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2011.01.29

日常と言うケツを蹴り飛ばせ!

Kickass01


ボンクラな元・映画少年の為の映画雑誌「映画秘宝」の最新号は、
この時期のお約束で昨年公開の映画のベストテンが掲載されている。
毎年サブカル臭の強い「男好きのする映画」を選び続けている訳だが、
今年は本誌の精神的な基幹とも言える町山智浩が公開を後押しした、
ボンクラ・ヒーロー映画・「キック・アス」が栄冠に輝いた。

9月の「映画秘宝」主催イベントで公開され、年末に劇場公開が始まり、
劇場に観に行ったのは正月も過ぎた一月も半ばの週末の事だったが、
いきなり「最前列辺りしか空いてませんが宜しいでしょうか?」と聞かれ、
「は?この時期でもそんなに混んでるの?」とえらく驚かされた。
何気に口コミ・その他でその面白さが伝わっている様で、
秘宝のベスト10で栄冠を獲った事で更に注目が高まる事だろう。
ボンクラ男子にはたまらない映画だが、作品としての出来も非常に良いので、
普通にデートとかで観に行くのも可能だろう、但し血が大丈夫な女子に限るが。
話は、所謂アメコミに関するメタ・ヒーロー物と云う括りに成るだろうか?

主人公は学校のイケてる女子の前では空気の様な存在に成れると云う、
世界中のヲタク男子が共通して備えた特殊能力を持つボンクラである。
同様な能力を持つ仲間とシカトされたりカツアゲされたりしながら過ごす日々だが、
一つ違っていたのは彼が現実を受け入れ難く非常にピュアだった事だ。
貧乏で成績も悪いし、身体を鍛える様なガッツも無い彼だが、
或る日何の根拠も無くコミックに出て来る様なヒーローに成る事に決める。
ヲタクの常として形から入る彼は、通販で緑色の全身ジャージとマスクを購入、
鏡の前でポーズを取るのに飽き足らず、その姿で街へ繰り出す様になる。
かつてカツアゲされたチンピラの車上荒しの現場に飛び出して行くが、
当然ボコボコにされてしかもその後車に撥ねられ重症を負う。
普通そこで辞める所な訳だが、持ち前のピュアさがここでも発揮され、
事故で全身にプレートが入れられた事で打たれ強くなり、
今度は2本の特殊警棒を武器に持ち更なるヒーロー活動を続ける事に。
所が街でチンピラ相手にボコボコにされながらしつこく戦い続ける様子が、
携帯動画で撮影され面白映像としてネットにアップされた事により、
彼「キック・アス」の存在が俄かに注目される様になる。

同じ頃、街を牛耳る麻薬組織の取引現場が何者かに襲撃・横領され、
生き残った部下が「ヒーローが現われて・・・」と云う事件が度重なった。
それは鍛えられた身体能力と、選りすぐりの重火器で武装した、
組織に恨みを持つビック・ダディとヒット・ガールの二人組の仕業なのだが、
組織は世間で話題のキック・アスの仕業だと思い込む様に成る。
ふとしたきっかけでビック・ダディとヒット・ガールの現場に居合わせた彼は、
正に本当のヒーローさながらの活躍と、凄惨過ぎる現場に衝撃を受け、
リア充して来た現実とヒーローとしての覚悟に揺れ動く事になる。
そんな時、組織のボスのボンクラ息子がキック・アスを誘き出す為に、
レッド・ミストと名乗るヒーローに成ってキック・アスに接近してくる。
根はボンクラ同士の二人はそれなりに意気投合してくるが、
組織は裏で動くビック・ダディとヒット・ガールの存在を知り罠を仕掛けて来る。
自分のせいで罠にはめられたビック・ダディとヒット・ガール、
そしてボンクラの想像を遥かに超えた「現実の悪」の存在を前に、
彼・キック・アスが見せる男としてヒーローとしての覚悟とは?

この映画の上手い所は、徹底してシニカルでリアルなヲタクの日常と、
極めてコミック的なヒット・ガール達の非日常の織り成し方に有る。
諸々有ってクラスで「実はゲイらしい」と噂されるキック・アスの彼だが、
そのお陰で「ゲイの友人が欲しかった」憧れの彼女と急接近出来たりする傍ら、
明らかにヒーロー以前の弱腰で悪人に対する、殆ど不審者なキック・アス。
対して不審者度は同じだが完全にコミックのヒーロー然としたビック・ダディに、
銃火器で装備しアクロバティックに極めて冷静に悪人を倒すヒット・ガール。
そんなソフトなキック・アスの日常がハード・コアな非日常に侵食され、
一気にシリアスな方向に進む後半の展開が気持ち良い。
狂騒的にポップなMIKAによるテーマソング、その元祖的なSPARKSの使い方、
New York Dollsとか The Dickiesなどのマニアックなバンドの楽曲も良いが、
ヒット・ガールが最後の復讐の為にかちこむシーンで流れる、
モリコーネの「夕陽のガンマン」に泣かされるマニアも多かろう。

Kickass03

馬鹿全開のB級メタ・ヒーロー物としての体裁をまといながらも、
最終的にヲタ男子の男としての成長を描いて、実に良く出来たこの映画な訳だが、
やはりこの映画の成功要因は(多分日本に限らずだと思うが)、
映画秘宝のアンケートを見ても明らかな様にヒット・ガールに有るのは間違い無い。
ニコラス・ケイジ(最高!)演じる、どう考えても狂った復讐鬼の親父に、
ガキの頃から刃物・銃火器・武術の英才教育を仕込まれ、
ジョン・ウーの映画のタイトルとか実生活で役に立たない知識を詰め込まれ、
猛烈に汚い言葉を吐きながら嬉々として悪人達を屠って行くコスプレの美少女。
13歳のクロエ・グレース・モレッツが演じるこのヒット・ガールだが、
こう云う設定の女の子に、何処か妙な概視感を感じないだろうか?
そうこれって青年漫画やラノベや深夜アニメ等で良く聞くが如き設定だろう。
そしてそんな浮世離れた存在によってボンクラ男子が成長して行くと云う図式も、
極めて日本のヲタク・カルチャーに近い物だと言えるのではないかと思う。
キック・アスは世間に知られる様になって後、同級生の美人の彼女が出来る。
リアルに充実してきた生活と彼女の為に、ヒーロー稼業も廃業しようと決意する。
しかし彼は敵陣へ一人で決着を付けに出掛けたヒット・ガールの為に、
リアルな死の恐怖に立ち向かい、男としてのケジメを付ける為駆けつける。
米国映画だけにロリ志向的な部分は微妙に隠蔽されてはいるが、
ベクトル的にはどう考えても彼女よりはヒット・ガールに向いている。
そしてミューズの祝福を受けた瞬間、
つまりヒット・ガールに始めて認めて貰った瞬間に男はヒーローへと変わるのだ。
更に家庭が有り子供も居るような、それでもボンクラでい続ける親爺には、
親父の言う事を聞いて、更には親父のボンクラな趣味にも理解を示し、
しかも親父のコスプレ趣味にも付き合ってくれる(趣味と言うには凄惨だが)、
可愛いい娘の姿に憧憬を抱かぬ訳がないだろう。
ヒット・ガールの存在こそがこの映画の成功の最大の要因なのは確かだ。

と云う訳で、続編の制作も決まっているらしい「キック・アス」。
誰もが思う事はヒット・ガールの更なるキュートな活躍なのは間違い無い。

Kickass04


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2011.01.22

「顔のない女」/「阿房列車三号」

Kao01


最近非常に好調な高橋葉介だがその新作は、久し振りにスピンオフ物ではない、
完全な新キャラによる魅力的な作品を上梓して来た。

「殺し屋」専門の殺し屋としてその世界に君臨する「顔のない女」が、
肉体を持たない「影男」、オペラ歌手でありその声を凶器に使う「シンガー」、
その名の通りな「電気男」と「液体男」の兄弟、若さを吸収する「年盗み」等々、
奇怪な手腕を持つ殺し屋達を冷徹に屠って行く連作である。
最強と呼ばれる彼女の特技とは、相手の技を盗み己の物として使える事だ。
今日も組織の指令の元、奇怪な殺し屋を一人また一人と倒して行くのだが・・・・

掲載誌である「ミステリマガジン」の性質ゆえか、
当初は幻想的なハードボイルド・タッチで始まるこの話なのだが、
段々に高橋葉介らしい、と云うか「夢幻紳士」的な展開に成る所が面白い。
氏の代表作の一つ「クレイジーピエロ」を彷彿させる「キラーピエロ」では、
多重人格者のキラーピエロの殺人者の人格だけを葬ると云う温情を見せたり、
「ハーピー」では親族に付け込まれ遺産を狙われる孤独な少年の為に、
現実に目を覚まさせ闘う勇気を与えると云う庇護者的な役割も果たす。
これらは「幻想編」に於いて夢幻魔実也が見せた守護天使的な部分に共通する物だ。
そして「人形使い」や「モンスター・メイカー」のグロテスクな悪夢的世界は、
作者ならではの夢幻的な奇想に溢れていてファンならニヤリとする所だろう。
ちなみに「モンスター・メイカー」の触手だらけの巨大化した娘が洋上を行く姿は、
何処かクトゥルー神話の一場面を見る様で中々興味深い物が有る。

Kao02

主人公である「顔のない女」は最後まで帽子の下の素顔を表しはしないが、
文字通り顔が無い訳ではなく、実はかわいい顔をしているらしい。
如何にも高橋葉介が描く女性のキャラクターらしく、
顔のない女も、強く婀娜で妖艶ながら優しさを秘めた「いい女」である。
ただ「年盗み」から若さを奪った時などには一時的に幼女に成って、
こまっしゃくれた所を見せるなど中々に侮れ無い所も有る。
そして顔のない女が入り浸るBARの、自称「名前のないマスター」は、
客である彼女の仕事に無関心を装いながら、時に助け舟を出す謎の男。
最終的にこの二人の奇妙な関係が話を転がして行く事に成る訳だ。

しかしこのまま優秀な殺し屋達を殺し続けて組織とかはどうなるんだ?
と云う疑問を良く有る形で収めながら、更に捻りが加わるトリッキーさで、
中々に気の利いた結末を用意して一応は終結する。
掲載誌的には最終話に於ける清順の「殺しの烙印」のパロディも加わり、
非常に洒落た感じで締め括られた話の上手さに感心しきりである。
しかしその後に加えられた書下ろしの「召還者」を読む限りは、
顔のない女と名前のないマスターがカウンターを守るBARは健在なようで、
今度は組織ではなく個人の依頼で殺し屋を屠って行ってくれそうである。
夢幻魔実也との邂逅なんて云うサプライズも見てみたい物だ。


Kao03

さてお次はとうとう三号目に突入した百閒先生の「阿房列車」である。
今回の旅は、雨男・ヒマラヤ山系君の本領が遺憾なく発揮され、
六十何年来(当時)と云う九州の豪雨の中を突き進む長編「雷九州阿房列車」。
豪雨による水害の後に懲りずに九州を巡る「長崎阿房列車・長崎の鴉」。
これぞ阿房旅行と云うべき目的も無く近場を巡る「房総阿房列車・房総鼻眼鏡」。
発熱したまま朦朧状態で四国を巡る「四国阿房列車・随道の白百合」の四本だ。

流石に三号目とも成ると一条裕子のキャラクターとしての馴染みも完璧で、
はしゃぎ、怒り、憮然とし、泥酔し、屁理屈をこね、熱でへろへろに成る、
百閒先生のキャラクターは実に完璧で、正に偏屈ジジイ萌えに他ならない。
そんな偏屈ジジイのペースに巻き込まれないヒマラヤ山系君のマイペース振りは、
素晴らしいボケと突っ込み加減で読んでいてニヤニヤが止まらない。
旅行する時に借りている交趾君の旅行鞄を己の物と論じる論旨の強引さ、
記者に突き付けられたマイクを菓子の五家宝の様だ、と嫌がるその感覚、
体調が悪くなると途端に弱気に成りどんどん物事が大袈裟に成って行ったり、
打ち寄せる波を眺めながら「どう云う料簡だか解らない」と切り捨てる所など、
今回も百閒先生の独特な感覚に裏打ちされた妄言や行動が満載だ。
そして今回はとぼけた顔の龍を背中に背負ったヒマラヤ山系君も大活躍で、
小さな犬が腰掛に座ってこちらを見てる等、とぼけた発言で合の手を入れる。
しかしそんなヒマラヤ山系君も、先生が四国で熱を出してしまった折には、
一晩中氷で頭を冷やす等、温かな師弟関係も描かれたりして良い感じである。

今回のエピソードで一番笑えたのが、長崎の旅行で一緒に成った、
ヒマラヤ山系君の職場の知り合いの甘木君の泥酔時の発言で、
『夏目漱石を尊敬しているが、一々その作品を「漱石先生の~」とは言わない、
「漱石の猫」と言っても冒涜には成らないし「猫の漱石」でも有りだろう。
だから「内田百閒先生の阿房列車」と云うのは長ったらし過ぎる、
「百閒の阿房」若しくは「阿房の百閒」で良い』と本人を前にして言う所だ。
こう云うのをしれっと著作に混ぜて来る所が実に百閒先生の侮れない部分である。

勿論今回も旅情をかき立てる部分や、漫画ならではの叙情的な描写も多い。
お馴染み八代の松浜軒の庭の池端に水伯の目玉を見る不思議な場面、
雨に降り込められた豊後竹田駅の構内で母親が子に聞かせる「荒城の月」の歌、
そして何処か夢幻的な、大津駅の指差し確認をする三人の駅員の影、
白熱する風景と溶け合う白百合の残像など、先生の著作のもう一つの側面の如しだ。
さて本来ならこの三号をもって百閒先生の阿房列車は終わってしまうのだが、
第二阿房列車収録の「雷九州阿房列車」が今号に収録の関係で、
第三阿房列車に収録の、松江・興津・不知火の三編がまだ未収録なのである。
掲載誌の方は未見なので連載が続いているのかは良く解らないが、
この調子ならまだ後一巻ほど一条裕子による百閒先生の旅が愉しめそうである。

阿房列車2号の記事はこちら

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2011.01.15

怪談専門誌「幽」第十四号発売

Yuu141


さてもうすっかりお馴染みな怪談専門誌「幽」の14号である。

何か毎度こんな風な書き出しで申し訳ないのだが、厚い、そして重い。
そろそろ通勤のお供に読める様な代物では無くなって来ている。
この厚さはいい加減もう限界なんじゃなかろうか?
そして、厚さに対して内容が薄くなっていると云う訳ではないので、
凝縮された濃い話の数々に結構疲労感が有ったりする。
漫画のページも息抜きと言うにはヘヴィな内容の作品ばかりだし、
まあ季刊と云う感じなんでこの様な濃縮された内容に成るのかも知れないが、
一見さんがこの厚さと内容の本を手に取るのは更に難しいのではないかと・・・

今回の巻頭特集は「みちのく怪談」と云う事で、
結構近くの号で「遠野物語」を特集していたから「また?」と云う感じだが、
限定された土地ではなく、中央から排除されしモノが棲まう「道の奥」、
もっと包括的な「みちのく」の姿を怪談的な立場から語ろうと云う感じだが、、
まあ実際は仙台を拠点とする書肆「荒蝦夷」が昨年当地の怪談本を次々と出版し、
編集長の東雅夫氏が東北怪談のアンソロジー本「みちのく怪談傑作選」を手掛け、
更には「みちのく怪談コンテスト」も開催された事との連動なのだろうが、
特集としてそこまで踏み込めているかと言うとやや微妙な感じである。
「掛軸の生首絵の眼が開いた」で御馴染みの生首絵の話などは面白かったが、
毎回もれなく怪異に出会う加門七海先生の「怪談巡礼印象記」が、
今回単なる旅の印象記に終わってしまっているのがちょっと残念だった。
その代わりみちのく怪談と云う御題で書かれた巻頭の三本の小説は、
初登場の伊坂幸太郎、重鎮の高橋克彦の二本供に面白かった。
伊坂幸太郎の「相談役の話」は、話の中でのスマートフォンの使い方が上手く、
送られて来た写真をタッチ操作で拡大してみると・・・的な部分が中々効果的だ。
ただ語り手に及ぼされた影響を語るラスト部分は少々蛇足気味な感も有る。
高橋克彦の「遠野九相図」は、発想と言い話の展開と言い流石に安定した上手さだ。
関係ないが作者が作中で語っている写真で描く「遠野物語」のアイデアは、
正直余り面白い物が出来そうだとは思えなかった。

連載陣の小説では前回から始まった恒川光太郎の沖縄怪談の「クームン」、
それから大阪を舞台にしっとりとした有栖川有栖の「真言坂」が良かった。
「クームン」は何処か「遠野物語」と共通する「迷い家」「山人」的な要素が有り、
地理的な距離感に影響されない土着民話の共通性が何気に興味深い。
「真言坂」は割りとエクストリーム化する傾向に有る昨今の怪談に対して、
演歌的と云うか日本人の情緒に訴える情感有る作品を書き続けている所が良い。
こう云う作品ばかりだと飽きるが、怪談と云うジャンルの中には必要な世界だろう。
相変わらず何処とも知れない土地を行く和泉蝋庵を描いた山白朝子の「地獄」だが、
今回はどう考えても「テキサス・チェーンソー・一家」が元ネタである。
何時もの情緒は無いが、エクストリームに振り切った感じが面白い。

こちらも前回から始まった南条竹則の「幽的民譚・怪談逍遥」だが、
今回は芥川龍之介の「杜子春」と云うか元ネタの中国は唐代の伝奇話と、
良く似た話がアイルランドの伝説に残っていると云う話を紹介している。
研究ではないので話の同一性に付いては疑問なままなのだが、
こう云う知的なトピック的な話は何かと興味深くて楽しめた。

小池壮彦の「日本の幽霊事件」、今回はお馴染み谷中五重塔焼失事件だ。
深夜の谷中墓地には数え切れないほど出没したりしているが、
怪異的な物には一切遭遇していない人間としては中々に興味深い話だった。
心中事件が実は謀殺事件だったと言う話は寡聞にして知らなかったが、
そもそも作者が公園で会ってその話を聞かされた老人と言うのは実在なのか?
それこそが実は・・・等と考えると中々愉しい。

Yuu143

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2011.01.08

「モンガに散る」

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昨年の春節時期に台湾へ行けなかった事で一番悔やんだのは、
現地にて一本の映画を見逃した事だった。
台湾映画としての「海角七号」がたまたまヒットしたのではなく、
間違い無く新しい台湾映画のムーブメントが来ている事を知らせる一本であり、
春節時期に公開されるや瞬く間に「アバター」の初日興行収入を抜き去り、
最終的に「海角七号」に迫る台湾映画歴代二位の記録を樹立、
昨年現地で買ってきた雑誌には映画を模した広告が多数掲載されていたり、
タウン情報誌の別冊で表紙が映画そっくりな萬華地区のガイド本も出てたりして、
「海角七号」の時と同様の社会的なムーブメントを感じた物だった。
それが原題「艋舺」日本語のタイトルは「モンガに散る」なのである。
「海角七号」の時は日本公開に一年半近く掛かってしまったが、
何と2010年以内での日本公開の決定が決まり小躍りした。

話はビジュアルを観れば解る通り、ヤクザ渡世を生きる若者の群像劇だ。
主人公のモスキートは母子家庭で転校続きのいじめられっ子で、
転校先の荒んだ高校で早速クラスのチンピラに目を付けられるが、
チンピラ連中を相手に立ち回り、思わぬ根性の有る所を見せる。
その現場を見ていたのが校内を仕切っているドラゴンとその仲間たち、
仲間に誘われたモスキートは躊躇しつつも不良への道を選択する、
それはこのハードな社会で生き残る為と、そしてようやく出来た仲間の為に。
この辺はやはり香港の黒社会で生きる若者たちを描いた香港映画「古惑仔」で、
公営団地のハードな日常を生き抜く為に黒社会の舎弟に成るのと同様な、
貧困層とヤクザ社会が密接に絡み合うと云う普遍の図式が見れて興味深い。
しかし後に銅鑼灣を任されるまで出世する漫画が原作の「古惑仔」とは違い、
今作の主人公たちの運命はヤクザ渡世の過酷さに翻弄され、余りにも無残だ。

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話の前半、モスキートたち五人が喧嘩に明け暮れながら過ごす日常は、
描写が非常にユーモラスで何処か夢幻的な雰囲気で描かれる。
敵対勢力との抗争と言っても描写は非常にスラップスティックであり、
その中でドラゴン、モンク、アペイ、白ザルと云った仲間の姿が描かれる。
五人揃って歩く夜の盛り場、他愛無いやりとり、隠れ家での子供じみたおふざけ、
2ケツで走る単車、ディスコでの呑み較べ、五人で見上げた空、
そして始めて娼館に連れて行かれたモスキートが出会う訳有りの娼婦シャオニン。
無頼で無為だからこそ愉しい、そんな少年達の煌く蒼い日々は、
因縁の有るチンピラを誤って殺してしまった所から急展開して行く。

主役のモスキートとモンクを演じた二人はTVドラマで人気の役者だそうだが、
現地以外では殆ど知られていない役者なだけに新鮮なキャスティングである。
特に何処でも言われている事だが、複雑な背景を持つモンクを演じた阮經天は、
極道としての剣呑な眼光、瞬時に弾ける暴力性など野卑な側面を見せながら、
相反する虚無感を抱いた思索的な演技が実に素晴らしく、
特にドラゴンに対する同性愛的な眼差しや行動の物悲しさには泣ける。
日本のヲタク文化、特に異国人には難しい「萌え」や「腐」感覚を、
ほぼ完璧に共有できる優れた台湾の腐女子の方々が、
早速モンクとドラゴンのBL創作を立ち上げていたりしているのが笑う。
モスキート役の趙又廷は極道に成っても所々で見せるナイーブさが光るが、
そのナイーブさが運命の過酷さに押し潰されて行く所に悲哀が溢れる。
特に娼婦シャオニンと二人ウォークマンで音楽を聴いている時の静けさ、
そして最後に見せる哀しいまでに満ち足りた笑顔にには泣けた。
ドラゴン役は「九月に降る風」でも印象的なリーダー役を演じた鳳小岳。
八十年代ならではな襟足の長いウルフカットが微妙にダサカッコ良くて笑う。
そう云えば彼は「九月~」でも同性愛的な対象を演じていたっけな・・・
ゲタ親分を演じたのは「海角七号」で金馬賞助演男優賞に輝いた馬如龍だ。
「九月~」での曾志偉や「言えない秘密」の黄秋生などなど、
やはりこう云う若者の群像劇には含蓄の有る親爺の存在は欠かせない、
馬如龍も人情と非情さを併せ持った極道の親分を申し分無く見せてくれる。

Monga03

この作品、話としては際立って目新しい所は殆ど無く、
どこかで観た様なヤクザ映画の一つのパターンを踏襲しているにしか過ぎない。
そう云う意味では日本のヤクザ映画を見慣れている向きには、
非常に懐かしいと感じられる部分は多々有るのではないかと思う。
実際台湾でも六十年代から七十年代中頃までの国産映画黄金期に於いて、
多数の黒社会映画が創られており、その中に同傾向の作品も存在するだろう。
主人公達が所属する事に成る、ドラゴンの親父・ゲタ親分が仕切る「廟口」は、
昔ながらの任侠系で闘いも銃ではなく刃物を推奨する団体である。
それに対して「艋舺」の利権を巡って進出して来る外省人のヤクザ組織は、
地に根ざした昔ながらの「廟口」に対して合理的な経営を語り、銃で武装する。
そう云った新・旧の黒社会の狭間に主人公たちは翻弄され引き裂かれて行くのだ。
何所かで聞いた様な話だ、しかしだからと言ってそれはマイナスには成らない。
それは監督が設定したこの作品の背景時間・1986~87年が関係している。
長く続いた戦後の戒厳令が解除され、台湾社会が高度経済成長を迎える頃であり、
侯孝賢・楊德昌らニューウェーブの監督が国際市場で高い評価を受け、
羅大佑や陳昇、そして黒名単工作室らがインディーズでうごめき出す頃である。
そして新しい時代の胎動の傍ら、昔ながらの諸々が忘れ去られようとしていた頃。
そんな時代性を背景に描いた所がこの作品をヒットさせた要因の一つだと言える。
それは社会的な成長が一段落つき、忘れかけていた過去を思い出すと云う、
最近のヒット作に共通する一つの要素だと言えるだろう。
しかし監督が優れていたのは、それを抽象的な芸術映画としてではなく、
誰が見ても面白い娯楽要素満載の映画に仕立て上げた事だろう。
紐承澤監督は俳優として侯孝賢の映画に出演していたと言う出自を持ちながら、
昨今話題の台湾トレンディドラマの監督としての実績も持つ存在であり、
その経歴こそがこの様な作品を創り上げる原動力と成った筈だ。
有った事の無い父親から送られて来た桜吹雪と富士山の絵葉書。
それを大事にしていたモスキートは何時か日本へ行きその風景を見たいと夢想する。
そして映画のラストで至福の表情のモスキートに降り掛かる紅い桜吹雪、
この余りにも残酷でしかも儚く美しく・・・・そして日本的な描写はどうだろう!
同時に日本と台湾の愛憎併せ持った関係さえ想像させる深みの有る映像である。
それだけで監督の非凡極まりない手腕に唸らされる筈だ。

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             撮影に使われた萬華地区の医院

それにしても思い出すのが始めて台湾に行って龍山寺を訪ねた時の事。
未だMRTは開設前で、龍山寺の門前の広場には巨大な露天市場が有った頃だ。
時代はこの映画のもうちょっと後の九十年代の初頭だったと思うが、
紅灯の巷と線香の香り、そして生活感溢れる猥雑な雰囲気に一気に虜になった。
以来台湾に行った時は、萬華地区の今は無き麒麟飯店を定宿にして、
昼に夜にあの辺を歩き廻った物だが、映画にも御馴染みの場所が多く映っていた。
華西街の辺りで大々的な喧嘩シーンが撮影されていたのには驚いたし、
白ザルが入院した病院が実際にあそこにある医院を使っていたのには笑った。
この映画の撮影で、例の復元された「剥皮寮」が使われたりして、
観光スポットと成っていたり、あの辺も随分見直されて来ている様で嬉しい。
そう云えば剥皮寮の入り口には「艋舺」の大きなビルボードが光っていたっけな。

Monga04
           剥皮寮の再現されたかつての街並み

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2011.01.01

酔狂道・卯歳初勝負

Hinode01


「酔狂道」とは、己との闘いである。
新年早々異常に大上段な論理展開であるが、まあつまりそう云う事な訳である。

酒を喰らってぬくぬくと暖かい部屋で高鼾を掻いている元旦早朝、
何故に随伴者も居ないまま寒風吹き荒ぶ薄暗い街に飛び出さねばいけないのか?
それもこれも総ては「己との闘いに勝つ為」に他ならない。
新年の朝に御来光を拝むと云う習慣をその身に刻んで二十九回目。
かつて小学校の恩師に「継続は力なり」と云う言葉を贈られたが、
一体これがどう云う力に成っているのか全く解らないまま今年もやって来た。

決して大袈裟な前振りを振らなければ本題に移れない訳では無い。
「絶対に押さないでくだいさいよ」と念押しした稲川淳二が、
その舌の根も乾かぬ内に井出らっきょに熱湯風呂に突き落とされた後に、
「喜んでいただけましたか?」と客に確認を求める様な物である。

と、四度目に成る新年時の文章のコピペから始めた訳なのだが、
文章も同じなら初日の出の撮影地点もここ数年殆ど同じ、
御馴染みの皆様に於いては「こいつ写真も以前の奴を流用しているのでは?」と、
疑りたく成るのも吝かではないだろう。
しかし、つい先程撮影されたと云うのが明白な証拠が今回の写真には有る。
右端を御覧あれ!そこには曳舟に聳え立つ、かのスカイツリーのシルエットが!
最近チャリで走っていると、思いも掛けない所でビルの谷間から塔影を発見し、
こんな所からもスカイツリーが見えるのか!と驚く事もしばしだが、
今朝も薄闇の橋の上に立った時、はっきりとあの塔影が観えたのには驚いた。
そして朝焼けの空に装飾を加えるかの如き不思議な飛行機雲。
ちょっとハマリ過ぎな展開にうっとりとしてしまう卯歳の初日の出で有った。

しかし今年は何やら新年早々、日本全国荒れ模様の正月らしいが、
よくもまあ東京はこうもスカッと晴れ渡った元旦に成ったもんだ。
京都に行く時の新幹線車中で観た冠雪の富士山の姿より、
更に白い衣をまとった霊峰の姿を今年もしっかりと拝めた。

Hinode03

それでは、みなさま今年もどうか一つよろしくお願いします。

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