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2011.08.27

本棚探偵の華麗なる帰還

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何時もの様に本屋に出掛けて、何時もの様に新刊の平台を眺めていると、
スマートに並ぶ新刊の列に、妙に概視感の有る赤黒くごっつい箱の山。
「ん?まさかアレは!」と手に取ってみれば、持ち重りのする堅牢な箱。
嗚呼やはりそうだった、本書の帯に書かれている帯叩きではないが、
正に『こんな時代に無謀な造本』!そして表紙に踊る煽情的な手書き文字。
漫画家・喜国雅彦氏による趣味の古本・ミステリー・エッセイ集、
何と7年振りの新刊と云う「本棚探偵の生還」が出版された。

前回の「本棚探偵の回想」をここに書いたのが2005年の事だから随分と前だ。
前回書いた時には「そろそろネタに窮している様な」とか記しているので、
失礼ながら既に連載が終了している物だとばかり思っていたのだが、
一度終了した後に連載を再開した様で、それでタイトルが「帰還」なのだそうだ。
でもって現在は「小説推理」誌に「本棚探偵、最後の挨拶」を連載中だそうだ。
ホームズ物に準拠したタイトルの話に付いては本書の冒頭でも語られているが、
これで棚に「最後の挨拶」まで揃って4冊並ぶと、さぞや壮観な眺めだろう。
と云うか4冊並ぶ事をモチベーションに作者は連載を続けているのかも知れない。
毎回冗談の如き趣向を凝らした擬古造本が「本棚探偵」の醍醐味な訳だが、
今回は短篇集と長篇集の2冊組みで、豆本に成る月報も付属している。
全く持って今の時代に無謀な造本だが、音楽メディアに於ける紙ジャケの様に、
こう云うフェティシズムに訴え掛ける造本はもっと増えて良い様な気がする。
ネットによる音楽配信に対して紙ジャケやDeluxeEditionが共存する様に、
電子書籍に対して無駄に豪華な装丁や造本の書籍が出て来ると云うのも面白い。
いっその事、ペーパーナイフ付きのアンカット装と云う時代錯誤造本とか・・・
まあその辺は以前にほるぷ出版が『名著復刻』シリーズでやっているか。

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さて今回の内容だが前作の「回想」以上に古本的な部分から離れ、
書籍を中心としたエッセイ的な味わいが深くなっている様に思う。
某音楽誌の連載で読んで知っていたが、喜国先生古本趣味以外に、
最近はマラソンと云う健全極まりない趣味が加わっているらしく、
前回のマウンテン・バイクによる古書探索と云うネタ同様に、
神保町から中央線を下りながら古本屋をマラソンしながら巡って行くと云う、
「マラ本マン」と云う何ともコメントし難い企画を実行している。
まあしかし書痴ならばマラソンよりも発見した古書を優先すると思うのだが、
企画とは言えマラソンを優先してしまうのが最近の喜国先生の様だ。

本書の中で個人的に一番興味深かったのが台湾への旅の話だ。
台北で毎年行われている「書展」国際ブックフェアに出掛ける序に、
台湾でミステリー本や古書を漁って来ると云う旅行記なのだが、
自分も毎年の様に出掛けては書店をはしごして歩き廻ったり、
書展にも出掛けた事が有るので読んでいて非常に面白かった。
◎2009年の書展に出掛けた時の記事  こちら
◎本書にも出て来る「誠品書店」の記事  こちら
最近は北京や上海など大陸にも大きくて綺麗な書店が出来ているそうだが、
やはり中華圏最大の重慶南路の書店街を有す台湾は本好きには格別だ。
そして何と言っても台湾は内外の推理小説が驚くほど充実している。
喜国先生と同様、自分も最初にその充実度を確認した時には心躍った物だ。
その理由と云う言うのも本書にも自分の記事にも書かれているのだが、
◎中文版「黒死館殺人事件」を扱ったその記事  こちら
その理由たる、元「幻影城」編集長にして発行人の島崎博=傳博氏との、
日本・そして台湾での邂逅なども描かれていて実に羨ましい限りである。
ちなみに本書に載っている古本屋と同じなのか定かではないが、
一番最初に出掛けた頃、まだMRTとかが出来る以前の台北で、
ぶらりと歩いていた時に見付けた古本屋に何回か入った事が有った。
繁字体の黒々とした文字が圧縮された様に積み重なった店内に圧倒されたが、
流石にその中から日本で出された古書を探すのは無理が有った。
と云うか国民党が入って来て後の知識人が虐殺された白色テロの時代に、
日本語の書籍とかは相当失われているのではないかと推測する。
当時はまだ貸本屋が市内でも結構見掛けられる様な時代だったので、
(海賊版の)日本の漫画や小説の貸本流れの古書が割りと多く有った様に思う。

で、本書には台湾以外にも「今度は世界が舞台」の帯叩きに表れる様に、
カリブ海のリゾートにて水の中でも読めるフロンティア文庫を海中で読む、
と言ったインドアな古書マニアには眩し過ぎる様な企画とか、
2冊に別れた長篇集の方のメインであるロンドン/ウェールズへの旅など、
アクティブ過ぎる本棚探偵の世界を股に掛けた珍道中が掲載されている。
そして同好の古本マニア仲間と行く濃過ぎる古書の旅とか、
マラソンで知り合った仲間と行く、日帰りのローカル線電車読書旅などなど、
孤独なマニア世界の魔道に堕ちていない、人好きな喜国先生の旅が描かれる。
様々な人達と交わって、趣味の世界を謳歌するその生活は実に羨ましい話だ。

さて最後に、連載を読んでいないので多分その当時にネタに成ったであろうし、
まあそれはいずれ出る「最後の挨拶」に載るのだろうが、
引越しを手伝った書籍の魔窟に住まう日下三蔵氏とか山口雅也氏、
そして喜国先生の仲間達の古本マニア達、勿論喜国先生もだが、
あの震災の時はどうだったのか、そしてその後の蔵書はどうなったのか?
自分の事で言えば、本書に出て来る方々に較べれば大した蔵書量でもないが、
散乱した物のお陰で震災の後しばらく部屋に入れない状況だったし、
正直、その後物を買って部屋に積み重ねる気がしばらく起きなかった。
以前の阪神・淡路大震災では古書に限らず多くの蒐集家が被害を受け、
少なからぬ人数のコレクターが廃業したと云う話を聞いたりした。
膨大な蔵書に囲まれて暮らす人達がどうなったのか、酷く気に成った次第だ。

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2011.08.20

エドガー・ブロートン・バンドの箱

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CDが売れなくなって来ている昨今、海外では評価が定着している名盤に、
未発表音源だのライブだのにプラス豪華な装丁の本にアナログまで付けた様な、
完全に金に糸目を付けないマニアに向けた豪華限定盤と云うアイテムが盛んだ。
そしてそれと対照的にレーベルに残る、アーティストの或る時期の作品を、
3~5枚程まとめて廉価にコンパイルした様な作品も多く出ている。
こちらは、有名な盤を一枚だけしか聴いた事の無い様なアーティストだとか、
ダビング音源しか持ってなかった様な作品を集め直すのにも最適で、
選択された作品に難が有る物以外は結構色んなレーベルの作品を買っている。
そんなコンパイル廉価盤で最近買ったのが英国EMIから発売された、
エドガー・ブロートン・バンドのハーヴェスト時代の作品を集めたBOX、
『Edgar Brougton Band Harvest Years 1969-73』だ。

エドガー・ブロートン・バンドと言えば当時日本盤も発売されていたそうだが、
割と重度のブリティッシュ・ロック・ファン以外には馴染みの無いバンドだろう。
彼らはそのバンド名通りにエドガー・ブロートンが中心に成ったバンドで、
その弟のスティーヴとアーサー・グラントによる基本トリオ編成のバンドだが、
デビュー前に加わっていたヴィクター・ユニットが3枚目から再加入し、
四人編成に成ってハーヴェストに5枚の作品を残すが再びヴィクターが脱退、
ハーヴェストから離れて別のレーベルで一枚作品を残すが、そこでバンドも解散。
その後色々有って89年にエドガー・ブロートン・バンドを再編して復活し、
今作のライナーを見てみるとブロートン兄弟は健在で今もがんばっている様だ。

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               暗黒臭漂う1stの「Wasa Wasa」

で、今作はエドガー・ブロートン・バンドが69年から73年の間に、
ヴァーティゴやドーン等と同様に、大手EMIが発足させた実験的なバンドを扱う、
ハーヴェストと云う下部レーベルから発表された彼らの5枚の作品、
「Wasa Wasa」「Sing Brother Sing」「Edgar Brougton Band」「In side Out」
「Oora」にアルバム未収録のシングル曲とそのBサイド曲、
そして70年のロンドン・ハイドパークでのライブ音源を加えた4枚組BOXだ。
最近の廉価盤Boxと言えば紙のケースに入れられた小型な箱が主流だが、
こちらは普通の4枚入るプラケース仕様と言うのが若干残念な感じである。
まあしかし1stに未収録のシングル曲「Up Yours!」とか、当時の日本語タイトル、
「悲しきフリーク野郎」が笑える未収録シングル曲「Apache Drop Out」とか、
レアなライブ音源と供にハーヴェスト時代の全集的な趣が中々に嬉しい。

個人的に最初に彼らを聴いた動機はブリティッシュ・ハードの名盤の一つ的な、
所謂ハードロック的な音を期待して手に取った物だったが、
最初に出た言葉が「何これ?完全に隊長の音やん!」と云う感じだった。
そう真っ先に連想したのがキャプテン・ビーフハートとの関連だった。
彼らは地元のワーウィックで活動していたアマチュア時代には、
エドガー・ブロートン・ブルーズ・バンドを名乗っていた通りに、
同時代の多くのバンドと同様にブルースをその根底に持っているバンドであり、
そこにフランク・ザッパ師匠や牛心隊長のフリークアウト感覚を吸い込み、
ミック・ファーレンのデヴィアンツやホークウインドと言った、
当時のノッティングヒル・ゲイト界隈のサイケな地下世界観を加えたバンドだ。
ダークでヘヴィにうねるアングラ臭漂う変態ブルースをバッキングに、
塩辛い声で強烈にアジテートするエドガーのVoが実に刺激的で面白い。
実際に今作にも収録されている彼らのライブ音源の中に、
隊長の「Safe As Milk」収録の「Dorop Out Boogie」のカバーが入っていて、
意外な所で隊長直系のバンドが発見出来て何気に嬉しかったりしたものだ。

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            結構ヒットした2ndの「Sing Brother Sing」

「そんな隊長直系のアングラ極まりないエドガー・ブロートン・バンドだが、
アルバム一枚しか出せなかった様なヴァーティゴのマイナーなバンドに較べて、
それなりに売れてはいたしシングルをチャートに送り込んだりしているのだ。
二枚目のシングル「Out Demons Out」はファッグスの曲をモチーフにした曲だが、
この強烈にアクの強い曲を英チャートの39位に送り込んでいて驚かされる。
更に彼らの代表作とも言える2ndアルバムはチャートの18位まで昇っており、
例のシングル曲「悲しきフリーク野郎」は33位にまで付けると云う凄さだ。
ちなみに一時期2nd冒頭の「There's No Vibrations But Wait!」が、
クラブシーンに於いてDJにディグられて彼らが俄かに注目された事が有った。
うねるファンキーなワウ・ギターにメガホンVoが乗る躍動的な曲では有るが、
こんな物までディグって来るDJのセンスには実に頭の下がる物がある。
バンド名を冠した3rdはヒプノシスによるグロいジャケが一部にお馴染みだが、
サウンドが洗練されて来た分独特のアクが弱まっているのも確かで、
この辺からバンドの勢いもゆっくり下降線を描いて行く感じに成っている。
とは言えデヴィット・ベッドフォードによるストリングスを導入した、
メランコリックでポップな「Hotel Room」(邦題「星振るホテル・ルーム」)、
など多彩さを増した楽曲はそれはそれで質も高いし悪く無い。
ちなみに3rdとハーヴェストを離れての6枚目「Bandages」には、
かのマイク・オールドフィールドが参加しており、その関連なのか、
ブロートン弟はマイクの超有名な「Tublar Bell」にゲスト参加している。

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        ヒプノシスのジャケでお馴染みな3rd「Edgar Brougton Band」

最後に初出となるハイドパークでのライブ音源は、マネージメントが同じの、
ピンク・フロイドのフリー・コンサートにゲスト出演した時の物で、
隊長のカバー曲からゲストのローリー・アレンのパーカッションをバックに、
呪術的な雰囲気で独特の空間を築く「Refugee」のパフォーマンスが最高だが、
ブリティッシュ・ハードの名に恥じないワイルドでヘヴィな演奏に、
猛烈に客をアジテートする15分に及ぶラストの「Out Demons Out」が圧巻だ。
これを聴くと、トリオ編成を感じさせない彼らの演奏力の確かさと、
パフォーマーとしての実力の高さ、そして人気の程を思い知らされる。
これを機に日本では余り認知度の高くない英国のマスターピースの一つを、
是非ともその耳で確認して欲しい物だ。

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2011.08.13

「GOSICK」最終巻/神々の黄昏

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桜庭一樹による原作の小説「GOSICK」を読み始めたのは、
アニメ放映前の、作品のビジュアルが解禁に成った頃だったと思う。
『二十世紀初頭、ヨーロッパの架空の王国に留学した邦人少年が、
運命に導かれる様に出逢った驚異的な頭脳を誇る謎めいた美少女と供に、
複雑で奇怪な事件を解明して行くミステリー』と云う筋に反応した訳だが、
早々に「ミステリー」的な興味は薄れてしまった。
推理小説的な精度であるとかトリックに於ける独創性であるとか、
そう云う専門的な事より単純に提示される謎が余り面白く感じられなかった。
しかしその後も何故この小説を読み続けて行ったのかと言えば、
主人公・一弥に於けるビルドゥングス・ロマン(教養小説)的な側面と、
一弥とヴィクトリカの古式ゆかしきロマンス的な側面に魅かれた事に有る。
言ってみれば、運命と云う古城に閉じ込められた深窓の姫君を、
徒手空拳の無力な若者が無垢な情熱だけで救い出す話、とでも云う様な、
余りに古典的な、しかし普遍的なその世界に魅了された訳だ。

そんな「GOSICK」がアニメ版と足並みを合わせる様に終了を迎えた。
当初アニメの方も2クール行くとは知らなかっただけに、
よもや小説の方もアニメと連動して終わるとは予想もしなかった訳で、
最終巻の第八部は上下巻に別れていて下巻はアニメ終了後の刊行と成った。
アニメの方の最終回も中々に感動的なラストで面白かったのだが、
当然展開が早く描き込み不足な場面が多々出てくると云う不満も多かった。
それを補完する意味でも原作の最終巻には期待していた訳だが、
如何にもラノベ的な明るい色彩だった作品が一気に重厚に翳りの有る作風に成り、
主人公達が迎える状況の過酷さはアニメ版より更に深く重く、
冗長なミステリー部分が廃され、歴史に翻弄されるロマンス小説的要素が色濃く、
アニメ版に物足りなさを覚えた向きには是非お薦めの内容に成っている。

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学徒動員されて戦地に赴く一弥に関してはアニメ版と左程差異が無いが、
強制帰国させられてから戦場に赴くまでのヴィクトリカへの想いが細かく描かれ、
戦場での無情観と供に彼女への想いが確固な物に成って行く描写が胸を打つ。
アニメ版の、戦地に於いて敵国の言葉で出すには無理が有った手紙の箇所も、
離れ離れに成ったヴィクトリカへの想いを姉の瑠璃に綴る事で、
設定の無理さを回避し、更には心情を客観的に吐露する事に繋げている。
アニメ版では最後まで扱いが可哀想だったアヴリルだったが、
彼女も帰国したロンドンで絶え間ない空爆に曝され過酷な日々を送っていた。
彼女もただ避難暮らしをしていた訳ではなく、戦禍の日々を送っていた訳だが、
そのアヴリルの戦後の描写が無かったのが少々残念な所だった。
アニメ版最終回手前の23話のラストで描かれたヴィクトリカの父と母である、
この話の発端と成ったコルデリアとアルベール公爵の最終対決だが、
小説版は舞台と結末が異なり、アルベールは最後まで生き残る事に成っていて、
これに関してはアニメ版の方が話にカタルシスが有って良かったとは思う。
そしてアニメ版より更に濃厚に描かれるのがドリル兄貴のグレヴィールの心模様だ。
アニメの方でも最終的に父の意向を裏切りヴィクトリカを助ける事に成るが、
原作の方では更にその複雑な愛憎交じった妹への想いが吐露されて、
父親の呪縛から逃れ真に一人の人間としての兄貴の自立が描かれる。
相変わらず憎まれ口を叩きながらの腹違いの妹と今生の別れの場面は、
その特異なキャラクターと供に作者の兄貴への愛情の深さが滲み出ている様である。

アニメ版と最も異なる経過を過ごしているのが主人公のヴィクトリカで、
学園から連れ出される所から凄まじく過酷で激烈な運命に巻き込まれる。
その身一つでオカルト省に連行されるヴィクトリカは、
一弥が最後に残した故国の自宅の住所をその手に持ち出す事が出来ない。
その為に取ったヴィクトリカの凄まじいまでの決断と行為には圧倒される。
確かにこの方法なら文句の付け様も無い確実な解決法では有るが、
それをこのヴィスクドールの様に美しい少女に施す作者の過酷さが凄い。
そして一弥の故国に辿り着いた後も作者は簡単に彼女を進めさせてはくれない。
アニメ版のラストで両人が想いの証として見せ合うペンダントと指輪だが、
ヴィクトリカはとある事情でそのペンダントを手放す事に成ってしまう。
実は一弥も瀕死の戦場にてヴィクトリカから貰った指輪を手放しているのだが、
「何かを得る為には何かを手放さなければならない」と云う言葉通りに、
最後の一つまで手放したその先に再会が有ると云う運命の過酷さが描かれる。
一弥とヴィクトリカの再会の場面はアニメ版とほぼ同様ながら、
最後に伝えられなかった、そして離れていた間に想い続けていた言葉を、
一弥がヴィクトリカに告げる部分があり、そこが非常に感動的だ。
正にそれこそが古典的な大河ロマンス小説や教養小説の極みの様な部分であり、
それを受け入れるヴィクトリカの言葉と供に最高のクライマックス成っている。
時代に翻弄され、幾多の過酷な苦労を乗り越え、ようやく再び巡り会い、
それ故の「世界がどう変わろうとも、これきり、君と離れるものか」なのだ。

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さてこのシリーズ・ラスト2部作の副題は「神々の黄昏」。
所謂、北欧神話「古エッダ」に描かれる「ラグナロク」をモチーフに、
近代科学文明に欧州の古き神々が駆逐されて行く様が同時に描かれる。
その象徴的な場面は船上に於けるブライアン・ロスコーの死の場面だ。
アニメ版では傷付き衰弱したブライアンが息を引き取る描写に成っていたが、
原作では「灰色狼」の様な古の種族の末裔は、
その土地の神々の加護が無い場所では生きられないと云う設定に成っていて、
ブライアン同様に戦禍を逃れて別の土地を目指した古の種族の末裔達も、
生まれた土地から離れて行く程に一人、また一人と船上で衰弱し死んで行く。
その事が解っていてもなおコルデリアとの約束のもと、
ヴィクトリカを逃す為に船に乗るブライアンの哀しい決意が際立つ訳で、
アニメ版の妙に往生際が悪いキャラに較べると灰色狼らしい気高さが垣間見える。
勿論その影響は灰色狼とのハーフブリードであるヴィクトリカにも表れる訳で、
(度重なる苦労の末に髪の色素が抜けてしまったと云う解釈も勿論有るだろうが)
灰色狼の影響圏を抜けてしまったお陰でその象徴たる金髪が失われた、
と云う原作の描写の方が深く肯ける理由に成っていると思う。
そして黄昏て行く神々の世界から抜け出したヴィクトリカは、
新しく始まる「物質的な新世界」に於いて、新たに小さな神を発見して行く。
それは身の回りに有る様々な幸福、そして愛する人の中にこそ存在する事を。

本書にはアニメでは描かれなかった一弥とヴィクトリカの後日談が描かれる。
ラストに二人で手を取り合って向かったその先に関心が有る向きには必読だが、
それを読むと作者がこの作品のミステリー的部分にこだわっていた事が良く解る。
まあ確かにヴィクトリカは知恵の泉を駆使して謎を解く姿が似合っているし、
一弥は典型的なワトソンっぷりで彼女に翻弄されている姿が良く似合う。
「GRAY WOLF探偵社」と成ると流石にもう「GOSICK」とは呼べなく成るが、
運命に翻弄される事の無い幸福な二人のその後の活躍も、
何時かは見てみたい気もする・・・・

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2011.08.06

この紙ジャケのギミックが凄い

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「ギミック有ってこその紙ジャケCD」と云う事で、
特殊工芸の様なジャケットアートを縮小した紙ジャケCDを紹介して来たが、
色々とたまって来たので新旧取り揃えて集めてみた。
例によって「紙ジャケ」がメインなので音の方は軽めに流して行く感じで、
ひとつよろしくお願いしたいと云う訳で早速一枚目から・・・・

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まず最初はメジャーな所でフィフス・ディメンションのライブ盤を。
世界的にヒットを飛ばした男女混交のコーラス・グループの彼・彼女らだが、
はてフィフス・ディメンションに特殊ジャケなんて有ったっけ?と思う所だが、
米国の2ndプレス、及び国内盤は普通の見開き二枚組みだった物の、
米国初回盤は結構特殊なシェイプの変形ジャケに成っていたのだ。
説明が難しいが、一枚の紙を折り曲げて袋状に二枚の盤を入れるコーナーを作り、
斜めにカットされたそのコーナーを覆う様に斜めの紙が被さると云う感じだ。
特に難しい創りと云う訳では無いが、シェイプがかなり複雑な物で、
同様の物を見た事が無いから、この形にした意図は結構不明である。

彼らは結成当時、黒人版ママス&パパスを目指して創られたグループなだけに、
スタジオ盤では黒人臭の少ない明快なコーラス・グループ的な音を聞かせるが、
ライブでは打って変わって隠し切れないソウル臭がじわっと滲み出ていて、
ライブ終盤に於けるスライのカバー「ハイヤー」に於ける客の煽りや、
メンバーそれぞれ特色の有る曲間の軽妙なMC等々ソウル・レビューの如きである。
ハル・ブレイン、ラリー・ネクテル等のバックメンバーの演奏も熱い。
本編は大ヒット曲「輝く星座」で終わるが、その後に三曲のボートラ入り。

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フィフス・ディメンションは黒人版ママス&パパスを目指して創られた訳だが、
ソフト・ロック界隈で伝説的な人気を誇るソルト・ウォーター・タフィは、
逆にフィフス・ディメンションを目指した白人の男女混交の五人組だった。
そこで全曲を手掛けたロッド・マクブライアンがグループの解散後に参加した、
テレビ局の主導で創られたアイドルグループがザ・ゴーグルズである。
誰もがソルト・ウォーター・タフィでの珠玉のポップス感を期待する所だが、
何故かロッドはこのアルバムでは競作曲を一曲残したのみに成っている。
しかしこのグループ、一部のマニアにはたまらない要素が有って、
それはかの「サスペリア」や「ファントム・オブ・ザ・パラダイス」に主演した、
70’sアイコンの一人、ジェシカ・ハーパーが参加していると云う事だ。

で、そのザ・ゴーグルズの唯一のアルバムは円形シェイプのジャケットで、
展開すると「ゴーグル」に成ると云う体裁の三面見開きに成っている。
まあ紙ジャケサイズに成ってようやくゴーグルと呼べる感じに成っているが、
アナログサイズでゴーグルと呼ぶには無理が有るだろう・・・

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特殊なシェイプのジャケットと言えば様々に有るが、
シェイプの凄さと供に細工の異常さで群を抜くのがホースリップの1stだろう。
トラッド楽器のコンサーティーナを模した八角形のシェイプも見事だが、
凄まじく複雑に切り抜かれた楽器装飾の再現も驚異的である。
これを手に取ると、正直紙ジャケもここまで来たか!と感慨深くなる。
この複雑な模様はレーザーによって切り抜かれた物だそうだが、
紙ジャケの再現の為にここまでやるって云うのは、まあ日本くらいだろう。
ジャケは見開きに成っていて本来はブックレットが貼り付けられているそうだが、
これには国によってデザイン違う2種のブックレットが付いていると云う凝り様だ。
この1stは後にメジャー配給される物の当初は自主制作だった物で、
インパクトを狙ってのこのジャケだったそうだが、確かにその効果はデカい。

ホースリップはアイルランド出身のケルティック・ロック・バンドで、
アイリッシュのメロディをロック的なビートに乗せた先駆者的な存在と言え、
ポーグスやフロッギング・モリー等の始祖的なバンドである。
勿論現代のそれらのバンドと較べればトラッド的な要素が濃厚だが、
学術的な英国のトラッド・ロックのバンドなどに較べると、
意外なほどポップでノリが良いし聞き易いサウンドに成っていて面白い。
その後更なるポップさを増してバンドは八十年代まで続いて行くが、
強烈なジャケと供にバンドの根源的な魅力の詰まった1stの輝きは色褪せない。

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さて最後はこれまた良くぞ紙ジャケ化してくれたと云う感じの、
異常に濃い英国ロック好きにはお馴染みなグリムスの「ロッキン・ダック」。
モンティ・パイソン、ボンゾドック・バンド、スキャッフォルド、と云う、
様々な当時の英国サブカル・シーンと重なり合うバンドの系譜に属し、
更にビートルズまで繋がるリバプールのアートシーンを背景にしたバンドである。
しかし簡潔に言ってその周辺の音楽は、その装いとは別に難しい。
いや別に音楽的に素人が怯むが如き高度な音だとかそう云う事ではなく、
楽曲を一つ一つ取り上げてゆけば多彩なポップさに溢れているのだが、
それを包括した詩の世界、盤の半分を占める詩の朗読が異国人的に難しい。
まあ総体的にその猥雑な英国的雰囲気を味わうと云う感じな訳だが、
そう偉そうに言っている自分も本質的には1/3も愉しめてはいないだろう。

さてグリムスと言えばメンバーのニール・イネスの象徴の様なアヒルちゃん。
ソロ作「How Sweet To Be An Idiot」でもアヒルの被り物を披露しているが、
一作目のアヒルのドット柄に続き今作では実際被れるアヒルちゃん付きである。
モノクロのジャケ部分からカラーのアヒル部分が外れる様に成っていて、
紙ジャケでは無理だが、アナログ物だと頭に被れる様に成っていると云う代物だ。
ちなみに今回の紙ジャケ物では底の部分が繋がっているのだが、
アナログでは筒状に成っていたんだろうか?(でないと頭に被れないし・・・)
まあ何にしろアナログ・アートの凄まじい発想力に脱帽すると供に、
恐るべき再現力でそれを手に取り易い紙ジャケ化する労力に喝采である。
そろそろネタも尽きて来た感は有るが、がんばって続けて欲しい物だ。

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