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2008.11.29

酔狂道・秋の京の旅

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紅葉を観に京都へ行って来た。

或る人にその事を話すと「へぇ~元気有るねぇ・・・」と感心され、
別の人は「うわぁ、よくこの時期出掛けるねぇ」と奇特な者を見る目で見られた。
曰く、この時期京都に出掛けると云う事は、
大口を開けた巨虎が待ち構える虎穴にピースサインで入る様な物らしく、
「オレオレ・・・」と囁く電話に二つ返事で銀行に駆け付ける様な物らしい。
しかして「粋」と「野暮」は紙一重、「風流」と「酔狂」は心持次第なのである。
只でさえ行列するのが我慢ならないと常々公言している俺が、
何故わざわざ人でごった返す場所に出掛けるのか?
それは単に「酔狂道」の為に他ならない。
虎穴に入った者だけが、オレオレの財貨を手に出来る、
そして人々が恐れ戦く京都に出掛けた者だけが酔狂の美酒に酔えるのだ!

・・・・と云う前振りはさて置き、全く持って京都は凄まじい人出で有りました。

両親が無類の京都好きだった為に、ガキの頃は滅多やたらと京都に行っていた。
ヤンマーディーゼルの唄ではないが、大きな物から小さな物まで、
よくもまああれだけ寺だの寺院だの廻った物である。
しかし子供にしてみれば侘び寂びの極みの様な場所に連れてかれても、
面白い物など一つも無い訳で、正直飽き飽きしていたのは確かで、
十五歳位からぱったりと行ってないし、行く気も起きなかった。
しかしガキの頃にインプリンティングされた侘び寂びは確実に己の中に在り、
あの頃の親の年齢に近付くにつれ発動し、立派な酔狂者が出来上がった訳である。

「そ~言えば新幹線乗るのも十年ぶり位だな」と思いつつ京都に付けば生憎の雨。
しかし雨ならば雨成りに雰囲気の有る所を、と云う事で鞍馬山の方へ出掛けた。
出町柳に行く筈がバスを乗り違えて下鴨神社まで行ってしまったりしたがその車中、
物凄くイイ女が掛って来た携帯に「ハイ、時間が出来たので京都に来てしまって」
等と話しているのを聞いて「やはり京都はそう云う所よのぉ・・・」と、
どうでも良い事に妙に感心したりして可笑しかった。
鞍馬に着いた時には既に雨中の幽かな陽射しが傾き掛けていた頃で、
参道の脇を雨水が駆け抜ける様な、非常に悪いコンディションであった。
しかしそれ故にかつて天狗が跋扈したこの山の霊気も否応に高まる訳で、
妖しげな雰囲気の中、人も疎らな鞍馬寺へと踏み込んで行く。
所が行けども行けども階段は終らず、都市生活者の息は上がるばかり、
清少納言も「近うて遠きもの」と評したらしいが、現在でもそれは変らず。
雨風は酷いし、寒いし、暗いし、半泣き状態で何とか金堂へ到着。

Kyoto02

本来はそこから牛若丸が修行した奥の院まで行き、貴船神社まで出る筈なのだが、
時間の遅さに加え足元も更に悪いと云う事で通行止めに成っていた。
まあ・・・通行止めでなくともそろそろ限界も近い感じではあったが・・・
帰りの叡山電鉄鞍馬線はこの時期、沿線のライトアップが行われていて、
市原~二ノ瀬間では車中の照明が消えて沿道の紅葉のトンネルが楽しめる。
中々粋な計らいが雨に濡れて冷え込んだ身に沁みる鞍馬であった。

Kyoto03

次の日は晴れたので、京都駅の近くでレンタルサイクルを借りて、
市中から東山の方を目指して廻ったのだが、これがまた不安定な天気の1日で、
「晴れ時々曇り」と云う予報だったが、「晴れ時々雨」と云う様な天気だった。
ただそんな天気が幸いしたのが、血天井でお馴染みな養源院に於いて、
割腹して果てた鳥居元忠の血染みの跡を、指し棒で解説してくれる傍ら、
障子から差込む日差しが照ったり翳ったりして非常に雰囲気が妖しかった所だ。
小野篁が冥界へと出入りした井戸が在る六道珍皇寺も、またその効果抜群で、
些細な事だが三千年の「魔都」京都を少し堪能出来た感じである。

天候が怪しくなって来たのは丁度、清水寺の山道に差し掛かった頃だ。
清水寺と言えば何をか言わん名所中の名所で、多分3回以上は行ってる気はするが、
清水の舞台だの音羽の滝だの各所各所は記憶に有るのだが、
清水寺までのアプローチに関してはすっかり忘れていた。
まあとにかく凄まじい人の波と土産物屋の海で、人種の多様さも見事だった。

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人の多さと言えば、東山の名刹・南禅寺も流石に物凄い人出だった。
南禅寺の水路閣は昔から好きで今回も真っ先に行きたかった場所である。
あの落ち着いた三門や境内を抜けた先に現れる石造りのアーチが不思議な感じで、
今回も雨に濡れた石の落ち着きと紅葉の華やかさが奇妙に調和していた。

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南禅寺はそろそろ散りかけの樹も多く、寺の傍らに積った落ち葉にしても、
銀杏の黄色と紅葉の赤が中々味なグラデーション効果を見せていた。
結局その日は銀閣寺までチャリで溯って時間切れになってしまったが、
天気さえ良ければ京都市内はチャリで廻ると中々勝手が良い事が解った。
但し、各所で道が狭いと云うのは古都故にしょうがないとしても、
舗装された道でも妙にデコボコと路面の具合が悪いのは何故なんだろう?

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天候は回復したが同時に人出も殺人的に増えたのが次の日の嵐山だった。
特に渡月橋周辺の土産物集中エリアが最強の混み具合で、
歩道に群がる人の波、巨大な観光バスで動かない車道、合間を抜ける人力車、
ついでに更にその合間を抜けて行くレンタルサイクルに乗った自分・・・
早々にその周辺を抜け出して嵯峨野の奥に向かうも人波は衰えず。
まあしかしそう云う人込みも覚悟の上で寺社を廻って行くと、
古寂びた雰囲気の古刹や庭に散る紅葉が非常に良い雰囲気で、
京都らしい紅葉の醍醐味を味わうのなら嵐山が一番だったかもしれない。

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この周辺も多分何度か訪れているのだが、土産物屋の数が異常に多く成っている。
ひっそりと佇む石塔石仏と薄暗い竹林が最果てな気分を醸す化野念仏寺などは、
昔は本当に心寂しい所に有った気もするが、今や沿道は土産物屋で賑やかだ。

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嵯峨野の周遊コースから少々離れる所から人出もほどほどだったのが大覚寺で、
大沢池の周囲などは人も疎らで、のんびりと池の周囲の紅葉が楽しめた。
この周辺は太秦が近い関係上、時代劇のロケで使われる事も多い場所だそうで、
過度に整備されていない感じが古を偲ぶのに持って来いの雰囲気である。
和歌の一つでも捻りたい気分だが、浮かぶのは何処ぞで聞いた様な川柳ばかりだ。

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当然な話だがガキの頃とは違った視点で見た京都は中々に興味深かった。
それに思ったよりも結構近場に感じたのも新たな発見だった。
今度はこんな人出が多い時ではない時期に、町屋なども廻ってみたい物だ。
「酔狂道」の道のりはまだ果てし無く険しい・・・・なんちゃって・・・。

Kyoto10

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2008.11.22

アンソロジーの愉しみ~ジャズ篇

アンソロジーの愉しみは、コンパイラーのセンスが総てである。
奇抜な主題の選び方、集める断片の豊富さ、それらを纏める編集の妙がある。
一番簡単な物は、評価の高い物を網羅的に集めるベスト的な編集だ。
勿論一口に「ベスト」と言っても選者の選び様によって如何様にも変るが、
やはり余り有名ではない作品を或るテーマの下に愉しませる編集こそ、
アンソロジーならではの愉しみだと言えるのではないだろうか?

と云う訳で今回のアンソロジーの愉しみはジャズのコンパイル盤である。
モダン・ジャズの全盛期である5~60年代はようやくLP盤が普及し始めた頃で、
アルバム単位としてのコンセプチュアルな要素を持った作品は余り多くなく、
盤単位で聴かないと意味が失われるロックの名盤などに比べれば、
「名盤」と云うより「名演」「名曲」で語れる事が多いジャンルだと思う訳で、
個人的にアンソロジーには向いたジャンルではないかと思っている。
(まあしかし中山康樹氏の「超ブルーノート入門」とか読んでいると、
プロデューサーのアルフレッド・ライオンが如何にブルーノートの作品を、
コンセプチュアルな考えの基にリリースしているか解るし、
時代下ってジョン・コルトレーンのインパルスでの諸作などは、
やはりアルバム単位でしか考えられない作品なのは事実な訳だが・・・・)

ジャズの総本山とでも言うべきブルーノートのコンピ物はそれこそ山ほど有るが、
今回紹介するのは90年代にリリースされた廉価なコンピ盤シリーズである。
一口にシリーズと言ってもリリース元が英国だったり米国だったり色々だが、
何となくコンセプトが似ている作品なので一括りにして考えている。
ブルーノートの名前が付いているがブルーノートの作品だけを集めた訳ではなく、
販売元が持っている他のレーベルの音源も同じ様に収録していて、
英国のEMIが出した作品には1~2曲90年代の音源も混じっていたりする。
つまり「ジャズ=ブルーノート」的な意味で捉えている様な感じだろうか。
ただ廉価な割に非常にコンセプトが面白くジャケも良く、新しい発見も有りで、
輸入盤屋で見付けるとついつい買い込んでかなりの数が集まった。

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このシリーズで一番有名なのが多分「BLUE BOSSA」だと思う。
これは中身は同じながらジャケが違う盤を何枚も見たし、日本盤も出ていたと思う。
中身はもう文句無しのジャズ・ボッサの名曲ばかりで、
ハンク・モブレーの「リカード・ボサノヴァ」やホレス・パーランの「コンガグレ」などなど
クールでヒップな選曲は万人にお薦めできる内容である。

90年代と言えば英国でのアシッド・ジャズ・ムーブメントへと発展した、
所謂、ダンサブルなジャズの再評価の時代である、
故に余り日本では顧みられて来なかったブルーノート4000番台後半の、
ソウルやファンクに接近して行った時代のコンピ物なども多く出され、
このシリーズでもヒップホップの元ネタを収録した「BLUE BREAKBEATS」が、
全部で4枚も出回るほどヒットし、西海岸物を扱ったシリーズも出回ったりした。
それはそれでそれぞれ面白かったりするのだが普通過ぎるので今回は外して、
こんなディスカヴァー的な作品を紹介してみようと思う。

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まずはモダン・ジャズの聖地ニューヨークを主題にした「BLUE YORK BLUE YORK」。
女性フルート奏者ボビー・ハンフリーの「ニューヨーク・タイムズ」に始まり、
ブロードウェイ、サヴォイ、バードランド、ハーレム等を通り抜け、
MJQの演奏に乗ってセントラル・パークでスケートを楽しみ、ラストで再び、
ボビー・ハンフリーの「ハーレム・リバー・ドライヴ」で〆るNYの音楽小旅行だ。

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次はもっと規模が拡大されて米国横断と言った感じの「BLUNTED STATES」。
米国開拓の道「ルート66」で始まり「我が心のジョージア」で〆る。
前作にも収録されたジミー・スミスの「ハッケンサック」が入ってたりするが、
ケニー・ドーハムの「フィリー・ツイスト」ジョン・パットンの「メンフィス」、
ウィントン・ケリーの古い「ムーンライト・イン・ヴァーモント」もシブい。
当時最新作だったカサンドラ・ウィルソンのヴァン・モリソンのカバー曲、
「トゥペロ・ハニー」が意外に上手く溶け込んでいたりする。

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お次は差別の激しかった米国のジャズメンが尊敬を持って迎え入れられ、
多くの交流や楽曲を残して行ったフランスはパリを題材にした「Le Paris Blue」。
パリに住んで活躍したデクスター・ゴードンやバド・パウエルは当然として、
伝説のジプシー・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの「ヌアージス」、
ジャンゴとステファン・グラッペリのホット・クラブ・オブ・フランセの楽曲、
そのジャンゴを題材にしたMJQの「ジャンゴ」をジョー・パスがカバーした曲、
勿論MJQのミルト・ジャクソンの「アフタヌーン・イン・パリス」も収録だ。

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で、更に続くジャズの旅は遠い故郷アフリカへ!それが「AFRO BLUE」だ。
コルトレーンの演奏でお馴染み「アフロ・ブルー」をダイアン・リーヴスが歌い、
始原のリズムを追求したブレイキーのブルーノートの太鼓祭り盤から3曲も収録。
呪術的なリズムで聴かせるホレス・パーランの「ホーム・イン・アフリカ」、
シャープな演奏を聴かせる後期リー・モーガンの「ミスター・ケニア」も良い。

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同じくこのシリーズ物で多いのが作曲者別にコンパイルされたアルバムで、
ガーシュイン、モンク、バカラック、ビートルスなんかも有るのだが、
新しい発見が有って面白かったのが映画主題歌集「BLUE MOVIES」。
カウント・ベイシーによる「ロシアより愛をこめて」とか、
ウィリー・ボボの「コジャック」、スリーサウンズの「スタートレック」、
ボビー・ハッチャーソンの「マッシュのテーマ」なんかが面白い。
リー・モーガンの「真夜中のカウボーイ」は実に似合っているなぁ・・・

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他にネタとして面白いのがブルーノートのシングル盤を集めた「BLUE 45s」。
日本でも似た様な盤が出ていた様に思うが、これは中々興味深いし重宝する。
シングル盤に収める関係上、所謂エディットされたバージョンな訳だが、
印象的なテーマ部分を中心に編集された関係でコンパクトでノリが良い。
大ヒット曲、ルー・ドナルドソンの「アリゲーター・ブーガルー」とか、
ハービー・ハンコックの「ブラインド・マン、ブラインド・マン」など、
財政的に苦しかったブルーノートを救ってくれた有名シングルの他に、
シングル出てたの?って感じのドン・ウィルカーソンの「キャンプ・ミーティン」、
ホレス・シルヴァーの「サイケデリック・サリー」なんかが珍しい。

・・・おおっと長く書き過ぎたな・・・続きはまたいずれ。

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2008.11.15

決戦!赤壁の戦い~前編

Sekiheki001

「レッドクリフ PartI」が大ヒット中らしい。

公開1週目、3日間の興行収入がアジア映画では過去最高の「Heros」を抜き、
呉宇森の作品でも、過去最高記録の「M:I2」を超える成績を記録した。
観客動員も1週目で80万人を越え、2週目にして150万人を突破、
今年の洋画最高記録をマークした「インディ・ジョーンズ」の新作に迫る勢いで、
最終興収50億も夢ではないと云う強さを見せているそうな。

実際その勢いは週末に出掛けたシネコンのチケ売場にて、
巨大な劇場の座席表示が殆ど見事なまでに埋っていた事でも実感できた。
普段はさほどメジャーな作品を公開当初に観に行かない事も有って、
マイナーな作品では考えられない事態に、座席表示の前で一瞬固まったりした。
ハリウッド資本が入っているとは云え、純粋に中華圏主導の映画である。
これはやはり日本に於ける「三国志」の人気の賜物なのか?
はてまた資本投入したエイベックスによる物量広告戦の賜物か?

昨今映画をヒットさせるには女性層の取り込みが絶対的な要素で、
およそ内容とかけ離れた女性向けのCMでその層を取り込む事は多々有り、
実際に当初「レッド・クリフ」も「一人の女性の為に国を云々・・・」と云う、
それコピーが用意されていたらしいが、関係者の尽力で現在の様に落ち着いた訳だ。
やはり「魁が滾る世界」である三国志をその様に偽ってはいけない。
実際劇場に詰め掛けたカップル等を観ていても、殆ど男の方がテンション高めで、
上映前、上映後供に連れの女に群雄の解説を垂れている奴が非常に多かった。
対して女はと云うと、梁朝偉や金城武以外の登場人物に対して、
「ヒゲのオッサンばかり出て来て、途中から誰が誰だか良く解らなかった」、
等と云う実に解り易い感想が聞けていた。

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と云う訳で、三国志を良く理解している皆様には大変煩わしい事だったろうが、
本編が始まる前に(多分日本編集拠る物だろうが)「赤壁前史」の説明が入る。
当時の中国の乱立した国の状況と、群雄達の当時の立ち位置が解説され、
劇中も「ヒゲのオッサン」達に、しつこい程人物紹介のスーパーが入るのだ。
予備知識の無い人間にこれがどれほど有効なのかは解らないが親切な配慮だし、
実際に本編の方もビギナーにも解り易くしかも美味しい所取りの内容に成っていた。
本編はまず今回の強大な敵「魏」の曹操の悪逆振りから始まる。
この作品に於いて曹操は清々しいまでに、完膚無きまでに悪役である。
己が欲望に忠実で、皇帝を手玉に取り、逆らう者は誅殺し軍事力で捻じ伏せる、
正史では中心と成る曹操をここまで悪辣に描き切った所は、
「三国志演義」と云うか中国の民衆芸能に忠実な非常に解り易い図式で、
それは呉宇森がこの作品を歴史史劇と云う様な、所謂芸術的な方向性では無く、
解り易く痛快な歴史活劇と云う方向に徹底させている証でも有る訳だ。

そんな伝統的な歴史活劇とでも云うべき部分は続く「長坂の戦い」場面、
主役とも云うべき「蜀」の国の群雄たちの描写にも顕著に表れる。
敗走する民衆を憂う劉備、その意を受けて兵を組織する孔明、
愛馬「白龍」に跨り敵陣を一騎で駆け抜け群がる敵の中から赤子を救い出す趙雲、
その怪力で騎馬の敵兵をなぎ倒し、群がる相手を物ともしない殺戮兵器な張飛、
青龍偃月刀を片手に敵の只中に飛び込み、曹操をも感服させる美髯の男伊達関羽。
三国志に於ける綺羅星の如き千両役者達が桧舞台で見得を切るが如きその場面は、
正に大向こうから「よ!中華一!」とか声が掛かりそうな痛快さである。
三国志ファンならここだけでもう心鷲掴みと云うべき場面だし、
知らない人間も、その重量感の有るスリリングな立ち廻りに圧倒されるだろ。

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そして砂埃舞う長坂から場面は長江たゆたう緑濃い江南は「呉」の国へ、
呉との同盟を胸に秘め、孔明は今回の主役である周瑜と相見る訳である。
三国志演義の中では殆ど孔明の引き立て役の如き周瑜を、
この作品の主役に持って来たと云う所が、呉宇森の独自の視点だろう。
監督の周瑜への思い入れは、後姿で画面に現れたまましばらく描写を継ぎ、
少年の吹く笛を受け取り直すと云う、静謐ながら印象的な場面に現れている。
統制された軍隊を指揮しつつも、幽かな笛の音にも心を砕ける男、
無骨なだけではない周瑜の深みを表し、同時に孔明を感服させる場面である。

そんな周瑜を演じるは最近ようやく、本当によ~やく劉嘉玲と結婚した梁朝偉。
基本的にこの人に演技的な心配は完全に無用なので安心して観れるが、
やはり当初のキャスティング通り周潤發の周瑜も観て見たかった所である。
上手かったと言えば「呉」の君主「孫権」を演じた張震も良かった。
君主として心の煩悶や葛藤を表わさなければいけない難しい役柄であるが、
揺れ動く心の機微や決断する時の鋭さが良く現れていたと思う、流石演技派!
「ムサいヒゲの親父」ばかりの映画の中で、美しく咲く紅白の花の白い方、
周瑜の妻の小喬を演じたのは満を持しての映画出演に成る林志玲だが、
今回はある種、戦の引き金に成った美貌を曇らすだけの出番で評価はし辛い、
しかし後編では結構な見せ場が有るそうなのでそちらに期待するべき所だろうか?
そう云えば従来の中華圏作品に比べると周瑜と小喬のラブシーンが中々濃厚な物で、
その辺の描写はハリウッドで撮って来た呉宇森ならではと云う感じがした。
で、美しく咲く紅白の花の赤い方は、孫権の妹「尚香」を演じた趙薇。
趙薇らしい、男勝りに戦場を駆けるお転婆なお姫様と云う役で可愛いが、
そろそろ彼女の違う側面を表した役柄も観て見たい気がする。
孔明役の金城武は正直、可も無く不可も無く無難に演じていると云う感じだった。
わざわざ金城武が演じているならもう少し孔明に軽味が有っても良いと思うが、
流石に孔明にそう云う物は望まれてなかった、と云う所だろうか?
軍師の場合派手な活躍が有る訳では無いので、静的な表現が難しいと思うが、
これまた後編に意外な見せ場が用意されているやも知れず判断は保留である。

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で、蜀と呉の連合軍が本編の最後に挑むのは「九官八卦の図」を用いた闘いだ。
話のクライマックスである「赤壁」の戦いを前半で描けない関係上、
前半の山場を何処に持ってくるのかと思っていたら史実に描かれないこの戦である。
や~これがまた凄い、所謂前座の試合とも言える訳だが、半端無く凄い。
これだけの物を前半に持って来られると、赤壁戦への期待が否応無く高まる。
この陣形がどれだけ史実に忠実なのかは寡聞にして知らないが、
軍師の知略、兵士の統制、将兵の活躍など三国志ファンにはたまらない場面だろう。
戦況によって機敏に変る陣形の変化や戦略の数々も凄いが、
武将なのに率先して最前線に躍り出て縦横無尽に活躍する群雄の姿に燃える。

・・・・と、2時間半近くここまで描いて前半は終了。
長江に雲霞の如く群がる曹操の軍船を前に、決戦はまだ始まってもいないのである。
本編終了後に後編の予告編が流れるが、結果は解っている物の、
予想外のシーンや、有名なシーンなどについ息を呑んでしまう所だ。
日本では4月、中華圏では旧正月辺りの公開に成るのだろうか?
「呉宇森版・三国志演義」とりあえず今後も期待である。

Sekiheki04

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2008.11.08

回想の杉浦日向子

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今年の6月に没後7周年を迎えるナンシー関の「大ハンコ展」が開催された。
現在でも、あのとぼけた消しゴム版画や独特の視点を持ったテレビ批評など、
その唯一無二の存在を惜しむ声は方々で聞こえる。
ナンシー関が逝ってから更に末期的な症状を見せる現在のテレビ番組に、
彼女が生きていればどんな毒舌を吐くのだろうかと想像してみたくなる。
それと同時にナンシー関が逝った後、しばらくして同じ様に早世した、
やはり唯一無二の女性の存在を強く思いだしたりする。
亡くなったと云うよりは、まるで蓬莱山に羽化登仙したかの様に、
世知辛いこの世から隠れてしまった神仙の如き女性・・・・
ナンシー関の様に大々的な回顧展が開かれた訳ではないが、
三周忌の今年に控えめながら愛情に溢れた一冊の本が出版された。
それがユリイカの別冊本「総特集・杉浦日向子」である。
杉浦日向子に関しては亡くなった直後にこのブログでも追悼記事を書いたが、
とにかく個人的に非常に思い入れの深い作家なのである。

まず巻頭には家族などと撮られた幼い頃の写真が大量に掲載されており、
特に実兄で写真家の鈴木雅也氏の撮られたカットがかなりの量を占める。
その小さい頃の写真と云うのが実に昭和の正しい子供的な良い写真で、
髪型や服装、写り込んだ背景なども含めて妙に懐かしく微笑ましい気分に成る。
その彼女と最も親しい関係だった兄も含め、作家や編集者等の回想録、
杉浦日向子に思いを寄せたエッセイ、彼女の仕事に関する幾つかの論考、
近藤ようこや畑中純などによる寄せ絵、フランスでの作品の翻訳出版事情、
彼女が組織した「ソ連」の会員達による思い出話、中沢新一との対談の再録、
そして単行本未収録作品「三味線枕」、名作「吉良供養」の下絵バージョン、
杉浦日向子全著作解題など、非常に盛り沢山な内容で満腹する。

自分は単純に彼女の著作のファンで、本人を存じ上げている訳では無いから、
ここに掲載された、家族や周囲の人間が描き出す『杉浦日向子』と云う存在に、
素直に驚いたし「なるほど、さも有りなん」と云う気分にさせられた。
曰く、極端に食が細く好きな物が珍味か汁物、そして蕎麦の様な栄養の無い物、
曰く、酒はザルで異様に強く、しかも酔っても乱れた事が一つも無い、
曰く、旅が好きで一人で何処にでも出掛けるが、飛行機が大の苦手、
などなど・・・その怪人振りはやはりどう考えても浮世離れしている。
なのに人付き合いでは非常に常識人であり、品が有り心配りの出来る女性だった事。
兄の影響からロック好きで、葬儀にはキング・クリムゾンや10ccが流され、
(クリムゾンでも「ムーン・チャイルド」辺りを流す所なんざ結構泣ける)
ザ・バンド、リトル・フィート、ライ・クーダー等、渋めな米ロックを愛好する所。
そして後年もともと弱かった身体が病気で随分と弱っていた事、
間接的か直接的かは解らないが、漫画家廃業の原因もそれだったと云う事などなど。

中国に出かけた折に怪異に出会って二人で震え上がったと云う中島梓氏の思い出や、
作品の手法に迫った永山薫氏や中田健太郎氏の論考も興味深かったが、
面白かったのが、澁谷和美氏の「きもの文化人としての杉浦日向子さん」だ。
この中で指摘されている、杉浦日向子が好感を持たれる要素の一つが、
「オタク女子的話し方」に有る、と云う部分には結構( ゚Д゚)ハッ!とさせられた。
そう、彼女の『江戸論』的な物が素直に感覚的に心に沁みて来るのは、
それが厳密な学問としての江戸や、権力や歴史のうねりとしての江戸ではなく、
愛好する対象を自然に語った事による「大好きな」江戸についてだからだ。
瑣末な事柄に拘って本質を忘れてしまった「江戸学」的な物では無い、
ロックや漫画や蕎麦や着物と同じ地平に在る江戸なのである。
それは勿論オタクとして「萌え」が勝り過ぎて事実を置き去りにした世界では無く、
きっちりとした考証や知識の裏付けが有った上での感覚の世界なのだ。
そう、そんな杉浦日向子の江戸に魅かれて著作を読み進む内に、
江戸名所的な地場に頼る事無く、自分のすぐ隣に江戸を感じる事が出来る訳だ。

昨今「江戸検定」なども現れて再び「江戸学」的な物が盛り上がっているが、
瑣末な学問的知識の先には彼女が見せてくれたあの江戸の姿は観えない。
「何台将軍の時代に何と言う事件が有った」と云う事をクイズの様に回答するなら、
「江戸アルキ帖」を読んで江戸の夜の暗がりや物売りの声を想像した方が、
なんぼか江戸に近づける様な気がするのだが・・・・
何はともあれ読み終わると彼女の著作が猛烈に読みたくなる1冊で、
そして著作を読み終わる度に、もう新作は二度と読めない寂寥感に捕われる訳だ。

嗚呼、江戸と日向子は遠くに成りにし・・・・

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2008.11.01

「ボストン美術館所蔵 浮世絵名品展」

Boston01


江戸東京博物館で行われている「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきた。

江戸東京博物館でのボストン美術館所蔵の浮世絵展と言えば、
一昨年に観に行った「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展」を思い出す。
前回が浮世絵でも珍しい肉筆画に焦点を当てた企画なら、
今回は正に浮世絵の王道である版画の名品を集めた展覧会と云う訳である。

ボストン美術館所蔵の浮世絵は、アメリカの富豪スポルディング兄弟が、
モース、フェノロサ、ビゲロー等の良く知られた日本美術愛好家に、
依頼・蒐集した作品がそのコレクションの元に成っている訳だが、
作品保持のため「公開を一切しない」という条件付きで美術館へ寄贈された為に、
摺られた当時の鮮やかな色彩のまま保存されている、と云うのが売りだ。
展覧会に先立って放送されたNHK特集でもその部分が強調されていた。

で、その色彩美を期待して観に行ったのだがその部分ではいま一つな感じだった。
幕末時の作品は流石にタイムラグが少ないだけに、かなりの美品揃いだったが、
広重の保永堂版の美品なら他の展覧会でも観た事が有るし、
写楽の「石部金吉」だと背景の雲母摺りがもう少し美しい版も観た事が有る。
ただ春信の一部の作品や湖龍斎の連作物などは流石に見事な美しさだったし、
珍しい初代・鳥居清倍の作品も朱色の発色が素晴らしかった。
幕末の有名所の作品は有名だけにどうしても他と比較してしまうが、
初期~中期の作品は珍しい物が多くそれ故に発見も多かった、と云う所だろうか。

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写楽「二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉」


今回の展示は単色の刷り物だった浮世絵が、時代を経て彩を獲得して行き、
やがて世界でも類を見ない美術表現に発展して行く様を時代順に展示していて、
浮世絵美術の発展史とも観れる内容で、解り易く面白い。
まあ言い換えれば、美術館所蔵の作品だけでこれだけの流れが作れると云う事は、
それだけトータリティの有る蒐集が行われたと云う事だろう。
その辺の遺漏の無さは「流石にフェノロサ!」と云う感じで有る。

最初期の構図にしろ彫りにしろ、プリミティブな単色摺りの作品から、
国芳の三枚綴りで展開される奇想際立つ作品まで、驚異的な進化には目を見張る。
特に作品が売れるだけにそれだけ贅を尽くせた春信の作品は明らかに違う。
近くで見れば良く解るが、緻密な彫りや鮮やかな色彩、横溢するドラマ性など、
最初のビックバンがここで起こっている事は明白だ。
現代で云う所のトップモデルを使った最新モード集とでも言える、
湖龍斎の「雛形若菜の初模様」連作も、他とは違う色彩感覚が冴えた作品である。
こちらもまた吉原の廓がスポンサーに付いているだけに、
色版にしろ彫りにしろ、贅が尽くされた作品に成っている訳だが、
着物の模様を浮き立たせる為に黒バックを使ってる所など実にモード的な発想だ。

Boston02
春信「寄菊」


個人的に驚いたのが展覧会終盤に用意された肉筆や下絵のコーナーに有った、
広重が手掛けた団扇に張る画の下絵だった。
まあ下絵なので団扇用の枠線に墨と筆で描かれたラインな訳だが、
これがまた見事なまでによどみの無い筆致で生き生きと描かれていて、
鉛筆で描く様な「あたり」的な物が一切無く正に一気加勢な筆使いなのである。
何というデッサン力!しかも鉛筆の様に消したり出来ない墨である。
浮世絵は基本的に絵師、彫り師、摺り師の共同作業による作品であるが、
肉筆や下絵を見るとやはり絵師の半端では無い技量が窺い知れると云う物だ。

そして楽しみだったのが、NHKの特集でも取り上げられていた初代・歌川国政。
国政と言えば知られざる巨匠と云うか幻の絵師の一人で、写楽との共通点が多い。
歌川豊国門下に入門したのが、写楽が忽然と姿を消したその年で、
豊国門下であるのに係らず、歌川派の系流が余り感じられず、
残された作品も殆どが役者絵で、その画は明らかに写楽の継承者的な側面が強い。
更に奇妙なのが写楽同様そのキャリアの絶頂期に筆を絶っている所だ。
その後の消息も伝えられているだけに、病没したとか失踪した訳でも無く、
国政の名を継ぐ者もその後何代か居るだけに、破門された訳でも無いのだ。
或る意味、写楽の画業や生き様までもトレースした男、とでも言おうか、
しかしそれ故に役者絵に関しては写楽に肉迫出来た唯一の男なのである。
殆どの作品が役者絵で作品数も少ない所から知名度の低い国政であるが、
その傑作の多くがボストン美術館で発見されたと云うのである。
結果から言うと今回の展覧会で国政の作品は3点の展示にとどまっていた。
もう少しまとめてその作品を観たかったが、まあ何はともあれ国政である、
実物の画面構成の大胆さや迫力には中々息を呑む物が有った。
是非今後、国政の代表的な作品を集めた展覧会を観てみたい物である。

Boston04
国政「三代市川八百蔵の山賤」

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