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2011.11.26

「さざなみの国/勝山海百合」

Katuyama01


読書家の中には或る文学賞の受賞作品を読み続けたと云う人も多いと思う。
自分も昭和の或る時期からの江戸川乱歩賞の受賞作を、
時代を遡って読み続けたりした事が有ったが、
それ以降の作品を読み続けているかと云うと、まちまちだったりする。
やはり新人賞の投稿作品と云うとどうしても出来不出来が激しいし、
選考委員の変化によってこちらの好みと合わない事もしばしば有る。
そんな中で比較的受賞作をまめにチェックしていた文学賞が、
89年から始まった「日本ファンタジーノベル大賞」だったりする。

驚異的に素晴らしかった第一回の受賞作、酒見賢一の「後宮小説」から、
大賞は逃すが後に大化けする鈴木光司の「楽園」と恩田陸の「六番目の小夜子」、
重厚な佐藤亜紀の「バルタザールの遍歴」や山之口洋の「オルガニスト」、
これまた驚異的だった宇月原晴明の「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」、
個人的に大好きな南條竹則の「酒仙」や浅倉三文の「ダブ(エ)ストン街道」、
畠中恵や北野勇作、森見登美彦もここの出身だったと思うと、
受賞作のみならずここ出身の作家の本はよく読んでいるのを実感するし、
これだけの作家を生み出しているのは実に大した物だと思う。

ただまあ近年は特に選考結果を気に掛けると云う様な感じではなく、
書店に受賞作が並んでいて「おぉそうなのか」と気付くと云う感じで、
その内容が個人的な好みに合致する様な内容でなければ、
受賞作だからと手に取るような事は無くなってしまった感じだった。
所が今回は「幽」怪談文学賞短編部門優秀賞を「竜岩石」で受賞以降、
文庫で出た「竜岩石とただならぬ娘」「十七歳の湯夫人」供に、
気に入って読んでいた勝山海百合が大賞を受賞したと言う事で、
何はともあれ早速購入して読み始めた訳である。
で、読み終わって選考委員の選考評が気になってネットで見てみたのだが、
(確か昔は単行本の巻末に選考評が載っていた様な気がするんだが・・・)
どうにも歯切れの悪い各選考評を読んで色々と考えてしまった。

舞台は中国なのだが何時とは明記されない或る種架空の中華社会である。
かの陶淵明の「桃花源記」の如く、他所とは接触を断った神秘的な湖の畔の村、
成す術も無く滅び行くその村から一人の少年が外界へと逃げ延びる。
村の娘と都の住む男との間に出来たその少年「さざなみ」は、
旅の商人に預けられ、幾多の困難や出会いを経て都に有る父の家へ辿り着く。
既に故人に成っていた父の遺児として都で育てられたさざなみは、
謎の襲撃に合いつつも、許婚で剣の達人の少女・桑折などに助けられ、
旅の途中で知遇を得た皇女・甘橘の求めで仕官の途に就く様に成る。
だがさざなみの出生による秘密が、やがて彼の運命を大きく変える事に成る・・・

要約すれば、まあこの様なストーリーに成る訳だが、
とにかくこの作品、盛り上がらない事夥しい実に淡白極まりない作品なのだ。
いや別に武侠的なアクションとか魔術的な攻防とかが必要だとは思わない。
ドラマツルギー全開でなく淡々と進む話も悪くないとは思う。
所謂、伝統的な「志怪」小説的に言えばこう云う内容も変では無いし、
作者の過去作などを読んでいれば実に作者らしい資質の作品だとも思う。
しかし「日本ファンタジーノベル大賞」の大賞受賞作と云う認識で、
作者の資質など全く知らない人間が読んだ場合どうなんだろう?これ。
確かに実際人間は成す術も無く唯々諾々と人生に従う存在なのかも知れないが、
とにかく主人公のさざなみがその時々の状況にただ流されているだけで、
目的や意思などが殆ど感じられない所が相当に話の興味を殺いでいる。
過剰なドラマで圧倒しなくても物語には或る種のカタルシスは必要だ。
それは繊細に紡ぎ上げた工芸品の如き描写の美しさでも良いし、
ページを圧する黒々としたペダントリーで有っても良い。
けれど飽くまで作者が描き出すのは或る種民話の如き淡々とした話だ。
しかしその淡々とした民話的な感触がこの作者の持ち味だったりするのが、
なんとも歯がゆい所だと思わずにはおれない。
作者の長篇を読んだのは今回が初めてな訳だが、やはり作者の資質は、
過剰な演出を抑えた多彩な短編の方に有るのでは無いかと思う次第だ。
返す返すもこれが「日本ファンタジーノベル大賞」大賞受賞作でなければ、
趣味の良い志怪風な佳品と言う事が出来るのだが・・・

確か昔は大賞無しの優秀賞のみの回も何度か有った様な気がするが、
選考委員の歯切れの悪さを勘繰るだに無理に大賞を選出したと云う感じか?
まあ色々思惑は有るんだろうが作家に対しても賞に対しても残念な事だ。
と云う訳で非常に歯切れの悪い感想に成ってしまったが、
「日本ファンタジーノベル大賞」の大賞受賞作と云う括りではなく、
「勝山海百合」の新作としてはお薦めできる一冊と云う感じである。

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2011.11.19

「菊地成孔の粋な夜電波」

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相変わらず頻繁にラジオを聴き続ける生活を続けているが、
結構熱心に欠かさず聴き続けているプログラムの一つが、
十月の改編期より金曜夜の八時からの二時間番組へと昇格した、
TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」である。

菊地成孔の存在を知ったのは勿論、本職のミュージシャンとしてだが、
実は長らく同じジャズ界の住人である菊池雅章と混同していたりした。
記憶が曖昧ではっきりしないが、多分作品として最初に聴いたのは、
彼のユニット「デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン」だと思うが、
その段階でもジャズマンと云うよりクラブDJ的な人だと思っていて、
ジャズマンと意識したのはソロ作「南米のエリザベス・テイラー」からと云う、
氏が良くネタにしている、氏の事を良く知らない人から言われたらしい、
「菊地さんサックスも吹けたんですね?」と云う人たちと大差無かったりする。
全くかの 巨匠・山下洋輔の弟子筋に当る方に失礼極まりない話だが、
氏の存在を完全に認識したのはやはりその著作によってだと思う。

クラブ界隈による再評価を期にジャズを聴き始めた人間としては、
所謂ジャズ喫茶文化世代のジャズ評論や著作には若干馴染めない物が有ったが、
冒頭から牛心隊長などが出て来る「東京大学のアルバート・アイラー」には、
新しい視点を見開かされ、その造詣と探究の深さに唸らされた物だった。
勿論、本書に出て来る音楽理論や観念など容易に理解出来る知能は無いので、
大谷能生氏との共著による講義録本は幾つかしか読んでいないが、
マイルス・デイビスと云う巨人をモード(服飾流行)方面からも照射する、
最近文庫化された「M/D」なども実に興味深く読んだ。
ただそこはかとなく感じた氏のスノッブな印象は余り良い感触ではなく、
奏っている音のクールな触感と相まって韜晦な印象の方が強かったりした。

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その辺の印象がガラッと変わったのが後に読んだエッセイ集、
「スペインの宇宙食」と「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」である。
特に前書の冒頭におかれた「放蕩息子の帰還」の諸作の凄さにはぶっ飛んだ。
完全に氏の印象が180度変わったと言っても過言で無い素晴らしさだった。
ここに表れた爽快なチンピラ臭と云うか無頼にして軽妙な語り口、
そして酸いも甘いも噛み分けた遊び人特有のクールでメロウな視点、
正しく破滅的で最悪なのにそのスタイリッシュな姿に憧れてやまない、
かつての伝説的なジャズ極道たちの正統な継承者の姿がそこに有った。
・・・って、勿論氏はそこまで最悪でも破滅的でもないけれど、
諧謔と知性に溢れたその佇まいは実に魅力的に映った。
そんな新たに認識した氏の姿が実にストレートに出ているのが、
このラジオ番組「粋な夜電波」だと思う。

渋滞に巻き込まれてしかなく長時間話していたタクシーの運転手に、
「お客さん話面白いですね~ラジオのDJとかやれますよ」と言われたと云う、
一日中ラジオを聴き続けるタクシー運転手も太鼓判を押す氏の話術だが、
決して流暢な話術では無いし、グダグダ感も毎度の事ながら、
あの人を魅了して止まない独特の語り口はなんなんだろう?
お馴染み歌舞伎町に於ける非日常の数々やロイホに於ける濃い客の話等々、
凄まじい馬鹿話を蒐集してくるその手腕も大した物だと思うが、
それらは氏の語り口によって珠玉の馬鹿話に変わっているのは明白である。
グダグダな進行も曲の掛け間違いも何気に味に成っている訳で、
警視庁の交通センターとの会話さえも芸に成っている所は驚くべき所だ。

かと思えば、広範な知識を織り交ぜた興味深いアジテーションの様だったり、
追憶と慈しみを織り交ぜた詩的さが一遍のソネットの様だったり、
軽さ全開のアゲアゲな煽りが恰も80’ディスコのDJの様だったりする、
変幻自在にして毎回趣向の多彩さが輝る番組冒頭の前口上は、
その芸達者振りと原稿の精度の高さに唸らされる事必至で、
先週の少女時代の「The Boys」に乗せたラップと云う変化球も素晴らしかった。
当然、選曲の多彩さは群を抜いており、ストレート・アヘッドなジャズから、
名前の読み方が解らないアラブの歌謡まで気の抜けぬ選曲で攻める。
一度現場で落語とアラブ歌謡(だったっけ?)のMixをプレイした事が有ったが、
あの時のカオティックな雰囲気は忘れらない物が有りまたリクエストしたい所だ。
前回のSPウィークでは作家である実兄の菊地秀行が登場して、
実家の話で終始弟の成孔が圧倒されると云う展開が最高だったが、
今後のSPウィークでは是非師匠の山下洋輔などでもゲストに迎えて、
氏の若い頃の悪行などを暴いてあたふたさせる所なども聴いてみたい物だ。

さてこの番組ポドキャスなども配信してはいるが、
音楽主体の番組なだけにポドキャスは非常に淡白な内容に成っている。
(まあ近頃は配信限定話などもアップされて今後も期待したい所だが)
放送が入らない地域、もしくは九時台で終わってしまう地域の方は残念だが、
是非ともラジオで愉しんでいただきたいプログラムである。

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2011.11.12

消え行く富士見坂の景観

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先日朝日の夕刊に『都心から消えゆく富士見坂』と云う記事が載っていた。

高層建築が立ち並ぶ以前、高台に立てば何処からでも富士山が拝め、
それ故に東京には「富士見坂」と呼ばれる坂が数多く残っているが、
実際に今でも富士山が拝める坂は日暮里の富士見坂のみに成っている。

しかしその眺望の先で計画されている高層ビルの建築により、
富士見坂からの眺望が失われ様としていると云う記事である。
何時かは来るであろう事を予想していたがとうとうその時が来た様だ。
富士見坂から現在も富士山の姿は拝めるのだけれど、
上記の写真の如く左側の稜線を隠す様に建ってしまったビルのお陰で、
甚だ不完全な眺望に成っている。
このビルが建てられる時にも歴史的な眺望の妨げに成ると、
随分反対の運動が有ったが結局御覧の通りの有様で現在に至っている。
とうとうここも名前だけ残った「富士見坂」に成る時が来た様だ。

富士見坂の存在を新たに認識したのはやはり「谷根千」を読み始めてからか、
と云うかそれ以前は坂の名前すら認識していなかった様な気がする。
それまで普通に使っていた坂の意外な来歴に驚かされ、
以来、天気の良い時などは幾度も足を運ぶように成った次第だ。
とは言え実際に排気ガスの多い東京で富士山が見える時はかなり稀で、
急な坂道を上り終えて振り向いた時に失望した時の方が多かった。
毎日の様に見ている坂の近所の方々なら違う意見も有るだろうが、
一番良く見えるのはやはり空気の澄んだ冬の朝方の時が多く、
夕方にシルエットと成って見える富士山は数える程しかない。

その昔、歳も押し迫った大晦日の夕暮れ時に、
混雑を避けて先に諏訪神社に御参りしておこうと富士見坂を上っていた。
すると坂の上の方で幾人かの人たちが並んで歓声をあげている。
これはもしやと振り向かず坂を上りきり、周囲の人たち同様に振り返ると、
今まで見た事も無い様な茜色の空にくっきりと稜線を湛えた霊峰の姿が有った。
その美しい佇まいと、恍惚と眺める人たちの茜に染まった顔が印象的で、
周囲が闇に沈む僅かな時間を、飽かずに眺めていた事を思い出す。
あんな不思議に美しい瞬間もあと僅かで見えなくなるのだ。
あと何度ここから名前通りに富士山を拝む事が出来るのだろうか・・・

Fujimizaka02
        両写真とも2002年当時の富士見坂の眺め

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2011.11.05

還って来た栞子さん~「ビブリア古書堂の事件手帖2」

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続編希望の声も高かった「ビブリア古書堂」の二巻が早くも登場した。
前作が割りと美しい余韻を残した良い終わり方をしていたので、
あれで終わりと云うのもそれはそれで良かったと思ったりもするのだが、
巻末の作者のあとがきを読むとこれで「ようやく本編」と言う事で、
以降、明白にシリーズ化しそうな「ビブリア古書堂」である。
まあ前作の静かなる人気の高さを見ればそれも当然と云う物だろう。
前作をネタに書いた記事のアクセスがいつまで経っても途切れず、
気付けば書店の平台に常に前作が並んでいるような状態で、
口コミで評判が拡がると云う一番理想的な形で売れて行った訳である。
これをシリーズ化せねばどうすると云う話だろう。

さて続編と成る今作は、割と簡単にビブリア古書堂に復職した五浦大輔が、
退院したビブリア古書堂の店主・栞子さんの下で古書店員修行中に出会った、
古書や書籍にまつわる人たちの、日常の謎を巡る話に成っている。
基本的なフォーマットは前作と同様だが、病床に居た前作に比べると、
自身も現場と相談者の前に出向く今回は、栞子さん30%増しと云う感じだろうか。
今回のネタ本は全部で4冊。
映画の原作でお馴染みなアントニオ・バージェス「時計じかけのオレンジ」。
司馬遼太郎が本名で書いた、福田定一「名言随筆・サラリーマン」。
藤子不二雄のデビュー作、足塚不二雄「UTOPIA・最後の世界大戦」。
そして坂口安吾の妻・坂口三千代の手に拠る随筆「クラクラ日記」である。
他に作中に桃源社版・国枝史郎の「完本・蔦葛木曽棧」が出て来るのが嬉しい。

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さて第一話のバージェスの「時計じかけのオレンジ」に関して、
自分もキューブリック映画を表紙に使った旧版しか読んでおらず、
現在流通している文庫が完全版だと云うのは寡聞にして知らなかったのだが、
謎の真相となる読書感想文の作者に関しては結構容易に想像がついた。
以降、ある程度古書に関する知識が有る人間からしてみると、
福田定一も足塚不二雄もその正体に関する書籍的な驚きは殆ど無い訳で、
その部分を抜かすと今回はミステリー的な精度は結構低い様に感じる。
買取に来た客の不完全な住所を書籍の状態から推理すると云う箇所は有るが、
その辺もまあ取って付けた感は拭えない推理である。
ただ福田定一の本に関しては、署名入りと云うのはややイレギュラーな物の、
国枝史郎の「完本・蔦葛木曽棧」を使って古書店員の審査眼をテストし、
わざわざ買い取りから洩らして手元に残そうと云うテクニックは、
古書買取のセオリーを逆に使った様な物で、これは結構良く出来ていた。
と云う訳で本書はミステリー的な感触に関して後退している物の、
(古書のみならず)書籍を巡る「人の関わり」と云う部分では一貫している。
今回初めて話に出てくる、栞子さん以上の書痴である失踪した彼女の母親、
母親への複雑な想いを託した「クラクラ日記」の真相など中々に意味深だ。

さてミステリー的完成度は前作に比べるとやや落ちている今作だが、
それが問題かと云われれば、実の所全く問題ない。
何故ならば、もう既に栞子さんと云うキャラクターが見事に完成しているからだ。
この作品の魅力は栞子さんと云う謎めいた美女に半分以上拠っている訳で、
その点で言えば今作も栞子さんの魅力が全開である。
前回も書いたがこの辺のキャラクターの起たせ方は、
作者がライトノベル出身者だけあって磐石だ。
造型にしろ言動にしろ実にその辺のツボを得たキャラクターに成っているし、
仲の良い姉思いの活発な妹や、謎めいた母親の存在共々周辺も抜かりが無い。
大輔に対しての言動や、匂わせる態度などが余りにもある種の定型で、
この手のスタイルが苦手な人間にはハナに付く所は有るだろうが、
所謂キャラクター小説的スタンダードとして許容すべき範囲だと思う。
魅力的な彼女の活躍と不器用な大輔との関係が気になる向きには、
今作以降も「ビブリア古書堂」シリーズを手に取り続ける事に成る訳である。

さて今後も順調に作品が続き話がたまって来れば、
版元の関係からして深夜アニメ化するのは間違い無さそうである。
既読のアニメ・ファンなどは既に誰が栞子さんのCVをアテるか予想していそうだ。
最近は日常的な作品をアニメ化して成功させている例も多いし、
話の舞台も美しいし、構成次第では中々面白い作品に成りそうな感じである。
逆に怖いのが昨今良くある、お手軽に邦画化されると云うパターンだ。
と云うかこのパターンが一番有りそうな感じがして怖い。
小雪とかが栞子さん役に決まったらどうしよう・・・まあ個人的な懸念だが・・・

Sioriko04


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