酔狂道・秋の京の旅
紅葉を観に京都へ行って来た。
或る人にその事を話すと「へぇ~元気有るねぇ・・・」と感心され、
別の人は「うわぁ、よくこの時期出掛けるねぇ」と奇特な者を見る目で見られた。
曰く、この時期京都に出掛けると云う事は、
大口を開けた巨虎が待ち構える虎穴にピースサインで入る様な物らしく、
「オレオレ・・・」と囁く電話に二つ返事で銀行に駆け付ける様な物らしい。
しかして「粋」と「野暮」は紙一重、「風流」と「酔狂」は心持次第なのである。
只でさえ行列するのが我慢ならないと常々公言している俺が、
何故わざわざ人でごった返す場所に出掛けるのか?
それは単に「酔狂道」の為に他ならない。
虎穴に入った者だけが、オレオレの財貨を手に出来る、
そして人々が恐れ戦く京都に出掛けた者だけが酔狂の美酒に酔えるのだ!
・・・・と云う前振りはさて置き、全く持って京都は凄まじい人出で有りました。
両親が無類の京都好きだった為に、ガキの頃は滅多やたらと京都に行っていた。
ヤンマーディーゼルの唄ではないが、大きな物から小さな物まで、
よくもまああれだけ寺だの寺院だの廻った物である。
しかし子供にしてみれば侘び寂びの極みの様な場所に連れてかれても、
面白い物など一つも無い訳で、正直飽き飽きしていたのは確かで、
十五歳位からぱったりと行ってないし、行く気も起きなかった。
しかしガキの頃にインプリンティングされた侘び寂びは確実に己の中に在り、
あの頃の親の年齢に近付くにつれ発動し、立派な酔狂者が出来上がった訳である。
「そ~言えば新幹線乗るのも十年ぶり位だな」と思いつつ京都に付けば生憎の雨。
しかし雨ならば雨成りに雰囲気の有る所を、と云う事で鞍馬山の方へ出掛けた。
出町柳に行く筈がバスを乗り違えて下鴨神社まで行ってしまったりしたがその車中、
物凄くイイ女が掛って来た携帯に「ハイ、時間が出来たので京都に来てしまって」
等と話しているのを聞いて「やはり京都はそう云う所よのぉ・・・」と、
どうでも良い事に妙に感心したりして可笑しかった。
鞍馬に着いた時には既に雨中の幽かな陽射しが傾き掛けていた頃で、
参道の脇を雨水が駆け抜ける様な、非常に悪いコンディションであった。
しかしそれ故にかつて天狗が跋扈したこの山の霊気も否応に高まる訳で、
妖しげな雰囲気の中、人も疎らな鞍馬寺へと踏み込んで行く。
所が行けども行けども階段は終らず、都市生活者の息は上がるばかり、
清少納言も「近うて遠きもの」と評したらしいが、現在でもそれは変らず。
雨風は酷いし、寒いし、暗いし、半泣き状態で何とか金堂へ到着。
本来はそこから牛若丸が修行した奥の院まで行き、貴船神社まで出る筈なのだが、
時間の遅さに加え足元も更に悪いと云う事で通行止めに成っていた。
まあ・・・通行止めでなくともそろそろ限界も近い感じではあったが・・・
帰りの叡山電鉄鞍馬線はこの時期、沿線のライトアップが行われていて、
市原~二ノ瀬間では車中の照明が消えて沿道の紅葉のトンネルが楽しめる。
中々粋な計らいが雨に濡れて冷え込んだ身に沁みる鞍馬であった。
次の日は晴れたので、京都駅の近くでレンタルサイクルを借りて、
市中から東山の方を目指して廻ったのだが、これがまた不安定な天気の1日で、
「晴れ時々曇り」と云う予報だったが、「晴れ時々雨」と云う様な天気だった。
ただそんな天気が幸いしたのが、血天井でお馴染みな養源院に於いて、
割腹して果てた鳥居元忠の血染みの跡を、指し棒で解説してくれる傍ら、
障子から差込む日差しが照ったり翳ったりして非常に雰囲気が妖しかった所だ。
小野篁が冥界へと出入りした井戸が在る六道珍皇寺も、またその効果抜群で、
些細な事だが三千年の「魔都」京都を少し堪能出来た感じである。
天候が怪しくなって来たのは丁度、清水寺の山道に差し掛かった頃だ。
清水寺と言えば何をか言わん名所中の名所で、多分3回以上は行ってる気はするが、
清水の舞台だの音羽の滝だの各所各所は記憶に有るのだが、
清水寺までのアプローチに関してはすっかり忘れていた。
まあとにかく凄まじい人の波と土産物屋の海で、人種の多様さも見事だった。
人の多さと言えば、東山の名刹・南禅寺も流石に物凄い人出だった。
南禅寺の水路閣は昔から好きで今回も真っ先に行きたかった場所である。
あの落ち着いた三門や境内を抜けた先に現れる石造りのアーチが不思議な感じで、
今回も雨に濡れた石の落ち着きと紅葉の華やかさが奇妙に調和していた。
南禅寺はそろそろ散りかけの樹も多く、寺の傍らに積った落ち葉にしても、
銀杏の黄色と紅葉の赤が中々味なグラデーション効果を見せていた。
結局その日は銀閣寺までチャリで溯って時間切れになってしまったが、
天気さえ良ければ京都市内はチャリで廻ると中々勝手が良い事が解った。
但し、各所で道が狭いと云うのは古都故にしょうがないとしても、
舗装された道でも妙にデコボコと路面の具合が悪いのは何故なんだろう?
天候は回復したが同時に人出も殺人的に増えたのが次の日の嵐山だった。
特に渡月橋周辺の土産物集中エリアが最強の混み具合で、
歩道に群がる人の波、巨大な観光バスで動かない車道、合間を抜ける人力車、
ついでに更にその合間を抜けて行くレンタルサイクルに乗った自分・・・
早々にその周辺を抜け出して嵯峨野の奥に向かうも人波は衰えず。
まあしかしそう云う人込みも覚悟の上で寺社を廻って行くと、
古寂びた雰囲気の古刹や庭に散る紅葉が非常に良い雰囲気で、
京都らしい紅葉の醍醐味を味わうのなら嵐山が一番だったかもしれない。
この周辺も多分何度か訪れているのだが、土産物屋の数が異常に多く成っている。
ひっそりと佇む石塔石仏と薄暗い竹林が最果てな気分を醸す化野念仏寺などは、
昔は本当に心寂しい所に有った気もするが、今や沿道は土産物屋で賑やかだ。
嵯峨野の周遊コースから少々離れる所から人出もほどほどだったのが大覚寺で、
大沢池の周囲などは人も疎らで、のんびりと池の周囲の紅葉が楽しめた。
この周辺は太秦が近い関係上、時代劇のロケで使われる事も多い場所だそうで、
過度に整備されていない感じが古を偲ぶのに持って来いの雰囲気である。
和歌の一つでも捻りたい気分だが、浮かぶのは何処ぞで聞いた様な川柳ばかりだ。
当然な話だがガキの頃とは違った視点で見た京都は中々に興味深かった。
それに思ったよりも結構近場に感じたのも新たな発見だった。
今度はこんな人出が多い時ではない時期に、町屋なども廻ってみたい物だ。
「酔狂道」の道のりはまだ果てし無く険しい・・・・なんちゃって・・・。
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