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2008.12.27

「写真屋・寺山修司」

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寺山修司と云う存在を知ったのは、タモリの素晴らしい物真似からだが、
その存在を意識したのは「田園に死す・草迷宮」のシナリオ本からだった。

横溝正史をあらかた読み終わり、その周辺の探偵小説に食手を伸ばしながら、
これからバブルが最高に盛り上ろうと云う浮かれ切った時代に、
昭和初期の因習渦巻く寒村や、猟奇者がうろつく帝都の闇に耽溺していた頃に、
手に取ったその映画のスチール満載のシナリオ本は最高に衝撃的だった。
俗悪な見世物をフィルムに具現化した様な悪夢的なカットの数々、
そしてイメージを断片化したが如き意味不明ながら鮮烈なシナリオの内容・・・
結局立ち読みしているだけに飽き足らず、購入して耽読したものだ。

ここで今ならばその映画のDVDを探した・・・と云う事に成るんだろうし、
少し前なら、その映画が置いてあるビデオ屋を探した・・・に成るんだろうが、
それ以前に出来る事と言えば、名画座でその映画が掛かるのを待った、に成る。
それは奇しくも寺山修司が亡くなった年に、追悼記念特集上映として、
確か池袋の文芸座地下だったか飯田橋の佳作座だかで目にする事が出来た。
先の2作品と供に「疱瘡譚」「消しゴム」「トマトケチャップ皇帝」等の、
寺山修司の実験映画も一緒に放映されたのが、これまた印象深かった。

多面的な活動を行っていた寺山修司に関する印象は人それぞれ有るだろうが、
もっとも表面に出て来るのは、短歌や詩、エッセイストと言った文筆方面だろうが、
自分にとって寺山修司は邪悪なビジュアリストであり奇怪な映像作家なのである。
そんな認識を持つ御同慶にもたまらない寺山の本がこの度出版された。
それが没後25周年記念と冠された「写真屋・寺山修司」である。

寺山の写真集と言えば「幻想写真館・犬神家の人々」が有名だが、
10年前以上でも古書価が一万五千円を越える様なプレミア本に成っていて、
気安く入手出来ずに涙を呑んでいたが、ここに来て嬉しい復刊な訳なのだが、
スチールに文章や色彩加工を施したカットの多い「犬神家の人々」に対し、
今作はその元に成ったカットを「写真」として掲載した写真集と云う事なので、
「犬神家の人々」とは完全に別物の写真集と云う具合に成っている。

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異国の古城にて現地のキャストを配し、バタイユのタイトルを冠した「眼球譚」。
桟敷のメンバーが英国の邸宅で「奴婢訓」を演じた様な「悪魔の囁き」。
ペルシャの大地を奇怪な祝宴に染めたが如き「千夜一夜・アラビアンナイト」。
暗鬱な欧州のトーンが何処か退廃的な「ヨーロッパ版・犬神家の人々」。
そしてお馴染みな桟敷のキャストが舞台そのままで映る「摩訶不思議な客人」。
と云う五章に寺山のエッセイや寄稿文が加わった構成に成っている。

四方田犬彦による重厚な論考、師匠である荒木経惟の愉しげな思い出話も良いが、
興味深いのが(「アサヒグラフ」連載の為の二、三の私案)と付けられた、
「実現しなかった写真」と云う連載企画のアイデアの箇条書きである。
見世物趣味が横溢した「フリークス・カーニバル」等と云う、
実現していればダイアン・アーバスの偉業に匹敵するかも知れない企画も有るが、
今作の「悪魔の囁き」でも試作されている「実在しない映画のスチール」などは、
もし連載としてまとまったらかなり面白い、独特な物に成ったであろう企画だ。
「変身」や「愛する」等の企画は現在でも可能な面白い企画だし、
実際にその様な企画写真も見た事有る様な気もするが、
やはり寺山の手による特異な加工やギミックが加わった物が観てみたかった。
寺山曰く「写真は”真を写す”のではなく、”偽を造る”のだ」と云う事だから。

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舞台そのままな衣装やメイクの桟敷のメンバーを配した写真は、
やはり隅々まで寺山の意が透徹していてインパクトも強く面白いのだが、
現地の無名なモデルを使い舞台装置も廃し、写真の力のみで勝負した「眼球譚」が、
光りと陰の具合と云い色彩設定と云い「写真」として非常に完成されていて、
「写真屋」としての寺山修司の習熟度の高さを見事に表わしている様に思う。
「写真家」として純粋に寺山を評価する、今回の様な試みは中々に興味深い。

しかし寺山と言えばやはり悪くどいまでのギミックがその本領であろう。
今作の冒頭に掲げられた寺山の「幻想写真館からのご挨拶」を引用すれば、
「~私はスナップなどは撮りません。素顔も一切、扱いません。
仮面・化粧・変身・幻想といったものにしか興味が無いので、
撮影に当りましても、ブラック・サバスやユーライア・ヒープなどの
(あるいは古きよき時代の、ポーラ・ネグリのタンゴなどの)
摩訶不思議のレコードをかけ、一夜のパーティとして、
シャッターを切らしていただきます。
つまり写真機を口実のパーティを開宴し、「撮る」たのしみと
「撮られる」快楽とを等分したいという訳でございます。」

何という妖しい誘惑に満ちた蠱惑的な悪魔の囁きだろう。
BGMがサバスやヒープ(勿論我が愛しのコウマス等も)と云うのも最高だ。
この邪悪な「幻想写真館」的夢想を、他者の創作物を模倣するコスプレイヤー達や、
市場として確立してしまった規格品を着るゴスロリ少女達にも知って欲しい物だ。
そう云う意味でも長らくプレミアが付いたままの「犬神家の人々」の復刊、
そして「幻想舞台写真帖・天井桟敷の人々」の増補復刊なんかも望みたい所である

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何故か所有している寺山初の商業写真にして最後の写真撮影に成った、
81年の「平凡パンチ」に於ける女優・高橋ひとみのグラビア。

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2008.12.20

紅葉写真展

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紅や黄色に色付いた葉の代りに、青や白の電飾が木々を飾りだすと、
紅葉の季節の終りと、慌ただしい歳の暮れの到来を感じる。

そうなると正月と云うハレの空間まであっと言う間に駆け抜けて行く事に成り、
晩秋の何処か心寂しい曖昧な日々が、もう懐かしく感じられて来る。

年々賑やかな年末年始より晩秋の方に思い入れが強くなって行くのは、
そう云う心持のせいなのか、それとも年齢などに拠る物なのか・・・・

何はともあれ、今年も過ぎ行く秋に想いを馳せ、
結構撮りためて有った紅葉の写真などを観ながら秋を偲ぶと云う感じで・・・・

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本郷の東大は仕事先が近かったせいで毎年紅葉の時期には寄っていた。
校内の他に、本郷通り沿いにも銀杏の並木が並んでいるのだが、
校内の銀杏の樹と微妙に紅葉の度合いがずれている事が有って要注意だ。
本郷通りの銀杏並木を見て、まだまだだと思っていると校内は見頃だったりする。

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普通に東大の紅葉と云うと正門近くの銀杏並木しか観ない人も多いが、
校内には他にも見所が有って、その一つがグランド近くの一隅だ。
数は多くないが紅葉の樹が幾本か有って古めいた校舎と良く合っている。

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そしてもう一つの見所が三四郎池周辺の紅葉である。
朝には水面が静まり返り鏡面の様に紅葉を映す様が中々神秘的な感じだ。

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周囲の銀杏の黄色に、池の端の紅葉、そして中の島にはススキが揺れていたりと、
三四郎池は見る角度によって違う味わいが有って愉しめる。

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場所変って谷中墓地。
モノトーンな墓地の風景の中に突如表れる紅葉は中々に目を引く。
以前ここにも書いたが江戸時代の墓所が再開発に拠って取り壊されている。
古色蒼然とした墓石に紅葉が積る様は何とも言えぬ雰囲気なのだが、
そう云う味のある雰囲気も段々味わえなく成って来ている様だ。

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こちらは東大和市に有るとある公園で見た夕暮れ刻の紅葉。
ここは戦時中米軍に銃撃された、旧日立航空機立川変電所跡が有る公園で、
凄まじい銃痕が残る建物を見物した後に目にした不思議な風景だ。
紅葉も凄かったのだが、それ以上にこの時の夕暮れが怖ろしく真っ赤で、
周囲の風景が見事なまでに赤く染められ、何やら暗示的な雰囲気でさえ有った。

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下町の民家の軒先に実る千両か万両(どっちか解らんが)の実。
千両・万両と言えば万年青と並んで下町の軒先には欠かせない植物。
どちらかと言えば正月の縁起物に入る植物で秋の紅葉とは関係無いが、
散り際の頃、同じ様に街で良く目にする紅い実がいつも印象に残っている。

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こちらは最近めっきり観る機会が減った様な気がする柿の木。
甘味の有る柔らかい柿は、早々にカラスに食われてしまう事が多いのだが、
こちらの柿は渋柿らしく、結構いつまでも枝に残っていた。
この樹が有るお宅は毎年ベランダに柿を干して干柿を作っているのだが、
干柿が軒先に並ぶような味の有る風景は、更に都心では見掛けなくなった。

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近所の神社にてかき集められた銀杏の落ち葉。
その昔は野天での焚き火で、その後は小さな焼却炉で落ち葉を処理していたが、
昨今のダイオキシン問題で、秋の風物だった落ち葉焚きの煙も見れなくなった。
しかしこれだけ落ち葉をうず高く積まれると、ついダイヴしたくなるもんだが、
銀杏の落ち葉は脂ッ気が多く臭いもキツいのでそれ所ではない。
それにしても毎年毎年これだけ出る落ち葉って何か再利用出来ない物かねぇ・・・

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2008.12.13

漫画「蟲師」の降幕

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知らない内に「蟲師」の連載が終了していた!
本屋の店先で新刊が出ているのを目に留めて不図手に取ってみれば、
「降幕の刻」の文字が・・・・「え?終ったんだ!」ってなもんである。

「蟲師」は「ヨコハマ買出し紀行」なんかと並んで、
連載開始当初からアフタヌーンで読み始め、コミックを買って行く様に成り、
雑誌を読まなくなってからもコミックで買い揃えて来た数少ない漫画だった。
94年に始まり2006年に終了した「ヨコハマ~」が全14巻で終了し、
99年から始まった「蟲師」が10巻で終了と云う事で、
まあ寡作と呼べる部類に入る作品と言っても良いだろうが、
当初はほぼ季刊連載だったし、感覚としては「長く続いたなぁ」と云う感じもある。
それ故に「続いていて当たり前」感も有った訳で、連載終了には結構驚かされた。

とは云え予想していた通り、単に連載が終了したと云うだけで、
話は・・・と云うかギンコの旅は今も続いている、と云う様な結末だった。
非常にこの作品らしい終り方だし、正しく「降幕」の言葉に相応しい終り方だ。
「光脈筋」や「山のヌシの交代」「蟲の宴」など、この作品世界の根幹に関る、
重要なワードを配した作品を前・後編で最終回に持って来ている訳だが、
個人的には、ギンコが数少ないサブキャラである探幽とか化野の元へ還る様な、
一つ旅が廻り巡って戻る様な話で締め括って欲しかったりなんかする。

それにしても何から何まで独特な世界観に満ちた不思議な作品だった。
この作品、平たく言ってしまえば「旅の途上の妖怪ハンター」的な話である。
「怪を祓う者」が「怪の世界」のハーフブリード的な存在と云うのも良く有る話だ。
しかし人間に害を為す存在を手垢の付いた「妖怪」等では無く、
自然に組み込まれた存在ながら普通の人間には不可視な「蟲」にした所が妙な訳で、
人間に害を為すが、それ自体は己の存在の営為の為に行動しているに過ぎず、
「蟲」も含めて自然の理として共存して行く事を解く、蟲師の存在は中々に深い。
蟲が人に害を為す時は必ずそこに蟲の「理」が有る訳で、
それを読み解き解決する蟲師の、恰も推理小説の如き偽・博物学知識が面白く、
擬態なり群生なり独自の営為を見せる蟲たちの生物学的様相も話の肝に成っていた。
そう云う世界観で有りながら作者のタッチは非常に淡く夢現の如きで、
線の少ない少年漫画的な人物描写と、トーンを多用したぼんやりとした背景が、
一種不気味な「蟲」の存在も含め、温かな民話的世界を醸し出していて独特である。
また作者の描くカラーページには実に独特の味わいが有り、
キャンソン紙かワトソン紙に描かれた水彩の淡いカラー原稿は、
作品の世界観に見事に調和していてCG全盛の昨今では味わえない妙味が有る。
コミックでも連載時のカラーページは必ずカラーにて収録されており、
売場でも一際目に付くぼってりとした表紙のデザインもさすがだ。

話が一区切り付いたと云う事で、個人的にベストエピソードを選ぶと・・・・
やはり探幽及び狩房家の話、イサザやぬいを含んだギンコの過去話、
そして「ウロ繭」と兎澤綺などの蟲師の生活に絡んだ話は外せない所だが、
「ヌシ」や「光脈筋」の話が初めて出て来る、ムジカも印象的な「やまねむる」、
書き様によってはホラーテイストで有りながら幻想的に美しい話な「一夜橋」、
まるで諸星大二郎的な話を奇妙に後味の良い話として処理した「沖つ宮」
そして今巻では時間の檻に閉じ込められた人の思いが哀しい「香る闇」等が良い。
しかし読み返してみると個々作品のクオリティに波が殆ど無く、
どれも標準以上の出来なのに感心させられる、基本一話完結なのに大した物だ。

「蟲師」と言えば忘れられないのがアニメ版の見事な出来である。
原作から何の要素も引かず、忠実に映像化された世界観の再現は実に見事で、
正に理想のアニメ化と言える出来であり、再開を望みたい作品の一つである。
往時のドノヴァンと言った風な、ブリティッシュ・フォーク辺りを連想させる、
幻覚的に爪弾かれるアリー・カーの珠玉の主題歌も相当風変わりな訳だが、
毎回異なったアレンジの施されたエンディング曲も映像も実に力が入っている。
土井美加による感情を廃した様なナレーションも昔話風で非常に良いし、
何よりもギンコ役の中野裕斗の朴訥とした感じが実に役柄にフィットしていて、
今や漫画の方を読んでいてもあの声を無意識にアテてしまう感じだ。
CGを使った蟲の表現も非常に幻想的で映像の美しさも極めつけである。
TVシリーズ全二十六話を収めたDVDのボックスセットも発売しているが、
なんとタイムリーな事に現在NHKのBS2の月曜深夜にて再放映が始まった。
未見の方は是非ともこの独特なアニメ版の世界観を体験して欲しい物だ。
あ~・・・・ちなみに映画にも成っていますが、まあそれはそれと云う事で・・・

さて、作者である漆原友紀は今後どのような作品を手掛けるのだろう?
「蟲師」を終らせてまで「蟲師」の様な作品は書かないだろうから、
ガラリと作風が変った現代的な作品にでも挑戦するのだろうか?
以前出した短篇集の中にも幾つか面白そうな題材が有ったが・・・さて如何に?

Musi08

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2008.12.06

「生ける屍の記録~ダイアリー・オブ・ザ・デッド」

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マスター・オブ・ホラー、ジョージ・A・ロメロ尊師が手掛ける、
「生ける屍」サーガの最新作!と云うか新展開特別篇。

と云うのも「生ける屍」サーガは今まで時系列的に進行していた訳で、
一作目の「夜」は、正に死者が甦り始めた最初の晩の記録であり、
続く「夜明け」はその騒動が拡大し混乱する社会を描いており、
「日」は独自の力と規律を持つ軍隊も社会同様に崩壊して行く様子であり、
「島」に到っては死者と生者が逆転した社会で隔絶して生きる人々が描かれている。
今作の「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」、謂わば「生ける屍の記録」は、
「夜明け」の時期を現代に移し変えた作品に成っていて、
時系列通りに成っていない所から「新展開特別篇」などと明記した訳だが、
それ故にロメロのゾンビ哲学とでも云う物を再認識する様な作風に成っていて、
個人的には前作の「島」よりもロメロらしい作品で唸らされた。

片田舎で自主制作映画(しかも古臭いホラー)を撮っていた映画学校の学生が、
下界の騒ぎを聞き付けて半信半疑で現場を撤収し帰途に着いてみたら、
既にその道すがらフラフラと歩く屍者たちの歓迎を受けると云う導入だが、
その一部始終が、記録映画監督を志していた男のカメラで収められる、
所謂「ポストダイレクトシネマ(カメラを操る人間の主観視点映画)」とか、
「モキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)」等と呼ばれる性質の作品である。
「クローバーフィールド」で新たな可能性を示したこの作風だが、
ゾンビ物を扱った作品なら「REC/レック」と云う先行する作品がある。
なので目新しさと云う点に関してはロメロは完全に後塵を拝している訳だが、
そもそも「ゾンビ物」のフォーマットを作り上げたのはロメロで、
総てのゾンビ物がロメロの影響下に有る事を考えればそれも有りだろうし、
そう云うフットワークの軽い試みを試したくなるロメロの若さにも感心する。

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更にこの作品で面白いのがネット上の動画投稿サイトや監視カメラの映像など、
無数のカメラ越しの映像が作品に折り込まれている事だろう。
冒頭のテレビクルーがニュースの撮影中に、搬送される死体が動き出し、
銃弾を物ともせずにリポーターの女に喰らい付く映像も、
ボツ動画が密かにネットにアップされたと云う設定の元で使われているし、
動画投稿サイトに東京からアップされたらしい映像も挿入される。
対してテレビなどで報道される「事件」の顛末は政府の規制のせいで、
あやふやな偽情報が流されており、映像を巡るその逆転現象が興味深い。

そう堂々とした娯楽作品だった前作の「島」に比べて今作が興味深いのは、
完全に立場が逆転してしまった「島」の時の世界観に比べて、
今作はまだ多様な価値観の揺らぎが有り、それが酷く現代的で身に沁みるからだ。
昨日まで愛していた者たちを自らの手で屠らなけらばならない現実、
力を持った者たちから真っ先に「力の論理」に腐敗して行く現実、
正常な社会に有っては「狂気」とでも言える法則が正常に摺り替わる現実、
それらは常に通奏低音の様にロメロの作品に流れていた物であるが、
今作ではそれに「報道する者」と「映される者」の皮肉な考察も加えられている。
現実の出来事であってもレンズ越しの映像に現実感が希薄な事実、
非常時に有ってカメラを向けられ、冷徹に映像を残される対象者への暴力性、
記録者としての目的が何時しか摺り変り刺激の強い映像に走ってしまう中毒性、
プロアマ問わず、無数の映像が世界中に溢れる現代にこの問いは深く重い。
この現実を顧みさせる作品の苦さこそロメロと云う監督の真骨頂だと言える。

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と云う訳で派手なSFXやCGが氾濫する昨今のアクション・ゾンビ物に比すると、
低予算で有り、内省的なテーマを孕んだこの作品は地味に映るのは確かだし、
ゾンビ・ファンを満足させるピンポイントなゴア描写は中々楽しめる物の、
物量作戦的な大量のゾンビの群れが描かれないスケールの小ささは否めない。
只それ故に一人また一人と死んで行く仲間の死の重さは確かに有るし、
中盤に出て来る聾唖者の農夫の、圧倒的な行動力と死も印象的に迫って来る。
所謂「原点回帰」的なこの作品は或る意味ゾンビ・ファンの試金石的な物だろう。
しかし、今後ロメロがゾンビ物を撮り続けていけるのかは解らないが、
ロメロが未だに呆けても日和ってもいない事は良く解った。

写真だけ見るともう既に好々爺然としてるのにホント若いなぁ・・・・

Diaryofthedead05
ゾンビ・マスターの肖像

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