マイケルは八十年代のドラゴンなのか?
先日、深夜にぼ~っとTVを観ていたら、某・地下芸人紹介バラエティにて、
マイケル・ジャクソン追悼企画として、マイコーりょうが特集されていた。
マイケルの物真似で喰っている人間は、それこそ世界中に居るだろうし、
日本でも「まいける井上」とか有名だが、マイコーりょうは比較的新しい芸人で、
最初見た時は「今更マイケルか!」と驚いた様な記憶が有る。
数回TVで見た位なので、実際の営業ネタでは何をしているのかは知らないが、
TVの時は大概、来日したマイケルが日本の歌をカバーすると云う設定で、
ピンクレディーの「UFO」、「崖の上のポニョ」、「きよしのズンドコ節」等を、
独特の歌とダンスで見せると云う感じの芸なのだが、
歌うと云うより、殆ど例の記号的なマイケルの奇声で畳み掛ける所がミソである。
その番組では出演した時の映像を何本も立て続けに流していたのだが、
「ポォー!」「アォー!」の連発で「お前は鳥か?」等と思いながら観ていた。
しかしそこで不図、深夜の死に掛けた脳細胞に一つの連想が浮かび上がった。
マイケル・ジャクソンの声→鳥→怪鳥→怪鳥音→ブルース・リーの声!!
そこで次々と浮かんで来たのがマイケルと李小龍との共通点だった。
世界的なポップ・アイコンの条件として、存在の記号性と云うのが挙げられる。
例えば、黄色に黒字のラインとかヌンチャクを見れば普通李小龍を想像する様に、
ビニールっぽい赤の変なジャケットを見れば「あ、スリラーの?」と成るし、
ばらりとした長髪や、キラキラ光るラメの靴下等もマイケルを想像させる。
しかしその記号化が最高に発揮されているのが、独特な叫び声なのは間違いない。
世界中何処へ行っても、股間に手を当て膝をクイっと曲げて「ポォー」と叫べば、
「おっ!マイケル?」と即答して貰える事だろう。
それは「アチョー」と叫んで飛び蹴りすれば、誰もが李小龍と答えるのと同じだ。
考えてもみて欲しい、掛け声一つで世界に存在証明を持った人間が何人居るか?
ガキの頃が李小龍のファースト・インパクトだった世代は解るだろうが、
或る種、彼は我々とは別種の、見た事も無い生き物だった。
野生動物の様な佇まい、鞭の様に鍛え上げられた身体から繰り出される技の数々、
そして何よりもインパクトが強かったのが、その奇怪な怪鳥音だった。
その雄叫びがスクリーンに響く度に、敵は一人また一人と沈んで行き、
敵との間合いを詰めている時の「ホロロロロロ」と云う声もまた、
野生動物が獲物に狙いを定める時の如くで、とにかく同じ人間には観えなかった。
子供と云うのは奇異な物、異質な物に本能的に反応する生き物で、
そしてそう云う存在に同化したく成りたいから、盛んに物真似に高じる。
それと同様の事が八十年代のマイケル・ジャクソンにも言えるのだと思う。
マイケルが「スリラー」を出した全盛時は、流石にガキでは無かったし、
その前に「オフ・ザ・ウォール」等を聴いていてその存在を認識していたが、
プロモ・ビデオで見る「今夜はビート・イット」そして「スリラー」での彼は、
突き抜け過ぎていて、或る種人間じゃない感がバリバリに漂っていた。
まあ実際ゾンビに成っちゃったり、その後巨大ロボットに成ったりする訳だが、
そこで見せるダンスの凄まじさは、李小龍の技に感嘆する物と同質であり、
あのムーンウォークにヌンチャク技に感じたのと同様の驚きが有った。
そして歌唱の合間に混ざる「アォッ」「ヒィーッヒー」「ンダッ」などの奇声。
黒人音楽を深く聴き込んでいない耳には過剰に響くその叫び声こそ、
MTVで流れる耳障りの良い他の音楽とは異質の奇異さで迫って来た物だ。
後に黒人音楽の歴史を辿って行くと、彼の奇声が伝統の上に有る事に気付く訳で、
音楽史にその名を刻んだ偉人達の姿が、彼の奇声の上に見え隠れする訳だ。
例えば夭折したオーティス・レディングのライブに於ける「サケツミ!」や、
こちらも最近夭折したキヨシローも使っていた「ガッタガッタガッタガッタ」。
そして曲の中の掛け声の一つに係らず、極東の地で映画のタイトルにも成った、
「ゲロッパ」、その他にも「ヒッミィ~」「グッゴォ~」「ハァァァァイ」等、
わめき叫んで世界を掌握したファンキー大統領・ジェームス・ブラウンが居る。
何せファンクを確立した頃のJBは、殆どシンプルなワン・コードに乗せて、
曲のタイトルを執拗にシャウトし続けたり、ホーンと叫び声で呼応したり、
メイシオ・パーカーを呼び続けるだけでファンカネスを成立させた偉人である。
そういう偉大な神たちの影響の上にマイケルの叫び声も存在する訳だが、
シンプル故に後進たちが個性を確立するのが難しい叫び声と云う物を、
ポップな曲調に独特の黒いうねりを加味させる所まで鍛え上げた、
彼の天才的なスタイルは今後更に評価が高まるのではないかと思う。
そして李小龍同様に、マイケルも白人中心のショウビジネス界に於いて、
マイノリティと云う立ち位置にあり、その立場に対する葛藤を常に持つ存在だった。
李小龍は中国人と云う出自と誇りを「東亞病夫」の扁額を叩き折る怒りの拳と、
その怪鳥音に籠め、世界中のマイノリティに喝采を持って迎え入れられた訳だが、
マイケルは黒人や白人などと言った人種的な部分を更に突き抜けて、
人間では無い存在、もしくは夢想的な「人」と云う存在を目指していた様に見える。
その、見ようによっては余りにもトゥーマッチな発想が余りにも八十年代的で、
怒りの七十年代、狂騒の八十年代、そして喪失の九十年代と、
ポップ界隈の変転を見て行くと、彼の九十年代の迷走も解る様な気がしてくる。

人間以外の物と仲良しなマイケル
今回の突然な彼の死を契機に、彼のアイコン化は更に進んで行くだろう。
そしてガキの頃に彼の、人では無い様な存在感にインパクトを受けた世代が、
(例えばマイコーりょうの様に)彼の偉業を語り続け伝説化は進んで行く。
李小龍と同じ様に。
そう云う点で、間違い無くマイケルはドラゴンの系譜に名を連ねた訳である。
| 固定リンク






コメント