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2012.02.25

「ニューヨークの高校生、マンガを描く」

Ikoku02


本書の原題は「MANGA HIGH」、「マンガ・ハイスクール」と云う様な意味と、
「マンガによってハイな気分に成る」と云う意味を掛けているらしい。
その内容は正に「ニューヨークの高校生、マンガを描く」に集約されている。
所謂、登校する時に金属探知機を通らなければいけない様な荒んだ高校の、
家庭や周囲に様々な問題を抱えた低所得者層の高校生達が、
放課後のクラブ活動に於いてマンガを描く事で学ぶ事の意欲を取り戻し、
係った大人達も学習の意味を再認識する、と云うノンフィクションである。

面白いのが彼ら高校生達が描くのは伝統的なアメコミ等ではなく、
キャラクターもスタイルも日本のマンガを踏襲している事である。
ニューヨークの高校生達が自分の物語を紡ぐ時、自発的に選び取ったスタイルが、
日本のマンガやアニメを経由したスタイルだったと云うのが驚きである。
いや、それはもう既に世界的に驚くに値しない現象なのかも知れない。
当の日本人の知らない所でマンガやアニメはネットで世界中に拡散し、
その表現スタイルは一つのスタンダードに成って来ているのだろう。
マンガに夢中に成っている高校生達が誰に教わる事無く、
日本のマンガの歴史的な背景や付随する日本の基礎知識を学び行く様は、
本来的な意味でのヲタクとしてのリテラシーの発露だと言える。
学ぶきっかけは様々でも学んで行く意欲と過程は重要である、
例えそれがマンガで有ってもロックで有ってもファッションで有っても。
その事の重要性と可能性に付いて本書は深く考えさせられる。

日本人からするとこの放課後マンガ・サークルの活動は中々興味深い。
ここでは画才の無い様な生徒達を参加させる意味で分業制を採用していて、
所謂、ストーリーを考える人間、主に画を描く人間、ペンを入れる人間、
台詞を書き込む人間、原稿をスキャンしてフォトショで処理する人間等々、
スタイルはマンガながらアメコミ的な作画スタジオ形式に成っているのだ。
日本でも「さいとうたかお」プロ等が分業制で描いていたりするが、
日本人の感覚で言えば大体マンガは殆ど一人で手掛ける物であろう。
勿論プロに成れば原作者が付いたりアシスタントが入ったりするが、
アマチュアなら話から作画・背景まで大概一人で手掛ける事が普通だ。
勿論これはクラブ活動の一環であり、特別な事なのかも知れないが、
その辺の感覚の違いが面白い。

この放課後マンガ・サークルは一年間の活動の総括として、
一冊の本を出版する事を目標としていると云うのは重要だろう。
どんな物であれ成果が形として表れると云うのは生徒達の励みに成る筈だ。
本書の後半には参加した生徒達が描いたマンガ作品の一部が、
生徒達のプロフィールと供に載っていて実に面白い。
正直、画のスキル的にはやや厳しい物が有る作品が殆どなのだが、
一つの作品として結実させ様とする表現意欲はどれも素晴らしい。
この学校に通ってくる生徒の殆どがアフロ・アメリカ系やヒスパニック系、
そしてアジア系など、非白人の低所得者層が殆どなのだそうだが、
日本人の様にひきこもる事など出来ないハードな生活環境の中で、
マンガによって自己表現しようと云うその意欲にはうたれる物が有る。
ちなみにコマの割り方のせいなのか画面の構成のせいなのか、
キャラのマンガ的な表現に対して画面が何処と無くアメコミ風に見えるが、
こうして見ると日本のマンガ的な画面要素と云うのは、
あの複雑なコマの割り方による部分も大きいのかな、と思ったりした。

世界に於けるマンガやアニメの受容や経済効果に付いて、
様々な数字やデーターなどが出され、色々な考察が成されているが、
そう云う数字やデーター等は別の所で本書の様な事例が示す意味は深い。
かつて欧米から輸入された音楽や映画、アートなどから影響を受けて、
日本でも様々な表現衝動が花開き、色とりどりの文化を咲かせた如く、
世界中でマンガが受け入れられ、それぞれに表現されると言う事は、
経済効果等とは別の所で実に興味深い事だと思う。

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2012.02.18

貴方の知らない在日外国人の世界

Ikoku01


外国人が発する日本に関しての話を読むのが好きだ。
それが日本に対して好意的な意見であれ、苦言を呈するのであれ、
漫然と当たり前のように日本人として過ごす日常やその思考が、
如何に興味深く、奇妙で、驚きに満ちているのか他者の目で知る事が出来る。
最もそれは大上段な文化論や国際的な比較論などではなく、
もっと生活に密着した身近な驚きの方が読んでいて愉しい訳で、
例えば、その数の多さや種類の豊富さに外国人が必ず驚くと云う自販機で、
「冷たい物と温かい物が同じ機械で買える」と云う事実にビックリする、
と云う様な些細な驚きに、逆に目を見開かされたりする訳である。

現在も日本には多くの外国人が在住して生活しており、
在住する外国人によって書かれた日本に関する本も数多く出されているが、
むしろその様な文化に興味を持って日本に住んでいる外国人よりも、
単純に生活の場として日本に住んでいる外国人の方がその数は圧倒的に多い。
そんな外国人たちがどんな生活を送っているのか殆ど知る事は無いし、
況してやその考えや性、そして死に関して気にした事など殆ど無い筈だ。
石井光太の新作「ニッポン異国紀行-在日外国人のカネ・性愛・死」は、
そんなすぐ隣に居るのに見えていなかった在日外国人たちの、
と云うより、日本人が見ようとしていなかった在日外国人の生活の、
必ず付きまとう根源的な最深部を探って行く渾身のレポートだ。
勿論そこから自分の知らなかった日本の姿も浮き上がって来るのだ。

本書は大きく四章に分かれており最初に報告されるのは「死」の問題で、
日本に於いて客死した外国人の遺体がどの様な経過を辿るかが描かれる。
宗教的な教義により火葬する事が出来ない国の遺体の為に発達した、
エンバーミング(遺体保存)技術の歴史やその難しさに関する話、
「生もの」である死体処理を巡る葬儀屋と大使館のスリリングな関係、
遺体を故国に輸送する為に掛かるコストやその大変さなど、
正しく目から鱗が落ちる知らなかった話のオンパレードである。
勿論それは外国で客死した日本人の遺体にも当てはまる話であり、
また日本でも多磨霊園他に幾つか有るイスラム教徒の為の墓所に於ける、
イスラム教に改宗した日本人の遺体の扱いに関する感覚的な違いなど、
当の日本人にも全く関係の無い話では無い事は明白であり、
宗教観の違いの相克と云うのは容易い物で無いと思い知らされる訳だ。
イスラム教徒の墓所で暮らすと云うホームレスたちの感覚も含めて・・・・

その昔、本屋で各種様々な体裁で売っていた風俗雑誌が消え失せ、
現在はネットとフリーマガジン等に取って代わられしまった訳だが、
戯れに手に取った風俗のフリーマガジンを見てギョッとした事が有った。
それが極端なまでに画像処理が施された風俗嬢が並んでいるページで、
余りにも解り易く極端に美化された顔と身体の持ち主が何ページも続き、
或る種奇形的な眺めに「大丈夫なのかコレ?」と唖然とした訳だったが、
本書の第二章にその件に関する話が出て来てちょっと驚かされた。
風俗業界に於ける韓流のデフレスパイラルを描いたこの章も実に興味深く、
他にも時代と供に様変わりする「中国嫁」の実相や、
イスラエル人のバスタに恋する日本人の女性の話など、
空洞化した日本の地方都市の現在の諸相も伺える話に考えさせられる。

続く三章はホームレスへのボランティアで日本人に喰い込もうとする、
韓国の新興教会の姿や、雑居ビルに点在するタイの占い師を追いかけた、
在日外国人の宗教やまじない等にスポットを当てた章に成っているが、
同時に日本の新興宗教が途上国で行っているボランティアに関しても、
同様に問題定義している所が著者の公正な目線を物語る。
そして四章では難しい在日外国人への医療問題を取り上げている。

章の合間に挿入される在日外国人の仕事に関するコラムも興味深くて、
昨今、自分の住んでいる街にも目に見えて増えているインド料理の店が、
実は店員が殆どパキスタン・ネパール・バングラディシュ人であり、
インド人が一人も居ない、雇われてからインド料理を覚える様な、
インド人からすればまがい物の店が多い、と云う話に驚かされた。
特に自分も意識しないでカレーやらナンやらを喰いに行っていた訳で、
こうなると外国で韓国人が経営する寿司屋を有り難がっている様な外人を、
日本人だからとて全く笑えない状況なのが何とも言えない。
まあ外国人が日本人も韓国人も中国人も一律区別が付かないと同様、
パキスタン人もネパール人もバングラディシュ人もインド人と区別が付かない。
他にも中古日本車の輸出ビジネスを在日外国人が独占している話も、
確かに国際的なネットワークが無ければ難しいと云うのは肯ける。
関係ないがこの話を読んでいて、何気にクレイジー・ケン・バンドの、
或る種グローバルな名曲「シャリマール」が頭から離れなかった・・・・

それはさて置き世の中、身近な所にもまだまだ知らない話が多い。

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2012.02.11

邪神との宴~コウマス奇跡の来日

Comus04

オザンナやらゴブリンと云った伝説の彼方に居たバンドが来日し、
更にはイ・プーだのユニヴェル・ゼロなんかの来日も決まっている昨今、
もうジミ・ヘンが墓場から蘇りでもしない限り驚かない様な状況ではあるが、
流石にあのコウマス来日の報には個人的に動揺するほど驚いた。
いや、以前ここのブログでも「いずれは来日か?」等と書いてはいたが、
現実に日本でコウマスの姿が観れるとは正直思っても見なかった。
それにしても大丈夫なのか?ちゃんと客は来るんだろうか?
「カルトバンド」とは言え、カルトはカルトでもカルト中のカルトである。
と云う訳で、イタリアの伝説のバンド群の来日はスルーした俺だが、
コウマスに関しては半ば義務の様な気持でチケットを予約してしまった。

その後コウマスの再発盤アナログのリリースも手掛けている英国のレーベル、
RiseAboveのオーナー、リー・ドリアン率いるカテドラルの、
ファイナル・ライブにゲストで出演する筈だったコウマスなのだが、
ロジャー・ウートンが病気に倒れてキャンセルに成ったと云う報を聞き、
日本に来れるのか心配に成ったが何とか復帰出来た様で安心した。
(そのコウマスの代打で出演したのが、あのクレシダだと言うのがまた凄いが)
と云う訳で当日ライブ会場である新代田のライブハウス「Fever」へと出掛けた。
勿論初めて入る様なハコなので会場の規模がどの位か解らないのだが、
入場を待つ人の群れを見るだに、入っている様ないない様な微妙な感じだ。
客の年齢は当然の様に高めだが、1stが出た頃には産まれていないであろう、
若い客の姿も結構多く、中々に多彩な客層が入り交じっていた。
会場に入って驚いたのが前の方に椅子席が用意されていた事で、
まあ大体二百人程度の規模の小屋で百五十人前後の動員と云う感じだろうか。
この日のライブは二部構成に成っていて合間に休憩を挟むとの事。
病み上がりのロジャーを含んでのオリジナルの三人は御高齢だしな・・・

Comus07

やがて主催者の呼び込みによりバンドがゾロゾロと入場してくる。
既に写真やら映像やらで確認済みだから特に驚きはしないが、
当然かつての怪しくも謎めいて繊細なアート集団と言った趣はそこには無い。
客席に向けてデジカメを撮りまくる陽気なオッサンたちである。
ロジャーも元気そうで何よりだが、それよりもドレスを着たボビーが若い!
歳相応の年輪は加わっているが、当時の儚げな美貌は今でも充分残っている。
これがコウマス神にその身を捧げ効果なのだろうか?・・・いや違うか。
うろ覚えだが当日のセットリストはこんな感じだった。
①Song To Comus ②Out Of The Comus ③The Herald ④Drip Drip
で、休憩を挟んで⑤Diana ⑥Sacrifice(新曲)⑦The Return(多分・新曲)
⑧The Bite ⑨The Prisoner そしてアンコールに再び⑩Song To Comus 。
2ndの「Down(Like A Movie Star)」もやるかと思っていたが、
グレン在籍時の1stを「Bitten」を除いて全曲演奏した。

さてライブの方だが楽器編成のアコースティカルと云うイメージを裏切る、
相当にロック的な躍動感溢れる演奏だった事に驚かされた。
アンプを通してるとは言えロジャーとグレンの全力でかき鳴らされる、
アコギのストロークの迫力が凄まじくその音圧に圧倒させられた。
グレンは曲によりスライドを聞かせたりボンゴを叩いたりと活躍し、
ボビーもタンバリンやマラカス、シンバルやチャイム等を駆使して、
その美声以外でも演奏の効果的なアクセントに色を添えていた。
ロジャーは当時の腺病質で甲高く震える様な独特の歌唱ではなく、
再結成後の音源でも確認出来た様な野太く迫力の有る歌唱を聞かせるが、
よく声も出ており「Song To Comus」等では自らの胸を叩いて、
声に怪しいヴィブラートを掛ける等独特のスタイルも見せてくれた。
そんなオリジナルメンバーに負けず劣らずの活躍を見せていたのが、
再結成以降活動を共にする若き打楽器・管楽器奏者のジョンで、
叙情的なソプラノ・サックスや「The Bite」でのスリリングなフルート、
狂的な片鱗を見せる「Drip Drip」のパーカッション等実に堅実だ。
その「Drip Drip」や「The Prisoner」等に於いて存在感を見せたのが、
今回の来日に参加した細身のヴァイオリニストのディランで、
何かに憑かれた様に弦をかき鳴らす姿はバンドの狂的な世界にピッタリである。
どの位リハを積んだのかは解らないが、殆どアンサンブルに乱れは無く、
演奏はかなりタイトにまとまっていた様に思う。

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休憩後に出て来たボビーが「I'm Sorryって日本語で何て言うのかしら?」
と客席に聞いて「ゴメンナサイ」の怪しい笑えるやり取りが有ったり、
並んで座っているロジャーとグレンがその長い付き合いを窺わせる様な、
如何にも英国人らしい親父ジョークを言い合っていたりと、
ライブは気負いの無い終始和やかな感じで行われた印象で、
それは本来、客がこのバンドに求める物とは違う姿の様な気はするが、
それはそれで中々に愉しめるライブに成っていたと思う。

ライブ中、バックドロップに1stの頃の写真がスライド映写されていた。
演奏の熱に当てられて身体を揺らしながらその映像を観ていると、
この狭いハコの中が、恰も若い頃の彼らが演奏していたと云う、
地元ベッケンハム・アート・ラブの様に感じられて来る事が度々有った。
それから四十年、極東の地で演奏されるコウマス神に捧げる演奏。
それは悪夢か、美しき夢か・・・・

Comus01


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2012.02.04

「LightBringer」いよいよのメジャーデビュー作!

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昨年暮れのシングル「Noah」に続いて、新作「Genesis」を引提げて、
今年早々にLightBringerがメジャーデビューを果した。
インディー時代もかなり活発にアルバムなどをリリースしていたし、
大きなショップや専門店等ではそれなりのプロモーションもされていたので、
メジャー・デビューと言われてもさほど実感は無かったりするのだが、
やはり各種媒体に取り上げれているのを見ると中々に感慨深い物が有る。
いずれは深夜TVの音楽紹介番組などでFuki嬢の姿を見る事も有るかも知れない。

しかし「メジャー・デビューした」感を最も感じさせるのは、
新作のジャケに表れている様なビジュアルの垢抜けさ加減だろうか。
以前のFuki嬢と言えばゴスロリ・テイストのゴテっとした衣装に金髪の巻き髪と、
或る種ヲタ・テイスト入った解り易い昨今のKawaii系のスタイルだったが、
新作のビジュアルでは髪をセレブな感じでボリューミーに分けて、
スッキリしたモード系のワンピを着込んでスタイリッシュに変貌している。
ちょいと海外のモード誌のグラビアにでも出て来そうなビジュアルに、
「う~む流石はメジャー発」と要らん所で感心させられる始末。
その代わりバックの男連中の衣装が、テイストはまとめられて居る物の、
Fuki嬢に合わせてもう少しモード系で統一しても良かったのでは?と思うが、
余りやり過ぎても音楽性との乖離が激しくなるからまあこんな所だろうか。
しかし若いなぁ・・・・皆さん。

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アルバムはアンビエントな感じの深みの有るシンセ・インストで幕を開ける。
続く2曲目「ark」は、バンドの音楽性と実力を象徴する様な攻撃的な曲で、
イントロから歌メロのバッキング、そしてソロに到るまで、
テクニカルで変拍子なリフとリズムを刻み続けるプログレッシヴなナンバー。
そしてファンファーレ的なKeyのフレーズを切り裂く様に、
フランジャーの掛かったギターが切り込んでくるシングル曲の「noah」は、
シンフォニックながらハードな疾走曲だが、サビの歌メロが実にキャッチーで、
シングルとして申し分無いクオリティを誇る1曲に成っている。
ダークなイントロから迫力の有る低音の歌唱が印象的な「MerryMaker」は、
一転してポップで明るいサビの部分等、多彩なFukiの歌唱が愉しめる曲で、
リズムの転調の感じなど前作に近いシアトリカルな雰囲気が有る。
続く「Babel」と「カルシュタインの系譜」は供にミッドテンポの曲で、
前者はインスト部やKeyソロ等にRainbow辺りの様式美系の要素を感じさせ、
後者は歌い上げるFukiの絶唱が胸に迫る迫力の有る曲に成っている。

ちなみに「カルシュタインの系譜」に関しては歌詞を読むと元ネタに思い当る。
英国のシェリダン・レ・ファニュの作品、と云うより映画ファンならば、
ロジェ・バディムが監督した映画「血と薔薇」でお馴染みな、
耽美的なレズビアン風吸血鬼小説「カーミラ」がモチーフと成っている。
若いのにこう云う古典を歌詞のモチーフに持って来るセンスなどは、
BloodCelemony辺りに通じる所が有って非常にニヤリとさせられる部分だ。

続いて「Just Kidding!」はこのバンド特有のスピーディーでポップな曲だが、
コンパクトにまとまり過ぎていない所にアレンジの上手さを感じさせる。
アレンジの上手さと言えば次の「光の女王」も中々に見事で、
曲調としてはエヴァーグリーンでポップな楽曲ながらも、
ソロ部の楽器の掛け合い、Keyの音色、Gソロの入れ方等上手く練られていて、
単にポップな曲で終わらせないバンドのアレンジ力を再認識させられる。
マイナー調の疾走曲「espoir」、緩やかに歌われるバラード「風」を挟み、
シメに来るのはメジャー調の突き抜けてメロディアスな疾走曲「LoveYou」。
意図的にヴィブラートしない耳に付きまくるFukiのハイトーンが気持いいし、
メロディアスなGソロのバックでうねるベースラインも最高だ。
そしてソロから吸い込まれる様に楽曲がフェードアウトして行き、
冒頭のインスト曲に還る様にピアノで終わる循環構造的な構成も中々巧い。

まあそれにしても若いのに達者なテクニックとアレンジには驚かされるし、
更に極まってきたFukiの歌唱のキャッチーな素晴らしさには目を見張る。
インディーで出された1stミニ「Heartful Message」に収録されている、
バラード曲「Heartful... 」がシングル「noah」で再録音されているが、
その歌唱力と表現力の向上には実に唸らされる物が有る。
一聴してそれと解る声のキャラクターにはかなり無敵な物が有るし、
メディアでの露出さえ増えれば更なる人気を得るのは間違い無いだろう。
メジャーデビュー前に作曲や男声Voも担当していたツインギターの片割れ、
Kazuが脱けてしまったが、今作以降も楽曲提供等には参加する様で、
一人減ったライブでのバンドのパフォーマンスが今後の課題だろうか?
と云う訳で、或る種「諸刃の刃」的な意見に成ってしまうが、
散々言われているFukiの「アニメ声」と云う紹介のされ方を逆手に取って、
シングル曲等で、或る種ベタなアニソン的曲をやってみるのは如何だろう?
純粋なメタル物には嫌われそうだが、そのインパクトは絶大だと思う。
まあいずれ深夜アニメ辺りで主題歌のタイアップ等も有りそうな話だが、
もう一つ突き抜ける為には是非とも挑戦してみて欲しい所ではある。

それにしてもメジャーでデビューしてしまった限りは、
もう天外冬黄の歌う「Unlucky Morpheus」の新作は無いんだろうなぁ・・・

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