雨と供に我来たりぬ~I Come With The Rain
トラン・アン・ユンから「ベトナム」と云うファクターを外すと、
彼と王家衛(ウォン・カーワイ)との共通点の多さに気付かされる。
例えばそれは、独特の時間軸の処理だったり、暴力と叙情との振り幅だったり、
DJ的とも言える、既存の音楽の絶妙な選択眼とその起用の巧さだったり、
儲からなさそうな企画を、金の取れるスター俳優でカバーする方法だったりする。
そして亜細亜人の監督にしては、どちらも欧州映画的な作家性が強く、
ストーリーの整合性よりも、映像に語らせる事を主眼にしていて、
その傾向は娯楽映画主体の香港映画界から出て来た王家衛よりも、
作家性を重視するフランス映画界出身のトラン・アン・ユンの方に顕著である。
何時の頃からかは忘れたが、家の母親は木村拓哉の番組の熱烈なファンである。
木村拓哉の新しいドラマが始まると言うと、どんな内容かに係らず必ず観る。
その母親からすると今期始まった木村の「MrBRAIN」は余り評判がよろしくない。
曰く「話の展開の早さに付いて行けない。内容に残酷な所が多い。」等々、
そして「もっとハラハラする様な恋愛的な物が観たい」と、言う事だそうだ。
木村拓哉の総てのファンがそう云う傾向を望んでいるとはさらさら思わないが、
「スター」としての木村拓哉に求められる世界はそう云う感じなのだろう。
(ちなみにそう云う意見を聞いて久し振りに木村の番組を観てみたが、
母親が嫌がっているだけに面白くて毎週見ている。是非このまま残酷描写を控えず、
テコ入れにベタな恋愛方向に逃げずに最後まで行って欲しいものだ。)
共演している日本でも人気が有る韓国の俳優イ・ビョンホンのファンも含めて、
そう云う層が例えば韓流映画やトレンディードラマ的な物を期待して観たならば、
「何だ?この訳解らん映画は!」と云う事に成るだろうとは思う。
只これは飽くまで「シクロ」のトラン・アン・ユン監督の新作映画なのである。
かつて「シクロ」に衝撃を受けた人間ならそれが解ってくれると思う。
今作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」は「シクロ」と相似形を成す様な作品だ。
しかし「シクロ」が日本で公開されてから既に14年が経っているし、
そのDVDも廃盤状態と云う事では「夏至」で監督を知った人にも辛かろうとは思う。
しかし実際この映画は「シクロ」から引き続き企画されていた映画だそうで、
同じ傾向を持った作品と云う事は監督も認めている訳である。
聖と俗、暴力と慈愛、芸術と自然、歪な男と女の関係など共通する所は多いし、
ジョシュ・ハーネット演じるクラインが、聖と俗を行き交うシクロだとすれば、
歪な愛を抱き、崇高なるものを畏怖するが故に極端な暴力に駆られる、
イ・ビョンホン演じるス・ドンポは「シクロ」の詩人と完全に重なる。
とすれば、総てを肯定したかの様に俗に落ちても崇高で故に残酷な存在である、
「シクロ」の姉に当てはまるのは、木村拓哉演じるシタオだろうか?
同時に詩人と重なるス・ドンポが破滅的な愛を捧げるリリは「シクロ」の姉と同じ、
監督のミューズであるトラン・ヌー・イェン・ケーが演じている訳である。
シクロは詩人の手下となって悪事を働いた後、虫の湧く汚水に塗れて悶え、
そして悪事に染まった自分の身体と心を浄化する様に、青いペンキに塗れ、
ビニールを被り、銃で自らの身体を苛みかつてと同じ現実に帰還する。
それは山中で射殺された後に、雨に濡れ虫を身体に這わせながら復活を遂げ、
再び汚辱に塗れた世界に還って来るシタオの再生と共通するモチーフと言える。
ただス・ドンポは自ら命を絶った「シクロ」の詩人の様に救われはしない。
そして過去の記憶との懊悩の末、シタオを発見したクラインも同様に救われない。
シタオに救われたリリも救われた事により、その世界が変わったりはしない。
誰もが解る様にキリストのモチーフで構成されたシタオは、
受けた傷の治癒を引き受けるだけで、人の心も救えないほど無力な存在だ。
それは神無き現代の象徴なのか、神の存在への不信感の現われなのかは解らない。
その点では監督の世界観はシクロの頃より喪失感が強く成っているのかも知れない。
まあしかし往々に有る事だが、実はそこまで深く考えられていない事も多い。
得てして映画を撮り進む内に、俳優の演技や取り巻く状況等により、
最初のテーマが曖昧に成る事は良く有る。
例えばブツ切りにされた様なラストシーンやタイトルの持つ意味などなど・・・
(そう云う所も王家衛の作品と共通する要素だと言えるか?)
しかし映画の中に描写される情景に何を思うのかは観客の自由な訳だし、
観客なりの自由な解釈でこの作品を捉えるべきだろう。
さて今作で一番凄みを感じたのは、やはりシタオを演じた木村拓哉の存在感だろう。
ロクな台詞も無く、終始傷だらけで呻いたり叫んだりしている難しい役な訳だが、
その合間に浮かぶ達観した聖的な表情は非常に素晴らしい。
劉德華の映画の時に「劉德華が劉德華を演じていない時の作品は素晴らしい」と、
毎回の様に書いているが、それは今回の木村拓哉に関しても言える。
どんな役柄に成ってもTVドラマの木村は木村拓哉を演じているに過ぎないが、
(と言ってそれが駄目だとは思ってはいない。スターに求められるのは、スターの存在感であって、脳科学者が探偵する話を観たい訳ではなく、木村拓哉が演じる脳科学者が探偵する話を観たい訳で、本人が本人を演じるのはその意味で正解だからだ。)
今作での奇形的で圧倒される佇まいは、俳優としての可能性に溢れている。
対するイ・ビョンホンの虚無的な佇まいも非常に色気に溢れた演技で魅せてくれる。
異常に剣呑な存在ながら何処か女性の保護欲を掻き立てる所も有り、
部下を撲殺する時の、大量の血で滑りながらも一心不乱に金槌を打ち込む姿に、
無垢な惨忍さに滲む妙な可笑しさまで感じられる場面など素晴らしい。
狂言回しとなるジョシュ・ハーネットも繊細な演技を見せてくれるが、
彼自身の過去のトラウマであるシリアル・キラーとのエピソードが強烈過ぎて、
彼のエピソードだけ別の映画に飛ぶ様な感じがする所が個人的に少々残念だった。
そのジョシュ・ハーネットを香港でサポートする香港警察の旧友役で、
香港映画のホープ余文樂が出演しているのも中々嬉しい。
留学経験者なだけに達者な英語で、激情型の警官を生き生きと演じているが、
最後の方で話に絡んで来なかったのがちょっと惜しい存在である。
他にも香港では街の預言者?役で李燦森なんかも顔を見せてくれる。
監督の総ての作品に出演しているトラン・ヌー・イェン・ケーは、
美しい黒髪を茶髪にして破滅的なファム・ファタールを演じているが、
今作でも長い髪を男に洗わせるフェティッシュなシーンが有ってニヤリとする。
「シクロ」の劇中で、詩人が罪悪感と虚無感に苛まれるディスコの場面に於いて、
その心情をアテ書きしたかの様に轟くレディオヘッド初期の名曲「Creep」。
今や世界的な人気を誇る彼らが、まだ1枚目を出したばかりの頃の選曲で、
その巧みなセンスとハマり具合に監督の趣味の良さを思い知らされた訳だが、
今回も「シクロ」との繋がりを感じさせるが如くレディオヘッドが使われている。
他にもGodspeed You!BlackEmperor(日本の暴走族映画をバンド名にしている)等、
如何にもフランス人好みなオルタナティブ・バンドが使われているようだ。
さてトラン・アン・ユン監督の次回作は何と村上春樹の「ノルウェイの森」である。
主演は松山ケンイチらしいがトラン・ヌー・イェン・ケーの出演は有るんだろうか?
村上春樹と言えば最初に比較対象にした王家衛も相当な村上信者で有名だが、
何とレディオヘッドのトム・ヨークも村上にインスパイアされたと語っている。
まあ世界的な作家である村上春樹だから今や何の不思議も無いのかもしれないが、
それでも共通する世界観を持った表現者の繋がりに不思議な縁を感じてしまう所だ。
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