴェルに良く有るアニメ風のカバーにして欲しいもんだなぁ・・・・
その方が明らかに手に取る人間も多いと思うぞ。

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2007.01.14

モット・ザ・フープルの紙ジャケ

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ライナー等にクラッシュが如何にモットが好きだったかが書かれていて、
実際ライブは扇情的で会場が暴動沙汰に成る位パンキッシュだったそうだが、
やはりモットと言えばグラマラスな衣装に身を包んだR&Rバンドで、
骨太なグラム・ロッカーと云うのが1番ピッタり来る印象だと思う。

勿論グラムロック的な要素はバンドがオーバーグランドに浮上する為の、
一つの要素にしか過ぎないと云うのはその音を聴けば良く解る。
それでも転がる様なピアノの音に導かれて始まる華やかだが妙に哀愁の有る、
「メンフィスからの道」に強烈に「グラム」を感じるのは確かだ。
さて今回の紙ジャケ・シリーズは英国のグラマラスなR&Rバンド、
モット・ザ・フープルの2作品を紹介しようと思う。

今回のモットの紙ジャケ再発はユニバーサルとソニーの二社に跨っているのだが
LP時代の特殊仕様を如何に再現出来たかが、紙ジャケ購入の一つの指針な訳で、
そう云う点でこのシリーズで1番そそられる作品はソニーの「革命」である。
このアルバムは珍しい、と云うかかなり特殊な仕様で出された作品なのだ。
ジャケの表に描かれているビーナス像の輪郭部分がくり抜かれていて、
その下の透明なフィルムにビーナスの顔がプリントされている。
そしてそのビーナスの顔の陰影の部分にアルバム内側の写真が透けて見える、
と云う手の込んだ仕様でしかもポケットはゲイトフォールの内側だったりする。
この仕様は英国オリジナル盤・初版プレス限定だったらしく、
オリジナルを拝んだ事が無かったので、紙ジャケで始めてその仕様を拝めた。
ジャケの後ろ側にはこのアルバムタイトルの元に成ったらしい、
D・H・ロレンスの「正気の革命」がエピグラムの様に掲げられている。
タイトルだけだと何やらパンクバンドの如きメッセージ性を感じるが、
ロレンスの詩の訳を読めばそれが英国人らしい一捻り効いたウィットだと解る。

モットと云うとボウイから提供され、起死回生の一発と成った名曲、
「すべての若き野郎ども」と、そのアルバムが一般にはお馴染みだったりするが、
実質的に最高傑作と言えばこの「革命」を挙げる人間は多い。
バンドが最も脂の乗っていて意欲が漲っていた時期なのは間違い無いし、
何と言っても先にも挙げた珠玉の名曲「メンフィスからの道」を始めに、
ポップ極まりない「ホナルーチ・ブギ」やワイルドな「暴力」、
そして自虐的と云うか如何にも英国的な「モット・ザ・フープルのバラード」まで、
アルバムとしてのトータリティにも優れた最高の1枚である。

さてもう1枚は30周年記念盤として漸く本来の姿通り2枚組みで出された、
「華麗なる扇動者~モット・ライブ!」である。
元々1枚時代は、不満も無いが印象にも残らないと云った感じのアルバムだったが、
この様な本来のライブのオーダー通りの曲順でまとめられて聴くと、
そのパンクスも魅了されたワイルドなステージングが伺える作品と成っている。
アルバムの仕様は元々がそうなのでシングルジャケなのが残念だが、
ミニチュア化されたライブのパンフレットが封入されているのが嬉しい。
リリース当時の新譜の広告が掲載されたインナースリーブも再現されている。

さて内容の方だが、1枚目は米国はブロードウェイのユリス・シアターで、
2枚目はお膝元、英国はロンドンのハマースミスでのライブ音源で構成されている。
ミックスにより音の印象が違っていて、シャープでクリーンな1枚目に、
ワイルドで臨場感の有る2枚目と一長一短は有るが、一枚目の方が好みかな?
どちらもSEにホルストの「惑星」の中の「ジュピター」を使って始まるが、
弾き語りによる「アメリカン・パイ」から一気にローリングして行く、
「ロックン・ロール黄金時代」が、ショウの幕開けとして最高にイカしている。
「土曜の誘惑」の後にヴェルヴェッツの「スイート・ジェーン」を挟んだりして、
緩急織り交ぜた巧みな構成で聴かせる楽曲の数々に唸らされる。
2枚目のハマースミスのライブでは後半に演奏されたR&Rメドレーが聴き物だ。
クレジットには載っていないがこの時ステージ上には、
デビット・ボウイとキンクスのレイ・デイヴィスも参加していたそうだ。
ビートルズ・ナンバーを演奏しているのも面白いが、
時折「ユー・リアリ・ガット・ミー」のリフが混じる所がゲスト絡みで面白い。

正しくグラマラスでシアトリカルな雰囲気も感じさせるステージングは、
裏ジャケに掲載された人形が吊り下がるストレンジな写真でも伺えるが、
それにしてもステージに立つメンバー達のなんとフラッシーでグラマーな事か!
中央でバンドと観客を操るイアン・ハンターの堂々としたカリスマっぷりや、
シルクハットやロンドンブーツがグラマラスなワッツとベンダーの艶姿、
鍵盤模様の肩掛けに薔薇の花を刺し、蝶ネクタイでシガリロを咥え、
あみだに被ったハンチングもダンディなモーガン・フィッシャーなど、
正にロックン・ロールの黄金時代を体現する者としての矜持と誇りに満ちている。

既にこの頃からモットの緩やかな崩壊は始まっていたりするのだが、
その輝きはパンク時代まで続いていた、と云うのは何処か嬉しい話である。

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2007.01.08

S.I.C. SuperCollection Vol.2

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相も変らぬセーブされた出荷数で瞬殺具合を誇り続けるバンダイのSICだが、
去年の暮れにホビー・ジャパンの別冊でイカしたカタログ本が出版された。

以前に出版されていたSICの本がオリジナル・ストーリーに、
ジオラマを組み合わせたストーリー本だったのに対して、
今回はふんだんに写真を使った文字通りのカタログ本で正に待望の1冊だ。
なんせ注意していないとひっそりと発売され知らぬ内に店から消えてたりする、
珍獣の様な商品が多いだけに、じっくりとその仕様が眺められるのは嬉しい。
ネットや誌上限定商品等はマニア・ショップでも見掛けぬブツが多いし、
「匠魂」シリーズもフォローしてあって嬉しい限りだ。

基本的にブリスターに入った可動しないスタチュー物には興味が無かったので、
初期のキカイダー・シリーズは再発物がだぶついている今でも食指は動かないが、
石森章太郎(後年に名乗り始めた石ノ森と云う表記はどうも馴染まん)の、
原作漫画のイメージ通りに作られた1号や2号ライダーは今見ると結構良い。
そんな可動しない素体がどんどん可動範囲を拡げて進化して行く様は、
玩具の進化を見るようで中々興味深いものが有る。
ただやはり近年の商品展開を見て行くと、売れる物だから偏るのはしょうがないが、
平成ライダーシリーズが殆どを占めているのは少し残念な気がする。
実際、出来もデザインも最高ながら売れ残りまくりの「アクマイザー3」とか、
過去の余りメジャーではない作品が商品として弱いのは仕方ないが、
原型師が創りたいと言っている「変身忍者・嵐」とか、
「匠魂」では2度ほど取り上げられた「がんばれロボコン」辺りは是非欲しい。
他に昭和ライダーシリーズで作られていない「仮面ライダー・ストロンガー」で、
ストロンガーとタックルの2体セットなんかはイケる気がするのだがなぁ・・・・
次回作の「匠魂」で初登場するブローアップされた「ゴレンジャー」で、
まあ5体セットは無理として3体ずつのセット商品とかどうでしょう?

最近はメガハウスのアートワーク・モンスターズの独壇場に成っている、
所謂、敵の怪人シリーズも昔からファンが望み続けているアイテムだ。
SICならではのリメイクされた「クモ男」や「コウモリ男」を、
仮面ライダーと組み合わせて飾りたいと云うマニアは決して少なくないと思う。
特に敵の幹部クラスにはヒーロー以上にイケてるデザインの多い訳だし・・・
等と云うマニアの妄想が果てど無く続く楽しい本だ。


そして何と言っても今回最高に楽しみだったのがその片鱗はHJ本誌でも見ていた、
SIC「仮面ライダー響鬼」と「関東十一鬼」の立体化企画である。
画面による一瞬の登場と文字資料だけで創り出された「その他」の鬼達の見事さ!
これぞ正にSICの「スーパー・イマジナティブ」を体現した様な出来である。
右腕に巻かれた鎖と、金剛棒の様な音撃棒が厳つい感じの「剛鬼」、
文字資料からマタギをイメージし、山刀にライフル状の音撃管を持った「闘鬼」、
TVでも確認出来た特徴的なカギ爪に、肩に背負う音撃管が異形な感じの「勝鬼」、
そして六弦と四弦のダブルネック音撃弦でジミー・ペイジな感じの「蛮鬼」と、
何としても発売して欲しいもんだと是非にお願いしたい4体も凄かったが、
映像資料皆無の、シフト評に名前が残るだけだった「吹雪鬼」に、
やっぱり褌してたのかぁ!と云う感じの、威吹鬼に良く似たあきら変身体、
そしてTV版に比べて顔の造形も、持っている音撃弦も数段カッコいい「朱鬼」等の、
女性が変わる鬼たちの造形がこれまた素晴らしく想像を掻き立てる。
メカニカルな感じでは無く、武将の様な甲冑を纏った「戦国時代の装甲響鬼」、
なんつう素晴らしいイマジネーションの賜物の作品も有る。
とにかくこう云うフィギュアに興味の無い「響鬼ファン」も必見の内容だ。

それにしても響鬼の何がこう造型家たちの琴線を揺らすのだろう?
それはやはり目論み通り終了しなかったと云う皮肉な結末が、
自分なりのイマジネーションを挟み込める余地と成っていると云う事だろうか?
今でもあの腰砕けに終ったラスト前の「オロチ」を封印するシーンで、
窮地に陥った響鬼、威吹鬼、轟鬼の前に、颯爽と現れる十一鬼の面々を想像する。
それが為のOPでの揃い踏みで、「鬼達を集めろ」の言葉ではなかったのか?
今その消化不良な気分をSICによって少し晴らされている様な気がする。
響鬼がもし再開する様な事が有ればその時は必ずや・・・・

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2007.01.01

酔狂道・亥歳初勝負

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ポツポツと灯っていた街灯や常夜灯が何時しか消えて行くと、
空の裾野がはっきりと解る位に茜色に染め上げられ、
周囲は見るからに明るくほの暖かい雰囲気に成って行く。
やがて高低の関係か、向うの方に居る見物人から一斉に歓声が上がり、
それが雪崩の様にこちらに伝播してくる。
真っ赤な陽光が薄い雲間から顔を出した瞬間だ。
昇り始めた太陽は、完全な球形を描いてみるみる周囲を光で満たして行く。
白熱する太陽に丸いフレアが掛って直視出来なく成る頃には、
先ほどの身を切る様な寒さは薄らいでほの温かな陽の光に柔らかく包まれる。
ああ、今年も始まったと漸く実感するそんな瞬間だ・・・・


みなさま、あけましておめでとう御座います。

と云う訳で何が無くとも正月は初日の出と云う事で、
今年もこのくそ寒い中だらだらと出掛けて参りました。

ここのブログで初日の出を取り上げるのもかれこれ3回目、
個人的には通算連続二十五回目の初日の出と相成りました。

今回は天気予報でも良い初日の出が見れると宣伝していたらしく、
皆様の中でも初日の出に出掛けた酔狂者がおられるかもしれません。

さて今年の初日の出ですが、そりゃあもう久し振りに、

 すっ・・・・


 ・・・・・ごく素晴らしい初日の出で御座いました。

去年はどんよりとした曇り空、一昨年は暮れに降った雪の残るうす曇りと、
ここ何年かは初日の出者には非常にキビシい年が続いていました。
しかし今回はそんな思いを払拭させる様な完璧に近い日の出で、
正しく溜飲が下がるが如き思いで御来光を浴びてまいりました。

と云う訳で皆様今年も宜しくお願いします。

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