レスリー・チャンの香港/松岡環
今年もまた彼の命日が過ぎて行った。
彼が美しいままその時間を止めて、既に五年の月日が流れた。
あの悪夢的な年を乗り切り香港は今も動き続けている。
同様に香港映画は活発に・・・・とまでは行かないが、
幾つかの傑作を生み出し、今日も生み出そうと動き続けている。
けれどあの時から「何か」が抜け落ちている様な気分は拭えない。
確かにあの時に一つの時代は終ったのだ・・・・「張國榮」彼と供に。
張國榮(レスリー・チャン)の悲劇的な死から五年、
その五周忌に合わせるかの様に一冊の本が出た。
それが平凡社刊・松岡環著「レスリー・チャンの香港」である。
張國榮の本はその死後、日本でも幾つかの書籍が発売された。
ファン気質全開の情緒的な本も多く、総てを手に取っている訳では無いのだが、
これは書店で手に取った時に結構引き込まれるものが有った。
それは張國榮の生涯を香港の現代史・及び芸能史と重ねる試みの面白さに有る。
本書の前書きにこの様な記述がある、少々長いが引用させて貰うと、
「レスリーと云うスターは、自らが好んでそうしたわけではないものの、香港の現代史と供に歩んできた人だった。その芸能活動は、香港の中国返還が具体化した1982年から97年までの15年を挟み、返還のプロローグとなる5年とエピローグとなる5年を加えた25年間にぴったりと重なる。香港独自の文化が生まれて、最も華々しい輝きを放っていた時期であった。」
やや牽強付会な部分も無きにしも非ずだが、実に面白い論点である。
実際に読むと、如何に彼が戦後の香港の繁栄と供に芸能人生を歩んだかが解るし、
その死があの最悪なSARS騒動と重なり合うのが正に運命の如きに見えてくる。
香港の現代史に関する本を読んだ事の有る人には常識だろうが、
宗主国である英国と母国である中国大陸に挟まれた揺れ動く香港の歴史を、
その時々の事件と張國榮の歩みと供に描き出してく記述は簡素だが中々に深い。
「芸能」と云うサブカルチャーで有っても時代を抜きには語れないのである。
その媒介に張國榮と云うスターは実に相応しい存在だった訳だ。
まあ勿論、張國榮の存在が先に有っての企画なのは間違い無いが。
したがって純粋に彼の評伝本とは言えない所が有り、
そう云う部分を期待すると若干肩透かしをくらう内容では有るものの、
評伝部分に抜かりが有る訳ではなく資料を紐解いた細かい挿話も充実している。
(寡聞にしてここで始めて知ったが、彼の愛称でお馴染みの「哥哥」は、
かの「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」で共演した王祖賢が言い始めで、
それが後に広まったと云う話には驚いた。)
そして何よりも著者が蒐集したであろう資料の異常な充実さ加減が凄い。
当時のLPやカセット、出版物などは当然として演唱会のパンフやポスター、
そして映画館のチケの半券まで出て来る所は実に大したもんである。
今は無き台北の中華商場の店で嬉々としてブロマイドを漁る話などは、
アレが有った頃からそんな事をしていたのか!と全く頭が下がる。
そう云う訳で著者もかなり重度な星迷で有るからして、
張國榮への思い入れ部分のみに特化した情緒的な記述も出来ただろうが、
そう云う姿勢を収めて丁寧に記録を綴って行く記述には好感が持てる。
丁寧と言えば本書の中にアナログレコードに関する詳細な解説部分がある。
張國榮のデビュー当時と言えば未だアナログ全盛時で、
それに関してLP・EP・SP・などの規格を色々と説明した記述なのだが、
確かに産まれた時からCDしかなかった世代が増えている昨今、
一々そう云う解説を入れなければ解らない時代に成って来たと云う事なんだろう。
う~む・・・・歳は取る訳だ・・・・
最終章にあたる彼の自死を巡る部分は、正直読んでいてかなり辛い物がある。
それはあの時を覚えている人間なら誰しもそう思うだろう。
著者はあのSARS騒動の最中、張國榮の葬儀に香港へ出掛けている訳だから、
悲嘆にくれる街や人々を描写し、幾らでも感傷的な文が書けたであろうが、
個人的な感傷を配し、事実のみを書き連ねる著者の筆致が更に哀悼を募らす。
ただ彼の葬儀の晩に横殴りの雨が吹き荒れた事を、香港返還の夜の豪雨とあわせて、
「香港が、そして天が号泣している」と表すのに留めたのみだ。
死後、伝聞を含めて散々取り沙汰された彼を巡る醜聞に思い煩わされたであろう、
著者も含む星迷たちの心を図る様に、その動機に関しても簡素にまとめられている。
原因は一つでは無く、様々な要因が絡み合い彼を死に向かわせた、と云う事だ。
彼の葬儀で、今にも倒れ落ちそうな所を両脇から支えられて歩いていた、
彼の長きに渡る親友でも有った梅艷芳も後を追う様に亡くなった。
彼がその遺書に於いて「多謝肥姐」と感謝の言葉を綴っていた、
「肥姐」こと沈殿霞も闘病の末、今年の春節明けに亡くなった。
張國榮と供にあの時代を彩って来た数々がその姿を隠しつつある。
ここ2年ほど香港には出掛けてないが、張國榮の墓はどうなったろう?
本書にもその記述が無い所を見ると未だに墓は定まっていないのだろう。
脚の無い鳥が降り立った地点は、未だ香港には無い・・・・
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