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2012.01.28

もしも江戸を歩けたなら

Edo02


「もしもタイムマシンが有ったなら、過去の何時の時代に行きたいか?」
と云う不毛な馬鹿話なら誰しも一度はしてみた事が有るだろう。
例えばメソアメリカ・ユカタン半島にて高度な文明を築くも
謎の消滅を遂げたマヤ文明の最盛期の姿を観てみたいとか、
安定した治世に国際的文化が花開いた大唐帝国の爛熟の都・長安や、
映画や武侠小説で読んだ清代は康熙帝の頃の北京に行ってみたいとか、
現在で云う所の「歴史的名盤」が毎月の様にリリースされていた、
ロックが最も革新的だった60年代末から70年代初頭の英国でライブが観たいとか、
そらもう挙げて行けばキリの無い話に成る所が不毛な話たる所以な訳だが、
不毛ついでに一つに絞れと言われれば、やはり江戸時代後期と言う事に成る。

現在、生活しているこの場所と時を隔てて地続きであり、
その時代の文化を多少なりとも継承して生活して居る訳だが、
なまじ現代と地続きで有るからこそ、その差異に不思議な憧れを覚える。
季節の移ろいを凌駕しようとして感覚を狂わせて来ている現代の人間として、
季節の移ろいを受け入れそれを愛でる術を心得た人達の暮らす街を、
この場所で数百年前に営まれていた暮らしや風景を垣間見てみたいと思うのだ。
今回取り上げる谷口ジローのコミック「ふらり」は、
そんな願いを少し叶えてくれる一冊である。

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「ふらり」は日本全国を(当然)歩いて測量して周り、
当時としては非常に正確な日本地図を作成した伊能忠敬をモデルとし、
彼がまだその測量の旅に出る以前の江戸での暮らしを描いた作品だ。
自分の歩く歩幅による距離の測量の正確さを規す為に、
伊能忠敬はくる日もくる日も江戸の市中を歩いて廻っていて、
その際に出会う人々、自然豊かな江戸の風景、様々な江戸の風物、
美味そうな食い物等々、今は無き江戸の日常を作者は描写して行く。
江戸を描いた作品はそれこそ数多く残されているが、
基本はドラマの舞台として江戸を背景にしている物が大多数であり、
この様に起伏の少ない日常を淡々と描いた様な作品は余り多くない。
同傾向で思い出す作品として、個人的にはカオスなジャズ漫画でお馴染み、
一般的には「酒のほそ道」辺りが有名な漫画家ラズウェル細木が描いた、
「大江戸酒道楽」及び「大江戸美味草紙 」のシリーズを思い出す。
長屋暮らしの庶民の、季節と供に有る豊かな暮らしや食生活を、
江戸のうんちくと供に読む愉しさはまた格別な物が有る作品である。

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さて、話は「ふらり」に戻って、この作品の画面は中々独特の味わいが有る。
谷口ジローの作品は総てを読んでいる訳ではないのでアレなのだが、
インタビューなどで作者自身もそう答えている様に、
その画風は非常に海外のグラフィック・ノヴェルの影響が強く、
更に言えばメビウス(ジャン・ジロー)やフランソワ・シュイッテン等の、
フランスのバンド・デシネの作家に強い影響を受けた独特の画風を持っている。
彼の現代物の作品を読んでいる時には余り感じなかった要素であるが、
ベタ等のモノクロの陰影を多用した代表的な日本の漫画の画面に比べると、
多数のスクリーン・トーンを使って段階的に付けられた淡い陰影の表現や、
省略する事無く細部まで描き込まれた濃厚な画面の密度も、
長閑な江戸の風景を描く事で、何処か不思議な感触の画面に成っている。
更に言えば自分自身の歩幅でその世界を計ろうと歩く忠敬が、
亀や猫、蜻蛉などの視点と同化して、ミクロの視点から風景を眺め、
それがやがて地球的なマクロの視点へと拡大して行く様が、
彼の思考やその後の行動を反映させていて非常に巧く描かれている。
同時代人として話に登場してくる漂泊の俳人の小林一茶、
そして烏亭焉馬の弟子筋と言う事は若き日の初代・三遊亭圓生か?
と云う様な、もしやすれ違ったかもしれない当時の人々の登場も見所だ。
寝床などでぽつぽつと拾い読みして行くと気持良く眠れそうな一冊である。

最後にこの本を読んで真っ先に思い出した愛読している一冊が、
今は亡き杉浦日向子の「江戸アルキ帖」である。
そもそも何気ない江戸の市井の日常を漫画で描く事に関して、
杉浦日向子は正しくエキスパートであり「百日紅」等数々の名作が有るが、
「江戸アルキ帖」は物語性を廃してただ江戸の街を歩く事に特化した一冊で、
何年の何月何日に江戸の何処其処を歩いたと云う様な絵日記風の作品である。
現代人が江戸の街を垣間見ていると云うバーチャル感も見事だが、
本当にその場に居たかの如き、風の匂いさえ感じられる描写が素晴らしい。
微細に描き込まれた谷口ジローの画とは真逆に、行間の有る表現だからこそ、
どちらも同じ様に江戸の風景や匂いを感じられる作品に成っている。
現代に残るほんの微かな江戸の残り香を求めて散歩に出掛けたくなる一冊だ。

Edo01

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2012.01.21

古雑誌発掘

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色々有ってここの所ネタが不足気味なので古い雑誌をスキャンしてみた。

昨年の大震災の折、本の山の地層が崩れて下から珍しい物が幾つか現れたが、
読み耽る暇も無く崩壊した部屋の復旧に努めたので、
再び埋め戻されたり新たな箱に収められたりしてしまったのだが、
幾つか手に取れる所に残った奴を取り出してスキャンした。
特別にテーマなどは無く単純に前世紀末辺りの古い雑誌と云うだけである。

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『カジノ・フォーリー』/吐夢書房
これ以前にも5号ほど出ていた「お笑い」の専門誌、
と云うか同人誌?が新創刊した第1号なのだが、この後3号で再び休刊する。
当時の主流ではなく亜流の注目株、所謂マイナーな芸人を多く取り上げていて、
若き爆笑問題とか最高に尖っていた頃の浅草キッドなどが常連だった。
特集も面白かったが関係無いコラムも中々に先鋭的で楽しめた。
今も昔も特に「お笑い」関係を追求していたと云う訳ではなかったので、
何故この雑誌を買っていたのかよく思い出せないが、
当時「寄席」とか「演芸場」に足繁く通っていた関係なのかも知れない。

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『BGM(ブックガイド・マガジン)』/幻想文学出版局 
怪談雑誌「幽」発刊初期の頃に良くブログで引き合いに出していた、
東雅夫編集長率いる幻想文学出版局が出していた書評マガジン。
こちらも確か3号で休刊に成ってしまった雑誌だった。
しかし良く見ると雑誌コードが載っていないので書籍扱いなのかも知れない。
当時「幻想文学」を愛読していたのでその関係で買っていたのだが、
一般の読書好きにしてみれば、結構専門的で硬めの内容が目に付くし、
専門誌を読む層には内容が拡散し過ぎて物足りない感じの残る内容だった。

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『よむ』/岩波書房
91年の4月に、かの岩波書房から出た「本」に関する総合雑誌。
毎月買っていたと云う訳ではなく、特集の面白そうな号を買うのみだったので、
何時まで続いたのかは定かではないが、余り長続きしなかった様に思う。
スキャンしたのは巻頭特集が「同潤会アパート」と云うナイスな号で、
当時建て替えの為に次々と壊されて行く同潤会アパートを探訪した内容で、
この特集に影響されて残っていた同潤会アパートを訪ねて廻った事を思い出す。
とにかくこの雑誌は巻頭特集が中々興味深い特集の時が多くて、
確かこの時の同潤会アパート特集は後に一冊の書籍に成った筈である。

最後にちょっとイレギュラーに成るが現在も刊行され続けている、
雑誌「ブルータス」の85年の号で、「ジャズ」を特集した号である。
85年で特集がジャズと言えば明らかに当時買った物ではなく、
多分後に古本屋などで購入した物だと言う事がわかるが、
表紙の「ブンキでなけりゃJAZZじゃない」と云うコピーに泣ける。
当時はブルーノート・レーベルの再興や野外ジャズ・フェスの人気など、
フュージョン後のストレート・アヘッドなジャズが再び盛り上がっていた頃で、
それを考えると、あながち特殊な企画と云う訳では無い訳だが、
当時まだ生存していた問答無用のジャズ極道・チェット・ベイカーの、
背中が煤けたポートレートやライブ・ルポ等が載っている所がまた泣かせる。

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ちなみに頭に掲げた「サイゾー」の創刊号は2000年と未だまだ若いが、
この雑誌も何だかんだと十年以上続いていると思うと中々に感慨深い。

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2012.01.14

アリス・クーパー 悪夢の再現度紙ジャケ

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近頃は海外で発売された5枚組みとかの廉価アーカイヴBox等を買う事が多く、
単価の高い紙ジャケ商品を買う事もめっきり少なくなってしまった訳だが、
(まあ単純にそそるアイテムが出ていないと云う事が一番大きい)
昨年暮れに久し振りに「紙ジャケ」として喰い付く如きブツが出た。
それが米国ショック・ロックの大統領アリス・クーパー黄金期の諸作である。
アホの様なギミックが忠実に再現された実に素晴らしい待望のアイテムだ。

さてアリス・クーパーと言えば本国アメリカでは未だに現役の、
或る意味キャンプでカルト的な地位を確立した存在な訳だが、
正直日本ではその特異な立ち位置故に中々その実像を掴めない存在である。
アメリカン・ロックの歴史を紐解く時には必ずその名が現れて来るし、
ショウアップされたシアトリカルなステージングを行うバンドを語る時、
大概その始祖的な存在として外す事の出来ない位置に居る訳だが、
そう云う付随情報の方が多過ぎて中々本質に踏み込めない感じに成っている。
個人的に最初にアリス・クーパーと云う存在を認識したのは、
彼に影響を受けたバンドによる幾つかのカバー曲と云う出会い方であり、
話に聞く過激なステージング同様のハードでダークな音を期待してみると、
想像していた音と違っていて拍子抜けした様な記憶がある。
後年、彼に影響を受けた若いアーティスト等をアルバムに参加させ、
当初自分が想像していた様なエッジの有る大味なR&Rをやるように成るが、
まだアリス・クーパーと云う名前がバンド名として機能していたこの時代は、
プリミティブで豪快なアメリカン・ロックと云うよりも、
繊細でアーティスティックな一部の英国グラム・ロックに通じる物が有り、
今の時代に改めて聴き直すとそんな発見が出来る面白さが有った。
とりあえずギミック至上主義の紙ジャケ・ファンが飛び付くのは以下の二枚。
出世作である72年リリースの5枚目「スクールズ・アウト」と、
彼らの名前を知ら示した73年リリースの「ビリオン・ダラー・ベイビーズ」。

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「スクールズ・アウト」はその名の通り蓋の開く学校の机を模している。
机型のジャケと言えば、かの10ccの前身バンドであるホット・レッグスが、
71年に出した「Thinks:School Stinks」(既に紙ジャケ済み)が有るが、
あちらが普通のゲートフォールで机の蓋の開封を模しているのに対し、
こちらは机の4分の1の所からリアルに蓋が開く様な仕様に成っていて、
更には裏側も切り込みを外して実際の机の様に展開出来る仕組みに成っている。
机の上の落書き、机の中のビー玉やパチンコ、机の裏のガムの噛み終った滓など、
各種デザインを細かく確認して行くだけでも中々に愉しい物だが、
やはり一番の衝撃はレコードに履かされていた紙製パンティの再現だろう。
このアルバムはレコードがパンティ履いてると云う下らなさがミソな訳だが、
今回はちゃんと縫製されたミニチュアのパンティをCDが履いている訳で、
この無茶振りをきちんと再現出来ているだけでも完全に買いの一枚である。
更には付属の通信簿もきちんとミニチュア化されて封入されている。

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内容の方は頭から大ヒット曲であるタイトル曲が問答無用に炸裂するが、
この曲もドロップアウトの為のハードで声高なアンセムと云うよりは、
キッズ・コーラスが入った妙なキッチュさの方が今と成っては耳に付く。
そして驚かされるのがミュージカル・テイストに溢れた以下の楽曲で、
タイトルからして「ウエストサイド物語」を完全に彷彿とさせる、
ジェット団のフィンガースナップも高らかな③、そして乱闘のSEの④、
他にもサックスの入ったムーディーな雰囲気の曲や、
長尺で幻想的なサイケ・テイストの入ったプログレッシブな曲など、
「スクールズ・アウト」的なイメージを裏切る曲が非常に多い。
だからこそ、ショック・ロッカーとしてだけではないアリス・クーパーの、
真の音楽性を知る意味でもこの作品を今の耳で聴き直す意味が有るだろう。
本当にこの作品の持つ独特のトータリティは凄い物が有る。

さてお次は彼らの名前を不動の物に高めた「ビリオン・ダラー・ベイビーズ」。
前作も相当に金の掛かった凝ったジャケデザインで驚かせてくれたが、
今作も凄まじいアイデアに溢れたギミック・ジャケでその名を轟かせている。
今回は蛇革の二つ折り財布がモチーフに成っているのだが、
表も裏もエンボス加工が施されておりアリスメイクの赤ちゃんが浮き出ている。
更には財布と言う事で、何と独自に作った10億ドル紙幣が付属していて、
ジャケ内部右側の切込みを外すと紙幣がジャケに挟める様に成っている。
ちなみに左側は切り込みを外すとブロマイドに成る様な仕様に成っていて、
それを切り取るとその下にアルバムのクレジットが現れると云う仕組みだ。
色々と物議を醸したと云う現ナマを積み上げたメンバー写真入内袋も付いてる。

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内容は前作以上にショウアップしたミュージカル・テイストに溢れており、
タイトル曲、「アリスは大統領」「ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ」等、
シングルヒット曲も多く非常にメジャー感溢れる作品に成っている。
特定のクレジットが無いので何処に参加しているのかは解らないが、
ドノヴァン、ニルソン、マーク・ボラン、キース・ムーン、リック・グレッチ、
等のVIP達の参加も今回のアリスのショウの華々しさに花を添えている。
ジュディ・コリンズが歌った如何にも派手な①がショウの幕開けを告げ、
ホーンセクションが大統領演説のファンファーレの如く雄々しく響く、
最高にイカした、そして茶化したナスティなR&Rである③へと続き、
今度は映画「007」のテーマを折り込んだ展開の読めない⑤へと流れ、
スパークスの2nd収録曲をパクったと一部で有名な⑥を経て、
ドロっとしたカオス渦巻く⑧から再びミュージカルテイストに溢れたラストへ、
今回も狂乱の一幕を演出したトータリティが実に素晴らしい作品に成っている。

ちなみに他の作品では変形ジャケにカレンダーも付属すると云う4作目、
ハノイもカバーした「俺の回転花火」がお馴染みな「キラー」もマストだが、
個人的には3枚目である「エイティーン(Love It To Death)」が注目だ。
この作品、初回盤のデザインで中央のアリスがストールから親指を出しており、
それが遠目に性器を連想させるとして途中で修正されたアルバムなのだ。
それが今回、その曰く付きの初回盤を紙ジャケ化したと云うのが素晴らしく、
現行のCD等は多分殆ど修正版のジャケに成っていると思うので、
今回の初回盤ジャケは中々にレアなのではないかと思う。

Alice03

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2012.01.07

怪談専門誌「幽」第十六号発売

Yuu161

忘れた頃にやってくる日本初怪談専門誌「幽」も最新刊16号である。
怪談文芸の啓蒙と発展の為にこの様な雑誌を創刊し、
怪談文学賞などを創設して後進の育成にも努めている東編集長だが、
次に控えしタマは次世代を担う子供の為の怪談児童文学だそうだ。
昨今の自主規制された温い子供向けの怪談本などではなく、
トラウマを与えるぐらいに本格的に怖ろしい怪談本を創るべく、
宮部みゆきや皆川博子、更には京極夏彦や恒川光太郎などの人気作家陣に、
宇野亜喜良や吉田尚令等の画家が絵を添えた「怪談えほん」シリーズが、
東編集長の編集でこの度岩崎書店から刊行されたそうだ。
今号の巻頭特集はその企画に付随した「震えて眠れ、子どもたち」である。

全く持って子供と接する機会の無い人間なので昨今の児童文学には疎いが、
社会的な状況や自己規制と云う名の謂わば検閲的出版事情を見るに付け、
自分が子供だった頃との隔たりを感じる事は勿論多々ある。
とにかくあの頃は「いかがわしさ」が大手を振って闊歩していた訳で、
漫画雑誌の巻頭には真偽不明だが好奇心を刺激する奇怪なグラビアが満載で、
学研の「科学と学習」にしても夏には怪談特集などが有った位だし、
祭りに行けばいかがわしい見世物やチープ故に怖いお化け屋敷が掛かっており、
テレビでは人間の欲や業が横溢した血の気の多い怪談番組が常連で、
それらがUFOや超能力と人気を争っていると云う実に狂った時代だった。
本書の巻頭特集でも面白かった京極夏彦と黒史郎の対談に出て来る、
学研のジュニアチャンピオンコースとか立風書房のジャガーパックスなどの、
「日本妖怪図鑑」とか「恐怖!幽霊スリラー」等の本はマストだったし、
新書版の「恐怖の心霊写真集」などは類書までしゃぶる様に読んだものだ。
勿論それが後にカルトや似非科学等への布石に成る部分は否定出来ないが、
むしろ子供の頃にそう云ったいかがわしい物を集中的に浴びる事が、
いかがわしい物に対するワクチンの様な役割を果す事も事実だろうと思う。
世の中には多くの「毒」が潜んでいるから、その毒に対しての耐性も必要で、
いきなり人工的な無菌室状態の所から毒の溢れる世間に放り出されるよりも、
早い内に毒を吸収し自分なりの耐性を付けて置く事も重要な筈だ。
江戸川乱歩の小説とか「三びきのやぎのがらがらどん」(懐かし~!)等、
この特集に参加した作家達の幼少時のトラウマ話を読むだにそう感じる。
東編集長企画のこの絵本が子供たちの為の良い毒に成る事を祈るばかりだ。

さてお馴染みの連載陣、今回も安定したクオリティで愉しませてくれる。
前回から始まった小野不由美の「営繕かるかや怪奇譚」シリーズだが、
今回も「家」にまつわる妖しい事象をリフォームと云う立場から解決する話だが、
今回は営繕屋尾端の活躍所が余り無かった所がちょっと残念だった。
最近は創作なのか作者の妄想幻覚なのか解らない感じがちょっと妙味な、
綾辻行人の「深泥丘奇談」だが、今回は懐かしのタマミフル登場が楽しい。
相変わらず「嫌な感じ」のディテールが絶妙な京極先生の「眩談」、
奇妙な男・和泉蝋庵の過去が一つ明かされる山白朝子の連作も愉しめたが、
個人的に一番面白かったのが恒川光太郎の沖縄怪談「夜のパーラー」。
恰もラテンアメリカのマジック・リアリズム的悪夢と地続きの沖縄を舞台に、
現代的な登場人物が抜き差しならない状況に追い込まれる展開が、
クールにオフビートな筆致で描かれる様は実に新鮮で引き込まれる物が有った。
この度の大震災を踏まえて東北出身の作家に「みちのく」の怪談話を書かせる、
と云う試みが中々に興味深かった「みちのくからの叫び」だが、
滅び行く日本情緒溢れる黒木あるじの「憶里花火」には泣かされた。

特集の第2弾「幽」怪談文学賞と「幽」怪談実話コンテストの受賞作では、
文学賞短編部門の大賞を取った小島水青の「鳥のうた、魚のうた」が良かった。
寸評で審査員にも触れられていたが「木綿のハンカチーフ」とか、
「キャンディキャンディ」等の古いディテールが絶妙に不快な感じで、
ちょっと諸星大二郎の初期短編の如き異形な不気味さが際立っていて面白い。
連載の怪談実話シリーズではお馴染み安曇潤平の「山の霊異記」の、
「5号室」の文字通り冷え冷えとした不条理感が何とも言えず怖ろしかった。
正月から『怪談』と云うのも中々に乙な物である。

Yuu162

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2012.01.01

酔狂道・辰歳初勝負

Hinode04

謹賀新年。
皆様明けましておめでとう御座います。

今年はまあ早い内から初日の出が観れそうに無いと云うのを知っていたので、
除夜の鐘を聞きながらどんよりと曇った夜空を見ても特に何も思わなかったが、
困ったのはとにかく己のモチベーションの著しい低下である。
毎年繰り返し書いているが酔狂道とは一にも二にも己との闘いなのである。
どうせ観れない物を観に出掛けるその気力を奮い起こすのも大変なら、
この所常態化している体調の悪さから来る体力の低下もそれに拍車をかける。
だったら辞めちまえと云うのは簡単だが、
三十年掛けて続けてきた事をそう簡単に辞める訳には行かないのだ。

それに今回は辞められない理由がもう一つ有る。
三十年の永きに渡る初日の出行脚の歳月の内、
二十年ほどを一緒に過ごした友人が昨年の暮れに亡くなった。
ここ十年ほどは別の奴と観に行ったり一人で行く事が普通に成ったが、
思い返してみればガキの頃から昇る朝日と供に大概そいつが一緒に居た。
つまり永い事、供に酔狂道を極め続けていた同士だったのだ。
酔狂道と供に早々に人生もリタイヤしてしまった奴の為にも、
気力体力の低下如きで酔狂道を辞める訳にはいかないのである。

と云う訳で流石に毎年行ってた河川敷に出掛ける事はしなかったが、
今年も例年同様、薄明の明かりが差して来た極寒の街に踏み出した。
下の写真は丁度日の出を迎えた辺りの時間だが御覧の様な薄曇だった。
しかしそれから三十分位してようやく登って来た朝日が雲間から顔を出した。
今年の息災と亡き友の冥福を祈り、御来光に手を合わせる。

それでは皆様今年も宜しくお願いします。

Hinode05


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