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2009.11.28

徳川夢声の小説と漫談これ一冊で

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宮沢賢治や石川啄木が生前殆ど評価されていなかった様に、
現在も書店の棚に並んでいる文学作品が必ずしも当時人気が有ったとは限らない。
と同時に嘗て庶民から愛されていた作家が、現在殆ど読めない状況と云うのも有る。
娯楽性の強い、大衆文学とか中間小説と呼ばれた作品群の中には、
時代との密接性故に愛されそして忘れ去られてきた作品や作家が数多く居る。
それでも探偵小説や推理小説の様にマニアが多いジャンルは発掘も盛んだが、
捕物小説では無い髷物や戦前のユーモア小説等は中々発掘され難い状況だ。
例えば川口松太郎の人情物や源氏鶏太のサラリーマン小説など、
嘗ては当たり前の様に書棚に並んでいた本も今では殆どお目にかかれない。
そう云う点で云えば本稿の主役、徳川夢声も正にその一人であろう。

等ともっともらしい事を書いているが、
特に夢声に付いて詳しいとか思い入れが有るとか云う訳では無い。
夢声が国民的なマルチタレントとして活動していた頃の事は当然知らないし、
個人的に認識したのは戦前・戦後の探偵小説関連の本を読んでいた時に、
作家でも無いのに良く出て来る、ケッタイな名前のおっさんとしてである。
簡単にその素性を紹介すると、無声は映画がまだ「活動写真」と呼ばれていた頃に、
独特の語り口で一世風靡した活弁士として世間にその姿を現わす。
大方の活弁士は映画がトーキー化する事によって失業する事になるが、
夢声はその風貌と才能を活かして、俳優・漫談家として成功する事になり、
それと同時に文才も認められ、小説・随筆・コラムや社会時評など、
様々な文章を様々な媒体に発表し、その方面でも確かな地位を築いて行く。
戦後はラジオドラマなどで人気を集め、後に黎明期のテレビにも出演する様になり、
昭和を代表するマルチタレントとしてその名を刻み込んだ男である。
物凄く昔に観たテレビの中の夢声は、何処か得体の知れない飄々とした老人で、
長らくそのイメージを頭に描きながら夢声の書いた物を読んでいたのだが、
若い頃の夢声は中々にイイ男であり、後にイメージが随分と修正された物だが、
本書を読むにつけ、更に夢声と云う男のイメージがが修正される事と成った。

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「新青年」連載作品「超特愚作苦心譚」の扉

今まで夢声の書いたまとまった物を殆ど読んだ事が無く、
アンソロジー等に採録された短編や芸談などを幾つか読んだに過ぎなかった。
そこで読んでいた物の殆どは、所謂漫談的な語り口で書かれたユーモア小説で、
そう云う点では本書の半分以上はそのイメージを裏切らない作品が揃っている。
恰も落語の速記本の如き、語り口が聞えて来そうな軽妙な話が続くが、
「浦島太郎」「花咲爺」「桃太郎」「猿蟹合戦」「かちかち山」などの、
御伽噺を現代に置き換えた「37年型~」連作が如何にもな感じで愉しめる。
昭和初期の企業タイアップ物の一環として書かれたと云う「河鹿殺人事件」は、
今もその名を残す商品や、既に消え去ってしまった商品名が作中に噴出する、
ナンセンスな珍品具合がアホらしくも有り、興味深くも有る作品だ。
映画のシナリオの如く書かれた簡素な描写が軽快な「錯覚劇筋書・ステッキ」は、
龍膽寺雄辺りのモダン都市文学辺りと通じる物が有り、その部分でも面白い。
五代目古今亭志ん生の有名な自叙伝「なめくじ艦隊」の御題の元ネタだったらしい、
その志ん生師匠の貧乏暮らしをモデルにした「蛞蝓大艦隊」はやはり爆笑だ。
直木賞候補作と言われる「九字を切る」は反戦的な意味も含めた作品だが、
その妙にカラッと突抜けた狂気に語り物的なグロテスクな笑いが加わっていて、
夢野久作の「キチガイ地獄」辺りを髣髴とさせる黒さが有って最高だ。
そして或る意味、夢声の文学的な到達点を示すかの如き内容の一篇が「連鎖反応」。
「ヒロシマ・ユモレスク」と付けられた副題が示す通りに、
原爆投下直後の広島を舞台に煉獄の様に成った街を彷徨う男の話なのだが、
敢て悲劇的な状況を強調せず、主人公の混乱した思考に導かれるまま、
躁的な狂気を伴って展開する話は、それ故に強烈に原爆の無情さが心に迫る。
特に原爆の衝撃で不意に意識の底から立ち昇って来た一つの言葉、
「イグナチオ・ロヨラ」の持つ質感と重みが本作を更に格調高く彩っている。

夢声は霊魂や超常現象に興味が有り、その手の話も多く書いているそうだが、
本書にも「噂の戦慄」「幽霊大歓迎」と云う2本の話が収録されている。
ただ「噂の戦慄」はコントだし、「幽霊大歓迎」も亡き友の懐旧譚であり、
期待する様な怪奇な味わいが殆ど無い所が残念である。
夢声の怪奇譚と言えば、最怖の一篇に「田中河内介」と云う作品がある。
創作ではなく、「新耳袋」の様な所謂「実話怪談」に属する話であるが、
泉鏡花や黒田清輝など各界の著名人が催した怪談を語る会に於いて、
飛び入り参加した男が幕末に惨殺された田中河内介の話をしている最中に怪死し、
その話を聞いて以降、河内介に関する数々の因縁に夢声が遭遇すると云う話だ。
この話が怖ろしいのは夢声がその話を発表した後に、
幾人もの作家がその怪談会の怪事に触れた話を書き連ねて行く様になり、
歴史の闇に葬られていた田中河内介が俄かに闇の中から浮上する様な事態となり、
怪談が更に怪談を産むと云う実話怪談その物な様相を示して来た事にある。
その辺の所は夢声の「田中河内介」「続・田中河内介」の二篇も含めて、
東雅夫氏の編集による素晴らしい「文藝怪談実話」に収録されているので是非!

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さて最後に本書に付属のCDに付いてだが流石に本業だけ有って実に楽しい一枚だ。
BGMや効果音も伴った結構尺も長い「25時」が個人的に中々面白かったが、
「銃後の守り」や「慰問袋」等の言葉が出て来る戦中の「湧き立つ感謝」とか、
その当時の誰か元ネタが居るのだろうか?と云う「大薮先生の話」などは、
時代を感じさせる内用に、それはそれで興味深い物が有った。
しかし活弁口調の夢声の話術はやはり非常に素晴らしい。
こう云う芸能も廃れさせずに後世に伝えて行って欲しいものだわなぁ・・・・

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2009.11.21

甦る伝説・デッドエンド再結成

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内外問わず、バンドの再結成ビジネスが花盛りである。
外国は一段落した感が有るが、日本ではバンドブーム期のバンドの再結成が盛んだ。
何故今再結成が盛んなのか?まあバンド側の事情は様々有るだろからさて置き、
リスナーの観点から云えば「あの曲をあのメンツで観たい・聴きたい」と云う、
懐旧的な意味合いが殆どなのでは無いかと思う。
そこで困るのが、再結成の証的に作られる再結成アルバムと云う奴である。
リスナー側は記憶の中に有るバンドの音の最大公約数的な物を求める訳だが、
バンド側としてはウン十年前の音のまま進化が無いのでは虚しいし、
現在の連中と勝負出来る現役感はどうしたって出して行きたい物であろう。
そこで求められる音と出したい音の折衷が上手く計られていれば問題無いのだが、
現役感を強調する余り、誰も求めていない音に走られると目も当てられない。
勿論求められる再結成後の姿は、そのバンドによって様々に有るだろうが、
中々上手く事が運ばないのが再結成ビジネスの難しい所と言えるだろう。

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で、最近また一つ懐かしいバンドが再結成された。
バンドブーム期以前に日本のメタルシーンで最も異彩を放っていたバンド、
そして流石に再結成は無いだろうと思い込んでいた「デッドエンド」が、である。
何故無さそうだったかと言えば、バンドの終息の仕方が良い感じでは無かった事と、
単純に大塚氏が興味を示さなさそうに思えたと云う個人的な憶測な訳だが、
あっと言う間に再結成ライブも行い、例の如く再結成アルバムが発売された。
さて・・・数字を見た訳では無いから客観的な感想では無いのだが、
この再結成アルバム、何かかなりの勢いで売れている感じである。
発売週の週末に出掛けた都心のメガショップでは売切れている所も有り、
DVDが付いた初回限定版などはかなりの割合で店頭から姿を消していた。
どうしたんだろう、この人気は?御祝儀買いとは明らかに違う感じである。
某・元祖V系バンドが盛んにリスペクトしていると云う話は聞いた事が有るが、
そこまで待望され伝説化していたと云う事なのか?

さて肝心の再結成アルバムの内用な訳だが、これにはちょっと驚かされた。
バンド解散以降の活動は殆どフォローしていないので、
その後の音楽志向がどう云う方向に向いているのかさっぱり解らなかったが、
勝手に想像するに、ラストアルバムの延長線的な方向に有る感じの、
ミステリアスなニューウェーブ経由の音なんかを想像していたのだが、違った。
過去の作品で例えれば「シャンバラ」辺りに戻った様な感じとでも云うか、
何よりもバンド名が醸し出す奇怪なアグレッションが戻って来ているのだ。
とにかく1曲目の冒頭から炸裂する切れ味の鋭いヘヴィなリフに驚く。
いきなりこう来たか?と、初期の頃のファンはニヤリとさせられる訳だが、
何にしろ今作はソリッドなリフに主導されるメタリックな曲が非常に多い。
基本的に最初期の頃から彼らの出す音は曲調の振幅が結構激しかった訳だが、
今作にも初期のヘヴィさが表出した「Devil Sleep」や「Guillotine」、
名曲「Replica」辺りを髣髴させる「神猿」などの禍々しさが際立つ曲、
洗練されたHR的なグルーブを持つ「Dress Burning」「Princess」、
アンビエントな「疑似ビーナス」虚無的にうねる長尺曲「冥合」など、
過去のキャリアを反映した如く様々な曲調のナンバーが並び飽きさせない。
中には「ペールギュント」の中の有名な「山の魔王の宮殿」を引用したかの様な、
如何にも足立氏らしい様式美的なリフを持った曲も有ったりして面白い。
そしてそう云うバラバラの要素をまとめるのが大塚氏の個性的な声な訳だが、
特徴的な毒々しい歌い回しから、クリーンな朗々とした歌唱まで、
時には囁き、時には呻き、実にバラエティにとんだ声を聴かせてくれる。
更に驚きだったのが歌詞に如何にもな毒々しいフレーズが戻っていると云う事だ。
初期のオーセンティックな怪奇小説の世界から、サイバーパンクに移り、
最後はベンヤミン辺りの哲学的な方向へと大塚氏の詩の世界も変化して行ったが、
今作では何にインスパイアされたのか「この世の豚ども焼き尽くせ」とか、
「バラせ」「曝せ」「嬲れ」なんてな言葉が飛び出して実に最高である。
と云う事で、伝説のバンドの新作として聴いた若い方々の感想は如何だろうか?
オールドファン的には久々に理想的な再結成盤だったと思った次第である。

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さて新作と供にインディーズ時代の1枚目もCDで再発された。
デッドエンドの伝説を求めるのなら何はさて置きこっちだろう?とは思うが、
かなり前の事だが一度はCD化もされている訳だし希少感は確かに薄いとは思う。
バンド結成時メンバーの3人が居た前身の「ライアー」は非常にポップなバンドで、
確か地元京都(うろ覚え)のラジオ局でも頻繁にオンエアされていたそうだが、
そこで「あの星になるまで」とか唄っていた姿からこう成るとは想像出来なかった。
当時「Burrn」誌などにもアルバム発売の広告が載っていたりしたのだが、
そういう点で多少醒めた感じで眺めていたのは確かだった。
しかし86年にこの作品が出た時の衝撃の大きさは今でも計り知れない。
炸裂するイントロから出て来る頭の歌詞が「泣き叫ぶ鬼の串刺し」と来たもんだ!
何はともあれ安っすいイラストのジャケからメンバーの出で立ち、
邪悪極まりない大塚氏の歌唱、そして劣悪な音質さえも味となる奇怪な音、
その頃に有ったどのバンドとも違う唯一無二のインパクトだった。
何処の世界でもそうだが、インパクトの有るバンドが一つ出て来ると、
それをパクった様な、と云うか影響の大きい類似バンドが出て来るものだが、
足立氏がプロデュースした「Cry-Max」と云う連中がそれっぽかった程度で、
デッドエンドに関しては独特過ぎてパクり様が無かったと云う感じだろうか。

この後メンバーを入れ替えバンドはメジャーのフィールドに移る訳だが、
個人的にクオリティ云々は抜きにしてやはり初期の独特さは凌駕していないと思う。
思うにその独特さはアルバムの成立状況に由来していて、
一枚目の曲の殆どを手掛けているギターの香川氏が辞めさせられて、
ソロの殆どを足立氏に委ねていると云う畸形な状況がそうさせている感じだ。
香川氏の書く曲は割とストレートでリフ・オリエンテッドなHRなのだが、
何処かスリージーなR&R的明解さが有って陰鬱な曲でも妙に明快な所が有る。
そこに足立氏の伝統的な泣きのソロが加わる所が実に独特な味に成っていた。
メジャーに移っての二枚目「ゴースト・オブ・ロマンス」では、
一枚目のラインを踏襲した曲を書いているが、何処か直線的に聴こえる。
それは揺れの有る田野氏のドラムの替りに、テクニカルでスクウェアな、
カッチリとリズムを刻む湊氏のドラムが加わった事も関係しているだろうが、
やはりソングライターの資質の違いが浮き出た様に感じる訳である。
良い悪いの違いでは無い。単に受ける印象の違いでしかない訳だが、
個人的にはこの作品の、香川氏が曲を書き、足立氏がソロを奏で、
田野氏のグルーブの上に、増本氏のベースが踊り、大塚氏が咆哮する、
その独特な味わいを今でも愛している。

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アナログ盤ブックレットのライブ写真

CDにはアナログに付随していたブックレットの微妙なイラストも掲載されており、
「Replica」の歌詞に関してはわざわざ歌詞を鏡面反転させると云う、
オリジナル・ソノシートの仕様を採用していてニヤリとさせられる。
更に初回限定のDVDにはオールド・ファンなら感涙必至な、
87年1月11日の大阪・毎日ホールでの田野氏在籍時のライブ映像が収録されている。
多分に資料的な意味で撮られた、ワンカメによる荒い画質の映像だが、
最も尖がっていて毒々しかった頃のライブ映像の貴重さにはやはり燃える。
田野氏のドラムの「国生さゆり」のステッカーまでは見えないが、
中規模のステージをアグレッシヴに飛び回る増本氏のクールな出で立ちと、
現在もカリスマ的な威容を放つ大塚氏の怒涛の存在感が際立っている。
当時既に「ゴースト・オブ・ロマンス」収録曲が新曲として演奏されているが、
若干のアレンジの違いやドラムによるグルーヴの違いも楽しめるし、
何より当時のつっぱった大塚氏のMCが今では結構微笑させてくれたりする。
これで未発表の激走ナンバー「Dream Like A Insanity」(だったよね?)とか、
大塚氏が当時私淑していたBAKIちゃん率いるガスタンクのナンバーで、
アンコールに大塚氏がアコギを持って歌っていた「ジェロニモ」とか入ってたら、
そらもう完璧なんだがなぁ・・・・と無い物ねだりをしてみたりする。

ちなみに今回の再結成に合わせてメジャー配給の二枚のアルバム、
「ゴースト・オブ・ロマンス」と「シャンバラ」も仕様を変えて再発された。
「ゴースト・オブ・ロマンス」には発売当時にプロモ・オンリーで出た、
「Grave Of The Shadow」がようやくボートラとして収録されるそうである。
湊氏は不参加ながら再結成ツアーも決定したそうだし、
甦った「伝説」は果たして何処まで行く事やら・・・・

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ソノシート・・・懐かしいなぁ・・・


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2009.11.14

「昭和幻景」に失われた風景を想う

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「真新しい建物が並ぶ街角に、幻のように張りつけられている古びた景色が有る。
遥か異境の絵葉書ではない。我々が住む街の、ごく近隣の風景だ。
年季の入った木造家屋、赤錆びたトタンで覆われた小屋、
表面が剥離し、ひび割れた老朽コンクリートのアパート、
線路沿いや川べりにひっそりと建つ陋屋、闇市の様な飲食街・・・・
あなたの身近にも建っているに違いない景色。そこにある陰影や細部の正体は何か。
それは昭和と云う時代が残した幻だ。街角にへばりついた昭和の景色は、
ゆらめく「幻景」として我々の視線を強くとらえる。」

『本書の冒頭「昭和の聖痕を探し求めて」から一部抜粋』

「アダルトビデオ革命史」でイイ仕事をした藤木TDCのもう一つの顔である、
「失われ行く猥雑な昭和」探訪シリーズの新刊が発売された。
「消え行く記憶の街角」とサブタイトルが付けられた「昭和幻景」と云う本だ。
元々この本は、藤木がブラボー川上と供に戦後の闇市の記憶が濃厚に残る、
東京の廃れかけた街角をクダを巻きながら散策し、その地のイイ雰囲気の店で、
グルメ本などには紹介されない濃厚な食事をいただき、更にクダを巻くと云う、
名著「東京路地裏<懐>食紀行」がその発端に成っている。
「食」関係が中心の企画ゆえ食中心の写真ばかりが使われるのは致し方無い訳だが、
同行するカメラマンのイシワタフミアキ氏はその周辺の写真も多数撮っていて、
その写真の数々を何とか形に出来ない物かとまとめられたのが成り立ちだそうだ。
勿論本書一冊でも充分その世界に浸れる内容になっている訳だが、
「東京路地裏<懐>食紀行」も合わせて読むと更なる深い体験が出来ると思う。
本書と同じミリオン出版からその続編も合わせて刊行中であるが、
「東京路地裏<懐>食紀行」はちくま文庫で文庫化されているので是非。

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それにしても都市での街歩きを趣味にしている人間にとって、
この前見た馴染みの景色が今日には消えている経験は決して珍しい事ではない。
火事や地震などの天災で何時か消え行く事が前提として形成された、
江戸の末裔である東京も、破壊と再構築がその宿命で有る事は解っている。
解ってはいるが自らの原風景が消えて行く喪失感は如何ともしがたく残る。
ただ見慣れている風景だからこそ失われなければ気付かない事も多い。
本書に出て来る風景も通り過ぎている時は何の気なしに観ていた風景だが、
「あ~良く写真に残して置いてくれたなぁ」と思う時が必ず来る。
例えば崩壊寸前の九段下ビル、敗戦後の銀座の記憶を残す三原橋地下街、
神田川沿いの千代田街ビル、横浜の都橋商店街などきっとそう思うだろう。
そして既に無くなってしまった風景を観ると更にその思いを強くする。

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「東京路地裏<懐>食紀行」の中で雑誌連載時の記事とは別に、
「裏路地酒場ものがたり」と題された三箇所の酒場街の探訪記が載っている。
池袋の人生横丁、渋谷の百軒店、そして新宿は彦左小路である。
百軒店は戦前から、人生横丁、彦左小路は戦後の闇市の露店が移り形成された、
どれも由緒正しき東京の悪所であり、時代から取り残された繁華街だ。
まだ細々と営業していた各所の店舗に筆者が出向いて聞いた話が、
各所の歴史と供に綴られていて「~<懐>食紀行」の中でも白眉の面白さなのだが、
勿論、本書「昭和幻景」の中にも3箇所のカラー写真が収められている。
個人的に彦左小路は電車の中から見た程度、百軒店は大昔に幾度か行った程度で、
一番印象に残っているのは池袋の人生横丁と云う事に成る。
「~<懐>食紀行」の文庫版の付記に、廃れる一方かと思いきや新店舗もオープンし、
活気を取り戻しつつあると書かれていたが、昨年に総てが解体され更地に成った。
あの一画は本当に不思議な空間で、サンシャイン通りの賑わいとは別世界で、
一番賑わっている筈の深夜でさえ、何処か秘めやかな妖しい雰囲気が有り、
白々とした白昼と賑わう夜との境目、逢魔ヶ刻の気配にはたまらない物が有った。
背景には高層のサンシャイン60とギラついたネオン広告が輝いているのに、
朽ちそうな日本家屋の2階から何か妖しい物が覗きそうな雰囲気さえする。
あの幻の様な一画が既に無いと云う喪失感はこれから更に大きく成るだろう。

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本書は東京のみならず、神奈川や仙台、名古屋・大阪辺りにも触れているが、
東京だけでなく、地方でもこう云う昭和の風景が絶滅しつつ有る事を教えてくれる。
それは日本だけじゃなく、日本から消えた混沌を求めて出掛けている亜細亜圏でも、
年を経る毎に民衆のパワーが溢れた猥雑な空間が一つまた一つと消えて行き、
何処の都市でも似た様な均質な風景へと変貌していて失望する。
だから地方の記録者は是非失われてゆく風景を写真に残していって欲しい物だ。
特に更にカオティックな関西の昭和な風景の喪失は非常に惜しまれる。

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さてそれに関連してお薦めしたいもう一冊が何を今更な名著だが、
昭和もそろそろ終わる頃に出版された「昭和二十年 東京地図」だ。
あの頃の江戸・東京ブームの象徴的な一冊だが、平嶋彰彦の写真が実に素晴らしい。
勿論、まだ現役だった渋谷・百軒店も池袋の人生横丁の写真も載っている。
と云うか既に小金井の江戸東京たてもの園に移築された建築も有ったりして、
現存している風景の方が少ないと云う様な貴重な写真がテンコ盛りである。
今から二十年以上前の東京な訳だが、その変化の凄まじさには圧倒されるばかりだ。

だから今からでも遅くない、失われる風景の記憶を刻み付けに街へと、さあ・・・

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こちらもちくま文庫に成ってます。

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2009.11.07

テクマクジャンクション「ソクラの憂鬱」

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新人アニソン・デュオ「テクマクジャンクション」が歌うデビュー曲、
アニメ「セナトレックの盾」の主題歌「ソクラの憂鬱」がコレである・・・・

・・・とまあ普通に聞けば「あ~そう。」で終る話な訳だし、
月々色々と生産され続けるアニメの主題歌の一つに騒ぐ事も無い訳である。
ただ・・・アニメの主題歌と言っているし、アニソンデュオと名乗っているし、
このCDも多分アニソンのコーナーに置かれているとは思うのだが、
決定的に違うのは、そんなアニメは全く存在していないと云う事である。
では架空のアニメ番組の主題歌を唄ってデビューしたこいつらは一体何者なのか?

何時から始まったのか全く知らないのだが、
テレ東の土曜深夜に「音楽ば~か」と云う番組が放映されている。
音楽オーディション番組と云う感じで、歌手デビューを目指す崖っ淵な女の子達が、
難くせの様な試練を毎週与えられ、生き残りを掛けて頑張ると云う様な内容を、
さま~ずの大竹と歌手のチャラがカラオケボックス内のスタジオで観覧すると云う、
テレ東の深夜番組らしく怖ろしく金の掛かっていない内容の番組だ。
正直意識して観ていた訳では更々無くて、土曜の0時過ぎと云う時間帯からして、
呑みに行って帰って来た時にテレビを付けると丁度やっていると云う塩梅で、
それ故に、まだらにしか事の経過を観ていない様な番組だったりする訳である。
テクマクジャンクション(以下テクジャンに略)は番組の第三シーズンに於いて、
その前の時期に結成された演歌女性デュオ「美女木ジャンクション」が、
メジャー・レーベルでのデビューが決まった事でその時の企画内容が変更され、
男女のデュオで歌手デビューを目指すと云う企画で始まったデュオである(多分)
で、その間諸々有って(って番組的にはその間の悲喜交々が肝心な訳だが)、
佐々木淳平と坪木菜果と云う二人が勝ち残った訳だが、そこで再び路線変更。
確か昭和歌謡的な物でデビューだった筈が、アニソン方向へと急展開に到るのだ。
そこに駆り出されて来たのがアニソン現人神・水木<兄貴>一郎である!
路線変更に戸惑いを隠せなかった二人が兄貴の熱い御言葉に鼓舞される様に、
アニソンデュオとして覚悟を決めてレコーディングに挑む辺りが中々に熱く、
個人的にもこの辺から意識して番組を観ようと心がけ始めた訳だった。

このアニソンへの企画の変更は多分プロデューサーの秋元康サイドの提案だろうが、
流石は極めつけの商売人!実に時流を読んだ展開だと思わせる物が有る。
市場規模の大きさから考えてもその後の展開を考えても昭和歌謡よりは展望がある。
問題は「秋元康の仕掛け」と云う部分に過剰反応するヲタ層なのだが、
その辺はテクジャンの二人のキャラクターが乗り越えて行けそうな感じもする。
番組がテクジャンに与えた最後の試練が、兄貴の24時間千曲ライブにちなんで、
12時間で五百曲歌うと云う、むちゃぶりにも程がある様なイベントだったのだが、
それがまたラストに相応しい中々感動的な内容に成っていて、
テクジャンの二人の相性の良さ、前向きな真面目さ、歌に対する真剣な思い、
そしてずっと付き合っていたと云う兄貴の、熱い兄尊魂の継承的な部分も含めて、
企画物なれど真摯な姿勢に心を動かされると云う部分が視えて来るのだった。
この姿勢で続けて行く限り、必ず認められる時は来るだろうと思わせる二人なのだ。

さてそのテクジャンのデビューCD「ソクラの憂鬱」なのだが、
バッキングはほぼ打ち込みでソロ部分にギター・ソロを加えると云う、
制作費の少ないアニソンのみならず、昨今のアイドル歌謡にも良く有る、
非常にお手軽で制作費を抑えた厚みが殆ど感じられないバッキングな訳だが、
Aパートから続く男女交互の掛け合いから、コーラスが重なり合うBパートへ、
そしてコーラスのまま雄々しく歌い上げられるサビのメロディが実に決まっている。
特に佐々木君の声は発声のしっかりした非常に太くウォーミングな声で、
昨今多いファルセットを多用したキンキンと高い男性Voと違い非常に力強い声だ。
これはアニソンの様な勇壮で力強い曲を歌うには持って来いの声質であり、
そこに坪木ちゃんのファルセットでは無い女性の高い声が加わると、
実に絶妙なマッチングで企画物とは思えない堂々とした世界観を彩ってくれる。
そう、基本「架空の番組の主題歌」と云う企画がこの曲の始まりな訳だが、
架空の番組の設定と歌い手しか居ない状況で、如何に楽曲をアニソン足らしめるか?
そう云う難題が怪我の功名的に最大公約数的なアニソンを創り上げた感じである。
幾つもの歌の概聴感と供に実に堂々とアニソンとして成立しているから面白い。

ソロの部分ではアニメの一場面的なアフレコの掛け合いが有って笑えるのだが、
当初はテクジャンの二人がアテていたその部分は声優の山寺宏一と、
秋元先生の絡みでAKB48の前田敦子が担当して盛り上げている。
ここに出て来る「ヌーカ砲」なる必殺武器が何故か異常に盛り上っていて、
番組内で「俺の考えたヌーカ砲の図」的なイラスト募集が有ったり、
イベントなどではヌーカ砲の発射と供に客が倒れるヲタ芸も開発されていたりする。

まあ番組を観ていないと中々伝わり辛い部分も有るのは確かな訳だが、
デビュー曲としてはかなりアピールの強い作品に成って居ると思う。
是非ちゃんとした「有る」アニメや特撮番組の主題歌等も担当して、
これからも活躍して行って欲しい物だと願う次第である。
アニソンを歌い続けるなら、活躍の場は何時か世界へと通じているのだし・・・・

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もうちょっと良いアー写は無かったんかなぁ、
本人達はもうちょっとカッコいいし可愛いんだが・・・

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