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2012.08.25

個人的なサマーソング特集

Summer01

先日ラジオを聴いていたら幾つかの番組で「サマーソング特集」と題されて、
出演者が選んだマイ・サマーソングを流していたりした。
「サマーソング」かぁ・・・・と言われてふと考えてみたのだが、
とっさにコレといって思い浮かぶ様なマイ・サマーソングが出て来ない。
いや別にこう云う特集の定番的に出て来る曲は幾つか思い浮かぶのだが、
それは個人的に何か思い入れが有ると云う曲では無い。
一生懸命捻り出してみたが、そうなると意識的に音楽を聴き始める以前の、
漫然と歌番組などを見たり聴いたりしていたしていた頃の曲ばかりで、
それ以降に成ると意図的にそう云う「季節感」とは無縁の物ばかり聴いていて、
「季節感?なにそれ、速いの?重いの?」と云う様な感じの体たらくである。

Summer02

そんな中、真っ先に捻り出された個人的なサマーソングは、
定番中の定番で笑えるが、大瀧詠一の「君は天然色」である。
とは云えこれは「名盤」の「A LONG VACATION」内の「君は天然色」では無く、
飽くまで当時の「話題の新曲」だった頃の「君は天然色」なのである。
中学生だった当時、当然大瀧詠一の業績や仕事の事など知らなかったが、
深夜番組で頻繁にオンエアされたその曲の今まで聴いた事のない質感や、
貧弱なラジオの電波に乗っても尚、拡がりの有るクリアなその音に魅了された。
余談だがその昔、梅雨明けの後、照り付ける様な真夏日が来る直前に、
陽射しは厳しいが何処か空気は爽やかな「初夏」と云うのが有った気がする。
この曲を聴いて思い出すのはその懐かしい「初夏」の感じだ。
丁度期末テストの勉強をしつつ夜更かしなどをしている時に、
ラジオからこの曲が流れて来ると、この苦行が終われば後は夏休みだ!的な、
夏への期待と開放感への希求を「初夏」に託していたあの頃を思い出す。

その時代の思い出と連鎖した夏の曲だと松田聖子の「夏の扉」もその一つ。
アイドルとしての松田聖子に関しては今も昔も特に興味は無いが、
時代背景のBGMとしての松田聖子の曲はどう考えても無視出来ない物が有り、
有る時期の松田聖子の曲ならどの曲にも当時の記憶がこびり付いている。
特にこの曲に関してはイントロが始まった瞬間に胸が締め付けられると云うか、
当時の青臭い想い出が湧き上がってきて死にそうになる一曲である。

Summer03
 
さてそれ以降、自我が肥大して世間と違う物ばかりを聴く様になり、
速かったり重かったり、暴力的だったり政治的だったり、
暗黒だったり狂ってたり、地下的だったり辺境的だったりと、
「季節感」などとは相容れない物ばかり聴いていたお陰で、
夏と言えば昼間の日差しを避けて、夜に這い出す様な暮らしを送る事に成る。
勿論当時の夏の想い出とリンクするする様な曲も有るには有るのだが、
余りにもその曲自体が夏と関係の無い物だったりするのでアレな訳で、
例えば洋楽なんかで夏に関係する想い出の曲は無い物かと考えて、
捻り出て来たのがハノイ・ロックスの「マリブ・ビーチの誘惑」である。
凄まじくアッパーなリフと間髪入れず轟くキャッツ・コールのお陰で、
キャッツ・コール=ヤンキーと言う事で日本の夏をも彷彿とさせる?正に夏曲だ。
元々ハノイ・ロックスは名前とは裏腹にフィンランド出身のバンドなだけに、
どちらかと云うとメロディの質に哀愁が交じったサウンドが特徴なのだが、
この曲に関しては完全にアゲ調子一本やりで、厳しい冬が長い北欧出身者が、
LAの狂った日差しと人々に完全に頭やられている感じが最高である。
彼らには他にも「アイスクリーム・サマー」なんて云うタイトルズバリな、
ドリーミーな曲調の夏曲も有るが、こちらは少し翳りが有る感じの曲だ。
余談だがこの「マリブビーチの誘惑」にはレア・トラック集のみに収録された、
可愛らしい「カリプソ・バージョン」なる物が存在するのだが、
DJ諸氏が読む某雑誌の特集で有名DJがこのバージョンを紹介していて、
こんな物まで掘っているのか!と妙に感心した事を思い出す。

Summer04
      カリプソ・バージョン入りのアルバム「Tracks From A Broken Dreams 」

さて話し変わって八十年代の後半に「ワールド・ミュージック」
なるジャンルが話題に成った事が有った。
欧米諸国以外の、西側諸国に一般に知られていない地域の音楽、
例えば中東やカリブ諸島、東欧やインドネシア等の音楽な訳だが、
それが現地の音そのままでは無く、或る程度先進国的に加工され、
ポピュラー音楽として聴き易く成って流通した感じの音楽だった訳だが、
当時この手の音にハマり、様々なビートやメロディに目を見開かされた。
ソウルとカリプソが合わさったアロウでお馴染みな「ソカ」と供に、
トロピカルな音像が強烈に夏曲的な物を感じさせる音楽に、
カリブ諸島周辺の音楽を現代的に聴かせるカッサブの「ズーク」が有る。
実際に夏と関係有るかどうかはさて置き、ソカやズーク、
そして今やギャグでしかないランバダ等、この辺は一時期夏に良く聴いた。
今と成れば功罪様々に有る「ワールド・ミュージック」だが、
世界には未だ知らない様々な大衆音楽が溢れている事を教えてくれた現象だった。

Summer05

そうそう夏の歌といえばサザンの「真夏の果実」は結構マストだが、
個人的にあの曲と云うと張學友がカバーして全華人社会で大ヒットした、
「每天愛你多一些」の方を真っ先に思い出す。
多分あの曲の歌詞は特別「夏」的な事を歌い込んではいないと思うのだが、
「真夏の果実」以上に夏曲的な思いが個人的に強いのが変な感じだ。
香港や台北の街角で何処へ行っても流れていたあの頃を思い出させる。

Summer06
      張學友「每天愛你多一些」広東語版収録のアルバム「情不禁」

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2012.08.18

久し振りの紙ジャケ物三点

Kami08

久し振りに紙ジャケ物の紹介でもしようと思う。
基本紙ジャケ物のキモはギミックだと常々ここでも書いてきているが、
今回のはギミック物も有るが基本的にレアな再発と言う事で買った物だ。
最低でもゲートフォール位でもないと紙ジャケ化の意味は薄いと思うが、
そう云う点では今回紹介するアルバムはその辺もクリアしている。
レーベルは三枚ともマーキー/ベル・アンティークで、
丁寧な造りとマニア心をくすぐるセレクトが紙ジャケ物最後の砦と云う感じで、
問題はややお高い値段設定だったりするが、物が物だけに仕方ない所だろう。
正直これ何枚売れるんだろう?ってなアーティストばかりだし。
あと知らない内に出ていたりしてレコ屋でギョッと成る事が多かったりする。

まず最初の一枚はアルゼンチンを代表するバンド、ミアの「魔法の壷」。
余談だがその昔、雑誌だか書籍だかでミアや今回同時に再発された、
パブロ・エル・エンテラドール等のアルゼンチン・ロックの記事を読んで、
驚くと供に非常に暗澹とした気分に成ったのを覚えている。
イタリア物でさえまだ聴いていない未知のバンドが山ほど居ると云うのに、
南米にそんなシーンが有って、そんなバンド群が存在しているとは!
既にサグラド辺りは聴いていてブラジルのシーンの深遠さも理解していたが、
世界は広いと云うか奥深いと云うかその道の嶮しさに暗澹とした訳である。
さてミアは現在も当地の大御所ミュージシャンとして活躍している、
キーボード奏者リト・ヴィターレを中心としたバンドであり、
「魔法の壷」はその最終作であり代表作と言える三枚目のアルバムだ。
かなり凝った造りの変形ジャケットに成っていて、
ジャケの後ろが蓋の様に上に開く造りに成っており、
参加メンバーの写真や楽曲に於けるパーソネルの紹介などが読み取れる。
そして更に本作の発売記念コンサートの紹介状のミニチュアも封入されていて、
全くギミック有り紙ジャケ再発の鑑の如き仕様に嬉しくなる。

アルゼンチンの音楽と言えば即座に思い出すのは「タンゴ」と云う感じだが、
ミアのサウンドにそう云った要素を感じさせる物は殆ど無く、
辺境(失礼)のバンドに有り勝ちな妙バタバタとした泥臭さも感じられず、
言われなければ欧米のバンドと変わらない洗練されたサウンドを聴かせてくれる。
「魔法の壷」は残されたミアの三枚のアルバムで最もシンフォニック色が強く、
その象徴と言えるのが旧B面全部を使った17分の大曲「魔法の壷」だ。
冒頭から展開の速いインストパートが繰り出すスリリングな曲調に、
シンフォ好きならキタコレ!と唸る事間違いなしな素晴らしさだが、
フォーキーなパートから幻惑的なスキャット、挟み込まれる重厚なコーラス、
そして泣きのギターと展開しまくる中間部を経て、本作の中心人物である所の、
リト・ヴィターレのスペーシーな鍵盤ワークが混沌の中響き続けると云う、
長尺さを感じさせない或る種展開しっぱなしな構成が凄い。
ボートラとしてライブ音源を含む5曲が収録されているが、
曲調は旧A面収録曲に通じる様なアコースティックな小曲である。

Kami15

お次は現在は俳優として活躍するフランスのエマニュエル・ブーズが、
歌手だった時代に残した四枚の作品の内、2作目にあたる「迷宮の扉」。
この印象的なデザインのジャケットとその名は以前から知ってはいたが、
長らく復刻されず、その音を聴いたのは当然今回が初めてだ。
今回再発された三枚の作品では唯一のゲートフォール・ジャケ作品だが、
この見るからに癖の有りそうな暗示的でシアトリカルなジャケ写に、
内側はシュールなイラストをあしらったアルバムはそれに相応しい内容である。
アルバムは訥々したモノローグで始まり、NW風のダークなインストに流れ、
何処か同郷の有名バンド・アトールの「夢魔」を思い起こさせる様な、
オケをバックにフランス語でアジるカオティックな曲へと続く。
基本この作品は映画音楽家で知られるウィリアム・シェラーとの共作で、
ほぼ全編に渡りシェラーのオケが楽曲に深遠な彩りを加えている。
特にオケと楽曲のコンビネーションは旧B面の冒頭からの続く、
ストリングスがスピーディーに盛り上げ流麗なオケがバックを付け、
コーラスとの絡みが如何にもシアトリカルな「千の黄金の鍵を持つ男」、
そして力強いアコギのストロークとシルキーなオケが流れる上を、
シアトリカルながらロック的な熱さが何処かピーター・ハミル的でも有る、
「アングレーム」の二曲で極まって行く。
こう云うデカダンな暗黒のアンサンブルは如何にもフランス的な物だ。
フルートが歌う穏やかなイントロからクラシカルな弦が鳴りオペラの様に展開、
派手にでは無くクールに盛り上げる終曲の「僕ら子供は」も実に良い。
今回の再発に際して三曲のボートラが加えられているのも嬉しい。
時代的に或る種こう云う実験的な音はプログレの範疇に集約されたのだろうが、
現代的な解釈で言えば多分「オルタナ」と呼ばれる音に近いだろう。
まあ何にしろ期待通りの独特のサウンドに嬉しくなる一枚である。

Kami14

そして最後は同じくフランス出身ながら時代は八十年代に遡り、
既にプログレは過去の遺物とされていた時代に出された珠玉の一枚、
本作を残して消えてしまったステップ・アヘッドの再発盤だ。
彼らはフランス産ながらワールドワイドを目指し歌詞は英語で、
時代背景も有りサウンドの方も産業ロック的と言えるほど洗練されている。
故にユーロ・ロック特有のアクの強さを求める向きには不満だろうが、
純粋にバンドとしてのレベルと楽曲の魅力は実に素晴らしく、
現在だからこそ素直にそのレベルの高さを評価されるべき作品だし、
英国のポンプロック、そしてHRリバイバルであるNWOBHM辺りにも通じる、
あの時代にこう云う音を志向するバンドに共通のエッジも兼ね備えている。
一聴すれば誰でも感じる様に、ハイトーンのVoにはイエス辺りを、
叙情的に良く歌うギターはセバスチャン・ハーディー辺りを思い浮かべるが、
素晴らしいテクニックとセンスでもってそれら美点を兼ね備えつつも、
このバンドならではの個性が発揮出来なかった所が難点と云う感じだろうか。
アルバムは収録曲「ホワイト・レディ」にちなんだ神秘的な女性を描いた、
幻想的なイラストレーションのゲートフォール・ジャケに彩られていて、
雄大な風景と雲間から覗く朝日が収録されたサウンドを良く表している。
バンドのステージ姿を写した青一色のインナーバックも付属してるのが嬉しい。
アルバム収録曲三曲のライブ音源とシングル曲が二曲ボートラ収録で、
ライブではアルバム以上にワイルドでエッジの有るサウンドを聴かせてくれる。
幾つかのバンド同様に現代に甦ったら中々需要が高そうなバンドではあるが、
時代の徒花として記憶に留めて置く方が美しいのかも知れない・・・

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2012.08.11

津原泰水「猿渡シリーズ」一気読み

Tuhara03

己の不明を恥じるばかりだが、続編が出ている事も知らなければ、
「猿渡シリーズ」等と名付けられて人気を博している事も知らなかった。
と云う訳でその人気の「猿渡シリーズ」の最新刊「猫ノ眼時計」と供に、
旧作のシリーズも文庫化されたと言う事でシリーズを一気読みした。

津原泰水の作品を頻繁に読んでいたのは結構以前の事に成る。
その存在を知ったのは、散発的に出ていた怪奇小説短篇集や、
それこそ「伯爵」こと井上雅彦が手掛けた一連の「異形コレクション」等で、
独特の硬質な世界観と巧みな文章に感心した覚えがある。
その後「妖都」や「少年トレチア」等の既刊を手に取り、
「奇譚集」に至ってその中々に稀な「幻想文学」的な資質に引き込まれた。
器用な人だけに短編などでは様々なテイストの作品を手掛けているが、
根底に有るのは澁澤や中井英夫、山尾悠子辺りにも通底する、
独自の美意識の元に精緻に構築された伝統の幻想美を孕んでいるのを感じる。
それが有る故に軽味の有る作品を書かせても卑俗に落ちない優美さが有り、
それが短篇集「蘆屋家の崩壊」を個人的に偏愛させる要素でも有った。
(偏愛とか言って続編の事も知らなかった訳だからイイ面の皮ではあるが)

「蘆屋家の崩壊」は以前に集英社文庫に収められた時にも買っていて、
別に今回の文庫化ではスルーしても良かった訳だが、
集英社版に収められていた「超鼠記」が「ピカルディの薔薇」の方に廻され、
書き下ろしの「奈々村女史の犯罪」が載っていると言う事で購入した。
久方振りに読み返した訳だが、やはりこれがもう無類に面白かった。
望月峯太郎の傑作「座敷女」を髣髴とさせるストーカー・サイコホラー、
「猫背の女」のキマりまくった迫り来る怖ろしさにも戦慄するが、
「ケルベロス」の哀切極まりない、しかしグロテスクなラストも最高だ。
最新刊に後日談が載っている「埋葬蟲」もグロいのに妙な美しさが印象的。
そして「水牛群」は或る程度の齢を重ねた現在だからこそ妙に沁みる。
それでもやはりタイトル作の奇妙な味わいは何度読んでも面白い。
歴史や民俗学的な要素を絡めたハードな展開と妙に間の抜けた空気感、
そしてシュールレアリズム的な背景がもたらす作品の概視感は、
明らかに諸星大二郎的、と云うか稗田礼二郎シリーズを思い起こさせる。
よもやこの話が最新刊の長篇作に繋がって行こうとは・・・・

Tuhara02

「蘆屋家の崩壊」の続編と成るのが今回初文庫化の「ピカルディの薔薇」。
後書に作者が似た様な作品を書き続けるのは疲弊すると書かれている様に、
猿渡と伯爵による瓢げた雰囲気の作品が少ないのは残念な所だが、
その分硬質な「幻想美」の人と云う著者の特筆が良く表れた作品集に成っている。
その硬質な幻想美が横溢しているのが中井英夫オマージュのタイトル作。
久生十蘭からその名を戴いたと云う「奈々緋紗緒」が出て来た時点で気付いたが、
読み返してみれば不動尊だの青函連絡船だの五色の薔薇だの、
「虚無への供物」のネタが方々に散りばめられていてニヤリとさせられるが、
それが無かったとしても、このひき攣れた如き優美な残酷趣味には唸らされる。
同様のオマージュ物として「稲生物怪録」を元ネタにした「夢三十夜」も有るが、
津原泰水には「音の連続と無窮変奏(槐多カプリチオ)」と云う、
村山槐多を題材にした中編も有ったりして、こちらも必読な内容だ。
ユリイカ掲載時に読んでいたがまさかこれがあの「蘆屋家~」に繋がる、
シリーズの一環だとは気付きもしなかった「新京異聞」は愛好する一篇だ。
新京と云う人工的な満州の都に現れる雅やかな志怪の怪異、
しかもその名が「嫦娥」と云う辺りにはあざといがどうにもたまらぬ物が有る。
これと同時に本書の中で最も心惹かれるのが「甘い風」。
骨董奇譚的な冒頭から民話的な夢幻譚へ、そして生々しく現実を抉りながら、
作者らしいどうにも惚けた後日談まで、甘美的な完成度の高さに痺れる。
「猿渡が主役の、ウクレレのホラーで、テーマが執着」と云う、
円朝も泣きそうになる三話題を良くぞここまで仕上げた物である、天晴れだ。

Tuhara01

さて最後が最新刊の「猫ノ眼時計」である。
本書の帯に「さらば猿渡」等と書かれシリーズの完結である事を強調しているが、
特に目立った大々円を迎えると云う訳では無く、
まあ作者がこれにて仕舞いにしたい、と云う様な意向の表れなのだろう。
本書の中心と成るのは正・続に別れた「城と山羊」と云う中編作で、
これは確かに「蘆屋家の崩壊」から続くシリーズの掉尾を飾るに相応しい、
懐かしいキャラも再登場して来る集大成的な作品と言えるし、
前作で猿渡と伯爵コンビの成分が足らないと嘆いていた向きには、
ほぼ全編でこの名コンビによる活躍が見れると云うサービス振りである。
さてその「城と山羊」だが、「日高川」に登場のアイダベルの依頼により、
猿渡と伯爵が瀬戸内海の孤島に行方不明の少女を探しに行く話しである。
移植され自然繁殖した野生の山羊とオリーブ栽培が名物な長閑な島には、
その表の顔とは別に人知れず奇怪なカルトが侵食していた。
深夜に姿を現す幾何学的な石造りの城、そして人語を話すかの如き山羊の群れ、
猿渡が忍び込んだその城の内部で見た物は恰もサバトの如き饗宴、
そしてそのその座の中央で踊っていたのは誰あろう蘆屋家の末裔・秦遊離子!
おぉ!ここで「蘆屋家の崩壊」に繋がるとは何と云う驚きの展開。
緊迫した描写の合間に挟まれる伯爵と猿渡の軽妙な掛け合いも冴えており、
巻き込まれる男・猿渡と、探偵としての伯爵の活躍も今回は存分に味わえる。
「蘆屋家の崩壊」は何処か諸星大二郎の稗田礼二郎シリーズを彷彿とさせたが、
今回は孤島の邪教を探る感じが何処となくラブクラフト的雰囲気を感じさせる。
「城と山羊」が或る種、猿渡シリーズ「劇場版」的な作品だとすると、
「埋葬蟲」の伊予田が再登場する「玉響」は何時もの味わいの作品である。
結末の猿渡の伊予田への想いに、今ちょっと泣かされる物が有った。
タイトル作の「猫ノ眼時計」は作者の資質が良く出た叙情的な夢幻譚で、
川底の家の描写とか大家の家系とか隣人が深夜に聴くコルトレーンだとか、
そう云う細かいディテールが不思議な幻想味を上手く際立たせる。
そしてこの空き家に成った隣室にあの猫背の女が・・・
と重層的に想像出来るのがシリーズを読んで来た者の愉しみでもある。
そんな愉しみを味わう意味でも是非ともシリーズの一気読みがお薦めだ。

Tuhara04

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2012.08.04

不知夢 四

0031

現在も出版されているのかは不勉強で知らないが、
かつて「日本全国古書店マップ」的な本が定期的に出版されていた。
正しく全国の古書協会に加入している古書店を網羅した一冊で、
住所や店舗案内、そしてその店の得意分野などが紹介されている。
重度の古書蒐集家はそれらを頼りに地方を廻って古書蒐集に励むと云う。

その昔、金は無いが暇と体力だけは余るほどに有った頃、
自分もその本を参考にして古書店廻りをしていた事がある。
とは言っても廻る範囲はもっぱら都内、
そして己の体力が続く所、つまり自転車で廻れる所に限られてはいたが。
某大型古書チェーン店が全国に台頭してくる以前、
零細だが味のある古本屋は町の其処此処に幾つも存在していたし、
ネットの普及で古書価が全国的にほぼ統一されてしまった現在に比べて、
思わぬ物が思わぬ値段で入手出来ると云う面白みも有った。

そこがどの辺りだったか、今と成っては全く思い出せない。
基本同じ東京でも西の方より所謂下町と呼ばれる東の方を廻っていたので、
今や話題のスポットが有るS区辺りだった様な気もするし、
あの時の疲労具合から考えてA区の外れの方だった様な気もする。
もう既に日はとっぷりと暮れかかっていて、茜色の空が街を包んでいた。
その日は三軒ほどを目標にここまで走ってきたが、
一軒は既に存在しないのか発見出来ず、他の所では特に収穫は無かった。
そろそろ帰途の事を考えて幹線道路を目指して走っていたが、
半ば知らない土地で迷っている様な曖昧な状況だった。
小さな商店街を抜けると、不意に道幅の狭い古い家並みが続く通りに出た。
狭い道にはみ出すほど鉢植えや植木が置かれていたりして、
軒の低い木造家屋が多い典型的な下町風情の漂う町並みで、
開け放たれた窓からもれる室内の明かりやテレビの音声が妙に温かい。

そんな町並みと同調する様にその古本屋はひっそりとあった。
木製の引き戸のガラスに「古本」と云う文字が無ければ見逃してしまう程、
木製平屋の典型的にクラシカルな佇まいに足が止まった。
経験上こう云う店は形跡を残していても廃業している場合が多いが、
ガラスの向こうに見えるこじんまりとした店内には確かに書棚が並んでいる。
意外に大きな音を立てて鳴る引き戸を開けて店内に入ると、
中央の書棚を境に左側に漫画や雑誌が雑然と並べられており、
右側が小説や実用書などの書籍が並んでいる様だった。
漫画は特に珍しい物も無く、最近のヒット作の揃いが並んでいたりするが、
何故か棚の一画に黒々としたひばり書房の怪奇漫画が充実していた。

その時奥の帳場のガラス戸が開かれて店員が現れた。
普通こう云う古本屋の店員と言えば老人と相場が決まっているのだが、
現れたのは少年だった、いや少年に見えたと云う所か。
多分ダウン症の人なのだと思うのだが小柄で少年の様に見える。
彼は帳場に座るとニコニコと笑いながら何もせずこちらを見ていた。
その視線に若干たじろぐ物を感じながら店の右側に移動してみると、
途端にその書棚に並ぶ数々の本に視線を奪われてしまった。
実に自分好みの良いラインナップな内容なのだ。
所謂、玄人が好む「黒い本」等ではないが手頃な良い本と云うか、
神保町辺りに行けばそこそこの値段が付いている、
昭和に復刻された探偵小説や怪奇小説などのマイナーな本が揃っていた。
適正な市価の本も有ったが中には驚くほど安い値段が付いている物も有り、
文庫本に至っては国枝史郎伝奇文庫の端本が百円台で有るのには驚いた。
夢中に成って書棚から本を引き出し値段を眺めて唸っていると、
相変わらず帳場から少年に見える店員が笑みを絶やさずこちらを見ている。
欲しい物は幾らでも有ったが使える金額は幾らも無い状況で、
短い熟考を重ねて数冊を選び出し帳場へ持って行った。
失礼ながら勘定は大丈夫なんだろうか、と云うこちらの心配を余所に、
少年に見える店員は電卓で勘定を終えると本を紙袋に入れて、
「ありぁとーございましゅたー」と笑顔のまま手渡してくれた。
ガラス戸を閉めて紙袋を自転車の籠に入れて店の方を振り向くと、
ガラス戸の向こうで帳場に座った店員が相変わらずニコニコと微笑んでいた。
何処かふわふわとした気分のまま闇に沈む町に向けペダルを漕ぎ出す。
街頭の裸電球を横切る蝙蝠の影の向こうに細く尖った月がぼんやりと見えた。

その後、何週間か後に再びその古本屋目指して出掛けたのだが、
終ぞ辿り着く事が出来ずに町をさまよう事に成る。
そしてその後二度ほどその周辺を廻るのだが、いずれも徒労に終わってしまった。
元々偶然辿り着いた様な場所だったので記憶と供に薄れつつ有ったのだが、
それにしても地図上を辿ってもあの古びた町並みの位置さえ見当が付かない。
よく古書蒐集家のエッセイなどを読んでいると、
自分好みの書籍が山の様に有り、しかも値段が驚くほど安いと云う、
「夢の古書店」を夢に見ると云う様な話をよく見掛ける事があるが、
今と成っては、アレはもしや「夢の古書店」の類だったのではないか?
現実と夢の話が混同していたのでは無いか?と思う事もある。
しかし確かにあの古書店で買った「怪奇幻想の文学」の端本を開く度に、
あの帳場に座った少年に見える店員の福々しい笑顔と、
薄暗い照明に照らされた書棚の耀く様な古書の並びを思い出す事が出来る。
黄昏た町のおぼろげな風景と風の感触と供に・・・・

0032


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