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2009.08.29

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の終刊によせて

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最終の九十四号

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(通称・谷根千)が、
今月に出た94号を持って終刊に成った。
昭和59年(1984年)に第1号が創刊されてから実に26年・・・・
昭和から平成を駆け抜けて良くぞここまで続いて来たものである。
身近に有って当然だと思っていた風景が消えてその存在を惜しむ様に、
当たり前の様に街と供に有った谷根千の喪失はこれから更に大きく成るだろう。

地方にお住まいの方は御存じ無い人も多かろうが、
谷根千は東京で数多く出されているミニコミ・地域雑誌の1冊である。
現在東京でどのくらいのミニコミや地域雑誌が発刊されているかは知らないが、
中でも谷根千は群を抜く知名度と内容を誇る雑誌だ・・・いや、だった。
ミニコミの中にはカラーの写真などを使った表紙で、中身も整然と段組みされた、
殆ど商業誌と変わらない、と云うか印刷見本の様な綺麗な本も中には有るが、
谷根千は創刊当時から変わらない、センスは良いが愛想の無い表紙に、
もっさりとしたイラストや手書きのキャプションが踊るような、
どちらかと言えば野暮ったい、しかし手作り感の有る紙面が特徴で、
モノクロ中綴じの体裁も、最後の最後まで変わらなかった。

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本来の最終号であった九十三号

しかし中身の方の充実度はそれを補って余りある素晴らしい物ばかりだ。
地域紙は基本的にその地域の情報を伝えるミニマルな誌面に成る訳だが、
谷根千が力を入れていたのがそれプラス、地域史の掘り返しであった。
この分野に於ける谷根千が果たした業績は計り知れないほど大きい。
街の古老などに対する聞き書き等の、フィールドワークによって描き出された、
場所・人・物・手わざ・事件・建物・文化などの貴重な資料の数々は、
一地域と云うのを遙に越えて、時代の断片を映し出す労作と成っている。

この地域は江戸の頃から文人が住まい、後に鴎外や漱石などの文豪が居を構え、
東大や芸大が近い関係上、多くの作家や芸術家が過ごした街である。
故に古老などの話にも、それら有名人がご近所としてよく顔を出したりする。
最終号にも鴎外の次男・類と同級生だった方の談話が載っているが、
文藝資料などを読むだけでは解らない、ご近所さんとしての鴎外の姿が良く解る。
そう云う地域との係りなどの、市井に生きる鴎外の姿を追ったのが、
谷根千編集者の森まゆみ氏が書いた、名著「鴎外の坂」だったりするのだが、
そう云う一面的でない作家研究の手法は谷根千取材の賜物であろう。
同じ地域に住んでいた一人の人間としての文豪達を認識出来る様に成ったのも、
谷根千のお陰だと言える。

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また谷根千の活動として忘れてはいけないのが、地域運動の数々だ。
例外に洩れず、この地域もバブルの時は酷い地上げに有ったし、
住民の事を考えない腐れ行政の悪行や、利益優先なゼネコンに蹂躙されて来た。
それらに対する反対運動や歴史的な建築の保存運動なども忘れられない。
手元に谷根千工房が発行した「しのばずの池事典」と云う冊子が有る。
上野は不忍池の歴史や自然・文化などを谷根千的な編集で綴った本なのだが、
その最後のページに不忍池の地下駐車場計画を報じた新聞記事が載っている。
本書の中にそれに関した表記が無いだけに、このラストページは唐突に重く迫る。
不忍池の素晴らしさを堪能した後に直面するこの記事のやるせなさはない。
アジビラなどで声高に語られるよりも、どれだけ効果的な、らしいやり方か。
多分、諸々の運動のお陰で雑誌の広告が取り難く成った事は間違い無いだろう。
それでも続ける志の高さには実に頭が下がる思いであった。
また現在でも続く、地域主導の様々な催しにも谷根千は多く関係している。

個人的な話をすれば谷根千との出会いは創刊から2年が過ぎた辺りだろうか?
今は亡き祖母が創刊号の頃から買っていて見せて貰ったのが最初だった。
当時はバブルの泡がぶくぶくと吹き出していた頃で、
「江戸・東京ブーム」等と云うのが有って、関連書も盛んに売れていた。
その後、谷根千もそれらの関連書籍と供に普通の書店に並べられる様になり、
ちょっとしたブームの様に成っていたのを覚えている。
実際にその頃、自分も東京の消え行く場所を求めて街を多く彷徨った頃で、
同潤会アパートや汐入の町など今は無き場所に通ったりしていた。

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最初に思ったのは「谷中・根津・千駄木」と云う地域選定の上手さだった。
地域に住んでいる人間なら解るだろうが、どうしても行政区で地域を別けがちだ。
例えば谷中と来るなら台東区側で、日暮里・上野辺りでまとめたりする物で、
文京区側なら根津・千駄木に向丘とか西片辺りを加えてくるのが常道だった。
それを谷中・根津・千駄木、一まとめに「谷根千」と称する様なキャッチャーさが、
中々上手い所を突いて来る!と感心したもんだった。
まあ実際には谷根千の取材範囲は2号の後期に記された様に、
「台東区は谷中・池之端・上野桜木、文京区は根津・千駄木・弥生・向丘二丁目、
荒川区は西日暮里三丁目、北区は田端一町目辺りと考えています」
と有る様に実際の谷根千地区より広く、後に更に拡がっている訳だが、
谷根千地域と云うのを人口に膾炙させた功績は相当大きいだろう。
祖母が亡くなり、自分が谷根千を毎号愛読していたのは四十号過ぎ位までで、
その後は興味のそそられる特集の時にぽつぽつと買うと云う悪い読者だった。
それでも近所の煙草屋の店先に谷根千の新刊のポップが貼ってあったりすると、
興味をそそられたりして、街の風景の一つとしてもやはり終刊は淋しい限りだ。

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半分は亡き祖母が収集した谷根千が並べて有る書棚を見てみると、
現在の版型より頭少し大きめな、薄いパンフレットの様な創刊号から始まって、
平塚春造氏の聞き書きをまとめた表紙がシブい「日暮しの里」とか、
谷根千工房が手掛けた巣鴨駅前商店街振興組合発行の「もてなしの街・すがも」、
「しのばずの池事典」や「トポス・上野ステエション」等が並ぶ。
廃刊に成っている「谷根千路地事典」等も是非とも復刊して欲しい物だ。
これから買っていないバックナンバーを揃えて祖母の墓前に捧げようと思う。

何はともあれ谷根千スタッフの皆様お疲れ様でした、そして有難う。

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上の写真と比べても昔はもっと富士が綺麗に見えたものだ。


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2009.08.22

東映特撮祭り2009

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「仮面ライダー響鬼の事情」は、番組の立ち上げ時に参加した片岡力氏による、
特撮番組制作時の立ち上げ過程と特殊な番組故の困難さを描いたドキュメント本で、
特撮ファンは元より、ガキ番組と馬鹿にする様な連中にこそ読んで欲しい名著だが、
その本の中程に片岡氏によるプロデューサへのこの様な提言が載っている。
ライダー以外と企画された番組が変転の後にライダーに戻る事に成るに際し、
今回を最後の「ライダー」と位置付けし、ライダーの総括をすると云う意味で、
「もしもこれがラストライダーに成るのなら、いっその事アレを出しましょうよ、
アレを・・・そうショッカーを!ショッカーが世界を征服した後を描く、
というのはどうでしょう?」

つまり「仮面ライダー」と云う伝統的なファクターの中には、
「ショッカー」と云う組織も重要な一要素として含まれている訳で、
長きに渡るライダーと云うヒーローの根幹に1号が居る様に、
敵組織の雛形としてショッカーの存在と云うのは人々の心の中に根付いている。
だからこそ、今ここでショッカーを出してくるインパクトは計り知れない・・・
と云うのが片岡氏の提言なのだが、何やらディケイドを予見している様で面白い。
そして「平成ライダー」シリーズが始まって今年で10周年、
とうとう東映がその伝家の宝刀を抜いたと云う感じなのが、
今年の夏の東映ヒーロー祭り「オールライダーVS大ショッカー」なのであった。

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さてそんな東映が勝負に出た今回の映画の成績は如何に?
まず劇場前売券の売り上げが前年比200パーセントを記録するなど好発進。
実際に前売りを買っておこうとチケピに出掛けてみたら子供券以外は売り切れ、
ちょっと焦りつつ金券ショップ等を廻ってみたが、やはり有るのは子供券のみ。
大人券が売り切れ?いや~これは洒落に成らんなぁ・・・と思いつつ、
仕方ないので定価で観ようと、公開2週目土曜の新宿8時の回に行ったのだが、
何と満員で入れないと来やがった!・・・・この時間で満員なのか?・・・・
まあ夜の回は昼の回に比べてキャパが少ない小屋で上映される訳だが、
にしてもなぁ・・・「レッドクリフ」だってなんとか入場出来たってえのに・・・
まあ確かに公開週の8月8・9日の2日間で約39万9000人を動員して、
並み居る洋画大作・邦画を押しのけ4億7700万円で興行ランク1位を記録である。
興収が前年の「キバ/ゴーオン」の2・5倍以上って言うんだから凄い。
実際「大ショッカー」の威力がどれほどなのかは解らないが、
間違い無く平成ライダーの固定層以外にアピール出来た結果なのは確かだろう。
と云う訳で、大ヒットと言える今作の内容の方はどうかと云うと・・・・

事前にネットやら児童誌などで今回の映画のサプライズが紹介された時、
驚くと供に、こんなに大量のネタを詰め込んで映画として成立するのか?
と云う様な疑問が多々沸き起こった訳なのだが、正に予感が的中と云うか、
分離したネタとネタを無理矢理まとめた様な収まりの悪い作品に成っていた。
大きく別ければ、①冒頭のライダー・バトル②士と妹の世界の話③ガクト登場、
そして④オール・ライダーVS大ショッカー、と云う様にネタを別けられるが、
どうにも②の士と妹の世界が弱いし描写の手数が明らかに不足している。
頭のライダー・バトルは、ゲーム機「ガンバライド」を意識しての描写だろうが、
正直ゲーム機の促販以外の意味が余り見い出せない部分では有る。
後に昭和・平成のライダーが大集合して闘うと云う見せ場が有る訳だから、
何もここで無駄に登場して無駄にやられなくても良いのでは?と云う感じだ。
そこの時間をもう少し士と妹の世界の丁寧な描写に割いていれば、
何の脈絡も無く登場するガクトとか、急激過ぎる士の心境の変化など、
腹にもたれる消化不良な部分も幾分かスッキリしたのではなかろうか?
まあガクトや、言う事を聞かない浅倉や地獄兄なんかは単にサプライズでも良いが、
死神博士や地獄大使が単なるギャグって云うのは如何なもんだろう?
余りにも壮絶な石橋蓮司の何事も無かった振りには些細な疑問も無駄に思えるが。

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まあしかし、強大過ぎる大ショッカーに、もはやこれまでなディケイドの前に、
歴代のライダー達が集結してくる場面には、何だかんだ言っても燃える物が有る。
SMAP特番の中で放送された稲垣五郎主演の「仮面ライダーG」の劇中で、
追い込まれたGの前にディケイド他平成ライダーが現れ激励するシーンが有るが、
それを見ていた木村拓哉が「これ、間違いない展開だよね!」とつい感嘆する。
そう正しく「間違いない展開」である、これで燃えない特撮ファンは居ないだろう。
1号と2号のダブルキックから始まって、延々と繰り出される必殺技尽くし。
おまけに来期のライダー・Wまで登場してくる所は流石にアレな感じだが、
「今更一人増えた所で」的な祝祭感覚が漲っている訳でそれもまた良しか?
何せ最後はキングダーク対巨大化したJにファイナル・フォームライドした、
ディケイドのコンプ・フォームと云う禁断の巨大戦が待っている訳だし・・・・
戦隊とコラボするなど掟破りなディケイドの劇場版らしい展開では有る。
当初は劇場版が最終回なのか?と云う様な予測も立っていた訳だが、
結局、大々的なイベント回だったと云う感じでTV版の話も進行中である。
まあ多分このまま「世界を巡る旅を続ける」と云う風に最終回迎える感じだろうか?
既にWとの劇場版の構想も発表されて居る事だしなぁ・・・・

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そんな詰め込み過ぎて破綻をきたしたディケイドに対して、
本邦初のフルデジタル3D作品と云う事で、本放送より短い上映時間内に、
話の無駄をそぎ落とした「シンケンジャー」のソリッドさは実に天晴れだった。
そもそもディケイドも66分と云う短さだった訳だが、シンケンに関しては21分、
デカレンジャーの劇場版が40分近く有った事を考えると半分程度の上映時間である。
起承転結で言えば、起承の部分をナレーションとダイジェスト的映像で処理して、
スケール3倍増しで転結を展開したと云う様な内容である。
正直、殿と家臣達のドラマ部分をもっと描いて欲しかったとは思うのだが、
劇場版ならではのスケールの大きな時代劇的戦闘シーンに絞ったのはいさぎ良い。
初代が封印に用いた秘伝ディスクを獲得するも、その力がディスク自体に無く、
敵大将との一騎打ちの場面でようやく本来の用途が掴めると云う展開など、
短い時間の中でよくぞここまで、と云う巧みな小技に唸らされる箇所もある。

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しかし今年の戦隊物「侍戦隊シンケンジャー」は実に「当り」な作品だ。
個人的に大体戦隊物は毎年、若い出演者が登場人物を自分の物とし、
ラインが固まって来るワンクール終了辺りで、作品の当り外れが占えたりするが、
今年はもう初っ端からこれはイケるんじゃないか?と云う気に成った作品だった。
昨年の「ゴーオンジャー」が明朗な路線を貫き、非常に面白い作品だったので、
2年続けて「当り」が来ないだろうと云う個人的な予想だった訳だが、
初回冒頭、外道衆を眼の前に「ジイ」伊吹吾郎の水戸黄門な前振りを遮って、
軽快な主題歌に乗せて殿が切りまくるイントロの様式美からして何かが違っていた。
殿と家臣と云う戦隊内にヒエラルキーが有ると云う話は当初から聞いていたが、
まあその辺は済し崩し的に展開していくんだろうと云うこちらの思惑を裏切り、
ワンクール掛けて丁寧に「殿の重責」や「忠義の意義」を追求して行き、
現代に無理が有り過ぎる殿と家臣と云う関係を描いて行く様には唸らされた。
今回の敵組織である外道衆は、チャンバラのセオリーが遺憾無く生きる、
爽快に「切り捨て御免」出来る、実に外道な連中と云う描写が徹底していて、
通常の幹部クラスである、闇の剣豪・腑破十蔵や妖美な薄皮太夫等にもそれぞれ、
剣の道を究める為に、親族や周囲を切り殺して外道筋に自ら落ちた経緯や、
心変わりした男をその相手と供に焼き尽くし、生きたまま三味線に変じさすと云う、
子供番組に有るまじき、凄まじい経歴を加えるなど徹底した描写が凄い。

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そして日本のヒーローならではな、伝統に裏打ちされたチャンバラの素晴らしさ。
身長の倍はある斬馬刀を振り回し、二刀流で襲い掛かる敵を受け止める殿の技、
上下から同時に切り倒した後に爆発を背に納刀する桃と黄の所作の美しさ、
そして勝新の座頭市かよ!と叫びたくなる金の逆手居合い切りの素晴らしさ、
その時代劇的なアクションの拡大版が劇場版で観れる訳だ。
陣幕を背に袴姿で変身した後に、各々馬を駆って一万の敵兵に突撃する場面、
本来なら近未来的なマシンを駆っての場面な訳だが、馬と云うのが最高だ!
敵兵の霞みの彼方に見える敵頭領の陣幕に向け、一騎駆けする殿の白馬、
そして槍や弓などで殿の血路を切り開く、家臣達の騎乗する馬たち、
下馬した後、敵兵の上空を舞うワイヤーを使った立体的な殺陣の美しさ、
そして敵陣で相見える殿と敵頭領の一騎打ちの緊迫感など、
東映の三角印の元、過去と現在のチャンバラが直結した素晴らしさに胸躍る。

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ちなみに自分は2Dの方で観たのだが、内容の方は殆ど変わらないらしいが、
せっかくなので3D映像の方も観てみたい所である。
それと映画に行く前に掲示板等で、~のシーンが無かったと云うのを読んだのだが、
自分の観た奴ではそれらのシーンが確かに有ったので、
例年の事だが劇場によって微妙にバージョン違いが有るのかも知れない。
勿論ディケイドではお馴染みなヲロCを飲むシーンもちゃんと有ったぞ。

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2009.08.15

北村薫についてあれこれ・・・

Kitamura02

昔から一度読んだ書籍を再読する事が少ない。
大概読んでいない本が傍らに積まれていたりするので必然そちらに手が伸びる。
ただガキの頃に読んでワクワクした古い探偵小説だとか、
敬愛する百鬼園先生の本などは、時々無性にあの世界にハマりたくなって再読する。
大体は多感な頃に読んだ本との逢瀬を楽しみたくて再読する訳で、
比較的最近の作家の本などはその対象では無かったりする、幾人かを除いては。
その例外の一人が北村薫である。

と云う訳で北村薫先生、第141回直木賞を受賞おめでとうございます。
最近の直木賞と言えば、何故この作品で?何故このタイミングで?
と云う様な疑問符が常に付きまとう賞な訳で今回も「然り」と云う感じで有る。
知名度も固定ファンも多い北村薫が、今更受賞での影響は殆ど無いだろうが、
「直木賞候補」と云う面倒な呪縛が外れた事は結構な事だろう。
何にしろ最近は殆ど賞関係に関心が無かっただけに、その報には驚かされた。

北村薫と言えばやはり「覆面作家」と云う部分は外せないだろう。
いや、氏が手掛けた「覆面作家」シリーズの事ではなく、本人の事だ。
北村薫がデビューした1989年頃は、
講談社が京大ミステリ研出身者を擁した「新本格派」を大々的に売り出し、
そこに東京創元社も加わり新しい推理小説の波が勃興し始めた頃だったが、
その中でも北村薫の登場はちょっとしたセンセーションだった。
講談社系の新本格派作品群にいまいち乗り切れなかった自分だったが、
評判を聞き付けて手に取った北村薫の作品には心底しびれた。
「安楽椅子」探偵と云う形式は特に珍しくも無かったが、
その総ての事件が日常的な謎に起因し、人間模様に帰結する見事な展開、
上品な純文学を読んでいる様な、簡素にしてきめ細かな文章世界、
イノセンスな魅力溢れる主人公とそれを囲む魅力的な周囲の人間たち、
一読陶然とし、その後何度も読み返すが精緻な世界に溜め息が出るばかりだ。
また表紙を高野史子のイラストが飾っている所がどうにもニクい。
その後、北村薫風とでも云う様な日常の謎を扱った作家が続々出て来た事からも、
世間に与えた衝撃の強さを物語っていると言えるだろう。

そしてこの優れた作品の作者が覆面作家だと云うギミックにも驚かされた。
新人と云うには余りにも老練で洒脱、しかも驚くほどのペダントリー、
しかしそれにしては主人公である「私」の滴る様な瑞々しさはどうだろう?
「北村薫」とは誰なんだ?誰かの変名か、もしくは驚異の新人なのか?
当時刊行され始めたばかりの「このミステリーはすごい!」誌などでも、
「覆面作家」北村薫の正体を推理する様な企画が有ったりした物だ、
まあ内部告発からガセネタまでネットで横行する昨今では考えられない話で、
今なら物の3ヶ月もしない内に正体がネットに曝されてしまう所だろうが、
まだあの頃はそう云う愉快な試みが成立していた最後の時代だったのだ。
ちなみに当時、北村薫の正体として有力視されていたのは殆どが女性で、
デビュー作の「私」同様・女子大生と云う意見が多かった様に思う。
個人的には誰かが雑誌で書かれていた推理なのだが、
「教職を退職した初老の女性」と云う意見に近い物を感じていた。
実際に御本人は高校の国語の先生だった訳だが、
男性だったと云う事で、若干周囲の熱狂もトーンダウンした感も有った・・・

教員だったから、と云う訳でも無いのだろうが、
北村薫の仕事の中には或る意味「先生」的な資質が幾つも見付かる。
ミステリーの啓蒙書、詩歌の愉しみ方を綴ったエッセイなどが有るが、
圧巻は丁寧な解説が添えられたアンソロジー集「謎のギャラリー」だろう。
名前さえ聞いた事の無い海外の作家や、知られざる名作の多さに唸らされるが、
宮部みゆきとの解説対談で宮部が問う「これだけの作品を集めるには、
一体何冊位の本を読んで・・・」と云う件に対して、
「五十倍位は読まないと・・・」と答えるその矜持と謙虚さだろう。
「読書が趣味です」と言うは易いがその先は果てし無く広くそして深い。
こう云う本当の知識人の言葉を聞く度に、己の知識の無さを思い知らされる。

「教養主義」と云うと余り良い捉えられ方はしないが、
かつて或る時代の若者の間には、「知らぬは恥・知っていて当然」的な物が有り、
如何に仲間の知らない物を知っているかに血道を挙げた時代が有った。
それは文学のみならず、サブカルチャー全般にそう云う雰囲気が有って、
多少は物を知っているつもりで居た中学生が高校に上がってみれば、
先輩にはそれを凌駕する存在などゴロゴロ居て手も無く打ちのめされ、
負けじと猛烈な勢いで本を読み、映画を観、音楽を聴き、街に出掛けた。
全く持って単なる自己満足の世界な訳だが、それが楽しかったのだ。
新しい知識を獲得する悦びがそこには有った。
北村薫の本を読んでいるとそう云う悦びを感じる事が多い。
正直、あの知識量に追い付くのは不可能に近いが、追ってみたくは成る。
それこそが北村薫の優れて教育的な素養なんだと思う。

これからも益々素晴らしい作品を書いてくれる事を祈って、
あ~それから是非とも「私と円紫師匠」シリーズの再会をお願いして・・・・

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2009.08.08

蒼い瞳の無言劇場~アロイーズ展

Aloise07


例の如く、暑さにうだうだしてる内に会期が終りそうな気配も有ったので、
遅ればせながらワタリウム美術館にアロイーズ展を観に行ってきた。

いやいやそれにしても、アロイーズだのヘンリー・ダーガーなどの、
アウトサイダー・アートの煌めく大看板の作品展が日本で開かれるとは、
実に素晴らしい時代に成ったもんである。
この調子で是非ともマッジ・ギルとかマルティン・ラミレス、
アドルフ・ヴェルフリなんかの作品展なども開催して欲しいもんである。
(過去に何処ぞで開催されていたらスマぬ・・・)

さて基本であるアウトサイダー・アートとかアール・ブリュットに関しては、
以前、ダーガーの展覧会の時に書いたのでそちらを参考にして貰うとして、
簡単にアロイーズ・コルバスの経歴に着いて触れてみよう。
1886年スイスはローザンヌの中産階級に生まれたアロイーズは、
高校卒業後教師に成り、ドイツでウィルヘルム2世の宮廷司祭の家庭教師に納まる。
そこで一方的にウィルヘルム2世に熱烈な恋心を抱く様になるのだが、
第一次大戦の勃発と供に故郷のローザンヌに帰郷し職を転々とする。
その間、周囲との軋轢に悩まされ孤立を深めて行き、誇大妄想の兆候が現れ、
皇帝に熱烈なラブレターを送るなど奇矯な言動が目立ってくる様に成り、
精神分裂症と診断され、その後終の棲家と成るラ・ロジェール精神病院に入院。
入院直後から絵を描き始めるが特に注目される事も無く十数年が経ち、
54歳の時に、理解者であり彼女の研究者と成るフォレル医師に出会い、
その独特で隔絶した絵の世界が発見され、注目される様に成る。
フォレル医師の支援の元、創作は続けられるが、77歳で施設にて死去。

言い方は悪いが、アロイーズの病んだ精神が生涯描き続けた世界は、
「華やかなセレブの世界に魅了された、萬年少女の夢みる世界」である。
元々幼少の頃の夢はオペラ歌手だったと云う位、その世界に憧れは有った訳だが、
その志向を完全に方向付けたのは、僅か1年半の短さではあったけれど、
ポツダムのサンスーシー宮殿に勤務して垣間見た華やかな宮廷世界であろう。
兼ねてから愛して止まなかったオペラや演劇の華麗にして劇的な世界、
それが眼前で繰り広げられている訳だから、夢みる少女にはたまらないだろう。
そしてその中心に居るウィルヘルム2世に恋するのも故無き事。
その体験が強烈だったからからこそ、ローザンヌに帰郷してからの味気ない生活、
その後の精神病院での暮らしが、彼女を絵の中の世界へ逃避させたのだろう。

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アロイーズの描く絵のモチーフは、歴史上の英雄譚や宗教説話・オペラ・演劇等、
華やかなドラマの一場面を題材にした作品が殆どだ。
今で言えば「少女漫画か!」と言いく成るようなキラキラと華美なキャラ達が、
ひたすら常軌を逸した強烈な色彩の世界で乱舞する世界なのだが、
それは恰もサイレントの映画を見ている様な不思議な静けさを持っていて、
一枚の薄い、しかし越えられないフィルターが掛った世界を覗き見るかの如くだ。
彼女の画中の人物は一様にみな蒼くて大きな瞳を持って描かれている。
表情を映さないまるで虚ろな蒼穹の如きその瞳は、華やかな画面を凍り付かせ、
客体としてしかその場に存在出来ない自分を映し込んだ鏡の様でもある。

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最初にアロイーズの絵を書籍等で見た時は、単にプリミティブさが目に付くだけで、
詳細に描き込まれたマッジ・ギル等と比べて面白味を感じなかったのだが、
ダーガー展の時同様に、実物を眼の前にするとそう云う感想は覆る。
小さな紙片に描かれた作品も有るが、殆どの作品が想像していたより遙に大きい。
中には10メートルも有る絵巻物状の作品も有るほどで圧倒される限りだ。
1点だけ取り出して見るより、やはりこうして大きな作品に囲まれている方が、
アロイーズが描き出した無言劇場の観客に成った様で面白い。
菓子の包装紙や絵葉書などが貼り込まれたコラージュ的な作品も興味深いが、
大きな作品を描くのに紙が不足していた時など、自ら紙を幾枚も貼り合わせ、
それをわざわざ糸で縫い合わせて一枚の紙に仕立てている作品なども有って、
間近で見るその歪な縫い痕さえも、作品に奇妙な味を与えていて面白く、
紙に既にその場面が浮かんでいるかの様に、躊躇無く揮われたその線に感嘆する。

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会場ではアロイーズ本人を映したモノクロのフィルムが上映されていたり、
今も彼女の研究に携わるフォレル医師のインタビュー・フィルムも流れていた。
しかしフォレル医師、昔からそうなのか高齢の為なのかは解らないが、
霊媒体質と云うか、アロイーズに同化した様な発言が多くて謎である。
会場ではフォレル医師に拠る物か、彼女の絵を何期かに分けて分類していたが、
一緒に行った障害児教育に関る友人が、分裂病患者の病状の進行度合いが、
その画風の変化に見て取れると言っていて、視点の違いにちょっと感心した。

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自作の画を持つアロイーズ

その後「アロイーズ展」は好評に付き9月2日まで延長に成ったそうだ。

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2009.08.01

香港・馬鹿ライターの系譜(上)

ここしばらく香港に行っていない。
理由は色々有るが、当地のシネコン全盛による映画システムの変貌、
最後に行った時に見たパチ物の寒い状況、そして馬鹿グッズの激減等が有る。

馬鹿グッズとは何か?と言えば、主に観光客向けに作られたチープな商品で、
例えば「変な日本語Tシャツ」なんかは有名な所だが、
アパレル商品以外にも嵩張らない小物など無数に見受けられる物で、
基本、ちょっと毛色の変わった土産物として気軽に買われる物だからして、
買う方も渡した時に爆笑してくれれば良い、的な感じの商品である。
なので誰が作ったか、そして何処で作られたか(多分大陸だろうけど)も不明で、
現地の人間などは殆ど関心すら持たないだろう商品でもある。
しかしそう云う後ろ向きな姿勢で作られた商品に拘わらず、
観光客の目を惹き、立ち止まらせ、更に財布の紐を緩ませる為に、
高度な商業至上主義がもたらした「やり過ぎ」「盛り過ぎ」な感覚、
そのトゥーマッチさが図らずして見事なセンスに転化した商品が幾つか有る。
そう云う発見が面白くて馬鹿グッズ漁りが止められないのであった。

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さてライターである。
何時から買い始めたのか定かででは無いが、最初期に買ったのが上記の1個で、
二十年近く前に、香港ではなく大陸は天津の駅構内で買った物である。
一応ターボライターらしき物で、確か日本円で二百円くらいだった思う。
当時使い捨てのターボライターがその位の値段だった筈で、
補充出来るライターでその値段なら安いか?程度の感じで買った物だが、
妙にバブリーな蓋の金の獅子と「皇冠獅王183代」と云う意味不明な文字が、
結構気に入ってしまって長く使っていた物で、今でも何とか使える奴だ。
ライターは馬鹿グッズの基本商品の一つでターボからジッポもどきまで色々有るが、
基本ファースト・インパクト勝負で長く使う物ではないので、すぐ壊れる。
構造によっても違いは有るが、ターボ物は大概半年持てば良い方だ。
今手元に残っている物以前に確か3個ほどターボ物を持っていたのだが、
使えなくなったので捨ててしまったのが悔やまれる。
まあそれが馬鹿グッズの辿る正しい道なんだろうが惜しかったなぁ・・・

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さて手元に残っている物で最古なのが上の「送財童子」である。
多分道教あたりにこう云う神様が居るのかもしれないが詳細は不明だ。
手に持った金の塊りはこの部分だけ別パーツで今でも金ピカである。
このライターのギミックは頭のネコ耳の被り物を開けると着火口が出て来る。
その際に、額の赤い点が眩しく発光すると云う訳の解らんギミック付きだ。
ちなみに現在は壊れてしまっていて、着火も発光も出来ない状態である。

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馬鹿グッズの基本商品なだけにライターには様々なデザインの物が存在するが、
基本自分が買う物は中華テイストが取り入れられている物に限っている。
中華テイスト物は結構少数で、他は携帯電話型とか酒瓶型、ゴルフのバック型、
高級車のエンブレムが付いた物など、親爺テイストな商品が多く今ひとつな感じだ。
近年は殆ど中華テイスト物が無くなってしまって非常に淋しい物がある。

お次は通称「宝剣」。武侠小説に出て来そうなデザインがたまりません。
当時、香港の人気漫画を映画化した「風雲」が話題を呼んでいたので便乗したのか?
なので「風雲」では無いが、同じく香港の大河人気漫画「龍虎門」の登場人物、
「剣魔」のキューブリック風フィギュアと一緒に。

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これのギミックは剣の柄の部分を右に傾けると着火する仕組に成っているのだが、
なんせ物が異常に細くて耐性の無い部品を使っている様で、
買ってひと月位で柄の部分が根本からパキンと折れてしまって終ってしまった。

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香港が中国に返還される前から毛沢東は李小龍と並んで人気のアイコンだった。
Tシャツやグッズも多く売られていたので、当然ライターにも成っていた。
しかし個人的に余りマオライターに面白い物が無く、しかも余りにもベタなので、
長らく買わず終いだったのだが、その気を覆すが如きマオライターが以下のコレだ。
昔の駄菓子屋に売ってたワッペンの様な主席様の安っぽい肖像も最高だが、
着火口の所が旭日光る天安門広場に成っている所が言う事無しである。

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しかも蓋を開けると同時に胴体の旭日部分が発光する様に成っていて、
更に電子音で「東方紅」のメロデイが朗々と流れると云う仕掛に成っている。

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ここまでされれば文句無しのマオ尽くしに唸らされるが、
更に背面は故宮に有る皇帝のレリーフがモチーフの龍と来れば正に完敗である。

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ちなみに現在もライター機能は健在なのだが、メロディ機能が著しく低下していて、
「東方紅」がグニャグニャで何の曲やってるか解らない所が残念である。

しかし誰が作っているのか解らない馬鹿ライターであるが、
デザインにしろギミックにしろ年々進化していて感心させられる事が多々有る。
そんな職人魂が炸裂した様に端正で素晴らしいと感嘆するのが以下の2種。

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まずは「龍鳳飛舞」と記された非常に美しいシェイプを持つこれから。
文字の横に銘が付けられているので、有名な書の文字を使っているのかも知れない。
翼を休めた鳳凰が装飾の1部に成っている底面の処理も中々の物だが、
着火口の龍のレリーフから繋がって着火ボタンが龍の尻尾と云うのも出来が良い。

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ちなみに着火口の後に小さな穴が開いているが、ここからもガスが出ていて、
ボタンを離しても小さな口の所でしばらく火が着いている構造に成っている。

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で、その機能を更に進化させた様な奴が下記の「DRAGON」である。
デザイン的には少々チープ化している感じなのがやや残念な所なのだが、
ギミック的にはビックリするほど斬新なデザイン的進化が見れる。

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ボタンを押すと龍が刻印された蓋の部分が開く様に成っているのだが、
よく見ると蓋の部分に「龍鳳飛舞」と同じ様に小さな穴が開いている。

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同じ様にここからガスが出ていて、ターボの火で着火する様に成っている。
すると蓋のドラゴンが口から火を吹いている様な按配に成る訳である。
何故ターボライター部分以外に着火口が有るのかは全く解らないが、
正に雲上に遊ぶドラゴンが火を吹く様を再現したデザインは見事としか言えない。

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馬鹿ライターだからこそここまでするのか、
馬鹿ライター故にここまでしなければいけないのか解らないけれど、
何気に奥が深い馬鹿ライターの世界、少しは理解していただけただろうか?
でわまた気が向いた時にやるかもしれない「下の巻」で御会いしましょう・・・・

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