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2011.12.24

Girls Can Flying! ~「映画 けいおん!」

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毎週愉しみに聴いている「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」、
その「シネマハスラー」に「映画けいおん!」が取り上げられると言う事で、
さてどんな事に成るのやらと、半ば楽しみ半ば不安で放送に挑んだ訳だが、
相変わらずの安定したボンクラなハスリングは期待以上の物だった。
ほぼ半分以上に渡って繰り広げられた映画の、と云うより「けいおん!」論は、
目新しさは無い物の実に精度の高い論考で咀嚼力の高さに感心させられる。
特に「ミイラ取りがミイラに成った」が如き熱量の高い発言には、
やはりこの男は信頼出来ると云う思いを強くした次第だ。

「映画けいおん!」に付いては、番組への投稿傾向分析にも表れていた様に、
自分も「TV版を見続けていた視聴者には最高だが、一見の客にはどうかな?」
と云う様な感想を抱いていただけに初見で楽しめたと云う意見には驚かされたし、
個人的な映画の感想に関しても投稿傾向分析に近い物を感じた。
「(客観的に言って)面白かったが最高と云う程では無かった」と云う感じだ。
確かに映画の内容が、TV版で云う所の日常回を踏まえた旅行前パート、
「合宿」「夏フェス」等のイベント回を踏まえたロンドン旅行のパート、
そして本編最終回の「卒業式」の別サイドとも言うべき帰国後のパートと、
TV版のブローアップであり、映画ならでは意味合いが余り感じられない所。
そして宇多丸も指摘していた様にそれぞれの分離が目立つ所なども挙げられる。
宇多丸は映画をオムニバス形式で描く様な事を提案していたが、
流石にそこまでしなくとも、ロンドン旅行と帰国後のパートの間に、
TV版でお馴染みなカセットがリバースするアイキャッチを入れるだけでも、
観客の方の意識が多少は切り替えられたのではないかと思ったりもした。
(映画の時間配分的にはそこでリバースするのは多少おかしいとは思うが)

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ただ思い出してもみてほしい、「けいおん!」の映画化が決まった頃の事を。
映画化される事への歓喜と供に、沸き起こる当惑と疑問の数々を。
「一体この何気ない日常を描いた作品をどう映画化するというのか?」
「映画にしてまで描く事など有るのか?」「むしろ映画化って問題無いか?」
等々、作品が作品なだけに様々な憶測と不安の声が当時渦巻いていた。
そして多分に営業的な要請から決まったであろうロンドン旅行の件にしても、
正直、無邪気に期待する向きよりも懸念する向きの方が強かった様に思う。
「解散の危機」とか「熱愛発覚」とか煽情的な文字が踊る映画の予告篇は、
まあ良く有る予告ならではの煽りの様な物だと簡単に解る物では有ったが、
それこそ映画化と言う事でそう云う方向へ描く事も可能だった訳で、
映画化と云うスペシャル感が諸刃の刃として存在する質の作品に於いて、
むしろ各パートの分離が良くない等の難点を挙げる程度に納まってる時点で、
よくぞそう云った難題を過不足無くクリアした物だと感心する位である。

破綻が無く精緻に組み立てられた構成の作品にも勿論感動はするが、
愛着を持って愛で続けられるのは、多少構成が歪であったとしても、
作り手の作品への愛情が感じられる熱量がこもった作品だと思う。
瞬間の煌めき、登場人物の息づかい、話に寄り添った風景、耳に残る音楽、
フィルムに刻み込まれた制作側の想いが発熱するその瞬間を見たいが為に、
フィルムに刻み込まれた架空の登場人物が目映く煌く瞬間が見たいが為に、
何度も観たいと思う映画が有るとすれば、この映画は間違い無く「それ」だ。
客観的な評価はどうであれ、これはTV版と同質の愛すべき一本であり、
その質感を映画でも再現出来ているだけでも間違い無い作品に成っている。

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放課後ティータイムの五人も含めた主要キャラ九人も素晴らしいが、
詳しい人間なら一人一人名前を挙げられるであろう精緻に設定された、
モブ人気の高い唯たちのクラスメートの生き生きとした姿、
少ない登場シーンながら独特の存在感が光るオカルト研究会の両人、
先輩の紀美や川口さんの登場にも驚くがまさかのラブクライシスの再登場、
かの堀込先生にも見せ場が有ったりして驚かされる事しきりだし、
律の弟・聡、そして驚きの平沢夫妻ここに来て満を持しての登場と、
これで曽我部先輩まで居たらもう言う事無い脇キャラ大盤振る舞いにも唸る。

さて映画の中の印象に残ったシーンなどを挙げて行くとキリが無い訳だが、
あえて個人的な所を抽出すれば、旅行前パートでは解散危機小芝居に於ける、
デスデビルの曲に乗せた放課後ティータイムの演奏シーンがツボだった。
俯いて激しくダウンストロークを繰り返す唯と澪の弦楽隊、
派手なアクションでスティックを振り下ろす律のドラミング、
ジョン・ロードよろしく、前のめりに鍵盤を倒さんばかりに奏き倒す紬と、
こう云うのも有りだな!と思わせるラウドな演奏に胸躍る訳だが、
その後のお約束のコント展開も含めて実にこの作品らしい構成に感心する。
更に言えばデスデビルのこの曲が、実は当時彼女達が後輩に送った曲だった、
と云う事が後に判明してグッと来たりするする訳だが・・・

Kon03

ロンドン・パートはそれこそ盛り沢山に印象的なシーンが多いが、
「旅行先でライブをやる」と云う無茶振りをボケで返したが如き、
寿司屋に於けるライブの顛末はかなり上手く展開している様に思う。
後は観光先を巡っている所より、ホテルの部屋でダラダラしている所の方が、
何故か印象に残っているのが、この作品の特徴的な所だろうか。
余談だがパンフに出ているロンドンの野外ライブの為の音響装置の設定の、
余りにも詳細かつ精緻な設定振りには驚かされると供に、
この作品に顕著な「神は細部に宿る」精神の真髄を見た気がした。
この細かな描き込みが有るからこそ故に、緩さや淡さが際立つ訳である。

Kon05

帰国してからの教室ゲリラ・ライブ、そして卒業式の裏側に関しては、
もう総てがスペシャルでどれか一つなど選べない珠玉さが続く部分である。
映画の中のライブシーン中でも渾身の力で描かれるゲリラ・ライブは、
演奏する五人の繊細な動き、目線、高揚感、そして周囲の盛り上がり等々、
力の入った作画と演出に何度でもリピートしたくなる名場面な訳だが、
やはりラスト近くの瑞々しくも美しい、冴えた演出に止めを刺すだろう。
原作には描かれていた梓に歌を送った後の卒業した四人の姿、
それが舞い躍るような四人の脚のアップによって延々と描かれる。
この作品はとにかく脚や手などの細部を細かく描く事によって語らせると云う、
非常に意識的な演出方法を採用して成功していた作品だったが、
その極め付けと言える部分がラストに使われている事が実に印象的である。
脚の動きと台詞だけで構成される画面はそれ故に能弁で儚くも美しい。
キャラを総て理解した上での制作側の卓越した演出力に唸らされる訳だが、
そこからカメラがパンして行って上半身が映し出された後に、
唯の滑空をきっかけに四人が走り出して行くシーンの美しさがたまらない。
場所は一期のOPで四人が駆け抜けて行った松ヶ崎橋をしかも逆方行へである。
始まりと終わりを同じ場所で意識させる演出の妙味に陶然とさせられる演出だ。
この飛翔感と陶酔感、刹那感と開放感が入り交じった画面を見ていると、
個人的に好きなレオス・カラックスの「汚れた血」のラストシーンを思い出した。

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そしてもう珠玉としか言えない「Singing!」が流れるエンドクレジット部分。
これまでも、のほほんとした「けいおん!」本来の世界観とは一味違った、
スタイリッシュでソリッドな映像を見せてくれたエンディング映像であるが、
この映画のシメと成るエンディング映像の美しさは特筆物の出来である。
ソファで起てたベースを爪弾く澪を始め、海外のスクールガールよろしく、
フェミニンな衣装を着込んだ五人のノーブルな可愛らしさも見物だが、
圧巻はあのThe WHOのピート・タウンゼント原作の「四重人格」の映画化作品、
「さらば青春の光」のラストで現れるホワイト・クリフの断崖を組み込んだ、
吹き荒ぶ平原で演奏するシーンの何とも言えぬ「ロック」な佇まいである。
これには痺れた、打たれた、最高だった、一瞬たりとも目が離せなかった、
もうこの映像の為にロンドン旅行が有っても良かったと思える出来栄えである。
楽曲の方も5・3・5で入ってくるイントロのブレイクから一気に展開して行く、
ソリッドでクールなサウンドと高域が伸びやかな日笠陽子の歌唱が絶品で、
希望に満ちた歌詞共々、映画の掉尾を飾るに相応しい出来栄えと言える。
・・・と、最高に素晴らしいエンディングなのだが、宇多丸も指摘していた様に、
この後に続く妙な楽曲の空白は相当に腰砕けで残念である。
ちなみに映画を観てから最終話の「卒業式!」の回を見直すと、
随所に散りばめられた制作側のこだわりや思い入れが色濃く描かれていて、
色々と新たな発見が有り更に感慨深く愉しめる。

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それにしても映画公開一ヶ月前辺りから始まった怒涛の雑誌表紙ジャック、
昨年から引き続き繰り拡げられるローソンでの容赦無いコラボ商品の争奪戦、
ラッピング電車から各所でのスタンプラリーやUSJでの大規模なイベント、
異常にスタイリスティックな展開で驚かされたルミネとのコラボ等々、
「けいおん!」が真の意味でも社会現象化したのを実感したここ半年だった。
金が稼げるコンテンツと認識された限りはこの先の展開も予想できる。
それが作品にとって個人的には余り歓迎できない方向だったとしてもだ。
けれどいみじくもシネマハスラーの最後に宇多丸が言っていた様に、
「あいつらに会えるのなら、見るし、買うし、行くし」には苦笑しつつ同意する。
個人の思惑など関係なく何処かの空で飛び跳ねている連中に会えるのなら多分。

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2011.12.17

新少林寺

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輝ける中華電影世界に確固として存在する所謂「少林寺」作品群。
その秘儀性を描いて未だ世界中に信奉者の多い「少林寺三十六房」、
今に至る少林寺のイメージを決定付けた大ヒット作「少林寺」の諸作、
伝説の武術家・洪煕官や方世玉などを描いた作品もその中に含められる訳だが、
本作は実際の歴史的な背景や事件を元にして、少林寺の持つ精神性を描いた、
正しくニュー・スタンダードな新世代の少林寺映画と呼べる物に成っている。

時代背景は、清朝が倒れ各地に軍閥が起り戦火が方々で燃え広がっている頃。
敵対する将軍が庇護を求めて逃げ込んだ少林寺へ軍隊を差し向け、
その威光を踏み躙る様に乗馬したままで駆け込んでくる軍閥の将・候杰は、
慈悲の心を説く僧侶をあざ笑うかの様に逃げ込んだ敵将を撃ち殺し、
あまつさえ少林寺の扁額に侮辱の言葉を書き込む暴虐振りを見せる。
勢いに乗った候杰は力の拮抗する義兄弟である同胞の将軍を排除し、
その権勢を磐石にする為に暗殺計画を企てるが、
野心を持った腹心の部下・曹蛮に裏切られ追われる身となる。
逃亡の最中、最愛の娘が重症を負い娘を抱えて逆に少林寺に逃げ込むが、
僧侶の介護も空しく娘は息を引き取り、失意の候杰は寺に留まる事に。
かつての暴挙の為に寺僧たちは候杰の滞在を快く思わなかったが、
気の良い寺の厨房係である梧道のお陰で己のして来た事の是非を悟り、
自ら頭を丸めて出家し、やがて他の寺僧たちにも認められる様に成る。
一方、後釜に納まった曹蛮は外国人と組んで軍備を増強し、
外国人による遺跡の盗掘に難民を使い口封じに虐殺を繰り返していた。
その事を知った候杰は少林寺僧たちと計って難民を救出するが、
曹蛮に生存していた事を知られ寺に軍隊を差し向けられる。
圧倒的な数の軍隊、そして背後に控える近代兵器を擁した外国部隊。
今、死を覚悟した少林寺僧たちの最後の闘いが始まる・・・・

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さて「少林寺」物と言えば拳法を用いたアクション映画的な印象が強いが、
どちらかと言えば本作は歴史大作的な雰囲気が鑑賞後に残る。
それと言うのも、この映画のために2億4千万円もの資金を注ぎ込んだ、
淅江省にて実際に組み立てられた巨大な少林寺のセットに拠る物が大きい。
近年バブル化が進む中国は映画の為に巨大なセットを幾つも建てて来たが、
この映画の少林寺も、またスケール・造型供に壮絶な出来のセットであり、
しかもラストに於ける激烈な爆撃シーンにより破壊される事に成っている。
やはりこう云う贅沢なセットで演じるのは役者のモチベーションも違うし、
何よりCGではない実際の建物が持つシズル感には格別の物が有る。
とは言えアクション的な部分は当然ながら非常に素晴らしく、
罠にはめられた候杰が絶体絶命の危機を乗り越える酒楼での死闘、
そして逃亡の際に危険な崖上で行われる馬車による手に汗握る追撃、
少林寺映画には欠かせない寺僧たちによるアクロバティックな修行場面、
「武術が出来ない」と云う設定な梧道の奇想天外な武術を駆使する場面、
そしてラストの爆撃による破壊とその破片が降り注ぐ、
仏殿の中で繰り広げられる候杰と曹蛮の最終決戦の場面など盛り沢山だ。
かつて金は無いがアイデアで勝負していた時代の香港映画も最高だったが、
大陸との合作により獲得したスケール感には効し難い魅力が有るのも確かである。

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主役を務める天下の劉德華先生に関しては後述する事にするが、
本作で一番光っているのは悪役である曹蛮を演じた謝霆鋒なのは間違い無い。
香港金像賞、亜州電影大賞の助演男優賞を「孫文の義士団」で受賞した程に、
近年の謝霆鋒の演技及び存在感の素晴らしさは正に折り紙付きであり、
今作での冷酷でいながら線の細い耽美な佇まいは実に魅力的だし、
成龍も認めたアクションに対する果敢な挑戦は本当に素晴らしい。
二世タレントのボンボンから今や完全に次世代を継ぐ存在に成ったと言える。
そして特別出演である少林寺の厨房係である梧道を演じる成龍は、
自身が手掛けた大作で主役を張る時とは違う特有の軽妙さが絶品で、
やはり成龍はこう云う役柄の方が好きと云う方も多いのでは無いだろうか?
先にも触れた「武術が出来ない」故の奇想天外な武術シーンなど、
成龍ならではの見せ場が用意されているのも楽しい。
最後には素晴らしい武術を披露する元祖「少林寺」に出ていた懐かしい于海、
周星馳の「功夫」が初出演だった本物の少林寺僧・釋延能の本物故の絶技、
「梅蘭芳」での超絶な美少年振りが印象的だった余文群、
そして李連杰の「ワン・チャイ」シリーズの鬼脚七で忘れる事の出来ない、
熊欣欣の本当に久し振りのキレの有るアクションが観れたのが最高だった。

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さて主役の劉德華先生に付いてである。
予てより「劉德華は劉德華を演じていない作品こそ素晴らしい」と言っているが、
その点で言えばこの作品は見事なまでに「The・劉德華」映画と成っている。
例えて言えばキムタクが演じる役は皆キムタクにしか見えないと云う所と同様か。
「スター」の存在意義としてそれはむしろ正解だと判断しているのだが、
個人的には劉德華にはそこに留まらぬ活躍を期待したいが故の思いである。
勿論役者としての技量、そして存在感供に劉德華は申し分ない存在だ。
野心にギラつく前半も慈悲の心を滲ませた後半も実に見所の有る演技だし、
五十を過ぎたとは思えない素晴らしくキレの有るアクションも素晴らしい。
未だスクリーン映えする容姿と供に驚異的なまでのスターっ振りである。
しかしそれ故に、少林寺が全面協力したこの映画を貫いている、
仏教的な「悟り」や「慈愛」の観念が少々抹香臭く感じられたりするし、
ストレートにその観念が感動に繋がって行かない所だったりする。
教えに則り無駄死にして行く数多くの少林僧たちに比べて、
金色に輝く巨大な仏の掌の上に落ちて行くその姿は格別に美しく、
劉德華が演じるが故に余りにも様式的過ぎ、美し過ぎる感じが濃厚に漂う。
香港出身の俳優としては劉德華は大陸への同化を早くから進めて来て、
「大中華」を象徴する様な姿勢をここ数年確固足る物にしつつある。
そう云う事を知らなければ気に成る事も無いのかもしれないが、
仏教的な思想を折り込んだ彼が作詞する朗々とした主題歌を最後に聴くにつけ、
作品の評価とは別に何か妙に白けた気分に成ったのも確かだ。
未だ徐克が劉德華を主役に撮った「狄仁傑之通天帝国」を観ていないので、
劉德華が今後どの様な方向に向っているのか判断出来ない所が有るからして、
まあこう云う意見はスレた香港映画ファンの繰言とスルーしてくれていい。
この映画の作品としての評価は間違い無く素晴らしいのは確かなのだから。

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2011.12.03

手賀沼(色々と)残念紀行

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先日、手賀沼の方に出掛けた。
直接的には松戸とか柏とか我孫子を特集した雑誌を読んでいて、
手賀沼周辺には遊歩道等が整備され、自治体がレンタサイクル等をやっており、
手軽にその辺を散策できる、と云う記事を読んでからなのだが、
それ以前に、手賀沼や柏の辺りには浅からぬ縁が有ったからなのである。
義務教育を受けていた区の、林間学校の宿泊施設が柏に有って、
何度となく柏に出掛け、その先で近くの手賀沼に遊んだりしたのだ。
多分人生で始めて家族から離れての宿泊体験がここだった筈である。
もうかれこれ三十年以上も前に成る昔の話で、
それ以来一度として再訪する事も無かった事も有り、
若干の郷愁的な物も含めて出掛けてみようと云う気に成った次第だ。

久し振りに良く晴れた週末の昼過ぎに上野から京葉線に乗り込んだ。
目指すは駅から手賀沼へのアクセスが近い我孫子駅である。
我孫子駅に着いて、まず昼飯がわりにホームに有る立ち食い蕎麦屋に寄る。
ここ「弥生軒」の「唐揚げそば・うどん」は一部に名の知られた名店である。
話に聞いていて一度訪れてみたいと思っていたがようやくその機会が来た。
唐揚げの個数を選んで食券を買えるので二個入りの奴を頼んだのだが、
出て来た丼のうどんの上に乗った唐揚げの大きさに若干怯んだ。
つうかこう成るとメインはうどんと云うより殆ど唐揚げと云う状態である。
まあちんまりとした唐揚げが二つ並んで乗っている位では名物に成らんか・・・
濃い目の汁を吸い込んだ唐揚げを美味しくいただき店を出た。

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我孫子駅から駅前の通りを真っ直ぐに進んで行くと直に手賀沼公園に着く。
ボート乗り場やミニSL等が走っていて家族連れなどで結構賑わっている。
ここのレンタサイクルは11月一杯までで冬は営業を中止するそうで、
本来なら手賀沼周辺の幾つか有る施設の何処に返しても良かった筈なのだが、
「この場所に返して下さいね~」と施設のオッサンに軽快に言われ、
その時点で返却時間まで1時間半を切っているしで、まあ周遊は諦めた。
行ける所まで行って見るかと、とりあえず借りたチャリを漕ぎ出す。

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右手に沼を見ながら手賀沼公園から手賀大橋の方へと向う。
風は冷たいが天気がいいので陽気が良く中々に爽やかだ。
そぞろ歩きする人も多いがジョギングする人も居て遊歩道は結構な賑わいだ。
冬枯れした葦や薄が生い茂る水辺には釣り人も多く見れる。
手賀大橋を過ぎて茸の様な塔を持った親水公園の建物が見えて来る辺りで、
周囲の景色は一気に長閑な田園風景に変わって行く。
見渡す限り空が蒼く拡がり傾きかけた太陽と供に絶妙なコントラストだ。
紅葉している木々は少ないが沿道の実った柿の木などが季節を感じさせる。
この辺にまで来ると流石に人の数も少なくのんびりと走れるのだが、
夏の熱さにやられたのかアスファルトが微妙に波打っていて、
変なダート感が有ったりするのがなんとも言えない。
さてここまで来て思ったが、雑誌で読んだ記事には手賀沼周辺をゆっくり走って、
大体二時間位で廻れる様な事が書いてあったが・・・ちょっと無理。
かなり脇目も振らず走れば廻れるかも知れんが、二時間では無理だろう。
帰路の事も考えて適当な所で踵を返す。

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さて公園にチャリを返してから柏の方まで歩いて行こうと歩を進める。
貰った地図を見ると「手賀沼ふれあいライン」とか道に書かれているので、
多分この先も遊歩道的な物が続くのだろうと漠然と思っていたのだが、
公園を抜けると単純に幹線道路沿いの何の変哲もない歩道が続いていた。
横を車が飛ばして行くので時と供により一層寒さが身に沁みて来る。
貸しボート屋の店が途切れると、とにかく深い葦が生い茂る風景が続く、
葦の原の中に座標した様に打ち捨てられたスワンボートが寂しげだ。
ただこのうら寂れた感じは記憶に残る手賀沼の風景と重なる物が有って、
対岸の送電塔に沈んで行く夕陽の色合いと供に妙に郷愁を掻き立てられる。

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散々歩いて沼の一方の畔である大堀川に掛かる「ふるさと大橋」を渡り、
「柏ふるさと公園」に辿り着いた頃には既に日も落ち掛けた頃だった。
この公園は手賀沼公園などと比べると施設等は少ないものの、
広大な敷地にグランドやら遊歩道、チャリの専用道等を有している。
走り易そうな専用道を恨めしい思いで歩きながら突端を回り込んで、
手賀沼に注ぐもう一本の大津川沿いの橋へと出る。
「あ~これだわ思い出したわ!」大津川沿いの道を見て思わず声が漏れた。
この大津川沿いでかつて何度も釣りをした事を思い出す。
当時、手賀沼と言えば湖沼水質ワーストのトップを争う汚い沼で、
汚染された手賀沼まで行かずに傍流の大津川で釣りをした方が釣れた物だった。
既に周囲は薄闇に沈んでいて川沿いにまで降りる事はしなかったが、
ようやく戻って来た遥か昔の記憶に若干疲れも飛んで行く感じがする。
さてあの日が沈み行く小高い丘の辺りに我らが宿泊施設が有った筈だ。
思い出を巡る小さなトリップの閉めにそこまで向かおうじゃないか!

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・・・と、闇に沈む台地の方まで疲れた足を進めて行った訳だが、
見付からねえ・・・地理感覚が全く掴めねえ・・・
近くに行けば何か思い出す事が有るかも知れないと甘く考えていたが、
全く持って思い出さない上に、周囲が暗くて目標物も判別出来なかった。
確か駅から隊列を組んで宿泊施設まで歩いて行った筈で、
当時は駅から離れれば雑木林も多い非常に長閑な所だった訳だが、
三十年以上経った今は良くある郊外の住宅地の風景に成っている。
まあそうだ、当たり前である、風景は変わって当然だ。
最初にここに泊まりに来た時は随分僻地に来た様で寂しく感じた物だったが、
たかだか都心から一時間もすれば来れる様な場所なのである。
住宅地をうろつく不審な男に成りつつ疲れた足を引き摺って彷徨ったが、
帰る気力も失いそうだったのでいい加減な所で断念した。
本当は記憶を探りつつ駅まで歩いて帰ろうか、などと思っていたが、
目に付いたバス停でバスに乗り込み部活帰りのガキ共と供に柏駅まで出た。

話の締めとして宿泊施設に辿り着けなかったのは非常に忸怩たる物がある。
何と言うか画竜点睛を欠くとはこの事であろう。
リベンジしよう、温かくなったら、きっと、多分・・・・。

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