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2007.04.30

「決して一人では聴けない」サスペリアの紙ジャケ

レアな写真やディスコ・グラフィも充実したカラーの本書に、
オムニバスCDが付属した「ROCK PROGRESSIVO ITALIANO」をパラパラと捲りながら、
「こうしてみるとイタリアン・プログレの主だった作品なんかは、
殆ど紙ジャケ化されたな・・・・」などと感慨に耽ってしまった。
勿論、深いマニアなら「あれもまだだし、これも・・・」と思う所だろうが、
NewTrollsやI Pooなんかのバックカタログの充実具合は追い切れない程な訳だし、
確かに超重要なAreaやArtie E Mestieri等のCramups物は入手難に成っているが、
(Artie~はストレンジ・デイズ・レコードで再発が決まったらしい)
一応紙ジャケ化はしてるしな・・・等と思っていたら重要な所がまだ残っていた。
「ゴブリン」だ!余りにもメジャー過ぎて忘れていたわ!!
等と膝を叩いていたら、案の定アルカンジェロから再発が決まった。

ゴブリン・・・非常にメジャーな存在だ。
多分イタリアのバンドなど聞いた事無いと云う人間でもその名は知っているだろう。
事に拠ったらマイク・オールドフィールドより知ってる日本人は多いかもしれない。
ただし彼らをロックバンドとして認識している人間は以外に少ない様な気がする。
定番の位置はサウンドトラック・コーナーだったりするし、
タイトル曲は知っていてもクラウディオ・シモネッティの名前は知らないだろう。
同じ様な存在と位置に居るドイツのポポル・ヴゥーなどは、
ヘルツォークの映画がメジャーで無いお陰でまだバンドとしての認知が有りそうだ。
今回同時にオリジナル作品も2枚発売されるので是非聴いてみて欲しい所である。
まあとりあえず今回は大メジャーな2作品を取り上げ様かと思う。

Suspiria00


まずはデビュー作にして本国で最大のヒットを飛ばした「サスペリア2赤い深淵」。
非常に常識的な事だが、この作品はサスペリアの続編等では無い。
当時見世物的興行でお馴染みな東宝東和が、サスペリアでヒットを飛ばした後、
その前の作品で何の関係も無いこの映画を「2」と付けて公開したと云う、
非常に当時のいかがわしい興行事情が未だに尾を引いている作品な訳である。

個人的な話だがこの作品、好きな映画の中でもかなり上位に入る作品である。
小学校の低学年の頃、TVで放映されると云うので親父と兄がこれを観ていた。
当時は金田一映画でも駄目だったので怖かったのだが、虚勢を張って一緒に居た。
映画のイントロ、低く構えたアングルのカメラに子供の歌う唄が重なる、
このアルバムのディスク2の2曲目「School At Night」の(子守唄・子供編)だ。
そしてそこに刃物を振りかざし、何度も何度も刺す人のシルエットが映り、
やがて血染めの刃物がゴロンと低い画面の下に転がり落ちる。
いやぁあああああ・・・・怖かったもうそれだけで駄目だった。
直接的な描写で無く、シルエットで想像を喚起させる手法がたまらなく怖かった。
子供の頃はもうその時点で観るのを諦めて退散してしまった訳だが、
その後の内容もイントロに負けず劣らず直接・間接の恐怖描写の波状攻撃で、
更に結末が超常現象では無い所が新鮮だった。

さてそんな「サスペリア2赤い深淵」の紙ジャケだが、
今回は06年に本国で発売されたレアトラックを収めたディスク2付きの完全版だ。
レアトラック集は既発曲のバリエーションやフィルム音源などが殆どで、
正直、余程のマニアでもない限りは魅力を感じるものでは無いが、
まあ完全アーカイヴ集と云う事で良しとしましょう、と云う感じだろうか?
ジャケは片面コーティングされたゲートフォールド仕様で、
「赤い深淵」だけに赤の発色は素晴らしく血のテカリも綺麗に再現されている。
イタリア盤に付属しているカラーのブックレットも同封されていて、
素敵な劇中写真と供にこの作品の各国のポスターアートも採録されている。
ヒッチコック風ありホラー映画風あり各国独自の宣伝展開が中々面白い。

アルバム冒頭のテーマ曲は、もしかしたらサスペリアより有名かもしれないが、
なにせ監督の依頼通り「チュブラー・ベルズ」風に仕上げられており、
オリジナリティ云々ではサスペリアには敵わないだろうが、非常に好きだ。
ロック的なダイナミックさが有ってしかもキャッチャーなメロディは最高である。
前半の4曲は総てゴブリンの作品で後のエッセンスの詰まった作品ばかりで、
禍々しいメロディや疾走感の有る楽曲など上手くまとまっている。
後半に成るとゴブリンより前に依頼されていた作曲家、
ジョルジオ・ガスリーニの作品が主で趣は変わるのが残念な所だが、
まあサントラだから致し方無しか?

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さてお次は「決してひとりでは見ないでください」でお馴染みな「サスペリア」。
しかしこれのヒットは作品の出来も良かったけど東宝東和の宣伝の賜物でしょう。
なんのこっちゃな「悪魔の声が聞こえるサーカム・サウンド」とか、
劇場に看護婦を待機させた「ショック死保障」とか見世物魂ここに極まりだった。
それはそれとして中々あの頃は映画もイベントで楽しかったなぁ・・・
昨今こう云う子供騙しで楽しい興行を考える所が無くて淋しい限りである。
しかしサスペリアは当時もそうだったし今観てもそう思うが、
映画としての整合感より感覚やインパクトの方に主眼を置いているよなぁ。
印象的な場面や殺しのシーンは記憶に残っているんだけど、
さて話は・・・と云うと「ジェシカ・ハーパーがバレエの寄宿舎に行って・・・」
「青いアイリスの花をまわすのよ!」とか、非常に心許ない話に成ったりする。

さてサスペリアの紙ジャケの方だが、これがまた非常に良く出来ている。
アルバム自体は当時から何度も手に取っているが、イタリア盤は見た事が無かった。
これ、シングルスリーブの中に見開きのインナーが入れられていて、
その中に「飛び出す絵本」式のポップアップ・ギミックが仕掛けられている。
お馴染みサスペリアのバレエ少女とゴブリンの「ローラー」の悪魔なのだが、
これがしょうも無い事に全く飛び出さない・・・と云うか立ち上がらない。
紙ジャケ作ってる方の制作に不備が有るんじゃないのか!といきり立ったが、
これライナーを読んでみると、オリジナルからして駄目な物だったらしい。
つまり駄目な物をわざわざ忠実に再現した、と云う事なのだ。
スゲェ!この無意味さ、さすが細部にこだわる日本人の仕事!
UK盤初回の文字の誤植をわざわざ誤植のまま再現して驚かれるだけの事はある。
そう云う発狂寸前の仕事を見る意味でも是非手元に置いて欲しい一枚だ。

さて音の方だが、バンド的なダイナミズムより、より劇伴的な方向にシフトした、
正しく恐怖感をこれでもか!と煽る音響的な音作りが成されている。
特にイントロのアルペジオを聞いただけで震える人間も居るだろうテーマ曲。
使ってる楽器のせいも有るのだろうが、何処かラーガ・ロック的な雰囲気も有り、
個人的には大好きな「サード・イヤー・バンド」辺りを髣髴とさせてしまう。
6曲目の「暗黒の森」などは、時代的には前年の公開に成るのだが、
「犬神家の一族」に於ける大野雄二の仕事を思い出す、同時代的な物なのか?
とにかく「恐怖の喚起力」と云う事ではずば抜けた素晴らしい作品であろう。

さてサントラは良いけど、やはり映画が観たくなったなぁ!と云う方には、
05年にリリースされた「サスペリア・アルティメット・コレクション」は如何?
特典満載で「赤い深淵」に関しては公開版と完全版の同時収録、
ゴブリンのシモネッティのインタビューも含まれた2時間以上の特典ディスク付き、
50Pほどの詳細なブックレットも付属して1万ちょいと云う素晴らしいブツだ。
某映画誌のリ・イッシューDVD-BOX作品の年間ベストに輝いたのも頷ける良い仕事。
限定版だが、まだ大きい店では在庫を見掛ける事も有るので見掛けた即買いだ!
ちなみにこのBOX「触ると絵が浮き出る」楽しいギミックの箱に入っている。
下の写真はわざわざ手で温めて絵柄を浮き立たせて撮ってみました・・・・

Suspiria03

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2007.04.24

「蟲師」映画版

Mushishi01


単純に原作のファンと云う事で映画を観に行った訳だが、
よく考えるとこの作品って「世界のオートモ」の新作だと云う事に気付く。
勿論、原作者である漆原友紀の世界を元に構築された映画なのでは有るが、
その所々に大友克洋らしい「こだわり」が息衝いていて面白かった。

例えば大友の漫画世界に共通する様なディテールへの執拗な書き込みが有る。
この映画を観ていて感心したのが、脇役たちの一様な汚さが挙げられる。
総じて皆、垢染みた薄黒い顔をしていて何処か原種日本人的な顔なのだ。
そして着ている着物は地味で汚れていて、裾や襟が擦り切れていたりする。
舗装などされている訳も無い埃舞う道を歩いていれば当然そう云う顔に成るし、
古い着物を繕って大事に着ていた昔ならそう云う着物が普通なのである。
この辺のディテールは実は一番見逃されがちな所なのだ。
それを無骨で表情に欠けた一昔前の日本人的な顔の役者が演じる事で、
時代劇に付きまとう何処かコスプレ的な薄っぺらさを回避している様に思う。
ただそのこだわりの為に漫画的なキャラクターである主役のギンコが、
そのルックス故、浮いている様に感じてしまうのが難だったりもする訳だが・・・

ギンコを演じるオダギリジョーが原作と合わない、と云う話は良く聞くが、
この作品の中では左程違和感が無かった様に思う。
と云うのも、最初想像していた内容が、原作の中の何本かの話を選択し、
オムニバス的に話を進めて行く映画なのだと思っていたのだ。
原作は「蟲」の被害や影響下に有る人間を中心に話が進められ、
ギンコは所謂「狂言廻し」的な役割に終始する事が多い。
しかしこの映画はギンコと云う蟲師の成り立ちや生活を描く内容に成っていて、
それ故、原作の「酸いも甘いも噛分けた」的な達観したが如きキャラより、
まだ若く己のアイデンティティに揺らぎの有るキャラの方が合っていたと思う。
映画のギンコは青年と云う感じだが、原作の方は中年に向かいつつある感じだ。
話がそう云う事ならオダジョーでも特に違和感を感じなかったと云う次第である。

江角マキコ演じる「ぬい」は流石に立姿は美しく画的にきまっている。
監督の意図した様に姿勢の良い着物姿で山道を歩く所などは実に見事だ。
演技に関しては相変わらず上手いのか下手なのか良く解らない感じだが、
ぬいの扱いに関しては原作のファンでは評価が別れる所ではないかと思う。
大森南明の「虹郎」には意外な役回りが与えられていて驚かされた。
「蟲師」の世界を一般から見たの視点を代表する役柄だと言えよう。
有り勝ちながら、辻の別れのシーンにはやはりぐっと来る物がある。
りりぃや李麗仙が演じた作中の女性たちは中々堂々とした物だったが、
「おたまさん」に関してはもう少し歳が行ってても良かったのでは無いかと思う。
原作では男の子だった真火役の女の子は非常に良かった。
正しく監督が狙っていた岸田劉生の「麗子」に近い不気味さが有った。
現代的な美少女を持って来なかった所は非常に評価できると思う。

さてこの作品の中で一番めっけもんだったのが「探幽」役の蒼井優だった。
とにかく着物姿が異常に似合っていてその凛とした佇まいは実に見事だ。
脇息にもたれ掛かった時の姫様然とした着物姿も良かったが、
何と言っても蔵の中で飛び散って行った文字を狩るシーンが最高だ。
弓を射る時の様に、着物の袂を巻き上げ射篭手を装着する所も面白かったが、
文字を掴む箸の入った鞘で文字を繋ぎ止め、箸を構える際の襟足の美しさたるや!
原作の探幽はギンコ同様、少女と云うより婦人と云う感じだが、
これもこの作品世界の中では有りだと思うし、効果的だったと思う。
しかしこの探幽とギンコの関係も原作のファンには明解過ぎる描写だろうと思う。

主人公たちと供に監督のこだわりが感じられるのは風光明媚なロケ地の数々だ。
しかし映像上のマジックとは云えこれだけ日本的な風景が残っているとは驚きだ。
昨今、電線の無い所やコンクリで舗装されていない道を見付けるのも難しいが、
(勿論映り込んでいる部分はCGで消去したりはしているんだろうが)
味わい深い風景の数々にうっとりする。
監督が絶賛していたトコヤミの棲む池は、残念ながら左程感銘を受けなかったが、
峠から覗く谷底の集落や稲穂が揺れる里山の情景は実に心に響く。
茅葺の豪壮な民家や探幽の瀟洒な邸宅なども良いが、
本当に汚いあばら家や廃屋の描写等も日本的な風景として忘れられない物がある。
マンガ的な世界観とこう云う日本独自の風景描写が合わさっている所など、
海外に持ってけばかなり受けるのでは無いかと思うのだが如何だろう?
・・・って今時当然、海外戦略は見越しての制作だろうけど・・・

さて肝心の「蟲」であるが、これが実際に描かれると結構気色悪い。
小さい物が固まってぞわぞわしているのが嫌いな人間にはかなりタマランだろう。
特に最初に出て来る木の洞にびっしり寄生した「阿」と「吽」はかなり嫌だ。
その代わり虹郎と見上げる「虹蛇」の描写は中々の物だった。
ほんのりと虹状に彩度が変わって行く所なんかは映像ならではの表現である。

概ねこの映画には良い印象を持っているが、唯一気に成るのが話の最後。
大仰なシーンで〆る必要は無いが、あれでは少々淡々とし過ぎな気がするのだが。
「トコヤミ」と「銀蟲」の特性が互いに相殺し合ったと云う事なんだろうが、
ぬいのその後にしろ、もう少し清々しいラストが欲しかった所だ。

そう考えてみるとトータル的にアニメ版は非常に出来が良かったなぁ・・・・

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2007.04.16

現地電影三本立て 2007

Protege01


台湾篇の最後を飾るのはお馴染み現地で観た映画、「現地電影」の3本立て。

まず最初の1本は新年公開第2弾な香港映画の大作「門徒」から。
劉德華主演で共演に久し振りの袁詠儀、そしてその脇に伸び盛りな呉彦祖、古天樂、
でもってプロデューサーが陳可辛で監督が爾冬陞と来れば何はともあれ劇場へ、だ。

話のテーマはずばり「毒品」つまりドラッグを巡る話である。
ドラッグの元締め、それを追う警察、薬から逃れられない女、薬物に耽溺する男、
それらが絡み合い、話は薬物の産地としてお馴染みな「黄金の三角地帯」へと移り、
話は更に重層的に、組織を潰したらお終い、害毒を脱したらお終い、
と云う様な解り易い構造の話を採らず、ドラッグ汚染の底無しの深さを描いており、
流石は底辺の人々を描き続ける社会派の爾冬陞らしい作品だと言える。
とは云えそこは娯楽を旨とする香港映画らしく展開はスリリングだし、
手に汗握るアクションや中々にショッキングなシーンも有って、まずは楽しめる。
また「黑社會」の様に細かな「実録」風のリアルな隠語が取り入れられている様で、
劇場の看板に隠語の対照表が載っていたりしたが、まあ当然さっぱり解らんかった。

話は、「無間道」よろしく実態の良く掴めない麻薬組織に潜入して、
今やそれ成りの地位に有る警官・呉彦祖の視点に沿って進んで行く。
梁朝偉程の色気はないが、現実と任務の狭間で揺れる不安定な若さを熱演し、
単に爽やかな美男子では無い汚れっぷりも印象的な呉彦祖だ。
そして何と言ってもこの作品、組織のボスを演じる劉德華が最高だ。
「墨攻」の時は色々と文句を付けたが、やはり抑えた時の劉德華は抜群にイイ。
とにかく出て来た途端驚くのが、そこらの親父が着る様な安いポロシャツに、
殆ど灰色な頭髪で病院に担ぎ込まれるオッサンその物の劉德華の姿だ。
しかしそれこそが現地での隠れ蓑としての姿で、やがてその片鱗を表しだし、
組織を束ねる者としての厳しい眼光とニヒルな姿がゾクゾクするほどに「悪」だ。
しかしその傍ら、身重の妻である袁詠儀を心配し、子供を叱る姿は良き家庭人で、
その二面性が呉彦祖のみならず観客をも惑乱する人間的な造型に成っている。
久し振りに見た袁詠儀は、かつて「妖精」とか言われた面影は何処へやらな、
見事な家庭の主婦っぷりだったが、その違和感の無さは流石と言うべきだろう。
対照的に呉彦祖の近所に住むシングル・マザーを演じる張[王爭]初は、
薬物に汚染された人間として、そして哀しい被害者として呉彦祖に係ってくる。
ボロボロな普段の姿と、ハイに成った後の妖艶な姿、
そして母としての強い意志を保った姿など、多彩な演技を見せてくれる。
そして最高なのが彼女の別れたヤク中の旦那を演じる古天樂の最低さっぷりだ。
子供と呉彦祖の為に薬を断とうとする元女房に擦り寄ってくる、
職無し、ヤク中、しかもDVと云う同情の余地が全く無い男を嬉々として演じている。
古天樂は昨今、成龍の映画でも主役に添えられる香港映画に欠かせない役者だが、
東幹久似なルックスからしてこう云う「だらしない女たらし」が実に似合う。

「ヘロイン工場」と言っても名ばかりなマンションの1室に於ける攻防、
香港での冴えない生活ぶりとは対照的に豪奢に過ごすタイでの劉德華一家、
そして現地の軍閥を巻き込んで大規模に拡がる「黄金の三角地帯」の芥子畑、
警察に踏み込まれたヘロイン工場の事で呉彦祖に疑惑を抱く劉德華、
逃げても逃げてもその先に現れる最低男の古天樂、
そして話の終盤、アイデンティティ・クライシスを起す呉彦祖・・・
根の深い薬物汚染の怖ろしさがひしひしと迫る。社会派らしい力作である。

さてお次は「姨媽的後現代生活」だ。

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これはご覧の通りビルボード広告を遠くから眺めて、
「あ~許鞍華の映画で・・・斯琴高娃が主役か・・・」程度の認識で観に行った。
まあもっと注意していれば最初のクレジットとかで気付いても良い訳だが、
それにも気付かずに映画の途中で「ま・・・・まさか!!」と云う事に成った。
そう、良く観ればちゃんとビルボードにもその文字は記されていたのだが、
何とこの作品、共演はかの「亜州影帝」周潤發だったりすのだ!や~魂消たよ、
「嘘!・・・似てるんだが・・・まさか、發哥?」とか手に汗握ったわ。
しかもここに出て来る周潤發は、昨今のハリウッド出演作品で観られる様な、
変な神秘さや深遠さ、不思議な東洋人な如き勿体ぶった所は何処にも無く、
正しくあの頃の香港映画で見れた、調子良くて親しみの有るカッコいい兄貴が、
そのまま歳を取った様な「發哥!久し振り」とでも言いたくなる演技なのだ。

周潤發が演じるのは、斯琴高娃の前に現れる胡散臭い色男とでも云う様な役柄で、
結構調子が良いだけの割と最低な男なのだが、これがまた憎めない男な訳ですわ。
あの満面の笑みと大きな身体に包まれると何も言えなくなる様な感じで、
特に二人で京劇の扮装をして歌い合うシーンなどは最高だ。
發哥ノリノリで見事なシナを作って歌う所など本当に温かい気分に成る。
こんな發哥、現地の連中ならたまらないだろうなぁ・・・・

更に斯琴高娃の離れて暮す娘役で、これまたビックリの趙薇が出演している。
大陸の地方の娘らしく、生活力の無さそうな彼氏といつも居るのだが、
勝気ですぐに罵り合いに成る所が、逆に生活力有りそうで面白い。

作品は許鞍華監督らしい女の半生・・・と云うか後半生を描いた作品で、
明るい喜劇的な前半から、画面もトーンも暗めな後半へと流転の人生を描く。
斯琴高娃は上海と云う都会で一人で暮すバイタリティも明るさも持っているが、
流動して行く街や人に流され、時に置き去りにされ否応無く変化を強いられる。
年齢的な事や周囲の変化も加わり結局気楽な一人暮らしを放棄する事に、
しかしそれでも逞しく生きて行く姿に、監督や役者の実人生も重なる。
斯琴高娃は「香魂女」等で見せた、実直に真っ直ぐに生きながら、
心に秘めた激情を常に燻ぶらせる女性を今回も見事に演じていた。


さて最後は中華圏の映画ではないが現地で公開していた新作から、
日本では初夏頃公開に成ると云うザック・スナイダーの新作「300」。
台湾では「300壮士:斯巴達的逆襲」と云うタイトルで公開されていた。

300

写真は豪華な現地の立体広告・・・日本じゃこう云うの見掛けんな最近。


「ドーン・オブ・ザ・デッド」でゾンビを走らせたザック・スナイダーの新作が、
「シン・シティ」でお馴染みのフランク・ミラーのコミックの映像化、
と云う話を聞いてはいたのだが内容に関しては薄っすらとしか覚えていなかった。
と云うか劇場前の広告を見ていても、これがその映画だとは判断出来なかった。
なので結構予備知識無しに「史劇物か」ぐらいの感じで観に行ったもんで、
予想を裏切るハイテンションな展開と魁魂溢れる内容にかなりぶっ飛んだ。

映画は紀元前480年の、アケメネス朝ペルシャの大軍とスパルタ国の戦い、
ヘロドトスの「歴史」に名高い「テルモピュライの戦い」をモチーフにした作品だ。
破竹の勢いで周辺国を飲み込んで行く大国ペルシアの服従命に対して、
国と己の尊厳にかけて戦いを挑むスパルタの王レオニダスの話であるが、
周辺国の兵隊も傘下に収め、物凄い数で攻めてくるペルシアに対坑するのは、
何とたった三百人だけのスパルタの精鋭部隊なのだ・・・・
しかしスパルタ教育として今でもその名が残るが如く、
幼い頃からの徹底した戦闘教育と不屈の闘志を養われたスパルタの男たちは、
「男には負けると解っていても闘わなければいけない時が有る」と、
キャプテン・ハーロックの如き決意と強靭な戦闘力と知恵で持って立ち向かうのだ。

この作品「シン・シティ」と同様に役者をグリーン・バックの前で演技させ、
それを取り込みデジタルの背景と組み合わせたCG処理の映画に成っている。
「シン・シティ」がコミックならではのモノクロな画面処理だったのに対し、
こちらは日本で言う三色カラー的な灰色っぽい画面に成っている。
故国スパルタの風景は柔らかな質感の画面に成っているが、
戦闘シーンは古代の銅版画を見る様な硬質な質感を表現している。
スピーディーに画面を動かすのではなく、正しくコミックの動きの様に、
早い動作の後に留め画がありその連続をスピーディーに繋げている感じだ。
流血部分もそれを意識したのか、血が飛び散る様な表現ではなく、
塊りの様な血が「ぶはっ」とばかりに飛び出す様な描き方に成っていた。

それにしてもスパルタ軍の孤立無援な救い無き闘いには燃える。
プロレスのパンツの様な物を穿き、サンダルにマントを羽織っただけで、
後は頑強な盾、槍と剣、そして兜で武装しただけの三百人の兵士が、
見事な戦略と勇猛さを持って死体の山を築き上げる様は爽快だ。
対するペルシアのボディ・ピアッシングされた王クセルクセスの怪しさや、
どういう素性なのかは解らないが異常に巨大な奇形兵士、
字幕では「幽霊部隊」と出ていたが、蛮国の呪術性を帯びた兵なのか、
「指輪」のオークの如き眼が光っているペルシアの精鋭部隊。
一人欠け二人欠けして行くスパルタ軍の辿る道は・・・・
レオニダスを演じるジェラルド・バトラーの最後の言葉に心震える。

ちなみにこの映画ペルシアの末裔であるイランで色々と問題に成っているそうだ。
まあ確かに一方的に悪の軍団的に描かれるのもねぇ・・・・
古代史とは云え歴史的な解釈は難しいもんですなぁ。

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2007.04.09

春の台北ツアー 其の3 「書籍編」

さてさて、しつこく続く台湾の与太話シリーズ、
今回は現地で購入した色々と興味深い書籍から御紹介。

まず最初は台湾初の・・・と云うより中華語圏初のコスプレ・ハウツー本、
「變身天使・寇詩兒/Cosplay」を紹介しよう。
日本でも当たり前に「コスプレ」と云う言葉が流通するように成り、
秋葉原の街中を普通にメイドが歩いていても違和感が無くなっている昨今、
世界中に拡散した漫画やアニメと供に、コスプレも世界中に拡がっている。
そんな世界的な状況の中で日本に次ぐコスプレ人口を誇っているのが、
早くから漫画やアニメが流通していた香港・台湾なのである。
人口だけでなく、質・精神・そして独自の展開も含めて隆盛な両岸では、
既に日本のシーンと同歩した「COSmania」等と云う専門誌も発行されている。
そう云う実用グラビア的な展開を踏まえて発行されたのがこの本だ・・・・
・・・と云うか、この本なんだと思う。

Cosplay01


日本のコスプレに関しては創生期の姿を横目で見ていた位で内実は全く知らないが、
日本でもここまで学術的に・・・と云うか包括的にコスプレを考察した本って、
もしかしたら出ていないのではないか?と云う位の突っ込んだ書籍である。
日本人にも多分にそう云う所が有るが、こう云うサブカル的な現象を、
真摯に突き詰める台湾人の姿勢と云うのは非常に好感が持てる。
まあしかし日本ほどズルズルと個性の多様化を容認して来た国とは違い、
ロックにしろコスプレにしろ社会的な認知にはまだ遠い、
と云う現状が有っての理論武装な部分も無きにしも非ずだろう。
なにせ「模倣、これは人類が学習する一つの方法である」で始まるのだから。

この本はタイトルに成っている寇詩兒と云う變身天使が案内する体裁に成っていて、
(画像の下のユニコーンを連れた女の子がそれ、表紙も寇詩兒のコスプレである)
同人誌活動の主催者や「COSmania」誌の編集長などの前書きで始まり、
先の仰々しい書き出しから始まるコスプレする事の心理・精神性を述べ、
コスプレの歴史・定義に移り、台湾のレイヤーの歴史と現状、
現地の有名レイヤー達へのインタビューや美麗なフォトで楽しませ、
その後に実践的なコスプレ入門編へと移り、衣装・化粧・ズラや小道具などの解説、
そしてレイヤーの為の写真撮影の仕方まで載っている心配りの細かさよ!
そして本場・日本のレイヤーやコスプレ・イベントの状況、
欧米にも拡がるコスプレ、と云うように多岐に渡った充実した内容の1冊だ。

台湾のコスプレ史とでも云うべき色々な事件を扱った部分は非常に面白いし、
実践コスプレ講座の部分は門外漢にも興味深く読める。
中でも笑えたのが「腐宅萌小辞典」と名付けられたヲタ用語辞典のコーナー。
台湾独自の用語が有ったりして面白いが、やはり「腐女」とか「宅」とか「萌」、
などの日本の用語を詳しく解説している部分で、改めて定義されると相当可笑しい。
台湾のレイヤーの皆さんは、流石に本に取り上げられてる方々だけに素晴らしく、
化粧にしろメイクにしろかなりレベルが高くて、しかも綺麗な娘が多い。
平坦な顔立ちの東洋人は西洋人に比べると画的で派手なメイクが非常に似合う。
そしてレイヤーは圧倒的に女の子が多くて、男は数えるほどだ。
で日本同様レイヤーの廻りには眼鏡掛けたむさい男達がカメラを構えていたりする。
カメラの砲列である・・・変わらないなぁ・・・こう云う光景は・・・・

台湾の皆さんもコスするネタは日本と同様にACG(アニメ・コミック・ゲーム)の、
有名な人気キャラばかりだが、台湾には日本に無い独自のコス・ネタが有る。
それが台湾で確固とした人気を持つ「霹靂布袋戯」のキャラのコスプレである。
「霹靂布袋戯」に関しては話すと長くなるのでここを参考にして頂くとして、
なるほどガキだけではなく、こう云う人達をも取り込んでこその人気なのか!と、
底知れぬ台湾での「霹靂布袋戯」の人気を思い知らされたりした。

台湾では結婚する新郎新婦が所謂「超演出派手結婚写真」を撮る習慣がある。
ド派手なメイクに派手なドレスやタキシード、または伝統の中国衣装をまとい、
不自然な笑顔で異常に紗の掛ったソフトフォーカスの写真を撮り、
それを馬鹿でかい写真集に仕上げて式の時に披露すると云う習慣だ。
近年は日本の観光客相手に気軽にスタジオで極端な演出の写真を撮ったりする、
ツアーオプションなんかが有ったりもするそうだが、
そう云う極端な演出の写真を好む土壌も、
コスプレの隆盛に一役買っているかも知れない。
事実そう云う仕事をしていてレイヤーに成った奴も本に載っていたりするし・・・


そして2冊目が「有趣的台湾老插画」と云う書籍である。
所謂レトロな駄菓子感覚の、味の有る広告や商品を蒐めた1冊だ。

Kuso001


章の内容から順番に、メンコ、駄菓子屋の点数くじ、駄玩具、薬の包み紙、
商標広告、国民小学校の教科書や学習用品、漫画や民暦等の刊行物、生活用品、
その他、地図や新聞の3行広告などなど多岐に渡っている。
日本人が見ても激しく郷愁をそそられるあの時代独特の懐かしい商品から、
エキゾチック極まりない中華テイストが爆発した商品までこれでもか!と満載だ。
作者によるこの時代の物の特色として以下の様な物が挙げられている。
①直球勝負な表現。(例えば止寫薬の広告で垂れ流してるガキの画とか)
②明らかに狂っている遠近法や透視図法。③発狂した様な色彩感覚。
④電算写植以前の手書き文字⑤プリミティブなまでの色版のズレ
⑥伝統的な中国画法と日本や米国の漫画表現の混入と模倣、などなど・・・・

Kuso002


この手の懐かし商品や古い映画のポスター等が、ある種お洒落なアイテムとして、
新たに注目され始めたのはそんなに最近の事では無かったと思う。
実際この手の商品をインテリアに使った飲食店も多くあるし、
ちょっと横浜のラーメン博物館を意識した様な内装の「台湾故事館」とか、
観光地の土産物も現地の連中相手にレトロ風な商品を揃えていたりする。
多分この手のレトログッズを集めた本と云うのもこれが最初ではないだろう。
しかしこの本が少し違うのは著者の「太陽瞼」のセンスに拠る所が大きい。
「太陽瞼」氏はデザイナーで、意図的にダサダサのレトロな物を創る、
所謂「KUSO文化」を体現した様な人で、この本もKUSO感覚で貫かれている。

「KUSO文化」とは何ぞや?
語源は日本の「クソゲー」つまりどうしょうもないゲームの事から来ていて、
そう云うプレイする価値も無いゲームを真剣にプレイする開き直りが転じて、
トライする価値も無い馬鹿な事に命を懸ける閑な連中を表し、
それが総じて無意味な事、ナンセンスな事を喜ぶ文化に格上げされた物だ。
所謂ヲタクな若い世代の感覚に直結した事なので中々具体例を挙げるのは難しいが、
日本の馬鹿実験サイトに良く有る無意味な行為の動画に影響された様な、
意味不明な動画をアップする「快閃(フラッシュ)族」何かが有名だ。
常に無意味な笑い「無レイ頭」を追及する周星馳の映画などは正にKUSOだ!
そう云う流れの中で「太陽瞼」氏は以下の様な冗談広告を世に問うていたりする。

Kuso003


他にも最新施設の「台北101」の頂上に梅の花形の巨大な観覧車が付いた、
「台北110附設・梅麗花摩天輪」等の馬鹿パロディ広告や、
セレブを皮肉ったガリガリのキモ可愛い女をキャラとして起用した、
駄菓子なおまけが色々付いた「上流佳人・許春梅小姐」年賀カード何かが有る。
許春梅は紙の着せ替えシートに成っていて服の他にペットの鴨や、
生理用品まで付く馬鹿馬鹿しさだが、台北市長選用のタスキまで付属で爆笑だ。

そんな「太陽瞼」氏がセレクトしデザインした書籍なだけに、
眺めているだけでもニヤニヤしてしまうイカした1冊に成っている。

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2007.04.02

春の台北ツアー特別篇「閃靈(ChthoniC)の話」

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(閃靈に関する最新記事はこちらへ)

先日・・・とは云え2ヶ月ほど前に成るが、
ようやく日本でも台湾のシンフォニック・ブラックメタル・バンドの最高峰、
閃靈(ChthniC)のアルバム「Seediq Bale」が発売された。
某誌で広告を見た時には久々に嬉しい驚きを覚えて早速専門店に出かけた。
禍々しいアートワ-クの作品を手に取り裏表を改めて見るだにふと概視感を覚える。
気に成って店が付けたポップを確認してみると、
「~霧社事件をモチーフにしたコンセプト作。」とある。
よもやと思って試聴台のヘッドホンを掛けてプレイボタンを押してみると・・・・
「あれ?これって05年に出た「賽德克巴莢」ぢゃねえ?」
そう、完全な新作なのかと思っていたら2005年に出た彼らの四作目だったのだ。
後々チェックしてみると国際盤としてアートワークも一新して世界発売した物が、
日本でも同様の仕様で発売された、と云う事らしい。
「六翼天使」の日本盤でもそう感じたものだが、同じ漢字文化圏として、
英語のタイトルが付いた作品でないと受け入れられないと云うのは淋しいものだ。
確かに同じ漢字を使っているとは云え、「賽德克巴莢」と書かれても読めないし、
しかも最後の「莢」の字だが本来の文字は真ん中に一本棒が延びている字なのだ。
何で間違った字で代用しているかと云うとPCで表記出来なかったりするからだ。
しかし「The God Weep」と書かれるより「泣神」の方が感じ伝わるし、
「Quasi Putrefaction」より「半屍、横氣山林」の方が禍々しさもひとしおだ。
・・・まあともあれ自分の様な既に持っている好事家は別にして、
これを機に閃靈がようやく日本でも本格的に紹介されると云うのは嬉しい事だ。
その某専門誌でもプロモを兼ねたライブで来日した彼らのインタビューが、
2週に渡り掲載され、その独自の存在に注目が集まっている事を感じさせる。
と云う訳で台湾シリーズの番外編で、今回は閃靈の事を書いてみたい。

閃靈の事を始めて知ったのは彼らがFuji Rockフェスに参加した2000年の事で、
始めて聞いたのはその時出たばかりの2nd「靈(白鬼)之界」だった。
確か台湾ではなく東京のCD屋のFuji Rock参加バンドを集めたコーナーで見掛け、
「中華圏出身のバンドか?」と興味をそそられたのがそもそもの出会いだった。
知らないバンドだったし、店頭にもインフォメーションが殆ど無く、
メタルなのは解ったが何故白塗り?と云う感じで、
購入して聴いてみたのだが正直「何なんだ?この音は」と云う感じだった。
既にこの頃には北欧のブラック・メタルの主要な作品は出揃っていて、
Cradle of FilthとかDimmu Borgir、Emperor辺りは聞いていた筈なのだが、
どうにもその辺と閃靈の出している音が一致しなくて困った覚えがある。
或る程度ジャンルの描き出す音の輪郭が掴めている今ならば、
彼らの曲のそこ此処にジャンルに共通する物を見付ける事が出来るのだが、
ブラックやメロ・デスに対する認識が低かった頃なので印象は良くなかった。
結局、何となく余り聴き返す事も無いままCDは仕舞い込まれ、
彼らの存在もすっかり意識の外に追いやられた。
その後彼らの思わぬ存在感を思い知らされるのは実は音楽以外での事だ。

Chthonic02

03年に台湾に出掛けた折に偶然本屋で手に取ったのが現地の文学誌「野葡萄」だ。
画像で見れば解るが、何と表紙が閃靈のVoのFreddyなのである。
これはビックリした!何故にブラック・メタルのバンドが文学誌の表紙を?
当時世間では「指輪物語」や「ハリー・ポッター」が大ヒットしている頃で、
この号でも「奇幻文学」の特集が組まれていてその一環かと思ったのだが、
明らかに閃靈のFreddyとして特集されていて彼の愛読書なども紹介され、
現地での意外なほどの存在感に改めて驚かされた。
(ちなみに野葡萄はそう云う人選が災いしたのかあっという間に消えてしまった)

そしてその存在感を決定的に思い知ったのは映画「南方紀事之浮世光影」である。
日治時代の台湾で活躍した彫刻家であり書家の黄清(土呈)の生涯を描いた作品だ。
黄は日本に留学し日本でも高い評価を得て、ピアニストの妻と日本に住んでいたが、
戦局が急を告げる中、台湾への帰国途中に米国の潜水艦によって撃沈された、
有名な高千穂丸に乗船していてその生涯を終えた悲劇の画家だ。
その黄を演じたのが、なんと閃靈のFreddyなのである!
何時もの長髪と白塗りのコープス・ペイントを捨て去り、
静かで朴訥とした、しかし内に秘めた情熱を輝かせる静謐な演技を見せるのだ。
いやぁあああ驚いた、郷土の名士の生涯をブラック・メタル・バンドの・・・・
いやもう既にブラック・メタルとかそう云う次元ではない所に、
閃靈とFreddyの存在は有ったと云う事なのである。
しかしコープス・ペイントの顔しか知らない人は映画の中の素朴な顔は必見である。
また実際の黄清(土呈)の写真を見ると良く似ていたりして笑う。
ちなみにこの映画の挿入歌「浮世夢」を閃靈が手掛けていて、
この映画本に付いているCDに入っているのかと思いきや、
実は無かったりするのでがっかりしたもんだ・・・・

さてそんな風に認識を新たにした所で聴いたのが、
その時に発売されたばかりの待望の4枚目「賽德克巴莢」なのである。
これが霧社事件をモチーフにしたコンセプト作と云うのを知り、上手い!と思った。
ブラック・メタルは北欧を発祥としてアンチ・クライスト的な方向を、
お馴染みなサタニズムと供に当地の北欧神話やヴァイキング神話に対比させる事で、
世界中で爆発的に拡大したメタルの一つのジャンルだが、
正直中華民国的にはどうなのよ?と云う感じを常々思っていた。
何せ各方面の宗教を取り込んで現世利益に集約させる「道教」の国だからして・・・
しかしアニミズム対植民地支配と弾圧と云う方向に持って行ったのは巧いやり方だ。
それによりブラック・メタル的なアングルと民族的なアイデンティティも、
無理無く咀嚼出来ていると言える。
そして明らかにグレードアップした楽曲と緻密なプロダクション、
やや浮いていた感の有った二胡のオリエンタルなメロディの見事な融合、
ゲストに呼ばれたサンディ・チェンの幽玄なスキャット、
そして洗練されたアートワークとメンバーのメイクや衣装など、
格段に進歩したその姿に衝撃を受けた。

Chthonic04


さてそんな閃靈は2006年に結成10周年を迎えた。
それを記念して大規模なソロ・ライブや記念作品も数多く出された。
まずは2月に華山特区で「登基十年演唱会」と題されて行われた記念公演、
その模様を納めたDVDと二枚組みのCDで構成された同名の作品。
特別舞台での、最も充実したラインナップを誇る彼らのフル・ライブが堪能できる。
ゲストに台北女声合唱隊とこれまた女性ばかりの古楽隊を加えているのだが、
琴や笙、笛などのアコースティック楽器はPAの音の分離の問題か、
完全にエレクトリックの轟爆音に掻き消されてしまって殆ど聞き取れず、
合唱隊のコーラスも人数を揃えた割に余り効果が感じられず残念な結果に終った。
しかしバンドの演奏は非常に充実していて歯切れの良い轟音が気持ち良い。
特にアンプに通された二胡の音はアルバム以上に扇情的に響いて来る。
そして何と言ってもバンドの要であるフロントの三人の存在感はやはり流石だ。
余り動き回る事無く、クールにベースを弾き倒すDorisはそれでもなお華が有るし、
アーミングを使ったトリッキーなソロや白いフライングVを駆使して、
アグレッシブに客を煽るJesseは中々のテクニシャンだ。
そしてカリスマとして君臨するFreddyは縦横無尽なスロートで客を翻弄し、
自ら二胡を操りユニゾンを聞かせ、右へ左えと動き回って客を沸かせる。
スタンディングの客席が照らされるとデジカメ撮っている連中や、
後方のアングルに映り込む携帯カメラの液晶の光りなど興醒めな客も多いが、
中華圏ならではと云う感じで面白いのが、ライブの最中に舞い上がる紙幣。
屍者であるバンドを紙幣で弔うと云う発想での事だろうが、これは効果的演出だ。

さてその後発売されたのが「閃靈王朝」と題された書籍で、
「台湾揺滾鬼王10年全紀録」と云うサブタイトル通りの結構重厚な内容の本だ。
オビチュアリーのTシャツを着たアマチュアバンド時代のレアな写真から、
その活動を世界に拡げる様に成った現在までの克明な記録が記されている。
好きな音楽を誰にも邪魔されず続ける為に一生懸命になる事が、
廻り回って自分達でライブを企画し続け、遂にはフェスを開くまでになり、
台湾の音楽状況を変え、遂には政治的な発言を述べる様にまで成る。
欧米や日本のシーンや状況から刺激を受けて自らを奮い立たせる、
その過程をバンドの成長と供に追う事が出来る構成は中々読ませる。
まあ読ませるといっても拾い読み程度の語学力での読解だが、
ふんだんに納められた写真を見るだけでも楽しい、特にナチュラルなオフショット。
付録にVCDが付いていて「賽德克巴莢」からカットしたMVが三曲収録され、
MVのメイキング映像や記者会見の模様などが納められていて興味深い。

最後に10年間の歩みを収めたベスト盤と云うかアンソロジー的な内容の、
「閃靈・・鬼脈轉生 帝輪十年經典」を紹介しよう。
地獄の裁きの場面らしき古画をあしらった典雅な箱装に成っていて、
表面と裏面の額縁部分と文字部分がエンボス加工されている。
中には歌詞が書かれた絵葉書の様なカードが袋に納められていて、
バンドの歩みを簡単に示した絵巻状の「大事記」と、
護符と云うか呪い札と云うか道教的な文様の怪しい御札が付属している。
音源は1stと2ndから2曲ずつ、3rdと4thからは3曲ずつ収められていて、
1stと2ndの2曲に関しては現メンバーによる新録バージョンで聞かせる。
確かに新たなアレンジによりクオリティの違和感は殆ど感じさせない。
個人的な話だが、冒頭に配された1stの「海息」は、
サビ以外のメロをクリーン・ヴォイスで歌う彼らにしては珍しい楽曲で、
その民謡調のメロディが実に気持ちが良く、ライブで客も大合唱していた。
陰陽座みたいに最後にこう云う曲調の楽曲を入れると、
ライブでも盛り上がりも違うのではないか?等と要らぬ事を考えてしまった。

今度は是非、東名阪を廻るツアーでも行って全国にその雄姿を見せて欲しいもんだ!

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