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2011.10.29

燃えるリメイク映画「電人ザボーガー」

Zaborger03


週末夜更けの新宿バルト9、客席はほぼ満員に近い様な状態である。
どう云う訳だか特撮映画と言うと何時も異常に混んでいるこのハコで、
舞台挨拶付きの回はどうせ満員で入れないだろうと見越しての、
夜更けの通常回狙いだった訳だが、今回も相当に侮れない動員である。
以前に「ロボゲイシャ」を観た時もそうだったが、井口監督の作品は、
作品のノリが異常なので客も取り合えず最初は出方を伺う所が有るのだが、
今回は最初から馬鹿映画を観るつもり来ているのか早くから客席が湧いていた。

ミスボーグ率いるヨロイデスが若杉議員を追い詰めたその時に、
爆音と供に電人ザボーガーに跨った大門豊が現れ、
大門の指令の元ザボーガーがロボ形態にチェンジしヨロイデスを迎え撃つ。
その瞬間に懐かしいブラスのイントロと供に昔と同じロゴタイトルが現れ、
あの子門真人が歌っていた主題歌が流れる、その瞬間に一気に涙腺が緩んだ。
何に泣く?つうか何故泣く?解らん、解らんが泣けた、泣けてしまった。
馬鹿映画だとか、オッサンの懐古中枢が刺激されたとかどうでもいい。
「赤いシグナル非常のサイン 怒りの電流迸る~」今でも歌えるあの曲と供に、
チャさいキグルミのロボットを相手に闘うザボーガーの勇姿を見ながら、
俺は一気にガキの頃の自分に連れ戻された。

Zaborger01

ガキの頃に観ていた特撮番組は子供心が躍る様な作品ばかりではなかった。
東映・円谷のメジャーなプロダクションの作品にも少なくなかったが、
特にピープロや川内康範原作の特撮三部作などに顕著だったのが、
チープな故の妙な生々しさが強烈で、子供心に妙な恐怖心を抱かされた。
何が怖かったかと言えば、安い造型の怪人や怪獣などではなく、
もっぱらコスト的な意味で怪人や怪獣以上に頻繁に出て来ていた、
アクの強い顔をした無名の俳優が演じる組織の幹部や悪人達だった。
とにかく「解り易く悪辣な顔」的メイクを施した普通のオッサンたちが、
主に自分と同じ様なガキどもに容赦無い仕打ちをしている所が怖ろしく、
怪人・怪獣以上に身の回りに現れそうな現実感じがたまらなかった。
勿論今ではそう云う存在が「馬鹿映画」たる爆笑部分な訳だが、
今回の映画に出てくる原作に忠実な悪の幹部達の造型を観たりすると、
ガキの頃のそう云う原初的な恐怖心を思い出したりもする。

映画「電人ザボーガー」はそんな感慨を思い出させる程、旧作に忠実だ。
とは言えガキの頃にTVで観たっきりで、正直細部まで詳しく覚えておらず、
後に見た画像などで記憶の輪郭を補正している様な状態だったのだが、
エンドクレジットの時に流れる旧作の古い映像を観ていると、
そんな細部までリメイクしていたのか!と感心する事しきりである。
この映画は過去のアニメ・特撮番組のリメイク作品が陥りがちな、
現代的にブローアップし過ぎて原型を留めないと云う陥穽を、
今から見て笑えてしまう所もそのまま提示すると云う方法で回避し、
現代的な過剰演出を加える事で旧作の輪郭を残す事に成功している珍しい例だ。
更に面白いのは映画を青年期・中年期の二部構成にしている所で、
気力の溢れる青年期を無駄に熱い馬鹿演出が冴える旧作そのままのテンションで、
ザボーガーの戦闘シーンもキグルミ中心のライブアクションで描き、
対して中年期は昨今の所謂メタ・ヒーロー物的な雰囲気を漂わせながら、
クライマックスの戦闘シーンをCGを使ったスピーディーな物に変えている所だ。
これがどちらか片方だけだったら物足りない作品に成っていたかもしれない。
青年期の、何処かの造成地や廃工場でもっさりと闘うザボーガーも悪くないが、
CG描写でバイク形態からロボ形態へとめまぐるしくチェンジしながら戦う、
現代的なザボーガーを最終戦で観れた事にリメイクの意義も感じられる訳だし、
旧作のほぼ完全リメイクな青年期で旧作ファンの溜飲も下げつつ、
中年期で現代にこの作品を蘇らせる意味を示した演出は中々にニクい。

Zaborger02
          素晴らしい「悪之宮博士」と「ミスボーグ」

主役は板尾創路に成っているが時間配分的に中年期は妙に短かった感じがして、
どちらかと言えば青年期の古原靖久の大門豊の方が印象が強い。
初主演作だった戦隊物「ゴーオンジャー」のレッドの時と全く同様な、
「異常に熱い馬鹿」と云う役柄がこれ以上無いはまり役で最高である。
そして同じく最高だったのがこちらも戦隊物で一年間悪役を演じている、
「悪役にしてヒロイン」であるミスボーグ役の山崎真美だ。
特撮番組の女幹部と云うのは独特のテンションの高さが要求されるが、
甘く成らない歯切れの良い発声と振り切り過ぎの演技が見事だった。
さすが両人とも一年に渡る東映での特殊な修行は伊達ではないと思わせる演技だ。
竹中直人は「ロボゲイシャ」の時と同様に短い出演シーンながら、
持ち前の芸風を最大限に使った演技で強烈な印象を残す。
そして柄本明の悪之宮博士の存在感は旧作より更に凄まじく、
その不気味でマッドな演技が作品を底辺から支えているのは明白だ。
で、板尾なんだが正直板尾である意味が余り伝わって来なかった様に感じる。
もう少し板尾ならではの静謐な狂気みたいな物を感じさせて欲しかったし、
中年の悲哀的な部分に対する復活後の過剰な爆発をもう少し観たかったと思う。

作品的にはやはり旧作への思い入れがかなり評価を左右すると思うが、
「ロボゲイシャ」よりは更に「デートに使える映画」に成っていると思うので、
是非とも怖い物見たさで観に行って欲しいものである。

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2011.10.22

「状況劇場・劇中歌集」

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久々に「おおっ!」と唸らされる発掘CDの登場である。
1984年にPARCO出版からカセットブックの形で発売された、
唐十郎率いる状況劇場の音源を集めた「音版 唐組/紅テント劇中歌集」、
その初CD化作品が、今回発掘された「状況劇場・劇中歌集」である。
全くこんなマニアック極まりない商品、何処が出して来るのか思いきや、
以前ここでも紹介したJ.A.シーザーの「天上桟敷音楽作品集」を出した、
DiskUnion系列の「Super Fuji Discs」である、凄い!流石だ!シビレる。
しかしカセットブック・・・実に懐かしい形態である。
確か書籍扱いと云う流通で八十年代には多くの商品が出ていた。
個人的にもJICC出版から出ていたインディーズ・バンドの奴とか、
スネークマン・ショーのカセットブック版とか買っていたなぁ・・・
唐十郎のこのカセットブックに関しては正直全然覚えていないし、
見付けていたとしても多分当時、手は出さなかったろうと思う。

録音内容に付いての詳しい解説が付いていないので良く解らないのだが、
これは実際の劇中で歌われた時の実況音源と云う訳ではなく、
このカセットブックの為に新たにまとめて録音された音源の様である。
ライナーを劇中歌を作曲していた安保由夫が手掛けているが、
彼の作った楽曲の何曲かは劇中で使われたアレンジではなく、
李麗仙のリサイタル用にアレンジされた楽曲が使われているらしいし、
テレビ放送された時の音源も含まれている様である。
と云う訳で、ややイレギュラーな音源と云う感じもするが、
元々は同じくPARCO出版から出された「唐組」と云う写真集に連動した企画で、
所謂、記念的な作品と云う感覚の企画だったのだろう。
曲の合間に唐十郎と嵐山光三郎による軽快なしゃべりが挿入されていて、
唐演劇の歩みを嵐山の女房いじりを挟みながら俯瞰的に語っていて興味深い。
また澁澤龍彦、村松友視、扇田昭彦、渡辺えり子、蜷川幸雄などが寄稿した、
付属のブックレットも全て再現されている。
ジャケは勿論、合田佐和子。唐の新規書き下ろし扉文も掲載。

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さて収録された音源だが、一応芝居の年代順に構成されていて、
先鋭的なジャズから始まり、戯れ歌からやがて昭和歌謡的な世界に至る、
時代背景と供に変化する唐の心象を綴った様な内容に成っている。
個人的には山下洋輔が作曲した冒頭の「よいこらさあ」が最高だった。
ピアノ・ドラム・サックスが吹き荒れる激しいインタープレイの後に、
マーチ的なリズムに乗って軍歌的なコーラスが入ってくる猥雑さがたまらない。
コーラスの合間にサックスの激しいブロウが合の手を入れ、
再び混沌に還る様にフリーキーな演奏が始まる構成も素晴らしい。
そこからしばらくは戯れ歌的な替え歌によるナンバーが続き、
「夜鷹ソング」では当時のヒット曲「恋のフーガ」のメロディに乗って、
唐と嵐山によるオカマの放歌と云う体のイカした歌唱が聴ける。
「少女仮面」からの「時はゆくゆく」は小室等の手による曲で、
途中に台詞も挿入されるナンセンスな歌詞を唐の朗々とした歌唱で聞かせ、
変調するメロディも印象的な曲で、これがテレビ放送の時の音源なのだそうだ。
「少女都市」からの「その日海が荒れていた」は状況劇場のコーラス隊が、
うねる様なベースラインに乗せて歌う珍しくロック風なナンバーで、
合間に入ってくるキーボードのフレーズも何処かプログレ的な感触もある。
以降しばらく李麗仙の歌による、芝居場面を想像させるバラード曲が続く。
「ほおずきをしゃぶっていたら あたしの口の中が夕方になった」と云う、
叙情的な唐の詩が美しい「ほおずきの唄」などが印象的だ。
会話劇から入る「唐版・風の又三郎」は宮沢賢治による有名なフレーズ、
「どっどど どどうど」から始まる中々にキャッチーな曲。
同じ芝居からの「エリカの数え唄」は作詞が矢川澄子の手に拠るもので、
数え唄的なAメロから途中でリズムチェンジしてバイオリンが入って来る所など、
哀愁溢れる土俗的な世界観がたまらない。
そこからB面の終盤に向け「下谷万年町物語」「お化け煙突物語」と云った、
昭和ノスタルジアな芝居を猪俣公章の手に拠る演歌的なメロディで綴り、
ラストは冒頭のフリーキーなジャズ演奏の「よいこらさあ」に戻るという、
オートリバースなら永遠に円環し続ける様な構成に成っている。

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さて個人的に、寺山の「天上桟敷」と並ぶ同じアングラ芝居の両翼ながら、
唐の「状況劇場」に付いては、昔から余り触れる機会が無かった。
関心が無かったと云う訳では無いのだが殆ど関連書にも手を出さなかったし、
せいぜいが合田佐和子の装丁による角川文庫の著作を幾冊か読んだくらい。
何故、寺山の「天上桟敷」等に比べると関心が湧かなかったのか?
・・・・別に大鶴義丹の両親だったからと云う訳ではない。
本質的な事は抜きにして、事「劇中歌」と云う題目に沿って考えてみれば、
世界観や背景的な物は寺山も唐も、描く詩の世界に通じる物が多い訳だが、
唐がストレートに昭和歌謡・演歌的世界を取り入れているのに対し、
寺山の桟敷は明らかに劇中歌に対しても意識的であり先鋭的だった。
それはシーザーの作品が独立した「日本的サイケデリア/ロック」として、
日本語を解さない世界中で高い評価を得ていると云うのと同様に、
若い頃の自分もその独自の世界に耽溺して唐を低く見ていたからかも知れない。
しかしいい加減齢を重ね、様々な事毎が相対的に見れる様に成って来ると、
唐が手がけた劇中歌も枯淡の味わいを以って耳に響いて来る様に成った。
折しも11月から横浜で「大唐十郎展」と云う大規模なイベントが開かれるそうだ。
「21世紀リサイタル」と称された唐による劇中歌ライブイベント他、
テント公演や展覧会など複数の会場で様々なイベントが催されるらしい。
リサイタルの方は個人的なスケジュール的に厳しい物が有るが、
その他のイベントも唐の業績を見直す意味でも是非出掛けてみようかと思う。

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2011.10.15

不知夢 三

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                     こんな夢を見た。 
 

何処の学校でも有る様に、うちの小学校にも「七不思議」が有った。
「深夜にどこそこの階段の数が増えている」とか、
「誰も居ない音楽室からピアノの音が聞こえてくる」とか、
そう云う定番のに交じってローカル色豊かな不思議も加わっていた。

うちの小学校は戦前から残る古い建物だったので、
戦時中に運ばれた死体がどこそこに・・・と云う様な、
妙に生々しい、安易に笑い飛ばせない不思議が幾つか有った。
まあそれとても今思い返せばそれぞれに齟齬の有る内容なのだが、
戦時中に有った、御真影を入れていた場所の土台跡とか、
空襲で変形した樹の一部だとか、未だ戦争の名残が残る校舎だっただけに、
簡単に「噂話」だとは笑い飛ばせない妙な雰囲気があった。

そんな校舎の入り口近くの職員用下駄箱の奥に、
上から続く階段の延長線で地下に降りて行く階段が有る。
特に閉鎖されていなかったから、当時も物置的に使っていたのだろう、
しかし容易な進入を躊躇させる位、闇が深く底知れない雰囲気が有った。
かつては戦時中の防空壕として使われていたらしく、
その後は冬場のストーブ用の石炭置き場に成っていたそうだ。

そこに出るらしい。

空襲の時に瀕死の状態で運び込まれてここで死んだ少女の霊だとか、
石炭を取りに出掛けたっきり帰って来なかった週番の少年の霊だとか、
様々な話が語り継がれていた。
同じ野球チームに居た上級生から聞いた話だと、
運動会用の種目で使う大玉を取りに、
係りの生徒が数人でその地下の物置に下りたそうなのだが・・・・

「先生に付き添われて半狂乱で泣きながら出て来たんだってよ」
「えぇ~!地下で何か見たのかな」
「解んない。でもその現場を目撃した先輩は、
後で先生から(この事は誰にも話すな)って口止めされたんだって」
「うわぁ~怖ぇなぁ・・・」

途中から自習に成った午後の教室で不意に怪談話が始まった。
自分の机の周りの数人だけだったが妙に話が盛り上がる。
「そこ、行ってみたいな」
後ろの席に座るB子が小さな声でつぶやいた。
「え?怖くないの」
同年代の級友の中では妙に大人びた雰囲気のB子は、
「怖い・・・けど、行ってみたい」
と、艶めかしい上目使いでつぶやいてきた。
「行ってみる?放課後に、二人っきりで」
膨張して行く下半身を意識しながら、小声でB子にそう告げた。

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放課後、何時も一緒に帰る友人たちをやり過ごして、
B子と待ち合わせてしていた場所へと急ぐ。
いま、B子がどんな顔でどんな姿だったのか全然思い出せない。
放課後の茜色の光を背景に佇むその姿は妙に曖昧で影絵の様であり、
その表情は思い出せないのに唇の動きだけは不思議と鮮明で、
曖昧なくせにその柔らかそうな肉体を妙に意識していた。

職員用の下駄箱を過ぎ、階段を折れ曲がると、
その下には凝った様などんよりとした闇が拡がっていた。
先輩から階段の照明の場所は聞いていたので手探りでスイッチを入れると、
予想以上に暗くぼんやりとした白熱灯の灯りが階段を照らした。
自然と密着して来るB子の体温を感じながら、
雑然と物が置かれた階段を下りて観音開きの扉に手を掛ける。
その部屋の入り口辺りにあるダンボールは階段の照明で見える物の、
意外に奥が深そうな部屋の内部は闇が深く踏み出す足がすくむ。

「あっちの奥の方何が有るんだろう・・・」
後方の近い位置から吐息と供にB子のつぶやきが聞こえた。
地下の閉所のせいなのか妙にくぐもった間延びした様な声に聞こえる。
部屋に入ってから彼女の体温が更に敏感に感じられ、
恐怖心と下心がない交ぜに成ってその場から身動き取れない。

その時、階段の蛍光灯が二、三度瞬いて不意に消えた。
一瞬の内に輪郭さえ覚束ない闇の中に取り残される。
例の間延びして聞こえる変な声でB子が悲鳴を上げると抱き付いてきた。
突然の暗闇にすくんで動けない自分の全身にB子の体温が伝わる。
間延びした彼女の荒い吐息と供に全身が柔らかい物で包まれる感触がある。
怖いのだか、それと供に下半身が急激に硬くなるのを感じる。
視覚を奪われた闇の中で感覚だけが鋭敏に研ぎ澄まされる様で、
今まで感じた事の無い甘美な感覚に頭が白熱しそうに成った。

その時、妙な違和感を身体に感じた。
腰の辺りに何か硬い物が当っている様な感触・・・
抱き付いて来ているB子の下半身辺りに感じる硬直した感覚の物を。
耳の後ろから聞こえて来る吐息は更に間延びして恰も獣の吐息の様で・・・
一瞬の内に闇が質量を持って重く圧し掛かってくる様に全身に迫る。

声に成らない悲鳴を上げて背中の物を振り払い闇雲に部屋を飛び出した。
何度か物に当りながら階段を駆け上がり一気に校舎の外に転がり出る。
外は滴る様なぼんやりとした茜色に満たされて何もかもが赤い。
教室にランドセルを忘れていたのに気付いたのは家に帰ってからだった。
自室で落ち着いて考えてみると、
あの地下にB子を置き去りにした事実に気付いて激しく後悔した。
何度か戻ろうかと考えたが、夜の帳を見るに連れ足がすくんだ。

翌日、置き忘れたランドセル同様にB子は普通に登校して来ていた。
昨日の事に付いて触れる事もなく、何も変わらず何時ものままだった。
何度かあの時の事を話そうかと思ったが何処か近寄りがたく、
かと言って無視されている様な感じでもなく、妙な感覚だった。
直後に席替えが有って机が離れてからは殆ど話す事も無くなり、
公立ではなく私立を受験した彼女とは卒業以降会ってもいない。
校舎はその後建て替えが進み今では近代的な校舎に生まれ変わっている。

今では彼女の顔も姿も思い出せないが、
あの暗闇の中で聞いた間延びした吐息だけは、幽かに耳に残っている。

不知夢 二

不知夢 一


Fuchi01

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2011.10.08

PFMのNEW紙ジャケ

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この夏の「プログレッシヴ・ロック・フェス2011」も、
もうすぐ開催される「イタリアン・プログレッシヴ・ロック・フェス」も、
忸怩たる思いで棄権した俺だが、とりあえずPFMの最新紙ジャケは買った。
普段イタリアン・プログレのファンを公言しているだけに、
情け無い体たらくだが、色々有るんだよこの歳に成ると色々と。
(って誰に言い訳してるんだ俺は・・・)

それはさて置きPFMのマンティコア期の紙ジャケだが、もう何度目だ?
個人的に「幻の映像」に関して云えば今回で3回目のCD購入と云う事に成る。
そう云えばビクター音楽事務所80周年記念で紙ジャケを5枚買うと貰える、
ジャケ画入りのタンブラーも「幻の映像」を貰ったんだよなぁ・・・
勿論、仕様だの音質だの盤質が変わる度に買う様なマニアな方も居る訳で、
それに比べればまだまだな話だが、今回はしっかと買い換える意味が有った。
2010年に英国のEsotericからボーナストラック入りで出たリマスター盤が、
紙ジャケ仕様の日本盤ボートラ入りで発売されたからである。
輸入盤屋でEsotericのCDを横目に「いずれ日本盤がでるさ」と購入欲を控えたが、
無事に日本でも、そして紙ジャケでの発売が決まったと言う訳なのだ。
しかし流石は短期間で二度の来日を決める様なバンドである。
発売週の翌週末に渋谷に買いに出掛けたら軒並み品切れしていて驚いた。
以前バンコの壷があっという間に店頭から姿を消した事を思い出して、
日本でのイタリアン・プログレの人気の高さにしみじみした次第だ。

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さて、当初個々の作品の内容に付いて何か書こうかと思っていたのだが、
・・・・いや~書く事無いわ・・・
何かもうPFMのマンティコア期と言えば語られ過ぎていると云うか、
イタリアン・プログレ所かユーロ・ロックを語るには外せないアイテムだけに、
ビートルズとかストーンズを語るのと同様「今更素人が何を言おうか?」、
と云う感じで、関心が有るのなら四の五の言わずに聴け!と云う奴である。
つう事で今回買った「幻の映像」「甦る世界」「クック」の肝と言うべき、
新規に加えられた貴重なボートラに付いてそれぞれ書いておく。

「幻の映像」には何と大量7曲のボートラ入りで、内6曲は完全に未発表音源。
殆どは所謂アルバム制作時の過程に於けるファーストMixやインストMix等で、
まあ実にマニア向けの内容だが、完成版へと至る微細な違いが興味深い。
他に「Celebration」の発売されなかったシングル・エディット・バージョンや、
シングルのB面用にエディットされた「Mr.9'Till5」等が収録されている。
その「Mr.9'Till5」のA面に当る「Celebration」のシングル・エディット版や、
明らかに別のMixが施されたシングル・バージョンの「Celebration-1975」等、
「甦る世界」には4曲のボートラ入りで、主にシングルのエディット版中心。
「ハンスの馬車」の擬似ライブはシングル「甦る世界」のB面曲で、
「原始への回帰」はシングル用に短縮されたバージョンが聴ける。
「クック」に関しては本編以外に二枚のボーナス・ディスクが付属していて、
本編の方で使われている1974年のトロントとニューヨークでのライブの内、
ニューヨークはセントラル・パークでのライブが全編収められている。
曲順、MC以外にも短縮された楽曲もライブ本編そのままで、
ムッシーダのギターソロ、チョッチョの壮絶なドラムソロも聴ける。
それにしてもこの時のPFMの米国での歓迎振りは中々に凄い物が有って、
明らかに米国のバンドとは違うクラシカルな背景を持ったその音と、
圧倒的なまでの演奏力に衝撃を受けているのが良く解る。
米国にはイタリア移民も多い事だしそう云った層にも誇らしく映った事だろう。
ちなみにまだ購入していないが「チョコレート・キングス」には、
Voにランゼッティが加わった後の76年の未発表ライブ音源が付いているそうな。
そう云えば以前キングから「Absolutely Live 1971-1978」と云う、
4枚組みのライブ・アーカイブが出ていたがあれもどっかで再発せんかなぁ。
内容がマニアック過ぎて当時は買い控えたが、今ならきっと買うだろう。

Cdp06
               「クック」のイタリア盤「Live In USA」

さて、例によって紙ジャケとしての仕様に付いてだが、
今回はA式と呼ばれる厚紙に印刷された紙を貼った米国盤仕様ではなく、
E式と呼ばれる厚紙に直接印刷された薄い英国盤仕様に成っている。
その辺の違いが良く解るのが「クック」でA式とE式の二枚の紙ジャケが付く。
デザインは同じだがカラーリングの濃淡や裏面の文字などに違いが有る。
ちなみに「クック」にデフジャケが付いて来ると言う情報を聞いて、
これはイタリア版の「Live In USA」が付いてくるのか?と早合点したが、
単純にA式とE式の違いだったと買ってから気付いて非常に残念な気分に成った。
「幻の映像」や「甦る世界」のE式での発売は初めてでは無いと思うのだが、
今回買っていない「ジェット・ラグ」のE式での発売は初だそうな。
しかしこれも確か以前出た「マンティコア・ボックス」に収納済みな筈だが、
あっちはA式の仕様に成っていたんだろうか?まあどうでも良いが。
「甦る世界」には今回も厚紙によるカスタム・スリーブが付いてくるし、
ジャケ表面の切り取ってポップアップ出来るマウンテンも健在だ。
そう言えば「甦る世界」の紙ジャケもこれで二枚目だし、
以前のA式の方のマウンテンでも切り取って組み立ててみようかなぁ・・・

Cd10
                ポップアップを切り取るとこんな感じ?

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2011.10.01

今期終了アニメの感想など

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今回は、春先辺りから見ていた2クール期間のアニメが次々終了しているので、
それに合わせて見ていた番組の感想などを書いて行こうと思う。

まず最初はゲームが原作の作品「シュタインズ・ゲート」から。
知り合いの若いアニメファンに「今クールで面白そうな番組は?」と聞いた所、
ゲームをプレイ済みの彼が真っ先に挙げたのがこの作品であった。
原作の評価は非常に高いし、上手く作品化すれば絶対に面白く成る、との事。
所がこの作品、序盤から数話続いて非常にスロースターターで、
劇的な展開に乏しく主役の鳳凰院さんの鬱陶しい性格も含めて実にだれる。
先々の事も考えてこの辺で視聴を打ち切った連中も多かったと聞く。
その辺の所も含めて薦めてくれた彼に今後の展開などを聞き質した訳だが、
「実はこの先色々有って例のまゆしぃが死んじゃうんですよ、
それでその死を回避する為に岡りんが活躍して行くって言う展開なんすわ。」
と云う後々考えれば最悪のネタバレと供に今後の展開を紹介してくれた後に、
「いや、絶対最後には鳳凰院さんカッチョいい!と叫ぶ事に成りますよ。」
と不敵に笑う彼の言葉を信じてその後の視聴を続けた訳である。
・・・・どう成ったか?見ていた人間なら承知の事だろう。
最終回手前の23話で、ほぼ彼の予想通りに呟いていた。
成るほど、あの鬱陶しい中二病を維持しているからこそのこのカッチョよさか。

Ani04

それにしても実によく出来た話だ、原作が名作と謳われるだけの事はある。
無理に風呂敷を拡げず、ミニマルな改変を続けながら世界を救い、
そして仲間(主に女だが)たちの想いを繋げ主人公の成長をも描くと云う、
例えば往年のフレドリック・ブラウンとかリチャード・マシスンの作品の如く、
良く練られたSF小説の名作を読んでいた頃を思い出す見事さだった。
最初は、こいつがヒロインなの?って感じだった存在感の薄かった助手が、
最終的に見事にヒロインとして輝く様に、キャラの描き込みも見事だったし、
原作以外にスピンアウトが次々と作られているのも肯ける描写の巧みさだった。
さて放送終了後に映画化の報が出て、内容に付いて様々取り沙汰されているが、
ちょっと思ったのがこれほど実写化に適した話はないのではなかろうか?
基本場所が限定されているし、SFだが特殊撮影を必要とする部分が殆ど無い。
そして何よりも大事なのが、今ならラジオ会館が自由に使えると云う事。
今なら屋上にめり込んだ人工衛星、もといタイムマシンも設置可能だろうし、
作品の舞台である在りし日のラジオ会館をフィルムに残すチャンスじゃないか。
とは言え映画化するには時間的に脚本のスリム化も必要だろうし、
何よりも鳳凰院さんを演じる俳優が居るのか?と云うのが問題だ。
そんな事をしている内にラジオ会館も取り壊されてしまうだろうが・・・・

Ani02

さてお次はサンライズが送るオリジナル作品「タイガー&バニー」。
大方の視聴者と同様に最初は完全にノーマークな作品で、
放映後の評価の盛り上がりを知り、三話ぐらいから見始めた作品だった。
直感的に「腐」の匂いを嗅ぎ付けた女性層から人気に火が付いた感が有るが、
そう云う所も含めてこの作品に感じたのが昨今の特撮ドラマに近い感覚だった。
企業に属し企業の看板を背負って戦うサラリーマン的ヒーローと云う、
ある種現代的なメタ的ヒーロー像と云うのは平成ライダー的なアングルだし、
そのヒーローの存在に疑問を呈すダークヒーローが出て来る所もそれっぽい。
それぞれ所属は違うキャラの起ったヒーロー同士が、
競い合いつつも共闘し仲間としての絆を築いて行く所は戦隊っぽくもある。
勿論特撮番組も昨今のアニメに大きな影響を受けて続いている訳で、
意識しているかどうかはさて置き、アニメ側の試みの一つとして興味深い。
そしてメタ的な設定に対し話の方は実に「王道」だったと云うのも大きい。
ある種ベタとも思える話の展開は逆説的にヒーロー物の爽快さを表していた。
「シュタゲ」とこの作品は海外違法視聴者層での人気が非常に高くて、
番組終了時には番組愛を物語る様に作品の映ったモニター画面と供に、
自分で作ったチャーハン画像が大量にアップされたりしていて微笑ましかったが、
話の王道さがその人気の要素の一つなのではないかと思ったりもした。
それにしてもリアルタイムで番組人気の上昇っぷりが目撃出来て面白かった。
2クール目に入ってからヒーロー達が付ける企業マークが増えるのと同時に、
凄まじく関連商品の数が増えてきたのも記憶に新しい。
バンダイの看板を背負っているだけに、ライダー関連の商品と同様に、
フィギュアーツで出された可動フィギュアも現在速攻で品切れに成っている。
二期の放映はもう決まったも同然なので今後も様々な展開を迎えるのだろうが、
是非とも「王道」的な話の展開だけは守り続けて欲しい物だ。

Ani05

さて最後は、かの京都アニメーションが送る非日常?アニメ「日常」。
これに関しては天下の京アニが送る作品なだけにハードルが高かったのか、
放送中も何かと毀誉褒貶が甚だしく否定意見も多かった。
例えば個人的にはほのぼのとした絵柄とタイトルに対して、
人間に成りたがっている健気なロボット「なの」に更なる「魔改造」を施して、
あたふたしている様を爆笑している「はかせ」の嫌な感じの邪気の無さとか、
確かに面倒くさ過ぎるボケをかます「ゆっこ」や自意識過剰な「みお」に対して、
どう考えても嫌がらせにしか見えない返しをしてくる「まいちゃん」とか、
笑えない、と云うか若干どうかと思う描写が多かった所は確かに有って、
それらが作品に対しての「これじゃない」感を増している部分は有った。
勿論そう言った個々の部分は原作ありきの内容な訳で、
この作品が総体的に期待外れだったかと云うとそう云う事は無く、
緩急の有る構成が実に飽きさせずにアニメーション的にも面白い作品だった。
みおのウッドキューブを巡る謎の飛行船内に於ける伝奇漫画的な攻防が、
実はゆっこが授業中に見た夢だったと云う凄まじいボケ描写とか、
空を飛び雲を突き抜け宇宙にまで達する豪快極まりない突っ込みとか、
雨宿りしていた神社で三人組が起こすドリフ並みに壮絶な屋台崩しとか、
失恋したと思い込んだみおが哀しみの余り超人的な運動能力で疾走し、
追跡するゆっこと供にボクシングしたり電車をすり抜けたりする場面等々、
動画の動きを追求したアニメーション的快楽に満ちた描写は実に最高だし、
テンションの高いそう云う場面の合間に挟み込まれるから効果的な、
夕陽や青空、曇天の雰囲気など京アニらしい情景描写が美しい、
何処か郷愁をそそられる場面を背景とした長閑な話も引き立ってくる。
一部では不評なインタールード的定点カメラ描写も良いアクセントに成っていた。
先に挙げた「これじゃない」感的な感触も話数が進むに連れて解消されてきて、
2クール目が始まってからはハートウォーミングな話も増えてきた様な気がするし、
その際たる物は「一生友達でいてあげる券」を描いたラス前の25話であり、
なののコンプレックスを象徴する如きネジに、別の意味で涙する最終回だと思う。
こう云う話が1クール目にも有ったら多少評価も変わって来たかも知れないが、
まあその辺の塩梅は中々に難しい所だろう。
主役の三人組、東雲研究所の皆さん以外にもクラスメイトや学校関係者他、
色々と今後が気に成るキャラも多かったりして、何にせよ愛らしい作品だったし、
終わってしまう事が少し寂しい作品だったとは思う。

Ani06


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