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2012.04.28

不思議な味わいの「捜査官X」

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中華圏の映画を観に行った時等に良く有る書き出しだが、
広告等で最初にこの映画の邦題を見て思ったのが、
「『捜査官X』って何だ?はて、どの映画の事だ?」と云う奴。
まあ、後によくよく監督だの出演者だののクレジットを見て、
「あ~これ「武侠」の事か!」と理解するようになる訳だが、
結構この邦題と原題の間に横たわっているあわいが興味深い。

金城武の方を主軸に考えればこの邦題は確かに納得出来る内容なのだが、
甄子丹の方を主軸に考えると「捜査官X」と云う邦題は余りにもアレだ。
実際にこの映画、主軸が分裂しているが如き変な構成の映画である。
内容的に破綻しているとは思わないがタッチが余りにも変わり過ぎるのだ。
まあそれこそかつての香港映画ならホラーだと思ってたらカンフーだったとか、
コメディだと思ってたら結末が後味悪い位に残酷だったりとか様々で、
それこそ或る種トラディショナルな香港スタイルに懐かしささえ覚える。

映画の内容はこうだ。
雲南省の山奥に有る小さな村の両替屋に二人組の強盗が入ってくるが、
その場にたまたま居合わせ、巻き込まれた紙職人との乱闘の末に、
強盗の二人は自滅的に命を落とし紙職人は村での信頼を高める事に。
しかしその事件の検死にやって来た捜査官は一つの疑問を覚えた。
腕に覚えの有る強盗の二人組みが、武術の心得も無い一介の職人に、
偶然とは言え果たして勝つ事など出来るのだろうか?
捜査官は死体を丹念に検死し、現場を検証し、目撃者の証言を組み合わせ、
総ては偶然を装った超絶的な技巧による殺人技の行使であり、
朴訥な紙職人は実は武術の達人であると云う結論を導き出す。
そこで捜査官は一人村に残り紙職人を執拗に疑い続ける・・・・

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と、ここまでが邦題である所の「捜査官X」的な前半パートである。
金城武演じる捜査官は、或る意味天才的な頭脳を持った迷惑な探偵である。
天才的な頭脳が常人の常識を凌駕して暴走する困った存在であり、
更には「情」よりも「法」が勝る杓子定規な性格もその暴走に輪を掛ける。
この捜査官の脳内推理映像が中々に独特な描かれ方をしていて、
古典的な鍼灸図画と供に体内を走る経絡や血球が破壊される様をCGで描写し、
現場検証の折に脳内で再現される再現映像には自らも映り込むなど、
独特過ぎる推理過程が斬新な映像で処理されていて引き込まれる。
他にも捜査官が遭遇した大量殺戮事件の現場の映像などは、
陰惨さが際立つざらっとした画面処理の雰囲気が独特の効果を上げているし、
己の弱い部分を告発するが如く現れる「もう一人の自分」、
所謂「オルター・エゴ」的な描写も捜査官の乾いた心を窺わせる良い表現だ。
とは言え紙職人を武術の達人であると自ら結論を出した後の、
後ろから滝に突き落とす、後ろから鎌で切り付ける等々の、
馬脚を現わさす為の余りにも強引過ぎるやり方はどう考えても頭おかしい。
実際これら総てはサイコな捜査官の脳内妄想が暴走した物でした・・・・
と云う様な結末でも面白いな、等と思ったりもするのだが、
その紙職人が甄子丹だったりするからそう云う訳には行かないのである。

(以下ネタバレ有り)
紙職人の素性を確かめる為に紙職人の生地を探っていた捜査官の同僚は、
驚くべき情報を捜査に行き詰っていた捜査官に告げる事に成る。
当時中国で最も残忍な暗殺集団として怖れられていた「七十二地刹」、
何と彼はその失踪したナンバー2なのかもしれないと云う疑いだ。
捜査官は渋る上官に苦慮しながら捕縛隊を引き連れ村に戻るが、
何とその情報が上官から七十二地刹の首領に告げられる事に成り、
集団を裏切ったナンバー2を追う為に七十二地刹も村を急襲する事態に、
紙職人の子供も加わった成人の儀で賑わう村で刺客と対峙する紙職人、
果たして彼の本当の正体は?そして駆け付ける捜査官は?・・・・

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と、これからが原題である所の「武侠」的な後半パートである。
前半部分では寡黙な妻と二人の子供に囲まれた実直な生活者であり、
強盗の二人組に怯え、捜査官の無茶振りに哀しそうな笑顔で応え、
何処か達観した様な表情で単調な日々を過ごしていた紙職人が、
刺客を前にその正体を現す場面は唐突だが非常に燃える場面だ。
近年の大作等に出演して今や演技派としても揺るぎ無い甄子丹が、
現代最強の功夫スターとして画面に降臨する姿に燃えぬ訳が無い。
そこからはもう、釣瓶打ちの如き圧倒的なアクションシーンが展開される。
まあ甄子丹の名前が大々的にクレジットされている時点で、
こうなる事は誰の眼にも明快な事実な訳だが、
前半の斬新なサイコ・スリラー的な展開から比べると、
その内容のコントラスト加減には結構唖然とさせらる物は有る。

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刺客として二本の手刀を手に襲い掛かる往年の女性功夫スター、
クララ・ウェイとの手数の多い戦闘は往年のファンでなくとも燃えるが、
特に「孫文の義士団」でも見られたパルクール的なチェイスシーンを、
斜面に連なった家屋の屋根瓦の上で展開するシーンのスピード感が圧巻だ。
そして後半に凄まじい存在感で持って君臨してくるのが、
七十二地刹の首領である、伝説の功夫スター王羽ことジミーさんである。
とにかく強い、凄い、怖い、何なんだこのオッサンは!と云う存在感だ。
紙職人の小さな息子を膝に抱えながら優しくあやす場面の恐ろしさ、
そしていきなり激高して超絶的な強さで襲い掛かる恐怖感は只者ではない。
演技云々と云うよりもジミーさん自体が醸し出す恐ろしさと云うか、
精神的にこちらを圧迫してくる怖さがひしひしと伝わってくる。
まああのジミーさん相手じゃ甄子丹さえ苦戦するだろう、と云う感じで、
この感覚は多分中華圏の観客ならよりリアルに伝わるのではないかと思う。

後半、金城武演じる捜査官は自らの「法」の立場に煩悶しつつも、
最終的に七十二地刹を相手に甄子丹と手を組む様な形に落ち着く。
この時の二人のバディ感は中々良くてもう少しこう云うシーンも観たかった所だ。
結局、超絶的な甄子丹を持っても怒り狂うジミーさんには勝てず、
最終的には捜査官の二段階の攻撃でもってジミーさんを倒す訳だが、
このアイデアが中々に巧くて「おぉ成る程!」とちょっと感心した次第。

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言付するのが遅れたが紙職人の妻役は「ラスト・コーション」の湯唯。
派手な見せ場は無いが、謎めいた夫に対する揺れる様な気持が、
寡黙ながら匂い起つ様な色香を放っていて中々の存在感である。
そして何より映画の背景と成った雲南の自然が非常に美しく印象的だ。
独特な村の風景、満々とした水を湛える池や滝、緑が濃い原色の自然、
むせ返るような湿度を孕んだ竹林など素晴らしいロケーションである。
と云う訳で「捜査官X」と云うタイトルに惑わされる事なく出掛けると、
斬新な映像表現と至高の功夫、そして素晴らしい自然が味わえる映画だ。
それはそうと陳可辛はそろそろ「金枝玉葉」や「ラブソング」の頃の様な、
ウェルメイドな洒落た作品でもまた撮ってくれないかなぁ・・・・

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2012.04.21

桜の花の散り行く妄言

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昔は桜が咲くと云うと、宴席するしないに係らず必ず出掛けた物だし、
桜を愛でんとは日本人として有るまじき事、位の勢いだったが、
近頃はどうも出不精な感じに成ってしまって何とも言えぬ体たらくだ。

そもそも昔から春先に成ると体調が悪く成ると云う傾向が有り、
逆に秋口に成ると色々と気分が良く成って来ると云う感じだったので、
知り合いに「植物の生育と供にお前の生気も奪われて、
植物の衰退と供に生気も戻って来るんじゃないの?」的な事を言われた物だ。
「桜の散る様を見ていると恍惚とした気分に成る」と云う奴も居たが、
個人的には桜の散る様に妙な寂寥感を覚える事と関係しているのだろうか?

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深夜に自転車で走っている時など、群れ咲く桜並木とは違って、
公園や民家の軒先などに一本だけポツんと咲く桜を見掛ける事が有る。
街灯の仄かな灯りに照らされて、たわわに群れ咲く白い桜の花は、
其処だけ変に非日常な空間が拡がっている様で妙な気分に成る。
それがどう云う感覚に由来する物なのかはよく解らないが、
桜に関する「死」的なイメージからもたらされる物だと云う気がする。
飽くまでも個人的なイメージなので根拠を問われても困るが、
その白々した寂しさが散り際の寂寥感にも繋がっている感覚だ。

昨年の震災以降、蔓延した自粛ムードで花見も余り行われなかった訳だが、
そう云った人間の都合とは関係無く、桜は咲き誇り散っていった。
そして今年も桜の季節がやって来て街を白く染めて散って行く。

花はただ咲くばかり、揺らぐは人の心ばかりなり。

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2012.04.14

赤江瀑再び

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最近、赤江瀑を熱心に再読している。
きっかけは再び京都に足繁く通う様に成ってからだ。
京都に関する小説を読みたいなぁ・・・と書店に行く度に考えていて、
そこで思い出したのが、かつて熱心に読んでいた赤江瀑の小説だった。
赤江瀑の本は今でも部屋の何処かで眠っているのだが、
それをすぐに掘り出して来れないのが蔵書の多い人間の難点であり、
とりあえずは現在店頭で手に入る赤江瀑の文庫本の中から、
光文社文庫から出ている三冊の選書の内「花夜叉殺し」を購入した。
光文社文庫から出ている三冊は、それぞれ「花夜叉殺し」が「幻想編」、
「禽獣の門」が「情念編」、「灯籠爛死行」が「恐怖編」と云う、
赤江瀑を象徴する様なキーワードでもって編まれているのだが、
解題で編者も述べている様に、それは氏の総ての作品に内在する要素であり、
どの一冊から手に取っても赤江瀑の魅力が味わえる選集に成っている。

赤江瀑の小説を始めて手に取ったのは多分三十年以上前に成るし、
一番熱心に読んでいたのも二十年以上前に成ったりするので、
朧な記憶の中から話の輪郭が浮かび上がってくる小説も有れば、
初読に近いほど忘れてしまっている話も多々有ったりした訳だが、
それはもう、一も二も無く赤江瀑の描き出す世界に没入してしまった。
と云うか若い頃は、その絢爛にして妖しく耀く世界観に惑乱されていた所が、
この歳に成ると主人公達の辿る行動や孕む想い等に理解が深まる様に成り、
作品世界の背景がより重層的にそして恐ろしく迫って来る様に成った。
今更一介の素人に言われてもアレだろうが、畏るべし赤江瀑である。

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そこで興にのって掘り出してきたのが以前「吸血鬼」本の世界でも紹介した、
学研M文庫から出ていた、東雅夫氏編集の「伝奇ノ匣」シリーズのスピンオフ、
その名も「幻妖ノ匣」と題されたシリーズの「赤江瀑名作選」だ。
代表的な長篇である「上空の城」を巻頭に、幻想怪奇色の強い名作短編を、
時代を辿る様に配して行き、エッセイとも散文詩とも取れる様な、
私的であり詩的な珠玉の名品「海峡」でしめる構成が実に素晴らしい一冊だ。
巻末には氏が主催していた「幻想文学」の特集号に掲載されていた、
珍しい赤江瀑へのインタビューも再録している所が資料的価値も高い。
ちなみにその「幻想文学」57号の特集「伝奇燦爛-赤江瀑の世界」は、
殆ど雑誌などで特集される事の無い赤江瀑の本格的な特集号であり、
皆川博子、森真沙子、篠田節子の現役作家三人の対談等から浮かび上がる、
赤江瀑の孤高性とその影響力の凄さを確認させる好企画も含め、
無数の書影と2000年当時までの全著作リストなど資料的価値も高い一冊である。

そんなこんなで「幻想文学」の特集号などを読み返している内に、
選集に入っていない短篇や他の長篇なども読みたくなってしまい、
とうとう部屋の片隅の魔窟を掘り出して赤江瀑の蔵書を発掘して来た。
多分有る時期まで文庫で出ていた著作は殆どコンプしていると思う。
辻村ジュサブローによる妖しげな人形を配した講談社文庫や、
横尾忠則のデザインから村上昴のイラストでお馴染みな角川文庫等々。
ちなみに角川から出ていた「海峡」の文庫版に於いては、
本文が総て鮮やかな蒼いブルーのインクで印刷されていると云う仕様で、
ここまで本の内容に合致した印刷仕様の文庫は寡聞にして見た事が無い。

さて「幻想文学」の特集号に掲載されている千街晶之氏の文章に、
かつて赤江瀑の小説は角川を始め各社の文庫が書店に並んでいた物だが、
消費税の導入によるカバーの掛け変えを契機に棚から姿を消し始め、
何時の間にか殆どの作品が入手困難な状況に成った事が記されている訳だが、
実は自分も当時同じ様に感じていて「これはマズイ!」と思い立ち、
意識的に持っていない文庫を古本屋等で揃え始めたのだ。
勿論、赤江瀑の様なカルトな人気を誇る作家は忘れ去られる事は無く、
現在の光文社文庫の様に心ある編集者と出版社が出し続けてくれてはいるが、
それでもこれから出会う読者が容易に手に取れない状況は変わっていない。

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今、赤江瀑の初期の傑作群を読んでいて感じる事の一つは、
昨今ジャンルの確立したBL・耽美小説の始祖としての部分である。
勿論そんな事は既に多くの方が指摘している事実な訳で、
「赤江瀑傑作選」には収録されていないインタビュー部分に作者は、
『耽美小説の大御所と言われる事に付いてどう思われるか?』と云う質問に、
『半分はしょうがないが、半分は耽美と言う言葉に不服』と答えている位だ。
しかし単なる耽美小説等とは桁が違う、人間の最深部にして最暗部を抉る、
ドロドロとした性や情念を、絢爛たる舞台装置の上に描いた世界は孤高であり、
だからこそジャンルの確立した界隈に隔絶たるその世界を味わって欲しい訳で、
既に編まれていたら申し訳ないが、そう云う方向の短篇集等を出して、
赤江瀑の名前さえ知らない若い層にアピールする事も可能だと思う。
中間小説誌(って云うのも死語ですな)に発表されていたが故の、
発表当時の若者風俗や言葉使いの、現在に於ける絶妙な脱力具合も、
(と云うかそれは二十年以上前に読んでいた時でさえ感じていたが)
戦後生まれの人間が戦前の大衆小説を読んでいて感じるが如く、
平成生まれの眼には単に歴史風俗の一部として新鮮に読めるかも知れない。

と云う訳で、今こそ再び赤江瀑の華麗なる著作たちの復権を願って。

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2012.04.07

続・CDの価格破壊を実感する商品

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音楽ソフトの購入金額は昔と余り変わらない筈なのに、
枚数だけは倍々ゲームで殖え続けて行くと云う不思議な昨今・・・
まあ余計な前置きは抜きにしてサクサクと行きましょう。
ちなみに価格は輸入盤なのでショップによって変動は有ります。

まずは「エドガー・ブロートン・バンド」の箱と同様の体裁な、
二枚組みサイズのプラケースにCD五枚がアクロバティックに納められた、
イギリスの老舗バンドUFOの「The Chrysalis Years(1973-1979)」だ。
かのマイケル・シェンカーが在籍した「現象」から「宇宙征服」までの五枚に、
名盤「UFOライヴ」も加え、シングル・バージョンやBサイド曲、
各種セッションに74年アトランタでの未発表ライブも収録の大盤振る舞いだ。
「UFOはマイケル在籍時が総て」等と云う暴論を吐くつもりは更々無いが、
楽曲・パフォーマンス・存在感供にこの6年間が全盛期なのは間違いない。
かつてアナログで揃えていて、ギターとかコピーしたなぁ・・・
等と云うオールド・ファンの皆様も名盤が一気に揃う良い機会だ。
このシリーズ続編として、同タイトルのUFOの「1980-1986」、
そしてMicheal Schenker Groupの「1980-1984」なんつうのも出ている。
値段は大体二千円台前半と云う所だろうか。

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お次は前回以降もシリーズがポツポツと出されている、
薄い箱に紙ジャケが五枚納められた「Orginal Album Classics」シリーズの、
アメリカを代表するプログレ・バンド「カンサス」の箱だ。
前にも書いたがこのシリーズは納められたアルバムの内容がキモな訳で、
まあ基本五枚全部が「当り」と云う事は少ない訳なのだが、
カンサスに関しては納められた五枚全部が当りと云う珍しい箱だった。
内容は単純に1stから五枚目の「暗黒の曳航」までが納められているのだが、
これが多分殆どの人が思うバンドの黄金期とほぼ一致している。
勿論1stを入れるなら「モノリスの謎」を入れろ、と言う人とか、
ライヴ盤の「偉大なる聴衆へ」が入っていない、と云う人も居るだろうが、
まあ同時期の未発表ライヴ音源11曲を加えて二枚組みにブローアップした、
「偉大なる聴衆へ」を今更一曲欠けた一枚組みで聴く事もなかろうと云う物。
しかも各アルバムにはそれぞれボートラも収録されていると云う内容だもんで、
昨年夏にカンサスがフェスで来日した折、店頭に再発の紙ジャケが並んだが、
同時に置かれていたこの箱が真っ先に売り切れていたのを思い出す。
ちなみに日本盤の紙ジャケの幾つかはボートラの数が多かったりはする。
こちらは大体二千円台半ばのお値段。

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さてお次はソウル系で凄かったのがスティーヴィー・ワンダーの、
モータウン時代の黄金期を集めた「Classic Album Selection 1972-1978」だ。
ニューソウルに接近し音楽性を深めた「Talking Book」に「Innervison」、
交通事故による瀕死の重傷からの復活作「Fulfilingness'First Finale」、
そしてグラミー賞を独占したキャリアの頂点「Songs In The Key Of Life」と、
誰もが文句の付け様の無いセレクションに唸らされる。
中身は紙ジャケと云うよりデジパックっぽい仕様のジャケに納められていて、
二枚組み「Songs In The Key Of Life」は何故かジャケが二つに別れている。
そう云う点での造り込みの甘さは有る物のこの内容なら仕方ないだろう。
値段はこちらも二千円台半ばと云う嬉しさである。
さて他にソウル系と云うとほぼ千円台で二枚組みのベストなどが盛んだが、
個人的にはニューソウルの才人ボビー・ウーマックの、
68年から75年までの作品をコンパイルした「Soul Sides」が良かった。
ブラック・シネマ・テーマ曲の傑作「110番街交差点」を頭に、
大ヒット曲「Woman's Gotta Have It」「That's The Way I Feel About Cha」、
そして名盤「Communication」のぶっとくファンキーなタイトル曲等、
手軽に彼の多彩な世界を味わえる好コンパイル盤に成っている。
他にモータウンで一時代を築いた後に独立したソングライター・トリオ、
ホーランド=ドジャー=ホーランドが設立したレーベル「Invictus/HotWax」。
ここの作品が最近二枚組みで廉価にリイッシューされているのだが、
レーベルのサンプラーと云うべき「「Invictus/HotWax Greatest Hits」が、
倍以上のボートラを加えてリリースされた作品が中々においしい。
「Freda Payne」や「HoneyCone」「The Chairmen Of The Board」やら、
「100 Proof Aged In Soul」に「The Barrino Brothers」と言った連中の、
名曲が凝縮された非常に濃い内容の二枚組みに成っている。

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さて価格破壊された商品と言えば代表されるのがジャズ系の作品だろう。
余りの価格破壊振りに嬉しいやら悲しいやらと云う感じの商品だが、
その際たるシリーズが「Eight Classic Albums」と名付けられた、
八枚のアルバムを各二枚ずつ四枚のCDにコンパイルしたシリーズで、
これでなんと価格が千円以下と云うのが正しく絶句する内容である。
色々とシリーズが出ている様で内容を完全に把握している訳ではないが、
とりあえず「Hank Mobiey」「Paul Chambers」「Bud Powaell」は買った。
人によってセレクトされたアルバムの内容に様々意見が有るだろうが、
多分最も優れているのが「Bud Powaell」のセレクトではないかと思う。
Roulettから出た名盤「バド・パウエルの芸術」にプラスして、
BlueNoteからの「The Amazing~」シリーズの諸作と云う、
モダン・ピアノの頂点を行く閃きに満ちた狂った超絶プレイの数々に、
落ち着きを見せる50年代後半の「Time Waits」「The Scene Changes」等の、
「クレオパトラの夢」に代表されるリリカルなプレイも堪能出来る一枚だ。
モダン・ジャズを代表するベーシストであるポール・チェンバースの作品も、
代表的な彼のソロアルバム6枚に、ロイ・ヘインズとの「We Three」に、
フレディ・レッドの「Shades Of Redd」を加えたセレクトは文句無しだ。
ジャズ・メッセンジャーズ、マイルスのクインテットと名門を通過した、
技巧的では無いものの愛すべき名作曲家でもあるハンク・モブレーの作品は、
日本人なら名曲「リカード・ボサノヴァ」収録の「Dippin’」や、
新主流派の若手を迎えた「No Room For Squares」が入らない不満は有るが、
名盤の誉れ高い「Soul Station」と「Roll Call」の二枚で決まりだろう。
かつて在籍した楽団の豪華な面子をバックに吹きまくる初期の作品も良い。
曲目とパーソネル以外は広告しか載っていない非常に残念なブックレットや、
単純に音圧を上げただけっぽいリマスター音など余り感心はしないが、
初心者にも手を出し易いこの値段と内容の前には無理な文句であろう。

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それよりやや質的に良いのがハンコックやショーターのBlueNoteの諸作を、
紙ジャケ入り4枚組みの箱にコンパイルして発売しているシリーズだ。
勿論こちらも紙ジャケとは言って日本製の様な精巧な物では無いが、
音源はルディ・ヴァン・ゲルダーによるリマスター音源を使用していて、
更には(アルバムにもよるが)オルタネイト・テイク等のボートラ入りである。
例によって選択されているアルバムの内容にはやや難が有って、
例えばハービー・ハンコックなら一般に言って「My Point Of View」より、
有名な「Watermelon Man」入りの「Takin Off」だろうとか・・・
等と勝手な理想を言い出しているとキリが無いが、
個人的にはブラック・マジックや霊的な物に傾倒していた時期の、
非常に妖しいジャケと如何わしいタイトルのクールなサウンドが最高な、
ウェイン・ショーターの初期四枚のセレクションなどは中々良いと思う。
こちらは大体千八百円台辺りの値段に成っている。

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