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2010.12.25

Misfitsの墓標を暴け

Misfits08


上記の様な図柄のTシャツを見掛けた事が有る人も多いと思う。
テレビに出て来る、本人的にはエグザイルが好きそうな中堅芸人が、
スタイリストがコーディネイトしたままに、こんなTシャツを着ていたり、
ファッション雑誌の「ロックなコーデ」的な記事のモデルが着用していたり、
ちょっと気を付けて見てみると割と良く見掛ける図柄だと思う。
この図柄は、或るバンドのシンボルマークとして知られているのだが、
そのバンドの名前も、そしてその楽曲もTシャツの図柄ほど知られてはいない。
そのバンドこそが今日の主題の「The MISFITS」である。

Misfits01

個人的に初めてMisfitsの存在と名前を知ったのは、
多分大多数の日本人と同じ様にスラッシュ・メタルの隆盛に因ってである。
余談だが日本のレコード会社は不思議と米国より英国に偏重している傾向が有って、
パンク/ニューウェーブ以降、細かくその時々のシーンが紹介されており、
(確かにその後の情勢を見てみれば英国のシーンに勢いが有ったのは確かだが)
DischargeやG.B.H等の英国ハードコアはかなり同時期に日本盤も出ていた物だが、
同じ時期に勃興していた米国のパンク・シーンに関しては殆どスルー状態で、
日本盤が出ていたのはDead Kennedys位でロクな情報も入って来ていなかった。
勿論当時からパンク・シーンはテープ・トレード等、地下では繋がっており、
日本でもバンドやってる連中はファンジン等でその動きは把握していた様だが、
ネットで世界中のシーンや情報と繋がれる現在とは違って、
音楽雑誌やラジオ等で情報を仕入れていた当時のガキにそこまで知る術は無く、
随分経ってから、リップのミノルやラフィンのマルがレゲエを好んでいた意味や、
リップのアルバムにてVoじゃなくThroatと表記していた意味が解る訳だが・・・
閑話休題。
当時のパンク・シーンとも繋がっていたスラッシュ・メタルのバンドは、
今まで見た事も無い現地のパンク・バンドのTシャツを着用していた。
メタリカやアンスラックスの着ているTシャツを雑誌などで見ながら、
Suicidal TendenciesやD.R.Iとはどんなバンドなのか友人達と話し合った物だ。
その中で最も惹かれたのが余りにもクールなデザインのMisfitsだった。

その頃、自分達と同様の経緯で米国のパンクシーンに注目が集まりだして、
有る程度の数のパンク・レコードが輸入盤屋並ぶ様になり、
或る日、友人がMisfitsのレコードを入手したと云うので聴きに出掛けた。
聴く前に友人に感想を問うと、「もっとゴリゴリのを想像していたんだが」と、
「Legacy Of Brutality」と「Die Die My Darling」をプレイヤーに乗せた。
確かに事前に抱いていたスラッシュの元祖的なゴリゴリのイメージではない、
しかし初期パンク的なエッジの有るポップさに一気に心を鷲掴みにされた。
それがMisfitsとの最初の出会いであった。

Misfits03

Misfitsの歴史を紐解くと、不運なバンドと云う印象が濃厚に漂う。
楽曲のポテンシャル、バンドとしての存在感、そして強固なファン層と、
どれを取ってもオーバーグランドにその名を轟かせ得れたバンドなのに、
浮上のチャンスを何時もモノに出来ず、地下世界の伝説に終始してしまう。
まあその儚さが仄暗い存在感を高め、孤高なカルト的地位を約束している訳だが。
Misfitsはニュージャージーにて77年に結成されている。
オリジナル・メンバーはベースのJerry OnlyとボーカルのGlenn Danzigの二人で、
良く言えばアーティスティック、悪く言えば唯我独尊のGlennと、
定職に就き、バンドを経済的にも体裁的にも支えていた真面目なJerryは、
バンドの両輪であり、この二人の均衡によってバンドは成り立っていた。
或る意味Misfitsの歴史と言うのはJerryとGlennの確執の歴史でも有る。
初期はギターレスの三人編成で従来のMisfitsのイメージとは違う、
ダークなNW風の音でGlennがキーボードも担当していた。
その後、バンドは以降恒例に成るメンバーチェンジを行い新たにギターも加え、
パンキッシュな楽曲にホラー的な要素を打ち出しスタイルの確立を図る。
この時期に後に「Static Age」と名付けられるアルバムを録音しているのだが、
リリース元が見付からずにお蔵入りしてしまったのが最初の不運であった。
その後このセッションから録音されたマテリアルの数々が、
シングルやコンピとして様々な形でリリースされる訳だが、
ガンズやメタリカにカバーされた事からしてその楽曲の出来は知れよう物で、
何故これが当時リリースされなかったのか理解に苦しむ所だ。

その後着実に名を上げていったバンドは暴力的なライブも評判に成り、
Jerry考案の長い前髪を中央で集めて垂らしたデヴィロック・ヘアーを採用し、
古いホラー映画から引用したお馴染みのCrimson Ghostをバンドのマークに使い、
現在も続くファンクラブ「Fiend Club」の運営も始まり英国にツアーに出た。
英国のツアーはDamnedとの競演だったのだがマネージメントの不手際で、
数回で頓挫しその後のClashとのツアーの話も流れてしまう事に、
しかもGlennがスキンヘッズと喧嘩し投獄されたりと散々な目に合う。
英国パンクの大御所とのツアーや当地でのレコード契約の話など、
実現していればバンドの歴史も変わっていただろう、これも不運の一つである。
しかしここでバンドに良い変化が訪れる、Jerryの実弟Doyleの参加である。
デヴィロック・ヘアーで長身マッチョなDoyleの参加により、
最高に画に成るフロントの三人と云うバンドの図式が確立される事に成る。
ビジュアル的にも完成したバンドは東海岸を中心に更なる人気を高め、
満を持して(本来はセカンドだが)フルアルバムをリリースする。
それこそが不屈の名盤にして最高傑作の誉れ高い「Walk Among Us」だ。

Misfits04

未だかつて日本ではリリースされていない、この「Walk Among Us」だが、
米国パンクの、というよりパンクロックの名盤として避けては通れない一枚だ。
とにかく珠玉としか形容出来ない楽曲の素晴らしさに尽きる訳だが、
簡素ながら印象的なリフ、勢いと供にフック満載な曲展開、
そしてB級ホラー映画をモチーフにしたダークでキッチュな世界観、
それらをパンク・バンドとしては圧倒的な歌唱力で歌い上げるGlennの、
ディープにしてワイルドで、カリスマティックなまでに艶やかな歌声、
「Misfits節」とでも言うべき独特の雄々しいコーラス・ワーク、
シンガロング必至のキャッチャー極まりないサビと、
ルックスで聴かず嫌いしている総てのロック・ファンに聴いて貰いたい一枚だ。
所がこの後、時代的な物も伴ってMisfitsの音楽性はガラリと変わる。
ハードコアに影響を受けたGlennが徐々にその手の楽曲を増やし始め、
やがて丸ごと一枚ハードコア的な内容の「Earth A.D/Wolf's Blood」をリリース。
突進する2ビートに重く冷ややかなリフ、そして血生臭さが増した世界観、
これはこれで独特の物が有り、ヴァイオレントな音を評価する向きも有るが、
Misfitsの美点とでも言うべきキャッチャーなメロディは失われており、
コーラスにその名残が有るだけで、Glennの歌唱の旨味も生かし切れていない。
当時のライブ映像等を観るとメロディアスなかつての名曲群の中に、
ハードコア的な楽曲を織り交ぜる様な構成に成っているのが面白く、
アルバムでもその様に楽曲が混在する如き形にすれば良かったのに・・・
と思うわずにはいられず非常に残念な印象が残る一枚だ。

Misfits06

危うい均衡の元に成り立っていたバンドの崩壊は83年に始まった。
例の如くの人間関係によるメンバーチェンジ、勝手気ままに独走するGlenn、
やる気を喪失したJerryとDoyleの兄弟、バンドは呆気無く解散を宣言する。
その後Glennはすぐさま、更に暗黒度を増した音楽性の「SAMHAIN」を結成し、
2枚のアルバムと1枚の12inを残し、自らの名前を冠した「DANZIG」へと再編、
何とメジャーとのディールを獲得し、オーバーグランドへと浮上して行く。
対してJerryとDoyleは地元でバンドを組んで活動している物の、
かつての情熱は失われ、堅気の仕事が中心と云う様な生活だったらしい。
そんなJerryの魂に火を点けたのは解散後に更に高まった再評価のうねりだった。
Misfitsの再編に乗り出したJerryだがGlennにその申し出を蹴られる。
バンドの権利関係を持つGlennの不参加にJerryは裁判を起こし権利を回復、
そして過去の活動の決算と云う意味で95年にBoxセットの発売を決める。

Misfits07

それが上の棺桶型の箱に4枚のCDとバッジ、ブックレットを収めたBoxだ。
アルバム「Walk Among Us」以外の各種シングル・ライヴ盤も網羅され、
解散以前に発表されていたほぼ総ての音源がここに集結した。
更に驚異的なのが「Sessions」と名付けられた3枚目のディスクで、
各所で録音された未発表のスタジオ・セッションを30曲も収めており、
既発曲より秀逸なアレンジの曲が有ったりと、その内容に驚きを隠せない。
そして最大の目玉が例の78年に録音されるも発売されなかった、
伝説の1stアルバム「Static Age」の完全復刻盤である。
音源に関しては「Legacy Of Brutality」他、各種編集盤にも収録済みだが、
Crimson Ghostが浮き彫りに成った特殊なケースに一枚で納められるのは、
ファンにとっては非常に感慨深い物がある筈だ。
ちなみに「Static Age」は97年に日本でも単独でCDリリースされている。

Misfits05

その後バンドはオーディションの末に獲得した無名の新人をVoに据えて、
再結成の第1弾を、何と大メジャーのゲフィンからリリースする。
楽曲の殆どを手掛け、バンドの声として比類無き存在感だったGlennの不在は、
再結成作への期待を相当に殺いでいたし、有る程度覚悟して挑ませる物だった。
所がだ、仰々しいイントロが終わってタイトル曲が始まった瞬間に、
そんな不安や覚悟は一気に吹き飛んでしまった。
例の「Misfits節」とでも言える雄々しいコーラスが始まった後に、
Aパートは激速のハードコア・ビートを叩き出し、テンポ・チェンジでBパートへ、
そして正にMisfits以外の何物でも無い歌えるキャッチャーなサビへと続く。
これこそハードコア一辺倒だった「Earth A.D」の時に感じた不満を解消した、
ハードコアな側面とMisfitsらしいメロディアスの融合ではないか!
Doyleのギターの音は分厚く、ボトムはソリッドで、クリアでしかも重く、
現代的にアップデートされたサウンド・プロダクションが心地良く、
現代のバンドと渡り合えるサウンドを身にまとったMisfitsその物であった。
以降もお馴染みなホラー映画をモチーフとした世界観に、
珠玉のメロディと現代的なアグレッションを併せ持つ楽曲が並ぶ。
新人のMichale Gravesは当然Glennほどの存在感は無いものの、
器用で上手く現在のバンドのサウンドに中々上手くフィットしている。
これはMisfitsも一気にオーバーグランドを駆けの上るか?
と、思わせてやはり上り切れない所がこのバンドらしいと云うか・・・

その後ゲフィンとは一枚で契約が切れ、ロードランナーに移籍し二枚目を出すが、
結局上手く波に乗り切れずにVoとDsが脱退してしまい、
その後JerryがVoを兼任したり、元RamoneのMarkyを加えたりと迷走する。
以降JerryとDoyleがプロレスに参加したり、Glennとよりを戻したりと、
色々有るのだがバンドとしてのMisfitsは中途半端な状態に置かれている。
今後Misfitsと云うバンドがどう云う方向に進んで行くのかは解らないが、
アイコンとしてのMisfitsは相変わらず音楽と関係無い所で人気ではある。
ちなみにMisfitsとしての芸風は現在、日本のBalzacと云うバンドが継いでいる。
最初に出て来た時は余りのMisfits振りに少々鼻白む所も有ったのだが、
本家Misfitsとのツアーやスプリット・シングルも出している位で、
正に本家も認めた継承者として音楽性も拡げ、海外でも活躍している。

あぁ・・・愛すべきMisfits!伝説に埋もれさせるには余りにも惜しい・・・

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2010.12.18

今年の秋の京都散策

同じ旅行好きな人間でも様々なタイプが居ると思うが、
一度出掛ければ大体満足で、常に行った事の無い場所へ出掛けたがるタイプと、
気に入った場所には何度も出掛けたくなるタイプの人間が居る。
間違いなく自分は後者で、気に入った土地ならしゃぶり尽したい人間である。

Kyo11

と云う訳で、冬に続いて再び紅葉の京都に出掛ける事にした。
とは言え紅葉の最盛期の京都に宿を取る事は年々厳しく成っている。
今回も時期的には若干外した所を狙ったのだがそれでも宿を取るのが大変だった。
ただ今年は都心と同様に京都も紅葉の時期がかなり後ろにずれ込んでおり、
名所と言われる場所の紅葉は殆ど終わっている物の、
12月に成っても市内や一部でまだまだ紅葉が愉しめると云う状況だった。
そして何にしろ行っている間の天気が非常に良かった事に尽きる。
出掛けの新幹線では東京を出た時から、稜線も美しい富士山の姿が永く拝めた。

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さて京都に着いてからJRの奈良線に乗り換えて東福寺を目指す。
例によってガキの頃に出掛けている筈なのだが例によって殆ど記憶に無く、
駅前からの観光客の流れに従い、周囲の寺院の紅葉を眺めつつ東福寺に急ぐ。
ネットの紅葉情報にて「散り始め」とされていた東福寺は、
最後の紅葉の週末を楽しもうと云う団体客やカップル等で非常に賑っていた。
東福寺は境内を流れる川に沿って渓谷が有り、
そこに架けられた通天橋と名付けられた橋からの眺めが絶品で、
渓谷に敷き詰められた赤や黄色の落ち葉と供に高低差の有る景観が愉しめる。
こう云う風景を楽しめる所は流石に京都ならでは!と感嘆しきりだ。
ちなみに今回は切符を買う手間を省こうとSuicaに金をチャージして来たのだが、
京阪とかの私鉄でSuicaが使えなかったのが誤算だった。
只でさえ奈良線のちょっと先まで用が有って行ってから京都に帰ろうとしたら、
いきなり人身事故でJRが止まっていて京阪に乗り換えたりしたので尚更である。

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二日目も天気が良く、例によってチャリを借りて市内を散策した。
最初に向かったのは駅近くに有るのに意外に知られていない渉成園と云う庭園。
市内のど真ん中だけにまだまだ紅葉は大丈夫だろうと思ったが正解だった。
周囲から聞こえてくる都市の喧騒をバックに歩く池泉回遊式庭園は何とも乙で、
この時期の寺院に比べて格段に人が少なく紅葉を独り占め出来る所も最高だ。

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さてそこから正面通り沿いに走って、向うはかつての花街・五条楽園の辺り。
鴨川と高瀬川に挟まれる一角で、現在も御茶屋が多数現役で営業しており、
狭い一角に、如何にも一見さんお断りな昔ながらのしっとりとした御茶屋と
独特の飾り窓を持った色っぽい建物が多数点在していて飽きさせない。
とにかくひっそりと静まり返った迷路の様に入り組んだ場所なのだが、
白亜のマンションの隣に歌舞練場が有ったりして路地の奥深さを堪能出来る。

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そこから正面通りを鴨川の対岸に渡り、有名な路地を何本か散策して行き、
有名な寺院を幾つか拝んでから四条通りに出て寺町通りを北上して行った。
途中、下御霊神社や京都御苑の紅葉を愛でながら今出川通りまで遡る。

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それにしても京都に出掛ける前は昼飯に何を食べ様か色々と考えていたのだが、
一人で廻っていると何時の間にか昼飯時を逸してしまう事が多い。
今回も気付いたら既に3時も過ぎていて余りに中途半端な時間に途方にくれた。
で、結局「出町ふたば」で買った名代の豆大福を鴨川デルタで二個喰った位で、
その日の昼飯を済ませてしまったのが実に悔やまれる・・・

さて、つるべ落としの秋の日がそろそろ傾き掛けた頃に糺の森に到着。
下鴨神社は紅葉情報で数少ない「見頃」マークが付いていた所である。
一昨年に来た時は銀杏がまだ散る以前で、紅葉もまだまだだったのだが、
しっとりと奥深い秋色の森に紅が色を差し、夕日に映えて絶妙な美しさだった。
御手洗川のせせらぎに覆いかぶさる様に茂る紅葉も玄妙な眺めだったが、
黄色い落ち葉が敷き詰められた参道に丈高い紅葉が幾重にも重なる眺めが最高で、
恰もシスレーが描いたフォンテンブローの森の様で陶然とする様な光景だった。

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鴨川デルタで川を眺めている時にも気付いていたのだが、
その日の京都の空には何時までも真っ直ぐな飛行機雲がたなびいていて、
帰途夕焼けの空を見上げると何時しか寄り添う様に自然の雲も軌跡を描いていた。
これまた何やら玄妙な風景にしばし足を止めてしばらく空を眺めていた。
そんな今年の秋の京都である・・・・

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2010.12.04

マンダラバンドの紙ジャケシリーズ

Mandara01

長らく入手困難に成っていたマンダラバンドの過去作品が、
この度紙ジャケと成って再発される事に成った、めでたい。
その契機と成ったのが何と31年振りに成る三作目のリリースがきっかけだそうだ。
何やら音楽と同様に壮大な話に成っている訳だが、
その辺は中心人物であるデヴィッド・ロールの思惑一つと云う感じだろうか。

基本バンドと云うのは先に人が集まり曲が作られ演奏される訳だが、
このマンダラバンドに関しては「曼陀羅組曲」を演奏する為に作られたバンドで、
本質的にデヴィッド・ロールのソロ・プロジェクトの様な物である。
本来なら「曼陀羅組曲」一枚で終わる筈だった訳だが
「曼陀羅組曲」が以外に好評だった所から二作目の制作をレーベルから打診され、
バンド名と余り関係が無い内容の二作目が作られたと云う経緯が有る。
ちなみに31年振りの新作はエジプト史をモチーフとした作品だそうで、
更にバンド名との乖離が激しい内容で笑える。

Mandara03

さて例によって紙ジャケとしてのスペックに付いてだが、
マンダラバンドの今回の二作に付いてはマニアを喜ばせる様な仕様は無く、
どちらも普通にシングル・ジャケでギミックが付いている訳でも無い。
一作目はコーティング・ジャケで曼陀羅の発色が美しいのが特筆物だろう。
二作目にはストーリーを掲載したイラスト入りインサートが付いて来る。
インサートには対訳も付いているので聴きながら読み込むのも一興だろう。
余談だがアルカンジェロの今回の紙ジャケは通常の細長い帯ではなく、
後ろ面全体を包み込む様な仕様の帯に成っている所が少し変わっている。

さて一枚目の「曼陀羅組曲」であるが、やはり今聴いても独特の物が有る。
チベット言語によるチベット国歌を引用した壮大なコーラス、
聴いた事の無い不思議な旋律と映画の如く劇的な場面展開、
そして一番驚くのが組曲形式に有り勝ちな難解さとは無縁の妙なポップさだ。
それはプログレ的な、楽器による難解なインタープレイや複雑な曲展開よりも、
最初に「楽曲」が有った事による楽曲重視の姿勢の表れの様な物だろうか、
とにかく非常に親しみやすい曲調が一気にその世界に没入させてくれる。
と云う訳で所謂プログレのビック・ネーム達の長大な楽曲よりも、
バンドの形式的な所からして似ている「The Alan Persons Project」の諸作、
ELOの「Eldorado」そして10ccの「The Original Soundtrack」の、
組曲形式の曲と通じる物が有ると個人的には思っている。

「曼陀羅組曲」と云うのはLPにしてA面全部を占める4部作の事を言う訳だが、
B面に収録された独立した4曲もモチーフは同様に「中国のチベット侵攻」であり、
トータル的に言ってアルバム一枚で「曼陀羅組曲」を成しているとも言える訳で、
A面とB面をそれぞれ「胎蔵界」「金剛界」と云う風に解釈するのも面白いだろう。
組曲の方ばかり語られ勝ちだが、B面の方の「終焉」「パミールの烽火」は、
どちらも構築美に溢れたアップテンポのハードロック・ナンバーで、
ファンキーにリズムを刻んで行くベースラインや、弾き倒すが如きギターソロ等、
幻想的なアルバムのカラーに良いアクセントを添えている。
ちなみに今回の再発に際し両作品ともボーナストラックが加わっている。
1stの方はレーベルに売り込む際、プレゼン用に用意された曼陀羅組曲のデモ音源、
そして「黎明」「パミールの烽火」の別バージョンが収録されている。

Mandara02

さてお次はマンダラバンドの二作目「魔石ウェンダーの伝説」である。
この作品は長い事輸入盤をダビングした物を聞いていたので、
某書籍に書かれていた「トールキンの『指輪物語』をモチーフにした作品」、
と云うコンセプトを信じて疑わず長らく聴いて作品だったのだが、
実際はトールキンの「指輪物語」にインスパイアされたオリジナル作品だそうだ。
デヴィッド・ロールの当初のアイデアでは3部作に及ぶ長大な話だったそうだが、
良くある話で制作費の高騰に恐れをなしたレーベルがそのアイデアを蹴ったらしい。
ストーリーを掲載したインサートには舞台と成る大陸の地図も載っていたりして、
「Blind Guardian」とか「Rhapsody」の様な現代のRPG感覚溢れるメタルバンドが、
好んで描き出す世界の直接的な先祖の様で中々に微笑ましい。
とは言えそれらのバンドが描き出す、バトルに次ぐバトル的な盛り上がりよりも、
淡く繊細な、如何にも英国的な幻想世界の描写がこの作品の見せ場である。

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この作品でバンドは更にプロジェクト的な色彩を強くして行っていて、
有名所で言えば、全員参加の10cc、Barclay James Harvestの三人、
Steeleye Spanの歌姫マディ・プライア、Moody Bluseのジャスティン・ヘイワード、
ジミ・ヘンのエクスペリエンスでお馴染みなノエル・レディングなどなど、
あっと驚くミュージシャンがさり気なく集結していて驚かされる。
グレアム・グールドマンを抜かす10ccの3人がVoも担当していて、マディが王女役、
ジャスティンが王様役とそれぞれキャスティングされたパートを歌っている。
牧歌的なフォークソングからオケがうなりを上げる壮大なシンフォニーと、
様々な色合いのサウンドでファンタジーの世界を構築しているが、
個人的にはフォーキーな「アルマの塔」からマディの神秘的な歌声が、
オーケストラと供に壮大に盛り上がって行く「風の如く」がハイライトである。
ストーリー的にも佳境を迎えるラストに向けての3曲の盛り上がりも捨て難い所だ。
こちらにも別スタジオで録られた3曲がボートラで収録されている。

さてマンダラバンドと言えば一作目と二作目の間にデヴィッド・ロールと、
その他のメンバーの間でバンドの方向性を巡って行き違いが有り、
分裂したバンドの方は「SAD CAFE」を名乗って活動する様になる。
このSad Cafeと言うのがまた面白いバンドで、実態はほぼマンダラバンドなのだが、
出て来るサウンドが所謂モダーン・ポップ的な軽快でひねた感じの音なのだ。
ヒプノシスが手掛けた異常にグロいジャケに見覚えが有る方も居るだろうが、
こちらも今年中に紙ジャケ化が決まっていて実に愉しみである。

Mandara05


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