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2010.02.27

京都、冬の路地散策

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日本であっても海外であっても、庶民の住む猥雑な空間を垣間見るのは愉しい。
出来れば街の時間が澱の様に積った古くて混沌とした場所なら更に愉しい。
数百年の歴史しかない東京の下町でも充分な味が楽しめるなら、
千年の古都である京都の街なら更に色々と面白い風景が見れるに違いない。
何せ京都には路地や辻子(図子)と言った裏路地がまだ沢山残っている故・・・
そう云う訳で今回は寺院参拝と供に京の裏路地を散策してきた。

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改めて京都の路地に関心が向く様に成ったのは以前NHK-BSで放送された、
「京都 丸竹夷にない路地」と云う番組を見てからだったと思う。
恋人の実家に挨拶に来た京都は修学旅行以来2度目と云う男(甲本雅裕)が、
実家の住所や携帯を家に忘れて来た為に京都の路地を彷徨う事に成る。
と云うドラマ部分を軸に、街中に残る路地や辻子を紹介する映像と、
路地に住む人々に取材したドキュメント部分が織り込まれた番組に成っている。
男の恋人役でもある田畑智子のはんなりとした京都弁のナレーションも心地よく、
町家再生のドキュメントとしても興味深い非常に面白い番組だった。

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下町の長屋にアーティストや芸術家の卵が住むと云うのは東京でも見られるが、
京都の方がより、その街や路地と密着した生活をしている様に感じるし、
また古びた町家と供に有る事が一つの売りに成るのが京都ならではと云う感じだ。
最近は路地に住む若い職人や芸術家たちのささやかだが楽しい暮らしを舞台にした、
麻生みことの『路地恋花』(講談社アフタヌーンKC)等と云う漫画も出ている。
ちなみにこの漫画は、先のNHKの番組でも真っ先に取り上げられていた、
六波羅蜜寺に近い「あじき路地」をモデルにしているらしい。
と云う訳で最初の路地散策は四条と五条の間の祇園近辺を廻ってみた。

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しかし一昨年の紅葉の時期に貴船に行った時もそうだったのだが、
今回も街歩きには洒落に成らん様な酷い雨風でしかも死ぬほど寒く、
足元が濡れて冷気が募る毎に、裏路地を探索する気力も失せる感じで参った。

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まあ濡れた石畳に軒先の提灯が反射する所等は実に祇園らしい佇まいであろう。
この辺の風景は多分異境の人間が想像する京都の町家の象徴だろうし、
整然とした家並が非常に美しく見事だが、何処かアミューズメント・パーク的だ。
四条の大通りに近い辺りで、雨の中和傘を差した舞子さんの二人連れが居て、
観光客の求めに応じ愛嬌を振りまいてカメラに収まったりしていた。
「雨の中大変だなぁ・・・」等と思って見ていたのだが、実はこの娘達、
何かの催しで舞子の格好をしていた近所の小学生だった、と云う話のオチで、
まあ秋葉原でコスプレ・メイドの写真を撮っている様な物かと・・・・

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祇園の町家の裏側が中々面白い、あの屋根の上の細長い部屋は何なんだろう?
京都にはまだ裸電球が普通に活躍している様で実に嬉しい。

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まあしかし観光客がふらっと出て行って味の有る路地を見付けるのは難しい。
例えば東京の下町で長屋を見付けて歩くのもかなり面倒な事だと思うし、
面積が小さいとは云え、京都でも見て廻るのは大変な事だと思う。
祇園の他に堀川と今出川に挟まれた西陣界隈を巡ってみたのだが、
中々目当ての路地に辿り着けなかったり迷ったりで難儀した。
まあしかし迷った先で思いがけず見付けるイイ味わいの建物も愉しい訳で、
そう云う点では東京の長屋に近い植物の茂った下の一角などは見事だった。

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他にもモルタルの民家の裏に隠れる様に有った現在は車庫に成ったこの建物、
ファサードの感じが実にモダンで、中に明かり取りの広い窓が残ってたりして、
何処か演芸場とかそう云う感じの建物ではなかったのか?と云う感じである。
広さから云って工場だった可能性も有るが実に良い感じの古い遺構だった。

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こちらも現在は廃業している床屋の跡だが、細かいタイル張りの店舗と、
その上と後ろの日本家屋の古びた感じが実にたまらない一軒である。
店舗の中は見えなかったが内装もきっと昔ながらの床屋と云う感じなのだろう。
日本家屋の二階屋に傘付きの裸電球が付いている所も実にシブい感じだ。

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しかしやはり京都ならではと云う感じなのが今も残る老舗の店舗だろうか。
何処にでもある普通の風景の中にこう云う蔵が並ぶ店舗が残っているのは圧巻だ。
味噌を商っている商店の様だが店の佇まいも流石の老舗と云う感じで、
こう云う店が残っていると周囲の空も非常に広く感じられたりする。

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京都の町家と言えば屋根に大概縁起物や守り神の彫刻が飾られていて、
こう云うのは東京辺りでは殆んど観掛けない建築様式なだけに、
それが足を止めて屋根を見上げてしまう街歩きの愉しみの一つに成っている。
ここなどは、土壁に彫刻、裸電球に枯れ蔦と美味しい要素揃いの一軒だった。

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と云う訳で初歩的な京都の路地探索を終えて帰って来てから、
次回の為に京都の路地歩きの本を色々と探してみたのだが、
所謂路地の隠れ家的な店の紹介をしている本ばかりで、
路地の来歴や建物なんかを紹介している本が少ないのが残念だった。
しかし流石は千年の古都、まだまだ京都は奥が深いどすなぁ・・・・

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2010.02.20

侍戦隊、天晴れな終幕。

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さて今年も所謂「戦隊物」が入れ替わる季節に成った。

個人的には戦隊物を観る意識を変えさせた最高峰の「デカレンジャー」とか、
敵側も含めて明るくユルい世界が最高だった昨年の「ゴーオンジャー」同様に、
愛着のある番組が終ってしまう残念さは当然の如く有る訳だが、
同時に一つの大きな物語が美しく終局した清々しさも感じさせる。
そんな不思議な気分を抱かせる「侍戦隊シンケンジャー」の終幕であった。

シンケンと言えば戦隊の中にはっきりと上下関係が描かれている作品だったが、
ドラマの作劇の中でもその関係性が話の根幹を成していて、
常に「殿」が中心に有り、各々が殿に対してどう有るべきなのか、
ひいては前時代的な主従関係とどう折り合いを為すか、と云う話でも有った。
この中心軸が有るからこそ各々のキャラが起ち話しにうねりが出来たと言える。
一年を通じて家臣達の殿との信頼関係と殿自身の変化を描いて来た訳だが、
最終回に向けてそれが最も過酷に試される時がやって来た。

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それにしても玩具展開の縛りが無くなって後、一月に入ってからの展開は、
「怒涛」と云うか「熱い」と云うか、正しく神掛っているが如き展開だった。
「殿=影武者」説と云うのは噂の段階では結構囁かれていて驚きは少なかったが、
それがよもやあの異常な盛り上がりを産むとは考えられなかった。
まずは本来の志葉家当主である「姫」ともう一人のシンケンレッドの登場だろう。
視聴者にとって邪魔者でしかない存在なのだが、この姫の設定が実に上手くて、
当主としての器も技量も容姿も問題無く、理解も思いやりも持つ出来た姫なのだ。
千明が「もっと憎らしいお姫様なら簡単だったけどな」と言う様に、
家臣としての役目を考えても反発する理由が無い筈の存在である。
故に家臣としての忠義を取るか闘って来た仲間との絆を取るかで懊悩する。

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同時に本来の当主の登場で御役御免に成った「殿=影武者」は、
真の自分の空虚さと仲間への贖罪でアイデンティティ・クライシス状態にあり、
そこに「闘いのみが生きる糧であり、剣の交わりこそが真実」と嘯き、
殿に同じ臭いを感じていたと云う、はぐれ外道衆の剣魔・十蔵が闘いへと誘う。
己の空虚さを埋める為に極めた剣技に拠って闘う殿の姿は外道と表裏一体であり、
往年の剣豪小説の如き剣の真髄を問い掛ける描写に中々に深い物がある。
育ての親でもあるジイ・彦馬の諌めも聞かず闘いにのめり込み、
倒しても死なない十蔵は更なる剣の冥府魔道へと殿を誘おうとするが、
その誘惑を押し留めるのは、自らの意思で駆け付けた仲間たちだった。

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元より親友の源太、一途に想うことは、条件付で受け入れた茉子と千明に比べると、
忠義をいつも試されてきたのは、或る種盲信的で真面目な流ノ介だった。
この時も奥座敷で自らの想いと忠義の狭間で懊悩する流ノ介だったが、
そこで背中を押すのが、流ノ介の忠義が最初に試された舵木折神の回にて、
同じ様に忠義の意味を問うて再び黒子に戻った朔太郎と云うのが実にニクい。
「人は犬ではなく仕える人間を自ら選べる筈だ」と流ノ介を諭し、
「後悔無き様に」と朔太郎と並んで頭を垂れる黒子たちの描写が出色である。
そして駆け付けた流ノ介と供に家臣たちが殿に想いを告げる場面は、
ベタでは有るが屈指の名シーンで、もう何度見ても泣けてしまう。
相変わらず頑なな殿の態度に殴り掛かるも、一度は外される千明もらしければ、
生真面目なストレートさでぶつかる流ノ介の熱さも、純真なことはの思いも、
総てを包み込む様な茉子の優しさも、全部がらしくて泣かされる。
主従関係を超えた所で結ばれる仲間同士の絆、そして絆を孕んだ上での主従関係、
一年掛けて描いて来た現代でも通じる君臣の絆がぶれる事無く描き切られた瞬間で、
タイトル曲の歌詞通り「侍とは裏切らない 一度誓った仲間の事」な訳で有り、
脚本・演出・演技・どれも素晴らしく、正しく天晴れとしか言い様が無い。

同様に天晴れな演出は敵側の外道衆の方にも感じられる。
爽やかな若き絆を描いたヒーロー側に対し、外道衆側は正しく「大人の事情」だ。
一応子供番組なのにこんなに複雑な「含み」が有って良いのか?と云う感じだが、
十蔵と薄皮太夫のはぐれ外道の二人は外道に落ちた事情も丁寧に描かれており、
それぞれが殿と茉子に対す事で一層その末路の哀しさを際立たせている。
一切悔悛する事無く己の快感原則のみを全うした十蔵の暗黒さは見事だが、
その結末を快楽の拠って起つ所である自らの「剣」に付けさせた所が秀逸だ。
十蔵の動きを留めさせたのは、裏正に変じられたかつての細君なのか、
それとも命を賭して闘った殿が言う様に、自らに残った一片の人の情なのか、
そして炎に包まれ散華して行く十蔵の叫びは憤怒なのか悔恨なのか・・・
その答は和解した君臣の姿を見届ける様に昇天して行く裏正の姿にも有るだろう。
仏教説話を下敷きにした様な、人の業と救済を描いた深い結末だった。

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それに対し自らの越し方行く末を見定めた薄皮太夫の結末は哀しくも清々しい。
自らの業罪に目を背けながら、しかし人としての執着(三味線)を手放せずに、
人の世も外道の世もはぐれながら、行き場の無い思いにかられる太夫だったが、
自らを危険に晒しても太夫の三味線を修復したドウコクの想いを受けて、
(つまり執着を手放せない太夫を執着ごと受け入れた訳だ)
己の執着を手放し、ドウコクの思いに報いるべく自ら茉子に切られに行く。
そして復活したドウコクと死に行く太夫の場面は余りにも儚く美しい。
総てを受け入れた太夫の清々しさと見守るドウコクの器の大きさ、
太夫の腰を抱き寄せ顔を近づける、その仕草の哀しいまでの妖艶さ、
怪人のスーツ同士で有る事を忘れさせるスーツアクターの珠玉の演技も凄ければ、
演じる声優の情感を滲ませた大人な台詞の一つ一つに唸らされる名場面である。
その後、太夫の形見の人間時代の内掛けを背負ったドウコクが、
わざわざ三途の川にその内掛けを葬った所に、その思いの深さが現れていた。

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その後封印の文字効かず、ドウコクによって深手を負った姫の発案により、
殿を養子にして十九代目を襲名させると云う超法規的措置が取られる訳だが、
こう云う飛躍の多い物事の解決の仕方は実に戦隊的で和む物が有る。
そして最終決戦は素顔での名乗り、そして素顔でのロボ戦へと以降する訳だが、
この素顔での最終戦こそ1年以上演じてきた主演俳優たちの総決算と言えるだろう。
実際撮影のラストカットもこの辺に設定して有るらしく、
役者と現場のテンションが最も高く、そして最も魂がこもる瞬間だろう。
殿と云う有り得ない役柄を見事具現化していた現代の侍その物な松阪桃李。
ある意味彼が居るからこそ諸々の設定が際立って見えた器用な相葉弘樹。
殿や家臣のみならず外道さえも見守る慈母の如き凛とした佇まいだった高梨臨。
成長や熱さそして優しさが一番ストレートに感じられた自由な鈴木勝吾。
はんなりとした可愛らしさの中に意志の強さが見える可憐さ極まる森田涼花。
台詞、動き、行動、総てがトリッキーで圧倒的な存在感を見せてくれた相馬圭祐。
それぞれ名乗りの時の声の張り、身体の切れ、立ち居振る舞い、それらが、
各々のスーツアクターが創り上げた戦士その物で実に素晴らしかった。
そして忘れちゃいけない若い役者たちの中、その独特の重厚さで世界観を彩り、
居るだけで画面の重みが変わる、ジイこと彦馬役の伊吹吾郎、最高でした。

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あ、関係無いのが一人と一台・・・

ラストシーンは結集された家臣たちが再び各々の生活に帰って行く場面だ。
この美しくも静謐なラストの感じは爽やかな余韻が漂う実に良い幕切れである。
いきなり「別れの舞い」を舞い始める流ノ介の唐突さが最高だが、
最後に一声掛けて去って行く他の連中に対し、何も言わずに一礼する流ノ介、
そして何も言わずに肯くだけの殿、そこに底知れぬ絆を感じさせる所が見事だ。
茉子のアドバイスに素直に返事をする殿の晴れ晴れとした表情もいい。
最後のカットが志葉家の門前を掃除する黒子たちの何気ない場面と云うのが、
実に上手くて妙にホロリとさせる所が有った。

さて放送当初から業界筋の話題をさらい、俄かに「殿」ブームを巻き起こし、
電王同様早々に「Continue」誌の巻頭を飾り、関連書籍も多数出版され、
ゴーオンとの競作映画もヒットを飛ばした、今作のヒットの要因は何なのか?
それはもう設定の斬新さとやはり小林靖子の手掛けた脚本の上手さによるだろう。
それと同時に衰退して行く「時代劇」と云うジャンルに新たな可能性を見出し、
特撮と云う様式美の世界との親和性を発見出来た作品だったと言える。
それは刑事ドラマと見事に融和した「デカレン」にも言える事な訳だし、
ハードな探偵物とライダーが融合した同時期放映の「仮面ライダーW」もそうで、
過去の遺産を新しい視点で描いて行く面白さの一つの証と成るだろう。
この日本独特の様式美の世界はリメイクではなくこのまま外国で放送すれば、
かなり斬新な衝撃性が有るとは思うのだが如何だろうか?

その人気に放映後のOVシネの発売も決定したシンケンジャーであるが、
再び侍たちに逢えるのを愉しみに、まずはこれまで・・・・・・

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2010.02.06

香港・馬鹿ライターの系譜(下)

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「本当に後編やるんかい?」と一部で言われていた「香港馬鹿ライター」シリーズ。
ええ、やりますともさ!長きに渡り蒐集して来た馬鹿な逸品がまだ有るし。
と云う訳で前置きの方は「香港馬鹿ライター(上)」を読んで貰うとして、
前置き抜きでサクサクと進めさせて貰いましょう。
前回は銅製と云うかブロンズ風なガスライターを集めてみた訳だが、
今回はそれ以外と云う事で、まずはお馴染みなジッポ型のオイルライターから。

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香港人なら誰でも知っている維他奶(Vitasoy)ブランドのパチ物ライター。
華人は基本的に牛乳より遥かに豆乳の方を常飲している訳なのだが、
香港のコンビニに置いてある豆乳パックと言えば間違い無く維他奶と決まっている。
味の方は豆乳を薄めた様な感じで、あっさりしているがスカスカだとも言える。
香港では無数に有る広東粥屋で毎日搾り立ての豆乳を売ってるし、
スタンドでも新鮮な奴が売っているのだが、何故か維他奶も良く飲まれている。
ガキの頃から飲み慣れたブランドと云う感じで香港人のソウル飲料の一つだろう。
初期の豆乳ブームに乗って日本にも進出した事が有ったらしいのだが、
定着しない内に撤退したそうで、日本でも覚えている人がちらほら居ると聞く。

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維他奶のHPを見てみると最近は若干パッケージ・デザインに変更が有った様だし、
チョコレート味とか小豆味とか様々な味の新商品が出ている様なのだが、
プレーンな豆乳と麦芽が入った薄い「ミロ」の様な味の二種が基本だ。

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維他奶は他にも様々な商品を出しているが、豆乳と並ぶコンビニの主力商品は、
紙パック入りのレモンティーやミルクティーが挙げられる。
新人アイドルを使った爽やかなCMでお馴染みな「陽光」の商品と供に、
コンビニの棚に並ぶ檸檬茶を見ると「あ~香港だな」と云う感じがする商品だ。
戯院に映画を観に行く時はよく買って出掛けたもんである。
只、よく後ろに糊付けされたストローが無かったりするので要注意だ。
ジッポ型は維他奶以外にも「陽光」や「出前一丁」なんかを見た事が有る。
「出前一丁」は日本人的にはアレだが、香港では怖ろしく普及していて、
日本では見た事も無い様々な味の商品がスーパーの棚に並んでいたりするし、
茶餐店では「公仔麺」として普通に出されたりする商品である。
まあ日本人が買っても余り旨味が無いので買わなかったが・・・・

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さてお次は同じ飲料物紙パック繋がりでこれ。
紙パックの再現度とギミックが相当凝っている商品なのだが、
これだけは台湾で買った物で、元ネタの飲料も実はよく解らない。
パック横の成分表まで再現しているが、どうやら果汁入りのお茶の様である。

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後ろに刺さっているストローが着火装置でストローを倒すと火が出る仕組だ。
只、馬鹿ライター使ってての経験上、ここの部分が一番折れそうなのは確実で、
怖いので日常的に使用してはいない。まあ単なるコレクションと云う奴だ。
しかし台湾では香港に比べると馬鹿ライターを見掛ける機会が殆んど無い。
勿論ライターは売っているが実用本位と云うか面白味の無い商品が殆んどだ。
香港の夜店で売られている様な商品は、殆んど深圳辺りで大量に仕入れるそうで、
こう云う馬鹿ライターのルートは大陸経由のみと云う事なんだろうか?

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さて最後は余りの出来の良さにマジで感嘆した素晴らしい逸品群を紹介。
ご覧の様に「毛沢東語録」と題された1冊で背表紙もしっかり記されている。

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「おぉ!これは細かい仕事だ!」と手に取ってみたが着火の仕方が良く解らない。
すると夜市のオヤジが受け取ってサクっと実演して見せてくれた。
何と背表紙をスライドさせると云うギミックによって着火するのである。
しかもその背表紙の裏には毛主席の肖像と署名に「東方紅」の文字が!

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「こりゃスゲエなあ!」と感嘆していたら他の商品も出して来た。
それがまた共産党の党首に対して国民党の党首と云う余りにもベタなセレクト。

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こちらも蒋介石の肖像に揮毫入りで背表紙に「台北中正紀念堂」の文字が。
背表紙を開くと「台北文化打火機」の文字が記されていた。

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そして更なる一冊が「中国古典名著」と題された「三国演義・赤壁大戦」。
「レッド・クリフ」でお馴染みな古典作の典雅な挿絵が表紙に描かれている。

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背表紙を開くとちゃんと本文が記されている辺り非常に芸が細かい。
見掛けた限りだと他に「紅楼夢」なんかも有ったのだが、
余り表紙のデザインが良くなかったので買わなかったのが悔やまれる所だ。

このシリーズ、「毛語録」以外カラー・バリエーションが異常に豊富で、
基本はガスライターなのだが何故かターボライター仕様も有ったりして謎だ。
他に上部にLEDが付いた奴も有ったがどう云う意味なのかは不明。
これは相当気に入ったので実用と保存用に2個づつ買って来たのだが、
やはり「紅楼夢」も欲しくなって次の年に買いに行ったのだが既に無かった。
と云うか馬鹿ライター自体もその年から殆んど見掛けなくなってしまったのだが。
馬鹿ライターと言えば一期一会、その時有った物が総てである。

思えばその年辺りから映画館もどんどんシネコン化が始まって、
朝のお楽しみだった10時半からの廉価早場システムが廃止された頃だった。
かれこれ4年近く香港には出掛けてないが、馬鹿ライターはまだ健在なのだろうか?
久し振りに香港にでも出掛けたいなぁ・・・・

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