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2007.08.23

仮面ライダー電王の戯画化的な世界

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「どぅりぃ~むですよ、どぅ・り・~・むぅ!」

電王の「劇場版」は、他のブログでも中身の濃い感想が多くアップされていて、
ここで今更似た様な感想を出す事も有るまいと、
記事の頭に「電王孝」的な物を載せて御茶でも濁しておくか?とか考えていた。
しかしこれが書き始めてみると何だかんだと長文に成ってしまい、
これはイカンと、感想と論考は別けてアップする事にした。
以下が劇場版の頭に付け様と思っていた、まあ例によって「繰言」である。


「電王」とお題が振られて最初に出て来るのは言葉は、
「仮面ライダーなのに電車とはこれ如何に?」と云う奴に決まっている。
去年の年末から新年に掛けて新作の情報がネットに洩れて来た頃を思い出す。
「来年のライダーは電車乗ってやって来るらしい」「電車通勤か!」とか、
今で云う所のソード・フォームのラフ画が流れて来て、
「何じゃ?あの桃割れ頭は!」「顔にケツが有る!」とか散々な状態だった。
そう云う意味では放映前の「響鬼」と似ている様な状況だったと言える。
「平成ライダー」のセオリーに忠実だった前作の「カブト」と比べると、
ベクトル的には明らかに「響鬼」同様、定番から離れようとする作品で、
それは一話放映後にガラッと番組に対する論調が変わった所も同様だった。
勿論ベクトル的には同じでも話の描き方は明らかに隔絶していて、
或る意味「リアル」で有る為に細かく織り成された設定と、
「少年とヒーロー」と云う複合的な視点が大人を惹き付けた「響鬼」に対して、
「電王」は漫画的ともアニメ的とも云える所謂「戯画化」的な描き方に、
何ら躊躇無く挑んだ作品だと言える。

同時間に放映している戦隊物がより低年齢向けに「戯画化」的なのに対し、
差異化の意味でも従来のライダーは大人も視野に入れた設定に成っていた。
所が「電王」は中心に成るドラマは細かく丁寧に作り込んでいながら、
戯画化している部分は開き直って完全に漫画として描き切っている。
例えば前述のソード・フォームの仮面に対する「桃割れぢゃん!」と云う部分など、
実際に桃が頭の線路を流れて来てパカッと割れて仮面になる、
何故ならソード・フォームに成るのはモモタロスが憑依したからだ!
何と云うストレート極まりない論理!四の五の言ってる奴の方が馬鹿を見る。
最近テレビの方で登場した強化形態の「クライマックス・フォーム」も、
ネットに画像が洩れて来た時には「桃が剥けてんのかよ!」散々言われたりした。
所が番組中で強化形態に変形中に当の電王が「うわ、気持ち悪ぃ!」と絶叫で、
仕上げに「むっ剥けたぁ?」と来る訳で、劇中でそれ言われたらもう敵いません。
お約束に対して劇中で突っ込みが入ると云うのは相当漫画的だと言える。
そんな「電王」の漫画的な部分を担当するが主人公に憑依する4匹のイマジン達。
この連中の特異な存在が劇中の戯画化をほぼ一手に担っている。

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番組を観ている皆さんには今更だが簡単に説明すると、
赤:モモタロス/特徴:粗暴犯/何よりも喧嘩好きで揉め事には必ず首を突っ込む。
口も態度も人相も悪いが、根は人情に脆い単純で良い奴。
カッコ良い行動がモットーだが、ウンコ座りが最高に似合うヤンキー体質。
青:ウラタロス/特徴:知能犯/己の話術で他人を騙す事に生甲斐を感じる詐欺師。
女は大概口説くし寸借詐欺もお手の物だが、他人との調和を図れる大人でも有る。
レギュラーの中で唯一頭を使えるが、熱い事は性に合わないクールな奴。
金:キンタロス/特徴:強力犯/男は強くてナンボの寡黙な体育会系。
ナルコレプシーかと思うほど常に寝ているが、思い込みの激しさ故なトラブル多し、
単純で直情径行で論理は独特だが、基本的に一番善人ではある。
紫:リュウタロス/特徴:愉快犯/人の話を殆ど聞かない唯我独尊タイプ。
当初「切れる十代」と言われていたが、正直行動や言動は幼児並である。
制御不能に暴れたりするが、小動物や美人が好きな甘ったれの末っ子。

基本的にこいつらは味方だがライダーで云う所の「怪人」である。
基本的に怪人なので所謂「傍若無人」で「自分勝手」である。
それぞれ激しく個性的で妙に人間臭く、それでいて憎めなかったりする。
また各イマジンにはキャラに合わせた「決め台詞」が用意されいて、
台詞一つでそのキャラを認識させる、所謂「キャラ起ち」の助けに成っている。
こう云う「決め台詞」は特撮番組や時代劇には良く有る設定だが、
近年ここまで充実した、しかもキャラも豊富に大量な「決め台詞」稀だろう。
誰かがその台詞を口に出す時、それは最も簡単な「コスプレ」の瞬間と成る。

各人が見事に起ち上がって来る設定やキャラを把握した脚本も見事だが、
それにも増して見事なのが中々複雑なキャラの作られ方にもよる。
着ぐるみ、と云うかスーツを着て演技する事に特化したスーツアクターたちが、
絶妙な表現で脚本を膨らませ、競い合う様に演技にアドリブを加え、
その上で熟練した声優たちが表情豊かに更なるアドリブを加えるのだ。
プロによる相乗効果でイマジン達が展開する場面は画面の密度が特に高く、
番組内でも特に人気の高い部分であり、それにより現場の悪ノリが凄い。
一度流して観ただけでは情報量の多さが伝わらず、繰り返して何度も観てしまう。
そう云う所は、話に関係無い小ネタを散りばめてカルトな人気を得た、
「TRICK」や「時効警察」「セクシーボイス&ロボ」に近い物がある。

(余談だが声優達の貢献大なイマジンの漫画的なまでの活躍を見ていると、
昨年放送していた特撮番組「セイザーX」のブレアードら三馬鹿大将を思い出す。
あれも後半声優達の悪ノリでぐんぐんとキャラ人気を打ち立てていったが、
制作サイドはその辺意識した部分は有るんだろうか?)

またそう云うキャラ起ちした濃さが、アニメ的なキャラ展開とでも云うべき、
通常のライダー商品の展開と少々違うキャラ商品の人気へと繋がっている。
その際たる物が番組の主題歌でも無いのに、特撮番組としては驚異的な、
オリコンチャート初登場6位を記録した「Perfect Action」だろう。
各フォームの戦闘時に流れる曲を主役と各イマジン声優が歌った内容な訳だが、
劇中のイマジンのセリフが加えられた各バージョンも収録されていたりして、
これがイマジン人気でなければ何なんだ?と云う商品である。
勿論今までもライダー関係のキャラソングは存在していた訳なのだが、
やはり声で喰っている声優が加わった仕事は実に聴き応えがあるし楽しめるのだ。
人気声優の出演で所謂「声優誌」等でも電王は頻繁に取り上げられている。
それ以外にもデフォルメされたマスコット商品やお馴染みのソフビ人形、
はてはステーショナリー関係(自由帳とか下敷きとか)も発売されるそうで、
正しく今までに無かった「アニメ的」な展開を見せている訳だ。
「アニメ的」と言えば、これまでのライダーでは考えられなかった事だが、
劇場版の公開に合わせて「クレヨンしんちゃん」とコラボしたのには驚いた。
「電王」世界を完全に「クレしん」の画で描き切っていて、
しんのすけと絡むモモちゃんが何ら違和感を抱かせなかった事からして凄い。
他にも「ケロロ軍曹」「らき☆すた」「銀玉」等に電王ネタが見られたそうで、
アニメ業界との異常な親和性が確認出来る。 

戯画化は当然、主要な登場人物たちにも顕著である。
「運の悪い少年」と一言で切られる主人公の運の悪さは殆どコント並である。
ふにゃふにゃした言動になよなよした走り方でおまけによく気絶する。
しかし意外に強い意志を持ち、懐の深さも見せると云う描写が上手い。
それもこれも春まで高校生だった、良太郎を演じる佐藤健の演技力の賜物だ。
良太郎がイマジンに憑依されると、スタイルと性格が激変する訳だが、
そんな漫画な設定を巧みに演じ別ける彼の力量は相当な物である。
勿論メイクやスタイルそして声優のボイス・オーバーでかなり助けられては居るが、
劇場版で加わったジークを加えて、素の良太郎と六人格分を演じて別けているのだ。
番組に於ける彼の貢献度は従来の比では無い素晴らしさである。
二人目のライダーとして現れた侑斗は「響鬼」で京介を演じた中村優一君である。
本人はインタビューとか読むと素直な好青年と云う感じなのだが、
制作サイド交代時に憎まれ役として「響鬼」に加わったお陰で、
29話までのファンの憎しみを一身に買ってしまった不幸な存在であった。
今回も正直、響鬼の京介と殆ど変わりが無い設定の憎まれ役だったりするのだが、
侑斗に憑いているイマジン、デネブのお陰で非常に印象が良く成っている。
母親の様に甲斐甲斐しく侑斗を案じて面倒を見るデネブの存在が、
アッパーな良太郎のイマジン達と好対比に成っていて、これまた素晴らしい。
デネブもまたスーツアクターと声優のコンビネーションで繰り出される、
細か過ぎる小ネタの数々が多くのファンを引きつけている。
デンライナーのオーナーを演じる石丸謙二郎は既に存在自体がイマジン同様漫画だ。
「クレしん」コラボで見せた「世界の車窓から」パロなどの怪演は流石の貫禄。

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「淫靡なお姉さんと主役の良太郎君」


勿論肝心な「萌え」要素である女の子達の存在も充実している。
ハナ/属性:ツンデレ(いやデレは無いか)/名実供に最強のライダー・ヒロイン。
拳一つで粗暴なイマジンどもを仕切るデンライナーの裏番長。
敵イマジンが現れた時も、真っ先に良太郎を後ろにかばう男気の強さも最高。
とは云え外出時はファッショナブルだし、結構情に脆い所もポイント高し。
ナヲミ/属性:天然/余り客席乗務員と云う仕事をして無さそうな極楽とんぼ。
基本的にイマジン連中を煽ったり後ろで囃したり尻馬に乗って騒いでいる事が多い。
色々と謎は有りそうだが余り気に成らない、しかし居ないと結構淋しいタイプ。
愛里/属性:淫靡/ナヲミ同様天然の人だが、天然故に何処か淫靡な感じのひと。
多分コーヒーに良い仕事させる事と良太郎の事以外は余り眼中に無さそうだが、
色々と過去が複雑そうで、今後話の根幹に関って来そうな兆しあり。
強気、天然、年上と各方面に有効な女子キャラの皆さんだが、
もし今後白鳥嬢の不在が長引くと新キャラの増員が有るかも知れない。
その場合は多分、小悪魔なロリ系でモモちゃん辺りが手玉に取られるとか・・・
9月にはナヲミと愛里のコーヒー娘二人による、「ダブル・アクション」の姉妹編、
「Double-Action Coffee Form」等と云う物凄い企画モノが登場する。
こう云うキャラ起ちした企画がまかり通るのなら、
オーナーとナヲミで「Double-Action 時の電車の車窓から Form」とか、
ハナVSモモタロスで「Double-Action 因縁のBattle Form」とか、
尾崎VS三浦とか幾らでもネタが浮かんで来そうな所が楽しい。

Momo002
「最強なハナと余り深く考えてないナヲミ」


近頃放映されているドラマでも、漫画を原作にした戯画化した作品が増えている。
勿論、漫画を原作化した作品は昔から多く有ったが、
表現が極端に漫画そのままと云うか、漫画的で有る事に衒いの無い作品と云う事だ。
ヒットした「のだめカンタービレ」然り「花より男子」然り、
特撮出身者が多く出演する所に因縁を感じる「花ざかりの君たちへ」などなど。
成功しているかどうかは個人的な感想にも拠るだろうが、
かれこれ20年くらい続いていた日本のドラマに顕著な、
スモールサークル内の関係性や感情に終始した、閉じた感じのドラマではなく、
起伏の有るストーリー性で楽しませる話が増えて来たのは良い事だ。
日本のドラマに欠けていた、ベタなまでのダイナミックなドラマ性を追求した事で、
韓国のドラマが日本でも受けた事も、それと無縁では無いと思う。
もう職種や設定を変えただけの同じ様にまったりとしたドラマとか、
「演技に見えない演技」とか云う矛盾した事を売りにする役者はどうでも良い。
例え漫画的だの戯画化的だの言われようと、子供も大人も同じ様に、
血沸き肉躍る展開に笑い泣く様な、そんなドラマがいま観たいのだから。

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2007.08.18

東映特撮祭り2007

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夏らしい事を何もしていない、暑さに疲れてグダグダな日々に、
これはイカンと先週末に夏の恒例「東映特撮祭り」に出掛けた。
(・・・まあグダグダでなくとも観に行くけどな・・・)

今年の「電王&ゲキレン」は例年に比べて事の他好調の様だ。
初登場の公開2日間で20万人あまりを動員、興収も2億4100万円を超え、
正しく文字通りの大ヒット、最終的には15億円以上を狙えそうな勢いらしい。
前作の「カブト&ボウケン」との対比は145%と大幅に上回ったそうだから凄い。
そもそも良く映画を観に行くであろう十代後半から二十代の客は、
女性・カップルも含めて殆どターゲットには成らない映画だし、
お盆前の激戦区に於いてこの成績と云うのはかなり凄いのでなかろうか?

さて普段観に行く劇場の雰囲気とは些か違う、ガキの嬌声をBGMに、
波頭砕ける伝統の三角マークをイントロに、まずはゲキレンジャーの始まりだ。
今回のゲキレンは、はっきり言って完全に「燃えよドラゴン」である。
通常と違い、今回の敵は世界経済を裏から操る香港の大富豪「ヤン」で、
彼は或る目的の為に世界中の優れた武術家を香港に呼び寄せ、
「乾坤一擲武術会」を催し、そこで覇を競わせるので有った。
そこに呼び出されたのが激獣拳と臨獣殿のお馴染みの面々な訳である。
もうこれ完全に「ハンの島」でしょ?やってる事は石堅と同じでしょ?
これで「ヤン」の片手が義手で「鉄の爪」とか付いてたら最高なんだが・・・
そこは御安心あれ、今回のヤン役は何と大御所悪役の石橋雅史!
石橋雅史の特撮物の代表作と言えば「ジャッカー電撃隊」の「アイアンクロー」!
・・・もう痒い所に手が届くほど完璧な仕掛けである。
ちなみにトーナメントには色々とマニアには嬉しい方々が出ていて、
居合いの達人役で、アカレンジャー等のスーツアクターでお馴染みな、
伝説の新堀和夫社長の姿が観れるのも嬉しい所だ。

当然トーナメントを勝ち進んだ主役の面々はヤンの主催する晩餐会に招かれる。
流石に会場で相撲取りが廻っていたりはしないが、
ヤンの秘書役で出て来るインリンは差し詰めアーナ・カプリと云う所か?
そのトーナメントに潜り込んでいるのが、香港秘密警察・捜査官のラオファンで、
小野真弓が演じているが、これが中々ヌンチャク振り回してがんばっている。
晩餐会では早速踊り子たちが正体を現わし、インリン様が変身し戦闘が勃発、
その頃主役のジャンはラオファンを追ってお約束の屋敷の地下の捜索だ!
ヤンの犯罪の証拠を掴んだ矢先、そのヤンが現れ圧倒的な武術で襲い掛かる。
流石、石橋雅史!実際に剛柔流八段の空手の腕は鈍っていない。

そして一流の武術家の「気」を集めて最強に変身したヤンと、
ゲキレンジャー三人の、戦隊物お約束な空き地での決戦である。
テレビ版の火薬三倍増し位の勢いで炸裂するパイロをバックに、
テレビ版二倍増し位のカット割りで見せるお馴染みの「見得」と「決め台詞」。
以前も書いたが、もはや伝統芸能と呼べる領域に有る完成された「芸」である。
そしてその対決に続く巨大ロボ戦、これが今回中々味の有る物に成っている。
激獣拳と臨獣殿の「呉越同舟合体」と云うのが今回の売りなのだが、
やはり個人的には香港島の摩天楼の夜景を背景に闘うと云う部分が泣かせる。
これのミニチュアが中々良く作られていて、お馴染みの色とりどりの看板や、
工事中のビルにちゃんと竹の足場が組まれていたりして驚かされる。
更には高層ビルを手と足を使って登って行くゲキリントージャの姿が、
「帰って来たドラゴン」の梁小龍と倉田保昭の壁登りを連想させたりもする。
戦いに勝利した後の「これで世界と香港の平和が守られた」と云う台詞には、
現地にも少なからず居る特撮ファンの胸にグッと響く事だろう。

ちなみに今作「香港ロケ」と書かれているが、それらしいのはラストだけで、
後は合成ばっかりだったのが少々残念だったりする。
もう本当にラスト部分に数カットある位で、それならしなくてもとか思ってしまう。
まあそうは言ってもこの内容で30分程度なんだから密度は押して知るべきだろう。

その後に続くのが結構楽しみにしていた「モモタロスの夏休み」。
著しくキャラ化が進んでいる電王のイマジン達による小芝居短編だ。
所がこれも物凄いスピードでガチャガチャと進むのであっと言う間に終る。
何かウラの金髪に驚いてる内に話がどんどん進んで行った感じだ。
まあ特別意味がある内容では無い訳だが、
もう少しじっくり鑑賞したかったかなぁ・・・・

さて続くはメインイベント「電王」の登場である。
初日と公開週に圧倒的に人が集まったのは、かなり電王による部分が多いだろう。
それと云うのも今回の劇場版はテレビ版と完全に内容がリンクしているからだ。
これはもう本当に凄い事な訳ですよ。
今までの劇場版と言えばライダー物は大概パラレルワールド話と決まっていた。
基本的に大河ドラマ的に一年掛けて話が進行して行くライダーの場合、
制作進行上通常のストーリーに劇場版を割り込ませると色々不都合が生じる訳で、
だからこそキャラは同じながら世界観の違うパラレル物に逃げていた訳だが、
今回は完全にテレビ版と地続きで、しかも綿密にリンクする話に成っている。
所謂テレビ版で出された幾つかのお題が劇場版で解かれ、
劇場版がテレビ版に影響を及ぼすと云う相当に離れ業な事をやっているのである。
なので劇場版とテレビ版が完全にリンクするのが公開2週目位までなので、
リアルタイムで観ている人間なら、そりゃもう何としても劇場に行くしかないのだ。
これはもう本当に御見事としか言えない展開なのである。

さてこの作品、主人公は誰が何と言ってもモモちゃんである。
別に主役の良太郎の影が薄いとか云う事では無いが、
台詞の量だけ取ってみても、明らかにモモちゃんの台詞の方が多い筈だ。
モモちゃんと電王のスーツに入っている高岩氏にしても、
「劇場版は電王と云うよりモモタロスの方が印象に残っている」と言っている位だ。
そらもう冒頭から、キメるモモちゃん、怒るモモちゃん、地団太踏むモモちゃん、
走るモモちゃん、拗ねるモモちゃん、黄昏るモモちゃん、喜ぶモモちゃん、
殴るモモちゃん、蹴るモモちゃん、叫ぶモモちゃんと、モモちゃん尽くしである。
特に今回はテレビ版では中々観れない、デンライナー外での活躍が素晴らしい。
菅笠に半纏で人力車を走らせる粋なモモちゃんの姿にも痺れるが、
記憶の戻らない良太郎を案じて火の見櫓で黄昏るモモちゃんにもグッと来る。
小太郎に憑依してM小太郎に成っても相変わらずの柄の悪さが最高だし、
ミニ電王に成って小っちゃく闘う所も意外さに大うけだった。

他のイマジン連中は虜にされていた関係上余り活躍が無かったのは残念だが、
その代り良太郎は殆どジークに憑依されて傍若無人だったのが笑う。
(「おい、そこの茶坊主!」って、なんでお前は茶坊主知ってんだ?って感じだ)
ライダー劇場版恒例の「オロC」飲みも今回はジークの担当だったな。
しかしジークって確かイマジンなら小さくする事が出来たんじゃ無かったか?
そう云う事が出来るんなら戦闘の時に使えばよかったのにね。
まあ撮影は劇場版の方が先でテレビに登場する回の方が後だったそうだから、
そう云う「力」はテレビの方で思い付いたのかも知れんなぁ・・・・
しかしキチンと「鶴」ではなく「白鳥の恩返し」をする所は王子の泣かせ所だ。

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最初に写真を見た時には結構ときめいた感じが有った4タロスの屋外戦だが、
テレビ版の中で流れるシーン以外には左程見せ場が無くて残念だった。
やはりそれぞれ決め言葉を吐いてからそれなりの活躍が欲しかった所だろう。
その分の比重は4フォーム揃い踏みの部分で発揮されていた。
特に廃墟の中でそれぞれが別の敵と闘っているシーンで、
寄り気味で追っていたカメラが俯瞰に成ると、別の場所での闘いが移り込み、
今度はそちらにカメラがパンすると云う流れる様に立体的なカメラ・ワークは、
正しく複数ライダー戦闘時の伝統的なアングルでやはり最高に燃える。
戦隊に比べると伝統色が薄いライダーだが、こう云う所に伝統は息衝いている訳だ。

そして今回非常に良かったのが渡辺裕之演じる「牙王」の存在感だ。
マカロニ・ウエスタンの法則を出すまでも無く、
対する敵は強ければ強いほど、悪ければ悪いほど映画は面白くなる。
その点今回の牙王は強かった、しかもしたたかでしぶとかった。
「俺は、か~なり強い」が決め台詞のゼロノス一人では歯が立たずに、
色々な時間から良太郎を集めて来て電王4フォームを集結させた訳だが、
一撃で4フォームをなぎ倒してしまうほど牙王は強かった。
何だかんだでテレビ版の電王は結構圧倒的に強かったりするので、
余り苦戦している所を見た事が無いので新鮮である。
その点、今回はソード一人が立ち上がり、そんなの有ったのか?と云う、
「フルチャージ」二連発の末、牙王を切り伏せた最後は燃える場面だ。
例年の事ならここで恒例の強化フォームの初お披露目と成る訳だが、
それが劇場版での出来事が原因でテレビ版で初登場する展開には唸らされる。

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撮影に半日も掛らなかったんでは無いか?と云う豪華ゲストはまあ良いとして、
忍者役で「カブト」の田所さん、「響鬼」の轟鬼の出演にはニヤリとさせられる。
特にモモちゃんを見た轟鬼の「鬼だぁ~」は最高の楽屋落ちだろう。
他に牙王配下のイマジンの声優で、ライダーや戦隊OBが登場しているが、
やはりコブラ・イマジンには「龍騎」の王蛇同様イライラして欲しかった(笑)

そして劇場版ラストはオーナーによる粋な計らいに泣けるシーンが用意されている。
しかし笑うのはやはりこの姉弟にしてこの両親ありと云う感じで、
いきなり道端を爆走するデンライナーに対して、
普通に「あ、電車よ!」とリアクションするシーン。
陳腐に映るかも知れない場面だが、テレビ版で役の積み重ねが出来ているだけに、
苦笑しつつも、何処かほのぼのとした良いシーンに成っているのは流石だ。
最後にこう云う離れ業をこなしつつ、エンターテインメントとして遜色なく、
そして見事にテレビ版に還元させている脚本の小林靖子の手腕に賛辞を送りたい。

さて映画を観た後にに雑誌の劇場版スチールとかを見返していると、
結構劇場版でお目に掛っていないカットが数多く見受けられる。
(特に占拠されたデンライナー車中でのカットが多いのだが、
オーナーがナヲミに旗を持って来させるシーンとか無かったよね?)
やはりこれは来年のディレクターズ・カット版DVDへの布石と云う事なのか?

と云う訳で今回は両作品とも実に素晴らしい出来で充実した「祭り」だった。
作品の関係上、テレビ版を観ていない人に薦めると云う訳にはいかないが、
テレビ版を観ているのなら劇場に行かんでどうする?と云う作品なのは間違い無い。
・・・つうか言われなくても観に行ってるよね?答えは聞いてないけど。

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2007.08.11

「テキサスのチェーンソー大虐殺」箱

Texas001


ドラキュラやフランケン・シュタイン・狼男等の、
所謂ユニヴァーサル映画の古典的なモンスターたちに対して、
スプラッター映画以降の人気モンスターたち、
例えば「エルム街の悪夢」のフレディ、「13日の金曜日」のジェイソン、
「ハロウィン」のマイケルや「チャイルド・プレイ」のチャッキー等の中に、
普通に「悪魔のいけにえ」のレザー・フェイスは付け加えられる。
年代的には明らかにそれら、スプラッター以前の作品であるのに。
スプラッター映画は、所謂家庭用ビデオの普及と歩みを共にするが、
そう云う点で見ると「いけにえ」は確かにレンタルビデオの隆盛をきっかけに、
その存在を知らしめて来た作品と言えるかも知れない。
本国アメリカや欧米での知名度は別として、少なくとも日本ではそうだ。

マニアの方なら「そんな事は無い日本でも知名度は有った」と言うだろうし、
勿論「日本で未公開の衝撃作」とか云う訳では無く、
今回のBOXに収録された様に、テレビでも放映されている訳なのだが、
やはりキャラクターとしてまで人口に膾炙したのは間違い無くあの時期だと思う。
それまでのホラー映画としては余りにも殺伐とした孤高の存在が、
ようやくスプラッターと云うジャンルに収斂して行った時期だとも言える。
しかし名前を付けられ分類された所で、この映画の孤高さは少しの揺らぎも無い。
今も始めて見た時と同様の不快感でもって眼前に迫って来る。

しかしこの映画のヒリヒリとした不快感は何なんだろう?
後のスプラッター映画に比べれば遙に直接的な描写は少ない訳だし、
特殊メイクによる酸鼻を極める残忍表現も無い。
それなのに始まった途端に身動ぎ出来ない様な威圧感にいつも襲われる。
恰も画面の中が常に傾いているかの様な、感覚が侵される気分に成る。
それはよく言われる様にドキュメンタリーを見せられている感じに近い。
災害に見舞われ、明らかに命を落としているだろう現場の映像を観る時、
明らかに洒落に成らないその状況に押し黙る感覚とでも言おうか?
例えばジャンルとして確立された後のスプラッター映画などは、
ジャンルとしての「お約束」が有り、そこが突っ込める部分だったりするし、
精緻に作られていればいるほど、凄惨な特殊メイクの出来を鑑賞する事も出来る。
と云うかそう云う方向に不快を感じる意識を逃す事が出来る。
しかしこの映画にはそれが無い、徹頭徹尾ハードコアに淡々と話が進む。
予算の関係でそうなのだろうが、荒々しく色の飛んだフィルムの色彩まで、
この映画の内容に奉仕しているかの様に感じられるから怖い。

検視の場面を意識したのだと思うが、発光音と供に現れては消える、
ストロボ光に浮かび上がるミイラ化した死体を映した冒頭からして既に怖い。
本来は開放感に溢れている筈の若者達のバンでの旅行シーンも、
(本作はニューテレシネ・HDDリマスター版なのでその辺は解消されているが)
画面の四隅が淡く変色した褪せた感じの色彩のせいで、
死者の思い出を後で辿ったかの様な妙な感慨を抱かされて楽しめない。
エド・ニール演じるヒッチハイカーが現れる辺りから、
目にするものが総て何処か禍々しい所に繋がっている様な気分にさせられる。
何の前触れも無く現れる造形的に完全に狂っているレザーフェイス、
今見ると稚拙な感じの肉仮面とネクタイ姿と云うのが狂気に拍車を掛ける。
脳天を一発で仕留められ何度も痙攣する身体、
肉フックに掛けられた生き身の人間を不思議そうに眺めるレザーフェイス。
人骨で創られた家具、狂人一家の晩餐、血を吸うミイラ爺、
それらに何ら意味らしい物が感じられない所がどうし様も無く禍々しい。
捕えられ猿轡を咬まされたサリーの怯えた眼、血走った眼窩、動き回る眼球、
「いけにえ」への感情移入を許さない様な執拗な描写がたまらない。
そして常に語られる名場面、まるで狂気のダンスを踊っているかの様な、
レザーフェイスが朝日の中でチェーンソーを振り回し続けるラストシーン。
今回も始まったが最後、首根っこを掴まれて振り回される様に一気観だった。

さて今回のDVD化、当初はBOXも通常版と同時の6月に発売だった。
それがどうも特典ディスクのTV放映時の吹き替えバージョンが、
本編を数分カットした物に成っているらしく、それが権利者と揉めたらしい。
で、カットした部分を英語音声のままにする方向でカット無しで収録された。
勿論それは貴重な物なのだが、個人的な目当ては箱に付いて来るおまけの方だ。
「映画秘宝」編集部が深く関ったブックレットは、トビー・フーパーの記録や、
役者やスタッフの詳しいクレジット、「テキサスい」コラムなど盛り沢山で、
海外に比べると「いけにえ」関係の資料が中々無い日本では貴重な物に成っている。
そして日本公開当時のチラシとブックレットを縮小した物が付いて来るのだが、
こう云うのは紙ジャケ・マニアにはたまらない逸品である。
日本は海外に比べて、映画の販促物が非常に充実している国なので、
今後もDVD-BOXにはこう云った縮小復刻アイテムを付けてくれると大変嬉しい。
「死霊のはらわた」がリマスターDVD化した時に付属していた、
映画内に登場する「死者の書」の復元ブックレットなんかは楽しかったなぁ・・・

余談だが、この作品が芸術的にも「優れた映画」として、
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に永久所蔵されていると云うのは有名な話だ。
そこまで認知されている「不快極まりない映画」とはどう云う物なのか?
未見の方は是非とも自分の目で確かめて欲しい。

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(最高に味のある当時のフライヤー)

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2007.08.04

「響鬼探究」いよいよの刊行!

Hibikibook02


著者の東氏のブログで「今週末には配本」と書かれていたので、
週明けの月曜日にいつもの様に神田は神保町へと出掛けた。
曲りなりにも世界最大の書店街である、
例えば2軒ある「書泉」のビルにはちゃんと「特撮本」のコーナーまで有る。
所がだ・・・・無いのである。
それ所か平積みしていた様な形跡すらない、2軒ともだ。
発売前だった訳ではない、現に当日買った訳だし。
他の本屋の場合、置いてあるコーナーに若干悩む本ではあるが、
大概TV関係の本が置いてあるコーナーに有る物だがそこでも見掛けなかった。
勿論、自分が行った時だけたまたま無かったのかも知れないし、
単純に店頭で上手く探せなかっただけで、別の場所で山積だったのかも知れない。
それでも確実に言えるのは、少なくとも「売れている」と云う事だ。
2年前に放映していた子供番組の、しかも図版や役者の写真も載っていない、
三千円近いハードカバーの本が。

と云う訳で刊行予告から二年の歳月を経て、ようやく「響鬼探究」が発売された。
変な話だが、非常に感無量と云うか「とうとう出てしまったか」とでも云うか、
変な気分で本書を読んだ。
このブログの響鬼関係の記事でも度々「さてあとは響鬼探究本か?」
等と書いて記事を締め括って来た。
少なくとも「響鬼探究」が出るまでは、まだ響鬼を語れると云う感じが有ったのだ。
それもとうとう終りの時が来た。
勿論今後も語れるなら語って行きたいが、とり合えず一つの〆が来たと云う感じだ。

それにしても懐かしい!感無量に成る気分はここにも有ると思うが、
本書の東雅夫氏の「われらが響鬼の日々」の部分は正にリアルタイムで読んでいた。
以前からブログを見ていて、そこに響鬼の文字を見掛けた時はニヤリとした物だ。
趣味と仕事を兼ねた妖怪文藝の「響き交わす鬼たち」の発刊には唸らされ、
当時一緒に響鬼を観ていた連中と「すげえなぁ」とか囁きあった事を思い出す。
そして高寺プロデューサー降板後の一連の騒動。
半ば「炎上」状態だった「劇場版・響鬼」の空エントリー記事のコメント欄、
そこの板そこのブログと、そこいらで火が燻り、東氏のブログにも飛び火した。
本書にも出て来る白倉氏からの質問、と云うか「ちょっかい」の件も、
それに対する東氏の回答の件も、当時興味深く見守った。
(本書には出ていないが、確か東氏の回答に対して白倉氏からは、
「もうちょっとがんばりましょう」印が送られてきた、と云う様な記憶が有る。)
そこで展開された東氏の考察や付随する加門氏の響鬼論に驚かされ、
「なるほどプロと云うのはそこまで深く考察するのか」と感心する事しきりだった。
アニメや特撮番組を学術的に論ずると云うのは、昔からヲタクがよくやっていたが、
確かに作り込まれたこの番組ならば、かなり面白い論考が読めるかも知れない。
なので東氏のブログに本書の初期段階の企画が載った時に期待が大きく膨らんだ。
膨らんだ期待は萎む事無く、長い様な短い様な期間を経てようやく届いたのである。
発売早々に書店でこの本を購入した方々も多分同じ様な気持ちなのではなかろうか?
などと、思いながら早速本書を紐解いてみよう。

巻頭の京極夏彦氏の「偽物ムカシバナシ」と、
続く「妖怪文藝」でもお馴染みの日本物怪観光の「新種妖怪大百科」は、
まあ「余興の様な物」と云う感じで特に言う事は無いが、
個々の扉部分が何気にデザイン的に凝っていて笑えた。
(京極氏のはタイトル部分が響鬼のパロディで墨文字とロゴも同じ、
日本物怪観光の方は、やはり「カイブンシャの大百科」と云う部分だろう。)
続く「論考/エッセイ」の章がやはり今作の目玉と云う感じだが、
多少学術的な要素に縛られ過ぎて、生硬な論考も幾つか見受けられる。
こう云うのは例え牽強付会と言われようと、遊び心が肝要だと思うので、
「生物学的魔化魍論」に於ける、番組に出て来た魔化魍の生物学的な細かい分析に、
実際の気象データーやグラフを組み合わせた論考には楽しませて貰った。
他には「忘れられた「化け物」イメージと仮面ライダー響鬼」で論じられる、
昨今世間に伝播している妖怪のイメージが、水木しげる描く所の、
付喪神から発展した都市型な等身大の妖怪が中心に成っていて、
そこからスポイルされた「巨大生物」的妖怪の復権が魔化魍であり、
それこそは円谷の「怪獣」路線に負けた東映の「巨大生物」路線、
「キャプテン・ウルトラ」や「仮面の忍者・赤影」に連なる系譜である・・・
と云う話にはかなり「眼からウロコが落ちまくる」様な話だった。
極め付けは自ら「偏屈ジジイ」と名乗る高遠弘美氏が語る所の、
OPタイトルに於ける明日夢、香須美、日菜佳、ひとみの頬に書かれた墨文字、
「夢」「流」「華」「和」を「華和流夢(かわるゆめ)」と読み解く部分。
実際の真相などどうでも良い事、そのイマジネーションに深く頭をたれるのみだ。

五代ゆう氏の小説は確かに、中々上手く設定の移行に成功している。
悪くない、悪くないがアイデア勝負に終ったと云う感じもする作品だ。
「インタビュー」の章は響鬼に関連の有りそうな現場の話を聞いている訳だが、
余り作品に沿って行かない話が続く中、日本物怪観光の天野行雄氏の話で、
養護学校教諭としての部分に係る話が中々興味深かった。
「アンチ響鬼」の人間が良く言う「善人ばかりの温い人間関係」と云う批判に対し、
敵対したり人に関らずに生きる生き方の方がむしろ安易な生き方であり、
前向きで肯定的な関係を築き続ける方が遙に難しく大変な事である、
その事を丁寧に描き続けた事こそ深い表現である、と云う意見には感心した。
人間としての余裕が他人に対する寛容さを生む訳だ、
己を鍛えて人を助けると、云うヒーローを描いた志の高さを改めて感じた次第だ。

巻末のネットによる「公募エッセイ」は応募作を全編載せているそうだが、
いささか長過ぎる、と云うか量が多過ぎる気はする。
勿論、書道教師の方のタイトル文字の論考など面白い話も結構有るのだが、
ここをもう少し削って、せっかく屋久島まで出掛けた訳だし、
以前ブログに掲載していた屋久島探訪記等でも載せて欲しかった所だ。
山で小屋を見付けて「すわ!土蜘蛛の小屋か」とか言う部分など最高なんだがなぁ。

さて最後に個人的な「響鬼」に対する考察を書かせていただこう。
これだけの量の熱い論考を読んだ後に下らない考察を述べるのはナニなのだが・・・

ミュージシャンが良くバンドに於ける活動を語る時に、
「科学的変化」(ケミストリー)と云う言葉を使う事が有る。
所謂メンバー同士の相性や組み合わせで、1+1が2では無く十にも百にも成る、
そう云う人間同士の不思議な力の働き具合を化学変化に例えている訳だが、
それは共同作業である映画やTVの現場でも当然の様に起きる。
そう、この作品の29話までには間違い無くケミストリーが起きていた。
制作サイドにより緻密に組み上げられた美しい土台が有り、
そこに集められたパーツの総てがはまるべき所に綺麗に納まって出来上がった物は、
深く多面的で美しい、まるでマジョ-ラの様な色彩の作品だった。
その作品の複雑な輝きに魅せられて、視聴者は細部まで眼を凝らし、
そして輝きの中に自分の生き方を重ねてみたくなるのだ。

ケミストリーに法則は無い。
どんなに人気の有る俳優を集めても、どんなに面白い原作を土台にしても、
どんなに細部に凝り、金を掛けた表現を試みたとしても、
化学反応が起こらなかった作品は、単に数字が良いだけの作品なのだ。
結局、響鬼の29話までは間違い無くそう云うケミストリーが働いていて、
それ以降はそのケミストリーが消え失せてしまったのだ、残念ながら。
稀にしか起こらないからこそ、出会ってしまった時には心奪われる。
何時までも心の中に染み付き、折に触れてその色彩を輝かせる・・・・


祭りの終りは近い。
もうそろそろあの太鼓の響きも遠く成って来た。
またいつかあの懐かしい人たちに会える時は来るのだろうか?
その時まで出来る事は、あの人が言う様に、
「鍛え続ける事だけだ!」

Hibiki001
「みんな、今でも鍛え続けているかい?」

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