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2011.06.25

「パン・ホーチョン、お前は誰だ!?」

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怒涛のスラッシャー・ホラー映画「ドリーム・ホーム」の公開を記念して、
今作が初の劇場公開となる監督のフィルモグラフィーの一部を辿った、
特集上映「パン・ホーチョン、お前は誰だ!?」を観に行ってきた。
この特集の企画自体を知ったのが既に公開が始まってからだったし、
まあ個人的に諸々有って結局一回分しか観れなかったのが惜しまれる。
と云うか肝心の「ドリーム・ホーム」自体観ていなかったりする訳だが・・・

さてパン・ホーチョンと云う監督の名前を知ったのは随分と前で、
既に低迷が始まっていた香港映画界の将来を心配していた曾志偉が、
次世代を担う新人監督としてその才能を認め、期待している存在、
と云う様な記事を某映画誌で見掛けたのがきっかけだった。
その後、香港に出掛けた折に現地で、今回上映される一本の「AV」と、
曾志偉や陳小春などが主演した「大丈夫」のVCDを購入してきた。
その頃からようやく描かれ始めた全般的な「性」を主題にした内容も面白く、
どちらも主題の面白さとオフ・ビートな感覚が中々に新鮮な作品だった。
ただどちらかと言えばアート映画的な趣が感じられる作風に、
香港映画としてのマーケット的にはどうなんだろう?と感じてはいたが、
その後メジャー感漂う恋愛映画「恋の紫煙」でヒットを飛ばした事を知り、
確実に次世代を担っている事を実感して嬉しくなった。
そうそうパンフ等を読んでいて驚いたのが、日本でも小規模で公開された、
林海峰監督が王家衛組のスタッフと組んだ短編作品「天空小説」が、
パン・ホーチョンの初・劇場脚本で更に出演もしていたと云う話だ。
懐かしいなぁ・・・・あれがパン・ホーチョンの初邂逅作品だったとは。

さて今回観に行った作品は彼の初監督作と成る短編「夏休みの宿題」と、
21歳で書いた短編を元にしたオムニバス作品「些細なこと」の二本だ。
「ドリーム・ホーム」のパンフに、この作品がパン・ホーチョン監督の、
初日本劇場公開作品でいいのか?的な事が書かれていたりするが、
「処女作品にはその作家の総てが込められている」と云う説をとるならば、
「夏休みの宿題」には「ドリーム・ホーム」に繋がる資質が確かに確認出来る。
新学期を前にして夏休みの宿題が全く手に付いていない少年の、
追い詰められた心理が描く妄想とも現実ともつかない凄惨な世界を描いた短編で、
如何にも初監督作品らしいコマ落とし等を多用したギミック溢れる映像と、
荒れたフィルムの質感が作品の非現実感を掻き立てる初々しい作品だ。
その後に上映される同じ様な短編集である「些細なこと」に較べると、
映像的技法に頼り過ぎて話を描く事に関しては未だ未熟では有るが、
「ドリーム・ホーム」に至る監督の描こうとする世界は既にここに有る。

さて07年作品の「些細なこと」は七話から成る短編集的な作品で、
「パン・ホーチョン、お前は誰だ!?」と云う今回の特集上映にぴったりな、
監督が描く様々なジャンルの多彩な作品が納められている。
一話目の「不可抗力」は性的な不和を抱える中年夫婦のすれ違いを描いた作品で、
精神科医にカウンセリングを受ける形式で映像が進んで行くが、
メタ構造に成っていて再現映像的な部分に登場人物注文を付ける形が中々面白い。
続く「公共マナー」は凄まじいセンスの(色んな意味で)最低な作品で、
考えたとしても普通やらないと云うか、映像にはせんだろうと云う話で、
それを語るのがチャラさ全開のエディソン・チャンと云うのがまた最低で笑う。
まあ最低と言えば続く「祝日」も「大概にせ~よ」ってな作品で、
オチの付け方が古典的な艶笑譚でしかも怪談って云うのが何とも言えぬ。
演じる本人は愉しそうなイーソン・チャンの煩悩全開なボンクラっぷりが良い。
「タッガー星」はレトロチックな映像技法を取り入れた可愛らしい話。
ガラリと話のテイストが変わるのが次のやや長めな「おかっぱ頭のアワイ」。
高校の同級生である二人の女の子の話で、二人は親友だと信じる一方に対し、
一方はそれを疎ましく感じ、彼女の相談にもお座なりな回答で返して行く。
しかし親友のアドバイスを真剣に受け入れた彼女はよき伴侶を得て家庭も円満、
対する彼女はシングルマザーとして何かと味気ない日々を過ごしていた・・・
この作品の上手い所は彼女達の高校の日々と現在の境遇を彩る物として、
八十年代に香港で絶大な人気を誇ったダニー・チャンの歌を絡めている所だ。
冒頭で学校の出し物にダニー・チャンの歌をカラオケで練習する二人、
部屋に張られたダニー・チャンのポスターや彼の活躍話で盛り上がる長電話、
そしてそれぞれ色々有ってから再会した同窓会の会場で、
早世した彼を偲んでもう一度あの時の様に彼の歌を歌おうとする二人。
多分監督と同様にあの時代に青春を過ごして来た人間にはたまらない話だろう。
恰も陳可辛が鄧麗君の歌で香港に生きる人々を綴った「ラブソング」の様に、
オーソドックスながら確かな手腕を見せる監督の多彩さに唸らされる。
個人的にこの短編集映画の中で一番好きなのが続く「チャージ」である。
映画業界関係者らしいチャップマン・トーが娼婦を買うと云うだけ話なのだが、
大陸から来たその娼婦とチャップマン・トーの何気ないふれあいが素晴らしい。
ふれあいと言っても何か特別な事が有る訳ではない。
単なる客と娼婦の他愛無いやりとりであり、その場限りの関係でしかない。
しかし何処か虚無的な佇まいを持ったチャップマン・トーが垣間見せる感情と、
彼女が良く行くと云う麺屋で見せる妙に達観した様な表情が絶品だ。
チャップマン・トー、顔で語れる良い役者に成って来たなぁ・・・・
最後の「ジュニア」は再びブラックな笑いが横溢した監督らしい作品で、
「ゆとりかよ!」とか言われそうなショーン・ユーの適当な殺し屋振りが面白い。

しかしこれ、現地ではどう云う形態で公開された作品なんだろう?
まあ多分アート映画的な小規模のミニシアターで公開と云う感じだろうか。
最初からそっち方向の三級片ならセックス・コメディ的な作品も有りだろうが、
ポルノ的な意味で無くこうもストレートに性を主題にする監督と云うのは、
香港映画では中々に珍しい存在なのではないだろうか。
毎回撮る主題がコロコロ変わるカメレオン監督と云うのは、
こと香港映画ではそんなに珍しい存在だとは思わないが、
選ぶ主題の独特さと云う点に関してパン・ホーチョン、確かに異彩である。

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    今は無き銀座テアトル西友でレイト・ショーでしたね。

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2011.06.18

キャパビリティ・ブラウンの凄過ぎる世界

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ユーロ・ロック・アナリストを名乗る三輪岳志氏の文章にこんな物がある。
『かつてロック音楽の世界では、「好き・嫌い」「出来が良い・悪い」「売れる・売れない」といった判断とはまったく別に、「すごい・すごくない」と云う基準が確実に有った。』そしてその例証として、
『キング・クリムゾンの「アースバウンド」に於けるメル・コリンズのサックス』
『ディープ・パープルのライブに於けるイアン・ギランとリッチー・ブラックモアのコール&レスポンス』
『PFMのライブに於けるマウロ・パガーニのヴァイオリン・ソロ』等々。
そしてその中に『キャパビリティ・ブラウンのアカペラ・コーラス』と云う、
余り耳慣れないバンドの名前が登場してくる。
今回はそのコーラスが凄過ぎる「キャパビリティ・ブラウン」の話である。

まあ古くからのブリティッシュ・ロック・ファンにはお馴染みの名前だし、
聴いた事の無い人もヒプノシスによる有名なジャケ画はご存知だろうと思う。
しかし優れた内容の割りに知名度が低いのは再発状況に拠る物も大きい。
以前から聴きたいと思っていたが中々その機会が訪れない彼らのアルバムが、
日本に於いてヴァージンからCDで再発したのが1990年の事だったが、
それから二十年以上も再発の機会が無く、中古値も高騰していた訳だが、
今回は日本で初CD化と成る1stアルバムも同時に発売されると云う事で、
紙ジャケによる正に待望の再発と相成った訳である。
1stは地味なシングル・ジャケだがオリジナルの内袋が付属し、
2ndはヒプノシス・デザインの口唇が展開する見開き物に成っている。

キャパビリティ・ブラウンの凄さを知りたいのであれば、
何はともあれ2nd「Voice」の最後を飾る、アナログではB面総てを使った、
21分に及ぶ組曲「Circumstances」を聴いて貰うに限るだろう。
例えば10ccの「Un Nuit A Paris」とかクイーンの「Bohemian Rhapsody」とか、
コーラスが絡み合う複雑なポップスが好きな人間にはたまらない一曲である。
と云うか単純に「コーラス/ハーモニー」と云う点に於いては、
明らかにクイーンを凌駕している、タイトルの「Voice」は伊達では無いのだ。
イントロは哀愁のある民族音楽調とスペーシーなシンセが黙示録的な雰囲気で、
そのどんよりとしたイントロを引き裂く様にして始まる美しいアカペラが、
やがて二重奏・三重奏といった異常に複雑なコーラスの重なり合いに変わり、
凄まじい声の綴れ織りに幻惑されている内にフォーキーな中間部へ、
爪弾かれるギターやメロトロンの合間に流れるハーモニーにうっとりしていると、
強烈なギターのカッティングと供に怒涛のエンディングへ、
長尺曲でありながら長さを感じさせない構成と美しいメロディ、
楽曲の構築度と楽器以上の存在感をみせる「人声」に圧倒される一曲である。
勿論この曲だけがこのアルバムの総てではなく他の曲も素晴らしい。
一曲目からハーモニー全開だが、哀愁のあるコーラスが民族音楽の様でもある、
サビのメロディが耳に付いて離れない実にメロディアスで美しい二曲目、
スティーリー・ダンの一枚目からのカバーと云うのがシブ過ぎる三曲目、
演奏の充実度も知れるハードなブギの四曲目と捨て曲無しの充実度である。

しかし彼らは何故こうも高度なハーモニーを聴かせられるのか疑問だったのだが、
今回の再発の赤岩和美氏のライナーを読んでようやく納得した。
前回再発時のライナーでは触れられていなかったので知らなかったのだが、
このバンドのメンバーの内三人は、あの「Harmony Glass」のメンバーだったのだ。
「Harmony Glass」と言えば「King Of British Harmony」と称される、
Tony Riversが率いた英国版ビーチ・ボーイズとして名高いグループである。
英国では六十年代にビーチ・ボーイズの影響も有ってか、
コーラスを主体としたポップ・グループが多数生まれ活躍した時期が有った。
「Beach Baby」でお馴染みなJohn Carterが手掛けた「The First Class」、
「The Flower Pot Men」、そして「The Symbols」等が知られているが、
その中でもTony RiversのCastaways、そして「Harmony Glass」の評価は高い。
自分が「Harmony Glass」を聴いたのはかのソフト・ロック・ブームの頃で、
その頃再発された唯一のアルバム「This Is Us」には驚かされた訳だ。
栄光のブリティッシュ・ロックがビック・バンを迎えていたその傍らで、
こう云うポップ極まりない主流のグループが活動していたのも驚きなら、
そこで聴ける素晴らしく完成されたハーモニーにも圧倒された。
成る程、「Harmony Glass」出身者なら確かにこのハーモニーの凄さは肯けるし、
得意のコーラスワークを英国ロック的なサウンドに乗せるアイデアも良く解る。

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           Harmony Glass唯一の作品「This Is Us」

さてそんな知られざる名作の誉れ高い「Voice」に較べると、
同時に発売される日本初CD化の1st「From Scratch」は未だ発展途上時ながら、
珠玉のコーラスが美しいポップな小品集として実に良い味わいの作品と成っている。
今作には同じカリスマ・レーベル所属のバンド「Rare Bird」の二曲と、
ラス・バラード(アージェント時代)のカバーが三曲収められている。
多彩と言えば多彩だが、バンドとしての焦点が絞り切れていない感じは有り、
それ故に何処かルーツの一つである米国西海岸的な雰囲気も感じられ、
メロウでフォーキーな曲などはそのままソフトロックとして現在も通じそうだ。
二作目から振り返って感じる、このバンドらしい個性の有る楽曲は、
アナログで各面の頭に当る一、六曲目そして長尺曲の十曲目辺りだろうか。
組曲である十曲目は次作の組曲にも引けを取らない中々の出来で、
コーラスワークよりも楽器のアンサンブルに主眼を置いた感じに成っていて、
各楽器が結構ハードにうねりながら展開して行く終章部分が中々カッコ良い。

赤岩氏のライナーによるとこのバンドの名前は英国の造園家である、
ランスロット・ブラウンの口癖から付けられたあだ名が元に成っているらしく、
実在の農学者の名前から戴いた有名なバンド、ジェスロ・タルと同様に、
実に、実に英国的なひねたセンスにニヤリとさせられる。

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2011.06.11

小島慶子のキラキラ

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i-podを買って一番変わった事と言えば、ラジオに帰って来たと云う事だ、
とi-padを買う為に臓器を売る人間が居る昨今、今更ながらつぶやいてみる。

昨年の夏にi-podを買って一通り聴きそうな物をぶち込んでから、
さてそろそろ他の機能も試そうかと、ポッドキャストなる物に手を出した。
そこで最初に登録したのがTBSラジオ「小島慶子のキラキラ」だった。
何処で聞いたか、もしくは読んだか覚えていないが番組の評判は届いていたし、
サブカル好きには文句の無い日替りのキャスティングにも惹かれた訳である。
最初は町山智浩とか吉田豪とか宇多丸とかの出る回のみを聴いていたのだが、
驚いたのが当初この番組を、深夜向けな個性の強過ぎる日替りのキャストを、
女性アナウンサーがアシストして行く様な番組なんだろうと思っていた所、
対等と云うより殆ど主導権を小島慶子と云うアナウンサーが握っていた所だ。
確かに「小島慶子の~」と付いてる訳なんだが大概の人は同じ様に驚くだろう。
特定のコーナーや曜日を聴いていた所から、別の曜日にも興味は移り、
配信されている総てのコンテンツを聴く様に成るまで左程時間は掛からなかった。

ポッドキャスト、そしてその頃はまだ試験的に運用されていたRadikoなどで、
30~40代のかつてのラジオリスナーが戻って来ていると云う記事を、
何かの雑誌などで読んだ事が有るが、自分も正しくその中の一人だろう。
テレビは一家に一台だし、ステレオ機器にした所で自分用が無かった頃に、
自分用の機器と言えばモノラルのラジオ、良くてFMの入るステレオラジオ位だった。
だから小学生の高学年から中学くらいに掛けてはかなりラジオを聴いていたし、
クラスの連中との話題でも昨日の晩のラジオの内容に付いては定番だった。
あの時代のガキなら誰でも聴いたであろう「オールナイト・ニッポン」は定番だが、
個人的に生島ヒロシから続いての一慶・小朝時代の「夜はともだち」とか、
吉田照美の「てるてるワイド」などは本当に熱心に聴いた物だった。
特に「てるワイ」の一コーナーだった、「スネークマン・ショー」は衝撃的で、
余りにシュールでハイブロウなギャグは中坊には理解出来ない物も多かったが、
「ひょうきん族」系の笑いからも隔絶した内容に一部の好事家と夢中になった。
後に音源化されて普及するが、放送の内容は更に過激だったと記憶している。
更に提供だった小学館の「GORO」のCMが非常に出来の良い爆笑な物で、
今考えてもあの時間帯のクオリティには唖然とする物があった。
その後は音楽方面を聴く為に、当時数誌発売されていたFM誌を元に、
せっせとカセットでエアチェックする様な方向に行く訳だが、
そこからラジオとは、特にAMラジオからはとんと御無沙汰な時代が続くのであった。
しかしポッドキャストで放送を聴いていると色々と不満も出て来る。
その最大の物はポッドキャストだと放送された音楽が聴けないと云う所である。
特に水曜の宇多丸や西寺郷太の音楽コーナーでは音が聴けないのは実に辛い。
と云う事で必然的にRadikoの録音ソフトで本放送を録音して聴き始める訳である。
そこでまた妙に懐かしいAMの昼放送の構成にグッと来てしまったりする訳だ。
各地の道路情報・通販コーナー・そしてあかひげ薬局などのレアなCM等々、
独特のまったり感と妙に身近に感じるパーソナリティの親密な会話に、
「あ~ラジオ良いかも」と何気に身に沁みて感じたりした。
ちょうど自分が聴き始めた少し前にTBSを辞めてフリーに成った小島慶子は、
この頃からじわじわと、しかし確実にメディアに取り上げられ始めていた。
流石に週間プレイボーイのグラビアに水着で登場してきた時には、
「小島さん・・・何してはるんですか?」と云う感じだったが、
現在出されている本や企画などがこの辺りからスタートしている事を考えると、
この頃から各種メディアに於ける小島慶子への注目度の高さが伺えよう。

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最初に出された小島慶子の書籍が河出書房新社から出た「ラジオの魂」だ。
語りおろしによる自伝的な内容を含んだラジオへの思いを綴った本で、
「語る」事に付いての姿勢、番組への向き合い方など興味深い話も多い。
ただ語りおろしなだけに、ある種一面的な方向でしかないのは致し方無い所で、
もう少し多面的に構成した方が本人の人と姿勢を伝えられた様な気もする訳で、
そう云う点では週刊誌AERAの「現代の肖像」の記事の方が読み応えが有った。
「現代の肖像」は北原みのりと云うライターが小島慶子に長期密着して、
本人は元より仕事関係から旦那にまでインタビューした内容で構成されている。
強過ぎる個性や主張故に様々な軋轢に悩まされた時代を経て、
現在のしなやかで強固なパーソナリティが形成された経過が多面的に綴られ、
周囲の人間の発言と供に本人の姿が立体的に浮かび上がる優れたルポだった。
この時の取材ソースを元に一冊作れば面白かっただろう、と思ったりもする。

さて小島慶子と云う人間と彼女の提唱するラジオの優位性が俄かに高まったのは、
この度の東北大震災と云う非常時に於いてであり、
そして奇しくもその時期に取材が重なっていたTV番組「情熱大陸」に他ならない。
多くの人が認める事だろうが、あの震災時期の放送の凄みは卓越した物だった。
普段はゆるい話題を軽やかにに転がして行く柔かさが魅力だったりするのだが、
あの時は通常の放送時に見え隠れしていた「硬軟」の硬の部分が表出した感じで、
人として、パーソナリティとしての覚悟が放送の様々な所に表れていた様に思う。
情動的、かつ大局的な番組内容で早々にうんざりしてしまったTVに較べると、
チェーンメールによるデマ、原発事故の現状、頻発する余震の意味、放射能、
そしてTVなどでは放送されない地域の被害や様々な支援活動の紹介など、
一人一人の身の丈に合った、本当に必要で知りたい情報が取り上げられていたし、
そして何より小島慶子の揺ぎ無い芯の有る語り口に励まされる感じだった。
で、その時期の番組の裏側を偶然密着していたのが番組「情熱大陸」で、
ファンとしては通常のラジオ放送の裏側も観て見たかった所では有るが、
奇しくもあの非常時のお陰で小島慶子の人と形が更に際立ったと云う感じだった。
それ以前「今、小島慶子のキラキラってラジオが面白いんだよ」等と言うと、
どう云う想像か解るが「へぇ~」等と解り易くニヤニヤされたりしたが、
最近は小島慶子と言うと「あ、情熱大陸の?」等と返される事も増えたりして、
少なからぬ人間があの番組で彼女の存在を認識したのは確かだろう。

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さて最近そんな「キラキラ」の番組本がアスペクトから発売された。
タレントの名前が冠に付いたラジオ本は、まあ今でも見掛ける事は有るが、
昼帯のラジオ番組の本、しかもこんなに分厚い本は中々無いのではなかろうか?
とにかくまあ異常にバラエティにとんだ内容でファンにはたまらない1冊である。
個人的には各曜日のパートナーによる小島慶子観・番組観等が面白かった。
素朴な弟を手玉に取っている様な柔らかさが面白い、ビビる大木との月曜日、
いい加減な親爺の戯言に対する手綱捌きが絶妙な、神足裕司との火曜日、
突っ込み合いと脱線具合が実に絶妙なバランスで交差する、宇多丸との水曜日、
軽妙で奔放な相手に笑わされつつも締める所は締める、ピエール瀧との木曜日、
そして温かく見守られてる故の穏やかさが気持ち良い、水道橋博士との金曜日、
そんなリスナーの印象を裏切らないパートナー達の談話が何気に興味深い。
博士による各曜日の分析も面白く、新年会事件の「藪の中」具合など最高だった。
あとは放送中に吉田豪も言っていたが各週のパティスリー(現・コラコラ)の、
出演者のインタビューなども是非取り上げて欲しかった所では有る。
パティスリーと言えば火曜日の上杉隆の番組降板は返す返すも残念だが、
博士も本書で語っている様に上杉隆と小島慶子の相性は本当に素晴らしい。
上杉隆の複雑な話の翻訳度、そしてグダグダな語りへの手綱捌きは実に見事で、
ポッドキャストでも良いから誰か番組でも企画してくれないかと願う所だ。

個人的な話だがポッドキャストは週末にまとめて聴く事にしているのだが、
巻末の「オンエアリスト」を読んでいると、「この回はあそこで聴いたなぁ」とか、
週末の外出先で聴いた時の場所など思い出して中々に感慨深い物が有った。
こう云う経験とかはポッドキャストならではと云う所だろうか・・・・

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2011.06.04

亡霊たちと血塗られた祭祀

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今回取り上げる2つのバンドは、近代Doomの祖の一つである、
カテドラルのVo・リー・ドリアンが主宰するRise Above所属のバンドである。
リー・ドリアンと言えば熱心過ぎるビニール・ジャンキーとして有名で、
バンドでもSandroseやCurvedAirをカバーするなどマニア体質全開の男だが、
最近ではRise Aboveで埋もれていた70’sバンドの発掘も盛んに行っている。
発掘と再発により、当時は黙殺された有象無象の個性的な音に触れられる様に成り、
そのバンドが活動していた時期には産まれてもいなかった連中が、
あの時代の混沌としたヘヴィな音像を現代に甦らせる様な状況に成っている。
今回の2バンドも流石リー・ドリアンのお眼鏡に適っただけあって、
両者ともその期待を裏切らない実に暗黒で個性的なバンドである。

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最初の一枚は既に日本盤もリリースされているスウェーデンの「GHOST」。
「とある悪魔崇拝集団の指令の元、教義を布教する為に結成・活動している」
と云うちょっと懐かしいコンセプト?に基づいているバンドで、
メンバーの素性はおろか顔も編成も名前も明かされていない怪しさである。
Voは司祭の服装にスカルメイク、他は全員深くローブを被った修道士姿だ。
ブラック・メタルに有り勝ちなコープス・ペイントにスタッズや凶器と言った、
既にスタイル化した方向に行かなかったのは面白いが、
スカル・メイクならキング・ダイアモンドやミスフィッツで御馴染みだし、
修道士姿ならSUN 0))))辺りで見慣れた感じで特に独創的だとは思わない。
と云うか、そもそも悪魔崇拝者が何故キリスト教由来のスタイルを採用するのか、
その点で色々と突っ込み所は多い訳だがその点も含めて存在がポップだ。
このバンド、一曲でも聴いて貰えば解るが実に驚くほどポップで有る。
レーベル主催者のリー・ドリアンは「DoomPop」と形容している様だが、
何も無理に「Doom」と名乗らなくても良いのでは?と思う様なポップさだ。
しかし演奏している連中は得体の知れないアングラ極まりないスタイルだし、
歌詞の醸し出す世界は暗黒、と云う対比がこのバンドの妙なんだと思う。

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チャーチ・オルガンが響き渡るアルバム冒頭のインストの一曲目から、
太っといベースのリフに先導されうねりまくるリフが盛り上げる二曲目は、
解り易い歌メロにミサ的なコーラスが絡むバンドの代名詞的な曲に成っている。
続く三曲目はサビで合唱さえ起りそうな位の、余りにもポップなナンバーだが、
曲の終盤で展開されるギターソロも実にキャッチーでメロディアスだ。
四曲目は伝統的なリフに絡むVoの感じが何処かマーシフル・フェイトっぽく、
それは次の曲の歌メロの節々が妙に気持ちの悪い裏声で終わる所にも表れている。
とにかくここのVoは声質も歌い方も実にマイルドであり、
妙にメタルっぽいギミックや技巧が少ない所が逆に個性的で面白い。
途中六曲目で暗黒ニューウェーブ風なサウンドと展開を挟み込みながら、
後半は静と動、明と暗、美と醜を織り交ぜた一筋縄で行かない曲が続く。
この曲だけなら確かに「Doom」的とも言えなくも無いヘヴィなリフとリズムに、
ポップながら哀愁極まるメロディがからむ八曲目を通過して、
中々雄大でエピックな曲調からアコギによるフォーキーな展開が美しい、
冒頭と同様のインスト曲で「幽霊たち」の奇妙なミサは終了する。
日本盤ではこの後に一曲ボートラが収録されているらしい。
この独特のポップさが妙に癖に成る作品で今後の展開が愉しみだ。

Rise02

さてお次はカナダのバンド「BLOOD CEREMONY」のセカンド・アルバムだ。
鍵盤類とフルートも手掛ける女性Voブレンダ・オブライエンを擁したバンドで、
Doom的な要素が濃厚ながらレイドバックしたサイケ臭も深く漂う。
特に一枚目に較べると今作では更に様々な要素が作品に混在していて、
ストレートなヘヴィさは減退したが、得体の知れぬ怪しさは更に増しており、
前作では上手くは無いがそれなりにエモーショナルな歌唱を効かせていたVoが、
今作では妙にのっぺりしたクールな歌唱を効かせており、
抑揚の無さが逆に妙な個性に成っていて非常に独特な感覚が残る。

そして今作で顕著なのが曲世界に現れる文学的なオカルト趣味の多様さだ。
前作のラストでも「Hymn to Pan」と云う曲が収録されていたが、
今作の一曲目はそれに続く様に「The Great God Pan」!
そうあの幻想文学の金字塔、アーサー・マッケンの「パンの大神」である。
『狂気の医師の脳外科手術によって禁断のパンの大神を幻視した女性。
彼女が発狂の末に産み落としたのは呪われし美貌の妖女ヘレン、
へレンは性の奥儀により係った男達を自殺に追い込み、
やがて自らも奇怪な変容を遂げて行く』と云う悪名高き呪われた名作だ。
その狂った世界観を表す様に曲はアップテンポでヘヴィにうねっており、
後半のオルガンとギターの掛け合いも混沌としていて実にDoomyである。
ヘヴィなリフと幽玄なフルートが絡み合う2曲目はタイトルからして、
ビル・ブリトゥンの児童文学「魔女の木」村 (Coven Tree) シリーズを思わせるが、
児童文学とはそぐわない曲調からして違うかもしれない。
タロットカードに於ける「隠者」をモチーフにした様なインストの三曲目は、
爪弾かれるギターとフルートの絡みが美しくも儚い一曲で、
ジェスロ・タルと云うかイアン・アンダーソン的なフォーキーな雰囲気も有り。
サバス的な暗黒リフがヘヴィにうねる、ブルージーなソロも印象的な四曲目、
ワルツ的なリフが変則的で呪術的な雰囲気が濃厚な五曲目も良いが、
サマセット・モームの小説「魔術師」をモチーフにした「Oliver Haddo」がシブい。
美しき貴婦人を篭絡しホムンクルスの創造を画策する魔術師オリヴァ・ハドゥ、
肥満・禿頭の傲岸不遜な男と形容されるこの邪悪な魔術師のモデルこそ、
20世紀最大の魔術師として有名なかのアレイスター・クローリーなのだ。
冒頭に入っている台詞は1926年にレックス・イングラムが映画化した、
「魔術師」の映画からの物だろうか?そんな台詞に導かれるこの曲は、
ネットリとしたリフが蠢くヘヴィでマジカルな曲で展開して行く後半部も良い。
七曲目はVoが珍しくメロディアスに歌い上げるコーラスも入った曲で、
エコーの掛かりまくったKeyにデイヴ・ギルモア風のギターが絡む中間部は、
正しく初期のピンクフロイドの様にドラッギーでカッコいい。
儚くも美しいインストの八曲目を挟んで十分を超えるラストの大曲は、
幻想的なイントロから始まるプログレッシヴで雄大な雰囲気の曲に成っていて、
中間部でリズムチェンジした後に迎えるカオティックな展開が素晴らしく、
荒れ狂う唾吹きフルートとよく歌うギターの絡み合いがスリリングだ。

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今回はギターの貢献も素晴らしいが、やはりブレンダ嬢の存在が独特だ。
特に縦横無尽なフルートが描き出す暗黒な印象は今回も鮮烈で、
前作がジェスロ・タルからオザンナ辺りのイタリアン・ロックへと通じ、
更にフォーカス辺りも連想させる熱い唾吹きフルートが主流だったのに対し、
今回は北欧系のバンドに多い静謐な冷気を湛えた音も取り入れられている感じだ。
見事な飛躍が見られる今回の作品で更なる注目が集まりそうなバンドである。
是非とも日本盤なども発売して、日本でも注目される事を期待したい。

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