「デヴィル・ドール」の紙ジャケ・シリーズ
「スロヴェニア」と聞いて何を思い浮かべるだろう?
旧ユーゴスラヴィア崩壊後、内戦を経て一つの国として誕生し、
地中海地方、アルプス地方、パンノニア地方と云う異なった文化を擁した、
イタリア、オーストリア、クロアチアに挟まれたほんの小さな共和国。
ガイドブック的な解説は書けるが、その姿を頭に描くのは難しい異邦の国。
今回紹介するデヴィル・ドールはそんなスロヴェニアのバンドである。
デヴィル・ドールはミスター・ドクターなる謎の人物のワンマン・バンドで、
コンセプトから作詞作曲、そしてヴォーカルまで彼の意思で貫かれている。
ただバンドとしての形態は一応有るらしく、ライブも行われていたらしいが、
これだけの密度の音をライブでどれだけ再現出来たのか興味深い所だ。
メンバーにはスロヴェニア人と供にイタリア人も混じった編成で、
イタリアでも活動していた所から、広義な意味でのイタリアン・ロックとも言える。
そう云う意味では陽気なラテン的雰囲気の裏で漆黒の闇を孕んだ様な、
オザンナやヤクラを生み出したその風土と共通する物が見えてくる。
このバンドを初めて知ったのはマニアな品揃えでお馴染みの某レンタル店でだった。
輸入盤で殆ど情報が無いまま、メタル要素の入ったプログレ等と云う紹介と、
今時CD一枚2曲だけと云う浮世離れ感+怪しげなジャケに魅かれて借りた次第だ。
それが2ndで、同時入荷していた3rdもその後借りカセットで愛聴していた。
その後しばらくリリースが無く存在も忘れかけていたのだが、
思いも掛けない所で、再び奇異な出会いを遂げるから笑える。
メキシコに出掛けた時に、当地の市場で地元の音楽ファンが露店を開いていて、
グッズとかと供にCD-Rだのカセットだのと云ったピーコ品を堂々と売っていた。
地理的には米国に近いのに、何故かそこではゴスやブラック・メタルが人気で、
聞いた事も無いバンドのカセットに交じって、彼らの4作目も置かれていたのだ。
「お~新作出てたのか!」と、ついDimmuBorgirとかNaglfarの新作(当時)、
と一緒に買い込んだりして前2作同様にカセットで聞き込んだ物だった。
今回デヴィル・ドールの紙ジャケに特殊物が有ると云う話を聞いて驚いた。
前述した様に当時最初からCDで聞いて、しかもカセットに落してた時代な訳で、
ほぼ世界的にもアナログからCDに移行していた時期だったから、
CD時代の物で特殊ジャケとはこれ如何に?と云う様な感じだった訳だ。
いや、CD化以降の音源もヤケクソの様に紙ジャケ化しているのは知ってるが、
それでもせいぜい見開き物くらいで、特殊ジャケは無いだろうと思っていた。
しかし「絞首台」に付属のディスコグラフィー・ブックレットを見ると、
流石はカルトバンドと云うか、小部数の限定盤を毎度リリースしていたらしい。
それがヴェルヴェット装の重厚なBoxに入った豪華盤アナログ・セットだとか、
ファンクラブ限定のジャケ違いのアナログだとか眩暈のしそうな内容である。
正直そのBOXSETの写真等を見るとこの程度の特殊ジャケでも普通と思う位だ。
さてとりあえず今回購入したのは2枚目から4枚目までで、
中には3rdの「宗教冒涜」のサントラ盤なるものまでラインナップされているが、
正直その「サントラ」の正体が良く掴めなかったので今回は一応見送った。
ではまずセカンドの「絞首台」から。
ジャケはシングルスリーヴながらコーティング仕様に成っていて、
Zepの「フィジカル・グラフィティ」の様に窓の部分が切り抜かれている。
窓の中の観客はクリーム色のインナーに印刷されており取り出して確認出来る。
ミスター・ドクターが愛好するモノクロのホラー映画のアイコンたち、
ベラ・ルゴシやボリス・カーロフ、ロン・チャーニーなどに混じって
トッド・ブラウニングとフリークス達も登場している所が可愛い。
M.R.ジェームスやビアス、スティーヴンソンなどの作家たちの姿は解るが、
パンク・バンド、SubwaySectのVicGodardが何故居るのかは不明だ。
他に冒頭に掲げたキュートな悪魔達の写真が載ったインナースリーヴと、
前述のデヴィル・ドールのディスコグラフィー小冊子が封入されている。
お次の三枚目がアルバム一枚一曲にまで過剰進化した「宗教冒涜」。
こちらは特殊ジャケでは無く、普通のゲートフォールド・カバーである。
ジャケット・デザインでは個人的に一番良く出来ていると思う作品で、
表の不穏な椅子の絵や裏のサロメの接吻などシンプルさが美しい。
ジャケの内側は例によってモノクロの恐怖映画のフィルムが散りばめられていて、
その内容に一貫性が無い所がユニークと云うか独自の物が表れている感じだ。
そして現在までの所、最終作と成っているのが四枚目の「怒りの日」。
こちらはゲートフォールドの表紙の部分に切込みが入れられていて、
中央の十字、その横の二つの窓、そして上下のバンド名とタイトルが印刷された、
クリーム色のインナーが窓から覗くと云う仕様に成っている。
インナーは同じくモノクロ映画のフィルムが散りばめられているが、
独特のタイポグラフィカルな文字が雰囲気の異様さを高めていて、
デザインの傾向は同じながら今作はユーモラスさよりシリアスさが勝っており、
装飾的な物も含めて、よりゴシックな雰囲気が強調されたデザインだと言える。
さてそれでは肝心のデヴィル・ドールの出す音の方なのだが、
リリース当初に聞いた時は、確かにメタル的な要素を強く感じたのだが、
今の耳で聞き返すと遥にプログレ的だし、一層映画音楽っぽく聴こえる。
エレクトリック系の楽器の鳴り方やリフ・ワーク等は確かにメタル的なのだが、
それは部分部分の要素の一つでしかなく、例えばテクニカルなソロの応酬とか、
ダイナミックな変調やポリリズムを取り入れたリズムの展開も殆ど無い、
謂わば展開しっぱなし、と云うか正にサントラ的な音の集合体なのである。
「絞首台」はまだそれでもロック的な展開要素が感じられるが、
一枚一曲の三、四枚目は明らかにそんな感じのサウンドに成っている。
では展開しっぱなしで散漫な印象なのか?と言えばそんな事は無く、
暗黒(モノクロ)だが映像が脳裏に浮かんで来る様な劇的な音の断片であり、
それは歌と云うより語りと云う方が近い、Mr.ドクターのダミ声で導かれ、
重厚なストリングスや華やかなコーラスに彩られ、ポップ的でさえ有ったりする。
一般的にはやはり四枚目の「怒りの日」の評価が高い様だが、
個人的にはMr.ドクターの片腕と云うべきフランチェスコ・カルタ初参加の、
「宗教冒涜」がアクの強さと云い、その暗黒さと云い愛着がある。
ヒッチコックの「サイコ」など、映画音楽からの引用も挿入され、
パイプ・オルガンや重厚なコーラス隊がクドいまでのゴシックさを演出する。
本編終了後、長い無音の後に唐突に始まる埋葬風景の音まで、
一幕の残酷劇(グラン・ギニュール)を観るが如しである。
デヴィル・ドールは一応解散では無く、「怒りの日」以降活動停止の様だが、
新世紀に再び眠りから醒める刻が訪れるのだろうか?
スイスのラクリモーサ(日本のでは無い)など影響深そうなバンドも多いが、
巷に溢れるお手軽なゴス・バンドに引導渡す意味でも復活して欲しいものだ。
しかしスロヴェニアの政情が落ち着いた途端に活動停止とは実に不可解である。
あの政情不安な時期だからこそMr.ドクターの制作意欲は燃えていたのだろうか?
実に謎多きバンドである・・・・
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