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2009.10.31

寝床で読みたい「聖☆おにいさん」

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就眠儀式の一環として昔から寝床に入ると必ず本などを読んでいる。
直に眠く成れるので漢詩とか、古い随筆とか活字物も多かったのだが、
近年、目が悪く成って来たのでコミックなども多く成って来た。
ストーリー物はついつい続きが気に成って読み進めてしまうので、
大概は短篇集的な軽い感じのコミックを繰り返し読んでいたりする。
「オチビさん」とか、一時期は「よつばと!」ばっかり読んでいたりしたが
ここ暫くは何と言っても「聖☆おにいさん」が寝床付近に必ず有る。

アニメ化していたりする訳でも無いのに局所的に馬鹿売れしている、
この作品の内容を今更語るのは少々アレなのだが、一応簡単に解説すると、
「ブッダとイエス・キリストが立川の安っすいアパートに二人で住み、
まったりとした日常と云う、地上のバカンスを楽しんでいる」と云う話である。
他人にこの作品を薦める時に、上記の様な説明をしてみた所、
「それは本物?妄想の、とかじゃなくて?」と云う返しをされて爆笑したが、
そう云う風に思い込んでいる人たちの話ではなくて、本物の話である。
本物ゆえに彼らは日常生活で数々の奇跡を見せてくれる。
例えばイエスは笑いがツボに入ると陶器の皿を次々とパンに変えてゆくし、
過度に我慢をしたりすると聖痕が開いて直に血塗れに成ったりする。
ブッダはうたた寝をしていると涅槃と間違って動物や鳥が集まってくるし、
徳の有る事を言ったり感情が激すると所構わず発光すると云う感じである。
聖書や仏典の中の奇跡が日常で発揮されると何とも言えない笑いと化すのである。

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基本バカンスに来ているので布教活動等のアクティブな事は一切やらない。
ただ単に下界でプラプラしてるだけなので大家にニート疑惑を掛けられたりする。
実際は二人とも二千歳を優に越えている訳だが見た目は二十代半ばで、
聖人なのに行動や言動がそこら辺の大学生並と云う所が笑わせる。
密かにジョニー・ディップを意識しているイエスは好奇心旺盛でノリが軽く、
ブログにミクシィそしてネトゲとネット中毒で、形から入る事が大好き。
その一万ヒットを誇る「ドラマ感想ブログ」のコメントでの速レス振りに対して、
「神降臨!」と讃えられたレスをブッダと二人で見ながら訝しげに、
「伏せてるんだよね?」「伏せてるんだけどねぇ・・・」と云う件が爆笑だ。
対してブッダは基本真面目な性格で奔放なイエスに対する突っ込み役だが、
家事全般が得意で特売や値段に異常に拘る矮小さが笑えるオカン的な性格だ。
手塚治虫の「ブッダ」に感動して以来の手塚信者で、始めて描いた漫画も好評、
更にはシルクスクリーン印刷でイエスには内緒でTシャツなどを作成し、
イエスがどのシャツを気に入るか一人で密かにコンテストしていたりする。
ちなみにこのブッダ作成の一言Tシャツが毎回よく練られていて爆笑で、
イエスの「善いサマリア人」「アブラハム100才」「魚×2・パン×5」とか、
ブッダの「ほけきょう」「元スメーダ」「仏顔×3」とか感心しつつ爆笑だ。
ちなみにこの辺のTシャツは一部読者プレゼントに使われていたりして、
大型書店の店頭に「ニルヴァーナ」Tシャツが飾ってあったりして笑った。

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二巻くらいまではブッダの漫画の主人公にも成った高弟のアナンダ以外、
大家の松田さんとか気の良い極道さんなど人間のレギュラーばかりだったが、
三巻に成って登場した天界の住人達がまた輪を掛けて矮小で最高だ。
福引で当った伊豆への温泉旅行にこっそり付いて来たイエスを守る4人の大天使、
チャゲアスの「Say Yes」を唄ってテンションが上がってしまった挙句に、
終末のラッパを吹き鳴らしそうになるテンション高めな天使長ミカエル。
ワサビの食い方を知らずに丸齧りして失神寸前のイエスに呼び出されて、
ワサビを根絶やしにしようとする空気の読めない破壊天使のウリエル。
その他ラファエルにガブリエルと自由過ぎる行動と言動が何とも言えぬ味である。
ブッダが描いた漫画がことの他天界で評判だった事に対して、
天部が天界で発行するフリーマガジン「R2000」に漫画を連載させようと、
強引な手段と豪快な口車でブッダを翻弄する仏法の守護神・梵天さんも強力だ。
その存在感ゆえ終いには掲載誌の「モーニング・ツー」の特別付録と云う形で、
「最聖戦隊ホーリーメン」と云うスピンオフ作品まで作られたりしている。
下がその付録の表紙だが、主役より梵天さんや四大天使の方が目立ってるし・・・
ちなみに敵役として出て来るのがブッタの悟りを邪魔した悪魔の「マーラ」だが、
天界の連中同様、異常に今風と云うか人間臭い存在として描かれていて、
立川で暴れるマーラの要求は「俺をミクシィに招待しろ」と云う矮小さである。

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まあしかし何と云うか実に日本人らしいと云うか日本ならではの作品だろう。
大概の作品が何処かしらの国で翻訳出版されている昨今の漫画事情だが、
この作品に関しては相当に出版国を選ぶのではないかと思う。
道教思想が強い香港や台湾辺りならまだしもタイ辺りだと流石に厳しいだろうし、
況してや狂信的な原理主義者が居る米国等では焚書に成りそうな感じだ。
とは云え決してイエスやブッダを貶める様な存在として描いては居ないし、
矮小では有るけれどどちらも高潔で温かい存在して描かれているのは確かだ。
「パンチとロンゲ」と名乗って二人でM-1グランプリに出ようとはしているが、
聖人として踏み外す所まで描かないのは結構意識しての事だろう。
先のTシャツの文字や細かな聖書や仏典ネタなど読み込んでいる事は明白だし、
「身近に感じられて良い」と云う宗教関係者の発言も有るらしい。
今後はまだ登場していないブッダの妻のヤショーダラーや息子のラーフラ、
イエス方面の悪魔であるミカエルの兄の堕天使ルシフェルの登場も期待したい。
ネタ創りには相当苦労するだろうが是非ともこのまま続けて欲しい物である。

と云う訳で暫くはだらだらと寝床で四巻を愉しむ事としよう・・・・
あ、勿論寝床以外でも最高ですよ。

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2009.10.24

圧倒的な1冊「イタリアン・プログ・ロック」

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「イタリア?まあPFMぐらいなら聴いた事が・・・」と云う人に、
「マニアだねぇ・・・」と呆れられるぐらいの事は有るとは思うが、
こう云う本を読んでいると、まあ手前などようやく初心者を脱した程度で、
マニアなどと呼ばれるレベルには到底到っていない事を実感する訳である。
予てより一部で話題に成っていた、そんな真にマニアの為の1冊が邦訳出版された。

ユーロロックの入り口にして、その先には光り輝く豊饒の世界が拡がり、
同時に底知れぬ闇の世界が深く果てし無く横たわるマニアの細道の一里塚。
何よりも歌心を優先する熱き光の影に、故に濃く舞い狂う異形の暗い闇。
一つの国でありながらそれぞれに全く違った顔を持つ地域を持ち、
アフリカ大陸からアルプスの裾野までを網羅する文化の交流点にして、
欧州に属しながらラテンの血を引く、相反する要素が混ざり合う熱き国イタリア。
世界中の他の国と同様にロックの洗礼を受け自国の音楽と混交させながら、
70年代のほんの僅かな時期に高品質な類を見ない独自の音をたわわに実らせ、
狂い咲いた末に泡沫の夢の如く消えて行った数知れぬバンドたち。
そんなバンドたちの耀きを詳細に追い求めた恐るべき1冊が、
マーキーから出たアウグスト・クローチェ著「イタリアン・プログ・ロック~
イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド 1967-1979年」である。

主に70年代にイタリアで活躍した560以上のバンド・アーティストに関する、
オリジナルLP、再発CDの完全ディスコグラフィー情報に加え、
韓国での再発CD、日本の紙ジャケCDの情報も掲載すると云う徹底的な網羅加減。
そしてメジャー/マイナー含む26のレコード・レーベル考察とリリース・リストに、
アルバム、シングル、プロモ盤のカラー・ジャケット・ギャラリーなども掲載し、
更には邦訳版のみに初期ユーロロック発掘・紹介に関った邦人のコラムを追加収録。
正しく現在の所、究極と言えるイタリアン・ロックの関連書籍な訳で、
立てれば直立する、厚さ5㎝にも成る、ガイドと云うより事典に近い1冊なのだ。
アルファベット順に配置されたバンドの基礎情報、解る限りのメンバー表、
そしてレーベル、発表年、アルバム情報(見開きとか特殊ジャケとか)、
そしてコレクターの為のそのアルバムのレアリティ度が星5つで評価され、
更には「コレクターズ・コーナー」と題された、初回盤と再発盤の相違とか、
レア人気に当て込んだ、海賊盤との見分け方等が記されたコーナーまで付いて来る。
そう云うマニアの為の微に入り細に渡った情報はレーベル考察にも有って、
ラベルのデザインの時期的な変遷やレコード番号から読み取れる情報、
更にはマニアには有名な僅か6枚のレコードを残して消滅した、
トリデント・レーベルの数多い海賊盤と本物との見分け方の表なども載っている。

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長年の謎が解明された「E.A.POE」唯一のアルバム

まあ或る意味ネット時代に成ったからこそ個人個人の情報の集積が可能に成り、
今まで消息が知れなかったバンドのメンバーとのコンタクトが叶う様に成り、
ここまで網羅的な本が出来たのだろうが、何にせよ著者の労力には頭が下がる。
つい最近まで殆ど情報が無く、謎のバンドとして君臨していた「E.A.POE」だが、
この本で遂にその正体が明らかにされていたりして驚かされるばかりである。
元々本国ではこの辺のバンドはその時代以降、殆ど忘れ去られていた状態で、
この辺を発掘し評価を与えて来たのは、実は日本のマニアの力だったのだ。
その原動力たる、現地に出向いて買い付けを行っていたバイヤー達のコラムが、
(こう云うマニア向けのブツの蒐集譚と云うのはモノが何であれ興味深い物だが)
まだ牧歌的だった当時のイタリアのレコ屋の話と合わせて非常に面白いし、
現在は完全にV系の雑誌として生き残る「Fool's Mate」の初代編集長による、
まだマニアの為のメディアが雑誌だった時代の何かとカオスだった当時の話も、
今は亡き北村昌士大先生の意外な山っ気とか含めて良き時代の思い出話に浸れる。
まあ何にしろこう云う本だから興味の無い人間は絶対に手に取らないだろうが、
少しでも興味が有る向きには早い所買っておくのをお薦めしたい。
かつて九十年代の初頭にOPUS AVANTRAの「内省」を表紙に使った、
「イタリアン・ロック集成」と云うガイド本が同じくマーキーから出ていたが、
同じ系列の「ブリティッシュ~集成」と「アメリカン~集成」は買ったのに、
イタリア物だけは買わずに後々非常に後悔した自分が居るので尚更である。

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イタリア・プログレ・ロックの本と言えばこの際ついでに紹介したいのが、
2006年に出た「Rock Progressivo Italiano」と云う輸入本である。
内容は同じくディスコグラフィー本なのだが詳細さに関しては本書には及ばない。
しかしオールカラーでレアな写真も豊富な誌面は眺めていても非常に楽しく、
LE ORMEの「包帯の男」のジャケ画を書いたイラストレーターによる表紙も美しい。
巻末には当時イタリアで出版されていたロック雑誌「Best」や「Ciao2001」等の、
イタリアのバンドが表紙を飾った号の写真も掲載されていて非常にレアだ。
今後こう云った当時のレアな写真を集めた本でも出ないもんだろうか・・・・
カラーで見るOSANNAのライブ風景など何かと興味は尽きない。

ちなみに「イタリアン・プログ・ロック」も「Rock Progressivo Italiano」も、
どちらにも付録としてオムニバスCDが付いてくるのだが、
New Trolls、Osanna、Area、Le Ormeなど、その筋なら誰でも知ってる?
ビックネームなバンドを収録した「Rock Progressivo Italiano」に対して、
10組、19曲を収録した「イタリアン~」の方は異常にレアな内容だ。
付属CDに関する解説が一切無いので詳細が知れない部分が有って、
個人的に半分程名前の知らないバンドが居るって云うのが情けないが、
音質のキビしいデモ音源とか、多分盤起こしなシングル音源などが満載である。
中でも先に名前を挙げたE.A.POEのレアなシングル音源が入ってたりして驚く。

それにしてもこの世界は深い・・・・実に深い・・・・

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ローランド・カークか!ってなオザンナのライブショット

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2009.10.17

炸裂する馬鹿映画「ロボゲイシャ」

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意図的に制作された馬鹿映画に対し、アレコレ論じるのは野暮な気がして成らない。
「あ~くだらなかったなぁ」と云う感想が笑みと供に洩れればそれで良い気がする。
出来ればそうしてこのネタを終らせたい気がしないでもないのだが、
それではあんまりなので、野暮は承知と少々書いてみる。
話は何と言うか、往年の昭和特撮テイストと云うか昭和漫画と云うか・・・・

話の主軸と成るのが、姉妹関係に有る二人女性の相克と愛憎の話である。
花形芸者である姉の付き人として一緒に置屋で暮す妹は常に要領が悪く、
その事をネタに姉や女将からネチネチといびられ更に落ち込む毎日であった。
今日も今日とて大製鉄会社の御曹司相手の席で失敗をやらかし姉の怒りを買う。
しかしその御曹司は妹の意外で特殊な才能を見抜いていた。
後日、御曹司から父親の経営する大製鉄会社に招待された姉妹だったが、
実はその会社こそ、昔から国の裏稼業に従事する闇の組織を育成しており、
攫って来た娘を殺人教練で鍛え上げ、改造手術により殺人マシーンに仕上げ、
「色仕掛け」で要人暗殺を図って来た闇組織「裏ゲイシャ」なのだった。
妹の持つ意外な戦闘能力に目を付けた御曹司は、姉を人質に妹を組織に引き込むが、
今まで姉に疎まれていた妹は、その能力で組織の中に確固たる地位を築き上げ、
姉との関係を逆転させ念願の下克上を果たす。
出来の悪い筈だった妹に逆転された姉は自ら進んで改造手術を受け、
それに負けじと妹も改造手術を受け二人は高性能の殺人マシーンと化してゆく。
所がとある作戦にて組織のやり方に疑問を抱いた妹は、
大製鉄会社に娘を拉致された被害者の会の殺戮指令に背く事に。
だが憎んでいた筈の姉を人質に捕られた妹は組織の刺客に破壊され、
姉は脳手術を施され完全な殺人マシーンへと改造されてしまう。
しかし被害者の会に居た、かつて大製鉄会社で働いていた技術者の手により、
更なるチューンアップの末に復活した妹は、大製鉄会社の最終的な目論見を知り、
死を覚悟して大製鉄会社へ向かった被害者の会の人たちを救いに走る。
被害者の会の会員に牙を剥く社長と御曹司、巨大ロボに変形する大製鉄会社の城、
そして妹を迎え撃つ完全な殺人芸者マシーンと化した姉、果たして勝負は!

と、まあストーリーを書いてるだけでも脳死しそうな馬鹿さな訳だが、
敵組織のテクノロジーにより無理矢理創られた改造人間と云う所とか、
「父なる存在」である組織への離反、同属で有る姉妹同士の闘いなど、
石ノ森テイストと云うか、特撮テイストの加味の仕方にニヤリとさせられる。
後、外人が描く間違った日本人・及び日本の描写をわざわざやると云う、
所謂「国辱映画」テイストが基本に有る訳だが、
お馴染みの「芸者」「富士山」「切腹」「しゃぶしゃぶ」なんかの他に、
「巨大ロボ」「変形」「セーラー服」とかが出る所が最近な感じであろう。

しかしこの映画、個人的に前半が非常に辛かった。
外国資本で撮られただけに、生温い日本映画の規制を完全にぶっちぎった、
死体と血糊と悪乗りの量が半端でなかった前作「片腕マシンガール」に比べて、
角川映画配給と云う事で一気に描写がトーンダウンしている所は考慮に入れても、
ゆるゆるなギャグ描写が上滑り気味で、全然笑えなかった所とか、
かつら頭にピンクのタンクトップと短パンと云う色気の欠片も無い、
「裏ゲイシャ」のコスチュームとか、訓練所の何とも安っすいセットとか、
「ざけんじゃねえよ!」的な非常に往年な感じのスケバン台詞とか、
何か異常に深夜のテレビ番組的な雰囲気に正直萎えまくりな感じだった。
しかし被害者の会の一人で竹中直人が出て来る辺りで感覚が変わって来る。
間の悪い素人芸を見せられてた所に不意に名人芸を見せられた感じとでも言おうか、
ベテランの顔の登場によって、画面が一気に締まって来る様な感じだ。
恰も殆ど素人の寄せ集め的な東映のスケバン映画の中に置いて、
必ず自分の仕事をキッチリこなし画面に華を添える由利徹や大泉滉の如しである。
そこからはもうこちらの感覚が麻痺して来たのか一気に引き込まれた。
勿論ストーリーが転換を経て佳境を迎えつつある部分で盛り上るのは当然なのだが、
上滑り調子だったギャグもヤケクソ的に決まって行き、
最終戦闘に臨む妹のトランスフォームも特撮的に非常に燃える感じが有り、
そしてラストも話の中軸である姉妹の描写で落とした所は中々徹底していた。
最終的にそこに拘った所は商業映画としての監督の手腕を感じた所である。

主役である妹を演じたのはグラビアアイドルの木口亜矢。
前半は駄目駄目な女の子、そして後半は感情が殆ど出ない冷徹なマシーンと、
特殊な役柄ゆえ難しかったろうが、特に後半のクールな感じが良かった。
それに対して感情が爆発しまくりの姉を演じたのが長谷部瞳。
泣いたり笑ったり怒ったりやっかんだり、感情の起伏が漫画の様に激しいが、
基本的に憎めない感じが良く出てて、この姉妹の対比が中々良く描けている。
御曹司役の斉藤工もクールな佇まいに対し、好きでやってる感が漲っていたし、
何をやっても志垣太郎に成る志垣太郎の存在感は圧倒的である。
出来れば竹中直人と直接対決して欲しかった程だ、変形とかして。

所でこの映画、描写を抑えた所を逆手に「ギリギリ、デートに使える映画」、
と宣伝しているが、まあ普通は「カムイ外伝」に行くだろう?デートなら。
まあ何だかんだで誘う相手を選ぶよなぁ・・・うん。

Robog002


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2009.10.10

「逆光の頃」/「もののけ草子」二巻

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本のタイトルを見た時に、何やら妙な概視感が有ったのだが、
手に取ってページを捲ってみて、つい懐かしさに言葉が出そうに成った。
二十年振りの新装復刊だそうである。
例えて言えば、あの頃と全く変わっていない仲の良かった友人と、
二十年振りに再会した様な、ちょっと面映い感慨が湧いてくる感じだろうか。
正直この漫画、当時の雑誌の切抜きでよく読んでいた様な記憶が有って、
コミックを買っていたかどうかは今でも定かでは無いのだが、
内容に関して殆ど記憶に有る事から、多分コミックでも愛読していたのだろう。
(二十年前に買ったコミックと云うと正直部屋から発掘する自信が無い・・・)
それにしても読み返すと結構細部まで記憶していて物凄く懐かしい気分に成った。

本書の終盤に掲載された作者のインタビューによると、林静一や鈴木翁二辺りの、
その頃既に古典だった「ガロ」系の漫画に影響受けたそうなのだが、
確かに雑誌掲載当時も「わ、古い画風!」とか感じていたのを思い出す。
当時の「モーニング」とか「アフタヌーン」系の講談社の雑誌には、
(特に月刊のアフタヌーン等は)とても商業誌とは思えない様な作風と云うか、
当時主流の漫画とは隔絶した様な画風の漫画が良く掲載されていて、
「あれは同人誌的商業誌だよなぁ~」等と知り合いと評した事を思い出す。
(実際に同人系の鶴田謙二とか園田健一とかをいち早く使ってたりもしたし)
まあどうあれ、その作品内容にあの画風が絶妙にマッチしていたのは確かで、
「はなしっぱなし」の五十嵐大介と供に記憶に深く残る作品だった。

ガロ系の画風と云うと、妙に自己主張の強いだけの作品だったり、
変にシュールな私生活日記的な作品が割と多かったりするのだが、
「逆光の頃」は割と話の展開がしっかりとした「読める」作品で、
感覚的な作品ながら感覚的な所に頼り切っていない所が今読んでも新鮮だった。
話は、京都を舞台とした中学3年生の孝豊君の日常を描いた話である。
特に劇的な展開が有る訳でも無い、その舞台同様にゆったりと流れる日々の中、
大人でも無く子供でも無い不安定な時期ゆえのきらめきを切り取った連作だ。
例えばそれは、好きな娘と上手く行かなかった時のやるせなさや、
好きな娘と上手く行った時の高揚感や、素直な気持ちに成れない焦燥感、
不甲斐無い自分への苛立ちや、ゆるぎ無い大人たちへの憧憬、
同じ様に先の見えない将来に対する不安を共有しあう友人たち、
そんな誰にでもかつて有ったであろう日々を描いただけの、
だからこそ今読んでも色褪せない、と云うか更に色鮮やかな作品である。
瞬間を切り取った様に、簡素にデザイン処理された画面が実に美しく、
効果的に挿入される大コマの何とも言えない味わいも特徴的に光る。
漫画的な画風の主人公達に対し、リアルな線で描かれる老人達との対比、
時にアルファベットで表記される効果音のモダンさなども見逃せない。

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この作品、京都を舞台にしていると云う部分が非常に大きくて、
千年の古都ゆえの幻想性や空気感が作品に何とも言えない色を添えている。
作者もその辺の所は意識していた様で、京都名所巡り的に様々な場所を舞台に選ぶ。
特に鞍馬山の森閑とした幻想味と北山杉の力強い生活力は印象に残る。
京都ならではの祭礼に関する話も面白い。
大文字の送り火を盃の水に映して呑む話やおけら詣りなど印象深い話も有るが、
昨今話題に成っている牛祭りの摩多羅神や仮面をかぶった火祭り等の奇祭を扱った、
日常に幻想味が侵食して来る様な、妖しくも美しい話が最高に魅かれる。

タナカカツキのその後については全然情報が無く知らなかったのだが、
天久聖一と組んだ「バカドリル」の作者だったとは迂闊に気付かなかったし、
現在は映像作家・アーティストとして活躍中との事らしい、
知らず知らずその作品をテレビで観ていたりした事も有るんだろうなぁ・・・

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さてもう1冊は、ここの所非常に順調に刊行ペースを守っている高橋葉介の新刊、
「夢幻紳士」シリーズからスピンアウトした可愛い「手の目」が活躍する、
「もののけ草子」シリーズの二巻目。

生きのいい活躍が何処か夢幻紳士の「冒険活劇編」を思わせた一巻だったが、
後半に突然大人に成って大陸に渡ってしまった「手の目」姐さん。
今回は大陸から戦中戦後の日本に、押し掛け弟子の「小兎」と戻って来て、
婀娜で退廃的な雰囲気は、いきなり「怪奇幻想編」に変わったかの様である。
ただ今回面白かったのが、グロを描いてもスラップスティックさが有った作風が、
日本の戦中戦後を舞台にしている関係か、何処か非常に物悲しさが漂っている。
大量死が当たり前の戦時中と云う非日常、そして屍が転がる戦後と云う日常に、
怪奇な幻想さえ悲哀を帯びた救いを持って描かれる所が何とも言えない。
「手の目」がまだ少女時代だった頃の話も挿入されるがその結末は余りにも哀しい。
お馴染みなキ○ガイ軍人・本郷義昭も登場するが、
それさえ悲哀を彩る話のファクターの一つと云うのが徹底している感じで有る。
この辺どう云う心境の変化が作者に有ったのかは定かでは無いが、
高橋葉介らしい日本の戦中戦後の描き方として非常に印象に残った。

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個人的には大陸暮らしに於ける志怪的な話をもっと読みたかった気もするが、
それはそれとして「手の目」姐さんと「小兎」はこれから何処へ向かうのだろう?
日本に帰って来た目的の一つに、やはり「若旦那」との再会が有る気がするが、
美しく妖しく成長した「手の目」姐さんは「若旦那」再会出来るのだろうか?
と云うより、この話はこのまま続くのだろうか?
「若旦那」の新しい活躍も含めて愉しみな所だ。

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2009.10.03

アダルトビデオ革命史/藤木TDC

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ロック、と云うかポピュラーミュージックの進化の過程を、
使用機材、いわゆる「テクノロジー」の進化と供に考えると云う論調が有る。
生音を小さな会場で響かせていたジャズにやがて電気楽器が加わる様になり、
ジャズにしろロックにしろ非常に出力の小さいアンプで演奏されていた物が、
マーシャルから100W三段積みと云う大出力のアンプが出されたのを契機に、
ライブに於いて大音量の歪んだ音で演奏出来るハードロックが生まれた。
そしてキーボードやシンセサイザーなどの電子音楽を奏でる楽器の発明により、
プログレが生まれ、ニューウェーブに繋がりテクノに到る、と云う感じである。
勿論、個々の音楽に思想的な物や時代背景、エポックな存在が居たりはするが、
テクノロジーの発展により、出来る事の幅が飛躍的に広がったのは確かだし、
それにより大人数の観客を相手にする商売が出来る様に成ったのは確かだろう。
実はそれと同様の事が、アダルトビデオの発展史にも当てはまるのである。

以前取り上げた「アダルトメディア・ランダムノート」を書いた藤木TDCが、
アダルトビデオの歴史を俯瞰した本を書いた、と云うのは前から聞いていたのだが、
「ランダムノート」同様の体裁の本だとばかり思っていて中々発見出来ずにいた。
よもや各社から毎月夥しい量の新刊が出される新書だったとはつゆ知らず、
ようやく手に取れた訳だが、イヤイヤ流石に面白くあっと言う間に読了した。
この手の類書が過去に出ていたかどうかは寡聞にして知らないのだが、
或る種アダルト業界の転換期と言えるこの時期に出されたと云うタイムリーさと、
マニアではなく、初心者を相手にしたフラットで解り易い語り口が相まって、
その初期から御世話に成っている層や、気付けば既に身近に有った層まで、
「動くビニ本」等と言われていた初期から、レンタルビデオでの全盛を経て、
セルビデオから薄消し、そしてDVDへのメディアの変換と云う変動期の後、
ネット配信、海外制作のハードコア物の逆輸入までその歴史を網羅して、
当局に忌避されつつも巨大な産業として発展して来た或る業界の発展史としても、
非常に興味深く、引き込まれる事請け合いの一冊に成っている。

本書の冒頭にて著者は、まずアダルトビデオ(以下AV)の定義を掲げる。
その内の一つが「ビデオテープ(現在はDVD主流だが)流通を前提とした、
ビデオ撮りしたオリジナルのポルノ映像」と云う物である。
この「ビデオカメラで撮影された」と云う部分が一つの分水嶺に成る訳で、
AVはVTR技術の開発・発達と供に進化して行ったメディアなのであった。
それ以前のポルノ映画は当然フィルムによる撮影が行われていた物だ。
初期のアダルト作品ではそれらをビデオテープに移し変えた物が流通していたが、
追い付かなくなった需要に応える為に新たにビデオ撮りの作品が作られる様に成る。
諸説有るが、それこそがアダルトビデオ第1号と呼ばれる物に成った。
そもそもVTR技術の進歩はニュース現場等の速報性を重視して発展して行った。
カメラの小型化による機動性、小規模なスタッフによる撮影の容易さなど、
劇映画に於ける虚構性を創り出せるフィルム映像に対し、
ビデオはリアリティ感の有るドキュメント性に優れているメディアだった。
故に映画としての画面とストーリー性を重視したポルノ映画に対して、
AVがリアルなドキュメント的な方向に発展して行ったと云うのが面白い。
メディアの特性との親和性が現在まで続くスタイルを選択したと云う訳で有る。

やがてビデオ技術革新は進み、片手で操作出来るハンディカム等が発売される。
その恩恵を受けて開発されたのが「ナンパ」「ハメ撮り」等と呼ばれる手法だ。
少人数ながら複数の人目が有るスタジオでの撮影と違って、
「撮影者」=「男優・監督」と云うこのマンツーマンなスタイルは、
出演者との濃密な関係性と、秘め事を覗き見る様な背徳的な興味、
そして制作側としては経費を抑えられる関係から瞬く間に一つの主流に成った。
AVはVHSテープやDVDそしてネット配信などソフトから語られる事は多いが、
ハードの進化による主に制作側の面で語られるAV史は中々興味深い物がある。

勿論それらはAVの歴史を語る本書の中の、飽くまでも1部分でしかなく、
AV史の紳士録・淑女録と供に語られる紆余曲折を持った歴史は非常に濃厚だ。
往年のAVファンならば懐かしい名前の数々に涙(?)することだろう・・・
かなり初期の勃興樹からレンタル店で働く知り合いが居た関係上、
宇宙企画の銀パックやらイリーガルなブラックパック物など懐かしく思い出す。
NHK以外の民放各局が土曜の深夜に狂った番組を放送していた当時に、
お色気要員として借り出されていたAV嬢たちは女子大生以上の人気が有ったし、
AV誌以外でも絶賛されていたV&Rの若き才能有る監督たちの作品などの、
AV表現の極北の如き凄まじい内容と企画に驚かされた事も良い思い出だ。
しかし何と言っても懐かしいのは村西とおる監督とダイヤモンド映像の事だろう。
あの頃の村西とおると黒木香の存在感は無視出来ない影響力が有った。
ビデオ屋で「取りあえず困った時はダイヤモンド借りとけ」と言われる位で、
女優の質は高いし即物的な内容もコストパフォーマンスが高かった。
個人的に名前は完全に忘れてしまったが、村西監督の作品によく出て来た、
常に村西にいびられるだけの、初老の異常に貧相なオッサンが最高で、
明らかに村西より年上なのに学生服着用で中学生役とかやってて爆笑だった。
どう考えても女優より目立ってた「麻摩羅少々」とか異常な男優が多かった。

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その「あさまら」尊師画像

ダイヤモンド映像と言えば、多分90年代の頭くらいだったと思うのだが、
レンタル店に勤める知り合いに連れられてAVの見本市に出掛けた事が有った。
昔は晴海の見本市会場にて毎年各AVメーカーがブースを作って、
業者向けに(多分一般公開はしてなかった筈)見本市を開いていた事が有った。
見本市会場を貸し切る位なのでそれはもう物凄いスケールで行われていて、
何故かV&Rプランニングが安達かおるの葬式と云う形式で展開していたり、
各社専属のAV女優を並べてサインやポラのサービス等を行っていた。
レースのキャンギャル等にも進出していたダイヤモンドも女優を揃えていたが、
知人は何故か村西に色紙を頼み、村西と一緒にポラに収まっていた。
今でも知人の家には出所後で丸刈りの村西と写ったポラと色紙が飾られているが、
あの頃が多分AVの黄金期だったのかなぁ・・・と見る度に思い出す。

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その昔メキシコへ行った時にアダルト関係商品を扱う市場の一角に迷い込んだ。
地理的な関係から言って並べられているビデオは米国産が殆どなのだが、
何処の店でもイリーガルな商品と思しき日本産のAVが必ず並べられていて、
遠い中米の地に於いて、何か遥かな気分に成ったのを思い出す。
何個か前に書いた台湾映画「九月に降る風」にもそう云う描写が有ったが、
台湾や香港の若者の間では日本のAVは共有する思い出の一つにさえ成っている。
そして本書の終盤にも書かれている様に、欧米でも日本のAVの評価は高い。
アニメや漫画等の様に役人が世界に誇る文化と認める訳は無いだろうが、
当局の度重なる弾圧にも屈せずAVは日本を代表する一つのメディアに成っている。
しかし本格的な検証もまだまだだし、余りにも闇に沈んだ事実も多過ぎる。
日本のAVの歴史が新書1冊分に納まる筈は無いと作者も述べている様に、
関係者が健在な内に、是非とも網羅的な研究が成される様に期待したい所だ。

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