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2010.11.27

酔狂道・紅葉遊山

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毎度の如く紅葉を拝みに、今年は高尾山に行って来た。
高尾山・・・・・どれくらい振りに成るんだろう。

東京で生まれ育った人間にはお手頃なレジャー・スポットである高尾山には、
多分小さい頃に親に連れて行かれて出掛けている筈である、覚えてないが。
それ以降の記憶と成ると、高校の頃通学の電車で深く寝過ごしてしまって、
終点の高尾で目が覚めたんで、ついでに高尾山にまで出向いた事だろうか。
ただ昼飯と煙草代の捻出にも窮していたあの頃に、
わざわざ京王線に乗り換えて高尾山の方まで出掛けたのか?と云う疑問は残る。
その曖昧な記憶はケーブルカーの山麓駅についても晴れぬままだ。

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個人的には非常に早起きして来たのだが、家を出たのが昼前頃と言う事で、
当初からケーブルカーでお手軽に廻る事に決めていた。
とは言えケーブルカーと云う非日常的な乗り物に乗るのも結構心ときめく。

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某ガイドブックにも取り上げられたせいで登山客が異常に増加している昨今、
しかも紅葉の時期と言えば休日などは洒落に成らん人出だろうと思い、
一応平日を狙って来てみた訳だが、やはり凄まじい人出だった。
しかも「ここはとげぬき地蔵商店街か!」と突っ込みを入れたくなるほどに、
爺さん婆さんばっかりだったりするから凄い、山ガールなど何処にも居ない。
昔小学校の遠足などで教員に「横に拡がって歩くなよ~」等と注意されたが、
爺さん婆さん達は殆ど例外無く大して広くない山道を横に拡がって歩いている。
しかも茶屋で売っている長い串に刺さった餅等を喰いながら歩いているのだが、
あんなの喰ってる時にこけたら確実に後頭部の方に突き抜ける様な気がするが。
まあ人間幾つに成っても大して進歩はしないと云う事だろう。

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紅葉に関しては所々に色付いてる木々が有ってハッとさせられる物は有るが、
基本人工の植生ではないので群れ集う感じの華やかさには欠ける。
その点人の手が入った天狗信仰の本拠地・高尾山薬王院は一際紅葉が美しかった。
澄んだ空に様々な赤系の葉が連なり重なり目映いほどの眺めである。
本来はここから山頂に辺り向かうと更に紅葉が綺麗なのだろうが、
とりあえず時間も無いのでここからケーブルカーの駅まで引き返す事に。
しかし高尾山、この山頂一帯に関して云えば感覚的に「山」ではないな。
普通に街でよく見るハイヒールのロングブーツを履いた女を見掛けてそう思う。
ケーブルカーの駅から山頂一帯の道は殆ど舗装されているし、
食い物屋の売店は多いし自販機もそこかしこに有るし便所も多いで至れり尽せりだ。
これだけ整備されていれば殆どアミューズメント・パーク並みだろう。
勿論幾つか有る登山道等ではそれなりの登山も楽しめるんだろうし、
都心から近く、そう云う重層的に楽しめる所が人気の一因と成っている所か?
ちなみに2時半頃にケーブルカーの駅に着いたら、既に長蛇の列が出来ていて、
駅員が「30分待ちで~す」と声を張り上げていた、恐るべし高尾山・・・・

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さてその後に高尾まで出てからJRに乗り換えて立川まで出た。
ついでなんでもう一箇所「国営昭和記念公園」に向かう為である。
その昔、高校時代の友人の結婚式が公園の先のホテルで有り出掛けた事が有る。
行きは確かホテルの送迎車に乗って行ったのだが、帰りは一人で出て来てしまった。
その時は余りの公園の敷地の大きさと、駅から遠く周囲に何も無い心寂しさに、
酔いが醒める中、薄暗がりを一人で歩きながら激しく後悔したのを覚えている。

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事前に紅葉情報を見た時は「見頃終わり」と成っており、
どんな物かと思っていたが、確かに銀杏関係は既に殆ど散っていた。
時刻はそろそろ薄闇が降りてくる黄昏時で、4時半の閉園時間も近く、
これは時期を逸したか!と広いエントランスを歩きながら後悔しかけたが、
「水鳥の池」と名付けられた池に出てみると中々味の有る風景に出会えた。
池の端に生えるススキが色付いた木々と相まって結構良い風情である。

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そのまま池の端を廻って行くと次々と紅葉が現われて非常に良い感じである。
もみじ以外にもドウザンツツジなども赤く色付いていて美しい。
不意に茂みから猫が現われて木々にカメラを構える人間を横目に眺め、
興味無さそうに頭を掻いては立ち去って行った。

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その間しつこい位に繰り返される閉園のアナウンスを聞きながら、
廻れたのは結局池の周囲の三分の一くらいだったろうか。
入り口で貰った地図を見てみれば全体のほんの爪先程度の部分でしかない。
広過ぎる・・・・広過ぎてどうにもならん・・・
さっき来たばかりの道を結婚式の時と同様の徒労感を持って戻る。
入り口の辺りに戻ると広大な広場に沈む夕焼けが割りと綺麗に見えた。

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2010.11.20

「復讐のマチェーテ」

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男には、見るからに敵わんと思わせる顔の男と云うのが居る。
「イケメン」とか女に人気の有りそうな顔、と云うのとはとは違う、
男として、色んな意味で勝てそうに無い、と云う様なイイ顔の事だ。
俳優で言えば、アーネスト・ボーグナインとかクラウス・キンスキーとか、
ハーヴェイ・カイテルとか香港のアンソニー・ウォンとか、
日本で言えば、志賀勝とか石橋蓮司とか成田三樹夫とか小池朝雄とか・・・
そして間違い無く、本作の主役であるダニー・トレホもその一人だ。
顔に力有り過ぎと云うか、修羅場をくぐり抜けた傷だらけの拳の様な顔面で有る。
そんな凶暴極まりない異貌の男ダニー・トレホが一枚看板を背負うのだ。
そう、あの冗談から転がり出た企画「マチェーテ」に於いてである。

この作品の成立状況に付いては有名過ぎるのでご存知の方も多いだろうが、
70年代のエクスプロイテーション映画を現在に蘇らせた企画作品、
「グラインド・ハウス」の中で流されるフェイク映画予告の為に作られた一本で、
公開当初からスピンアウトの話が出ていたが、その後しばらく経過が聞かれず、
立ち消えに成ったのか?と思っていた所にようやくの公開である。
待望の初主演作の公開にダニー・トレホの凶悪な顔面もさぞ緩んだ事だろう。

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ストーリーは正しく「グラインド・ハウス」のフェイク予告の通り・・・
と言いたい所だが本筋はそのままでも随分大幅にブラッシュ・アップされている。
流石にダニー・トレホだけでは金が出ないし、儲からないと踏んだのか、
当初からは予想し得ない恐るべき豪華なキャスティングの作品に成っていた。
強大な力を持つメキシコの麻薬王・トレースにはスティーヴン・セガール、
自らも移民ながら移民局にて不法滞在者を取り締まるサターナにジェシカ・アルバ、
国境を越えてやって来る移民を狩る国境自衛団を率いるヴォンにドン・ジョンソン、
移民を陰から助ける組織を率いる革命の闘士・ルースにミッシェル・ロドリゲス、
そして移民の厳しい取り締まりを公約に掲げる腹黒い政治家役に、
何とかのロバート・デ・ニーロと云う、当初からは想像も付かない豪華さである。
他にも政治家と組んでマチェーテをはめる実業家・ブースにジェフ・フェイヒー、
その娘にリンジー・ローハン、マチェーテの兄で牧師にチーチ・マリン等々、
個人的に殺し屋役でトム・サビーニが出て来るのにもグッと来る所だ。

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当初のフェイク予告では政治家狙撃を依頼されたマチェーテが依頼者にはめられ、
復讐を誓い、神父の兄に助けられながら復讐を遂げると云う話だったが、
本作は前日談として、マチェーテが連邦捜査官としてトレースを追い詰める物の、
逆に妻と娘を殺されて大怪我を負わされ放逐されると云う所から始まり、
そこから移民して来たメキシコ人達のヘヴィな日常をしばし描き続ける。
現在、米国では黒人を抜いて最大のマイノリティに成ったヒスパニック系が、
如何に白人社会に搾取され惨めな地位に喘いでいるか、と云う事は、
日本に住んでいる我々には中々伝わって来ない事である。
フェイク予告の時点でこの作品が模倣したのは70年代に勃発し隆盛を極めた、
白人に媚びず、強くしたたかで白人の女でさえ物にするクールな黒人が活躍する、
所謂ブラックスプロイテーション・ムービーだと云う事は明白な訳で、
現在その当時の黒人と同じ様な地位に有る大多数のヒスパニック系の為に、
ヒスパニックの溜飲が下がる映画を創ろうと思った志は良く解る。
ミッシェル・ロドリゲス演じるルースが組み上げた移民達の繋がりを背景に、
伝説のマチェーテを中心に移民達が団結する部分にはかなり燃える物がある。
そして明らかにブッシュ元大統領を模倣しているデニーロの議員然り、
戯画化された白人の悪党達の滑稽な悪どさも見所では有る。
あのフェイク予告がよくぞまあここまでと感心する事しきりな訳なのだが、
社会背景要素を盛り込み過ぎたせいで、フェイク予告で描こうとしていた所の、
孤立無援の復讐鬼と云う70年代のB級シネマ的要素が希薄に成っていて、
安いけれど煮え滾る様に燃える復讐譚的な要素がかなり減退している。
言ってみれば主役であるマチェーテのキャラクターとしての起ちが足りないのだ。

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(以下、映画のネタばれ有り・注意)
そもそも本来はマチェーテ自身の復讐の物語だった訳なのだが、
最終的にマチェーテは主要な敵役を誰一人殺してなかったりする。
確かに最終決戦に於いてセガールと一騎打ちをして一矢報いる訳だが、
アレって最終的にセガールが自ら切腹して死んでいった訳だし・・・
せめて自らをはめたブースや彼が雇った殺し屋の元締め位は殺して欲しかった。
それから寡黙なマチェーテが移民達に演説をかますと云うのは無理が有るが、
移民達が決起する動機はやはりマチェーテの行動で見せて欲しかった所だ。

ただそう云う当初の「グラインド・ハウス」的な要素を期待しなければ、
久し振りに「男」が心から楽しめるアクション映画なのは間違いない。
とにかくマチェーテは強い、そしてタフで、あの顔にして女にモてる。
彼の行く所、手近な刃物は大概凶器に成り、いたる所で死体の山が築かれ、
戦いに傷付き裏道を彷徨っていると、セクシーな美人が助けに現われる。
出て来る美女達は、いずれも強く情け深くセクシーで肌の露出を拒まない。
余りに天晴れな脱ぎっぷりと、最後の唐突なコスプレがインパクト有り過ぎで、
言われるまで気付かなかったリンジー・ローハンも凄いが、
それなりにアクションもこなし、決起を促す燃える演説シーンも有るのに、
余りに無意味なジェシカ・アルバの脱ぎっぷりには泣けた。
セガールの秘書の東洋系の悪女とか、移民組織に属する病院に居る、
無意味にセクシーな双子の看護婦とかセクシー要員が満載なのが嬉しい。
マチェーテの敵に回るゲスト俳優の連中はどれも皆楽しそうに演じている。
どう見ても正義の味方よりも悪人の方が似合うセガールは勿論だが、
デニーロの過剰なまでに小悪党な議員の、嬉々とした演じっぷりが最高だ。
惜しむらくは武装自警団との最終決戦がかなりスケール小さい所か。
アイパッチ姿のミッシェル・ロドリゲスはカッコいいんだが、
ここでマチェーテの鬼人振りをもっと見せんでどうするんだ?っちゅう・・・
本編終了後に続編のフェイク予告が入るのには笑ったが。

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2010.11.13

五十嵐大介「SARU」圧倒的な結末

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上巻には「6月に刊行」と予告されていたが、予想通り大幅に遅れて、
「書き下ろし」による五十嵐大介の「SARU」下巻が今月に刊行された。
上巻の終わりが風呂敷を拡げまくった壮大な展開だっただけに、
「この話下巻で終わるんかい?」と云う危惧を抱かないでも無かったが、
きちんと話が終結し、正に待った甲斐の有る下巻の登場である。

自らを「斉天大聖・孫悟空」と名乗るモノに憑依された少女・イレーネ、
除靈の為に派遣された後にイレーネの言葉に導かれて「猿」の謎を追う、
バチカンの公式エクソシスト・カンディード神父、
幼少期の記憶が抜け落ちた伝統ダンスの名手、神秘的なブータン僧ナムギャル、
ナムギャルに魅かれて行動を共にする日本人留学生の奈々の4人は、
アフガニスタンの「ウォッチャー」ニルファの言葉に導かれて、
「神の力」を有する「アロンの杖」を納めた「失われた聖櫃」を求め、
生きた屍の兵士に追われながらエチオピア正教の神殿の地中深くを彷徨う。
しかし辿り着いた先に有った「アロンの杖」は既にすり替えられた物であり、
これまでの出来事が予め何者かによって仕組まれていた事を知る。
その頃フランスのアングレームでは魔術による「天羅地網」が破られ、
「アンゴルモアの大王」が凄まじい災厄をもって復活を遂げる。

巨大な低気圧と成った「アンゴルモアの大王」はアングレームの街を蹂躙し、
ロンドン・ニューヨークに破壊をもたらしながら勢力を拡大し進む。
観測機はその渦の中心に巨大な生物の姿を確認しNATOの大西洋艦隊を派遣するが、
瞬く間に艦隊は全滅させられスペインへの再上陸を許してしまう。
地球的規模の破壊をもたらす「それ」はバチカンの報告により「SARU」と称され、
最後の望みとしてアルプス於いて魔術的な迎撃が加えられる事に成る。
歌の魔術で星を動かし隕石を降らせる力を持つロマのビエラ・カリにより、
ツングースカ衝突時と同様に「SARU」に隕石を衝突させその殲滅が図られる。
ビエラ・カリの凄まじい歌声の魔術により降り注いだ隕石は「SARU」に命中する。
が、しかしそれでもその身を進化させた「SARU」を止める事は出来なかった。
成す術も無くパリ近郊に接近する、その姿を現した「SARU」。
地球その物と言えるその姿を前にイレーネ=孫悟空がある提案を口にし、
そしてその提案の為に必要なのがナムギャルの力だとカンディドに告げる。
謎に包まれたナムギャルの正体は?そして人類は「SARU」を封印出来るのか?

とにかく今回も圧倒的な画力による凄まじくオリジナルな世界が展開される。
予想通りに美少女が剣を片手にミニスカで激しい戦闘を繰り広げたり、
エフェクト飛び交う安いアニメっぽい魔術合戦等とは無縁な世界がたまらない。
それにしても本作に於ける魔術描写の素晴らしさにには陶然とさせられる。
地下宮殿の中へ迫り来る生きる屍の兵団に対し行われる、
エチオピア最大の魔法・「唄う井戸(シンギング・ウェル)」。
歌の力で高まった大気の密度が飽和状態に成り、結晶した歌が天使の形を取り、
一斉に生ける屍の兵団に降り注ぎ殲滅するその描写の斬新さ。
蘇ったザビエルが使役するフレスコ画の如き天使の異形な迫力。
そして星を降らせるビエラ・カリの魔術が現出する際の圧倒的なイマジネーション。
地球と言う自然の理の中に有る魔術の独特の描き方に唸らされる事必至だ。
対して圧倒的に異形な存在で近代兵器を物ともしない「SARU」の凄まじさはどうだ!
スペインの防衛線上に殲滅した大西洋艦隊を降らせる描写も凄いが、
姿を見せた「SARU」の無数に分裂し集結する悪夢の様な造型も素晴らしい。
その姿は「猿」の様であり「バロン」の様であり「ハヌマーン」の様であり、
そして「ヨグ=ソトース」の様であり、そのどれにも似ていない。
この手の独特な異形造型センスは、何度も言うが諸星大二郎に通じる所が有る。

この話に於ける「奈々」と云う、ある種「傍観者」的な少女の存在は、
その違和感そのまま最後に話の根幹に繋がって行く訳なのだが、
それでもそこまで必要な存在だったのか?と云う疑問は若干残る。
まあだからと言って最後にいきなり超人的な力に目覚めるとか、
実は「SARU」を封印する鍵だった、と云うベタな展開だと鼻白むが・・・
確かに緊迫しまくりの展開に於いて完全に一般人である彼女の存在は、
緩急を付ける為の良いアクセントとして機能している部分は有るのだが、
最後にザビエルの口から語られる日本の青年の一エピソードと供に、
伊坂幸太郎とコラボしたと云う小説に関わってくる様な存在なのだろうか?
申し訳ないが小説の方は未読なので何とも言えない。

まあ何はともあれ、小説から漫画まで多岐に及ぶ豊穣な日本の伝奇作品の中に、
また一際素晴らしい作品が加わった事は間違い無い。


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「SARU」上巻の記事はこちらへ

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2010.11.06

「なぎら健壱の東京自転車」

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自転車による東京の散策に付いては以前ここにも書いた。
重複に成るがその時の記事を引用させて貰えれば、こうだ。

「昔、閑と体力に任せて東京の主に下町辺りを走り回っていた、自転車で。
何故自転車なのかと云うと、単に金が無く体力が有ったからと云う事だ。
なので昨今の自転車ツーリニスト等とは全く違い、
普通の変速機も付いていないママチャリでだらりだらりと走っていた。」

オーダーメードの高価な自転車が非常に快適だと云うのは当然よく解る。
しかしそう云う自転車に乗り、如何にもサイクリストと言う様な服装をし、
如何にもな感じで街を走ると言う、あの感じが非常に気恥ずかしい訳だ。
勿論そう云うサイクリストを否定する訳では更々無い、個人的な感覚の違いである。
個人的に自転車での街徘徊の面白みは「道に迷う事」に有ったりする。
「都会と云うのは、実は思った以上に入り組んでいる。
特に新興住宅街ではなく、昔から続く古い街並は入り組み方が結構凄い。
そこに住んでいる人間でも、意外に活動範囲外は知らない事が多い。

道一本隔てて様相がガラリと違うと云うのも都市の面白さだったりする。

何度か幹線道路を走っていると、何時しか気に成る場所や道が出て来る。
街を走っていて気に成る、所謂コクの有る場所は大概裏路地に有るのだ。
裏路地に進路を取ったら、何はともあれ道の向くまま気の向くままに・・・
古い木造家屋が並んでいる辺りを過ぎると不意に良い塩梅の看板建築が現れたり、
忘れ去られた様な古い社に今も明々と灯明が起っていたり、
区画された道とは関係無く蛇行する道に、かつての川筋を連想したり、
調子に乗って足を延ばしていると必ず自分が何処に居るのか見失う。

勿論当時も必ずポケットサイズの東京の地図を持ち歩いてはいたが、
そう云う物に頼るのは相当切羽詰った時で、基本は走りながら道を探す。
この時の、何とも寄る辺無い不安な気分が何とも云えず愉快なのだ。
まあ道に迷ったとは云え、何にしろ明るい都市の只中である。
状況から脱しようと思えば脱け出す手段は幾らでも有る。
例えば単純に「人に道を聞く」とか・・・・
しかし飽くまで自力で解決出来る所にまで辿り着きたいのだ・・・しかも閑だし。

そして何度か失望を味わいながら見知っている場所に辿り着けた時の感覚!
「成るほど!ここに出るのか」と云う様な発見が喜びに変わる瞬間だ。
そこで点から点だった土地が、自分の中で面積へと変わる訳である。
ふと迷い込んだごく有り触れた路地裏に、
まるで時代から忘れ去られた様な祠などを発見する驚きはいつでも新鮮だ。」
と、再び長々と引用したがそんな感じの自転車散策が好きである。

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以前に読んだ、なぎら健壱の「東京酒場漂流記」等を読むと、
著者も同様に、自ら迷う様に知らない道や路地の奥に気の向くまま進路を取り、
見知らぬ居酒屋に一見の客として迷い込む事を愉しんでいる様に見えた。
なので本書もその様なノリを期待していたのだが、ちょっと違った様だ。
まあ本書の中で著者も「道に迷う」愉しさを説いているのだが、
どちらかと言えば本書は設定したお題を的確に走破する事を目的にしている。
勿論途中で寄れる有名な寺社やスポットの紹介なども出ているのだが、
それよりも著者自身の視点による寄り道スポットの方が知りたかった。
まあ多分、著者的に本書は自転車散策の初心者を想定して書かれた本で、
普段の著者はもっと取り留めの無いコースを走っているとは思うのだが、
せめて一本位はそう云う「寄り道」を再現した様なコースも欲しかった所である。

本書には全部で14のコースが出て来るがどれも相当走り甲斐の有るコースだ。
色々と観るべき所の多い盛り沢山なコースにしたかったのは解るが、
正直そこまで足を伸ばさなくとも・・・と云うコースも幾つか有った。
まあそれが著者的に云う「寄り道」な感覚なのかも知れないが、
「初心者向け」と規定すると初心者にはかなり厳しいルートが多い。
それから一番気に成るのが殆どが往路に限定されたコースに成っている所だ。
この本を書く時、著者には自動車による随伴者が付き添っていて、
ゴール地点に付いた時点で自転車ごと回収して貰っている様なのである。
自転車で遠出した時に一番困るのは復路でのモチベーションの低下なのだ。
行きは目的地が有るからそれなりにがんばれるのだが、
そこから同じ距離を帰るのが面倒くさいし、更なる疲労が待っている訳で、
それを計算したコース設定が成されていないのは余り優しいとは言えない。
車に自転車を積んで来る様な人でも車の所まで戻らなければいけない訳で、
その労力を考えると個人的にはお薦め出来ないコースは結構有る。

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本書に載っているコースは切れ切れだったりするが半分ほどは自分も走っている。
添付の地図を観なくとも脳内でコースを再現出来るのは楽しい。
特に東京を流れる三本の川上りコースは色々と発見が多い。
隅田川は上りも下りも何度かやっているお馴染みのコースだったりするが、
後の二本は本書で設定したゴールには行った事がなかったので興味深かった。
石神井川、と云うか音無川に関しては小学生の頃に川上りに挑戦したのだが、
当時は川沿いの道が埼京線の高架下辺りで途切れていて早くも失敗し、
その後川沿いの道が出来た後にリベンジとばかりに再挑戦した。
その時は豊島園の辺りで川の痕跡が解らなくなってしまい、
探すのも面倒だし帰りの事も考えてそこで終了して引き返してしまったのだが、
本書では更に走って都下の武蔵関公園まで行っていたりして頭が下がる。
もう一本の神田川に関しては高田馬場辺りまでは行った事が有ったのだが、
本書では更に更に水源の井の頭公園にまで足を伸ばしていて、
これも帰途の事を考えると、とてもではないが実行出来そうに無い。

そう言えば先日復活した「ブラタモリ」の「築地」回に於いて、
築地本願寺の境内に残る防空壕を紹介していて驚かされたのだが、
本書には著者が幼少の頃に探検と称して防空壕で遊んだ事が書かれており、
何気に著者の面目躍如たる部分を思い知った次第だ。
さすが下町オヤジ!

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