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2011.05.28

飢餓浄土/石井光太

Book01

『人のうわさも七十五日とよくいわれる。時間が経てば、他のうわさに興味は移り、忘れ去られ、やがて消えてしまう。だからうわさなどは取るに足らないといわれる。またうわさの多くは真実を語らないから問題にする事もないといわれる。
しかしどのような些細なうわさであれ、一定の力を持っている。生きている。ある場合は笑いを生み、別の場合は恐怖を作り出す。特定の集団が抱いている差別を露にすることも有り、逆に集団を均一にする事もある。人を慰撫する事もあるが、混乱を引き起こす事もある。』     松山巌「うわさの遠近法」より

人が集団で暮らす所には必ず何らかのうわさが流れる。
例えどんなに情報機器が高度に発展しようがその本質が変わらない事は、
今回の震災で流れたうわさや流言などによっても明らかだろう。
どんな時代でも、どんな場所でも、うわさは人の心を捉えて離さない。
現在それは「都市伝説」と呼ばれて日々再生産され様々に流布されている。
だが勿論うわさは都市部だけに非ず、繁栄から忘れ去られた場所にも有る。
と、言うよりも過酷な暮らしを強いられる場所や人達だからこそ、
そこで流布するうわさはより切実に現実を反映する物に他ならない。

「物乞う仏陀」「絶対貧困」「レンタルチャイルド」「地を這う祈り」等、
世界の様々な途上国の知られざる過酷な現実をレポートして来た、
石井光太の新刊「飢餓浄土」は正にそんなうわさの数々を取り上げた一冊だ。
石井光太には「日本人だけが知らない、日本人のうわさ」と云う、
世界の様々な場所で語られる日本人に関するうわさを集めた書籍も有る。
本書にも日本人絡みのうわさが何個か取り上げられているのだが、
多少気楽な感じで読める所謂「新書」テイストの前書に較べると、 
本書の日本人絡みのうわさは実に重く、突き付けられる現実に沈黙するしかない。
そしてそれ以外の地域のうわさも、余りにも生々しく残忍で救いが無い。
そこには荒唐無稽なうわさだと簡単に切り捨てられない根源的な恐怖が内在する。
それはコンビニで売られている多数の怪談実話本等と形は同じなれど、
孕む闇の深さが段違いに底無しで、しかも恐ろしく哀しい。

人類史上類を見ない凄惨な虐殺劇がツチ族とフツ族の間で行われたルワンダで、
何故野良犬は目の敵にされ餌を与えたり手懐ける事さえ忌み嫌われるのか?
タンザニアで「魔女」と目された老人達が、どうして私刑により虐殺されたのか?
第二次大戦中日本軍に占領されていたミャンマーの第二の都市マンダレーで、
「森の神様に連れて行かれた」と神隠しに有った少女は何処へ消えたのか?
本書の中で著者の取材によりそのうわさの真相を導き出しているが、
その答は聞かなければ良かった思う様な、どうしようもない現実である。

そして中々語られる事の少ない性に関する話もやり切れない物が多い。
ボルネオ島で出会った五十代と二十代の妊娠した中華系の売春婦の二人組、
知的障害を持った娘とその母親と云う組み合わせだったのだが、
彼女達を追って行く内に、話は信じられない様な展開を見せて行く。
それは或る意味都市伝説的であり、例え様も無く深く暗い現実でもある。
またベトナムとカンボジアにまたがる熱帯雨林の中の村にて、
ベトナム戦争中にアメリカ軍に撒かれた枯葉剤によって産まれた奇形児を、
産婆が人知れず投げ捨てて処理していた忌まわしい谷が有った。
そこで遊んでいた子供が崖から落ちて谷へ転落死する事件が頻発する。
それは単なる偶然なのか、それとも捨てられた無数の胎児の呪いなのか?
どちらにしろそこには拭い去れない戦争の深い爪痕と忌まわしい記憶がある。

本書の中で一読不思議な印象を残すのが再び戦時中の日本軍絡みの話で、
かつてはボルネオと呼ばれた島に現れた日本軍・軍艦の幽霊船の話だ。
著者が島の古老から聞いた話では終戦直後から何度も目撃されているそうだが、
ある時島の難破船の船員を救い、海賊から島の船を守ってくれたらしいのだ。
幽霊船を目撃した事の有る別の古老がこんな風にその時の話を聞かせる。
「軍艦に乗っていた日本人達は楽しそうだった。甲板から海に向かって小便を飛ばして遊んでいる奴らも居た。みんな若い兵士ばかりだった」と。
この様なうわさはインドネシアに於ける対日感情に拠る物なのかもしれないが、
それはさて置き、甲板で楽しそうにしながら幽霊軍艦で海を彷徨う日本兵、
と云うイメージが何処か不思議で、何とも言えない感慨を催させてくれる。
本書には現地の人間が伝える様々な姿の元日本軍がうわさとして描かれる。
それは我々の知っている姿だったり認めたくない姿だったり様々だ。
しかしその姿は緑深い森で、霧深い海で、これからもうわさとして語り継がれる。
事実は簡単に忘却されないのだ、そこに人の営みが有る限りは。

Book02


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2011.05.21

狩野一信の「五百羅漢」展

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江戸東京博物館へ待望の「五百羅漢展」を観に行ってきた。
本来なら3月15日から開催の筈だった訳だが、例の震災の影響で延期に成り、
どうなる事やらと気を揉んでいたが、GWに開催が間に合って何よりである。

狩野一信と云う、知られざる江戸期の絵師に付いて知ったのは、
昨年に板橋美術館にて開催された「諸国畸人伝」展を観に行ってからだ。
「諸国畸人伝」展では五百羅漢画の中から三幅のみの展示に成っていたが、
完全にノーマークな絵師だっただけにそのインパクトに圧倒され、
侘び寂び的な伝統的日本画とは真逆の無意識過剰な江戸絵画の奥深さに、
他の絵師の作品と供に唸らされ眼を開かされる思いだった。

その時にここに書いた狩野一信の五百羅漢画の感想では、
『「江戸に五百羅漢百幅が揃う寺院が無い事から五百羅漢図の制作を志し、
九十六幅まで描き上げて命尽き、残りは弟子が手がけて完了させた」
と言う様な逸話が紹介されていて、まあ簡素な仏画的な物を想像していたのだが、
蕭白ばりの濃厚で極彩色な或る意味サイケデリックな凄まじい物で、
こんなもん百枚近く描き続ければ寿命も縮まるわ!と云う極端な作品だった。』
と書いているが、当然その命を削った全作品が観てみたくなるのは当然の事、
と云う訳で芝は増上寺に眠っていた全幅が公開されると云う事なら、
何はさて置き出掛け様と云う気に成るのは必定な訳である。

出掛けたのはGW中で、江戸東京博物館にはハトバスなども何台か止まっており、
中々に盛況な状況だったのだが、五百羅漢展はまあまあの入りだった。
そらまあ世間的には殆ど無名な絵師の、しかも抹香臭い仏画の展覧会と言えば、
御家族連れで観るには余り相応しい内容では無いのは確かな訳だが、
むしろ御子様連れの方にこそ観て欲しい内容だったりもするのである。
それはその時に展覧会に来ていたお子様方の自由な発言にも伺えた。
最初はどう観ても聖人に見えない汚いヲヤジの群れる姿に沈黙の子供も、
羅漢がその神通力を遺憾なく発揮する「六道・地獄」編に突入するやいや、
「パパー!!ビーム!ビーム出してるよぉ!!」と大喜び。
ドギツいまでに書き込まれた地獄の阿鼻叫喚な様に亡者を喰らう悪獣、
そこに仏の威光を視覚化した光線がビームの様に降り注ぐ素晴らしさで、
「パパー!怪獣やっつけてる!!」とお子様のテンションだだ上がり。
実際にこの辺の二十一幅から四十幅に掛けては一信もノリにのっていて、
釜茹でにされ、針の山で血塗れになり、血の池に落下する亡者の描写が凄まじく、
画面の密度の濃さとテンションの高さに子供でなくとも圧倒される。
二十七幅「六道・鬼趣」では何と河童まで登場してくるサービスの良さだ。

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続く五十幅までには「諸国畸人伝」展でも展示されていた、
洋画風な陰影を取り入れた表現の作品が表れ中々に興味深い訳だが、
それまでの舞台の隅々にまで照明が当たった様な極彩色な画面が、
急に異様な陰影を湛えたエキゾな画面に成る所が何とも妖しく、
夜の墓場で座禅を組む羅漢の後ろで、カラスが屍をついばんでいたりして、
その何とも言えぬ不気味さにお子様も黙りがちながら注目していた。
そんなお子様が再び活気を取り戻すのが「神通~禽獣」の部分だ。
羅漢が霊獣と戯れる場面では「パパ!あの怪獣ナニぃー?」と質問の嵐、
大蛇の口の中で座禅を組む画面では「パパ!蛇に喰われてるよ~!」と大喜び、
画面の密度が濃いだけに面白ポイントを発見する楽しさも有る訳だ。

狩野一信自身は五百羅漢画を純粋に仏教的な帰依から発案した物らしいが、
結局その純粋な無意識過剰さが見世物的な面白さを伴った、と云うか、
功徳を説く解り易いサービス精神が見世物的な興奮に繋がったと云う所だろうか。
例えば五十三幅の「神通」で女の首吊り死体を描いた箇所が有る。
多分実物を見て観察したであろう実に生々しい描写が強烈なのだが、
垂れ下がる涎や鼻水が胡粉を使ってぬらぬらと反射する様に描かれていて、
「何もそこまで」感が有り有りのやり過ぎさが実に見世物的だったりする。
正しく昭和にまで継承された、絵解き・節談・説教などにも相通じる、
素晴らしい「芸」の姿を、今の子供の素直な反応から感じ取れたりするのだ。
一信の未亡人・妙安は後に増上寺境内に自ら資金を募り「羅漢堂」を建て、
掛け変えをしながら常時何幅かの羅漢画を掲げ自ら解説をしていたそうで、
正しくそこで見世物的な空間が繰り広げられていたのだろうと想像する次第だ。

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一信は既に八十幅辺りから心身供に健康を害していたらしく、
終盤に差し掛かってくると、あの画面に横溢していた生気が段々と薄れ、
最後の九十幅辺りに成ると、とても同一人物の手に拠る物とは思えない。
実際に最後のこの辺は一信の下絵を元に弟子が仕上げた作品なのだそうだ。
ここから最初の辺りへ戻ってみるとその画面密度の落差に唖然とするが、
それさえも又この世の無常さを体現したかの様に感じられたりもする訳で、
妙に白々と整った最後の十幅を観ながら妙な感慨を催したりする。
今展覧会には五百羅漢画の他に下絵や別の作品も出展されているのだが、
恐ろしく巨大な成田山新勝寺の「釈迦文殊普賢四天王十大弟子」図が、
意図した物か節電の影響か、照明の具合が刻々と変わる展示に成っており、
暫く観ていると恰も描かれた仏が浮き上がってくる様な効果をみせていて、
中々に効果的でしかも一信の力技を知れる展示に成っていて面白かった。

と云う訳で、絵画的に興味深いと云う方だけでは無く、
「何か解らんが凄い物を観たい」と云う不埒な方々にもお薦めである。
そして小さいお子さん等を連れて行かれるのも結構お薦めです。

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2011.05.14

春の京都路地散策・仁丹看板を捜して

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特に予定していた訳ではないのだが、GWの後半に京都に出掛けた。
普通なら人も多いし金も高いGW等に名うての観光地などには行かない物だが、
例の震災の影響で流石の京都も観光客が減少している様で、
物凄く安いプランを発見し、それに乗じて出掛けたと云う訳で有る。
所はそうは言っても「流石は京都!」と云うべきか、
行ってみればやはりメジャーな所には唸るほど観光客が居る訳で、
今回もそう云う寺社仏閣は外して、京都市中の路地徘徊へと洒落込んだ。

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さて今回は単なる路地散策だけではなく一つオプションを追加してみた。
それが路地に残る古い町名表示看板を探索して行く事で、
中でもレアな「仁丹看板」を中心にチェックして行った。
「仁丹看板」とは明治43年から森下仁丹の配達人や通行人の便利の為に、
大都市から始まり広く全国に設置された町名表示看板の事なのだが、
多くは空襲等で焼失してしまい、空襲の無かった京都に多く現存している。
とは言え京都でも古い家が建て替えられれば消え去る運命にあり、
京都市中でも残っているのは古い家並みが残っている所だけだったりする。
更に残っていても可哀想な扱いをされている看板も多く、
希少な物だし、もう少し大事に扱って欲しいもんだと思う事頻りである。

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仁丹看板と言えばレトロな仁丹将軍の肖像と供に、
骨太な旧仮名の手書きレタリングと強引な文字のレイアウトが魅力である。
「通」の文字が「マ」ではなく「コ」の様に描かれている所も味で、
地元の町民でなければ読めない文字にはルビが振ってある所も親切だ。

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ちなみに同じ仁丹看板でも将軍マークが上に付いている方が時代が古いそうで、
更に古いのに成ると下の様な木製の看板さえ拝む事が出来る。
こう云う物が普通に軒先に有る所が千年の都の恐るべき所か・・・・

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今回結構多くの仁丹看板の写真を撮ってきたがそればかりと云うのもアレなんで、
他に目に付いた町名表示看板を幾つか紹介して行こう。
一番よく目に付くのがライオンズクラブの目新しい看板だろうか、
ゴシック体の凹凸レタリングに文字のみとかマーク入りとか様々に有る。
それから郵便番号が入ったこちらも新しめなオガワコーヒーの看板、
何故か錆付いて退色している物が多かったフジイダイマルの看板、
この辺は郵便番号なども入って比較的新しい町名表示看板である。

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その他文字が旧仮名で明らかに古そうな「お疲れにアリナミン」の看板。

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経年劣化の著しさが時代の古さを感じさせる「中京堂のパン」の看板。

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壁の片隅に追いやられて文字の判読が難しかった「~ラジオ」の看板。

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そしてローカル極まりない「八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター」の看板。

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他にも地元の商店の宣伝が入った看板が幾つか有って楽しめた。
こう云う看板は気に掛けていないと普段殆ど気付かない物だが、
いざそれに視点を合すと思わぬ所に見付かったりして新しい発見が多いし、
その内屋並みを見ただけで有りそうな所を判別出来たりして面白い。
それにしても全く持って京都の路地散策は奥が深い。

(仁丹看板に付いては「てくの坊」さんの記述を参考にさせて貰いました)

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