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2009.07.25

怪談専門誌「幽」第十一号発売

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さてさて毎度お馴染み怪談専門誌「幽」の新刊が出た。
怪談の季節本番に向けて11号目を数える今回は創刊5周年記念と云う事で、
書店の棚に増殖する「幽」関係の怪談本共々不気味なまでの勢いで有る。
ただ関連書が増えているのは確かだし、特集する雑誌なども増えてはいるのだが、
実際問題、世間的に怪談が流行って来ているのかどうかは良く解らない。
個人的には同傾向の怪談実話本が書店に並び過ぎて、若干食傷気味ではある。
あの珠玉の「新耳袋」でさえ、一冊の中で面白いと思える話は少数な訳で、
連発されると流石に飽きが来るのも早いのではないかと懸念する所では有る。

さて5周年記念だからなのか、それとも他に理由が在るのかは知らないが、
今回連載作品に若干のマイナーチェンジが有った。
どちらも結構好きな連載だった、「新耳袋」の両人による2本、
様々な職種の人達にその職種故の怪談を語って貰う木原浩勝の「怪談ハンター」、
そして北野誠との掛け合いも面白かった中山市朗の「やじきた怪談旅日記」だ。
「やじきた~」の方に関しては、もうその他の理由以外に見当たらないのは明確で、
北野誠氏も怪談現場を悠長に廻っている閑など無いのは良く解るのだが、
まだまだ他に曰く有りそうな話が出て来る職種も有ったであろうに、
それに連動してなのか木原氏の方も連載が終ってしまったのが残念である。
木原氏の方は「隣之怪」と云う、単行本と同タイトルの連載が新しく始まったが、
中山氏の方は特集のみの登場で、是非北野氏の件が片付き次第連載の再開を乞う。
その中山氏が特集で対談したのが有栖川有栖氏との「大阪と怪談を語る」で、
前号まで「テツ(鉄道)の怪談」を連載していた氏の新連載である「大阪怪談」。
それに連動した大阪と云う土地に於ける怪談を語った対談であった。
有栖川氏の「大阪怪談」は文庫本「怪談列島ニッポン」に掲載された、
「清水坂」をプロトタイプとした様な、大阪と言われて連想するイメージを覆す、
古い都市のいわくを背景に、しっとりとした幽霊譚をに成っている。

さて今回の巻頭特集は、出ました大ネタな感じの「怪談遠野物語」。
作者としてお馴染みの柳田國男のみならず、語り部である佐々木喜善、
そして両者を結び付けた水野葉舟も含めて最も著名な「怪談本」の成立を探る。
巻頭の京極夏彦の「冥談-遠野物語より」が、正しくその三人を登場人物に、
遠野物語中の話を織り込んで綴られるオマージュ的な作品に成っている。
佐々木喜善が「佐々木鏡石」名義で書いた、筆名の由来と成った泉鏡花風の、
座敷童譚が採録されているが、そう云えば喜善の創作は始めて読んだ気がする。
そして毎度お馴染みなメンバーが遠野を行脚する「怪談巡礼印象記」。
何と言っても曰く有りそうな、美味しいスポットが豊富な遠野の事、
今回も加門七海先生を中心に奇妙な現象が続発する巡礼記と成っている。
余談だが、自分も一時期遠野物語に誘われて遠野を訪れた事が幾度か有って、
確か初めての一人旅でかれこれ二十数年以上前の話である。
当地でレンタサイクルを借りて長閑な秋の日に遠野中を走り回ったのだが、
足の早い秋の日が暮れかかる頃、巡礼記にも出て来る五百羅漢に到着した。
一日中走り回った後で疲れた足を引き摺りつつ薄暗くなった入り口を入ったのだが、
ごつごつとした岩が突き出たなだらかな斜面が有るだけで羅漢像が見当たらない。
「え~何処に羅漢像なんて有るんだ?」と思いつつ、
ヤケクソな気分で斜面の岩を足懸かりにしてポンポンと斜面を登っていった。
しかし登れどもその先に何も無く、周囲は段々と宵闇に染まって行き、
途方に暮れてガイドブックなどを取り出して確認してみた。
当地の五百羅漢とは「飢饉の餓死者を悼んで自然石の表面に線彫りした物である」
その途端一抹の不安が身内を駆け抜けて、足元の苔むした岩の表面を確認してみた。
「ヒッ!ヒイィィィィィィィィィッ~」
ここまで登るのに足懸かりにして来た岩が、殆どその線彫りの羅漢像だった訳だ。
詫びた、その場で詫びて、降りながら詫びて、下に降りて深く詫びた。
あれは怖かった。下に降りた頃には既に暗くなっていて更に恐かった。
まあとりあえず罰が当る事も無く無事に旅行を終える事が出来て良かったが・・・

さてそんな巡礼団の今回の山場は五百羅漢ではなく、
座敷童が出ると云う民宿でもなく、現地人が太鼓判を押す化物屋敷であった。
こちらはもっぱら加門先生が体感した奇妙な現象が話の中心なのだが、
本誌での記事だけでは間に合わず、「怪談実話系」と云う文庫本にまで及んでいる。
所謂感覚だけの話だし、しかも事前にヤバそうだと中に足を踏み入れていないので、
特別に戦慄する様な怪異が語られると云う訳ではない。
しかし霊感らしき物が無い人間にも感じる廃墟の厭な感じは実によく解るし、
実はそれに関して共通する様な変な体験が有ったりする。
その二十年以上前に出掛けた遠野への旅行のついでに、宮沢賢治記念館に寄り、
そこから新花巻駅まで歩いて行って新幹線で帰るつもりだった。
荷物を抱えて山を下っている時に、林の奥の方に廃屋らしき物が見えた。
本来なら廃墟好きな血が騒いで、入らないまでも近くに行ったで有ろう筈が、
何故かその廃屋には霊感の無い人間でも躊躇させる様な妙な雰囲気が有った。
勿論その二十年以上前に見た廃屋がここで語られる屋敷と同じだとは思わないが、
似た様な感覚を呼び起こされたのは確かだった。

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問題の化物屋敷(東氏の「幻妖ブログ」からの転載)

閑話休題。
今回中々面白かった企画が「怪談取材の極意」と云う特集である。
本誌でも連載している実話系の怪談を書いている作家御三方に、
怪異体験の豊富な作家の立原透耶氏から全く同じ話を直接取材して貰って、
それを各々実話怪談として仕上げて貰うと云う中々に凝った企画だ。
同じ話であっても取材の仕方、興味の有るポイント、話のテイストなど、
三者三様に違っていて興味深いし面白い。個々に成された対談等も面白く読めた。
木原浩勝氏の「ありがとう」は正しく「新耳袋」でお馴染みなスタイルだし、
加門七海氏の「絆」は連想する実話会談に最も近い仕上がりと云う感じで、
個人的に一番好感持ったのが安曇潤平氏の「眩い光の中に」だった。
肝心の話の前に付け加えられた語り手の立原氏の何気ない雑談的な話が、
語り手の姿を浮き彫りにしている様でその後の話の導入に上手く作用していて、
話し手の言葉で語られた言葉が自然な感じでこちらに入ってくる。
無駄を省くか、無駄を加えるかでもテイストが変わってくる感じも中々面白い。

特集の三つ目「厠の怪談」は便所をモチーフとした怪談の競作である。
「枯骨の恋」で怪談文学賞を受賞した岡部えつ氏の短編が、
実にその作者のテイストに忠実な「エロ怖い」粘着質な作品なのが流石だった。

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2009.07.18

レパートリー・レコーズのお買い物

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先日全国にチェーン展開している某外資系巨大CDショップの某店にて、
レパートリー・レコーズが出しているCDが期間限定で安売りされていた。
一枚1580円からだったので、必死に成るほどの安さではないのだが、
レパトートリーのCDだけがワゴンに並べられて売られると云う自体が珍しいし、
その中に紙ジャケ物が混じっている所にも食指がそそられた。

日本の御家芸的に成りつつある紙ジャケだが、勿論日本以外でも作られていて、
代表的な所で言えばイタリアのAKARMA、そしてドイツのRepertoire等が有る。
日本同様、ドイツもイタリアも繊細な手工芸が名物な国と云うのが面白い。
ただ自国民の贔屓で無くとも、やはり日本の紙ジャケの出来は群を抜いているし、
日本の紙ジャケの精巧さを知っていると、これはちょっと・・・と云う物が多い。

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例えば上のは日本で紙ジャケ化される前に買っていたMayBlitzの1stなのだが、
見開きで展開するイラストのジャケの向きが違っている。
本来ならクイーンコングがビル街にすくっと起つ縦長のイラストなのだが、
分断したイラストを横に並べると云うしょうもない再現の仕方をしている。
日本人的な感覚で言うとちょっと考えられない適当な仕事振りだが、
それはレパトートリーのゲートフォール紙ジャケの構造にも表れている。

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本来見開きジャケと云うのは筒状に貼り合わせた一枚の厚紙を折って作られるが、
レパートリーの紙ジャケは何故か中央の折りしろ部分が無いのである。
まあ確かにこうすると折った部分の厚みが少ないので展開はし易くなるが、
忠実な再現と云う意味では既に別物に成ってしまっている。
「まあ何となく雰囲気で」と云うのと、インナースリーブにブックレット、
更には発売当時の帯や特殊紙まで再現する日本の紙ジャケとは確かに別物である。

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更に面白いのがこれがシングルジャケの再現と成るともっと変なのだ。
上は日本製のTheHumblebumsと並べたレパートリー製のDustのシングルジャケだが、
明らかに大きさが違う、どう考えても正確な縮小をしていないのである。
では見開き物も同じなのかと言えばやはり見開き物よりサイズが小さいのだ。
同じメーカーなんだから規格を統一しろよ!と云う感じなのだが、
レパートリーではこう云うのをカードボード・スリーヴと呼ぶらしい・・・・
等とイチャモンばかり付けているが、それはそれで面白くて買ってたりする訳で、
しかも上記のDustなど日本では中々紙ジャケしてくれない様な物も出しているし、
シングルなどのボートラも豊富に入っているので結構楽しいレパトーリーである。
ちなみにDustは米国産のパワートリオによるフックの有るHRバンドで、
Vo&Gのリッチー・ワイズは後にKISSのプロデューサとしても名を上げ、
ドラムのマーク・ベルは何と後のマーキー・ラモーン(Ramons)と成るのである。

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今回買った物の中から英国ロック・アート御三家の作品を順に紹介。まずは存在自体がシブいVertigoから出たLegendの「Moonshine」から。ジャケットは特殊写真のシュールな詩人・キーフが手掛けた名作の一つで、
群衆の中の孤独と云うか群集の中の異物とでも云う様な特異な雰囲気が美しく、MayBlitzのお粗末さに対してこちらはちゃんと縦長で展開している。昔まだLegendの音を聴いてなかった頃、どんな音を出しているのか気に成って、ディスク・ガイド等を読んだのだが、どれも曖昧などうとでも取れる書き方で、読んでもさっぱりバンドの実像が掴めなかったのだが、実際に音を聴いてみると確かに中々形容に困るバンドなのは確かだ。あの時代のブリティッシュ・ロックと云うのが一番正しい様な気もするが、粘っこくスモーキーなブルーズ・ロックをやっていたと思えば、プロコロ・ハルムのマシュー・フィッシャーがストリングス・アレンジを手掛けた、弦の響きが美しいリリカルなナンバーが有ったりと、良く言えば多彩、悪く言うととっ散らかってる感じの、しかし実に英国的なバンドである。


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さてお次は輸入盤で持っていたから日本製の紙ジャケは買っていなかったので、
安かったし良い機会なので購入した問答無用の名盤「Quatermass」。
摩天楼を滑空するプテラノドンが印象的なジャケはヒプノシスの手による物。
Quatermassと言えばリッチー・ブラックモアが、レインボー結成の一因と成る、
この曲をカバーしたかった名曲「BlackSheep Of The Family」に止めを刺すが、
名匠ポール・バックマスターが手掛けた31人の弦楽隊による、
情緒に流れず知的な展開を見せるジャズ/現代音楽的なナンバーも見逃せない。
ギターレスのオルガン・トリオながら厚みの有る巧みな演奏も一流であり、
こちらもLegend同様一枚で様々な展開を見せる所が共通していて面白い。

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キーフ、ヒプノシスと来れば、当然最後はロジャー・ディーンである。
キング・クリムゾンへのジャズ・イディオム導入に一役買った立役者、
キース・ティペットの「Dedicated To You,But You Were't Listening」だ。
随分昔に聴いたっきりでどんな内容だったか忘れてしまっていたが、
今聴いてみても完全なジャズ、よりジャズに寄っているジャズ・ロックである。
最初に聴いた時は当然その音に「紅王」の幻影を探して手にした訳で、
余りにも真っ当にジャズだっただけに尻込みしてしまった訳だが、
それなりに主流のジャズやソフトマシーン周辺を聴き込んで帰って来ると、
キース・ティペットなりの、当時の立ち位置が見えてくる様で興味深い。
こう云う作品が普通にVertigoから出ていた訳だから凄い時代だったもんだ。

さて最後は紙ジャケでは無く、デジパックの商品に成るのだが、
長く入手出来なかったので個人的に非常に嬉しい「Quintessence」の2nd。
Islandから出たLPは中央から観音開きに成る凝った創りのジャケットで、
デジパックながら観音開きに成るジャケットの再現度が実にたまらない。
Quintessenceは、古くはPinkFloyd、そしてDeviantsやPinkFairiesを生み出した、
60年代末の英国のアングラシーンの根城であった、ノッティングヒルゲート出身。
(その物ズバリ「ノッティングヒル・ゲート」と云うシングルも出している)
印度色を前面に出し、シタールやタブラ奏者を含む特異な編成で、
マントラが曲に挿入されたりとエキゾチックで怪しさ満点の素敵なバンドである。
日本で紙ジャケ化されたらさぞや美しく良い物が出来るだろうと期待していたが、
結局何処からもリリースされず終いで残念である。

Repert06


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2009.07.11

マイケルは八十年代のドラゴンなのか?

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先日、深夜にぼ~っとTVを観ていたら、某・地下芸人紹介バラエティにて、
マイケル・ジャクソン追悼企画として、マイコーりょうが特集されていた。
マイケルの物真似で喰っている人間は、それこそ世界中に居るだろうし、
日本でも「まいける井上」とか有名だが、マイコーりょうは比較的新しい芸人で、
最初見た時は「今更マイケルか!」と驚いた様な記憶が有る。
数回TVで見た位なので、実際の営業ネタでは何をしているのかは知らないが、
TVの時は大概、来日したマイケルが日本の歌をカバーすると云う設定で、
ピンクレディーの「UFO」、「崖の上のポニョ」、「きよしのズンドコ節」等を、
独特の歌とダンスで見せると云う感じの芸なのだが、
歌うと云うより、殆ど例の記号的なマイケルの奇声で畳み掛ける所がミソである。
その番組では出演した時の映像を何本も立て続けに流していたのだが、
「ポォー!」「アォー!」の連発で「お前は鳥か?」等と思いながら観ていた。
しかしそこで不図、深夜の死に掛けた脳細胞に一つの連想が浮かび上がった。
マイケル・ジャクソンの声→鳥→怪鳥→怪鳥音→ブルース・リーの声!!
そこで次々と浮かんで来たのがマイケルと李小龍との共通点だった。

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物まね芸人・マイコーりょう

世界的なポップ・アイコンの条件として、存在の記号性と云うのが挙げられる。
例えば、黄色に黒字のラインとかヌンチャクを見れば普通李小龍を想像する様に、
ビニールっぽい赤の変なジャケットを見れば「あ、スリラーの?」と成るし、
ばらりとした長髪や、キラキラ光るラメの靴下等もマイケルを想像させる。
しかしその記号化が最高に発揮されているのが、独特な叫び声なのは間違いない。
世界中何処へ行っても、股間に手を当て膝をクイっと曲げて「ポォー」と叫べば、
「おっ!マイケル?」と即答して貰える事だろう。
それは「アチョー」と叫んで飛び蹴りすれば、誰もが李小龍と答えるのと同じだ。
考えてもみて欲しい、掛け声一つで世界に存在証明を持った人間が何人居るか?

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「あ?スリラーの」でお馴染みなジャケット姿のマイケル

ガキの頃が李小龍のファースト・インパクトだった世代は解るだろうが、
或る種、彼は我々とは別種の、見た事も無い生き物だった。
野生動物の様な佇まい、鞭の様に鍛え上げられた身体から繰り出される技の数々、
そして何よりもインパクトが強かったのが、その奇怪な怪鳥音だった。
その雄叫びがスクリーンに響く度に、敵は一人また一人と沈んで行き、
敵との間合いを詰めている時の「ホロロロロロ」と云う声もまた、
野生動物が獲物に狙いを定める時の如くで、とにかく同じ人間には観えなかった。
子供と云うのは奇異な物、異質な物に本能的に反応する生き物で、
そしてそう云う存在に同化したく成りたいから、盛んに物真似に高じる。
それと同様の事が八十年代のマイケル・ジャクソンにも言えるのだと思う。

マイケルが「スリラー」を出した全盛時は、流石にガキでは無かったし、
その前に「オフ・ザ・ウォール」等を聴いていてその存在を認識していたが、
プロモ・ビデオで見る「今夜はビート・イット」そして「スリラー」での彼は、
突き抜け過ぎていて、或る種人間じゃない感がバリバリに漂っていた。
まあ実際ゾンビに成っちゃったり、その後巨大ロボットに成ったりする訳だが、
そこで見せるダンスの凄まじさは、李小龍の技に感嘆する物と同質であり、
あのムーンウォークにヌンチャク技に感じたのと同様の驚きが有った。
そして歌唱の合間に混ざる「アォッ」「ヒィーッヒー」「ンダッ」などの奇声。
黒人音楽を深く聴き込んでいない耳には過剰に響くその叫び声こそ、
MTVで流れる耳障りの良い他の音楽とは異質の奇異さで迫って来た物だ。

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後に黒人音楽の歴史を辿って行くと、彼の奇声が伝統の上に有る事に気付く訳で、
音楽史にその名を刻んだ偉人達の姿が、彼の奇声の上に見え隠れする訳だ。
例えば夭折したオーティス・レディングのライブに於ける「サケツミ!」や、
こちらも最近夭折したキヨシローも使っていた「ガッタガッタガッタガッタ」。
そして曲の中の掛け声の一つに係らず、極東の地で映画のタイトルにも成った、
「ゲロッパ」、その他にも「ヒッミィ~」「グッゴォ~」「ハァァァァイ」等、
わめき叫んで世界を掌握したファンキー大統領・ジェームス・ブラウンが居る。
何せファンクを確立した頃のJBは、殆どシンプルなワン・コードに乗せて、
曲のタイトルを執拗にシャウトし続けたり、ホーンと叫び声で呼応したり、
メイシオ・パーカーを呼び続けるだけでファンカネスを成立させた偉人である。
そういう偉大な神たちの影響の上にマイケルの叫び声も存在する訳だが、
シンプル故に後進たちが個性を確立するのが難しい叫び声と云う物を、
ポップな曲調に独特の黒いうねりを加味させる所まで鍛え上げた、
彼の天才的なスタイルは今後更に評価が高まるのではないかと思う。

そして李小龍同様に、マイケルも白人中心のショウビジネス界に於いて、
マイノリティと云う立ち位置にあり、その立場に対する葛藤を常に持つ存在だった。
李小龍は中国人と云う出自と誇りを「東亞病夫」の扁額を叩き折る怒りの拳と、
その怪鳥音に籠め、世界中のマイノリティに喝采を持って迎え入れられた訳だが、
マイケルは黒人や白人などと言った人種的な部分を更に突き抜けて、
人間では無い存在、もしくは夢想的な「人」と云う存在を目指していた様に見える。
その、見ようによっては余りにもトゥーマッチな発想が余りにも八十年代的で、
怒りの七十年代、狂騒の八十年代、そして喪失の九十年代と、
ポップ界隈の変転を見て行くと、彼の九十年代の迷走も解る様な気がしてくる。
Maikoo03
人間以外の物と仲良しなマイケル

今回の突然な彼の死を契機に、彼のアイコン化は更に進んで行くだろう。
そしてガキの頃に彼の、人では無い様な存在感にインパクトを受けた世代が、
(例えばマイコーりょうの様に)彼の偉業を語り続け伝説化は進んで行く。
李小龍と同じ様に。
そう云う点で、間違い無くマイケルはドラゴンの系譜に名を連ねた訳である。

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2009.07.04

鋼鉄の航路~FLIGHT666

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「ペルセポリス」と言うアニメーション映画が有る。
全世界で翻訳されベストセラーとなったフランス在住のイラン人、
マルジャン・サトラピによる自伝的グラフィック・ノベルを原作とした作品で、
本人とアニメ作家のヴォンサン・パロノーの2人によって映画化された。
話は1970~90年代にかけて、激動する政治体制の元、混迷するイランに於いて、
変転する世界状況を背景に、旧弊なイスラム世界の中で独自の価値観を育み、
逞しく生きる少女・マルジの半生を描いた物語と成っているのだが、
印象的なのが様々な音楽が彼女の背景に生活と供に描かれいる所だ。
その中でハッとさせられる部分が、イスラム社会では明らかにイリーガルであろう、
アイアン・メイデンのカセットを闇市にて怪しい男から入手する場面である。
結局中身は本物のアイアン・メイデンの音源では無いのだが、
それでも彼女はこっそりそれを聞き、一心不乱にヘドバンに高じる訳である。
何故彼女はポピュラーな存在であるマイケル・ジャクソンのカセットを素通りして、
躊躇無くアイアン・メイデンを選び取り、その音楽に陶酔するのか?
その答えの一端は、今回紹介するDVDにも隠されている。

このDVDはアイアン・メイデンの2008年2月から始まった世界規模のツアー、
「Somewhere Back In Time World Tour」の模様を記録した作品である。
インドはムンバイから始まってオーストラリア全域、そして日本、
更にアメリカに移動して中南米を廻り再びアメリカ、そしてカナダへと到る記録だ。
勿論その後休暇を取ってから、今度は欧州全域からロシアへと至り、
更にその後、中東・インド・オセアニア・南米と巡りフロリダで終了した、
文字通りの世界ツアーだが、今回はその1stレグをバンドの裏側も含めて記録した、
ツアー・ドキュメンタリー的な旅行記と成っている。
このツアー移動する距離からして普通では無いが、更に前代未聞なのが、
バンドのメンバー・クルー・そして機材などを総て「Ed Force One」と命名された、
一台のジャンボ・ジェット機に乗せて移動すると云うアイデアに有り、
更にはその操縦をVoのブルース・ディッキンソンがすると云う物凄さに有るのだ。
しかしボーイング747を操縦するバンドのヴォーカリストってナニ?って感じだが、
バンドで食い詰めているならいざ知らず、ブルースは単に趣味も兼ねて、
バンドが閑な時は「AstraeusAirline」で機長として働いているそうなのだ。
そう云う経緯が有ってこその企画な訳だが、正しく前代未聞なツアーには違いない。
しかしそのお陰で諸々の移動代が抑えられ、余り行けない地域にも移動出来る訳で、
この辺境地帯を巡るツアーの成功もその企画の賜物な訳である。

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ブルース機長のツアーへの意気込みを載せた海外誌

今回この飛行機に45日間同乗し、地球を5万マイル駆け巡り記録したクルーは、
カナダ人のサム・ダンと相棒のスコット・マクフェイデン及びそのクルーたち。
勿論あの傑作「METAL-Headbangers Journey」や「GlobalMetal」を手掛けた連中だ。
23都市の全公演やバックステージ、オフショット等も含めて、
450時間ものマテリアルを2時間弱に編集した、その苦労が偲ばれる出来である。
尚このDVDは2枚組に成っていて、DVD本編では完奏されないライブシーンが、
16都市に於ける公演ごとに17曲の完奏シーンが収められたディスクが付いている。

日本でアイアン・メイデンと言えば若干懐かし的な要素で語られる部分が有るから、
実は今がバンドの黄金期だと言ったら信じてくれない連中も多いと思う。
確かに殆どのメンバーは50代だし、デイヴ・マーレイは禿げかけて来てるし、
全員長髪で暴れ回っていた頃のフレッシュさは当然無い。
しかし空回り寸前の如き勢いを、円熟味でカバーしている昨今のステージングは、
安心して観ていられるし、既に完成した職人技的な美しさに溢れている。
昔から左程ステージで動かないマーレイやエイドリアン・スミスはそのままだが、
お馴染みのマシンガン・スタイルで睨みを利かせるスティーヴ・ハリスは健在だし、
跳ね回るブルースと供にステージを左右へと動き回って実にアグレッシヴだ。
そして意外にポイントに成っているのがヤニック・ガースの存在感。
過去の曲を再演するツアーなのでソロの出番が少ないのは残念だが、
実にロック・ギタリストらしいフラッシーな動きでかなりの存在感を見せている。
そして何と言っても「機長」ブルースのフロントマンとしての存在の確かさだ。
昔から「猿の様に落ち着かない動き」とギャグのネタにされていた彼だが、
オープニングから弾け出す様に飛び出して、左右に動き回る運動量はハンパ無い。
小道具や衣装を変えての、ミステリアスな曲の演出にも実に貢献しているし、
常に万単位の客を手の平の上で転がすかの様なステージングも天晴れな物だ。
そして一番凄いのは、全く持って歌唱力が落ちていない事、これに尽きる。
この業界でこの域に達しているのはロニー師匠とブルース位では無いだろうか?
古くからのファンだと昔以上に凄く成っている、と云う意見さえ有るほどだ。
とにかくバンド自体のポテンシャルと云い、世界でのその受け入れられ方と云い、
頂点を更新し続けている段階なのは、このDVDを観れば納得出来ると思う。

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さてこの作品が単純にツアーを記録した凡百の音楽DVDと隔絶している部分は、
「GlobalMetal」を手掛けた監督の、ドキュメンタリー作品としての出来に有る。
勿論ファンで有るならば今まで公開した事の無かったバンドの裏側、
ゴルフするニコ・マクブレインとか、スティーヴ・ハリスの沢山の子供たちとか、
爆睡してた事を否定するロッド・スモールウッドとか見所は多いだろう。
しかしそう云う部分を抜きにしても、このツアーに駆け付けた世界中のファンたち、
中でも余りバンドがツアーをしないインドや中南米のファンの姿が興味深い。
「GlobalMetal」でもインドのバンガロールでのライブのシーンが出て来たが、
今回はチャーチルのスピーチから始まる怒涛の「AcesHigh」が収録されている。
見渡す限りの揺れる人波が、サビに合わせてコーラスを決める感動的なシーンは、
何処の国で有っても変わらないメイデン・ファンの熱さに唸らされる場面だ。
ロッド・スモールウッドが「ブラジルとスカンディナビアではメイデンは宗教だ」
と云う場面が有るが、正しく中南米の熱さは宗教的な熱狂に近い。
「世界一のファン」を自称する、サンパウロ郊外の神父の話が正にそれで、
彼はメイデンの歌詞を引用して教会で説教するのみならず、
全身に172個ものメイデンのタトゥーを入れ、息子の名前はスティーヴ・ハリス!
余りにハードコアなファン気質にたじろぐが、そこまで熱狂的なファンを生むのも、
アイアン・メイデンと云うバンドの凄さな訳である。

そして本編中最も感動的なのが、政情不安な南米はコロンビアでの話。
一週間前から場所取りの為に野宿を続けるファンを厳しく管理する軍隊の連中、
その中でライブに駆け付けた一人のファンがこんな事を言う。
「コロンビアは深刻な社会問題を抱えている。でもメタルは生きている。
これは(ライブ)はこの国のロッカーの大きな夢だ。・・・・俺は泣くと思う。
感情的かもしれないけど、泣きそうだ。アイアン・メイデンを聴いて育ったんだ!」
そしてコロンビアでの「RunToTheHills」でファンの大合唱で映され、
ライブ終了後に、ニコのドラムスティックを片手に握った一人のファンが、
ライブの余韻に浸りながら溢れ出る涙を何度も拭い、天に向かって十字を切る。
彼にとって、いや彼らにとってこのライブが如何に重要な物だったのかが解る。
自由に好きな音楽が聴けない、好きな格好が出来ない、抑圧された社会の中で、
アイアン・メイデンの音楽が、如何に自由と反逆の為の礎なのかを思い知らされる。
そして冒頭へと戻る、何故イランの少女・マルジはメイデンを選択したのか?
それはメタルが、アイアン・メイデンが自由と反逆の象徴だったからに他ならない。
勿論現在ではメタルの世界だけでも更にエクストリームで反逆的なバンドは有る。
しかし解り易いビジュアルに、参加し易い楽曲と、奥の深い世界観を持ち、
決してチャートの常連だったり、メディアに取り上げられる事も少ないに係らず、
エンターテインメント溢れるライブで、世界中にその影響力が及んでいる、
アイアン・メイデンこそが、メタルの象徴として受け入れられたのだろうと思う。

Maiden04

南米でも欧州でもそして日本でも、メイデンのファンの姿は何処も同じだ。
コロンビアのファンが「RunToTheHills」で合唱する時、
日本のファンもそれを我が事のように感じる事が出来る筈だ。
遙か異国のファンと繋がっている事が出来る、これぞ「GlobalMetal」と云う物だ。
いみじくもサム・ダン監督の前作と繋がる様なテーマの現われに、
妙に感慨深く思ってしまった、音楽ファンなら必見の作品である。

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