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2007.09.29

スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ

Django001


最高の「馬鹿」娯楽映画だ!

映画雑誌での紹介や、関連書籍も書店に何冊も並んでいると思うが、
出来るなら事前に余り情報を入れないで観に行って欲しい。
「スキヤキ・ウエスタンって何だよ?」とか「伊藤英明が出てる!」とか、
そう云う情報量の少いまま劇場に出掛けて行って欲しい。
そうすればテレビ・ドラマのスペシャル番組がそのまま劇場に移った様な、
お馴染みの小ネタを繰り返して笑いを取る作品とは違う、
問答無用なスケールの馬鹿なネタが釣べ打ちに襲ってくる、
映画ならではのデカイ大ネタの数々に度肝を抜かれるだろうから。

今回感心したのは画面が決して安くない、と云う所だ。
勿論バジェットの違うハリウッド映画に比べれば見劣る部分は多いが、
画面のスケール感やオープンセットの奥行きなどかなり力が入っていた。
やはり嘘は精緻な土台の上に映えるし、馬鹿はダイナミックな画面に良く似合う。
そう云う意味でも最高の舞台に娯楽の華が咲き乱れている風である。

話の骨格は「用心棒」と云うか「荒野の用心棒」そのままなのだが、
街中で対立する勢力が、何故か「源氏」と「平氏」だったりする。
一見不要な要素にも思えるが、こう云う「見立て」的な構造は、
何もキャラ性を与えられていない集団よりも、この物語への参入を容易にする。
それは「清盛」「義経」「弁慶」などの役名を持った登場人物達もそうで、
名前の背景に有るキャラと画面の中のキャラをすり合せる事で、
各々のキャラ起ちが早くなると云う利便さが有る。
しかしそれ故に源平盛衰記を知らない外人には良く解らない要素だろう。
まあ敵対勢力を「赤」と「白」に解り易く色分けした理由にも成るし、
それに合わせて英国の「薔薇戦争」の件も述べられる訳だが・・・

Django03


さてこのキャスティングなら他に何本映画撮れるんだ?と云う豪華な出演陣だが、
何はともあれこの映画の真の主役は絶対に桃井かおりで決まりだろう。
しかし何歳なんですか?と云う様な華と存在感と見事な体捌きだが、
同時に余りにもカッコ良過ぎるキャラクター設定にも痺れる。
タランティーノの「キル・ビル」に於けるオーレン・イシイの回想シーンに、
完全にオマージュ捧げた如き、アニメも使った過去シーンの演出が最高だ。
ラストの大銃撃戦に於ける緩急の付け方も桃井さんらしい演出で見事。
見事と言えば「清盛」役の佐藤浩市の野卑で矮小な演技振りも実に見事だった。
何にしろ映画は悪人が映えなくては魅力が半減な訳だが、
文字通り手下を盾にする卑怯さ、欲に憑かれた滑稽さが溢れまくりの清盛で、
ガトリング銃を片手に悪態を附く所など実に決まっている。
同様に平氏と源氏の間で上手く立ち回る保安官役の香川照之も最高だった。
小ずるく立ち回っているつもりが何だかんだと立ち行かなく成って、
終いには二重人格に成ってくる辺りから狂いっぷりに拍車が掛かってくる。
常に黒い笑いを提供しつつラストが松田優作なのが爆笑である。

そう云う最高に達者なベテラン達に囲まれて主役の若手もがんばっていた。
TVの印象でちょっと優男過ぎるかな?と云う感じだった主役の伊藤英明は、
シルエット的にもロングコートの寡黙なガンマン姿が非常にマッチしていたし、
ウエスタン・スタイルのガンファイトもかなり見事にこなしていたと思う。
「虚無な美男子」、源氏の頭領「義経」の伊勢谷友介は正にその物だ。
まあその華麗で美しく冷酷な事、銃や剣捌きの見事な事、最高に画に成っていた。
何気に英語のセリフも一番上手かった様な気がする。
対して同じ様な美男子なのに徹底的に「汚れ」な感じが安藤政信の「与一」。
キャラ設定もかなり極端なら演じる方も最高にエキセントリックに演じていた。
堺雅人の「重盛」は完全に馬鹿兄貴の「清盛」に翻弄される役回りで、
決して善人ではないが上手く立ち回れない人の良さが笑いを誘う。
ほぼゲストキャラ扱いながら小栗旬も贅沢な使い方をしている。
しかしキャスティングの真相は解らんが確かに彼は顎の辺りがタラ公に似ている。
でもってその役名の名付けられ方も最高にくだらなくて笑う。
あ~しかしこう書いてみると異常に豪華だわなぁ・・・
更にファーストシーンではビックリする様な豪華ゲストもこんにちわだ。
これには驚いたなぁ・・・何処にも書いてなかったし。
更に忘れちゃいけないのが今作のヒロイン「静」役の木村佳乃。
男どもの欲望に翻弄される汚れ役をかなり体当たりで演じてはいるのだが、
なんせ三池崇史の映画だけに、今一つ報われていない感じがしないでもない・・・

Django05

さて今回最大のビックゲストと言えば、当然タランティーノだろう。
ゲストどころか結構話の中心に喰い込んで来る重要な役を演じている。
「キル・ビル」に於ける旅客機の中の日本刀立て同様な、
箸入れ付きホルスターを装備したスキヤキ・マスター、ピリンゴがその役だが、
実に楽しそうに、全力で芝居している感じが伝わって来る良い演技だった。
しかしタラ公の「キル・ビル①」が「ハリウッド産なんちゃって任侠映画」なら、
今作は日本からの回答とでも言うべき「日本産なんちゃってマカロニ映画」な訳で、
あの遊び心が理解出来た人間なら何はさて置き、観に行くべき映画だろう。

まあ勿論、コアなマカロニのファンなら情念の足りなさを挙げるかも知れないし、
三池のディープなファンならブラックな毒が足りない事を挙げるかも知れないし、
普通のお客さんだと、濃厚過ぎて何が何だか解らないと言うかも知れないし、
石橋の「弁慶」が後半完全に「とんねるず」の石橋だったとか、
昨今の日本映画では中々見掛けない内用なだけに色々と賛否は有るだろう。
個人的には無国籍馬鹿映画と云う事で「ジパング」を思い出したりしたのだが、
あれが前半の豪快さを維持出来ずに後半失速した事を考えると、
日本のソウル・ブラザーNo1、サブ北島がこぶし廻して歌うエンディングまで、
テンション高く持って行ってくれた今作は素直に良かったと思える。

ただ、どうしても最後まで馴染めなかったのが「全編英語」と云うギミック。
マーケット的に吹き替えの手間が省けて売り易い、と云う言い分は解るが、
役者が台詞に込められた筈の情念を犠牲にしてまでする事だとは思えない。
肝心な場面で、明らかに台詞に意識が傾いている様なシーンが多々有ったし、
平坦な抑揚で語られる日本名と台詞の英語のイントネーションが乖離し過ぎで、
聞いていてそれが気に成ってしょうがなかった。
面白い挑戦だとは思うが思い付きの範疇を出ていない様な気がする。

興行的には苦戦しているらしい今作、
「海外でカルト化した後日本で再評価」みたいな恥ずかしい事になら無い様、
今の内からちゃんと評価しておきましょうね。

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2007.09.22

増殖するクトゥルー神話の世界

最近「クトゥルー神話」がと云うかラヴクラフトが再び盛り上がっているらしい。
気が付くと書店の其処此処でラヴクラフト関連の本を見掛けたりする。
まあ一部の好事家にしか知られていなかった二十年以上前から現在まで、
邪神たちの暗黒神話は途切れる事無く、しかも確実に日本にも浸透して来た。
かのメタリカの2ndに「クトゥルーの呼び声」が収録された時には、
「クトゥルーって何だ?」と云う声が多く囁かれていた物だが、
今では普通に神話をモチーフにしたデス、ブラック・メタルのバンドも多い。
アニメや特撮業界は元からSFや怪奇小説の読者が多かっただけに、
到る所で邪神モチーフの作品や小ネタが頻出していて収拾がつかない位だ。
「ウルトラマン・ティガ」の最終回にゾイガーとガタノゾーアと云う、
殆どそのまんまな邪神が登場して来たのに仰け反った人間は多いし、
戦隊物の「マジレンジャー」の最終章に出て来る冥府神の中にはダゴンが居るし、
ラスボスの絶対神ン・マは造型が完全にクトゥルーだったと云うのも笑った。
まあそう云う物の中には少々首を傾げざるを得ない生半可な作品も多いし、
神話のアウトラインは知っていても読んだ事が無い人も多いと思う。
実際あの時代の怪奇小説は読み付けていないと取っ付き難い所も有るし、
派手な見せ場と云うより雰囲気で怖がらせる作品も多いので、
手が伸び辛いのは解るが是非とも原典のあの雰囲気を味わって欲しいもんである。

Lovecraft001


そんな、派手な見せ場より話の雰囲気を重視した様な解っている作品が、
「H.P.ラヴクラフトのダニッチ・ホラー その他の物語」と云うDVDで、
幻冬舎が出している「画ニメ」の一本としてリリースされた作品だ。
他の作品を観ている訳では無いので「画ニメ」の全般に附いては語れないが、
所謂「動く画」では無く「止め画」を演出で見せる如き作品の様だ。
この作品は人形を使っているので簡単な動きは有るのだが、
基本はナレーションや効果音、音楽を乗せた紙芝居と言った所だろうか?
収録作品は三本、やや長めのタイトル作「ダニッチ・ホラー」、
そして短編の「家の中の絵」「フェスティバル(魔宴と云う方がお馴染みか?)」。
怪談風だったり、活劇調だったり、夢幻譚の様だったり、
短いながらそれぞれに違う手触りが感じられて面白い。

「家の中の絵」は語り手をミッキー・カーティスが担当しているのだが、
流石は立川流、何気に江戸っ子風のべらんめいな語りが面白い。
ストレートな恐怖演出だが、メガネを取った人形の顔が中々に役者な出来である。
「ダニッチ・ホラー」はやはりウェイトリィ兄弟の造型が気に成る所だが、
これと言って可も無く不可も無い様な出来だった。
邪神のデザインに関しては視覚化が難しい物が多いから、
単なる「ねじりん棒」をどれだけ異形的に見せられるかが問われる所だが、
最後に現れるウェイトリィ兄弟の断末魔の顔は中々不気味で良かった。
犬に咬まれて死ぬウィルバーの死体も同様に人形の顔が陰質で悪くない。
山場である丘の上の戦闘のシーンは「画ニメ」の性質上余り緊迫感が無いが、
画面に切り返しや特殊効果でそこそこ盛り上げてくれる。
しかし呪文を唱えるアーミティッジ教授は悪人の如く怪しく見える。
そしてやはり遠藤憲一の語りは独特の深みが有って良い・・・・
残念だったのが「フェスティバル」。
こちらはその無表情な人形の顔のせいで仮面取り去る長老の効果が薄れている。
何せ地顔なのか仮面なのそもそも解らないし、その下の顔もやや弱い。
それと召喚された有翼の雑種生物の造型ももう一捻り欲しかった所だ。
ただ夕日を浴びたキングスポートのパースが歪んだ情景は素晴らしい。
簡略化された街並みの感じも、何処かドイツ表現主義辺りを髣髴とさせる。
語りは柄本祐・・・良く知らない若手俳優だ・・・
一話と三話がどちらもラストが馬鹿笑いで終ると云うのは何か意味が有るのか?
少なくとも「フェスティバル」に関しては原作通りのラストの方が良かったと思う。
派手に盛り上げる事無く、ミニマルな伴奏に徹したジム・オルークの音楽も良し。

人形アニメでは無いので撮影はそれほど大変では無いだろうと思っていたが、
そこはそれ、メイキングなどを見るとやはり色々と大変だった様だ。
本編を見ていて結構感心したのがライティングの上手さで、
ライティングの加減で表情の乏しい人形の顔を幾重にも複雑に見せていた。
まあとにかく映像化された物に当りの少ないラヴクラフト物であるが、
こう云う変わった方向の挑戦も中々に面白いもんである。

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で、近頃学研から出たのがそのDVDの紹介も載っている「クトゥルー神話の本」だ。
最初に書店で手に取ってパラパラとめくった時には、内容的に90年に出てた、
「ムー」の別冊「クトゥルー神話大全」のブローアップ物かと思ったのだが、
かなりの部分はリニューアルされているので購入してみた。
「神話大全」の方も出た時は、表紙や巻頭に模型によるジオラマが掲載されていて、
「ビジュアル世代向き」とか「昔の少年漫画誌」みたいに言われていたが、
今回のは更にビジュアル化が推し進められている感じだ。
「神話大全」に有った「クトゥルー神話名作集」とか「用語集」、
そして「神話体系作品ガイド」等の原典ガイドがすっぱりと抜け落ちていて、
CGイラストによるグラビアの増量やネットのサイトガイド、
そして映像作品のガイドコーナーなどが充実していた。
まあ「神話大全」以降、作品のガイド本も多数出版されているし、
同じ出版社から出た「クトゥルー神話事典」等も着実に版を重ねているから、
よりビギナーに取っ付き易い内容にしたと云うのは解らないでも無い。
新たに加えられた菊池秀行氏の「アーカム探訪記」は断片的に読んでいたので、
抄載では有るがまとめてこう云う本の中で読めるのは嬉しいし、
東雅夫氏の「ラヴクラフトの居る日本怪奇文学誌」は非常に楽しめた。
昔から指摘されている「生き別れの兄弟」の様な、
夢野久作とラヴクラフトの相似点の数々には改めて笑わされる。
笑わされると言えば巻末のカストリ雑誌に載った、昔懐かしい体裁の、
「インスマウスの半漁人」はイラスト内容供に完璧だ!最高。

で、この本の一つの目玉がWebで募集された、規定枚数八百字と云う、
「史上最少のクトゥルー神話賞」の入賞作の掲載と云う訳なのだが、
個人的にはちょっと微妙な内容だった。
どうにも最優秀賞とその作者による「真黒き街」がピンと来ないのだ。
どちらかと云うと優秀賞の惚けた感じの「手乗りクトゥルー」とか、
「ダニッチの怪」を髣髴とさせる「双生児」の方が、らしかった。
何気に「真黒き街」はラヴクラフトと云うより梅図かずおっぽいしなぁ・・・・

Lovecraft002


さてラヴクラフトや邪心絡みのアンソロジーは結構着実に出版されている。
近年では朝松健が編集した、日本人作家による邪神神話アンソロジー、
分厚い二冊本の『秘神界』(歴史編・現代編)はかなり力の入った本だった。
それからラヴクラフト生誕百年を記念して編集され東京創元社から出版された、
「ラヴクラフトの遺産」もこれまた分厚いが充実した作品集だった。
それ以降しばらく途絶えていたが、去年の秋口に突然出版されたのが、
クトゥルーシリーズでお馴染みの青心社から出た「ラヴクラフトの世界」だ。
勿論この本も他のアンソロジーと同様に新しい邪神神話の創作集な訳だが、
創作の舞台をラヴクラフトの作品に登場する場所や街並みに限定する事、
つまりニューイングランド地方一帯のアーカム、ダニッチ、インスマスや、
プロヴィデンス、セイレム等、虚実入り混じった場所を背景に創作されている。
この本の原題が「Return To Lovecraft Country」と成っている様に、
それらの場所を「ラヴクラフト・カントリー」と呼ぶ事を提唱している。
玉石混交と云うほどではなく、それなりの作品が集まっているのは大した物だが、
多少ふざけ過ぎの感が有る作品も有って中々良い具合に緩急が付いている。

B級SF・ホラー映画のプロットの様な「闇のプロヴィデンス」、
150歳に成らんとするアーミティッジ博士をウェイトリィ家の末裔が尋ねる、
スケールだけは非常にデカイが結構バカな「ダニッチの破滅」、
オフビートでブラックな雰囲気が結構楽しい「腔腸動物フランク」、
冴えない禿げ親父の私立探偵が邪神相手にダイ・ハードな活躍をする、
ハードボイルドな妖怪ハンター活劇「コロンビア・テラスの恐怖」、
等などラヴクラフト原理主義者が少々眉をひそめる様な作品も有れば、
呪われた土地とLSDの幻想が「千匹の子を孕む山羊」を呼び覚ます「タトゥル」、
「悪魔のいけにえ」同様に邪神神話も、都会人が常識の通じない田舎で遭遇する、
予想も出来ない恐怖と戦慄を扱っていたのだと認識できる「ヒッチハイカー」、
同様の主題で隠れ里的な話を扱ったフォークロア的な「裏道」、
人類学者が調査に訪れた、忘れ去られた様な田舎の町のカーニヴァルで目撃する、
隠蔽された太古から続く闇の祝祭を描いた正統的な「ハーレクインの最後の祝祭」、
そして一読忘れ難い強烈な印象を受けるのが「ポーロス農場の変事」。
これはかのT.E.D.クラインの長大な「復活の儀式」のプロトタイプなのだが、
「復活の儀式」が上下巻合わせて九百ページにも及ぶ大長編だと言うのに、
殆ど作品のアウトラインが変らずに70ページほどの短編作品に成っている。
これがしかし淡々と迫り来る恐怖の描写がたまらなく恐ろしく、
網戸に群がる蛾、煩いほどの蟲の鳴き声、青藻の浮く澱んだ池など、
何の変哲も無い田舎の情景が歯車が一つ一つ狂う様に禍々しい物に変じて行く。
そして朴訥な農場の夫婦がその姿を変え主人公につぶやく様の恐ろしさ・・・・
それは「ラヴクラフトの遺産」収録のF・ポール・ウィルスンの「荒地」同様、
作品の中にお馴染みな邪神が出るとかネクロノミコンとかがが出る訳でも無いのに、
どうしようも無くラヴクラフトの匂いを感じさせる所は秀逸である。
青心社の本を置いている書店は少ないが、興味を持った方は是非一読を!

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2007.09.15

「陸小鳳伝奇」一気読み

Kulung001


猛暑から来る夏の疲れを吹き飛ばす意味で、
長い間取って置いた古龍の「陸小鳳伝奇」シリーズ三巻を一気読みした。
別に他人にはどうでもいい話だが、武侠小説の場合すぐ読まずに取り置きしている。
それはもう単純に早く読んでしまうと勿体無いからに他ならない。

中華圏では基本文献にして堂々ロングセラーを続ける武侠小説だが、
残念ながら日本では普及したとは言い難い状況だ。
武侠小説の御三家の内、有り難い事に金庸に関しては全作品が翻訳されたが、
古龍に関しては小学館文庫で三作品が文庫化され直に絶版状態。
その後、知らない所でノヴェルの形で何冊か刊行されたらしいのだがこれも絶版。
角川から「多情剣客無情剣」が発売されてその後は音沙汰なし。
梁羽生に関しては映画に付随して「七剣下天山」が文庫に成ったくらいである。
「三国志」に関してはビジネスマン向けからヲタク向けの物まで、
「エエ加減にせいよ」と云うぐらい関連した本が出たり使われたりしているが、
痛快さと面白さで云えば遙に凌ぐ武侠小説は無視されっ放しである。
そんな所で久し振りに早稲田出版から出たのが古龍の「陸小鳳伝奇」だった。
もうすぐに読むのが勿体無くて勿体無くて・・・・

小学館文庫で出た時には「楚留香伝奇」「辺城浪子」と供に出た「陸小鳳」だが、
始めて読む古龍にワクワクした華やかな「楚留香伝奇」と、
正しく殺伐とした魁の世界が展開される、かなり好きな「辺城浪子」に比べて、
少々印象が薄かった様な所が有ったのだが、
今回立て続けに「陸小鳳伝奇」を読んでみてそう云う印象は完全に払拭された。
いやぁああああああ本当に面白い!正しく「一読巻を置くに能わず」と云う感じだ。
全く持って伊達に金庸と並んでその名を君臨させて訳では無い素晴らしさである。
武侠小説独特の話の展開の面白さも当然あるが、
古龍場合はやはり異常にキャラの起った連中が織り成す人間関係の面白さだろう。
冒頭から惜しげも無く江湖の奇人たちが入れ替わり立ち代り現れて来る。

主役の陸小鳳は「四本眉毛」と云う異名をとる江湖の遊侠児である。
四本眉毛と云うのは眉毛の他に似た様な口髭を生やしている所から来ている。
決して楚留香の様に美男子では無いが、子供がそのまま大人に成った様な、
輝く様な瞳を持った、誰からも愛される「イイ男」である。
その素性は明かされる事は無く、身に付けた絶技も何処で修行したのか不明だ。
当代一の軽功の持ち主で、「霊犀一指」と呼ばれる天下無双の技を持つ。
この陸小鳳の技がどんな必殺の剣技でも2本の指で挟み取れると云う奇妙な技で、
所謂必殺の技でなく、飽くまで防御の為の技と云う所が面白い。
彼は江湖の無情さを身を持って知る、酸いも甘いも噛分けた男で有るが、
無駄に人が死ぬ事は無いと信じる善人であり、それが技にも表れている風である。
故に旺盛な好奇心で突っ込んだ首が、人との関りの中で常に廻らなくなる。
それでもそれが自分の性分とばかりに金にも成らない厄介事に関る毎日だ。

そんな陸小鳳の周りを取り巻くのが個性豊かで熱い絆で結ばれた仲間達。
「花満楼」は盲目でありながら超絶的な技を身に付けた美青年。
元々江南の名家の子息なのだが何故か江湖での自由な暮らしを送っている。
人を疑わないある種達観した善人であり、偽悪的な陸小鳳とのやり取りが楽しい。
対して頼る物は己の剣だけと云う、剣の勝負こそが己の生きる道と知る、
剣の為なら陸小鳳とも闘う、当代無双の剣の使い手が「西門吹雪」である。
「陸小鳳伝奇」の中で最もキレていて、しかも印象鮮やかなのが彼だろう。
真っ白な衣服に身を包み、その剣が抜かれた時はどちらかが死ぬ時だと云う、
善悪の彼岸を超えた水際立った怜悧な美丈夫はそれだけで画に成る。
「司空摘星」は並ぶ物無き泥棒の王であり、変装と軽功の達人である。
陸小鳳とは因縁浅からぬ仲で、出し抜いたり出し抜かれたりの繰り返しを続け、
彼から盗んだり助けたり、何気にヤンチャな子供同士のやり取りの様な関係である。
その他にも、怠け者の肥満漢でありながら驚くほど美人の女房を持つ、
からくり造りの天才にして陸小鳳の古くからの友人である「朱停」。
武術の腕は超一流ながら不必要なまでに厳格な性格をいつも陸小鳳にからかわれる、
色々と謎も多い江湖の極め付けの奇人「堅物和尚」等など盛り沢山だ。

と云う訳で主人公・陸小鳳の揉め事や謎な出来事には必ず首を突っ込む因果な性格、
クールな言動とハードボイルド的な態度、なのに隠せない人の良さ、
女にだらしない割に有り余る騎士道精神、強者に対する不屈の闘志、
そんな陸小鳳を助けたり出し抜いたりする仲間たちと云う設定は、
どうしても日本でお馴染みの或る作品を思い出す・・・そう「ルパン三世」だ!
義賊と云う設定的には楚留香の方が近いが、キャラ的には完全にこちらである。
花満楼とのやり取りは、何気にルパンと次元のコンビを髣髴させるし、
キレた感じの剣の達人、西門吹雪は五右衛門にピッタりだ。
設定は逆だが敵か味方か?と云う感じの司空摘星は銭形のとっつぁんで、
峰不二子の様な決まった存在は出て来ないが、毎回出て来る女性キャラは、
妙に純情な所がある割に人殺しも平気な強さを持っていて不二子的である。
だからと言ってパクったのか?と言われればそう云う事も無さそうで、
大体同じ様な様な時期(70年代初頭)に創られた作品なので、
所謂、面白い物語の黄金律が重なった、とでも云う所か?
何にしろついつい陸小鳳の声に山田康雄の声を重ねたくなってしまう・・・

Kulung002


さてそれでは今回読んだ「陸小鳳伝奇」三冊の内容だが、
最初に結構驚いたのが実は「陸小鳳伝奇」って連作集だったってな事。
本来有った筈のプロローグが小学館文庫版では抄訳に成っていたらしいのだ。
だからてっきり独立した作品集みたいな感じなのかと思っていたのだが、
完全に話が前巻から連続した話に成っているので驚いた。
と云うかそれによって更に「陸小鳳伝奇」への関心が増した感じだ。

第一巻「金鵬王朝」
滅亡した王朝から近臣によって略奪された王朝再興の為の財宝、
その近臣と供に行方知らずの皇太子、それらの奪回を依頼された陸小鳳。
今や江湖で一門の親玉に納まっている近臣達と渡り合う為に西門吹雪を呼び寄せ、
親友の花満楼と供に余人では不可能とも言える困難な依頼に奔走する。
行く手に塞がるは「謎」そして「美女」、降り掛かるは数知れぬ刺客の刃。
誰もが信用出来ぬ不可解な状況の中、辿り着いた事の黒幕とは・・・・?
第二巻「繍花大盗」
金塊を運ぶ行列の前に白昼堂々現れた牡丹の花を刺繍する髭面の大男、
その刺繍針で居並ぶ用心棒の眼を根こそぎメクラにし金を強奪して行った。
その男こそ今や江湖で知られた謎の盗人「繍花大盗」であった。
又しても上手い事言い包められて事件を探るハメに成った陸小鳳は、
事件の鍵として赤い靴を履いた謎の女侠客「公孫大娘」を追う事に成る。
行く手に塞がるは「謎」そして「美女」、降り掛かるは数知れぬ刺客の刃。
誰もが信用出来ぬ不可解な状況の中、辿り着いた事の黒幕とは・・・・?
(・・・って全く同じやん・・・)
第三巻「決戦前後」
西門吹雪と供に剣の腕では江湖に並ぶべき物無しと称えられる剣客「葉孤城」、
御互いが至高の相手と認めるだけに闘いは避けられぬ運命であった。
しかしいざ両人の刀が抜かれたからにはどちらかが倒されねばならぬのも必定、
そんな無意味な闘いは止めさせるべきだと奔走する陸小鳳だが、
決戦を前に二人の行方はようとして知れず決戦の時は刻一刻と迫ってくる。
しかも何やらそれに乗じて都では不穏な動きがあちこちで起こり、
それぞれの思惑を秘めたまま、遂に紫禁城の屋根の上で世紀の決闘が幕を開ける。
謎の陰謀は暴かれるのか?はたして雌雄を決する二人の決着は?

話としてはやはり「決戦前後」が最高に燃える内容だが、
謎解きを含めた話としてのまとまりだと「繍花大盗」が優れている感じだ。
まあとにかく初っ端から江湖の奇人が惜しげも無く登場して来て、
それがまた惜しげも無く死んで行くハードな展開にはハラハラさせられる。
前回では至高の使い手だった人間が次の巻では呆気なく死んで行ったりで、
贅沢と言えば非常に贅沢なキャラの浪費が続く所は流石だ。
陸小鳳が導き出した謎の顛末も何時も非常に厳しい展開ばかりだし、
その辺のビターなハードボイルド具合も陸小鳳の明るさと好対照である。
とにかく巻を追う毎にキャラの起ち方が半端じゃなくなって来る陸小鳳だが、
「決戦前後」に到っては正しく決め所、決まり所の釣瓶打ち状態だ。
友を信じ友に信頼され、男も惚れる見事な男っぷりには惚れ惚れさせられる。
片や本人は遊び慣れた遊蕩児な筈なのに何かと女性に翻弄される所も面白い。
激情的ながら好いた男に純真な女キャラの数々は正しく「ツンでれ」だし、
そう云う一途な女の姿に朴念仁な陸小鳳がこれまた微笑ましくていい。

まあとにかく読み始めたら止まらなく成る問答無用の面白さなので、
是非ともこの後に続く「銀鉤賭坊」「幽霊山荘」「鳳舞九天」の三巻と、
番外編の「剣神一笑」を是非是非刊行して欲しいとお願いしたい所だ。
つうかこのまま中断させられると非常にフラストレーション溜まるんですけど・・・

Kulung003


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2007.09.08

アウトサイダー・ミュージックの底知れぬ世界

Ofzbook01


さて、奇特にもシャッグスを聴いてしまって、爆笑しつつも戦慄し、
アウトサイダー音楽の深みに片脚を突っ込んでしまった貴方に、
そのぬかるんだ脚を更に深みにはめる様なアイテムを御紹介しましょう。

「Songs In The Key Of Z」と題されたこの1冊は、
その副題通りに「アウトサイダー・ミュージックの巨大な宇宙」の本である。
この本の中には、あなたにここに居て欲しい狂った金剛石、シド・バレットや、
先頃伝記映画も公開され何と日本でライブまでしたダニエル・ジョンストン
彼の魔法楽隊を率いるビーフハート隊長などの有名人の他に、
その筋では有る程度名前を知られた、シャッグスやタイニー・ティム、
そしてジョー・ミーク等も居るが、後は殆ど知られざる人達ばかりだ。
しかし彼らは常識や決まり事そして音楽など色んな事から自由であり、
故に一般には知られていないが真にインディペンデントな存在である。
著者のアーウィン・チュシドはラジオのDJだった経歴を生かし、
長年こう云う音楽を蒐集・紹介・そしてオーガナイズして来た人物である。
実は日本では本書より著者のコンパイルしたCDの方が先に発売された。
そのCDに本書の刊行の事も書かれており楽しみにしていたのだが、
諸々の事情で遅れに遅れて昨年の暮れにようやく発売された1冊だったりする。

本書は著者による長めの「序章」の後に、当然伝説の「シャッグス」から始まる。
ウィギン姉妹やレコーディング・スタッフへのインタビューなど読ませ所は多いが、
最高なのが当時シャッグスの凄さを悟った男がシャッグスをTVに出演させようと、
毎週土曜にシャッグスが演奏しているド田舎の公民館に尋ねに行く件だ。
「レコードそのままのギクシャクしたリズムの演奏にのって、
町の連中が恰も「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の様に踊っている」
と云う記述には最高に痺れる。

お次が「本物のアウトサイダーがでっちあげの粉飾無しで何処まで行けるか」、
の好例として著者が挙げる人間ジュークボックス、タイニー・ティムである。
身体に似合わないウクレレ片手に忘れられた古いポップスを甲高い裏声で歌う、
もじゃもじゃの長髪に白粉を塗った鼻も身体もデカイ男が、
何処でどう間違ったのか世間的に脚光を浴びた事が有る。
しかし本物には当然、偽者には無い本物故の輝きが有りそれは一目瞭然だった。
世間は思った「ア、こりゃイカン本物だ!」彼の天下は一瞬で終った。
そのお陰かどうかは知らねど彼には多くの録音が残され日本でも発売された。
しかし肝心の「タイニー・ティムに神の御加護を」は長らく廃盤状態だ。
次は是非ともタイニー・ティムの紙ジャケで決まりだろう!!

ビートルズ以前に始めて全米一位を獲った英国バンドの曲の作者にして、
かのフィル・スペクターと並び賞される事も有る独創的なプロデューサーながら、
激しい癇癪持ちの二重人格者で他人の言う事など全く聞く耳持たず、
ホモで女装好き、おまけに音痴で失読症だったと云う、相当に捻じれた男であり、
最後は大家の老女を撃ち殺し、自らも銃で自殺したと云う伝説の男こそ、
ジョー・ミークなのである。
ミークの場合件の全米一位を獲得したトーネイドスの「テルスター」以外にも、
全英チャートに数々の曲を送り込んでいるが、同時にしょうも無い曲も多かった。
ミークの場合スタジオでの音響実験に没頭する傾向にあり、
奇天烈な音を創り出したり、変なエコー処理を施したりするのが特徴なのだが、
その成果がブルーメン名義で作られた「I Hear A New World」だろう。
近年のミークの再評価は「宇宙空間の風景を音を使って描いた」と云う、
その実、異常者の心象風景の様な異様で歪んだこの作品で決まったと言っていい。
個人的にはヤードバーズ人脈の先輩であり、狂ったパフォーマーである、
スクリーミング・ロード・サッチの音源も彼が手掛けていたのがツボだったりする。
何気にミークとロード・サッチ、死に際まで同じだったりするし・・・・

そして本書と同時期に漸くまとまった音源が日本でも発売された、
その名の通り正に伝説の「ザ・レジェンダリー・スターダスト・カウボーイ」。
彼の事を知りたいなら発狂寸前のシングル「パラライズド」を聴けばいい。
早撃ちガンマン宜しくたったの2分19秒で、彼が如何に崩壊しているか解る。
これはもう68年と云う早い時期に登場したフリー/アヴァンギャルドであり、
その破壊力はオルタナ・パンクを上回り、曲展開はグラインド・コア並で、
ラウド・ロックやスクリーモ等とは1万光年も離れた魂の叫びなのである。
実際どんな野蛮人がやっているのかと思えば、
メガネを掛けた繊細そうな優男だったりする所も非常に絶妙である。
彼のエピソードとして有名なのは、かのデビット・ボウイが演じた所の、
ジギー・スターダストのネーミングの元ネタに成ったと云う事だろう。
どう考えても「与太だろ?」としか云えない話だが本当の事らしい。

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以上の様なこの世界のビックネーム以外にも珠玉の・・・いや珠石と云うべきか?
ワン・アンド・オンリーな「貴方の知らない」天才たちが紹介されている。
老人ホームでたまたま録音された45分間ノンストップの無意識メドレーを残した、
うわ言の様に無伴奏で捲し立てる元気な老人ジャック・マデュリアン。
ライブもプロモーションも何もせず、彼岸の淵から響く死人のつぶやきの様な、
コマーシャリズム・ゼロの音源を只々出し続ける謎の男・ヤンデック。
億万長者の未亡人で、有り余る金を才能ゼロな自分のリサイタルに使いまくる、
ジャイアンも羨む無駄使いの人、フローレンス・フォスター・ジェ-キンス。
うろ覚えの英語とスウェーデン語で、鼻唄加減にプレスリーを歌いまくる、
ジャンプスーツを着たそこいら辺のオヤジ、アイラート・ピラーム。
殆ど同じに聞える曲を自称3万5千曲書いた愛すべき巨大なテディ・ベア、
ウェズリー・ウィリス。
やっぱりザッパ師匠が探り当てて来た、ホームレスの困ったちゃん、
関った人間は地獄を見るが見放せない本物の男・ワイルド・マン・フィッシャー。
等など、一人一人が余りにも濃くコクの有る人たちがひしめいている。

アルバム一枚聴く気には成らないがこう云う世界を垣間見てみたいと云う方には、
冒頭で話したこの本と同タイトルのコンパイルCDをお薦めしたい。
本に載っている総てのアーティストが紹介されている訳ではないが、
重要な所は押えられているのでかなりの部分このCDを持っていればOKだ。
カナダ旅行の思い出をしつこく連呼するB・J・スノウデン等はインパクト充分だが、
個人的には名曲「テルスター」を鼻唄で聴かせるジョー・ミークのデモが最高だ。
余りにも音程が怪しく、完全に調子が外れてしまっている所は爆笑必至である。
ライナーにも書いてあったが、この調子っぱずれな鼻唄を聴かされて、
それをミークが考えていた様にトレースし直す連中は実に大変な労力だろう。
そう云う事を想像しながら聞くと、また一層可笑し味が増すと云うものだ。

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2007.09.01

シャッグスの「世界哲学」

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ちなみにこの帯は某ショップ特製の架空妄想帯。


「ベストを尽くして楽しませたいの 
私達の歌って寝ているみたいでしょ?
気楽にやってる訳じゃないの 
お金持ちは貧乏人の物を欲しがるもの 貧乏人はお金持ち憧れる 
痩せはデブの物を欲しがる デブは痩せに憧れる
だから、喜ばせる事なんて無理よ この世界の人を」

(The Shaggs / Philosophy Of The World)

何処かの漫才師の言葉ではないが、人を笑わすのは泣かすより難しい。
動きや映像を介しても笑わす事は難しいのに、音楽で笑わせるのは至難の業だ。
基本的に音楽で人を笑わせ様とする場合、歌詞に頼る事が殆どで、
それ故言葉の通じない外国のコミックソング等は聴いてもさっぱり面白く無い。
しかし数は少ないが、音楽だけで笑わせられる音源を幾つか知っている。
その中でも文句無く最高峰に近い位置に存在するバンドこそ「シャッグス」である。

しかし断って置くがシャッグスはコミックバンドなどでは無いし、
元より人を笑わそうと思って音楽を作ってはいない。
出て来た音楽が「たまたま」笑えるだけだ、しかも誰が聞いても。
だからシャッグスを聴く時は気を付けて欲しい。
最初は爆笑しながら聴いていても必ず途中から妙な感覚に捕われる。
気分が悪くなって来る奴も居れば、急に不機嫌に成ったりする奴も出て来る。
意図して居ないからこそ、ボディブローの様に違和感が身体に溜まってゆき、
生真面目にやっているからこそ、言い知れぬ不安感が這い拠ってくる。
化学物質の助けで飛んだサイケなどとは明らかに出自が違うのだ。
「笑いと恐怖は立脚点の違いだけ」と云うのを音で表されている感じである。
そんな危険なシャッグスの1stが始めて日本で発売される、しかも紙ジャケで。

かのフランク・ザッパ師匠が「今日、ビートルズより重要だ」と述べ、
ジャズの世界で幅広い活躍を見せる才人カーラ・ブレイが、
「この音を前に思考は完全停止」と述べた「シャッグス」とは何者なのか?
シャッグスはジャケに写っている凶暴なルックスの三姉妹のバンドなのだが、
成り立ちと生成にはジャケに写っていない彼女達の親父が深く関係している。
オースティン・ウィギンは米国の田舎に良く居る無意識過剰な親父だった。
親父は当時流行だったファミリー・グループで一旗挙げる事を考えて、
己の娘たちに楽器を買い与えグループの結成を目論む。
しかし大抵のファミリー・グループの場合、子供達の才能の豊かさを親が発見し、
その延長でグループを組み業界に売り込む、と云うのが通常なのだが、
ウィギン家の場合、親父の思い込み以外なんの理由も確証も無かったと云う事だ。
あまつさえ親父の教育方針で学校に通わさず通信教育を受けさせられていた姉妹は、
世間の事など余り知らず、親父に言われるまま黙々と楽器を手に取り、
当時の大部分の女性たち同様、親父に文句も言わずシャッグスは出来上がった。
それだけならば良かったが・・・・親父の無意識は過剰に膨れ上がり、
69年、貯めた小金を握り締め、まだ見ぬ栄光の為に、姉妹をスタジオに送り込み、
全曲オリジナルのアルバム「世界哲学」を作り上げたのであった!

自主制作レコーディングが早くから一般化していた米国では、
別にこう云う話は珍しくない話なんだろう。
親父の小金でプレスされた千枚のレコードは、九百枚が紛失・破棄されたそうだ。
それもまあ自主制作レコードなら珍しい話では無いのだろう。
しかし一つ違っていたのはシャッグスの音は紛れも無く「ホンモノ」だった事だ。

聞いて貰えればもう1発なのだが、シャッグスの音を一言で言い表すのは難しい。
例えて言えば、楽器を始めて持った子供が出す様な音、と云う感じだろうか?
とにかく有り得ないくらいプリミティヴなルール無視の音である。
基本、楽器は総てユニゾンで奏でられるのだが、技術上合わせられていない。
ギター、ベース供に単音弾きのこれ以上無いほどにスカスカな音で、
しかもドラムが走ったり遅れたりのヨレにヨレたリズムで、
時折何の脈絡も無くオカズを入れてくるので完全に意図せずに変拍子に成っている。
そこに何ら抑揚の無いうわ言の様な歌が絡んでくると云う寸法だ。
(余談だがビーフハート隊長が凄腕のメンバーを集めて意図的に、
こう云う音を出そうとしたのが「トラウト・マスク・レプリカ」なんだと思う)

しかし単に「下手な初心者のやった音楽か・・・」と高を括るのは早計だ。
下手な初心者のやった演奏で笑えたり気持ち悪く成ったりする音楽がどれだけ有る?
偶さか1曲くらいは奇跡的にシャッグス並の演奏が残せるかもしれない。
しかし彼女達は12曲もそう云う音を出し続けたのである。
普通ではない、普通の神経では考えられない、恐ろし過ぎる。

当然シャッグスは無視された。
しかし今でさえそうなんだから、当時もこの音に衝撃を受けた人間は居た。
居るには居たがその衝撃の持って行き方にかなり苦慮した。
コミックバンドなら良い、素直に笑って他人にも紹介出来る。
しかし当の彼女達は親父に従わされているとは云え、真剣に真面目にやっている。
そう云う純粋な田舎の娘たちを果たして笑い物にして良いのだろうか?
現在もアウトサイダー・アートを評す時に起こる根源的な問い掛けである。
そう云う訳で、やはり彼女達は無視され続けた。

その間シャッグスは地元で演奏活動を続けていたらしいが、
懲りないと云うか、考えないと云うか、親父は2回目のレコーディングを敢行した。
しかし流石のシャッグスも(当たり前だが)人間だったと云う事だろう、
「世界哲学」から6年後に出されたセカンド「Shaggs'Own Thing」を聴いてみると、
驚いた事に演奏が上手く成っているのだ。
いや、勿論普通の耳からしてみればセカンドも充分にスカスカでヨレヨレだ。
なんだが「世界哲学」で聴けた様な脳捻転する様な異常な空気は何処にも無い。
シャッグスが出していた音は当のシャッグスでも再現は不可能だったと云う事だ。
ちなみにこの中に彼女たちの地元の公民館だかでのライブ音源が入っている。
明らかにバザーとかの余興に近い、ガキの叫び声が方々で聞える会場で、
念仏でも唱えているかの様に淡々と狂った音を出しているバンドが素晴らし過ぎる。
75年、娘達の才能を信じ続けた無意識過剰な親父の死をきっかけに、
シャッグスはその輝かしい歴史に幕を下ろした。

しかしシャッグスが産み出した無垢な毒はじわじわと世間を侵食していった。
各界の先鋭的なミュージシャンがその異形を・・・いや偉業を称え、
「ローリング・ストーン」などのメジャー誌が、
「最も影響を与えたオルタナ・レコード百選」とか、
「20世紀に於ける一番凄いガレージ系レコード」とか、
「最も重要なインディーズ50選」とかに「世界哲学」を選出したのだ。
ゴミの様に扱われていたレコードは嘘の様に高額な値段を更新して行き、
80年にレコードがリイッシューされ、その後2ndも加えてCD化され、
そして何と99年には、生ける伝説として一夜だけの再結成も敢行され、
伝説の1枚目が紙ジャケで日本で始めてリリースされた訳だ。

怖ろしやシャッグス!
ポップ音楽の体裁でフリー・ジャズ以上にアバンギャルドな演奏をし、
細腕のスカスカな3ピースでプログレ以上の変拍子を叩き出し、
ハッパもクスリも無しでサイケデリック以上にトリップする音を導き出し、
その癖「世界哲学」等と云う大上段なテーマをゆるゆるに歌うアナーキーさよ!

聴いた所で儲かりはしないが、昨日と違う光景が見れるかも知れない・・・・

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