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2010.01.30

最近買った紙ジャケ其の12

例によって系統だった買い方をしていない紙ジャケがたまって来たので、
「紙ジャケ」として美味しい作品を何枚か選んで紹介しようと思う。

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まずはイギー・ポップ&ストゥージズの二枚と並んで発売された、
デトロイト産の元祖ガレージ・パンク、MC5の問答無用な名作の1枚目から。
今回の紙ジャケ化の目玉はやはり日本盤オリジナルのカヴァー帯だろう。
確か以前ペンタングルの二枚目がこの仕様の紙ジャケで出た様な気がするが、
ジャケ自体を包み込む、帯と云うよりはカバーと云う様な物なのだが、
当時のレコード会社のシリーズである「World New Rock」シリーズの一枚で、
多分このシリーズ共通のサイケな、文字がカットされ表ジャケが覗ける仕組で、
裏に解説・内側に歌詞がプリントされてインナーの役割も果たしている。
本国から送られて来たジャケの上にそのままカバーを包むだけだから、
手間が掛らないと言えば確かにそうな、中々面白いスタイルと言えるだろう。
昔買ったドイツ盤のアナログはシングル・ジャケ化されたチープなものだったが、
初回盤はゲートフォール仕様で、今回の紙ジャケもオリジナル盤通り内側に、
マネージメントを手掛けるジョン・シンクレアのアジテーション文入りで、
レーベル面も初回盤に準じてブラウン、エレクトラの内袋も付いてくる。

Cover02
レココレ誌の特集記事より

さっきも書いた様にMC5に関して元に有ったイメージはパンクの元祖であった。
当時はそんなに珍しい事では無いのだが、彼らは政治活動との係わり合いも深く、
(そもそもマネージャーのシンクレアがホワイト・パンサー党の幹部で、
ハウス・バンド的に集会などで演奏活動を続けていたらしい。)
冒頭のアジテーションと云い、ラディカルな歌詞と云いその印象が強い。
しかし叩き付けて来るパンキッシュな勢いを持った曲ばかりではなく、
実際はもっと図太く、そしてカオティックな混沌に満ちた音をしていて、
そう云う意味で今なら原初的なハードロックと云う方がしっくり来そうだ。
スタイルとしての、では無くハードに暴走化させて行った末のロックとしてだ。

とにかく分類不能の野卑なエネルギーを撒き散らすこのサウンドは凄まじい、
爆音とファルセットの組み合わせが何処か狂気じみて聞える「Rumblin' Rose」。
MCで放った「Mother Fucker!」の叫びでエレクトラとの関係を一気に悪化させ、
再発盤ではその部分を「Brothers&Sisters」に差し替えられた曰く付きの曲にして、
ダムドからレイジ・アゲンスト・ザ・マシーン、果てはギターウルフまで、
心ある爆音バンドが挙ってカバーする名曲中の名曲「Kick Out The Jam」。
燃え盛る反逆の炎はデトロイトでも同様な事をアジる「Motor City Is Burning」。
そして極め付けは、宇宙からやって来たフリー・ジャズ・アーケストラを率いる、
「サン・ラ」の「Starship」をフリーキーな音に乗せ朗読する混沌とした最終曲。
この時代にこのハイエナジーな爆音も凄いが、その〆がサン・ラと云うのは凄い。
これぞ正しく、スタイルでは無くスピリッツ由来のハードなロック!

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お次は紙ジャケ化が遅れがちなジャンルである米国産のB級プログレ群から、
日本でも結構知られた存在であろうパヴロフス・ドックの「禁じられた掟」。
今回のパヴロフスの紙ジャケは90年に出た復活作も含めて4枚出たのだが、
内容としても紙ジャケとしても美味しいのは、何と言っても1作に尽きるだろう。
1stはABCからリリースされた後に表ジャケのトリミングを若干変えて、
CBSからもリリースされると云う複雑な事情を持った作品で、
今回の紙ジャケは、多分ABC盤を元にしたゲートフォール仕様に成っている。
文字通り「パヴロフの犬」を描いたエッチングが飾るジャケットは、
サウンド同様に何処か欧州的な匂いがしてバンドの性質を良く表している感じだ。
バンドのレアな写真入りのブックレットにオリジナルの内袋が付属してくる。

多分大方の日本人と同様に彼らを知ったのは「ノートルダムの鐘」を描いた2ndの、
ビル・ブラッフォードとかアンディ・マッケイ等が参加した「条件反射」からだ。
当然それらビッグ・ネームが参加したと云う意味で作品を手にした訳だが、
何よりもぶっ飛んだのがデビット・サーカンプの独特過ぎるその声に尽きた。
声質的には初期の叫びまくってた頃のRUSHのゲディ・リーにも似ているのだが、
過剰なまでにシアトリカルと云うか必要以上にウエットで震えているのだ。
Voの声質と云うのはかなりそのバンドの好悪の基準に成る要素な訳だが、
サーカンプの声に関しては好きか嫌いかのどっちかしか無い独特さだと言える。
(余談だが初期の太っといHRをやっていた頃の「シアター・ブルック」のVoが
サーカンプを思い出す独特のハイトーンで、ビックリした事を思い出す)
ただVoに驚いた物のサウンド的にはそれ程の衝撃は無かったりしたのだが、
オリジナル・メンバーが揃っている1stこそ名盤と云うのを読んで聴いてみた訳だ。

Cover04

今回も聴き返して思ったのは、この曲順はバンドの意図に拠る物なのだろうか?
と云うのも、何故クラシカルで抒情的なメロディが作品の期待感を煽る、
「序曲」が8曲目でポップな小品の「Julia」がアルバムの頭を飾っているのか?
「序曲」から続く「すべての王の中で」をアルバムの冒頭に持って来て、
泣きの名曲「地下鉄のスーの詩」がB面の頭で、ラストは「エピソード」で〆る。
良い曲だがアルバムの始まりとしては結構地味な「Julia」で始まるよりは、
いち素人の勝手な妄想だが、掴みはかなりオッケー!な感じはするのだが。
まあそれはそうとして、確かに今作はまごう事無き名盤である。
叙情的にすすり泣くヴァイオリンとギター、効果的な鍵盤類とタイトなドラム、
曲に貢献するバンド・アンサンブルに支えられたサーカンプの声が泣きまくる、
バンドとしてのパヴロフスの唯一無二の魅力がこれでもかと詰まっている。
今回ボートラとして75・76年のライブ音源を含む4曲が収録されているのだが、
ライブではかなりハードに演奏される「地下鉄のスーの詩」も驚きだが、
アルバムでは1分半だが10分もの長さに渡って演奏される「序曲」が凄い。
ドラム、フルート、ヴァイオリンのインタープレイが余りにも壮絶で、
「叙情的」でしか語られないバンドのアンサンブルの凄さが味わえる。

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そして最後はお馴染みイタリア・プログレの名盤ジガンティの「犯罪の歌」。
イタリアらしい表がコーティングされた美しいゲートフォール・カバーは、
なんとクランプス・レーベルのオーナー、ジャンニ・サッシに拠るものだ。
この作品はイタリアならではのマフィアをテーマにしたコンセプト作で、
一見長閑に見えるが、実は花を掴んで死んでいる男の不吉な表ジャケ、
多分その関係者らしき肖像とガブリエーレ・ダヌンツィオの詩が綴られた内ジャケ、
原題の「テッラ・イン・ポッカ」は「口に土を詰める」と云う曰く有りげな所など、
テーマ性の徹底から放送禁止の憂き目に会ったある種の問題作でも有る。
今回の紙ジャケにはオリジナルに添付されていた楽譜付きの歌詞リーフレットに、
意味深な言葉が綴られたモノクロのポスターも付いてくる。

ジガンティの「犯罪の歌」と言えば必ず語られるのが初CD化に際しての話だろう。
イタリアの「Vinyl Magic」から最初にこの作品がCD化された時に、
そこに収録されていた音源が何故かオリジナルの音源ではなく、
デモテープを音源にしたアウトテイクに近い音源だった、と云う話である。
今ではそちらの音源も珍しさ故か評価されたりしているのだが、
オリジナルに比べると格段にダイナミズムに欠けた躍動感の無い音源だった。
知り合いの英国プログレ・マニアが評判を聞いてジガンティを聴いてみた所、
緊迫感の無い締まりの無い音で失望した様な事を言っていて、
よくよく話を聞いてみればやはりVinylMagic盤だった、と云う話も有ったりする。
VinylMagicも後にちゃんとした正規音源の「犯罪の歌」をリリースしたのだが、
日本盤のCDも長らく廃盤に成っていて、時にババを掴まされる人も居ただけに、
こうして紙ジャケの決定版がリリースされたと云うのは嬉しい話である。

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ジガンティは元々全員がコーラスも取れるビート・バンドだった訳だが、
フォルムラ・トレとかエキペ84等と同様、イタリアのバンドでは良く有る話だが、
時代の要請か果てまたバンドの意識変革なのか唐突にプログレ化している。
ゲストにアレアやラッテ・エ・ミエーレ、イル・ヴォーロのメンツを迎え、
イタリア最初のロック・オペラとでも云う様な驚きの作品を創りあげた。
今作は11のチャプターに区切られ、LP両面でパート1・2に分けられているが、
基本は一枚で「犯罪の歌」と云う組曲を構成している。
組曲と云うと複雑な器楽演奏が延々と続く様な物を想像するかもしれないが、
ジガンティの場合器楽アンサンブル以外にもヴォーカル・パートが充実していて、
時には語る様に、時には絶妙なハーモニーを聞かせる様に、
歌が物語を先導して行く感じで、テーマの割に感触も左程暗い物ではなく、
それ故プログレ的な大仰さが苦手な向きにも結構薦められる作品である。

そうそう、そう云えば何とあのスペインを代表するシンフォニック・バンド、
ロス・カナリオスの「四季」が来月に紙ジャケでリリースが決まったそうな。
日本初CD化と云う事で今から非常に愉しみである。

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2010.01.23

細江英公 「鎌鼬」

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その異形は 日常を裂いて現われ 瞬時に現れ出でた裂け目を縫い閉じる

そして異形は何食わぬ顔をして日常に居座る それが当然で有るかの様に

日常がするりと 何か座り心地の悪い 奇妙な空間へと変容して行く

走る 怒る のたうつ 弛緩する 笑う 跳ぶ 阿る おどける 

立ち続ける死体か 産まれたての赤子の如く 異形の動きは硬直していた

そして次の日 唐突に始まった あの奇怪な白昼の出来事や 

薄闇に浮かんだ 淫靡なかわたれ刻を思い出した時 始めて気付くのだ

そうだ! あれは 魔 が 忍び込んでいたのだと

これは そんな 「鎌鼬」と云う 魔 の姿を捉えた 奇跡的な一冊なのだ

  
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写真家・細江英公 が舞踏家の故・土方巽と組んだ正しく伝説の名作「鎌鼬」が、
昨年暮れに「普及版」として新たに復刻発売された。
その存在は昔から名高いし、有名なカットは到る所で目にした事は有るのだが、
実際にその「鎌鼬」本体を手に取り、隅々まで鑑賞した事は今まで無かった。
と云うのも、1969年に現代思潮社から出た初版本は発行数が限定1000部。
その後2005年に青幻舎より出版された完全復刻版は限定500部と云う奴で、
豪華な装丁の初版本を見れるのは古本屋の壁くらいと云う状態だった。
と云う訳で、未収録も追加されていると云う普及版は待望の刊行であった。

まあしかし写真集の内容を言葉で語るほど無意味な事は無い訳で、
況してや土方巽の圧倒的な肉体表現の前に語る言葉さえ引っ込む位だが、
当時は普通に存在していたであろう東北の農村風景と素朴な人々が、
ミレニアム越えた現在では、恰も創られた映画のワンシーンの様に見え、
それ自体が「非日常」的な風景に観えてしまう所が実に興味深い。
それは前半に収められた巣鴨はとげぬき地蔵の辺りの写真でも言える。
冒頭の「バカボンのパパ」的なスタイル(これは意図的なのか?)も圧巻だが、
今では少なくなった古典的な辻占い師の後ろで、鬼のポーズを見せる所は、
今や耀かしかった時代として持て囃される高度経済成長期が孕んでいた、
アングラと云う言葉と同質の暗い滾りの様な物が伺い観えて面白い。

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それにしても東北の大地を走り抜ける土方の姿は正しく「風」であり、
田圃に横たわった姿は正しく「土」であり、「花」であり、「空」であり、
農民に迎えられた姿は、正しく異形の「来訪神」でもあり「贄」でもある。
余りに圧倒的だが、その圧倒的な物を収めた細江の技もまた圧倒的過ぎる。

細江は「鎌鼬」での写真展を「とてつもなく悲劇的な喜劇」題し、
「絶対演出による写真展」「解釈も批評も自由です」と謳い上げた。
「鎌鼬」同様に細江の代表作である「薔薇刑」は、「鎌鼬」の土方に対して、
三島由紀夫との濃密なコラボレーションによって創られた傑作な訳だが、
かの三島由紀夫は細江との仕事をこの様に評している。
「~細江氏の作品は魔術といふよりも、機械による咒術の性質を帯びてをり、この文明的な精密機械の極度に反文明的な使用法であり、私がそのレンズの咒術によって連れ去られた世界は、異常で、歪められて、嘲笑的で、グロテスクで、野蛮で、汎性的で、しかも見えない暗渠の中を、抒情の清冽な底流がせせらぎの音を立てて流れてゐるやうな世界なのであった」

然らば細江の咒術により三度召喚されたこの「魔」の姿を逃す事無かれ・・・・

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2010.01.16

「海角七号-君想う、国境の南」公開記念

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昨晩(1月15日)の夜にやっていた「世界を変える日本人」と云う番組で、
「海角七号」以降中華圏で躍進する田中千絵の活躍が取り上げられていた。
彼女のシンデレラ・ストーリーは実にバラエティ向きな題材であり、
これで彼女や「海角七号」に興味を持つ人間も増えたかもしれない。
新作「愛情三十六計」では陳曉東の相手役として大陸制作の映画に出演も果たし、
益々中華圏での女優としての地位を固めつつ有る所が実に頼もしい。
下手に日本のドラマなどに絡まず、中華圏の日本人女優として頑張って欲しい物だ。

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さてそんな田中千絵の名を一躍轟かした台湾映画の名作「海角七号」が、
実に一年半近くも時間を掛けて、昨年末にようやく日本でも公開が始まった。
かなり時間が掛った気がするが、まあ年末年始の美味しい興行時期の公開だし、
東京での単館公開では無く、全国公開と云う事で中々の規模ではなかろうか?
年越しての休日に観に行ったのだが、結構人も入っていた様で、
爆発的ヒットでなくとも、口コミでじわじわと成功して欲しい作品ではある。
映画についての詳しい内容は以前書いた記事を読んで貰うとして、
やはり大スクリーンで炸裂する「無樂不作」の場面には鳥肌起ったし、
そこからの怒涛のライブ~ラストへの流れは非常にグッと来る物が有った。
日本公開以前にかれこれ通しで3回以上観ている作品な訳だが、
やはり字幕付きで観ると細かいニュアンスの発見が実に多かった。
多くは洪議長と取り巻き連中の台湾語での掛け合いの部分なのだが、
(関係無いが水蛙に肩入れする親爺が千原兄弟のせいじにそっくりで笑った。)
阿嘉が中孝介のリハーサルでの歌声を聞いて「力んで歌わなくて良いんだ」、
と呟くシーンは結構重要な場面なのに字幕を読んでようやく再発見した次第だ。
しかし見返す度に愛着が湧くし、構成の巧さにも感心する映画である。
それぞれに様々な想いを抱えた愛すべき登場人物のキャラ起ち具合も良いし、
60年前と現在の恋の顛末をそれぞれ余韻を持って描いている所もやっぱり上手い。

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日本公開に合わせて監督や范逸臣、田中千絵が来日してプロモ活動をしたそうだが、
その他にも映画に関連したイベント的な物が多数用意されていて、
驚いたのが現地でも入手困難だった「馬拉桑」が劇場で売られていたらしい。
らしいと云うのも知ったのが帰宅以降で劇場でもそれらしい物を見なかったからだ。
既に昨年中に売り切ったか?まあ映画を観れば欲しくは成るしなぁ・・・
あのパッケージと酒瓶だけでも欲しいよなぁ・・・・
それからJTBとかHISとかの旅行会社がこの映画のロケ地である恒春地方を巡る、
「海角七号ロケ地ツアー」とかを日本人向けに企画・販売している。
「地球の歩き方」の台湾編・最新刊の巻頭に、海角七号のロケ地巡りの記事を見て、
「おぉこんな所にも!」と驚いたが、とうとう日本人向けのツアーも出始めたか。

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映画の関係商品として一番嬉しかったのがノヴェライズ本の出版である。
昨年現地でメイキング本と電影小説がセット形態で販売していたりしたのだが、
流石に小説は買ってもしょうがないか・・・とメイキング本だけ購入したのだが、
やはりノヴェライズ本はファンなら是非読んでおかなければいけない1冊だろう。
ノヴェライズ本は単純に映画のストーリーを追ったが如き小説ではなく、
映画本編に描かれなかった登場人物の背景を掘り下げた内容に成っている。
本編と一番違うのは、映画の中では殆んど触れられる事の無い、
60年前の出されなかった手紙を恒春に送った、亡くなった日本人教師の娘、
「栗原南」が亡き父の語られなかった台湾時代の姿を尋ね歩く部分だろう。
日本人向けに書かれた本では無い筈なのだが、この栗原南の部分を読むと、
引き裂かれる様に台湾を後にした日本人サイドの台湾への思いが綴られていて、
その頃の事情を知らない日本人にも重層的で解り易い作りに成っている。
しかし流石は日本を良く知る台湾人だけに、日本を舞台にした場面で有っても、
変な描写は一つも無く、恰も日本人が書いたかの様な自然な描写が見事だ。
この栗原南の件や登場人物の細かい背景の数々について、
監督の魏徳聖が細かく設定していたのか、作者の藍弋豊の創作なのか解らないが、
映画内での行動や発言と見事に連鎖していて「なるほど!」と思う所が多い。
主役の二人である阿嘉と友子の背景と心模様が細かく描かれているのは当然だが、
日本人に体良く遊ばれ、祖母を裏切った挙句捨てられた明珠の心の渇き、
ベースを始めた学生時代から思う様に行かないセールスに思い悩む馬拉桑の焦燥、
そしていち早く阿嘉と友子の心模様に気付く勞馬の懐の深さも印象的だが、
特に映画でも強面だが実は非常に思いやりの深い所を見せていた洪議長の、
本書に於ける阿嘉への不器用で温かな思いやりには非常に深い物を感じた。
映画同様、節々に挿入される60年前の素直な気持ちを綴った恋文が、
その時の主人公達の心模様を代弁するかの様で、これまた非常に巧みだ。
かと思えば映画で印象的なシーンがさらっと流して有ったりして面白い。
とにかく中々秀逸な一冊ゆえ、映画を観て気に入った向きには是非一読を薦めたい。

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現物はまだ見ていないのだが、映画のサントラも日本で発売されたそうだ。
最高の音楽映画でも有るからこそ、サントラの発売は実に歓迎する所な訳で、
日本盤には中孝介の「それぞれに」がボートラで収録されているそうだ。
海角七号のサントラに関しては前回、映画の記事を書いて以降、
結局堪らなくなって台湾盤を入手してしまった訳だが、
台湾盤はDVDの限量導演版同様に紐の掛った箱型のBOXと云う体裁であった。
中国語に訳された7通の手紙の裏が歌詞カードに成っていると云う凝った物で、
一枚の白紙には楽曲のクレジット、CDが封筒型のケース入りと云う郵便尽くし!
収録曲に関しては言わずもがなな映画を彩る名曲揃いな訳だが、
劇中のライブ音源な「無樂不作」以外にも映画内の台詞が被さっていて面白い。
映画では冒頭の部分が流れるだけの日本語で歌われるファニーな「給女兒」だが、
後半にノイジーなギターが入ってロックっぽく盛り上る所が中々良い感じである。

と、云う訳で何はともあれお近くの劇場で公開の折には是非出掛けて欲しい物だ。
台湾映画の興行成績一位とか日本人俳優がブレイクした作品だとか抜きにして、
ちょっと小難しい日本と台湾の近現代史を背景にしたとか云う部分も抜きにして、
純粋に面白い映画として万人にお薦め出来る映画なだけに・・・・

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2010.01.09

怪談専門誌「幽」第十二号発売

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刊を追う毎に厚みが半端でなくなって来ているお馴染み怪談専門誌「幽」。
昨年末に出た12号も持ち運びに疲れる厚さと重さで実にたまりませぬ。

元々「新耳袋」の様な実話怪談が雑誌の中核を成していた「幽」だったが、
ここに来て怪談文藝と云うか創作系の作品の比重が増して来た様に感じる。
勿論実話系の中核を成す作家の作品は今号でも押並べて健在では有るのだが、
どれも平均点な出来で読んでいて余り印象に残らない作品が続いている。
勿論、実話系と云うのはどうしても飛躍し過ぎた恐怖は鼻白む物が有るし、
設定も似てくる関係上、毎回平均点以上と云うのが難しいのは良く解る。
故に怪談実話コンテストなどで一般から新鮮な実話怪談を募っている訳だが、
人気の実話怪談作のスタイルを踏襲する様な募集作が多く集まっているらしく、
簡単そうに見えて実は難しい実話怪談の先行きを暗示している様である。

さて比重が逆転していると言えば、今まで「幽」の巻頭特集と言えば、
著名な作家の所縁の地などの文藝系の物が殆どだった訳だが、
今回は何と現代の怪談の語り部・異形の男「稲川淳二」の特集なのである。
己のキャラを実に知悉したスタイルで写る表紙の写真も最高だが、
特集したページの隅に、必ず稲川の顔が覗く不気味なレイアウトも笑う。

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先週の記事も含めて、ここの所3年連続で稲川を新年のネタにしているが、
(・・・つうても3年連続記事の頭をコピペしているだけだがな・・・)
個人的に稲川と言えば昨今言われる所のリアクション芸の偉大な先人である。
ダチョウ始め現在のリアクション芸は切れ芸とのコンボが主流に成っているが、
稲川の場合は迎合系とでも言おうか、大袈裟にリアクションした後に、
「愉しんでいただけましたか?」と卑屈に視聴者に問い掛ける、
あの醒めたサービス精神が独特で、それが怪談を語るスタイルにも現れている。
主にメディアで怪談を語る人は、所謂「見えている」前提で語る人が多く、
そう云う人の熱が篭った語りには個人的に一線引いてしまう所が結構ある。
稲川も基本的に「見えている」前提の語りな訳だが、何処か醒めた印象が有り、
「愉しんでいただけましたか?」的な芸のもてなしを感じる部分が特殊だ。
だから一龍斎貞水などと同様に「芸」として聴いていて楽しいのである。

特集は稲川自身が書き下ろした独特のモノローグが冴える怪談「隣の奥さん」に、
京極夏彦との対談、稲川怪談所縁の地を訪ねる「幽」お馴染みの怪談紀行、
稲川リスペクツな寄稿エッセイに、雀野日名子による稲川怪談小説!
そして稲川怪談の名を一躍高めた、あの伝説の怪談「生き人形」に関する、
東雅夫の「怪談生き人形の衝撃」、その話を漫画化した永久保貴一の漫画と、
正に稲川淳二尽くしだが、やはり「生き人形」の話は格別に興味深い。
平山夢明が云う所の「ゾンビ映画の如く感染原理を持った怪談」の白眉として、
関った関係者をなぎ倒すが如く奇怪な現象に陥れるその話を知ったのは、
多分大方の人と同じく永久保貴一による漫画化によってであった。
この話の恐怖する一要因としてメディアに記録された恐怖と云う部分が有る。
公共の電波に乗った怪奇現象ほど当時の子供をリアルに恐怖させる物は無い。
岡田有希子の幽霊然り、かぐや姫のコンサートテープ然り、
関係者のみの体験では無く衆目に晒された事でその話のリアルさが増す訳である。

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まあ「生き人形」の真相、と云うか実際にはどうだったかと云う話は、
小池壮彦の著作「怪奇事件はなぜ起こるのか」に詳しく記されているが、
実際には思ったほど怪奇な様相は示されていなかったりする。
例えば人形使いの前野博は亡くなっているが、漫画の中では行方不明とされている、
人形制作者の小宮述志は健在で、小池の著作でもインタビューに答えている。
しかし東雅夫の論考の最後でも記されている様に、
怪異が現実を侵犯する呪縛力を持った話は「生き人形」を措いて他に無いのだ。
それは例えば、かの宮崎勤が犯行に使われた車で友人とドライブ中に、
稲川淳二のテープを聴いていた、等と言った関係無い話にまで伝播している。

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実際の少女人形の写真

さて他の作品に眼を移そう。
連載作品では京極夏彦の「冥談」の皮膚感覚的厭らしさが相変わらず素晴らしい。
山白朝子のお馴染み和泉蝋庵シリーズの一本「あるはずのない橋」だが、
面白いけど、この話って「蟲師」の「一夜橋」だよね・・・
安曇潤平の「鹿神旅館」は導入からして一瞬「牧美温泉」を思い出したが、
何か民話か童話の様な構成の話で、殆んど真逆な結末に成っている。
それから「幽」怪談文学賞で短編の大賞を取った「おじゃみ」が面白い。
選考委員の高橋葉介は楳図の「赤んぼ少女」を思い出した、と書いているが、
個人的にはカルト映画「バスケットケース」の兄貴を思い出してしまった。
鬼畜な母親と「おじゃみ」関係が行き過ぎていてギャグすれすれな所が最高だった。

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2010.01.01

酔狂道・寅歳初勝負

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「酔狂道」とは、己との闘いである。
新年早々異常に大上段な論理展開であるが、まあつまりそう云う事な訳である。

酒を喰らってぬくぬくと暖かい部屋で高鼾を掻いている元旦早朝、
何故に随伴者も居ないまま寒風吹き荒ぶ薄暗い街に飛び出さねばいけないのか?
それもこれも総ては「己との闘いに勝つ為」に他ならない。
新年の朝に御来光を拝むと云う習慣をその身に刻んで二十八回目。
かつて小学校の恩師に「継続は力なり」と云う言葉を贈られたが、
一体これがどう云う力に成っているのか全く解らないまま今年もやって来た。

決して大袈裟な前振りを振らなければ本題に移れない訳では無い。
「絶対に押さないでくだいさいよ」と念押しした稲川淳二が、
その舌の根も乾かぬ内に井出らっきょに熱湯風呂に突き落とされた後に、
「喜んでいただけましたか?」と客に確認を求める様な物である。

と、三度昨年の文章のコピペから始めた訳なのだが、
かの矢沢も還暦過ぎて紅白に出る御時世である、続ける事に意義が有るのだ。

しかし今年も寒かった。
まあ豪雪に苦しむ日本海側の方々には「その程度で・・・」と言われるだろうが、
いきなり出鼻を挫かれるかの如き寒風が吹き荒んでいて難儀した。
とは云え今回は珍しいイベントが一つ加わっている。
何と元旦の朝に部分月食が観れると云う非常に珍しい年だったのだ。
太陽暦が採用された明治以降これが史上初と云う実にアニバーサリーな日である。
四時十分頃にふと気付いて外に出てみると鮮やかな月夜空。
そしてよ~く観てみると確かに左下の端がやや欠けているのが肉眼でも見える。
おぉ!これは!!と薄着のままカメラを持って外に出てシャッターを切った。
まあ言われなければ通常の月の満ち欠けと区別が付かない感じでは有るが・・・

Hinode08

さて今年も初日の出は例年の所に出掛けたので、
3年連続同じ場所からの初日の出が新年のブログを飾っている訳である。
今年は河岸を変えようかと考えなくなくも無かったのだが寒さに妥協した。
ここの場所は下町の土手の上と云う事で、富士山が観えるのも都合が良い。
今年は例年に比べて真っ白に雪化粧した霊峰の姿が拝めた。
普段は不信心の極みの様な物だが、神々しい霊峰の姿には自然に手が合わさる。
さて今年はどんな一年に成る事やら・・・・

Hinode09

それでは、みなさま今年もどうか一つよろしくお願いします。

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