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2009.06.27

雨と供に我来たりぬ~I Come With The Rain

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トラン・アン・ユンから「ベトナム」と云うファクターを外すと、
彼と王家衛(ウォン・カーワイ)との共通点の多さに気付かされる。
例えばそれは、独特の時間軸の処理だったり、暴力と叙情との振り幅だったり、
DJ的とも言える、既存の音楽の絶妙な選択眼とその起用の巧さだったり、
儲からなさそうな企画を、金の取れるスター俳優でカバーする方法だったりする。
そして亜細亜人の監督にしては、どちらも欧州映画的な作家性が強く、
ストーリーの整合性よりも、映像に語らせる事を主眼にしていて、
その傾向は娯楽映画主体の香港映画界から出て来た王家衛よりも、
作家性を重視するフランス映画界出身のトラン・アン・ユンの方に顕著である。

何時の頃からかは忘れたが、家の母親は木村拓哉の番組の熱烈なファンである。
木村拓哉の新しいドラマが始まると言うと、どんな内容かに係らず必ず観る。
その母親からすると今期始まった木村の「MrBRAIN」は余り評判がよろしくない。
曰く「話の展開の早さに付いて行けない。内容に残酷な所が多い。」等々、
そして「もっとハラハラする様な恋愛的な物が観たい」と、言う事だそうだ。
木村拓哉の総てのファンがそう云う傾向を望んでいるとはさらさら思わないが、
「スター」としての木村拓哉に求められる世界はそう云う感じなのだろう。
(ちなみにそう云う意見を聞いて久し振りに木村の番組を観てみたが、
母親が嫌がっているだけに面白くて毎週見ている。是非このまま残酷描写を控えず、
テコ入れにベタな恋愛方向に逃げずに最後まで行って欲しいものだ。)
共演している日本でも人気が有る韓国の俳優イ・ビョンホンのファンも含めて、
そう云う層が例えば韓流映画やトレンディードラマ的な物を期待して観たならば、
「何だ?この訳解らん映画は!」と云う事に成るだろうとは思う。
只これは飽くまで「シクロ」のトラン・アン・ユン監督の新作映画なのである。
かつて「シクロ」に衝撃を受けた人間ならそれが解ってくれると思う。
今作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」は「シクロ」と相似形を成す様な作品だ。

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しかし「シクロ」が日本で公開されてから既に14年が経っているし、
そのDVDも廃盤状態と云う事では「夏至」で監督を知った人にも辛かろうとは思う。
しかし実際この映画は「シクロ」から引き続き企画されていた映画だそうで、
同じ傾向を持った作品と云う事は監督も認めている訳である。
聖と俗、暴力と慈愛、芸術と自然、歪な男と女の関係など共通する所は多いし、
ジョシュ・ハーネット演じるクラインが、聖と俗を行き交うシクロだとすれば、
歪な愛を抱き、崇高なるものを畏怖するが故に極端な暴力に駆られる、
イ・ビョンホン演じるス・ドンポは「シクロ」の詩人と完全に重なる。
とすれば、総てを肯定したかの様に俗に落ちても崇高で故に残酷な存在である、
「シクロ」の姉に当てはまるのは、木村拓哉演じるシタオだろうか?
同時に詩人と重なるス・ドンポが破滅的な愛を捧げるリリは「シクロ」の姉と同じ、
監督のミューズであるトラン・ヌー・イェン・ケーが演じている訳である。
シクロは詩人の手下となって悪事を働いた後、虫の湧く汚水に塗れて悶え、
そして悪事に染まった自分の身体と心を浄化する様に、青いペンキに塗れ、
ビニールを被り、銃で自らの身体を苛みかつてと同じ現実に帰還する。
それは山中で射殺された後に、雨に濡れ虫を身体に這わせながら復活を遂げ、
再び汚辱に塗れた世界に還って来るシタオの再生と共通するモチーフと言える。

ただス・ドンポは自ら命を絶った「シクロ」の詩人の様に救われはしない。
そして過去の記憶との懊悩の末、シタオを発見したクラインも同様に救われない。
シタオに救われたリリも救われた事により、その世界が変わったりはしない。
誰もが解る様にキリストのモチーフで構成されたシタオは、
受けた傷の治癒を引き受けるだけで、人の心も救えないほど無力な存在だ。
それは神無き現代の象徴なのか、神の存在への不信感の現われなのかは解らない。
その点では監督の世界観はシクロの頃より喪失感が強く成っているのかも知れない。

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まあしかし往々に有る事だが、実はそこまで深く考えられていない事も多い。
得てして映画を撮り進む内に、俳優の演技や取り巻く状況等により、
最初のテーマが曖昧に成る事は良く有る。
例えばブツ切りにされた様なラストシーンやタイトルの持つ意味などなど・・・
(そう云う所も王家衛の作品と共通する要素だと言えるか?)
しかし映画の中に描写される情景に何を思うのかは観客の自由な訳だし、
観客なりの自由な解釈でこの作品を捉えるべきだろう。

さて今作で一番凄みを感じたのは、やはりシタオを演じた木村拓哉の存在感だろう。
ロクな台詞も無く、終始傷だらけで呻いたり叫んだりしている難しい役な訳だが、
その合間に浮かぶ達観した聖的な表情は非常に素晴らしい。
劉德華の映画の時に「劉德華が劉德華を演じていない時の作品は素晴らしい」と、
毎回の様に書いているが、それは今回の木村拓哉に関しても言える。
どんな役柄に成ってもTVドラマの木村は木村拓哉を演じているに過ぎないが、
(と言ってそれが駄目だとは思ってはいない。スターに求められるのは、スターの存在感であって、脳科学者が探偵する話を観たい訳ではなく、木村拓哉が演じる脳科学者が探偵する話を観たい訳で、本人が本人を演じるのはその意味で正解だからだ。)
今作での奇形的で圧倒される佇まいは、俳優としての可能性に溢れている。
対するイ・ビョンホンの虚無的な佇まいも非常に色気に溢れた演技で魅せてくれる。
異常に剣呑な存在ながら何処か女性の保護欲を掻き立てる所も有り、
部下を撲殺する時の、大量の血で滑りながらも一心不乱に金槌を打ち込む姿に、
無垢な惨忍さに滲む妙な可笑しさまで感じられる場面など素晴らしい。
狂言回しとなるジョシュ・ハーネットも繊細な演技を見せてくれるが、
彼自身の過去のトラウマであるシリアル・キラーとのエピソードが強烈過ぎて、
彼のエピソードだけ別の映画に飛ぶ様な感じがする所が個人的に少々残念だった。
そのジョシュ・ハーネットを香港でサポートする香港警察の旧友役で、
香港映画のホープ余文樂が出演しているのも中々嬉しい。
留学経験者なだけに達者な英語で、激情型の警官を生き生きと演じているが、
最後の方で話に絡んで来なかったのがちょっと惜しい存在である。
他にも香港では街の預言者?役で李燦森なんかも顔を見せてくれる。
監督の総ての作品に出演しているトラン・ヌー・イェン・ケーは、
美しい黒髪を茶髪にして破滅的なファム・ファタールを演じているが、
今作でも長い髪を男に洗わせるフェティッシュなシーンが有ってニヤリとする。

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「シクロ」の劇中で、詩人が罪悪感と虚無感に苛まれるディスコの場面に於いて、
その心情をアテ書きしたかの様に轟くレディオヘッド初期の名曲「Creep」。
今や世界的な人気を誇る彼らが、まだ1枚目を出したばかりの頃の選曲で、
その巧みなセンスとハマり具合に監督の趣味の良さを思い知らされた訳だが、
今回も「シクロ」との繋がりを感じさせるが如くレディオヘッドが使われている。
他にもGodspeed You!BlackEmperor(日本の暴走族映画をバンド名にしている)等、
如何にもフランス人好みなオルタナティブ・バンドが使われているようだ。

さてトラン・アン・ユン監督の次回作は何と村上春樹の「ノルウェイの森」である。
主演は松山ケンイチらしいがトラン・ヌー・イェン・ケーの出演は有るんだろうか?
村上春樹と言えば最初に比較対象にした王家衛も相当な村上信者で有名だが、
何とレディオヘッドのトム・ヨークも村上にインスパイアされたと語っている。
まあ世界的な作家である村上春樹だから今や何の不思議も無いのかもしれないが、
それでも共通する世界観を持った表現者の繋がりに不思議な縁を感じてしまう所だ。

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2009.06.20

「昭和30年代 モダン観光旅行」

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本書は、著者が蒐集した昭和30年代頃の絵葉書を基にして、
その時代の観光風景と、それにまつわる文化を紹介した本である。

何となくレトロな絵葉書のカタログ的な物を想像していたりしたのだが、
良く有るその手の本の様に、中身を地方や観光地などで分類する事無く、
「橋」「街と交通」「行楽」「奇観」「夜景」など良く見られる図柄で分類し、
「ロープウェイ」「ケーブルカー」「バス」などスピードの時代を象徴する、
新たな観光要素を加味し、最後に「鳥瞰図」を加えた構成に成っている。
絶妙にグラフィック処理された誌面には独特の迫力が溢れ、
どぎつい色彩と相まって眺めて居ると時間を忘れる様な美しい本だ。

意外な所で、各章に加えられた「風景文化論」的な文章が中々興味深く読ませる。
「あとがき」にある著者の言葉によれば、
昭和30年代に関する書物の多くが、ただ事象の羅列だったり懐古だったりで、
文化史として批評性をもって語られていないことから、テキストを加える事にした

と云う事で、パリが発祥の「オムニバス」所謂「乗り合いバス」の起源から、
女車掌の過酷な労働環境、昭和30年代でも古かった「マドロス」に対する幻想、
ネオン管の普及による、日本人独自の感覚による夜景表現の確立、
そして江戸時代の「物見遊山」から近代の「観光・レジャー」への変遷を、
即ち速度の変化の歴史でも有った、と観光開発の歴史を検証する等、異常に深い。

その最たる物が最後に配された「鳥瞰図」と「絵はがき風景論」の章だろう。
近年「別冊太陽」でも特集が組まれた近代鳥瞰図の創始者にして、
忘れ去られた奇才・吉田初三郎。(もしや太陽の方もこの著者の手に拠る物か?)
現在の眼で観てこそ、そのオリジナリティ溢れる特異な表現世界に唸らされるが、
工房を作り大量生産したり、卓越した広告の手腕も揮っている面白い男である。
その初三郎鳥瞰図成立以前の奇想溢れるプレ・鳥瞰図の世界も興味深いが、
日本の絵はがきが持つ構図を、江戸時代の「秋田蘭画」にその起源を求め、
モダンな昭和30年代でも、西洋ルネサンスの古典的シンメトリー構図ではなく、
日本古来の農耕民的視点と江戸後期の西洋遠近構図に拘泥した、
アシンメトリーな構図が殆どだと論ずる「絵はがき風景論」が非常に面白かった。

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まあ勿論そこまで中身に拘らなくとも、あの時代の写真に特徴的な、
人工着色による半ばキッチュとも言える極彩色の写真の数々と、
今と成っては斬新な構図に独特のレタリングが光る絵葉書のパッケージ写真、
そして写真に写る人々のイカした佇まいに、ただただしびれると云うのも有りだ。
更にはクレイジー・ケン・バンドの楽曲に於いて横山剣が描く所の、
「葉山ツイスト」「箱根パノラマ・ゴーゴー」辺りをを思い描くのも有りだろう。

それから面白かったのが、今や「廃墟」ブームの中核を為す象徴の一つとして、
もしかしたら当時より知れて居るかもしれない「麻耶観光ホテル」。
その往時の観光案内の絵はがき等が出て来る所も面白い。
それも含めて、何故か明るく美しい観光地の絵はがきに、
静謐な廃墟の姿を透けて見てしまう様な所があって、それが妙に興味深い。

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往時の「奥麻耶山上遊園地」風景

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2009.06.13

水族館劇場「メランコリア~死の舞踏」

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木々や草花が自然のまま、その命を剥き出して旺盛に茂り出す皐月と、
その命を鼓舞する様に温んだ雨で包み込む水無月の合間に、
今年も年中行事の如く、大観音にあの蜃気楼の様な異神の森が現われる。
そう、今年も水族館劇場の公演の季節がやって来たのだ。

なにやら今年は水族館劇場が駒込大観音に来て十年目に成ると云う事らしい。
十周年・・・奇しくも「ディケイド」か・・・・(笑)
しかし十年と云うのは境内の工事で中断していた時期を入れての十年だろうか?
と成ると始めて水族館劇場の芝居を観たのが4年目の頃に成る訳か。
あれからもう6年の月日が流れていると思うと早い様な遅い様な・・・・
毎年の様に演技陣の顔ぶれが変わる、役者出入りの激しさにも既に慣れたが、
無理からぬ事情も個々有ろうけれど、馴染みの顔を見なくなるのは淋しい物だ。
昔は舞台の後方から出て来た役者が客席の中を自由に動き回って、
客に手を差し伸べて語りかける様な演出も有ったりしたが、
両側の桟敷席まで人が鈴生りに成った現在ではそう云う演出も不可能だろう。

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と云う訳で年を追う毎に盛況な様相を見せている水族館劇場だが、
今年も昨年以上に観客が増えて来た様な気がする、目出度い事だ。
今年は新機軸としてテント前の境内に「水族かんのん楽市」と題して、
地域の店の出店で小さな縁日の様な出店が並び、様々な品物を商っていた。
ますます地域に密着した感じで、「ハレ」の雰囲気が更に濃厚に成って面白い。
ただ単純に出店風な殺風景な店ばかりだったのが少々惜しまれる。
前庭に建てられた幕前芝居の為の小屋ほど凝る必要は無いだろうが、
空間の一つとしてその出店も、書き割り程度の演出なんかは欲しかった所だ。
幕間芝居の小屋と出店も含めて境内が舞台の様に成ってれば面白かったろう。
ついでに売り子の人が衣装に化粧なんかもしてると更にオツな感じである。
この際、昨今のコスプレ的な感覚も加味して境内を異空間に変えられたら最高だ。

と、まあ部外者の戯言はこの辺にして・・・・
今回の公演「メランコリア~死の舞踏」を観て感じたのは、
戯曲の内容と云い、舞台装置と云い、何時になくシンプルだったと云う事だ。
劇団が出しているペーパー「Fishbone」に書かれていた事なのだが、
「混沌としていた芝居の内容が或る時期から整理される様になり、
始めて見る人間にも取っ付き易くなった」と云う事が書かれていた。
まあ、特に今回の芝居の内容が解り易くなったとは思わない。
毎年書いている様に、水族館劇場の芝居の通奏低音となっているのは、
「歴史に語られる事の少ない、被差別民や虐げられた人々の記憶や場所を、
時間や歴史や場所を縫う様に現れ消える女を軸に語られる話」であり、
今回も難解な台詞と入り込んだ構造を持った話に成ってはいるのだが、
確かに妙な飛躍が無く、話に取り残される様な局面が少なくなった。

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一時は舞台上が3層構造に成っていて、それぞれ違った時間軸の話だったりしたが、
今回はシンプルに港町とサナトリウムの廻り舞台が中心になり、
上方の可動舞台に蛇姫の祠などを配すると云うシンプルな構造に成っていた。
小屋芝居のギミックの限界に挑む様な舞台装置が毎回楽しみだったりしたのだが、
確かにギミックに凝り過ぎて話が難解に成る様では本末転倒ではある。
今回は舞台後方に幕も張らず、向うの景色が丸観えのミニマルさだったが、
それとて最後に重機によって釣り下げられる飛行船の為の物だったりする訳だし、
降り注ぎ吹き上がる水のカタストロフは相変わらずの大盤振る舞いだった、
これでシンプルと言われると他はどうなるんだ?と云う感じではある。
それでも以前と比べれば随分と整理されて来た様に感じるのは確かだろう。

そう云えば今回は久し振りに生きた動物が芝居に加わっていた。
澱んだ舞台上の碧のプールを泳ぐ白いアヒルちゃんである。
すぐにプールから上げられてひいちゃんに抱かれるが、流石に扱い易そうである。
そのひいちゃん役の増田千珠は今回も素晴らしい存在感と台詞回しだった。
それから何気にビジュアル系な佇まいの狩々博士と、
眠り男チェザーレ(しかし昭和だなぁ・・・)のコンビが面白かった。
幕前劇の時の自分の顔を片手に抱えた狩々博士の姿が結構良かったんだが、
ギミック上、劇中で見れなかったのは残念だった。
そしてデビュー公演では発声も台詞回しもままならなかった浅野雅英が、
今回「芥」と云う主役クラスで出演していたのは隔世の感が有った。
でもって今回或る意味一番活躍していたのが河童男の入方勇である。
御魂祭りの見世物小屋の太夫として舞台に立っていたのを見たのが最初だが、
小屋の暑さに負けて、だらけた演技を見せていたあの時とは打って変わって、
今回は客入れから、幕間の見世物、そして舞台上にと大活躍だった。
毎度お馴染みな山谷の玉ちゃんは身体を壊して今回はお休みしていたが、
その代り、また来歴の怪しそうなエキストラが舞台に登場していた。
普通の舞台で云えば異物と言える様な、そう云う存在に対して、
観ている客が妙に優しい所も、水族館劇場ならではと云う感じで面白い。
後は年々数が増えている子供たちに、トラウマと云うか初期的衝動を与える様な、
婀娜で妖艶な女優陣が充実してくれると言う事は無い。

さて水族館劇場20年の航跡を記念して、何と現在早稲田大学の演劇博物館にて、
「やぶれ船で流浪する水夫たち」と題して展覧会が開催中だそうだ。
まだ観に行っていないのだが、8月の3日までの公開で、
7月からのPart2では今公演の舞台美術も再現されると云う事で、必見だ。
そう云えば昨年10月に不忍ブックストリートのイベントの一環で、
大観音で天野行雄が「妖怪図書館」なる展示を行ったのだが、
そこの建物が去年の水族館劇場公演の幕前芝居に使われた写真館だった。
どう云う経緯であの写真館が使われたのかは解らないのだが、
非常に主旨に合った舞台装置に成っていて密かにニヤリとしたものだ。
今回の幕前芝居の商店も非常に良く出来た物だったし、
何らかのイベントが有る様なら是非とも展覧会後に使って欲しい物である・・・・

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2009.06.06

フェアポート・コンヴェンションの味の有る再発

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ロッド・スチュアートの紙ジャケ紹介の所でも書いたが、
「昨今の紙ジャケを巡る状況は、未発掘品を紙ジャケで再発するよりも、
定番商品をSHM-CDとかで再・再発する方向に成っている。」と云う感じであり、
それに別ジャケを付けるとかで前回との差別化を図っている感じである。
そして個人的に肝要な部分は何と言っても、この別ジャケの存在に有るのだ。
英国盤、米国盤、そしてそれ以外の国の盤の他、初回、再発などで、
別ジャケが存在するバンドも有るが、飽くまで少数のバンドに限られている。
まあ最近はマーヴィン・ゲイの紙ジャケ再発物に、
マスターテープの箱を模した紙ジャケが付属していたが、あれは特殊な例だろう。
そうそう美味しい別ジャケが付いてくるバンドは無いだろうと思っていたら、
かのフェアポート・コンヴェンションの再発が別ジャケの宝庫だった・・・

フェアポートと云うバンドは英国ロックを語る時に絶対に外せない存在なのだが、
意外に聴かれていない、と云うか素通りされる事の多いバンドだったりする。
自分がフェアポートの事を知ったのは、多分殆どの人間と同じ様に、
Zepの名作「4」の「限りなき戦い」に参加したサンディー・デニーに因ってだ。
それで結構若い頃にフェアポートの作品に何枚か手を出すのだが、
どうにもその良さが理解出来ずに、その時はそのままで終ってしまった。
その後ふとした拍子に思い出したのがコアーズの「遥かなる想い」を聴いた時だ。
この作品は、今や世界的な存在と成ったコアーズのデビュー作な訳だが、
ここに入っている「Toss the Feathers」と云う曲に妙に惹かれる物が有った。
このメロディ何処かで聴いた事が・・・・と記憶を辿っている内に、
ようやく辿り着いたのが、以前聴いたフェアポートのアルバムのだった。
元々コアーズを聴くきっかけはアイリッシュ・トラッド・バンドからの流れで、
クラナドやチーフタンズ、アルタンやエンヤなどを聴いて来た延長線に有る。
その辺の音楽を通過して来たお陰で、その始祖であるフェアポートの音も、
そしてその業績も、すんなりと腑に落ちる様に成っていたと云う事だろう。
再び耳にしたフェアポートの音は非常に気高く、そして革新的に響いてきた。

ただ集中的に聴き込んだのは2002年の結成35周年を記念して、
アイランドからボートラ入りのリマスター盤が続々と再発された時だった。
この時に結構揃えてしまったので、翌年に紙ジャケ化した時は殆ど買わず終い、
なので今回の再発は余り悩む事無く買えた(まあどうでも良い事ですね・・・)
今回買ったのは2枚だけなのだが、ライブ盤の「ハウスフル」と1stは、
この機に買い直そうかなぁ・・・・などと考えている(まあどうでも良いか・・・)

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英国初回盤と英国再発盤

まず最初はフェアポートの代表作なら間違い無くコレな4作目「リッジ&リーフ」。
少し前に「リッジ&リーフ」に大量のアウトテイクやBBCセッションを加えた、
お馴染み「デラックス・エディション」が発売され手が伸びそうに成ったのだが、
・・・いや、これは絶対に紙ジャケの日本盤が出るに違い無いと踏んでいて、
正しくその読みが当った、嬉しい2枚組みのデラックス・エディション版である。
これには色がグレーで見開き仕様に成った英国初回盤の紙ジャケの他に、
明るいレモン色のコーティング・シングル・ジャケ仕様の英国再発盤が付いて来る。
付属のブックレットは35周年に出たリマスター盤に付随した物とは別編集で、
前回はバンドの仕掛け人であるジョー・ボイドがライナーを書いていたが、
今回はデヴィット・サフのライナーで、ジャケの内側に写真と供に載っている、
英国トラッドを理解する為のトピックも読み易い様に大きく取り上げられていて、
更にバンドのリハ風景の写真も殆ど別物が使われていて実にお得である。

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英国初回盤

で、次は時代が前後するがその前作にあたる「アンハーフブリッキング」。
異常に枯れた味わいの実に英国的なジャケが印象的なこの作品だが、
今作には何と他に2枚もの別ジャケが付いて来ると云う大盤振る舞い。
一つは英国初回盤の裏ジャケの食事風景を表に持って来た豪初回盤、
こちらも芸が細かくて、コーティング・ジャケに文字がエンボス加工されていて、
更にはアルバムの糊代部分が外着けに成っているフリップバック仕様だ。
そしてもう一枚がA&Mから出た米初回盤で、シングルジャケ仕様なのだが、
何の関連性が有るのかサーカスの象の曲芸シーンが使われている。
確かに英国盤の意味も良く解らないが、サーカス使う意味も相当解らない。
こちらのブックレットは35周年の時と同様の物で、
アシュレー・ハッチングスのライナーで日本語解説も以前と同じ物が使われている。
どちらにもロッドの時と同様シリアルナンバー入りレーベルカードが付属する。

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米国初回盤&豪州初回盤

現在トラッドのロック的な解釈と云う事ではかなりの融合が進んでいて、
世界的に成功したエンヤの様にアンビエントなサウンドとの融合や、
スラッシーなリフや激速ビートと融合したトラッド・メタルなども有り、
洗練された音処理は違和感無く様々な音楽に溶け込んでいると言える。
それに比べればフェアポートの音は当然の様にまだ泥臭く、
曖昧模糊とした音像に想像していた物とは違う違和感を感じるかもしれない。
しかし故にフェアポートの音には源初のトラッドの泥臭い滾りが残っている。
「船乗りの生涯」「マティ・グローヴズ」などの伝承歌を謡うサンディ・デニーの、
ロック的な滾りとは別の次元の「物語る」熱い歌唱を聴いてみて欲しい。
そしてリチャード・トンプソンの歳不相応な枯れたトーンのギターの味わいや、
対してロック的な躍動感に溢れた「Toss the ~」を含むダンス・メドレーでの、
デイヴ・スウォーブリックのフィドルとの熱く競り合うスリリングさ。
正しくこの一瞬に凝縮された革新への迸りがこの2枚から熱く伝わって来る筈だ。

バンドはこの後、別の所でトラッドシーンを牽引するアシュレー・ハッチングスと、
看板であるサンディー・デニーの脱退を迎える事に成り、
新しいVoを加える事無く、数人がVoを兼任するシステムを取りながら、
ロック的なダイナミズムを増したスリリングなインタープレーが非常に熱い、
これまた傑作「フルハウス」をリリースするが、今度はトンプソンが脱退し、
フェアポートの神懸かり的な神話時代の終焉を迎える訳である。
何はともあれ、以上挙げた3枚は必聴の作品なので、是非この機会にでも・・・・

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ちなみにこちらは前回の紙ジャケ商品

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