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2010.08.28

納涼企画’10

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「暑いですねぇ」と云う挨拶を、この夏何度交したか解らない。
いい加減聴き飽きてる&言い飽きてるとは思うのだが、
8月の終りも近いと云うのに「暑いですなぁ・・・しかし」。

と云う訳で、この暑さに疲弊しているのとネタが夏枯れな関係で、
今年も「納涼企画」と云うお手軽なネタで失礼致しやす。

人間もばったばったと倒れて救急車で運ばれて行くこの猛暑の中、
都市に住む人間以外の生き物も色々と大変だろう事は間違い無い訳で、
ふさふさとした毛皮をまとった連中など洒落に成らん状態だろう事は良く解る。
何の因果か昼日中に街に連れ出された長毛種のワン公連中は、
それはもう42.195キロを完走したランナー並に息も絶え絶えなのだが、
しかしまあそう云う連中は人様と同じ様な屋内の環境で、
熱中症にも優しい冷房と云う文明の利器にお世話に成っている事も多い訳で、
過酷なのは人様の情けを受けずに街中で暮す毛皮族の連中である。

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最近ぬこが路上で溶け掛っている所を良く見かける。
基本ぬこは路上で思う様ふんぞり返っている連中なのだが、
少なくとも普段は人の気配に敏感に反応する位の野生の気概を持っている。
しかしこの猛暑の中のぬこはもう完全に路上で弛緩し切っている感じで、
色々有って泥酔し路上で捨て鉢に成っている親爺の末路の様、と云うか、
「もうどうでもよく成ってどうにでもしてくれ」とでも云う投げ遣りな感じだ。
恰も放って置くとそのままアスファルトに溶けて行ってしまうかの如きである。
近頃はもう昼日中は何処か暗がりにでも隠れてやり過し、
夕方に成ると現れてそこかしこで溶け始める、と云う感じであった。

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先日の昼下がり近所の神社を歩いていたらぬこが居た。
神社の中に有る石碑の上で2匹が溶けかかっている。

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熱がこもるアスファルトではなく冷たい自然石の上で寝ると云うのがナイスだ。
ぬこに熱く焼けたトタンの例えも有るが、連中もちゃんと学習していて感心である。
近付いてみたが全く反応せず太平楽な惰眠を心より貪っている様だ。
しかしこの無防備で気持ち良さそうな寝顔はどうだろう?
試しにぬこを退けてその場に寝転びたく成ったが、まあ止めておいた。

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上で寝ている兄弟が野生の矜持を思い出したのか、ふと眼を覚ましたが、
チラリと見ただけで寝苦しそうに大きく伸びをして再び惰眠に戻って行った。

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暑い・・・
ふと気が付くとぬこに気を取られている間にじっとりと汗をかいていた。
もういい、早く家に帰って冷房に当たろう・・・

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2010.08.21

東映特撮祭り2010

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画像を整理してたら昨年にスキャンした東映特撮祭りの画像が出て来た。
もう一年経ったのか・・・と何気に遠い気持ちに成った訳である。
作品によって行ったり行かなかったりする夏の映画だが、
最近は夏以外にも劇場で観る機会も増えて、余り久し振り感は薄い。
しかし夏の映画は、シネコン以外でしか観れないその他の物とは違い、
公開規模も大きく近所の昔ながらの映画館で観れるのが何よりも嬉しい。
チャリでぷらっと出掛けて、ご近所の家族連れと一緒に映画を観て、
近場の飯屋でパンフを抱えた子供達を見ながら飯を喰うのもオツな物である。
と云う訳で、今回も目玉と成っていた3Dの方では観ていないのであった。

さてまずは今年の戦隊物「ゴセイジャー・エピック・On The ムービー」から。
・・・・からなんだが、特に言う事は無い。
何と云うかドラマ的にも戦闘的もスペシャル感が薄かった、と云う感じで、
駄目だと言う訳では無いが、さりとて印象に残らない感じの作品だった。
多分、大人目線で云えば一番印象に残るのは「西部警察」のパロ部分だろうが、
それとて作品の評価とは全然別次元の物だしなぁ・・・・
そうそうエンディング曲が何と主題歌を歌っている山田信夫率いる、
再結成「MAKE-UP」の曲だったと云うのが個人的にはツボだったかな。

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では本題の(笑)「仮面ライダーW・Forever/A To Z 運命のガイアメモリ」へ。
本編のテレビの方も最終回を目前に怒涛の盛り上がりを見せているが、
劇場版の方も問答無用のクオリティの高さで怖ろしく隙の無い「W」である。
ハードボイルド気取りの人情家で、実は努力と根性の人な翔太郎。
何を考えているのか解らなかったのに、近頃すっかり末っ子キャラなフィリップ。
ボケも突っ込みもこなす変幻自在な存在感がミラクル過ぎる亜樹子。
クールな装いに対して、何事にも振り切り過ぎる暑苦しさが好感触な照井竜。
悪役ながら人生の変転が色々と有り過ぎで何気に憎めない園崎家の皆様。
そして作品構造の重要な要素と成る、我が街「風都」とその住人達と云う、
本編の方で一年掛けて描写され確立しているキャラクターと舞台なだけに、
劇場版でも当然ゆるぎ無く、しかもスケールアップした世界を見せてくれる。

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某誌のインタビューにて、監督の坂本浩一氏がこの映画で目指した物とは、
「アクションとドラマの両立」で、更には敵側を強くカッコ良く描く事、
そして「仮面ライダー映画で客を泣かせる」と云う事だったそうだ。
製作者側の手管にまんまと乗せられると云うのも悔しい話だが、
この映画のポイントを挙げれば殆んどそれに尽きている所が実に見事である。
まずアクションの方だが従来のJAEによるフィジカルなアクションに加え、
坂本氏のチームによるワイヤーアクションが加わり印象も新鮮な感じで、、
特に意識したと云うバイクによるアクションは実に燃える物に成っていた。
「W」は主役のWのみならず2号であるアクセルも含めて、
「仮面ライダー」の名に恥じぬバイク有りきのイメージを創り上げていたが、
劇場版に於けるバイクスタント、中でも騎乗してのアクションが素晴らしい。
見所はバイクごとワイヤーで吊られた状態でのアクロバティックな蹴りの応酬だが、
恰も曲芸の様な香港アクションを見た時の様に心躍る物が有った。
そして風都タワー上でのエターナルとの最終戦に於いて、
基本のCJから矢継ぎ早にフォームチェンジを繰り返し追い詰めて行くのだが、
恰もダンスの様に流麗にメモリの差し替え、フォームの特性に合わせての攻撃、
と云う一連の流れが実に「W」と云うヒーローの集大成らしく痺れる部分である。
変身を無効化された照井が生身でエンジンブレードを持って泥臭い闘いを挑み、
そして変身後、鮮やかにトライアルで止めを刺す一連の流れも熱くて最高だ。

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監督の狙い通りに素晴らしい存在感を示すのが劇場版の敵の組織「NEVER」。
個々のキャラの起ち具合と空気感がこれで終らせるのが勿体無い位である。
「SOPHIA」の松岡充演じるリーダー大道の鮮やかに突き抜けた狂気感、
八代みなせのクールで婀娜な佇まい、中村浩二の如何にもな筋肉馬鹿っぷり、
「ボウケンシルバー」だった出合正幸の無慈悲なまでのスナイパー加減、
そして誰もが挙げるであろう須藤元気の余りにも見事なゲイ達者振り。
メモリを刺す時の腰のくねらし加減、アフレコに於ける自由演技の見事さ、
今後製作者ならばゲイ役でオファーするしかない圧倒的な存在感である。
八代みなせの打点の高い蹴り技など、生身のアクションも個性的だったが、
各々がT2ガイアメモリで変身する「W」の属性と同様のドーパントたちも、
個性的な敵を一気に五体も出してくるスペシャルな感じがたまらない。
特にサイクロン・ドーパントのデザインは中々出色な出来である。
その正体も、まあ登場人物を引き算して行けば自ずと解る所では有るが、
中々サプライズな演出だったのではないかと?
サプライズと言えば翔太郎一人が変身する「ジョーカー」だが、
これに変身出来た理由が実に上手いと云うか、なるほどと思わせる仕掛で感心した。
まあ直前に現れた「スカル」と「ロストドライバー」の存在はちょいと謎だが。

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そして最後の「仮面ライダー映画で客を泣かせる」と云う奴なのだが、
これがもう余りにもど真ん中ストライクな演出に不覚にも泣かされる。
実はその部分に関しては事前にネットの掲示板等で読んで知っており、
「これは泣かされそうだわ」と覚悟して挑んだのだが案の定術中にハメられた。
最終形態であるエクストリームに変身してエターナルに闘いを挑む「W」だが、
26個のT2ガイアメモリ装填によって最強化したエターナルによって、
崩壊した風都タワーの風車と供になす術もなく奈落に叩き込まれる。
しかし、先にも書いた様に「風都」と言う街と供にある仮面ライダーと云う、
一年間掛けて描き続けて来た背景が、この時最大限に発揮されるのである。
最終決戦を見届けていた、鳴海探偵事務所に出入りする風都の仲間たち、
そしてガイアメモリ絡みで翔太郎たちに事件を依頼した依頼人の数々、
その後も街で生活を続けていた懐かしい面々が一斉に「W」に声援を送るのだ、
その正体も解らない「正義の味方」「仮面ライダー」と云う存在に。
その声援を受けた「W」は予想し得ない究極の進化を遂げて再び浮上する、
プリズム色の中央部を黄金色に染め、その背中に風都の風車の羽根を付けて。
なんちゅうお約束!なんちゅうベタな展開!余りにもヒーロー物の王道!
しかし!!だから泣ける、ストレートに泣ける、これで泣かない訳が無い!!
誰かに認められて居る訳でもない「仮面ライダー」と云う名の誇りを胸に、
孤立無援の闘いを続けて来た翔太郎とフィリップと云う二人で一人の探偵、
そしてその両人の覚悟に己の自覚と使命を新たにした照井竜、
そんな街の英雄たちに送られる街の人間の声援こそが最高の力なのである。
あぁ・・・良いなぁ・・・これこそがヒーロー物の醍醐味ぢゃないか!
従来の平成ライダー・シリーズの様な変化球的なヒーロー像も勿論悪くない。
しかし新しいディケイドの始まりに際して、この原点回帰の意味合いは大きい。
「基本に立ち返る」と言うのは容易いが、一年掛けてこの作品で積み上げて、
そしてその集大成と言える物をここに持って来た制作陣の手腕には脱帽する。

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全く持って文句無しのこの作品だが、惜しむらくは例によって尺が短い事。
まあその辺は飽き易いお子様をターゲットにした映画の常な訳だが、
マリアを巡る母子の相克や葛藤が若干描き切れていない様に感じたし、
NEVERのメンバーとの戦闘が、生身・変身後供にもう少し観たかったりした所だ。
まあしかし尺としてのまとまりは良かったし、いずれDC版は当然来るだろう。
さて本編の方も後残り僅かな状態で、本当のクライマックスが近付いている。
視聴者の記憶に深く残りそうなこの作品はさてどんな結末を迎えるのだろう?
かのディケイドの様に「終わり悪ければ総じて悪く成る」と云う事も有るので、
実際に終了してみないと何とも言えないが・・・とにかく期待している。

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       ついに「ふうとくん」の着ぐるみ登場!

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2010.08.14

怪談専門誌「幽」第十三号発売

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最近この季節に成ると編集長の東雅夫氏の顔を見る機会が多くなった。
これも本誌に加え方々で怪談に関しての啓蒙・宣伝を行っている賜物だろう。
「怪談文藝の復興」を掲げて本誌を創刊した当時に比べれば、
書店に並ぶ玉石混交のいかがわしい本の数々を見てもその成果は明白だ。
まあこう云う物は、かつての邦画のプログラム・ピクチャー等と同様に、
無数の石を作り続ける体制が有ってこそ、玉が生まれる可能性も現れる訳だが、
流石に若干こちらが食傷気味に成って来ている感じは拭えない。

と云う訳で、毎度お馴染み日本初の怪談専門誌「幽」の13号目なのだが、
当方の猛暑による疲弊と怪談物に対する食傷気味な感じのせいなのか、
はてまた編集サイドの息切れと玉不足のせいなのか、
個人的にどうにも消化不良な感じがする一冊だった。

その最大の原因は巻頭特集の「女たちの百物語」に尽きる。
しかし文京区界隈の古い旅館で百物語とかって何度目の話なんだか・・・
「女性怪談作家のみを集めた百物語会」と云うのは確かに斬新だろうけど、
単純に斬新なだけでしかないし、どう考えてもそれ以上ではない。
本特集では、そこで語られた百物語総てが掲載されている訳では無いのだが、
致命的なのはそこで語られる話が(個人的に)全く面白くなかった事と、
女性作家のみを集めたと云う企画の意図が余り感じられなかった事だ。
確かに個人の怪奇体験と言っても限度は有るし、
それらがそれぞれ吃驚するほど怖い話だと言うのは無理が有る。
だからこそこう云う企画の時はそれなりのタマを用意して挑んで欲しいと思う。
勿論掲載されていない話の中に後の単行本化の事を見越して、
「これはキてるな!」と云う話が有るのかも知れないが・・・・

ちなみに「怪談実話系3」と云う本誌絡みの書き下ろし文庫が有るのだが、
執筆者がほぼ百物語の演者と被る文庫冒頭の四篇が打って変わって非常に面白い。
これは「幽」の創刊5周年記念イベント後に出掛けた打ち上げを兼ねた慰安旅行で、
同じホテルに泊まった数人の作家達がそこで遭遇した怪奇現象を、
それぞれ当事者・関与者・傍観者の視点で描いた中々に画期的な四篇である。
その怪奇現象の怖さ・・・と云うか内容や真実味はさて置くとして、
関係者が全員物書きで、それぞれが或る事件を同時に作品化すると云うのは、
滅多に無い事だし、正に編集者冥利に尽きるネタでは無いだろうか?
こう云うタマが本誌の特集に成っていれば実に素晴らしかったのだが・・・・

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通常の連載に関してはまあいつも通りの安定感と云う感じで、
今回連載の始まった恒川光太郎の「沖縄怪談」と題された「ニョラ穴」は、
編集長の言う通り、何処か「ヨグ=ソトース」にその雰囲気が似ている、
人の脳を侵食して来る怪物が現れる、クトゥルー神話っぽい話で中々乙だ。
山白朝子の和泉蝋庵シリーズは相変わらずの好みな世界なのだが、
回を増す毎に(個人的に)「蟲師」と類似してくる感じが何とも・・・
京極先生はまたしても新連載なのだがタイトルが例によって「眩談」。
「幽談」「冥談」と来て「眩談」かぁ・・・違いが解らん・・・まあ面白いけど。
新連載と言えば南條竹則の英国の知られざる小さな幽霊譚の翻訳、
「幽的民譚(ゴーストリィ・フォークロア)」が牧歌的で淡々とした感じが良く、
それでいて不条理で残酷な所が如何にもフォークロアで何とも愉快だ。

今号の特集の第二弾である「二百一年目の上田秋成」に付随して、
「平成・雨月物語」と云う、かの名作に因んだ書下ろしが二作載っているのだが、
その一篇、谷一生の「久遠のくちづけ」が結構面白かった。
老いを迎えたオカマの若き日の熱い情念を描いた物哀しくも妖しい話なのだが、
キチンと秋成の「青頭巾」を下敷きに話が組み立てられている所が絶妙だった。
もう一つの小特集「怪談コロシアム」は方々で募集される実話怪談コンテスト等の、
受賞者を集めて実話怪談の創作を競わそうと云う意欲的な新企画であり、
実話怪談と云う括りだけに、飛び抜けて凄いと思わせる作品は無かったが、
山奥の廃墟でマネキン人形が跋扈すると云うイメージが中々に鮮烈だった、
松村進吉の「模倣の行く末」が面白かった。まあ恐いと云う程では無いが・・・

最後に毎回独自の世界を見せてくれる綾辻行人の「深泥丘シリーズ」なのだが、
正直今回はその内容の余りの凄まじさに絶句する様な一篇だった。
ホラー映画の本も出している著者だけにタイトルや本編の事件等を通じて、
読者のミスリードを狙っているのだろうが余りにもあからさま過ぎてるし、
しかもその結末が古典落語と云うか昭和のギャグ漫画のオチ以下の内容で、
呑み会の与太話をそのまま使ってしまったが如き内容には唖然とさせられた。
流石に最後に「~と云う夢を見た・・・」的な方向で御茶を濁しているが、
余りにもこれまでの連作と不条理の方向性が隔絶し過ぎてはいないだろうか?
「単なる洒落」と言われればそれまでだが、洒落にしてもつまらんし・・・
堂々とこれを連作の一本と出してくる作者も凄いが、認める編集サイドも凄い。
と云う訳で今号で一番恐かったのはこの作品で決り、と云う事で・・・

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2010.08.07

宇宙駆けるホークウィンドの紙ジャケ

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フェイセズの紙ジャケの所で既に触れていた訳だが、
お待ちかねだったホークウィンドの初期名作・変形ジャケが遂に発売された。
紙ジャケアイテムも出る所は出尽くし、出ない物は相変わらずな状態のままで、
フォーマットを変えての再発ばかりと、しばらく停滞感が続いていた状態だった。
そこに大物のフェイセズ、そして通好みなホークウィンドと変形物が続き、
久々に紙ジャケ買い魂に火が付いた訳だが、一つ解せないポイントが有る。
今回発売される初期の2枚以外にも実はギミック物が存在する。
通算5枚目のオリジナル作「Warrior On The Edge Of Time-絶体絶命」だ。
こいつは四面見開きのポスタージャケで、ピンクの月の下断崖に佇む騎士の画が、
展開すると騎士の持つ盾に成ると云う凝ったギミック物である。
レーベルも今回発売の5枚と同様のUnitedArtistsなのに何故これが出ないのか?
この作品以降の作品は昨年末にWHDから紙ジャケで大量にリリースされており、
どう考えても今後これが一枚だけリリースされるとは考え難いのだが・・・
まあ何ぞこちらには与り知らない事情が色々と有ったのかもしれないが、
出来ればこの機会を逃してほしくなかった事だけは確かだ。

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では例の如く「紙ジャケの真髄はギミックに有り」と云う信念の元、
今回御紹介するのは2ndの「宇宙の探究」とライブ盤「宇宙の祭典」の二枚。
そうそう3rdの「ドレミファソラシド」もシングル・ジャケながら、
銀色の箔押しが中々にスペーシーな感じの持っていて損の無いジャケに成っている。
それでは2ndの出世作「In Search Of Space-宇宙の探索」から。
本作はジャケ表のエンブレムに沿って稲妻型の切込みが入っていて、
中央の女神の所が挿し込み部分と成り、左右に観音開きする様に成っている。
その下にメンバーのポートレートをあしらった紙が有りそれも前面に展開出来る。
総てを展開するとステージと云うか祭壇の様に成る仕組で、
内側に如何にもヒッピーテイストが匂ってくる当時のライブ写真に、
ダンサーの名前も入ったクルー紹介、アルバムのクレジット、歌詞等が載っている。
そして更なる目玉が「X In Search Of Space」と名付けられたブックレットだ。
これは今作のジャケデザインも手掛け、以降もバンドのアート面に関わる、
バーニー・バブルスがロバート・カルヴァート等と創り上げた凝った冊子である。
宇宙船ホークウィンド号の船長が綴った航海日誌と云う体裁で、
奇妙なトリップの果てに荒廃した地球を発見すると云う如何にもな内容であり、
神秘的な写真を配したサイケデリックな編集が眺めていても楽しく、
細かい文字や写真の印刷も潰れておらずに非常に美しく復刻されている。

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お次は最高傑作の誉れ高い二枚組ライブ盤「Space Ritual-宇宙の祭典」。
冒頭に載せたアルバムカヴァーも含めて6面開きポスタージャケのデザインは、
今回もバーニー・バブルスによるスペーシー極まり無い物に成っていて、
一般に想像されるサイケデリックな表層とはまた違った意味での幻覚的な、
イメージ豊かなインナースペースを表現したデザインが中々素晴らしい。
ジャケも然る事ながら今作も付属品などが非常に充実していて、
歌詞等が載ったリーフレット、日本盤LPに入っていたらしい巨大なポスター、
そしてケルト文様を模した様なインナースリーヴが二枚付属している。
それにしてもLP位の大きさが有るとポスタージャケも折り易くは成るが、
CDサイズまで縮小すると盤の厚さも有ってスムーズに畳むのは結構厄介だ。
しかも今回ポスター等の付属品も多いのにしっかりとした納まり具合は流石で、
印刷技術も含め、この美しいジャケットの仕上がりにはため息が出る。

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全盛期のメンツと存在感が半端無いヌード・ダンサーのステイシア

さて、そろそろその活動歴も40年を数え、今回の紙ジャケ復刻と同時に、
5年ぶりの新作もリリースされたと云うホークウィンドの音楽性について、
一言で語ろうとするのは非常に困難が伴ってくるのは明白だ。
ごく初期はシド・バレットが居た頃のピンク・フロイド辺りの影響が大きい、
エクスペリエンタルなサイケデリック・ロックだった訳だが、
ロバート・カルヴァートの加入やマイケル・ムアコック等との交流を深めて、
次第にコンセプチュアルなSF的世界観を描き出す様になり、
レミーの加入を経てハードにドライヴィングするリズムを手に入れる。
その後プログレ的なシンフォニックさで物語を演出してみたり、
時代に合わせてシンプルなパンク/ニューウェーブ的な方向に行ってみたり、
ムアコックのマッチョな原作を得てメタリックさを強調してみたり、
ハウス/アンビエントな音を試してみたり、急に昔に戻ってみたりと、
現在も只一人残るデイヴ・ブロックさえ居ればホークウィンドと云う塩梅である。

Hawkwind05ただその後のバンドの礎と成り、現在も最高傑作と讃えられるこの時期を例に取れば、シンプルなワン・コードの反復によるグルーヴの増強と相反する様にドライヴィングするリズム隊の絡み、そしてドローン効果の如くヒプノスティックに増幅された電子音の波を切り裂く様に高鳴るフリーキーなサックス、それらが醸し出す「スペース・ロック」と云う名の発明に尽きるだろう。そしてそれはライティングやヌード・ダンサー達が彩るライブの場で最も発揮されると云う事だ。それ故にホークウィンドの過去のライブ音源の発掘は今も盛んに続いているしその数も実に多い。日本に比べて今も欧米に熱烈な信者が多いと云うのも、そのライブを経験しているかいないかの違いに拠る物だと思う。当時、宇宙を志向していたバンドと言えばファンク方面にファンカデリック/パーラメントのP-FUNK勢が居て、ジャズの方面ではサン・ラ&ヒズ・アーケストラなどが居た。それぞれにそれぞれの宇宙的志向やSF的なビジョンが有った訳だが、宇宙的な志向した音楽一つ取ってもそれぞれに異なり、異なった描き方が見れる所が中々に面白い。それぞれに聴き比べてみるのも一興かと。

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