秋の岩槻街道漫遊(下)
さて前回の最後に訪れた謎の古墳の裏はもう直に大通りに成っていて、
そこを渡って水路の橋を通り過ぎれば、そこはもう荒川の巨大な河川敷である。
地方から出て来た連中は護岸処理された都心の川に奇異な思いを抱くらしいが、
荒川の河川敷に来てみれば思い描いた通りの川の姿が見れるのではなかろうか?
とにかく街中を走って来ると、頭上に開けた空の大きさに一気に気分が開放される。
天気が良いので子供連れや年寄り、カップルなどがのんびりと歩いていた。
荒川の河川敷と云うともう少し下流の方によく出没したりしているが、
何気にこちらの方がゆったりとした感じがするのは周りの風景のせいだろうか?
河川敷の拓けた所にテトラポット置き場が有ったりするのも楽しい。
そのまま下流の方へ向かい京浜東北線の高架線を潜り、新荒川大橋を抜けると、
その先の河川敷にキャンプ場施設の様な広場が出来ていた。
昔は文字通りな草野球の野球場しか無かった荒川の河川敷は、
昨今公園だの遊戯施設だの色々な物が造られているが、これもその一つなのだろう。
天気最高の休日と云う事も有って、日曜キャンパーの皆さんで凄い賑わいだった。
方々でバーベキューの煙が上がり、水汲み場は人でごった返していて、
まさか宿泊する事は無いだろうが、巨大なテントを広げている連中も居た。
そんな狂騒を尻目に進んで行くと、その先に旧岩淵水門の赤いゲートが見えてくる。
この近辺もキャンプ場と合わせたのか水門近くまでボードウォークが続いていた。
水門の手前に有る水中からそそり立った標識の様な物は、
大惨事を起したかつての洪水の時の水位が一目で解る標識に成っている。
一番上は昭和22年のカスリーン台風の時に8.6m水位が上がった時の物で、
その高さの所まで水が来ているのなら下流は相当酷い水害だと実感出来る訳だ。
基本的な話だがこの水門を抜けて行く先が皆様お馴染みの隅田川である。
元々隅田川は荒川の流れが地域によって名前を変えたに過ぎなかったのだが、
度重なる流域の氾濫を治水する為に岩淵水門の所で分岐させ、
放水路とした方を「荒川」岩淵以降の旧荒川を「隅田川」と名付けた訳だ。
それから旧岩淵水門の5つ有るゲートの内、向かって右側の大きいゲートは、
やや小振りな気もするが、船が行き来い出来る様に別構造で造られた物である。
その赤水門のすぐ後ろに新岩淵水門が有る。
ここに来た事は何度か有るのだが、その際は下流から上って来るコースで来た。
えっちらおっちら走って来ると水門の上の監視塔が徐々に見えて来て、
「あ~ここまで来たか」と云う気分にさせてくれたものだった。
確か少年野球をしていた時に、河川敷で練習の帰りに寄った事も有る気がする。
新しい水門が出来たのが昭和57年だと云うから、
その頃見たのはまだ赤水門の方だった筈だが、どうにも記憶に無い。
今日もあの頃の様に少年野球の練習帰りの子供たちが通り過ぎて行った。
そろそろ釣る瓶落としの秋の日が、彼方を赤く染めて落ちて行く。
帰り際もう一度赤水門に寄り、水門を渡って旧水門公園へ行ってみた。
別にお堂が有る訳では無いのだが、ここは水神さまの鎮守の森の様な雰囲気だ。
お堂は無いが「草刈り競争の碑」と云う面白い碑が建っている。
戦前に行われた全国規模の草刈り競技の開催を記念して建てられたのだそうな。
裏の方に降りてみると釣り人がのんびりと荒川に糸を垂れていたりして、
対岸の賑わいに比べると、どこかひっそりと穏やかな空気が流れている。
橋の袂の所に、暗く成っているの一心に本を読んでいる女の子が居た。
天高い秋空の下、川風を受けながらのんびり本を読むのも結構良い物だろう、
ただし対岸で無遠慮に流されるクラブ音楽だけは勘弁してもらい所だ。
もう少し日が長ければ、もう一度岩槻街道の続きを廻る意味でも、
23区内で唯一の造り酒屋である「小山酒造」に行って、
通りに面して設けられた水飲み口で、自慢の井戸水をいただくとか、
八雲神社近くの古びた拝巡塔や庚申塔を眺めたりとかするのだが、
秋の日暮れは本当に早く、既に辺りはすっかり夜の様相と化していた。
まあそんな訳だから、かつての都電の終点を通り過ぎて赤羽の駅前まで戻って、
賑う駅前の紅燈の巷に身をゆだねて半日の漫遊を締めくくるとするか・・・・
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