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2007.03.28

春の台北ツアー 其の2

台北の街を歩く時、何処かで懐かしさを求めながら歩いたりしている訳だが、
何はともあれ、ここは世界でも有数の大都会の一つ、
刻々と姿を変えてゆく大都会の常に習い、今日も街はその姿を変えて行っている。

十年以上前に始めてこの街に来た時には、何せまだMRT(地下鉄)が無かった。
街の移動手段がバスしかなく、随分と往生したもんだ。
今では日本以上の頻度で街に点在するコンビニも殆ど見掛けず、
香港の様に、路上に新聞スタンド兼本屋兼菓子ジュース売り等が沢山居た。
いまや少し渋谷の駅頭のような様相を示している西門街の広場だが、
今の誠品116の辺りって何が有ったろう。
西門に東急ハンズが出来たと思ったらすぐに無くなったりしたし・・・

在住している人間なら緩やかな変化を感じるだけであろう場所の消失も、
点と点を結んでいるだけの旅行者には突然の事の様で驚かされる。

例えば去年も触れた旧鉄路局の裏側の牛肉麺街が有った辺り。
かつての賑わいは何処へやら、まだ数軒残る店で牛肉麺をたぐった後に、
その奥の鉄路局に勤めていた日本人が多く住んでいた日本家屋街に出てみたら、
・・・・無い・・・・・・
一画が丸ごと更地に成って、急造成の公園の様に成っている。

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かつては熱帯の植物に取り込まれて穏やかに朽ちている様な静かな所だった。

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工事案内の立て札を見ると、どうもMRT関係の再開発が進んでいるらしい。
そう云えば破損が激しかった鉄路局の建物も工事様の覆いが掛けられていた。
鉄路局を取り壊すのか、保存するのかは解らないが、
駅近くのあの一角は間違い無く大規模な再開発が行われそうだ。
近年、日治時代の建物は保存の方向に有る様だから鉄路局は残りそうだが、
あの大都会の只中で緩やかに滅びかかっていた日本家屋の数々が、
一息に消えて行ってしまうのは非常に淋しい思いだ。


さて同様に劇的な変化に驚かされたのが、
昔から台北に出掛けた折には外す事の出来ない場所、八徳路の「光華商場」だ。
光華商場が無くなると云うのは結構早い段階で聞いていて、
その後近くの場所で仮営業していると云うのも知っていた。
しかしこればっかりは聞くと見るとじゃ大違い、
実際その場に立つと、余りの変わり様に何とも言えぬ気分になった。

当初思ったのが、単にあのカオティック場所が防災上とかの不備で取り壊しに成り、
その近くにビルでも建ててテナントを収容するのかと思っていたのだ。
だから単純にあの高架下の部分が閉鎖されているだけなのかと思っていた。
無いのである・・・・・高架下どころか高架自体がスコーンと消えているのだ。
そこに在るべき物が消え去り、あっけらかんとした空間が拡がっているのだ。
正直、しばし唖然としましたなぁ・・・・

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新しい光華商場は元の場所の隣に有った公園の更に奥の方に、
5~6棟の白い建物に分散されて健在だった。
片側の2棟が上階のPCパーツや筐体、サプライ品を売っていた店舗群で、
反対の3棟?が下階のDVDやCDに古雑誌、ピーコ品を売ってた店舗群の様だ。
棟に別けられている為に、昔の様に閉鎖的な迷路を回遊する雰囲気は薄いが、
変わらぬ賑わいと昔と同じ様なテナントの配置にニヤリとさせられる。
古雑誌屋の店先では、籐椅子に寝そべったお馴染みのジジイが、
禁煙だっちゅうのに不機嫌そうな顔で煙草を燻らせていたりして笑った。
何軒かそれらしき店が消えている様な気がするが、見落としただけかも知れない。
アングラな雰囲気は薄れたが、ほぼ滞りなく何時ものままでちょっと安心した。
この場所でこのまま営業を続けるのか、果また何処ぞに移るのか定かでない。
しかし割としっかりした建物なのでこの状態で営業続けるんだろうなぁ・・・・

帰りにまた元の場所に出てみたが、開けきったこの空間から、
あの薄暗く活気の有った高架下を思い浮かべるのがもう困難に成って来ていた。

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2007.03.24

春の台北ツアー 其の1

さて、今年も例年の如く台湾に出掛けてきた。
いつもは秋口に出掛けていたのだが、今年は訳有って春節後に相成った。

この時期に行くのは2度目で以前は本当に春節のど真ん中に出掛けた事が有る。
禁止されているのに街のあちこちで響き渡る爆竹の音を聞いたり、
龍山寺で参拝客にお年玉を配る李統輝を観掛けたりと面白かったのだが、
何せ店は殆ど閉まっていて観光客には甚だ不便な時期であった。

今年は既に春節から一月以上も過ぎているので、
その手の雰囲気はもう残っていないだろうと思っていたのだが、
真っ先に出掛ける台北の古刹「龍山寺」で提灯飾りを発見した。
提灯飾りは、大体春節から元宵節までに掛けて飾られる物なのだが、
今年は地域の記念事もあって3月の末まで飾られているらしかった。

正面には鳳凰の飾りなどが付けられ、前庭には目出度い鯉や金魚の飾りも!
そして勿論今年の歳男、猪悟能先生が眼を光らせてこんにちわだ。

Buta01

この辺は如何にもな中華テイストで香港でもお馴染みな物なのだが、
これが本堂の袖楼の辺りに出てみるとぶっ飛んだ提灯の数々に度肝を抜かれる。

まずは中華圏でも特に人気の高い「青いネコ型ロボット」が登場!

Dora01

そしてお次は同じネコでもサンリオ謹製の「リボンを付けたネコ」!

Neko01

ネコどころでは有りません、なんと「向日葵の種が好きなハムスター」も居ます!

Hum01

げっ歯類仲間ではこれはヤバイ、版権問題に成ると国を盾に文句言ってくる、
人間様のリーダーを自称する「タキシードを着たネズミ」らしき姿がそこに!

Nezumi01

電気ショックで子供を昏倒させた実績のある「ポケット怪獣」も光ってます!

Pika01

そして極め付けは宇宙人の軍曹殿が敬礼しているんであります!

Keroro01

ど派手な中華テイスト溢れる寺の色彩の中、
善男善女が絶え間なく捧げる線香の煙に燻されながら揺れる異形な提灯たち・・・
いきなり頭っから素晴らしいモノを喰らわされた感の有る台北の春でした。

以下しばらく台湾ネタ続きます・・・・

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2007.03.17

エレクトリック・ライト・オーケストラの紙ジャケ

好きなバンドのアーカイヴがまとめて紙ジャケ化される場合、
個人的に嬉しい反面、色々と困った事態が生じてくる。
勿論、使うべき金が有れば出た物を総て買ってしまえば良いだけの話なのだが、
日々細々と金の遣り繰りをして過ごしている人間にそんな豪儀な真似は出来ない。
そこで考えるのが、どれを優先的に買うか?と云う事だ。

何度も書いているが紙ジャケのキモは特殊ジャケの再現性にある。
プラケのCDでは再現しようが無い物ほどそそられる訳で、
最低でもゲートフォール(見開きジャケ)でないとそそられる事は無い。
つまりシングルジャケの作品の場合、別に紙ジャケに拘る必要は無い訳だ。
拘る必要は無い訳なんだが、やはりトータリティとして揃えたいと思うのが人情。
さして思い入れの無いバンドの作品なら別だが、好きなバンドはやはり別格である。
それがまたプラケのCDと変わらないお値段で出ていたりすると尚の事だ。
と云う訳で思い入れの有る「エレクトリック・ライト・オーケストラ」の諸作品、
待望の紙ジャケ化に買い込んだ作品はとりあえず5枚。
まずは特殊ジャケの作品から・・・・

今回のシリーズで最も紙ジャケ化に気合が入っているのが、
万人が認める最高傑作である7枚目の「アウト・オブ・ザ・ブルー」だろう。
ELOの紙ジャケを書くのをここまで引き伸ばして来たのはひとえにコレのせいだ。
「例の奴も付くらしい」と云う噂を聞いて楽しみにしていたが、
やはり現物を見てみると馬鹿らしくて最高だ!この拘りが紙ジャケの神髄だろう。
↓これがその(例の奴)

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オリジナル盤に付随していた紙製のELO円盤キットで、それもミニチュア化だ。
それ以外にもやはりオリジナル盤に封入されているポスターも付いているし、
LP時代は2枚組みだったので、当然ジャケはゲートフォールな訳だし、
本来CD化に際して1枚にまとめられた物が、わざわざCDの2枚組みに戻され、
しかもそれぞれに歌詞付きのインナーバック(内袋)が付いていると云う凄さ。
それに海外でリマスターされた時のCDのブックレットが付き、
日本語の解説・歌詞・対訳・年表まで付いて来ると云う驚異的な充実度の作品だ。
後にステージにまで登場してくる長岡秀星描くジャケの円盤や、
既にレトロ・フューチャーな雰囲気が良い感じのジャケの内側なども楽しい。

勿論全世界で1千万枚を売り上げた内容も、文句の付け様が無い素晴らしさで、
5枚ものシングルカットを放ち、そのどれもをヒットさせているから凄い。
2枚組みと云う長尺にも係らずスイスイ聴いて行けるポップな内容は流石だ。
特に名曲「ミスター・ブルースカイ」をコーダに持って来た、
旧C面にあたる、通称「雨の日のコンチェルト」組曲は最高だ。
当時シングルで独立して聞いていた「ミスター~」が、アルバムで聞いてみると、
「雨にうたれて」~「ビック・ウィールズ」~「サマー&ライトニング」と、
ストーリー性の有る流れに成っていて最後にピタリとハマる仕組には唸らされた。
しかも「北緯88度」と云う未発表曲まで入っいて、もう至れり尽くせりである。

特殊ジャケとして、もう一枚非常にそそられる内容なのが、
ハーヴェストからワーナーに移籍しての3枚目「第三世界の曙」である。
三面見開きの所に、更に表1部分に窓状の切り込みが入れられていて、
その下に大林監督・・・もといジェフ・リンの顔が見えると云う仕掛けだ。
レコードポケットは中央に有り、口が内側を向いていて少々盤を取り出し辛いが、
ジャケを一つ一つ開いて行って盤を取り出す楽しさを実感できると云うもんだ。
まあしかし驚かされたのが実はこの仕様では無くジャケ自体の方である。
元々今まで日本で流通していたのはUS版のポートレート・ジャケの方で、
こっちの地球を見下ろすオリジナル版は元を見た事が無かったりする。
今後またプラケに戻った時はどちらを使うのか解らないが、何にしろレアだ。

Elo001


サウンド的には前2作に有ったロイ・ウッド色が払拭されて、
コンパクトでポップな曲調が目立つように成ってきた頃だ。
それでもかなりクラッシック色が濃厚である種プログレ的な雰囲気もまとっている。
グリーグの「ペールギュント組曲」を使った「新世界の曙」や、
タイトルもそのまま「山の魔王の広場にて」等々クラシカルなフレーズが楽しめる。
その中に「ショウダウン」や「いとしのベラ」等シングル曲が織り交ぜてあり、
アルバムとしてのバランスも悪くない。

お次はシングルジャケながら中々凝ったデザインを見せてくれる、
黄金期の幕開けと云える作品「オーロラの救世主」である。
こちらは例のジュ-クボックス風なELOの紋章がジャケの中央を飾るのだが、
これと裏の7つ星がエンボス加工で浮き上がっている様に印刷されている。
直に手に取ってみないと解らないが、中々可愛らしく再現されていて、
しかもジャケ自体がラミネート加工でつるつるとした手触りが楽しい。
名曲「テレフォン・ライン」「ドゥ・ヤ」を含む内容は文句無しで、
しかもこのアルバムにも、異常にクオリティの高い未発表曲、
「サレンダー」が収録されていたりして、これ買わんで何を買う?ってなもんだ。

以上が特殊仕様目当てに買った作品で、次の2枚が思い入れで買った作品だ。
まず1枚目が怒涛のコンセプト作である4作目の「エルドラド」。
ELOの「オーケストラ」な部分が最高に引き出された名盤だ。
ここで初参加するルイス・クラークのコンダクトによる大規模なオーケストラ、
それに合唱隊まで加えた重厚な音がバンドとアンサンブルする姿は実に豪華。
コンセプト作らしく頭の「エルドラド序曲」に始まって、
A面ラストの「プア・ボーイ」の終盤、そして最後の「エルドラド終曲」に渡り、
通奏低音とでも云うべき性急なストリングスのフレーズが響き渡る。
このスリリングなフレーズが、恰も一巻の映画の如き荘厳さで迫って来るのだ。
そこに浮かび上がるのがシングルカットされた「見果てぬ想い」のタイトルの如き、
遥かなる「黄金郷」への「衰えぬ冒険心」と言う訳である。
ちなみにジャケは確かに特殊なモノではない物の、
オリジナル通りに周囲が金色の特殊インクで縁取られていたりと、
細い所に気を使ったイイ仕事が光る1枚だ。

さて最後が、本来「DAICON」のOPアニメのパロディで使われた物なのに、
何時の間にか「電車男でお馴染みの・・・」に成ってしまった9作目の「タイム」。
ELOは「ディスカヴァリー」以降バンド内ストリングス隊を廃して、
その代わり厚塗りなシンセでオーケストレーションを彩る方向へシフトする。
まあ基本はジェフ・リンの創り出すポップこの上ないメロディが聴き物な訳だが、
それが華麗なストリングスと絡み合う妙味がバンドの特色だと思っているので、
ディスコ路線に走った「ディスカヴァリー」は余り好きでは無かった。
所が今作はシンセ主体のコンパクトな作風ながら、時をテーマにしたコンセプト作。
キラキラと輝く冒頭の「プロローグ」から期待に胸が膨らまされ、
間髪入れず突入する名曲「トワイライト」の音の拡がりに一気に持って行かれる。
ジェフ・リン御得意の幾重にも重なった重厚でポップなコーラスがたまらない。
当時のヒットチャート番組で良く聞いた「ホールド・オン・タイト」を含め、
ラストまでメロディの手綱が緩まない素晴らしい構成と楽曲のアルバムである。
ジャケとしてはまあ可も無く不可も無い作りだが今作にもポスターが付いている。

ちなみに音に比べてそのジャケの普通さ加減が気に成った日本のディレクターが、
初回生産分のみ日本独自のスペーシーなジャケを被せていたのは有名な話。
以下がそのジャケの上に被せられていた日本独自のカヴァーだが、
もしこれが紙ジャケに付属していたら問答無用で購入に走ったろうなぁ・・・・
まあ日本で勝手にやった事らしいから今では無理なんだろうが、
そう云う時代の大らかさを再現する意味でもやって欲しかったなぁ。

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2007.03.12

演劇実験室・万有引力「カフカの卵鐘」

ベテランお笑い芸人がテレビなどで、微妙にはずしてたしまった若手に対して、
「いや~シュールな小芝居を見せてもろ~て・・・」などと言ったりするが、
終演後に大塚の町に彷徨い出た後にそんな言葉がふと浮かんだりした。

前回の作品が余り心に響く所が無かっただけに、
今回こそはと出掛けた演劇実験室・万有引力の「カフカの卵鐘」だが、
どうにも前回以上に釈然としない気分で劇場を後にした。

めくらましの様な台詞と難解な筋立ては毎度の事だが、
そこから描き出される世界がどうにも魅力的ではないのだ。
時々舞台で演じられているのが何なのか理解に苦しむ事が多々有った。
今回はモチーフが作家のカフカとその世界と云う事も有るのだろうが、
いつも以上に役者が吐き出す台詞の量に圧倒される。
けれどそれが逆に作品世界の輪郭を曖昧にしている様な印象さえあった。

完全に個人的な意見ではあるが、寺山の芝居、ひいては万有引力の芝居は、
筋立ては難解ながら、それを下支えする様な演劇的な魅力、
例えばハプニング性だったり見世物性だったりが巧く噛み合った所に魅力が有った。
下世話な言い方だが「何か驚く様な物を見せてくれる」とでも言おうか、
題材の如何に関らず、こちらの関心を無理矢理にでも引いて行く様な何か、
深い所で中身が理解出来なくとも何処かで惹き付けられる物が有ったと思う。
それは始まってしばらくして「ああ、いつもの感じか」と覚える概視感や、
照明が点いた時の疎らな拍手に「終りか?」と感じる「なあなあ」さとは別の・・・

今回はまた非常に小さなハコだっただけに舞台や演出上の限界は有ったと思う。
火気厳禁と云う事でお馴染みのマッチを擦るシークエンスも無かったし、
舞台上の動きも限定されていて動きに新味が無かった。
ただそれを逆手に取った演出も可能だろうし、挑戦しても欲しかったとは思う。
「演劇実験室」と付けられた看板の伊達ではない所が見たかった。
PAの音響は悪くなく、いつもながら最高なシーザー師の劇中歌も迫力だったが、
その場で音を加えるシーザー師の姿が見れなかったのは残念だった。

役者や演出が多少荒くてもフックの有る芝居が観たい。
予定調和のシュールさやジャンルとしての前衛などとは別の何かを・・・・

さて今後「演劇実験室・万有引力」は何処へ向かって行く?

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2007.03.05

劉德華の・・・・「墨攻」

佇むアンディ、走るアンディ、、闘うアンディ、苦悩するアンディ、嘆くアンディ、
結局、今回もアンディ・ラウの満艦飾だった映画「墨攻」である。

アンディ・ラウはいい男で有る。
こう云う人の事を人はスターと呼ぶし、それに値する人物である。

彼は画になる男だ。
スターとしての華やかさの上に、近年は演技の幅広さも身に付けている。
彼が画面に現れただけで画面に華が咲き、映像が締まる。

しかし華が咲き映像が締まるだけにカメラは彼を追いたがる。
それ故に彼の映画は彼だけが浮き立った何処か歪な物に成り易い。
その場合、アンディの姿だけを観たい人間にはたまらないだろうが、
映画として作品を楽しみたい人間にはいつも不満が残る。
だから彼の映画では彼が出過ぎない時の方が良い作品に成る事が多い。

飽くまでも群像の中の一人として抜群のナイーブさを見せた「欲望の翼」に始まり、
動の部分を名優・劉青雲に任せて引いた演技が見事だった「暗戦」、
あえて鄭秀文の共演者として軽味のある演技に徹した「Needing You」、
そしてリメイクのディカプーとマット・デイモンが学生の喧嘩にしか見えないほど、
梁朝偉と供に男の色気の頂点をさすらう名作中の名演「無間道」等など、
出来はイマイチだったが演技は良かった「ヴェルベット・レイン」辺りも含めて、
普通の映画ファンとして期待するのはアンサンブルであり抑えた存在感だ。
別に鼻血出したり(笑)裸に成ったり(まあそれも良いけど・・・)ではない。
今回、韓国の名優アン・ソンギを迎えて、散らす演技の火花を期待したのだが、
・・・・・やっぱり今回もアンディ・ラウのオンステージだった。

原作との比較に関してはまあいい、アンディが革離をやってる時点でそれはいい。
ただ「墨者」と云う特異な存在が話の根幹を為す限りは、
見ているこちらにもっと「墨者」の凄みを伝えて欲しかったとは思う。
ああ云う状態で仕事をする場合、もっと合理的に非情で無ければいけないと思うし、
実際に原作の革離はもっと修行僧の様に厳格で浮世離れした存在だった。
しかしアンディ演じる革離は人間臭い、余りにも人間臭過ぎる。
勿論、ボンクラとしてファン・ビンビンの様な美女に迫られて心が揺らぐのは解る。
しかしボンクラに理解される様な心の揺らぎではマズイだろう?実際。
娯楽として、殺伐とした戦闘場面以外にそう云うシーンが必要なのは解るが、
それはもう少し秘めた物でも充分伝わってくるのではないだろうか?
何か余りにも最初から心奪われまくってる様な気がするのだが・・・・

共淹中を演じたアン・ソンギは渋い所を見せてくれるが、余りにも見せ場が少ない。
せっかくアン・ソンギを呼んでくるならもう少し、らしい場面が観たかった。
それと供に、単なる敵役だけとしては描かれて居なかったにしろ、
趙軍内部の描写が少なくて描き方がやや一方面的だった感じがあった。

個人的に非常に嬉しかったのが、久し振りに見た子団役のニッキー・ウーだ。
何か今はどういう事情かウー・チーロン等と日本では表記されているが、
台湾版「少年隊」の「小虎隊」出身の90年代のバリバリのアイドルだ。
今回は寡黙だが存在感の有る演技で見事な成長の後を見せてくれて嬉しい。
金城武やジミー・リン辺りと供に熱狂したかつてのファンはたまらんだろう。

監督はこれまた久し振りに名前を見る社会派のジェイコブ・チャン!
社会の底辺の人間を描くに長けた彼がこう云う大作を手掛けるのは驚きだが、
戦乱に翻弄される梁城の農民たちを、大局と平行に描く所にその片鱗が見える。
多分監督がこの映画で一番描きたかった所はそう云う部分だろう。
戦場での高揚感より無残さや空虚感が常に付きまとっている感じだ。

「始皇帝暗殺」や「HERO」を手掛けたイー・チェンチョウの美術は今回も凄い。
またしてもスケールのでかい城を一つぶっ建てたりして桁が違う感じだ。
今作は撮影に日本人のキャメラマン阪本善尚が加わっていると云うのが面白い。
現場に言葉の通じない異国のキャメラマンを加えた監督の意図は如何に?
逆にお馴染みのパターンで音楽に日本の川井憲次が良いスコアを加えている。
特にエンディングのテーマ曲は「紅い眼鏡」を髣髴とさせる心躍る良い曲だ。
うら寂しい映画の結末に関らず意気揚々とした気分にさせてくれるし・・・・

結果として映画としては飽きさせない作品に仕上がってはいるが、
革離の戦略や対する城攻めの面白さを期待すると肩透かしを食う作品に成っている。
でも原作を読んでいないと「そういうものか」と、普通に楽しめるかもしれない。
まあ個人的には血臭渦巻く戦場や、風光明媚な自然の中で、
ひたすらアンディ・ラウがアンディ・ラウをやっていたと云う感じだった。
「お前は結局アンディしか見ていないのか?」と問われそうだが、
・・・・「だって結局アンディばっかやん!」

Andy01

(ちなみに私、劉德華が嫌いな訳ではないですよ・・・)

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