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2011.07.23

昼下がりの怪電波

Dontme01


本書は、昨年の10月から12月の3ヶ月間、毎週土曜日の昼間に出現した、
「ドント・パス・ミー・バイ」と云う名の異空間の記録である。

体裁としては「インターFM」放送のラジオ番組であり、
特殊漫画大統領の根本敬と「幻の名盤解放同盟」常務である湯浅学の両人による、
毎週・中々に豪華なゲストを招いての特殊な音楽番組と云う感じだろうか?
基本司会の両人の人脈と云うか、彼らの活動を知っていれば納得の人選なのだが、
中には「一青窈」の様な、何故ここに?と云うゲストも居て面白い。

ゲストに因んでいたりいなかったりの毎週の選曲が余りにも凄まじく、
昨今のK-POP等とは完全に隔絶している濃厚な大量の大韓歌謡&大韓ロック、
ロシア、タイ、トルコ、スロヴェニア等の辺境国の香ばしいロック、
キン・テリ師匠直系の甘茶ソウル、同盟で発掘して来た昭和歌謡、
中畑、落合、オマリー、優作、ザッパ、牛心隊長、そして勝新・・・・
公共の電波に乗る事自体が奇跡のような楽曲の数々に心が躍る。

司会を勤める根本・湯浅の両人、それぞれに濃厚なゲスト、凄まじい選曲と、
それだけでも過不足無いくらいに濃厚極まりない空間な訳だが、
ラジオ放送と云う時点で全く意味を為さないスタジオの過剰なデコレート、
それぞれ違う音が発せられる大小様々な十数台のラジカセ、
例のシンバルをしゃんしゃん打ち鳴らすサルやピーチクと囀る鳥の玩具、
それらが占領する糞狭いスタジオで振舞われる、刺身や寿司や味噌汁、
そして番組の途中でゲストに差し出される「お車代」と云う名の薄謝等々、
余りにも意味不明な常識を覆す行為の数々にゲストも完全に呑み込まれていて、
正に一時間の放送が十五分位の体感度、と云う暴風の様な空間なのだろう。

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         奥崎先生の等身大パネルも有るカオスなスタジオ

本書付属のdvdには放送時の映像が納められ視覚的にそのカオスを確認出来るが、
面白いのが「収録中のスタジオ」と「実際の放送」の音声が切り替えて聞ける事で、
現場の圧倒的なまでのカオスっぷりが確認出来る事である。
スタジオ内はヘッドホンをしていなければ互いの声も聞こえないほどの音響空間で、
確かにこれならゲストも翻弄されるままに一時間終わると云うのも納得である。
さてその映像の中で放送中に忙しく立ち動く根本敬の姿や、
シンバル・サルのゼンマイを巻き位置を調整する湯浅学の姿を見てる内に、
これは端からラジオ放送と云う様な観念の物では無く、
ノイズ・パフォーマンスみたいな物を目指したのではないかと思えて来た。
ノイズ音楽の起源の一つに短波放送のノイズを使用した物が有るが、
チューニングの合った放送の上で意図的にノイズを混入する試みと云うか、
現代では電波に乗る事の少ない真に「電波的」な楽曲を更なるノイズで飾り、
土曜の昼下がりに、意図せずに混沌とした空間を召還する試み、とでも言うか。
それ故にスタジオを根本の漫画の様な空間にする必要が有ったのではなかろうか?
等と考えていたら、この番組の正月の4時間特番の時に、
山崎春美とかマジでノイズの人を呼んでノイズ放送していたんで笑った。

本書の方に放送時に送られて来たお便りが掲載されているのだが、
初期の頃に明らかに間違ってこの異空間に迷い込んでしまったリスナーの、
怒りとも困惑とも付かないメールが掲載されていて爆笑である。
気に入らないラジオ放送ならチューニングを変えれば良いだけの話なのだが、
わざわざメールで送って来る所を見ると、良し悪しの問題以前に、
そう云う人たちの心にも何らかの爪痕残しているんだと感慨深い話である。
確かに、緩い土曜日の昼下がりに、出来れば何の予備知識も無く、
辻斬りの様な、こんな異常な電波を受信してみたいもんである。

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           隊長と奥崎先生が並ぶ素晴らし過ぎる脚注

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2011.07.16

追悼・和田慎二

Wada01

始めに断っておかなければいけない事だが、
和田慎二と云う作家に夢中に成っていたのは随分と前の事で、
ここ二十年くらいの作品は殆ど読んでいないし知らない物ばかりだ。
なので現在進行形のファンの皆様にとっては片腹痛い話だとは思うが、
確実に或る一時期夢中に成り、多大な影響を受けて来た作家なのは確かで、
中途半端ながら個人的な思い出をもって故人の業績を偲んでいきたいと思う。

和田慎二の名前を始めて知ったのはお決まりの如く「スケバン刑事」だが、
TVドラマ化される以前の、まだ第二部が始まる前の事だった。
何故その時本屋で「スケバン刑事」を手に取ったのかは覚えていないが、
「男が少女マンガ描いても良いんだ・・・」と云う妙な驚きと、
「にしても全く少女マンガっぽく無い話だな」と云う様な尤もな驚きだった。
当時から有った「変な物に魅かれる」性質が見事に発揮され、
本屋に有った「スケバン刑事」の漫画を徐々に買い揃えて行った訳だが、
残念な事にそこの本屋には三巻までしか在庫が無かった。
まあ普通なら書店に頼んで在庫を取り寄せて貰ったりするんだろうが、
多分「少女マンガだしなぁ・・・」と云う過剰な自意識が働いていたのだろうか?
結局自力で残りの在庫を手に入れる事にしたのである。
どう云う事かと言うと、チャリで周辺の本屋と云う本屋を捜索しまくる事だ。
現在は見る影も無いが、三十年以上前はそれこそ街の至る所に本屋が有り、
ちょいと大きめな商店街にでも行けば三軒ほどの本屋が直に見付かった物だ。
てな訳で自分とこの区のみならず近隣の区にもせっせと足を伸ばし、
あっという間に揃え終わるも、その捜索行自体が愉しみに成ってしまい、
白泉社から出ていた他の単行本も揃える様に成って行き、
更には「超少女明日香」シリーズから集英社のコミックにも手を出し始め、
巻末の広告などで見た事の無い既刊を発見し更なる捜索行が続き・・・
等と云う後の古書探索癖の下地に成る様な行為を小学生の頃に続けたお陰で、
或る時期の和田慎二の作品はほぼコンプリートした訳である。

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そもそも元々クラスの女の子に「ベルバラ」とか「キャンディ・キャンディ」を、
借りて読んでいたのでそれ程少女マンガに対する偏見は無かったのだが、
和田慎二の漫画を買う様に成ってから少女マンガへの傾斜度が高くなった。
何故か話の上で「スケバン刑事」と繋がりが有る「ガラスの仮面」を筆頭に、
「はみだしっ子」とか「摩利と新吾」とか「蘇州夜曲」とか夢中に成ったし、
勿論、和田慎二同様に男性作家が手掛ける少女マンガとして柴田昌弘とか、
初期の凄まじく画面が黒かった頃の魔夜峰央とかも大好きだった。
「花とゆめ」とか「LaLa」も当時買ってたりしたから相当ハマっていた訳だ。

それはさて置き何故そんなにも和田慎二の作品にハマったのかと言えば、
ストーリーテリングの圧倒的な巧みさとある種の斬新さに有ったと思う。
「スケバン刑事」等の長編に顕著な、凄まじいまでの恩讐と相克と愛と死。
それらが主人公達を揺さぶり翻弄し、運命の奈落に叩き込む展開の圧倒感。
今と成ればそれは実に七十年代的濃厚なドラマツルギーで有る訳だが、
それでも尚、和田慎二の描く世界は過酷なまでにドラマティックだった。
確かに七十年代の漫画ではよく人が死んだ、そらもう簡単に死んだ。
かの「アストロ球団」等では野球の一試合で何人も死人が出た。
しかし「スケバン刑事」に於いては敵・味方関係無く死人が続出する。
その度に話は濃密にうねりを増し、続きを読む手が止まらなくなる訳である。
とにかく和田慎二と云う作家は、その話のうねりを創出する事に長けていた人で、
短編・長編に係らず、話の面白さに関しては常にレベルが高い作家だった。

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しかし和田慎二の独自性は単に語り口の濃厚性に有るだけではなくて、
選択してくる話の題材に、ある種の斬新さが加わってくる所に有る。
洋画ホラー作品をモチーフとした「わが友フランケンシュタイン」や、
珍しいミイラ男の日本での復活を描いた「恐怖の復活」、
中近東を舞台にした活劇「炎の剣」「アラビアン狂想曲」、
現在なら普通にありふれたジャンルの一つに成ってしまったが、
「ピグマリオン」のダーク・ファンタジー的世界は実に斬新だった。
斬新と言えばイラスト作品や「キャベツ畑でつまずいて」等で描かれた、
ルイス・キャロルの「アリス」への作者の偏愛についてだろう。
その後世界に伝播して行くヲタク・カルチャーの重要な要素の一つである、
「ロリコン」と云う観念のかなり早い時期の紹介者の一人が作者であった。
ついでに言えば同人誌に顕著なアニパロと云うかサブカル・パロディの、
かなり早い時期の商業誌作品も「ラムちゃんの戦争」で作者は成していて、
今と成っては「超少女明日香」も「宿命の戦闘少女」物の一つの雛形と言える。
個人的に好きな作品である新撰組が題材の「あさぎ色の伝説」などは、
時代背景も有って当時でもそれ程珍しくもない題材では有るが、
現在も繰り返し描かれ続けている事を考えると中々に興味深い所である。
この様に現在のアニメ・漫画界隈で代表的とでも言えるジャンル表現は、
随分早くから和田慎二の手によって手掛けられている事が解る訳で、
勿論、個々に先駆的な作品はそれこそもっと以前にまで遡れるだろうが、
一人の作者にこれだけ現在的な要素が集まっていたと云う事実も面白い。

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さて最後に個人的に思い出深い和田慎二の作品を挙げるとするならば、
断トツに偏愛する「クマさんの四季」を挙げたい。
東映動画の名作「太陽の王子 ホルスの大冒険」的な共同体を舞台にした、
擬人化された動物たちを登場人物に添えたファンタジックな作品である。
全四話の作品は派手な展開を抑えた静謐で人間臭いストーリーに成っていて、
森の動物たちを温かく見守るクマさんの視点が温かなマイナー・ポエットだ。
作者自身も非常にお気に入りの話であり、アニメ化の話も幾度か有ったらしいが、
作品世界を大事にするあまり、それらを断ってきたと云う逸話も残る作品である。
白泉社から76年に出された単行本は、当時の児童書を髣髴とさせる、
紙のケースに納められた非常に装丁の美しい本で愛着のわく一冊に成っていた。
本作は作者の追悼企画が有るならば真っ先に復刊して欲しい一冊であり、
その際には本書に未収のカラー原画や、かつて「全コレクション」で復刻した、
デビュー前の同人誌に書かれた「クマさんの10月」も追加収録して、
作者が最も愛した作品の美しい完全版にしてほしいものである。

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2011.07.09

怪談専門誌「幽」第十五号発売

Yuu151


さて毎度おなじみ、怪談専門誌「幽」の最新刊のお話。
今号も厚さは変わらず、節電の夏にピッタリの濃厚な怪談話が満載である。

今回は出版社も同じメディア・ファクトリーが大々的にプッシュしている、
小野不由美の「ゴーストハンター」シリーズ関連が巻頭の第1特集である。
個人的に「ゴーストハンター」に関しては未読なので何とも言えんのだが、
小野不由美のシリーズの特集と云うより広い意味でのゴーストハンター物なので、
その辺は未読の方にも楽しめる特集に成っていると思う。
ゴーストハンター物の始祖とも言える心霊博士ジョン・サイレンスの産みの親、
A・ブラックウッドの幽霊探索者側面を紹介する南條竹則の文章や、
ジョン・サイレンスから始まるゴーストハンター小説の系譜も楽しめた。
しかし好事家が最も喜びそうなのは現代のゴーストハンターを代表する、
「京極堂」こと陰陽師・中禅寺秋彦を生み出した京極夏彦による、
黒い探究者・稗田礼二郎を生み出した諸星大二郎への濃いぃインタビューだ。
いや一応形式は「対談」なのだが完全に中身は濃厚なファンの集いである。
諸星の「妖怪ハンター」掲載誌の少年ジャンプを切り取って、
自ら表紙を付けて製本し直した物を出してくる京極のマニア振りにも唸るが、
諸星の単行本は版元が変わる度に(書き足しが有るので)買っているとか、
京極堂シリーズの榎木津と中禅寺のルーツに稗田礼二郎が有ったとか、
京極の濃厚さに諸星もたじたじな、ファンなら見逃せない話が満載である。
巻頭特集にちなんだ怪しい紀行記「日本怪談紀行」は一応特集に関連して、
「大石兵六夢物語」と云う古典を訪ねに鹿児島まで出掛ける訳だが、
どうにも小粒感は否めず、毎度現地で怪異に遭遇する加門七海先生の印象記も、
非常に歯切れの悪い内容だったりするのが何ともはや、と云う感じだ。
当初の企画通りに英国にでも出掛けていればかなり中身は濃かっただろうが・・・

それに対して今回連載陣の小説が軒並み面白かった印象が有って、
まずは巻頭特集に付随した小野不由美の新連載が中々に良い感じの作品だ。
綾辻行人との対談で著者が今回から始まる新連載に際して、
「白いワンピースの女が出て来るような直球の、王道の怪談」と述べる様に、
古から続く町屋の開かずの間に現れる女幽霊の怪異を描いた話なのだが、
陰鬱で古びた日本家屋と云う舞台設定も実に鮮烈な効果を上げており、
典型的なイメージから導き出されるストレートな幽霊の実に怖ろしい事!
自ら課した高いハードルを鮮やかにクリアした作品だと言えるだろう。
そして本作に於いてゴーストハンター的な役割を果たす男・尾端の職業、
「営繕」と云うのがまた中々に斬新な「幽霊鎮め」的仕事で面白い。
小野不由美の「営繕かるかや怪異譚」は、かなり期待出来る新連載だ。
そしてこちらも今回のゴーストハンター特集に因んだ訳ではないだろうが、
有栖川有栖の大阪を舞台にした連作の一篇である「天神坂」にも、
心霊専門の探偵・濱地健三郎と云う面白い男が登場する。
彼もまた「幽霊を狩る」と云うよりは「幽霊鎮め」的な職業の男で、
古きよきしっとりとした大阪の情緒の中で繰り広げられる幽霊鎮めが実に良い。
結末の飛翔感が素晴らしいモダン・フォークロア的な恒川光太郎の作品も唸るが、
個人的に相当魅かれる物が有ったのが京極夏彦の「眩談」だ。
かつては当たり前の様に街に生きていた、本編で言う所の「少々困った人」たち。
今ならそれぞれ精神病理的な学名が付けられる中々に微妙な存在な訳だが、
少し浮きながらも普通に地域の一員として暮らしていたのを自分も覚えているし、
彼らに対して抱いていた、懼れや嘲りを妙な懐かしさと供に思い出す。
本編はそんな記憶を、奇怪で幻想的な話に落とし込んでいて実に鮮やかだ。
今と成っては微妙なテーマであるが、そこら辺は上手く処理して有って、
その題材選びの見事さと、展開の巧みさには唸らされた。

さて特集のもう一つは「震災と怪談文芸」で、これも実に興味深い内容だった。
圧倒的に抗い様の無い現実を前に、創作者は何をするべきなのか?
いとも容易く大量の人間が亡くなって行く中で怪談などを記す意味は有るのか?
巻頭の対談にて小野不由美が被災地に取り残された家畜たちを指して、
「あの牛たちが餓死する様な事に成ったら余りにも浮かばれない、せめて真夜中に牛の足音が聞こえた、通りを横切る姿が見えたとか、そう云う怪談の一つでも残らないと牛たちの命が本当に無に帰してしまう」と云う様な事を述べ、
「悲惨な事故なり事件が起った時、その記憶を後の世代に伝えられるのは怪談なんじゃないか、と云う気がする」と述べているのが実に興味深い。
確かに「人の本当の死は、誰の記憶からも失われてしまう時だ」とするならば、
その死の無念さや哀しさを後世に語り継ぐ為に怪談と云う手法は有効だろう。
編集長の東雅夫いわく「慰霊と鎮魂の思いこそが、怪談の発端」なのだ。
不謹慎だと殊更タブー視する事や、押し黙ってしまう事こそ慎むべきであり、
創作者はその持てる力で誠実に怪談を紡いで行く事が大事だろう。
「記憶が抗い様のない現実に上書きされしまう。それぞれの中にあった『ふるさと』が、十杷一絡げの『被災地』に塗り潰されてゆく。だからこそ。私は亡くなった人に纏わる物語を聞き集める。(中略)語り、聞き、綴られる事で、『ふるさと』はかつての姿を人々の記憶に残し、行き続けて行く筈だ。『怪談』にはその力が有る筈だ」黒木あるじが綴ったこの言葉に深く共感する次第である。

ちなみにこの特集に際して、かつて関東大震災で被災した泉鏡花が、
その体験の顛末を綴ったエッセー「露宿」が今回復刻されているのだが、
迫真の筆致ながら典雅な幻想性溢れるその世界に陶然としてしまった。
流石としか良い様の無い鏡花!まだ(自分が)知らない傑作が多いなぁ・・・

Yuu152


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2011.07.02

ビブリア古書堂の事件手帖 / 三上延

Sioriko01


最近読んだ本の中から「ビブリア古書堂の事件手帖」と云う面白そうな奴を一冊。

本書は所謂「安楽椅子探偵」物と呼ばれる形態の連作短編シリーズで、
他者からもたらされる情報を元に机上で推理を構築する探偵の話である。
日本では或る時期、北村薫の登場により爆発的に拡がったジャンルだったが、
それら「日常の謎」系の本が増加し過ぎて逆に食傷気味に成った感があった。

さて本作の探偵は北鎌倉駅前にある「ビブリア古書堂」のうら若き店主、
本への愛情と知識、そして洞察力に関して底知れぬ深さを持っているが、
普段は客商売とは思えないほど引っ込み思案な美女・栞子さんだ。

本書の語り手である就職浪人中の五浦大輔が、祖母の遺品の漱石全集の一冊に、
漱石の署名が入った物を見付け、ビブリア古書堂に持ち込む所から話は始まる。
結局その署名は偽物だったのだが、その偽署名が何故入れられたかを解く内に、
書籍を通じて大輔の祖母の隠された秘密が栞子の推理で顕に成って行く。
「失読症」と云う程ではないが、長時間本が読めない体質の大輔は、
本の事に成るとまるで人が変わった様に楽しげに語る栞子に憧れを抱く訳だが、
そんな大輔をビブリア古書堂でバイトをしないかと栞子が誘う。
実は彼女は怪我で入院しており、以上の推理も病床にて行われた物だった。
そして以降、ビブリア古書堂のバイトを始めた大輔が、
店に持ち込まれた古書とそれにまつわる人達の謎を栞子に持ち込み、
病床の栞子が鮮やかな推理でそれを解くと云う話が続くと云う内容だ。

イラストを使ったそのジャンル独特の表紙といい出版元といい、
本書は所謂ライトノヴェル系の本であり著者もラノベ出身者の様である。
とは言えラノベに拒否反応を抱く人間が考える様なそれ系の要素は殆ど無く、
普通のミステリー小説として過不足の無い面白さであり、
むしろラノベ的装丁が逆に残念かな、と云う感じもする本である。
良い意味でラノベ的な要素が表れている部分としては、
栞子さんと云うキャラクターの造型が非常に鮮明に起っていると云う事で、
キャラの起ち方とその周囲の関係性から話を転がして行くと云う、
ある種のラノベのセオリーが上手く「日常の謎」と絡み合っている所だろう。
それと同時に最終章の犯人の造型が如何にも的な物に成っている残念さも有る。
巻末の著作リストを見ると本書がラノベ的ファンタジー作品ではない、
一般的な題材を取り上げた著者の最初の作品に成る様なのだが、
著者もラノベ界隈から越境してくる新しい才能の一人に成りそうな存在である。

本書はプロローグとエピローグを挟んだ四章に成っており、
それぞれ、第一話・夏目漱石「夏目漱石全集・新書版」(岩波書店)
第二話・小山清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫)
第三話・ヴィノグラードフ・クジミン「論理学入門」(青木文庫)
第四話・太宰治「晩年」(砂子屋書房)と、書名がそのタイトルに成っている。
この中で稀覯本と言えるのは太宰治の初版本の「晩年」だけで、
そう云う意味では古書マニア的には喰い足りない部分が有るが、
題材とされた書籍と登場人物との関わりと云う点では中々に良く出来ており、
それぞれの書籍の内容が謎に反映されている部分などかなり上手い。
ミステリー的な部分で言えば第二話の謎解きに於いて、
何故「新潮文庫」でなければ成らないのか?と云う所など唸らされた。
が、やはり話の面白さとしては主人公と栞子さんとに深く係る、
第一話と第四話がずば抜けて面白くそして深い話に成っていると思う。
本書にも出て来る梶山季之の名作「せどり男爵数奇譚」や、
紀田順一郎や出久根達郎の古書を扱った小説に必ず描かれる、
古書と云う「魔」に憑かれた人間の深く暗い「業」を扱った第四話は、
清楚で知的な美女、と云うだけでない栞子さんの造型も含めて鮮烈であり、
故にエピローグの爽やかさが生きて来る中々に印象深い話に成っている。

北鎌倉・そして大船と云う落ち着いた舞台設定も実に生きているし、
読後、ビブリア古書堂と主人公達のその後が読みたく成る事請け合いの一冊だ。

Sioriko02


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