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2012.08.04

不知夢 四

0031

現在も出版されているのかは不勉強で知らないが、
かつて「日本全国古書店マップ」的な本が定期的に出版されていた。
正しく全国の古書協会に加入している古書店を網羅した一冊で、
住所や店舗案内、そしてその店の得意分野などが紹介されている。
重度の古書蒐集家はそれらを頼りに地方を廻って古書蒐集に励むと云う。

その昔、金は無いが暇と体力だけは余るほどに有った頃、
自分もその本を参考にして古書店廻りをしていた事がある。
とは言っても廻る範囲はもっぱら都内、
そして己の体力が続く所、つまり自転車で廻れる所に限られてはいたが。
某大型古書チェーン店が全国に台頭してくる以前、
零細だが味のある古本屋は町の其処此処に幾つも存在していたし、
ネットの普及で古書価が全国的にほぼ統一されてしまった現在に比べて、
思わぬ物が思わぬ値段で入手出来ると云う面白みも有った。

そこがどの辺りだったか、今と成っては全く思い出せない。
基本同じ東京でも西の方より所謂下町と呼ばれる東の方を廻っていたので、
今や話題のスポットが有るS区辺りだった様な気もするし、
あの時の疲労具合から考えてA区の外れの方だった様な気もする。
もう既に日はとっぷりと暮れかかっていて、茜色の空が街を包んでいた。
その日は三軒ほどを目標にここまで走ってきたが、
一軒は既に存在しないのか発見出来ず、他の所では特に収穫は無かった。
そろそろ帰途の事を考えて幹線道路を目指して走っていたが、
半ば知らない土地で迷っている様な曖昧な状況だった。
小さな商店街を抜けると、不意に道幅の狭い古い家並みが続く通りに出た。
狭い道にはみ出すほど鉢植えや植木が置かれていたりして、
軒の低い木造家屋が多い典型的な下町風情の漂う町並みで、
開け放たれた窓からもれる室内の明かりやテレビの音声が妙に温かい。

そんな町並みと同調する様にその古本屋はひっそりとあった。
木製の引き戸のガラスに「古本」と云う文字が無ければ見逃してしまう程、
木製平屋の典型的にクラシカルな佇まいに足が止まった。
経験上こう云う店は形跡を残していても廃業している場合が多いが、
ガラスの向こうに見えるこじんまりとした店内には確かに書棚が並んでいる。
意外に大きな音を立てて鳴る引き戸を開けて店内に入ると、
中央の書棚を境に左側に漫画や雑誌が雑然と並べられており、
右側が小説や実用書などの書籍が並んでいる様だった。
漫画は特に珍しい物も無く、最近のヒット作の揃いが並んでいたりするが、
何故か棚の一画に黒々としたひばり書房の怪奇漫画が充実していた。

その時奥の帳場のガラス戸が開かれて店員が現れた。
普通こう云う古本屋の店員と言えば老人と相場が決まっているのだが、
現れたのは少年だった、いや少年に見えたと云う所か。
多分ダウン症の人なのだと思うのだが小柄で少年の様に見える。
彼は帳場に座るとニコニコと笑いながら何もせずこちらを見ていた。
その視線に若干たじろぐ物を感じながら店の右側に移動してみると、
途端にその書棚に並ぶ数々の本に視線を奪われてしまった。
実に自分好みの良いラインナップな内容なのだ。
所謂、玄人が好む「黒い本」等ではないが手頃な良い本と云うか、
神保町辺りに行けばそこそこの値段が付いている、
昭和に復刻された探偵小説や怪奇小説などのマイナーな本が揃っていた。
適正な市価の本も有ったが中には驚くほど安い値段が付いている物も有り、
文庫本に至っては国枝史郎伝奇文庫の端本が百円台で有るのには驚いた。
夢中に成って書棚から本を引き出し値段を眺めて唸っていると、
相変わらず帳場から少年に見える店員が笑みを絶やさずこちらを見ている。
欲しい物は幾らでも有ったが使える金額は幾らも無い状況で、
短い熟考を重ねて数冊を選び出し帳場へ持って行った。
失礼ながら勘定は大丈夫なんだろうか、と云うこちらの心配を余所に、
少年に見える店員は電卓で勘定を終えると本を紙袋に入れて、
「ありぁとーございましゅたー」と笑顔のまま手渡してくれた。
ガラス戸を閉めて紙袋を自転車の籠に入れて店の方を振り向くと、
ガラス戸の向こうで帳場に座った店員が相変わらずニコニコと微笑んでいた。
何処かふわふわとした気分のまま闇に沈む町に向けペダルを漕ぎ出す。
街頭の裸電球を横切る蝙蝠の影の向こうに細く尖った月がぼんやりと見えた。

その後、何週間か後に再びその古本屋目指して出掛けたのだが、
終ぞ辿り着く事が出来ずに町をさまよう事に成る。
そしてその後二度ほどその周辺を廻るのだが、いずれも徒労に終わってしまった。
元々偶然辿り着いた様な場所だったので記憶と供に薄れつつ有ったのだが、
それにしても地図上を辿ってもあの古びた町並みの位置さえ見当が付かない。
よく古書蒐集家のエッセイなどを読んでいると、
自分好みの書籍が山の様に有り、しかも値段が驚くほど安いと云う、
「夢の古書店」を夢に見ると云う様な話をよく見掛ける事があるが、
今と成っては、アレはもしや「夢の古書店」の類だったのではないか?
現実と夢の話が混同していたのでは無いか?と思う事もある。
しかし確かにあの古書店で買った「怪奇幻想の文学」の端本を開く度に、
あの帳場に座った少年に見える店員の福々しい笑顔と、
薄暗い照明に照らされた書棚の耀く様な古書の並びを思い出す事が出来る。
黄昏た町のおぼろげな風景と風の感触と供に・・・・

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