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2008.01.28

クライマックスな「電王」本の数々

祝!電王オリジナルDVD作品発売決定記念。

そう、正式に発表されてなかったんで前回は末尾を濁したのだが、
「その後」に成るのか「本編の番外作」に成るのか「外伝」に成るのか不明ながら、
「仮面ライダー電王」のオリジナル作品がDVDで発売されるらしい。
ネットでは最終回以前から噂が有り、決定的な画像も洩れて来たりしてたのだが、
週末のファイナル・イベントで出演者から発表が有り、
その後出演者のブログ等でも記述が続き、その際には再び劇場化の可能性も。
う~む、何と「クライマックスは続くよ何処までも」状態なんだ・・・
いきなり最終回で「Double Action Wing-Form」が流れて発売も決まり、
「Compleat CD-Box」が全然コンプリートじゃねえじゃ~ん状態だったりするし、
今後更にマニアックなグッズ関係も発売されそうだしで凄い事に成ってる訳だ。
そう云う異常な電王人気を象徴する様に関連書籍もここに来て次々出版された。
実は前回の最終回ネタの時に本の話と絡めて書こうと思っていたのだが、
書いてる内に長くなり過ぎて二回に分けて掲載に成った訳である。
この辺全く興味の無い皆様には申し訳無い、と云う事で。

Book02


まず最初に電王のファンを自認するなら必読なのがこの本、
「DEN-O PERSPECTIVE 仮面ライダー電王公式読本」ミリオン出版刊。
プロデューサー、脚本、監督、カメラマン、特撮監督、視覚効果担当、
キャラクター及びクリーチャーのデザイナー、等々の番組のスタッフサイド、
そして俳優、声優、スーツアクターなど関係者のインタビューを交えて、
「電王」と云う番組を多角的に検証する公式読本の名に恥じぬ重厚な1冊だ。
「電車」と「仮面ライダー」と云う普通なら有り得ない組み合わせを、
その奇抜さゆえに実現させようと言う制作側の挑戦と、
蓄積されたスキルでそれらを伝説的な番組に創り上げる職人の姿が見事だ。
特撮監督の佛田洋が電王成功の要因を聞かれ「マグレ!」と言い切るが、
確かに奇跡的なバランスの上で成り立っていた番組だと思うし、
組み合わせの妙、としか言えない微妙な配合の元に創られていたとは思うが、
それを可能にしたのは、与えられた以上の素晴らしい仕事をしたスタッフや、
そのスタッフの仕事に応え更なる飛躍を即す、俳優や声優・スーアクの力でも有る。
だからこそ本誌最終章の「電王人気とその周辺」と題された一章で、
開始当初から異常な熱気を誇った「電王人気」の数々、
「平成ライダー・シリース」の変身ベルト売り上げの歴代1位記録の更新、
イマジン・グッズの異常人気、イベントに於ける恐るべき集客数、
前年比140%、興行収入14億と云う記録を打ち立てた夏の映画、
出す度に売れ続け、遂にはSMAPに次ぐオリコン2位まで到達した関連CD、
平成ライダー最高の売り上げを続けるDVD、それと同じ枚数売れたイベントDVDなど、
およそ考えられ無い様な数字を今も叩き出す「お化け番組」が出来た訳である。

Book01


さてお次は「IMAGINE 仮面ライダー電王特写写真集」ホビー・ジャパン刊。
「響鬼」「カブト」に次ぐ、所謂ライダーのスーツを特写した写真集であり、
今回は刊行元が変ったが、内容・写真の素晴らしさは変わらずの1冊である。
既刊の2冊を読んでいる人間ならおおよそ内容の察しは付くであろうが、
今回は各フォームの前にイマジン達のスーツが詳細に取り上げられていて嬉しい。
アップで観るモモちゃんたちのスーツの細部は中々圧巻で興味深い物が有るし、
劇中で使われたオリジナル武器、デネブに到ってはキャンディのアップまで有る。
勿論ライダーに関しては4フォームにプラット、クライマックス、ライナー、
ゼロノスはアルタイル、ベガ、ゼロと供に各種プロップ等が掲載されている。
ウィングとジークの特写が無いのは残念だが、ガオウと供に写真は載っている。
ライダースーツで驚くのは何と言っても各ライダーの複眼表現の部分だろう。
接写で見てみると、ソードは桃のパターン、ロッドは亀甲パターン、
アルタイルは牛のパターンで、ベガはドリル状のパターンがモールドされている。
TV画面では殆ど確認出来ない様な、謂わば隠し味の如き細かい芸当だが、
「神は細部に宿る」の言葉通り、こう云う細かいこだわりにはニヤリとさせられる。
さて従来だとこの本で制作の裏話や初期のスーツのラフ画等が掲載されてたのだが、
今回は決定稿のスーツ画と制作サイドの談話が少し載っているだけで、
アレ?と思ったのだが、実はそちらの方は次の一冊にまとめて掲載されていた。

Book03


お次はワールドフォトプレス刊、
「フィギュア王別冊 仮面ライダー電王 ライダーグッズコレクション2008」。
昨年1年で発売された玩具、フィギュア、食玩、ガチャポン、カード、限定商品、
更には文具、縁日の商品にまで到る電王のグッズを網羅した一冊である。
しかし侮れないのがその合間に制作サイドの豊富な談話と供に、
電王のデザイン決定に到るまでのラフ画やイメージボード等が掲載されており、
初期のライナーやライダーのラフ案などはいつもながら非常に興味深い。
特に初期のゼロノスが「弁慶と牛若丸」で決まる前は「太陽と北風」で、
ちゃんとそれに即した2フォームのラフ画が有ったりもするし、
劇場版用にモモやウラの顔が付いたライナー案も有ったりして面白い。
更に巻頭では主役の佐藤健と中村優一、巻中には声優のインタビューも載ってる。
役柄とは正反対のクールな語り口ながら作品に対する思いは熱い佐藤と、
最終回のデネブとの再会シーンではマジ泣きしたと云う中村の話も面白いし、
この業界長いのに番組が終わる事に寂しさを隠せないデネブの声の芳忠さんや
仕事部屋に一年一緒にタロスズを演じた4人の写真を飾っていると云う、
キンちゃんの声のてらそまさんの話には正直泣けた。

Book04


さてお終いは「仮面ライダー電王フォトブック IMAGIN」 JIVE刊。
帯の「注意!イマジンしか載っていません」と云うコピーが笑える、
Cast-Prix Premium編集部・編集によるイマジンファンの為のファニーな一冊だ。
冒頭のジーク、デネブ含む6人・・・いや6匹?の特写から始まって、
劇中場面や憑依良太郎や侑斗の写真に声優インタビュー、スーアク対談、
台詞集やら各話の行動記録など、何処を切ってもイマジンだらけな内容だが、
中々貴重なのがイマジンの産みの親でも有る脚本の小林靖子氏のインタビュー。
産みの親では有ってもスーアクや声優のアドリブによって育てられたのが解るし、
脚本の肝としてDVD等で見返した時に一番観たいのは「お約束」のシーンで有り、
それを成立させる為のキャラの起ち方に気を使った、と云う話は面白かった。
後はスーアクの対談部分でジーク役の永瀬氏が参加していたのも嬉しい。
しかし冒頭の特写などはせっかく達者なスーアクさんが入っているのだし、
ただの集合写真にせず、もう少しストーリー性を持たせた様な構成を考えるとか、
編集が今一つな所が有って万人にはお勧め出来ない部分がある。
(まあイマジンのみの本ってだけで充分万人にはお薦め出来んが・・・)

他にも児童誌の別冊で何冊か出ているが、こちらも中々侮れない内容で、
写真は満載だし番組内容に対するトータルバランスはピカイチである。

出尽くした感の有る電王本だが、クライマックスが続いている限りは油断出来ない。
まだまだ「響鬼」の時の「輝」の様な番組宣材写真を集めた写真集も可能だ。
クライマックスは続いている何時までも・・・・・

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2008.01.26

デンライナー・ケプト・ア・ローリング

001
最初にこの画像を見た時、今のこの高揚感が想像出来たろうか?


「記憶や想いこそが時間を創る」と云うテーマの下、
揺ぎ無く走り続けた「仮面ライダー電王」がとうとう終着駅に着いた。

終ってみれば、実に冒頭のテーマを貫き通した作品だったのではなかろうか?
「タイムトラベル」物と云う事で、どうしてもSF的なタームで捉えてしまうが、
これは脚本の小林靖子が以前に手掛けた「仮面ライダー龍騎」同様に、
「時を巡るファンタジー」として捉えるべき作品なんだろうと思う。
作中で明示されなかった謎に付いてマニアの間で幾つもの解釈が出ているが、
それは殆ど「記憶や想いこそが時間を創る」と云う解釈で良いのだと思う。
それがこの作品世界の起源で有り、原理で有り、未来であろうから・・・・
(それでも電王はかなり提示された謎の回収が出来た作品だとは思うが)
イマジン達は「拠って起つべき過去の記憶」を求めて世界を破壊しに来たが、
「時を巡る世界」が産み出したストッパーである「特異点や分岐点」に邪魔され、
積み重ねた人の記憶や想いに敗北してしまった、と云う所だろうか?
まあそんな堅苦しい解釈よりも電王的には「Climax jump」の歌詞に有るが如く、
「迷いそうな時必ず、想いの強さが導く、君の望む未来既にIn Your Hands」
と云う所だろか?いや結局「い~じゃん、すげ~じゃん」って感じかな?

番組終盤は最終回に向けて怒涛の展開ラッシュだった訳だが、
一番驚かされたのが良太郎の姉「愛理さん」が深く話の根幹に関っていた事だ。
以前電王ネタで書いた時に「珈琲に良い仕事させること位しか考えてない」、
とかいい加減な事書いたが、まさかあんな自己犠牲的な働きをしていたとは・・・
そう考えると良太郎と愛理と云うのは実に良く似た姉弟だった訳で、
一見おっとりと見えるが、芯の強さや頑固さは半端では無い存在だったと云う事だ。
翻ってみればこの話、桜井と愛理の思惑の上で動いていた話だった訳である。
決意を胸に消失する時間に戻る愛理の姿は胸が締め付けられるシーンだ。


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良太郎の餌に軽く釣られたイマジンの皆さん

そしてやはりラストに向けて盛り上がったのがタロスズたちとの関係だろう。
モモちゃんたちが消失してしまう現実を受け入れられず逡巡する良太郎に対して、
身体ごとぶつかって行って闘う気持ちを呼び覚ます口ベタなモモちゃん。
なんてベタな少年漫画的展開!余りに王道的な場面に泣けた。

最終決戦に向けて過去におびき出された良太郎達に群がるイマジンの大群、
現代でカイに襲われる愛理を救うべく帰還したいのに過去に足止めされたまま。
そこに一人すっくと降り立つ実体化したキンちゃん!
イマジンらしい無理くりな願望の叶え方だが、惚れ惚れするキンちゃんの魁気加減。
なんてベタな少年漫画的展開!余りに王道的な場面に俺が泣いた。

そしてデンライナー破壊の為に乗り込んでいたモグラ兄弟の企みを知り、
己の特性(嘘)を使い、己の美学(泣き顔は見せない)の為に犠牲になる亀の字。
自分の愉しみの為についていた嘘を良太郎や仲間の為に使う亀の字の優しさ具合。
そして一人過去に残った亀の字が群がる敵に向かって最後に放つ飛び蹴り!
その瞬間で静止する画面を見てこっちは朝から唖然とする。
こ・・・これは!!ブルース・リーの「怒りの鉄拳」のラストシーンぢゃないか!!
なんてベタな香港映画的展開!余りに見事なトレース具合に震えた。

出て来た時は調和的な物とは完全に相反する唯我独尊な性格だったリュウタ、
それがデンライナーで過ごす内、どんどん甘ったれな人間臭さを醸して来た。
置き去りにしたキンちゃんの名前を絶叫し、亀の字の裏切りに打ちひしがれ、
消失の怖さから闘えなく成っていたのに、良太郎を助ける為に我が身を呈す。
そう云う人間臭いリュウタがたまらなく可愛いく見えてしまう。

そう云う諸々の展開を含めて全員集合のクライマックスな最終戦である。
「闘いってえのは、勢いのある奴の勝ち」と云うモモちゃんの言葉通り、
小刻みにフォーム・チェンジを繰り返して敵を圧倒して行く電王、
ゼロノスも久々にデネブと合体のベガ・フォーム登場が嬉しい。
更に勢い加減もここにクライマックス、と云う感じのKY王子・ジークの再降臨。
そして全員の力を集結しての「俺の必殺技・ファイナル・バージョン」。
この皆の力を結集しての勝利と云う最後の有り方からして電王の異質さが際立つ。
こりゃもう完全に「戦隊物」の最終決戦必殺技パターンでしょ?
ライダー的な最後とは明らかに異なるながら、やはり盛り上がる事この上ない。
(そもそも味方イマジンの色、赤・青・黄・紫・白ってゲキレンとリンクしてるし)
闘いに勝利したのもつかの間、お約束通りイマジンたちは一斉に消失して行く。
勿論、モモも亀の字もキンもリュウタもデネブも、そしてジークも同様に。
解っていたとは云え喪失感に打ちのめされる良太郎。
デネブが作り置きして有った椎茸御飯を前に泣き崩れる侑斗。
そしてここからが電王ドラマの真骨頂と言えるイマジン達によるスカし場面だ。
「どっきりカメラ」宜しく「俺参上!」のプラカードを持ったまま、
良太郎の愁嘆場を目の前にして出る機会を完全に逸したモモちゃん。
例によって抜け駆けしようとする亀の字や自由なリュウタ。
良太郎に呼ばれなかった事が気に成って起ち上がろうとする空気を読まないジーク。
それを「頭が高い」とジークのネタの天どんを繰り広げるタロスズたち。
その馬鹿騒ぎに冷静に突っ込む良太郎・・・最高のスカし場面である。
片や大嫌いな椎茸御飯をかき込む侑斗の前に恐縮しつつ現れるデネブ、
「お前椎茸入れるな!」と絶叫してデネブに抱き付く侑斗、
「ただいまー!」と絶叫して侑斗を抱きしめるデネブ、更に泣くしかない場面だ。

それこそ「守りたい物が有るとすればそれは今の時間だ」と呟いたモモちゃんや、
「一緒に過ごした時間や思い出を残してくれておおきに」と言ったキンちゃんが、
繋がりが切れた後に良太郎の記憶によって修復された結果なので有り、
「彼らが共に過ごした時間と記憶が彼らを存在させる」とオーナーが解説した様に、
「人の記憶や想いこそが時間を創る」と云う電王世界の道理な訳で有った。

003
涙を堪えきれないイマジンの皆さん


正しく言う事無しの大団円だが、唯一心残りなのがハナの不在である。
コハナちゃんに対して文句が有る訳では無い。
可愛いし、見事にハナをトレースしてたし、あの歳にしては実に大したもんである。
キンちゃんに抱っこされている場面など非常に愛らしいし画に成っていたし、
おしゃまな女の子に、人相?の悪い怪人達が翻弄されている場面は中々楽しい。
しかし当然な話だが、やはりコハナちゃんはハナでは無い訳だ。
勝手気ままなイマジン達に、どちらかと云うとイマジンに近いオーナーとナヲミ、
強い事が言えない良太郎と、謂わばボケとスカしばかりの車中に於いて、
ハナは唯一の突っ込みで有る、しかも強烈なドツキ専門の。
後半の車中でのイマジンたちの漫談を見ていると、後もう一押しが欲しくなる。
調子に乗っているモモに対して、全方位からの手技・足技で仕留めて欲しかった。
勿論コハナちゃんも挑発してくるモモに対して鉄拳制裁を加えていたが、
基本的にハナはいかなる時にも口より拳で語る存在なのである。

ミルクディッパーに泥棒が入った一件の時、異常に張り切るモモ達に対し、
無言で鉄拳を喰らわせて、己が仕切ると宣言するあの強引さ。
その後、着ぐるみに入って店を見張るモモ・カメ・キンの3人が、
ハナに猫なで声を掛ける尾崎に対して、ハナの恐ろしさを滔々と語り掛けるが、
ハナに注意され死んだ振りをしてやり過す、あの緩急の付き方は最高だった。
「勝負事は黙ってられない」と肝試しで一般人を殴り倒すのもハナなら、
一時的に消え、帰って来たカメ達の為に膝を抱えて隠れて泣くのもハナである。
話の半ばまでで成立していた、イマジン達以上に個性的だったハナと云う存在、
その存在が話の途中にて成長が止まってしまったのは返す返すも残念だった。

004
「今度ハナクソ言ったら殺す」「・・・は、はいぃ・・・」


最後にこれはネットの書き込みで知ったのだが、最後のミルクディッパーの場面に、
リュウタが描いた「おねえちゃん」の絵がわざわざ飾ってあるのだ。
記憶の繋がった愛理が諸々を承知の上でリュウタの絵を飾ったのか、
スタッフが気を使って飾ったおいたのか解らないが、実に憎い演出である。
憎い演出と言えば最終カットで、画面が時計型に切り取られ廻って行く場面、
いつもは時計と逆周りで廻るのが、最終回は時計回りで廻っていた。
時間が正常に戻ったと云う意味なのかも知れないが、細かい演出だ。

そして最後に語られる良太郎の「いつか、未来で」と云う言葉・・・
そう、実は既に「その」未来は用意されているらしい。
異例尽くめの電王らしく、なんとスピン・アウトのオリジナル作品が・・・・

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2008.01.19

「ゾンビ」のお年玉

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一人でエレベーターに乗っていて、エレベーターが到着階に着いて扉が開く時、
何か微かだが言い知れぬ不安が脳裏を過ぎる時が無いだろうか?
多分その怖れの感覚は、ガキの頃に見た一つの映画が源泉に成っている筈だ。
そう、その映画とは「屍の夜明け」・・・・「ゾンビ」の事だ。


昨年末にハピネットからゾンビのDVDが廉価でまとめて発売に成った。
「ナイト・オブ・ザ・リビングデット」「死霊のえじき」、
そして「ゾンビ」に到っては「米国公開版」「ダリオ・アルジェント監修版」
「ディレクターズカット版」と3種類ものディスクがエントリーしている。
米国公開版は「死霊のえじき」と供に04年に発売されているのだが、
アルジェント版とディレクターズカット版は99年以来の発売と成る。
ネットオークションでアホみたいな値段が付いていた事を考えると、
1980円と云う値段は正しくお年玉と云うか随喜の涙な事態としか言えない。
04年の米国公開版発売の時には「これを逃がすとヤバイかも」と考えたのだが、
いずれ米国で発売している様な特典満載のBOXが出るのではないか?
と思い見送っていた訳だが、多分DVDメディアでは今回が最期の発売だろう。
もし豪華なBOXが出るとしても次世代メディアでの発売に成る様な気がするし・・・
と云う訳で値段的にもタイミング的にも今が正に買い時なゾンビなのである。

さて今回3つのバージョンが揃って発売されたが、
映画「ゾンビ」にはこの他にも幾つかバリエーションが存在している。
日本人にとって一番有名なのは「日本公開版」と呼ばれるバージョンだろう。
アルジェント版を元にゴアシーンにトリミングや画像処理などを施しているのだが、
明らかに他と異なるのが冒頭に挿入された「死者の甦り」の解説部分で、
惑星の爆発映像に合わせて「ある惑星の爆発で死体を蘇らせる光線が発せられ、
それが地球で眠る死者に影響を与えたため蘇った」とテロップが出る部分である。
長い事これが公式の設定だと思っていただけに、レンタルビデオが始まってから、
「あれ!あのシーンは?」と、冒頭までテープを巻き戻した覚えが有る。
ちなみに今回発売された3本は微妙な収録時間の違いは有る物の、
基本的に話の流れや内容に変りは無い。
一番長いDC版は、その分心理描写やキャラの行動原理に時間が充てられており、
やや重くダークな質感が強いが、キメの細かさ故の重厚さが見ものである。
対してアルジェント版は、早いテンポでサクサクと進む様はアクション映画の様で、
それを彩るゴブリンのスコアも非常に素晴らしく高揚感がある。
米国公開版はそれらを合せた様な、中々バランスの取れた作品に成っていて、
ロメロ自身もこのバージョンをオリジナルと認定している様だ。
安く成ったのならどれか一本買おうかな?と考えておられる方にはこちらを薦める。
勿論内容も良いが、何と言ってもデジタル・ニューマスターの画質が素晴らしい。
他の2本が階調が崩れ闇に沈み込んだ様な潰れたVHS画質のままなのに比べて、
闇に蠢く死人も、噴き上がる鮮血と溢れ出る内臓も、鮮明なカラーリングで観れる。
まあマニア的には当然、真っ先に手を伸ばすのは後の2本の方だろうが・・・・

Zombi002


さて「ゾンビ」と言えば一素人が語るまでも無い不屈の名作な訳だし、
それこそ世界中で影響を及ぼし、語られて来た映画な訳だが、
それは当時としても相当エクストリームな「ゴア描写」云々を抜きにしても、
その内容が単に映画として非常に出来が良いからに他ならない。
極限的な状況に於ける人間模様が秀逸に描かれているからこそのゴア描写だし、
織り成された感情の積み重ねによる状況設定が有ってこその終末観なのである。
ここには「愛」も「哀しみ」も「憎しみ」も「楽しみ」も「希望」も「諦め」も、
人の「残忍さ」も「気高さ」も総てが有る。
そしてそう云う物を総て「無」に帰す「不条理」な残虐さが有る。
別にエクストリームなゴア描写だけを描いた作品が駄目だとは思わない、
しかし往々にしてそれらは酸鼻さを鑑賞するだけの物に成りかねない。
人や状況がしっかりと描かれているからこそ何時観ても面白いし、
積み重ねた歳と供に感じる所が様々に変って来るのだ。

それと供にやはりショッピングモール篭城と云う舞台設定が最高だろう。
物資の豊富に有る閉鎖状況の中での「陣取り合戦」の如き頭脳プレイ。
圧倒的な数で致死度は高いが、戦闘力や頭能力が左程ではない敵。
後にシューティング系のTVゲームで大量に模倣されるシチュエーションだが、
この隙の多い状況設定だからこそちょっと参加してみたい気に成って来る。
正直、相手が「エイリアン」みたいな余りに強力な戦闘力の持ち主だと、
「参加したい」と云うより「遠慮したい」と云う感覚の方が強く成ってしまう。
勿論、昨今の全力疾走ゾンビも絶対に御遠慮したい相手だったりする。

それにしても「屍の夜明け」に於けるゾンビ達の不気味さは何なんだろう?
8年後の「死霊のえじき」に成るとメイキャップ技術も飛躍的に向上しているが、
不気味さで言えば、単に青白いだけの「屍の夜明け」のゾンビ達には敵わない。
そしてそれぞれキャラの起った、印象的なスタイルのゾンビが多かった。
何体かはフィギュア化されているが、一目でそれと解る有名な奴も居る。
思うに「死霊のえじき」の頃には、「ゾンビ」と云うお馴染みな怪物の雛形が、
完成して一般に流通してしまっていたからではないだろか?
つまりマイケル・ジャクソンの「スリラー」辺りで世間に定着してしまい、
不可解な怖ろしいイメージが薄められてしまったとでも言おうか。
それ以前のまだプリミティブなゾンビの姿だからこそ不気味だったのかも知れない。

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2008.01.12

ボンゾ・ドッグ・バンドの愉快な紙ジャケ

「ボンゾ・ドック・バンド」の事を聴いたり読んだりしていると、
異国のコメディを観ている時に感じると同様の隔靴掻痒感が常に付きまとう。
単に聴き流しているだけならそのまま流れて行く様なファニーな音の中に、
一体どれだけニヤリとさせられる「くすぐり」が隠されているのか?
だからと言って訳詩を片手にステレオの前で拝聴するのは姿勢として違う気もする。
「英国ロック」の文脈の中で数えられるバンドでは有るが、
中々このとっちらかった音楽性に比類するバンドを探すのは難しい。
例えるならポール・マッカートニーの実弟が居た「スキャッフォルド」や、
ピート・ブラウンの様なポエトリー・レーディングを絡めた連中だろうか?
かの地ではカルトな存在感を誇るバンドながら日本での低い知名度は、
そう云う諸々の「ハードルの高さ」が影響しているのは間違いない。

ボンゾ・ドック・バンドは65年にアートスクール出身者を中心に結成され、
当初はアートスクール出らしくボンゾ・ドック・ダダ・バンドと名乗っていた。
結成当時のコンセプトは、
戦前にロンドン周辺のミュージック・ホールなどで人気の有った流行音楽、
ジャズやボードビル、ダンス音楽等を現代的なセンスで、
しかも奇抜なコメディ・スタイルで演奏すると云うパフォーマンス的な物だった。
「ダダイズム」に傾倒している辺り1stの頃のソフト・マシーンを思い出すが、
音的には少々異なる物のナンセンス的な感覚は確かに近い物を感じさせる。
何にしろ「スウィンギン・ロンドン」でモッドに湧き上がっていたこの時期に、
過去の遺物の様な音を掻き鳴らし、異装のうえ馬鹿騒ぎするこのバンドは、
ダダイズムの如く強烈に当時のシーンに対してカウンターだったろう。
やがて人数が増えるに連れ名前をボンゾ・ドック・ドゥーダー・バンドに変え、
異色の名作として珍重される1stアルバム「ゴリラ」を発売する。

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そもそも何で「ゴリラ」なのかさっぱり解らないが、
ジャケの表も裏も怪しい扮装をした人達の怪しいコラージュで埋め尽くされている。
アルバムにはアートスクール出身者らしく12ページのブックレットが付いていて、
こちらも今回の紙ジャケでキチンと再現されているので怪しさもいや増しで有る。
アルバムには先述した様に何処か懐かしい古い流行歌風の音楽や寸劇が、
それこそジャケの様にコラージュされてコンパクトに収められている訳だが、
侮れないのが、その中に当時のビートルズに代表されるが如き、
サイケデリックな感触のポップ・ソングなんかも交じっていたりする所である。
実際その後彼らはビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」に出演し、
その名を高めた訳だが、そこで演奏された「Death-Cab For Cutie」も収録済みだ。
また今回の紙ジャケ化に際して7曲のボートラが収録されているが、
アルバム未収録だったシングル曲の両面やデモ・トラック等と並んで、
ビートルズやニール・セダカのカバーを含んだメドレーが収録されていてレア。

当然こんな奇特なアルバムが売れる訳も無く、メンバーも幾人か脱ける訳だが、
その過度なまでに英国気質のトゥーマッチなセンスはじわじわと支持者を増やし、
バンド名もよりソリッドにボンゾ・ドック・バンドと短縮し2ndを発売する。
前作以上に色物感出まくりのジャケが激しく聴く人間を選ぶが、
よりロックバンドに近い体制に成った事でサウンドはより親しみ易く成り、
ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「恋のスペースマン」の、
全英5位と云う事実が追い風に成りアルバムもトップ40に入る売れ方をした。

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その後彼らは子供向けのTV番組「ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット」の、
レギュラー・バンドに抜擢され子供以外からも俄かに注目される様になる。
ちなみにこの番組に出演していた面々こそ、後に伝説のモンティ・パイソンを創る、
エリック・アイドルやテリー・ギリアムといった連中なので有った。
この繋がりからボンゾズのニール・イネスがラトルズに参加したりと云う、
モンティ・パイソンとの付き合いが始まると思うと中々感慨深い。
で、その番組の中で披露された楽曲等を収録したのが3rdの「タッドホールズ」だ。
元アルバムでは半数以上がカバー曲とオリジナル感には欠ける物の、
ミスフィッツもカバーしていた「Monster Mash」等の古典も入ってて楽しめる。
ボートラでは1stでも出て来た架空の番組「ザ・クレイグ・トルソー・ショウ」の、
クリスマス版と云う体裁で、クリスマス・メドレーなんかも入っている。
アルバムは全英で36位を記録し、ボンゾズで最も売れたアルバムと成った。

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流石はアートスクール出身者のヴィヴィアン・スタンシャルが手掛けているだけに、
今回のボンゾ・ドック・バンドの再発は紙ジャケとして中々美味しいアイテムだ。
1枚目は普通のシングルジャケだが2枚目はダブルジャケで供にブックレット入り。
3枚目は表ジャケのメンバーの眼や額がくり抜かれていて、
インナーを取り出すと眼や模様が現れたり消えたりすると云う仕様だ。
中でも最高に美麗なのが4枚目で、深い青色の特殊紙のダブルジャケの上に、
ミラー紙にイラストや写真が印刷されたステッカーが貼られていると云う構造だ。
元ジャケを見た事が無いので何とも言えないがLPサイズだとかなりの迫力だろう。
一時再結成された時に出た5枚目は、4枚目と構造的に似たデザインで、
ボール紙風のジャケにバンド名の元に成った「ボンゾ・ザ・ドック」が印刷された、
こちらはステッカーと云うよりラベル紙風のシールが貼られたジャケに成っている。
ちなみに「ボンゾ・ザ・ドック」は1922年に産み出されたキャラで、
各種グッズにプリントされ人気を博した所謂アンティーク・キャラなのだそうだ。
当時のバンドの音楽性に重なる所からこの名前が取られたのだろう。
「ボンゾ・ザ・ドック」の商品は「懐キャラ」として高価で取引されているらしい。

さてボンゾズを語ると成ると外せないのがヴィヴィアン・スタンシャルの存在だ。
ボンゾズは歌詞やコンセプトなどの精神的な部分をスタンシャルが担当し、
音楽的な部分をニール・イネスが主に担当しているが、
バンドの創始者であり、数々の奇抜なアイデアを提示して来るスタンシャルは、
やはり相当にストレンジな人物だったらしい。
その実に英国的でトゥーマッチな感覚は、かのジョン・レノンも認める所で、
二人してよく飲み歩いていたらしい、同様にストレンジな仲間達も多く、
ソロアルバムに参加した面々を見てもその豊富な人脈が伺える。
しかし持病の神経衰弱から来る薬物依存や飲酒癖はかなり酷かったそうで、
天才肌の人間独特のむらの多い人生の末に93年に自宅の火事で亡くなっている。
そこで思うのがボンゾズ=ヴィヴィアン・スタンシャルを、
アウトサイダー・ミュージックと云う括りで眺めてみたらどうなるだろうか?
勿論、一般に言われるジャンル条件から外れる所も重なる所も有るだろうが、
音楽的にタイニィ・ティム辺りと重なる部分はかなり有ると思うし、
アート的な無理矢理さはビーフハート隊長にも繋がっている様に思う。

是非ともこの機会に新しい切り口でボンゾズを聴いてみては如何?

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2008.01.01

酔狂道・子歳初勝負

Hinode01


「酔狂道」とは、己との闘いである。
新年早々異常に大上段な論理展開であるが、まあつまりそう云う事な訳である。

酒を喰らってぬくぬくと暖かい部屋で高鼾を掻いている元旦早朝、
何故に随伴者も居ないまま霜も降りた薄暗い街に飛び出さねばいけないのか?
それもこれも総ては「己との闘いに勝つ為」に他ならない。
新年の朝に御来光を拝むと云う習慣をその身に刻んで二十六回目。
かつて小学校の恩師に「継続は力なり」と云う言葉を贈られたが、
一体これがどう云う力に成っているのか全く解らないまま今年もやって来た。

決して大袈裟な前振りを振らなければ本題に移れない訳では無い。
「絶対に押さないでくだいさいよ」と念押しした稲川淳二が、
その舌の根も乾かぬ内に井出らっきょに熱湯風呂に突き落とされた後に、
「喜んでいただけましたか?」と客に確認を求める様な物である。

そう云うどうでもイイ前振りはさて置き、今年も初日の出な訳である。
今年はまた一人に戻ってしまったので、近場の荒川土手に出掛ける事にした。
一昨年の時は下流に下って行ったのだが、今年は少々上流に上ってみた。
この辺りに来ると、川の中頃あたりから初日が拝めるので丁度良い。
鈴なりと云うほどでは無いが川に架かる橋には見物客が結構な数詰め掛けていた。
橋梁の合間に時折ギラリとした陽光が覗くのだか中々頭が顔を出さない。
しかし一度太陽光か眼を射ると、それからはあっと言う間に陽が昇る。
毎年の事だがこの瞬間はやはり妙に高揚して来る物があるのだ。

見切りを付けるのもまた早い見物客が一人散り二人散りして行くと、
それはもう見事に何時もの朝の光景に成って行く。
今日の空は抜ける様に青いので、これはもしかすると?
と見当を付けて走っていったら、ビルの谷間に見事に覗く真っ白な富士の山。
御来光に白富士、これで今年ももらったも同然だ・・・・

と、云う訳で今年も無駄な闘いにとりあえず一勝目!

Hinode02


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