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2008.06.28

色々な「黑死館殺人事件」

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カルト時代小説の最高峰・国枝史郎の「神州纐纈城」に引き続き、
この前河出文庫から小栗蟲太郎の「黑死館殺人事件」が出たのには驚いた。
何なんだろう河出文庫?編集者が積年の宿願でも叶えているんだろうか・・・
もしくは桃源社の「大ロマンの復活」シリーズの復活を目論んでいるのか?
まあ何にしろ本屋の書棚に、あの怪しい書名が並ぶと思うと楽しい物だ。

同じ様な時期に再版されたハヤカワのポケミス版「黑死館殺人事件」の帯に、
探偵小説マニアの喜国雅彦氏の言葉としてこんなコピーが載っていた。
「読んだだけで自慢できる小説があった」
そう正に「黑死館殺人事件」は読んでいるだけで自慢できる類の1冊である。
翻って「途中で挫折しても誰もが頷く1冊」だと言い換える事も出来る。
確かに戦前の探偵小説中の奇書のレベルとしては双璧として語られる事の多い、
夢野久作の「ドグラマグラ」と比べても中途挫折した人間の多さは甚だしい。
身近に居るマニアの中でも「人外魔境は好いが黑死館は・・・」と云う奴は多い。
ではその恐るべき「黑死館殺人事件」とは一体いかなる内容なのか?

神奈川県は葭刈の荒涼たる丘陵にそびえる黒き死の館「黑死館」、
呪われた血を受け継ぐ降矢木家が棲むこの館では、過去に三つの変死事件を起こし、
前当主の降矢木算哲も十ヵ月前に動機不明の自殺を遂げていた。
現在は算哲の息子・美青年の旗太郎が受け継ぐ館で、再び死がその翼を揮う。
館内に四十年も住んでいた異国の人々による「黑死館不出のカルテット」の一人、
楽人のダンネベルク夫人が何者かの魔の手にかかって屠られた。
そしてその死体からは何故か清らかな青白い光を放っているのだ!
余りにも不可解な事件の為に警察にかり出された名探偵・法水麟太郎だったが、
それを嘲笑うかの様に第二・第三の殺人事件が巻き起こる。
殺人の度に行われる奇怪な見立てや奇妙な現象、そして曰く有りげな黑死館の人々、
はたして法水は黑死館が孕む死の闇を払拭出来るのだろうか?・・・・

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講談社文庫版・上巻のおどろおどろしい表紙


等と簡単なあらすじを書いてるだけだと実に面白そうな探偵小説なのだが、
何故これが完読困難な奇書として君臨しているのかと云えば、
端的に言って探偵小説の体裁をとった衒学披露書に成っているからだ。
試しに本屋で本書を手に取って中ほどのページを何枚か繰ってみて欲しい、
昨今の改行ばかりの白っぽいページ面とは対極の黒々したその活字の羅列を見よ。

「ではさしずめその関係と云うのが、吾が懐かしき魔王よ(オー・モン・シエル
・ベルゼビユツト)なんでしょうか」
「そうです、まさに吾なんじを称えん(ジユ・タドール)― じゃ」
真斉は微かに動揺したが、劣らず対句で相槌を打った。
「しかしある場合は」と法水はちょっと思案気な顔になり「洒落者や阿諛者はひし
めき合って(ゼ・ボー・エンド・スイツトリング・ペリシユト・イン・ゼ・ストロング)―」
と云いかけたが、急にポープの『髪盗み(レープ・オブ・ゼ・ロック)』を止めて
『ゴンゴーザ殺し』(ハムレット中の劇中劇)の独白を引き出した。
「どのみち、汝真夜中の暗きに摘みし草の臭き液よ(ザウ・ミクスチュア・ランク・
オブ・ミッドナイト・ウイーズ・コレクテツド)― でしょうからね」
「いや、どうして」と真斉は頸を振って「三たび魔王の呪詛に萎れ、毒気に染み
ぬる(ウイズ・ヘキツツ・バン・スライス・プラステツド・スライス・インフエクテツド)― 
とはけっして」と次句で答えたが、異様な抑揚で殆ど韻律を失っていた。

(第三篇「黑死館精神病理学」の三、「莫迦、ミュンスターベルヒ!」より抜粋。

などと云う文章が延々と続く訳で、それだけで相当の人間が本を閉じるだろう。
土台これが近世ヨーロッパのゴシックな古城辺りで交された会話ならいざ知らず、
神奈川は葭刈の田舎住まいの老執事が何だってそんなに博識なんだか・・・・
それも黑死館に関る殆どの人間がこの調子で探偵の法水と衒学披露を繰り広げる。
大体この探偵の法水からしてが、謎を解こうとしてるのか、
それとも難解な言動と牽強付会な論理で謎を複雑にしているのか解らない奴で、
昨今の名探偵パロディに出て来る自ら事件を複雑化させる探偵の元祖の様な男だ。

勿論この様な衒学的な要素を完璧に楽しめる人間などそうそうは居ないだろう。
結局こう云う無茶苦茶な話の逸脱振りを楽しめるか否かに総てはかかっている。
かの大乱歩がこの小説の「序」で実に的確な指摘をしている。
「~普通の文学では作者の知識は裏打ちと成って表面に露出しないのであるが、
この作では作者の驚くべき知識の山が、知識のまま眼を圧して積み上げられている。
即ち裏打ちの方が表側に向けられているのだ。だがこの裏打ちは反古張りでは無か
った。それどころか、作者が故意に裏向けにしたほどあって、そこには探偵小説的なる
あらゆる興味、探偵読者をして随喜渇仰せしめる所のあらゆる魅力、怪奇犯罪史、
怪奇宗教史、怪奇心理学史、怪奇医学史、怪奇建築史、怪奇薬物史等々々の目も
あやなる緯糸と、逆説、暗喩、象徴等々の抽象論理の五色の経糸とによって織り
成された一大曼陀羅が、絢然として光り輝いていたのである。」

う~む・・・この様な慧眼的意見の他に言う事が有るだろうか?
そしてこれを書き上げた蟲太郎の気迫と情熱こそがこの作品を永遠の物にしている。
訳が解らなくても良いのだ、その幻覚的な体験こそがこの本の醍醐味だから、
実際に執筆中の蟲太郎も精神的に追い詰められ、かなり意識が跳んでいたらしい。
その跳び具合を再体験する事も読了の楽しみだったりする訳だ。

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現代教養文庫版のスマートな表紙

とは云え「黑死館殺人事件」は別段幻の書籍でも何でもない。
かの奇書がこの世に産み出されてから出版社を変えて何度も出版されてきた。
今回出た河出文庫と再版されたハヤカワ・ポケミス版以外だと、
多分最も定番として定着しているのは創元推理文庫の日本探偵小説全集の中の、
「小栗蟲太郎集」で伝説の松野一夫の挿絵も添えられた最良の1冊だ。
個人的にお薦めなのが既に絶版と云うか出版社自体が存在しないのがアレなのだが、
現代教養文庫から出ていた「異端作家三人傑作選」の中の「黑死館~」だ。
章の扉に新たに付された斉藤和雄の挿画も中々良いし、
巻末の井上良夫の「黑死館殺人事件を読んで」、
島田太郎の「黑死館の門前に佇んで」の二つの解説も非常に読ませるのだが、
何と言っても編集を担当した印度哲学者の松山俊太郎の解題が凄まじい。
先ほど(衒学的な要素を完璧に楽しめる人間などそうそうは居ない)と書いたが、
楽しめる所か本文中の衒学的な部分の誤りや綴り間違い発音間違い等を指摘し、
それらを正した正誤表が巻末に附くと云う衒学要素の二乗具合がたまらない。
後に松山俊太郎は対談で「あの時は文庫の性質上、正誤表を附ける様な事をしたが、
正しく表記するより、蟲太郎が表記したままの方が断然面白い。」
と云う様な事を語っていたが、まあ何はさて置き恐るべき氏の編者振りである。

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中文版「黑死館殺人事件」の味のある表紙


そして最後に紹介するはイレギュラーながら中文版「黑死館殺人事件」である。
日本と関りの深い台湾では日本文学がかなり深い所まで紹介されているが、
意外に充実しているのが推理小説の分野である。
それと云うのもこの本の帯にも「専文導讀・傳博」と書かれている評論家の傳博氏、
彼こそはかの伝説の雑誌「幻影城」の編集人、「島崎博」その人なのである。
専門家である彼のお陰で台湾では良質の探偵小説が翻訳され幾つも出版されていて、
勿論、久作の「ドグラマグラ」も「脳髄地獄」と云うタイトルで発売されている。
しかし日本人でさえ読み通す事が困難なこの奇怪な本を、
一体どの位の華人が読むのかかなり疑問ではある。
原典にした所で、細かいルビに記号や英語、本文中の解説文など膨大な文字量だが、
基本、日本で云う片仮名表記も総て漢字、しかも旧仮名漢字の繁字体の国だけに、
そらもう仏典か教典か?思うほど黒々とした漢字で四角く埋め尽くされている。
しかしこれ翻訳した人間は本当に御苦労様としか言えないよなぁ・・・・

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最高に素晴らしい松野一夫画伯の版画を模した挿絵

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2008.06.21

世界ふれあい街歩き

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NHKで放映している「世界ふれあい街歩き」が面白い。

所謂「世界紀行番組」の一種な訳だが中々にコンセプトが珍しくて、
一回に付き一つの都市の朝から夕暮れまでを、人の歩く速度で廻るだけである。
レポーターは無く、カメラが視聴者の主観目線で街を動く。
毎回それなりに見所の有る所を廻る訳だが、必ずしも名所に寄るとは限らない、
と云うかむしろカメラは常に裏道の方へ細道の方へと寄り道して行く。
流石に余り退屈な画に成らない様に編集されてはいるが、
それでも薄暗い横丁を廻り、行き止まりで戻り、また横丁に入り込んだりする。
コンパクトに観光名所だけを観たい視聴者には退屈極まりないだろうが、
実際旅先で、同じ様についつい裏道に紛れ込んでしまう性質の自分としては、
そのダラダラ感がたまらなく楽しく好ましい。

タイトルに「ふれあい」と謳っているだけに、寄り道先で地元民との会話も重要だ。
道や街の来歴を聞いたり、単純に「何してんの?」的な会話も多いが、
中には家に上げてくれたり部屋からの景色を見せてくれたり様々で面白い。
大方の紀行番組同様、そう云う美味しい場面が総て偶発的だとは思っていないし、
多少の仕込みや演出も有るとは思うが、結構自然に楽しめる。
と云うのも番組の中に「インフォメーション」と呼ばれる短いコーナーが有り、
歴史案内や観光ガイド的な内容を番組中に何度か間に挟んで紹介しているので、
必ずしもその部分を仕込みに頼る必要が無い訳で、故に無駄話も有りな訳だ。
実際の旅行では語学力の関係上、現地民の話を直接聞く事などほぼ無いから、
そう云う気さくなふれあいが羨ましいし、だから新鮮でもある。
やはり世界中どこでも普通の庶民の暮らしは大体同じで、
そしてほんの少し有る小さな違いを知るのもこう云う番組の楽しみでも有る。

この全編カメラ主観のこの番組にはリポーターは居ないが、
カメラ主観の「主」として俳優がナレーションを勤めている。
言わば俳優がカメラのこちら側の「旅人」を演じている、と云う感じだ。
殆どは顔を見知っている有名な俳優ばかりなので、
ナレーションとは言っても大体その俳優の顔が浮かぶ様な感じには成る。
なのでナレーションとしての上手さや語りの面白さと云うよりは、
その俳優の個性的な物が視聴者の好みに合う合わないと云う所が有る。
個人的には余りテンション高めで語られるよりは、
普段のトーンで淡々と語られる方が好ましいので、年配の男優の方が好みだ。
3回ほどに渡って米国の「ルート66」を担当した林隆三も良かったし、
中村梅雀の語りも淡々としていて面白かった。
年配ではないが松田洋治の語りはいつも良いし、以外に山本太郎の語りも良い。
女性だと中嶋朋子の淡々とした感じが非常にいい感じである。

この番組を観始めたきっかけは、散々自分でも歩き倒した香港島の回の時で、
元々必ず番組を観続けていた訳ではなく、面白そうな街の時だけ観ていたのだが、
妙にこのまったりとした番組の空気感にハマってしまった感じである。
やはり個人的に亜細亜や中南米辺りの猥雑な街が観ていて面白いが、
以外にヨーロッパの裏通りも結構そそる物が有る事に気付いた。
曇天の下のハンガリーはブダペストのブダ編は歴史背景と相まって興味深かったし、
二つの街に挟まれたイタリアはシチリアのラグーサなども住人気質が面白かった。
最近の放映で凄く面白かったのがフランスのモンペリエからトゥールーズ、
そしてスペインはレオン、サンティアゴ・デ・コンポステラに続く巡礼路の回。
サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の道の話は何処かで読んだ事が有ったが、
4回に渡って続けられたこの放送を観て非常に興味をそそられた。
特に世界中から集まる巡礼者の為の施設や設備が充実したレオンの回など、
宗教心も無いのについつい巡礼に旅立って行きたくなる気分にさせられる。
同じ目的で歩き続ける内に仲間に成っていった各国の巡礼者たちと、
それを温かく迎えるボランティアの人たち、様々な人間模様に唸らされる。
月並みだが、世界は広いし人々は様々に生きている訳だな・・・・

元々この番組はBSで放映されていた物をNHKの総合で再放映しているらしく、
番組のHPを見ると先週の放送が随分前に放映された物だと解ったりする。
まあ今後も総合でまったりと観続けるつもりだが細く長く続いて欲しい物である、
それにしてもこの番組滑らかなカメラ主観の映像の為に、ハイビジョン・カメラで、
しかもクソ重いステディカムで撮っているらしい。
明らかに現場はダラダラとは違う体力勝負の現場な訳で、
その辺の裏話が載っているHPのコラムも中々面白い。
そんな番組のHPはこちら

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2008.06.14

G・G・アリン「全身ハードコア」

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「G・G・アリンは病んだ社会にメッセージを発信している
“人間は自らを自由に表現するただの動物なのだと”彼を侮るなかれ。
             死刑囚 ジョン・殺人ピエロ・ゲイシー」


その昔、確か中学生の頃だと思うが、過激なステージで当時話題に成っていた、
パンク・バンド、スターリンのこんな都市伝説が流れていた事がある。
「姉ちゃんの知り合いの女がスターリン観に行って帰って来なく成った」
今考えれば凄まじくレベルの低い都市伝説では有るが、
それを聞いた中坊は「ゲ~怖ぇえよ、スターリン!」とかマジで怯えていた物だ。
情報過多の今と違い、未だ地下シーンが殆ど伝聞のみで伝えられていた時代、
ロックは怪しく危険で、ライブハウスには魔物が潜んでいた。

アーサー・ブラウンがヘルメットに火を付けて「ファイアー」と歌ってた頃から、
ザ・フーはステージで楽器を叩き壊し、ジミ・ヘンはギターに火を放ち、
ジーン・シモンズは口から血を出し、ザッパは客にステージで脱糞させ、
イギー・ポップはフルチンの血塗れで転がり回っていた。

日本では非常階段がステージを汚物塗れにし、じゃがたらの江戸アケミが脱糞し、
ハナタラシがステージに持ち込んだユンボで会場を粉砕し、
マスターベーションの卑龍はカミソリで自分自身を切り刻み、
GISMの横山SAKEVIはいきなり客席に暴れ込み客を恐慌に陥れていた。

単なるステージングなのか、それとも止むに止まれぬ表現衝動なのか、
いずれにしろそれらは音楽活動の表現として実施された行為な訳だが、
ここに完全にその主客が逆転してしまった稀有な男が居る、いや居た。
G・G・アリン、演奏している時間より暴れている時間の方が遥に長い男である。

今年の頭ぐらいに、クランプスの精神病院ライブと同時上映された、
G・G・アリンのドキュメント「全身ハードコア」が映像特典付でDVD化された。
未だ国内で正式な音源が発売されていないのに先にDVDが出るとは実に彼らしい。
(日本でシングルが出ていたと云う話が、あるが確認出来なかったのでとりあえず)
やはりG・G・アリンは動いている所を観なければ話に成らないからだ。

猥褻物陳列罪で逮捕回数52回と云う、彼のステージ衣装は常に全裸だ。
穿いている時も有るが開始と同時に下ろされる。
そして1コーラスほど歌うといきなり客席に乱入して乱闘である。
G・G・アリンの標的は無差別だ、男であろうと女であろうと関係ない。
そしてその暴力に理由も無い、有るのはいきり立った衝動だけだからだ。
勿論その衝動は自分自身にも向かう。
マイクで額を何度も強打し、ガラス片で自分の身体を切り裂き血塗れに成る。
かと思えばいきなりステージで脱糞し、それを自らの身体に塗りたくって、
そのまま客席に乱入である、当然こんなステージが長く続く訳が無い。
早々にステージは主催者側から打ち切られる訳だが、そこでまた怒りが爆発だ。
もう訳解らん、何がしたいのか全く理解出来ない所が素晴らしい。
音楽としての表現衝動より、破壊衝動の方が上回っている所が無茶苦茶である。

ではG・G・アリンの音楽が無意味な物かと思えばそんな事は決して無い。
G・G・は活動歴も長くそれこそLPやらシングルやらコンピ物やらCDなど大量に有り、
ハードコア的ヴァイオレントな楽曲から弾き語り物まで多様である。
ラモーンズ辺りが元祖のパンキッシュなR&Rからハードコアへと云う曲の変遷は、
何気に同時代のミスフィッツと同様な物を感じさて興味深い。
後期の曲でもサビのフレーズがキャッチャーでシンガロング出来る雰囲気も有り、
普通にライブとかやっていればそれなりに盛り上がる感じの音である。
だからしてG・G・アリンのバンドを脱退したギターが語っているが、
週に何回も練習して曲を磨いてライブに挑んでいるのに、
毎回始まって5分位でライブが終了に成るんじゃ「やってらんね~」に成る訳だ。
とは云えG・G・アリンのバンドのギターやってただけにこいつも相当イってて、
「マイクで自分の頭を殴ってるけどあんなの大した事じゃないんだぜ」と語って、
いきなりカメラの前で自分の頭を殴り続ける件には何とも言えない物が有る。
G・G・アリンのバンド、マーダー・ジャンキーズは最高にキャラが起ってて、
G・G・の実の兄であるベースのマールはヒットラーの如きチョビ髭を生やし、
頭部はスキンヘッドなのにもみ上げだけ異常に長い特異なスタイルの持ち主で、
ドラムのディーノは全裸に成らないとドラムが叩けないと云う困った男だ。
「いや~・・・・パンツが擦れて叩き難いんだよねぇ・・・」などと、
カメラの前で語るが、口端から涎が垂れていて明らかに尋常で無いのが解る。
血とウンコに塗れて暴れ回るG・G・を尻目に演奏を続けるには、
やはりこの位のキャラクターでなければ勤まらないと云う所だろうか。
映像特典にマールとディーノの最新インタビュー映像が収録されているが、
歳くって更に怪しさが増している所が凄い、大丈夫なんか?この人たちは・・・

映像特典と言えば本編以上に衝撃的なのが「Live At The Gas Staion」。
リハ風景から始まり、演奏開始前に和やかに客と談笑するG・G・だが、
曲が始まった途端に客席に殴りこみに行くスイッチの切り替えが見事過ぎる。
2曲目の途中でライブは中断に成り、怒ったG・G・が暴れ廻り、
しまいにはフルチンで会場の外に繰り出し、路上で転げ回るありさまだ。
周囲は騒然とし、通報によって駆け付けたパトカーがそれに輪を掛け、
それ以降、主催者が警察と尻馬に乗って騒ぐファンからG・G・を逃す為に、
街中を逃げ廻る様子がライブ以上の長さで延々と撮影されている。
タクシーでこの場を逃れようとするが当然の如く乗車拒否に遭い、
少しでも止まっていると付いてくるファンが増え続け騒ぎが大きくなり、
当のG・G・もドラッグで気が大きく成っているもんで、もう支離滅裂である。
最後は何とか車を止めてその場から去って行くG・G・の姿で終るが、
その晩のドラック・パーティでG・G・が急死する事を考えると何とも言えない。
ステージでの公開自殺も予告していた彼だが(しかし何度も延期しているが)、
こんな普通のロック・スターの様な死に方をするとは、
本編のナレーションではないが、妙に人生の皮肉の様な物を感じる。

ドキュメント作品なだけにカメラはG・G・の故郷バーモント州コンコードに出向き、
かつての級友や恩師などへのインタビューも敢行されている。
見るからに平和そうな田舎の街並みや学校に、ごく普通そうな人々、
ダニエル・ジョンストンが育ったのと同じ様な長閑な風景だが、
こうした均質で退屈で閉鎖的な郊外がアメリカの病的な狂気を多く産み出していて、
それはおとなしく神経質な子供だったG・G・アリンにも共通している事だ。
このドキュメンタリー作品の原題は「HATED」だが、
何が彼をそこまでの「憎悪」に駆り立てていたのか、その理由は何だったのか?
それは単なるパフォーマンスとしての行為だったのか?今と成っては解らないし、
そしてその行為の質や是非をここで問うつもりも無い。
しかし人はそこまで「突き抜けられる」し、表現に限界が無いと感じるのも確かだ。
人の心に衝撃を与え揺さぶる事が表現者の目的だとするならば、
どんなに間抜けに見える行為であっても、己自身を使った独自の表現に於いて、
「彼は最高の表現者だった」とは言えるのではないだろうか?
・・・・真似したくは無いけれど・・・・

G・G・アリンこそが「真にパンクな存在だ」などと言うつもりは無いが、
昨今の「仲良しパンク」とは完全に真逆を行くこの男の生き様を、
「パンクが好きだ」と答える若い衆に是非観て欲しいものだ。
ロックは怪しく危険で、ライブハウスには魔物が潜んでいるのだから・・・

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G・G・アリン、死後の晴れ舞台

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2008.06.07

水族館劇場「Noir 永遠の夜の彼方に」

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今年もいつもの所に、五月晴れの蒼穹を突き刺すかの如く、
鉄骨の櫓が組まれ始めると、夕闇の暗がりを抱いたあの一座が還って来る。
さあ水族館劇場のお出ましである。

今年は例年に比べて入梅が早く、公演日が雨と云う日も多いらしく、
幾ら劇中で濡れるとは云え劇場前の幕前芝居が雨の中と云うのはやり難かろう。
幸い自分が観に行った時は珍しく天気の良い日で助かったが。
今回から水族館劇場のチケットは期日指定に成ってしまった関係上、
前売りを買っていると「天気が良いし今日行くか?」みたいな事が出来なくなった。
まあ普通の劇団の芝居公演などは大概期日指定のチケットに成っているが、
この劇団ならではの縁日的な楽しみ方が出来無くなったのは少々残念だ。
「最終週の混雑緩和の為」と云う事は、観客動員が進んでいると云う事だろうか?
確かに以前は大観音に対して向き合う様な感じで小屋が設営されていたが、
昨今は境内に横たわる様に大きく小屋が作られている事でも窺える。
まあ勿論仕掛の大小なんかも有るんだろうが・・・・

前回の水族館劇場の芝居について、
「~戯曲の内容一つとっても、看板女優の「千代次」大姐を中心に描く関係上、
どうしても毎回似た様な話に成ってしまうきらいが有る。
歴史に語られる事の少ない、被差別民や虐げられた人々の記憶や場所を、
時間や歴史や場所を縫う様に現れ消える女を軸に語られる話が多いのだ~」

と云う風に書いたが、今回も正にその様な展開の戯曲に成っていた。
今回は炭鉱と炭鉱で栄えた港町が舞台と成っていて、
炭鉱の暗闇の中で幾つもの時間が交わり離れ、映画撮影や写真館の写真を触媒にし、
合わせ鏡の合間に浮かぶ女を軸に、虐げた人・虐げられた人々が絡み合う話だ。
作・演出を手掛ける桃山邑が常に追いかけるお馴染みのテーマな芝居な訳だが、
以前と比べて話に引き込まれ易かったのは、話の軸に成る女の存在が、
千代次大姐だけでなく、姫草ユリ嬢と合わせ鏡の存在に成っていたのが大きそうだ。
話的には同一の存在では無いが、同じ衣装をまとった一つの役柄として、
複雑に入れ代わる舞台設定に入り込み易い助けに成っていた様に思う。
余談だが姫草ユリ嬢は何処か中国の美人女優・趙薇に似ていて可愛らしい。
水族館劇場を脱けてしまった葉月蛍嬢に代わってがんばって欲しいものだ・・・・

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内情に詳しく無いので詳細は解らないが、例年の如く役者の出入りが激しい様で、
毎年お馴染みの顔や、新しい顔、見掛けなくなった顔など様々だ。
そしてこれも毎年の事だが、相変わらず役者の技量が余りにまちまちである。
一瞬小屋の中の空気が変わるくらい、妙に素人臭い瞬間が何度か有って、
そう云う時には小屋の中が何故か優しい雰囲気に成るのもここの芝居の特徴だ。
普通そう云う時、客席にはしらけた感じが漂う物だがここの客は妙に温かい。
そんな所が芝居と見世物のあわいを行くこの劇団の面白さだと思う。
酒でも呑みながら気楽な感じで観れて楽しめる祭りの出し物の様で、
立派な劇場のシステマティックな芝居ではこう云う雰囲気は味わえない。
ただ復活した幕間の玉ちゃんの歌謡ショーは何とかならんかったもんか・・・
幕間は前回の様に普通の休憩にした方が良かったんじゃないかと思う。
別に歌謡ショーは良いのだがもう少し幕間を繋ぐ様な物にするとか・・・

今回の舞台装置は炭鉱と云う設定なだけに客席の間に坑路が作られ、
その上をトロッコが舞台に向かって走れる様に作られている。
舞台上は2階建ての廻り舞台が組まれ、いつもの様に上空に足場も有り、
当然舞台下にはプールが拡がり、舞台が左右に分かれる様作られていた。
大まかな舞台配置は昨年の物と殆ど変わりは無いし、
客席の間の通路と云う舞台は、確か「虹の都」の時もそうだった気がするし、
大観音での野外舞台としてはこれで完成形と云う所だろうか?
前回は舞台後方の公園側に飛び出した感じでゴンドラが渡されていたが、
今回は反対側に櫓が建てられ、最後のシーンで明りが灯され風車が廻っていた。
ただ毎回降り注ぐ水の飛沫で霞んで良く見えないのが難点と言えば難点だ。
今回は更に幕前芝居の為に、公園の横に書き割りの写真館も作られている。
小さいながらも良く出来た物で、しかもこれも廻り舞台に成っているから驚く。
勿論劇場の上の方から出演者が乗って出て来るギミック物も健在だ。
そうそう今回は「生き物」出演は有りませんでしたな。

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そして大量の「」。
ラストでは開け放たれた後方から風が吹き込んで客席に水が降り注いだ。
前の方は水よけのビニールが有るが、それ以外は結構しっとりと濡れた。
・・・まあそう云う物も含めて「水族館劇場」体験な訳だが。

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