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2008.10.25

「デヴィル・ドール」の紙ジャケ・シリーズ

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「スロヴェニア」と聞いて何を思い浮かべるだろう?

旧ユーゴスラヴィア崩壊後、内戦を経て一つの国として誕生し、
地中海地方、アルプス地方、パンノニア地方と云う異なった文化を擁した、
イタリア、オーストリア、クロアチアに挟まれたほんの小さな共和国。
ガイドブック的な解説は書けるが、その姿を頭に描くのは難しい異邦の国。
今回紹介するデヴィル・ドールはそんなスロヴェニアのバンドである。

デヴィル・ドールはミスター・ドクターなる謎の人物のワンマン・バンドで、
コンセプトから作詞作曲、そしてヴォーカルまで彼の意思で貫かれている。
ただバンドとしての形態は一応有るらしく、ライブも行われていたらしいが、
これだけの密度の音をライブでどれだけ再現出来たのか興味深い所だ。
メンバーにはスロヴェニア人と供にイタリア人も混じった編成で、
イタリアでも活動していた所から、広義な意味でのイタリアン・ロックとも言える。
そう云う意味では陽気なラテン的雰囲気の裏で漆黒の闇を孕んだ様な、
オザンナやヤクラを生み出したその風土と共通する物が見えてくる。

このバンドを初めて知ったのはマニアな品揃えでお馴染みの某レンタル店でだった。
輸入盤で殆ど情報が無いまま、メタル要素の入ったプログレ等と云う紹介と、
今時CD一枚2曲だけと云う浮世離れ感+怪しげなジャケに魅かれて借りた次第だ。
それが2ndで、同時入荷していた3rdもその後借りカセットで愛聴していた。
その後しばらくリリースが無く存在も忘れかけていたのだが、
思いも掛けない所で、再び奇異な出会いを遂げるから笑える。
メキシコに出掛けた時に、当地の市場で地元の音楽ファンが露店を開いていて、
グッズとかと供にCD-Rだのカセットだのと云ったピーコ品を堂々と売っていた。
地理的には米国に近いのに、何故かそこではゴスやブラック・メタルが人気で、
聞いた事も無いバンドのカセットに交じって、彼らの4作目も置かれていたのだ。
「お~新作出てたのか!」と、ついDimmuBorgirとかNaglfarの新作(当時)、
と一緒に買い込んだりして前2作同様にカセットで聞き込んだ物だった。

今回デヴィル・ドールの紙ジャケに特殊物が有ると云う話を聞いて驚いた。
前述した様に当時最初からCDで聞いて、しかもカセットに落してた時代な訳で、
ほぼ世界的にもアナログからCDに移行していた時期だったから、
CD時代の物で特殊ジャケとはこれ如何に?と云う様な感じだった訳だ。
いや、CD化以降の音源もヤケクソの様に紙ジャケ化しているのは知ってるが、
それでもせいぜい見開き物くらいで、特殊ジャケは無いだろうと思っていた。
しかし「絞首台」に付属のディスコグラフィー・ブックレットを見ると、
流石はカルトバンドと云うか、小部数の限定盤を毎度リリースしていたらしい。
それがヴェルヴェット装の重厚なBoxに入った豪華盤アナログ・セットだとか、
ファンクラブ限定のジャケ違いのアナログだとか眩暈のしそうな内容である。
正直そのBOXSETの写真等を見るとこの程度の特殊ジャケでも普通と思う位だ。

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セカンドの「絞首台」

さてとりあえず今回購入したのは2枚目から4枚目までで、
中には3rdの「宗教冒涜」のサントラ盤なるものまでラインナップされているが、
正直その「サントラ」の正体が良く掴めなかったので今回は一応見送った。
ではまずセカンドの「絞首台」から。
ジャケはシングルスリーヴながらコーティング仕様に成っていて、
Zepの「フィジカル・グラフィティ」の様に窓の部分が切り抜かれている。
窓の中の観客はクリーム色のインナーに印刷されており取り出して確認出来る。
ミスター・ドクターが愛好するモノクロのホラー映画のアイコンたち、
ベラ・ルゴシやボリス・カーロフ、ロン・チャーニーなどに混じって
トッド・ブラウニングとフリークス達も登場している所が可愛い。
M.R.ジェームスやビアス、スティーヴンソンなどの作家たちの姿は解るが、
パンク・バンド、SubwaySectのVicGodardが何故居るのかは不明だ。
他に冒頭に掲げたキュートな悪魔達の写真が載ったインナースリーヴと、
前述のデヴィル・ドールのディスコグラフィー小冊子が封入されている。

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サード「宗教冒涜」

お次の三枚目がアルバム一枚一曲にまで過剰進化した「宗教冒涜」。
こちらは特殊ジャケでは無く、普通のゲートフォールド・カバーである。
ジャケット・デザインでは個人的に一番良く出来ていると思う作品で、
表の不穏な椅子の絵や裏のサロメの接吻などシンプルさが美しい。
ジャケの内側は例によってモノクロの恐怖映画のフィルムが散りばめられていて、
その内容に一貫性が無い所がユニークと云うか独自の物が表れている感じだ。

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最終作「怒りの日」

そして現在までの所、最終作と成っているのが四枚目の「怒りの日」。
こちらはゲートフォールドの表紙の部分に切込みが入れられていて、
中央の十字、その横の二つの窓、そして上下のバンド名とタイトルが印刷された、
クリーム色のインナーが窓から覗くと云う仕様に成っている。
インナーは同じくモノクロ映画のフィルムが散りばめられているが、
独特のタイポグラフィカルな文字が雰囲気の異様さを高めていて、
デザインの傾向は同じながら今作はユーモラスさよりシリアスさが勝っており、
装飾的な物も含めて、よりゴシックな雰囲気が強調されたデザインだと言える。

さてそれでは肝心のデヴィル・ドールの出す音の方なのだが、
リリース当初に聞いた時は、確かにメタル的な要素を強く感じたのだが、
今の耳で聞き返すと遥にプログレ的だし、一層映画音楽っぽく聴こえる。
エレクトリック系の楽器の鳴り方やリフ・ワーク等は確かにメタル的なのだが、
それは部分部分の要素の一つでしかなく、例えばテクニカルなソロの応酬とか、
ダイナミックな変調やポリリズムを取り入れたリズムの展開も殆ど無い、
謂わば展開しっぱなし、と云うか正にサントラ的な音の集合体なのである。
「絞首台」はまだそれでもロック的な展開要素が感じられるが、
一枚一曲の三、四枚目は明らかにそんな感じのサウンドに成っている。
では展開しっぱなしで散漫な印象なのか?と言えばそんな事は無く、
暗黒(モノクロ)だが映像が脳裏に浮かんで来る様な劇的な音の断片であり、
それは歌と云うより語りと云う方が近い、Mr.ドクターのダミ声で導かれ、
重厚なストリングスや華やかなコーラスに彩られ、ポップ的でさえ有ったりする。

一般的にはやはり四枚目の「怒りの日」の評価が高い様だが、
個人的にはMr.ドクターの片腕と云うべきフランチェスコ・カルタ初参加の、
「宗教冒涜」がアクの強さと云い、その暗黒さと云い愛着がある。
ヒッチコックの「サイコ」など、映画音楽からの引用も挿入され、
パイプ・オルガンや重厚なコーラス隊がクドいまでのゴシックさを演出する。
本編終了後、長い無音の後に唐突に始まる埋葬風景の音まで、
一幕の残酷劇(グラン・ギニュール)を観るが如しである。

デヴィル・ドールは一応解散では無く、「怒りの日」以降活動停止の様だが、
新世紀に再び眠りから醒める刻が訪れるのだろうか?
スイスのラクリモーサ(日本のでは無い)など影響深そうなバンドも多いが、
巷に溢れるお手軽なゴス・バンドに引導渡す意味でも復活して欲しいものだ。
しかしスロヴェニアの政情が落ち着いた途端に活動停止とは実に不可解である。
あの政情不安な時期だからこそMr.ドクターの制作意欲は燃えていたのだろうか?
実に謎多きバンドである・・・・

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2008.10.18

「さらば仮面ライダー電王」

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思い返すに、この前代未聞の劇場版第三作目の存在が、
一般に浮上して来たのは何時頃だったろうか?

7月の頭くらいからネットではそう云う噂が流れて来ていたが、
確定的なソースも無く「まさかなぁ・・・」と云う思いが自分も含めて有った。
主役の佐藤健はドレッド頭で野球やっているし、モモちゃんの高岩さん、
キンタの次郎さんも「キバ」で主役クラスを担当してる訳で、
Vシネならともかく劇場版ってのは幾らなんでも無いだろうと思っていた。
ただそれ以前にキバの劇場版でも流れると云う「まっかっか城の王」と云う、
短編作品が作られると云う話は確定していたから兆しが無い訳ではなかった。

所が確定ソースがその後すぐにやって来る。
ネットの「AOLエンタテインメント」の公開予定の作品欄に、
「さらば仮面ライダー電王」、そして10月4日公開の文字が登場したのだ。
公開期日まで決定済みの情報に俄かに期待と不安が襲い掛かる。
そして今度はカードダスの新商品情報としてプレス情報がアップされ、
「10月に電王が帰って来る」文字と供に「新・イマジン、新・電王」の文字も!
これは本当に本当なのか?と色めきたった訳だが、
何とこの情報が瞬く間にネットから削除され、またしても話は五里霧中状態へ。
10月公開で今から撮影してて間に合うのか?とか思わないでも無かったが、
「電王の撮影を観た」とか「今度は時代劇らしい」とか目撃情報が流れ、
終いには模型誌などでサプライズ予告が有ったりと確実に方向は定まって行った。
キバの劇場版を前に番組終了後にお馴染みイマジン4人組が登場し、
相変わらず凄まじいまでの存在感でファンの期待感を煽りまくっていたが、
運命のキバ劇場版公開初日、とうとう本編中で正式発表が成された訳である。
って、これじゃあキバは完全に前座扱いだよなぁ・・・・

そこからの2ヶ月間はもう怒涛のクライマックス展開で有った。
「良太郎の孫の幸太郎が主役」「監督は電キバと同じ金田監督」
「電キバの時よりも多い劇場数」そしてAAAによる新主題歌発表。
正直劇場版第三弾の情報を最初に聞いた時は、期待より遥に不安の方が大きかった。
継続する人気に便乗して中途半端な作品を作って跡を濁して欲しくない・・・
新作を観たいのは当然だが、状況に対して不安の方が勝っていた訳だ。
しかし「お祭り騒ぎ」とでも言える様な公開前のイベントの数々、
次々と明かされる劇中のカットやその内容の数々、
前売り券が電キバの時とで対比220・8%と云う異常なまでの売り上げなど、
また味わえると思ってなかった電王の異常な熱気にそんな不安は雲散霧消した。
特に今回は東映の方でも色々と味な仕掛けを用意してあって、
夏の劇場版での公式発表もそうだが、恒例・特別イベントの全国映画館衛星生中継、
(これがまた全国で完売続出で追加館が結構出たらしい)
そして個人的に結構ツボだったのがこのイベント。
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残念ながら余りの反響に恐れを成して中止に成ってしまったのだが、
新宿の街をモモちゃん達が闊歩する様はさぞや前代未聞の見物だったろうなぁ。
かくして電王ファン夢の劇場版第三作目は10月4日に無事発車した訳である。
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さて今回の「さらば仮面ライダー電王・ファイナル・カウントダウン」、
これがもう実に多様なニーズを踏まえた最大公約数的作品に仕上がっている。
勿論個人個人の嗜好の違いで「電車戦が無い」とか不満も有るだろうが、
かなりの割合で様々な電王ファンが納得出来る作品に成っているのと思う。
白鳥百合子のハナが居ない事を除けば「俺・誕生」より出来が良いかも知れない。
中でも一番懸念されていた良太郎の登場シーンの少なさだが、
出ていないが故にその存在が際立つ様に描写されていた所には唸らされる。
画面に居なくとも「幽汽」が出ていればそこに憑依された良太郎が居る訳で、
危ない所で「幽汽」の動きを停める所などに良太郎の強さが表されていて実に巧い。
そして同じ様に不安材料だった幸太郎とNew電王に関してだが、
作品の世界観と巧妙に噛み合っており、更にはキャラの成長も過不足無く、
もう少しNew電王の活躍を見たかったと思わせる清々しい存在感だった。
この辺は嫌味なキャラ風に登場しつつも、その背負った宿命に泣かされ、
2号ライダーとして屈指の存在感を示したゼロノス/桜井侑斗を描き上げた、
小林靖子・脚本の描写の確かさだと言えるだろう。
まあ流石にてんこ盛りな内容のこの作品の中で、幸太郎のお付イマジン、
「テディ」をレギュラー連中並に起たせると云うのは無理だった様だが、
車中や長屋のシーンで周りと妙に馴染んでいたから、それはそれで良かったかも。

それから今回の敵役「死郎」役の松村雄基が、実に強くて妖艶で決まっている。
まあ元々往年の大映ドラマ出身者だけにアクが強く実に特撮映えする顔な訳だが、
怜悧に鞭を捌く闘いの場面や虚無的な哀しさを滲ませたソラとの場面など見事だ。
「俺・誕生」の時もそうだったが、敵はやはり圧倒的でなければ始まらない。
逆に神田沙也加のソラは若過ぎると云うか健康的過ぎてもう一つな感じだった。
個人的にはもう少し年齢が行ってて臈長けた感じの方が雰囲気が出た様な気がする。
レギュラー陣は相変わらずで、毎度小業を効かせて来るオーナーを始めとして、
出番が少なかったのは残念だが、今回も無責任に遊んでるだけのナオミ、
コハナに到っては既に属性的には人間よりイマジン側だろう(笑)

と云う訳で今回の作品もイマジンの皆さんが堂々と主役を張っていて最高だった。
イマジンが主役位置に居る事に不満を洩らす連中も多いらしいが、
電キバの時の様に馬鹿騒ぎだけで話が進む訳ではなく(それも最高だが)、
今回は狂言廻しに徹して良太郎達を起たせ、更に自分達も起っていた様に思う。
前回の刑事ルックに対し、今回は粋な着流し姿が似合い過ぎで爆笑だが、
頭の悪さを随所で露呈しつつも、懐の深いいなせ振りがカッチョ良いモモちゃん、
何故かコハナに蛇蝎の様に嫌われてるも、江戸でも使える男なカメ公、
達観した様な物言いが、オッサンと云うより御隠居的に成って来たクマ公、
相変わらずの憎まれっ子振りだが、驚くほど協調性が出て来た小僧リュウタ、
逆に清々しいまでに協調性が無い、我が道を行くKY王子のジーク、
本当のおばちゃん達に囲まれると、本当にオカン振りが際立つ良い奴デネブ、
「キャラが起っているとはこう云う事か!」と云うべき予想を裏切らない賑わいは、
制作側の楽しさが観客にストレートに伝わる、正に幸福な瞬間である。
狭い長屋で勝手にゴチャゴチャしている様はイマジン好きには至福の時だ。
それは自身の分身とも言えるイマジンをまた新たに演じる事が出来た、
スーツアクターの皆さんにも言える事だろう。

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しかし高岩さん演じるモモちゃんに関してはもう既に名人芸の域で、
一人剣の練習に打ち込む幸太郎にかつての良太郎の姿を見い出したモモちゃんが、
ほっかむりを取って語りだすシーンなど、完全にモモちゃんに表情が有り、
モモちゃんが語っているとしか思えないほどに自然な存在感が有る。
それは本作のハイライトな、憑依された良太郎をモモちゃんが呼ぶシーンに於いて、
高岩さん入魂のアクションシーンに応える、声優の関さんの魂の叫びが重なり、
そこまで魂込められたからこそ、良太郎が返って来る事に感動と説得力が出る。
そしてそれこそがこの作品でイマジンが主役を張れる理由に成っている訳だ。
しかしモモちゃんが切られて血飛沫の代わりに砂を噴出す描写には感心したなぁ。
グロテスクでは無く幻想的で、しかもダメージが直に伝わって来る描写である。
そしてその後のM良太郎で見得切って変身→テンコ盛りへの展開は実に燃える。
これぞ正に電王の真髄だろう、「日本一!」とかスクリーンに声掛けたくなる所だ。

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今回の映画の中で、個人的に「玉に瑕」と云う訳ではないのだが、
「象の行進」に関してはナンだかなぁ・・・と云う感じがしないでもなかった。
まあ白倉Pと小林靖子の対談を読むと「なんだかな」も狙いらしいから別に良いが、
歴史的な事件を折り込むのならもう少しマシな物も有った様な気もするしな・・・
所で専門誌のネタバレ画像で最初に出た鬼子母神の駄菓子屋で、
お馴染みの着ぐるみを着たイマジン連中がラムネを飲むシーンが丸ごと無かったが、
やはりこれはディレクターズ・カット版が間違い無く出ると云う事なんだろう。
どうせならきっちり納めて欲しかったなぁ・・・・
そして幸福な気分の最後を飾るのが画を使ったエンドクレジット画面。
これに関しては観る前にネットで知ってしまったので驚きは無かったが、
この作品に関るスタッフの思いや優しさが溢れた部分で実に泣ける。
そう、公式に語る事は出来なくてもこう云う所にその想いは表れている訳だ。
最後まで泣かすなぁ・・・・

そのエンドクレジット時に流れるのがAAAによる「ClimaxJump」の新録曲。
元曲が「Climax」を掴み取る為に、今変わり始めた自分の歌だとすると、
「Climax」を掴み取っても更にその上の高みを目指す自分の歌であり、
「変ることもう恐れないし 変らない物も大事にしたい」と云う、
広い視野を見据えた、まさに電王の内容を総括する様な詞の世界に成っている。
そして同時収録されたお馴染みイマジンの各フォーム・バージョンがまた良い。
今回はよくある元曲の各セリフ・バージョンでは無く、
個々にアレンジされたNewバージョンの「ClimaxJump」に成っているのだ。
ギターのリフがワイルドに唸るヘヴィなモモちゃんの「SwordForm」、
パーカッシブなバックビートと軽快なKeyがポップなウラの「RodForm」、
デジタル・ビートとギターのリフがデジロック的なリュウタの「GunForm」、
そしてやっぱり最高なのがド演歌で明朗なアレンジもシビれる、
てらそまさんの良い湯加減な感じの朗々とした歌いっぷりが最高な「AxForm」。
「始まり告げる祭り太鼓」って何だよ?って突っ込みも無駄な展開が爆笑である。
それぞれ歌詞も藤林聖子が新たに書き下ろしていて、良い仕事をしている。
ブックレットにはその藤林聖子と鳴瀬シュウヘイの対談が載っていたり、
記録破りな電王音楽の軌跡、担当ディレクターの談話など盛り沢山である。
正に最後を飾るに相応しい一枚・・・・

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と云うか本当にこれで終るのか?ここまで来ると誰もが思う事だろう。
確かに今回で「電王」と云う作品は終る様な気がするが、
正直モモちゃんたちイマジンがこれで終るとどうしても思えない。
もうここまでキャラとして受け入れられると終わらす方が不自然な気もするし、
スーアクさん達が演じないアニメとかの展開は個人的に止めて欲しいが、
実写のショートフィルムの様な奴なら今後の展開も可能な気がする。
勿論、潔くここで終らしてしまうのも有りだとは思うが、
ここまで続いたのならこれからも・・・・と思わせる最後の電王作品である。
まあ映画も別に「終」ってはいないしな・・・

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2008.10.11

都心の小さな生き物

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台所で飯を喰っていると、ふと窓に白い物が。
「蛾か?」と思って良く見れば、小さなヤモリだった。
ガラスの向うにへばり付きじっとしていて動かない。

今時ヤモリがどのくらい珍しい物なのかは解らないが、
都心では余り見かけなく成っている生き物の一つでは有るだろう。
近所は所謂昔からの「寺町」で、寺や墓所が多い関係上緑が結構残っている。
なので色々と生き物を見付ける事が多いのだ。
まあヤモリは家についている生き物だろうからそれとは無関係かもしれないが、
大袈裟に驚いたりするほど珍しい生き物では無かったりする。

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子供の頃からアスファルトの地面の上で遊んでいた世代だが、
それでも昔はかなり季節季節の生き物がそこかしこで見れたものだ。
今でも1~2匹、秋に成ると庭にトンボがとまっていたりするが、
毎年ではない物のトンボの群れがやって来る事も多かった。
電線に群れを成してとまったり、高い建物を縫うように飛ぶトンボの群れは、
今考えるとえらく非日常的な感じだが、ごく普通の風景だったように思う。
小学校の自由研究で庭で捕った蝶の青虫を育てたりもしていたし、
裏の林を掘り返していたらカブトムシの幼虫がゴロゴロ出てきたりもした。
干からびたカエルの死骸が上手く木立に突き刺さっているのが謎だったが、
それを見掛けなく成った頃に、それが百舌の早贄だったと知ったのもその林だった。

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葦簾の上で一休みする蟷螂


カエルと言えば家の庭にもヌシの様なカエルが居て、
気を抜いているとメダカを飼っている庭に埋めた壷に卵を産み付ける。
狭い壷の中でおたまじゃくしが大量に孵ってもどうにもならないので、
見付けたら取る様にしているが、これがもう毎年凄い量の卵で非常に困る。
しかしつがいで見掛ける事は無いのに、毎年何処で孕んでくるのか解らない。
先ほども書いたが街の性質上カエルが生息する所は非常に多いし、
近所の大きな屋敷では毎年の様にウシガエルの合唱が聞けたりするのだが、
中々他所でカエルを見る事は無い・・・全く謎が多いカエルの生態である。

朝方、新聞などを取りに行くとよく蜘蛛の糸に引っ掛かる事がある。
良く解らんが家の庭には蜘蛛が方々で巣を張っていたりするのだ。
庭で巣を作る蜘蛛は大きさがそれこそ米粒の様に小さな蜘蛛で、
故に糸も細く弱くて、作り上げた巣もたいした大きさの物ではない。
暗くても明るくても非常に見えにくく、気付く事も無く良く引っ掛かるのだが、
人が引っ掛からなくとも、強風や雨で直に崩壊しそうな物である。
それでも流石は蜘蛛と云うか、小さいながらも実に見事な巣を作り上げる。
普段は「また邪魔な物を・・・」と即座に叩き切る所なのだが、
中々見事な出来栄えなのでついついカメラを向けてしまった所だ。

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都会の只中でいつまでこう云う小さな生き物と共存出来るのだろう?
そう云えば今年はまだトンボを見掛けていない・・・・

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2008.10.04

「もののけ草紙」と「モノノ怪」

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「夢幻紳士」の逢魔篇に登場以降、キャラの起った活躍で人気だった「手の目」が、
何と主役として看板を張るスピン・オフ作品が登場した。

「手の目」が今度は主役をやるらしいと云う話は以前何処かで聞いたのだが、
単行本で話を追っている関係上すっかり失念していた。
なので書店の平台に例のこってりとした色彩の本書を見付けた時は驚いた。
しかも「壱」と有るから連載中と云う事か?実に見事な主役振りではないか!

逢魔篇で登場した時には牛鬼を背中に負った半妖の少女として描かれる手の目だが、
今回はどうやらその辺の設定は置いてけぼりにされた様だ。
当初こそ彼女の売り文句である「先見や千里眼で酒の席を取り持つ芸人」として、
料亭に呼ばれてそこで話が展開したりするのだが、
3話からいきなり料亭を離れての旅暮らしで、山河を彷徨しあやかしに出会い、
旅先で出会った人の本性が奇怪な姿で観える少年と再会する7話では、
いきなり少女から婀娜な姿の母性さえ感じさせるしっとりとした女性に成長し、
その金持ちの少年と豪華客船で旅をする「幻の航海」の前後編では、
なにやら生と死を行き来する「超越者」的な側面も表れて来たりして、
舞台を「魔都」上海に移しての十話では既に女・夢幻魔魅也の如しである。

とにかくキャラの余りの振幅の大きさに驚くばかりで有るが、
十話の感じから見ると、やはり女・夢幻魔魅也的な方向で話を進めて、
従来の「手の目」の役割を悪戯な中国娘に振り分ける方向なんだろう。
しかし如何にして「手の目」はしがない一介の「御座敷芸人」から、
夢幻魔魅也もかくやと云う様な大魔女?に成長したのか?
その辺は「愛しの若旦那」として悪戯な中国娘が魅せる幻術に登場する、
あの男が関っているのかも知れないと思うと中々に楽しい物がある。
この作品が「夢幻紳士」サーガに連なる話に成るのかどうかは解らないが、
主役が妖艶な存在に成っただけに面白そうな展開が期待出来そうだ。

個々の話では、人懐っこい巨大な鯨が銀座の空に浮かぶ「鯨神」の奇想が良いし、
作者らしいニヒリズムが横行する「山の夜語り」の惨忍さも悪くない、
惨忍と言えば「幻の航海」も相当に迷宮的で陰惨な話に成っている。
個人的に上海の「魔都」話は凄く好きなのだがこのまま話は上海で続くのだろうか?
諸星大二郎の「志怪」物は最近とんと御無沙汰だが、
このまましばらく話を大陸に持って来た「志怪」風な作品も見てみたい物である。

そう云えば、この本とは関係ないが「モノノ怪」の二巻も発売された。
「モノノ怪」は深夜にやっているアニメ「ノイタミナ」で放映されたアニメで、
超絶的にスタイリッシュな映像と斬新な話の展開で話題に成った作品だ。
元々アニメのオリジナル企画らしいのだが色々と多方面に展開している様で、
このコミカライズもその一環らしいが、内容は独自の作品に成っている。
「化猫」の話はアニメ版でも最後に放送された物が有るが、
あちらは明治期の地下鉄を舞台にした斬新な設定の作品に成っていたが、
コミック版は江戸を舞台にした「坂井家化猫騒動」と題されている。

感心するのはコミック版の方もアニメ版に負けず劣らずの、
物凄くスタイリッシュで斬新な作風に成っている事だろう。
美しくデザインされた画面がカットアップの様にスピーディに展開するが、
一つ一つのコマは絵画的でもあり計算された画面構成で魅せてくれる。
アニメでお馴染みの登場人物(この作品は劇団的と云うか、主人公以外の脇役も
舞台や役名は変れども、同じ顔のキャラクターが連続して担っている。)も居るし、
主役の「薬売り」は更に怪人的で妖しく魅力的である。

こちらも単行本主体に読んでいるので連載が続いているのか解らないが、
この漫画家(蜷川ヤエコ)は中々素晴らしい書き手だわなぁ・・・・
アニメの方もまた復活してくれると最高なんだが。

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