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2012.09.29

圧倒的なクオリティのアニメ「氷菓」

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昨年末の事だったか、年が明けてからの事だったか思い出せないが、
聴いていたラジオ番組の「大手検索サイト・検索ランキング」的コーナーで、
上位2位に「氷菓」と云うワードが入っていてパーソナリティを混乱させていた。
「え~氷菓と云うのは、冷たいお菓子、もしくはアイス等の事で・・・」と、
生真面目に「氷菓」本来の意味を解説させられた後に、
それが新作アニメの原作だと教えられ驚いていた事をよく覚えている。
確かにその数日前に京都アニメーションが次回に手掛ける作品が、
「氷菓」と云う小説だと発表されて「何それ?」と随分話題に成っていた。
現在なら書店の陳列台に文庫シリーズが平積みに成っている様な状態だが、
その当時は棚に2、3冊並んでいれば良い様な状態の知名度だったし、
ラノベ等とは違い表紙に解り易いイラストが踊る様な作品でもなかったので、
キービジュアルが発表される前はその地味な内容紹介から、
色々と危惧する様な声が大きかったのも今と成っては懐かしい思い出である。

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「氷菓」と云う作品は米澤穂信原作の「古典部シリーズ」と呼ばれる連作で、
殺人事件等の派手なミステリー要素の代りに日々の些細な謎を解くと云う、
高校生活を舞台にした所謂・日常の謎系と呼ばれるミステリー小説である。
主人公にして探偵役の高校1年生・折木奉太郎の信条は「省エネ主義」であるが、
まあ平たく言えばこの年齢に良く居る色々と「だりぃ・・・」と云う奴だ。
面倒くせえ事には関わり合いたくないし、タルい事は勘弁して欲しい年頃だが、
基本的に良い子なので勉強とか学生の本分は守る解り易い性格の少年だ。
その省エネ主義者の奉太郎を探偵役として突き動かす原動力と成るのが、
好奇心の猛獣と呼ばれる美少女のお嬢様・千反田えると云うのも解り易い。
原作では様々な場面でほのめかす様な描写に留めてはいるが、
アニメ版で顕著なのが基本、奉太郎の行動原理は殆どが千反田の為だと云う事。
千反田の為に頭を使い、千反田の為に行動し、千反田が喜ぶ様に総てを計らう。
そう云う意味でこの作品は「不器用な少年の捻くれた愛情表現を綴った物語」
と云う観点で観るのも面白い作品だろう。
とにかくこの少年と少女の不器用で幼いが一途な想いが実に微笑ましく可愛い。

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基本、安楽椅子探偵の奉太郎の為に情報収集してきたりヒントを与えたりする、
所謂ワトソン的な役割を果すのが中学時代からの友人・福部里志。
明朗なムードメーカーだが歳相応に色々と厄介な想いを抱えていたりして、
その辺の一筋縄では行かない感じがキャラの造型に深みを与えていて面白い。
伊原摩耶花は奉太郎・里志と同じ中学出身の漫研にも所属する快活な女の子で、
最初の頃の奉太郎に対する唾棄すべき対象の如き態度を見るに連れ、
如何に千反田と出会う前の奉太郎が人間的に駄目だったか伺えて笑える。
里志に惚れている事を公言しているがこの両人の関係性もまた複雑な物だ。
以上の四人が古典部の部員で、彼らの周囲のみで起る些細な事件が、
それぞれの問題や関係性を浮き彫りにし緩やかにその成長が描かれて行く。

アニメは長篇作の「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」
そして短篇集の「遠まわりする雛」を原作として描かれているが、
シリーズの構成として原作で一番盛り上がる「クドリャフカ~」辺りを、
最後に持って来るような構成にするのではないかと予想していたりしたが、
原作をいじる事無く時系列順に構成し直して高校1年の1年間を描いている。
番組が終了した今と成っては単なる素人の杞憂でしかなかった訳だが、
良い話だが地味な「遠まわりする雛」で終わるのは大丈夫か?と思っていた。
しかし今なら言える「京アニさん、全く持って余計な杞憂でした」と。

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番組が始まってまず驚かされたのが一期のOP映像だった。
自ら高校生活を「灰色」と自嘲する、奉太郎の心情の如きモノクロの画面に、
様々な出会いが引き起こす心境の変化が波紋の拡がりで表現され、
陰鬱な雨溜まりが足元から一気に抜ける様な蒼穹へと変化する一連の描写、
そして四人で過ごす日々を描いた躍動感に満ちた流れが実に素晴らしいが、
中でもその巧みさに唸らされるのが折り込まれる何気ない日常描写だろう。
机で寝ている女生徒、校舎を走り抜ける人影、体育館口の散乱する無数の靴、
そんな良く有る学園風景の積み重ねが映像に強烈な郷愁感をもたらす。
「けいおん!」でもそうだったが京アニはこう云う表現が抜群に上手い。
大量の原画マンを揃えたこのOPの力の入り具合だけで期待が一気に高まった。

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「氷菓」篇は原作に短編の「やるべきことなら手短に」を加え、
閉じ込められた千反田、女郎蜘蛛の会、図書館書籍貸し出しの謎、
文集バックナンバーの捜索等で、奉太郎の推理力を次々と鮮やかに印象付け、
同時進行していた「氷菓」本編の謎に突入させる手際が上手い。
今に成ってみると最初に千反田の「気になります」が発動した時に、
奉太郎が色々と絡め捕られる描写など無駄に力が入り過ぎていた気もするが、
あの瞬間に奉太郎の高校生活が決した事を考えるとまあそれも有りかと云う。
糸魚川先生(なんと小山茉美!)の回想シーンなども実に素晴らしかったが、
個人的には5話のOPに当る雨の中、千反田邸から帰る奉太郎と里志のシーンの、
何気ないが味わい深い演出の積み重ねと美しい背景美術にしびれた。
「愚者のエンドロール」篇はアニメで自主制作映画の不安定感を描く等、
(しかも中々に豪華な声優陣を使って素人の棒読み台詞を演じさせる)
トリッキーな演出が冴え渡る面白い回が多かった。
ここで奉太郎が直面させられる「才能を持つ者の自覚」と云うテーマが、
後に続く「クドリャフカ~」篇に繋がって行くと云うのも中々に上手い。
原作では本編のラストが引き続き千反田と奉太郎のチャットで終わっている所、
アニメでは放課後の部室で対面した会話で終らせる風に改変されていて、
この方が最後まで真相の明かされない脚本家・本郷の真意らしき物が、
千反田の口で持って語られているが如きで柔らかい終り方に成っていて好印象だ。

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「クドリャフカの順番」篇は正しく本作のクライマックスと言える内容で、
何と6話に渡って神山高校文化祭での3日間の騒動が描かれる。
まあとにかく京アニさん渾身の微に入り細に渡った文化祭描写が秀逸で、
描き込まれた背景、キャラの立った生徒達、何処かで見たモブ等々、
筋だけ追っているだけでは追い付かない凄まじい情報量に圧倒される。
奉太郎の安楽椅子探偵的推理力は更に神業の域に達する勢いだが、
それが謎を解くと云う意味よりも、行き詰った古典部の現状の打開、
更に言えば、千反田の為に発揮されている所が実に素晴らしい。
山場は「お料理バトル」と「十文字事件」の解決編と成る訳だが、
発注ミスで山の様に積まれた文集の行方が通奏低音の様に響いており、
前半でのはしゃぎっ振りが嘘の様に「才能」に打ちのめされる里志と、
超えられない「才能」と言う物を知る人間の哀しさに震える摩耶花の、
十文字事件の犯人と響きあう「持てない者の悲哀」が色濃く描かれる。
原作でもこのテーマは重要な要素の一つだがアニメ版では更に掘り下げが深い。
「若い」と言えるのは可能性など遥か彼方に置いて来た中年の呟き故だが、
それにしてもこのテーマは中々に重く考えさせられる物だ。
羽目を外した文化祭描写で愉しませてこう云うテーマで落とす手法は実に見事で、
これだけでもこの作品が或る種の頂点に達した証だと言えるだろう。

さて最後は2クール中に散りばめられた短編「遠まわりする雛」の数々だが、
個人的にはこの短編に京アニの意匠の巧みさが最も現れている様な気がする。
例えばそれは酷薄な現実をそのまま放り投げた様に終る原作の改変、
「正体見たり」でのラストに加えられた善名姉妹の助け合うシーン、
最終回での、冷徹に描かれた「女帝」様の普段のままの打ち解けた会話、
そして何より総てが解決しない暗黒面際立つ「手作りチョコレート事件」で、
その解決しない部分を総て救い取ったが如き改変シーンの追加だろう。
実際、現実として原作の様に物事は綺麗に収まる訳は無いのであるが、
やはり視聴者として救いが有った方が良いのに決まっている。
特に「~チョコレート事件」での里志の行動はこの歳に成れば理解出来るが、
最終回手前で原作通りに投げ捨てのまま終ると流石に後味が非常に悪い。
最終回でもその件に関して摩耶花の台詞が加えられていたがこれも実に良かった。

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短編で個人的に好きなのは「連峰は晴れているか」と「心あたりのある者は」、
そして言わずもがなな最終回の「遠まわりする雛」である。
「連峰は晴れているか」は最初の回想シーンでの小木教諭の笑顔が、
何処か得体の知れない、言ってみれば奇妙な笑顔に見える様に描かれているが、
真相を知った後での微笑が何処か優しく哀しげな描写なのがグッと来る。
「心あたりのある者は」に関しては、もうこれは演出の凄さに尽きるだろう。
基本登場人物は二人で、しかも場面はお馴染みの地学準備室に限定されている。
それだけで一話持たしてしまう演出力はもう圧巻としか言えない。
この作品は奉太郎の推理場面で様々な面白い演出を試みて来ているが、
この話でも大部分を占める推理場面での演出の面白さに圧倒される。
そして最終回である、原作では単なる短編の一エピソードでしか無い話で、
地味だが非常に良いこのエピソードをどうまとめるのか気に成った訳だが、
奉太郎と千反田のまだ未成熟な恋と云うこの作品の根幹でもあるテーマを、
見事にまとめ上げていて実に素晴らしくこの作品の掉尾を飾ってくれた。
この話はもう、圧倒的なまでに美しい作画の素晴らしさに尽きるだろう。
非現実的な空間にのぼせ上った奉太郎の陶酔感を際立たせる祭りの場面、
正解を手のひらに書いて見せ合う幼くも微笑ましく優しい縁側の場面、
薄紫に暮れ行く田園地帯の中を歩く二人に仄かに落陽が照らす場面、
そして狂い咲く桜を背にする千反田に確かに自分の想いを自覚する最終場面、
どれもが地味だがこの味わい深い作品のラストを飾るに相応しい美しさである。

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それにしてもこのクオリティの作画を毎週、しかも2クール続けると云うのは、
もう圧倒的としか言えない「京アニ・クオリティ」である。
ここまで原作の意図を汲み取りしかも圧倒的なアップデートを加えられるとは、
これぞ正に原作者冥利に尽きると云う奴だろう。
早くも二期を望む声も出ているが、それもこれも原作のストックによる訳で、
現在は2年生編に突入した「二人の距離の概算」が発売されているが、
まだまだ二期へ繋がるほど古典部シリーズのストックは無い。
原作者に頑張ってもらって是非ともこの素晴らしい作品の続きが観たいと供に、
単なる日常アニメと揶揄される作品を圧倒的な高みへと導いている、
京アニさんの更なる高みが見たいものである。

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2012.09.22

探検家・菅野力夫とは何者か?

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誰が言い出したか知らないが、ミュージシャンのイイ顔をあしらったジャケ、
(主に黒人音楽が多い)を指し、『音楽は顔で聴け!』と説いた言葉が有る。
その言葉を引用させて貰うなら、正にこの本は『本は顔で読め!』であろう。
書店の店頭に平積みされている書籍の中でこの表紙を見付けたならば、
間違いなく手に取ってしまう強烈なインパクトを放った一冊である。
荒涼とした平原に山積みに成った頭蓋骨をバックに写る髭面の如何わしい男、
そしてタイトルに付された「謎の探検家」と云う実に如何わしい文字、
ページを捲れば更に如何わしさを湛えたエキゾチックな写真が満載だ。
一体全体この「謎の探検家」と称される男は何者なのか?

本書の主人公、菅野力夫は戦前に活躍した探険家である。
実に八回もの世界探検旅行を行い、各所にその足跡を残した男である。
彼の世界旅行はその証と供に活動資金の獲得の意味も含めて、
多くの写真が撮られ、そしてそれらを絵葉書にして多く販売されたそうだ。
故に「古絵葉書コレクター」諸氏の間では結構知られていた存在だったそうで、
確かにネットなどで検索してみるとコレクター諸氏の蒐集した、
菅野力夫の絵葉書が幾つもアップされていたりする。
本書の著者も古書市で発見した菅野力夫の絵葉書に魅了されて以来、
ネットなどに出品された彼の絵葉書の蒐集を続けて居たそうだが、
その素性や来歴、探検旅行の詳細に付いては不明な所が多く、
雑誌の連載を期に遺族への取材を始め、遺品などを資料を精査し、
忘れられていた探険家・菅野力夫の生涯に迫ったのが本書である。

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学術目的とかでは無く、純粋に己の存在証明の証的な意味で、
世界に飛び出して行ったバンカラで無謀な冒険家の男達と言えば、
個人的に思い出すのが、作家・横田順彌の明治物の著作で知る事となる、
押川春浪の『五大洲探検記』で知られた無銭旅行で世界一周した中村直吉や、
同様に押川春浪が編述した『中村春吉自転車世界無銭旅行』で知られる、
自転車による世界一周無銭旅行と云う無茶な旅を敢行した中村春吉などだが、
菅野力夫もその影響下に有る一人だと言えるだろう。
実際に彼の最初の世界探検旅行は東南アジアからインドへの無銭旅行であり、
更には中国大陸からシベリヤへと向った二回目の探検旅行は自転車での物だ。
しかしどうも菅野力夫の探検旅行からは先の二人の冒険に感じた様な、
やぶれかぶれの如き純粋な豪快さは左程感じられない。
勿論、押川春浪が青少年向けに豪快に筆を滑らせている作品とは違い、
本作は残された記録を元に淡々とその行動を追っている内容な訳だが、
絵葉書を見ても然りだが、彼には妙なプロフェッショナルさが横溢している。
非常に現代的と云うか自己プロデュース力に長けた所が大きいのだ。
最初の探検旅行の時から各地の新聞社に己の探検行を宣伝して廻り、
二度目の時は資金獲得の為に自ら演説会を催し宣伝に努め、
多数の企業スポンサーを獲得し、自転車は宮田製作所から提供して貰った物だ。
そして旅行先では自らが写り込んだ珍しい風景の写真を残すなど、
その豪快な容姿と裏腹な精力的な自己宣伝マン振りには驚かされる。
更にその弁舌は非常に巧みで、探検旅行の講演会は何処でも大好評だったそうで、
後年はその巧みな弁舌で探検旅行を語る事で喰っていた感じである。

先にも書いたが菅野力夫は生涯に八回もの世界探検旅行を行っているが、
二年八ヵ月もの長期間に及び南米にも赴いた三回目の世界探検旅行を除けば、
後は当時日本の植民地だった各地を視察・講演に廻っていると云う内容だ。
その行動は非常にアグレッシヴでその旅程の多岐に渡り方も驚異的なのだが、
当時の軍や現地日本人の要人に擁護された旅はとても探検とは言えないだろう。
とにかくその行程や現地の日本人居留地の調査の内容など見ていると、
国や軍から依頼された「軍事探偵」的な臭いも感じてしまう。
実際に六回目の世界探検旅行にて北米を廻る筈が、渡航先のハワイにて、
ハワイへの上陸許可が下りずに探検旅行が頓挫してしまうと云う事件が有った。
それなどは米国本国が菅野力夫の「軍事探偵」的側面を危惧したのではないか?
等と云う様な推測が起ってしまう。
更に言えば、彼は日本近代史の闇に起立する巨人にして玄洋社の首魁、
あの頭山満の書生であり、初回の探検旅行の資金援助も受けているのだ。
そんな所も含めてまだまだ解明されるべき所も多い菅野力夫である。

しかしまあそう云う細かい所は抜きにして本書に収録された写真の数々は、
菅野力夫のキャラクターや珍奇な風景と相まって非常に愉しい物だ。
頭は坊主ながら奔放に伸ばしっ放しの髭、そして愛嬌の有る表情、
その菅野力夫が各地でコスプレさながらに現地の衣装を着て写る姿は、
猛烈にエキゾチックで当時の人々の遠い異国への憧れを掻き立てただろう。
何の物怖じもせずに現地の人間と絡む菅野のキャラクターが素晴らし過ぎる。
資料的にも写真に残された現地の風俗などは非常に珍しい物だろうし、
後半の当時の植民地に於ける日本人の生活風景や情景は貴重な資料だ。
あの過酷な時代に世界各地へ雄飛していた日本人の逞しさには実に驚かされる。
是非とも今後は味の有る着色絵葉書等を豊富に収めた写真集などを期待したい。

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2012.09.15

「Eight Classic Albums」

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最近、CD屋に行ってもそんなにモノを買わなくなってしまった。
いや多分普通の皆様と比べれば阿呆の様に買っているとは思うが、
紙ジャケのCDを大量に買っていた頃に比べると寂しいものであるし、
何も収穫が無くCD屋を後にする時の空しさは如何ともし難い物である。
そんな時についつい手が出るのが以前も紹介したこのシリーズ
LPにして8枚分をCD4枚に収めたRealGoldJazzの「Eight Classic Albums」だ。
セレクトされた8枚の作品に若干難が有ったとしても千円以下のお値段だし、
聴いた事のない作品にも面白い作品が有るやも知れないと云う事で、
結構色々買い込んでしまい例によって嵩張ってしょうがない状態である。

まず本道のジャズの方ではセレクト的にも中々美味しいのが、
名門ブルーノートの作品をコンパイルしたルー・ドナルドソンの箱。
ルー・ドナルドソンと言えば大ヒットを飛ばした「Alligator Bogaloo」等の、
60年代後半のファンキーなサウンドが、現在の日本では有名だったりするが、
やはりハードバップが成立したあの夜に参加していたと云う事実から、
ハードバッパーとしての円熟時代を第一に挙げるファンも多いと思う。
正しくその時代の名盤がコンパイルされているのがこの箱だと言える。
ブルーノート・オールスターズでバックを固めた3管編成の「Lou Take Off」、
反対にスリー・サウンズをバックにアルト一本でスタンダードに挑む「LD+3」、
同じく1ホーンだがソウルフルでブルージーなムードの「Blues Walk」等々、
素晴らしい内容で文句無しにお薦めできる。

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お次はプレスティッジ期のマイルスのレギュラー・クインテットを務めた、
ブルージーな職人ピアニストであるレッド・ガーランドの箱。
ガーランドと言えばコレ!なジャケも印象的なトリオ編成の名盤「Groovy」、
マイルス同様のマラソン・セッションにより産み出された4枚の内で、
コルトレーンとバードを擁し、最もソウルフルにうねる「Soul Junction」、
愛着するブルース曲を有名無名問わず取り上げた「Red in Bluesville」、
ガーランドのソロ・ピアノ・プレイが聴ける珍しい「Red Alone」等々、
こちらもバラエティにとんだ内容が文句無しのコンパイル具合だ。

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お次は若干ジャズの本道から外れた所に位置付けされる人達だし、
少しジャズとしては珍しい楽器をメインとする所も共通しているが、
だからこそこう云う機会にまとめて聴くと色々と面白い発見も有ったりする。
まず最初はメイン楽器がフルートと云う白人のジャズメン、ハービー・マン。
ハービー・マンと言えばその界隈で最初に名声を獲得したと言える、
ラテン風味の熱狂と長尺のジャムがうねる「At the Village Gate」や、
8ビートの最高にソウルフルな「Memphis Underground」等がお馴染みだが、
この箱ではそれ以前の、フルートによるジャズの様々な実験が堪能出来る。
同じくフルート奏者のサム・モストやボビー・ジャスパー等と組んだ、
何とフロントがフルートの2管と云う編成の「Herbie Mann&Sam Most Quintet」、
「Flute Souffle」、更にバイブラフォンを加えた「Fluete Flight」等々、
編成の奇矯さに対して割と素直に聴ける涼しげなサウンドが愉しめる作品や、
タイトルズバリな「Flautista-Herbie Mann Plays Afro Cuban Jazz」等、
後の作風に通じるエスニック要素の導入作も愉しめる内容だ。

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続いてはモンドでニッチな白人バイブラフォン奏者、カル・ジェイダーの箱。
カル・ジェイダーと言えばメインストリームからは殆ど無視された存在の人で、
90年代からの所謂「踊るジャズ」、DJからの再評価で浮上して来た人である。
最初に聴いたのはそう云うクラブ系の視点からコンパイルされたベスト盤で、
近年の再評価を受けて意外にもニッチな再発が多くされた人である。
最も有名なのは多分タバスコのジャケットでお馴染みな「Soul Sauce」だろう。
勿論この箱にもジャケからしてラテン風味濃厚な「Tjader Goes To Latin」、
更にはマンボにまで手を伸ばした珍品「Tjader Plays Manbo」、
対してスタン・ゲッツと組んでメインストリームな事もしてますよ!と云う、
「The Cal Tjader Stan Getz Sextet」等と云う作品も含まれている。
個人的には2集に別けられたライブ盤「Concert By The Sea」に於いて、
モンゴ・サンタマリアのパーカションに煽られた熱いプレイが愉しめた。

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モンドと言えばこのシリーズ、所謂モンド系の作品も多く出していて、
モンド/エキゾティカ系の元祖レス・バクスターに関しては3集まで出てるし、
モンド/エキゾティカ系では最も有名なマーティン・デニーの箱も有る。
で、ここで取り上げるのはそのマーティン・デニーの名盤としてお馴染みな、
「Exotica」で演奏していたバイブラフォン奏者・アーサー・ライマンの箱。
マーティン・デニーの作品が大ヒットした直後にグループを脱け、
殆ど同傾向の作品をリリースし続けると云うのは道義的にはどうかと思うが、
両人は割りと友好的にモンド/エキゾティカ系を盛り上げる両軸と成ったそうな。
ライマンの作品はオージー・コローンの怪鳥音が控えめなせい?だけでは無いが、
デニーに比べると割とモンド色が薄めでクールでジャジーな感触が強く、
環太平洋的と云うより出身地であるハワイの要素が強く出ている感じだ。
とは云え、聴いていると「あれ?これ何処かで聴いた事ある曲」だと思ったら、
「粋な黒塀、見越しの松に、婀娜な姿の洗い髪」でお馴染みな、
「お富さん」(表記はOtome-San)だったりするからモンド度も侮れない。
代表作と言える「Leis Of Jazz」や、有名な「Taboo」を取り上げた2作品、
他にも「Hawaian Sunset」や「Legend Of Pere」等ハワイを題材にした作品等、
夏の熱い盛りに聴くにはピッタリのクールでモンドな作品が愉しめる。

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最後にちょっと珍しい傾向の作品としてネルソン・リドルの箱を取り上げる。
ネルソン・リドルと言えば自分の名を冠したオーケストラを率いて、
数々の映画音楽やフランク・シナトラの伴奏等でも有名な存在であろう。
映画音楽だけでもアカデミー賞ミュージカル映画音楽賞受賞の「カンカン」、
アカデミー賞最優秀編曲賞を受賞した「華麗なるギャツビー」でもお馴染みだ。
更に晩年には戦前のジャズ・スタンダードを取り上げて大ヒットを飛ばした、
リンダ・ロンシュタットの「ホワッツ・ニュー」での伴奏でも知られている。
この箱はそんなリドルの50年代後半の作品をコンパイルした内容に成っている。
有名な「CanCan」そして「Girl Most Likely」等のサントラ作に加えて、
多分オリジナルのイージーリスニング作だと思われるが、
(インナーに内容の詳細な記載が無い所がこの箱の欠点ではある・・・)
「Love Tide」や「Sea Of Dream」等の華麗なラウンジーさも聴き物だ。
キューブリックの「ロリータ」等有名なサントラ作とかならいざ知らず、
リドルのこう云う初期のイージーリスニング作を聴く機会など殆ど無い訳で、
そう云う点ではお買い得でかなり面白い企画の箱だと言えるだろう。

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2012.09.08

真珠郎はどこにいる?

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かつて何処にでも有る普通の街の本屋の文庫の棚に、
必ず黒々とした一角が有り、禍々しい表紙の怪しい本が並んでいた時代がある。
(少し大きな本屋に行くと更に禍々しい春陽堂文庫なんてのもあったが)
角川文庫のかなりのスペースを占めるその黒々とした並びには、
「殺」「首」「死」「血」「魔」などの奇怪な文字が淡々と連なり、
その1冊を手に取れば悪趣味極まりない扇情的で邪悪な表紙が現れる。

今年の夏、久し振りにその懐かしい光景が本屋に戻って来た。
今年が生誕百十周年にあたる事から「横溝正史生誕百十周年フェア」を、
角川文庫が全国書店にて展開する事に成ったそうで、
現在は味気ない筆文字で表現された横溝正史の文庫本カバーを、
杉本一文が手がけた往年の名カバーの数々で期間限定復刻する事に成ったらしく、
本屋の店頭に並んだ懐かしい表紙の数々に夢中に成って読んでた頃を思い出す。
と云う訳で、今回は残念ながら復刻されなかったが、
個人的に忘れられない横溝の名作「真珠郎」を取り上げてみる。

「真珠郎」に関しては本で読むよりも映像化された作品を観た方が早かった。
1977年にTVで始まった古谷一行の金田一耕助シリーズの二期で、
1978年の5月から3回に渡って放送された「真珠郎」を観たのが最初だ。
このシリーズはTVとは云え非常に豪華で各作品のクオリティも高かったが、
何故か幼心に深く記憶に残っているのはこの小品だったりする。
名作なだけに後年殆どの作品がDVD化されたりしているのだが、
あの頃のおぼろげな記憶を大事にしたくて未だに再見を果してはいない。

原作の方を読んだのはそれから有る程度時間が経ってからで、
映像から入った人間にはお馴染みだが金田一が出て来ない事にまず驚いた。
原作では金田一耕助が登場する以前に、戦前の横溝作品で活躍した、
老人でもないのに総白髪が印象的なダンディな男・由利麟太郎が探偵を務める。
由利博士に関しては「真珠郎」以前に名作の「蝶々殺人事件」を読んでいたので、
その存在を知ってはいたのだが映像の印象が強過ぎて少し違和感を感じた物だ。
この時期の横溝の作風は耽美・浪漫色が濃厚な第二期と称される時代で、
代表作の「鬼火」「蔵の中」「面影双紙」等と供に愛好する人間も多く、
金田一の代表的な作品に於ける怪奇色や極彩色の残虐味に魅かれた人間が、
後にその源流と成るこちらに辿り着き愛着する様なパターンが多い。
余談だが、この時期の作品に愛着する余りに、その影響元に成ったと云う、
谷崎潤一郎の初期作品や泉鏡花を手に取る様なきっかけに至った経緯がある。

話は、大学講師の主人公が同僚と避暑に向った信州で偶然滞在する事になる、
奇妙な屋敷で起った酸鼻な殺人事件を始まりとして、
謎の殺人美少年・真珠郎が帝都を暗躍し、一人また一人と手に掛けて行く。
大胆な犯罪を行いながら幻の如き妖しげな真珠郎は何処にいるのか?
現在から見れば謎解きの部分などに若干の怪しげな部分も有る物の、
不可能犯罪としてのトリックも中々に読ませるし推理小説としての精度も高いが、
本作の魅力はやはりその煌く様に幻想的で妖しげで思わせ振りな舞台設定に有る。
理不尽に世界を怨む男によって産み出された純粋悪の塊にして人間バチルス、
しかし驚くほど妖しげな殺人美少年・真珠朗の登場シーンからして凄い。
真夜中の湖畔に佇む蛍火に彩られたその滴るが如き幽玄な佇まい。
飛び交う蛍を捕まえて口に含むと口中を蛍火が鬼灯の如き光るその幻想美よ!
そして主人公が九段坂で見上げた雲に「サロメ」の一場面を彷彿とさせる、
ヨカナーンの血の滴る生首を連想する奇怪な美しさにも痺れる。
これを読んで以来、九段坂を横切る時はヨカナーンの生首の様な雲を、
何処か捜してしまう様な自分に成ったのは言うまでも無い。
更に「悪魔の手毬唄」の「おりん」の登場場面を髣髴とさせる、
奇怪な老婆が怪しげな予言を残す湖畔へ向う乗合自動車の場面、
そして現れる湖畔に佇む陰惨な雰囲気漂うべんがら格子の元娼館の屋敷、
これら非現実的な舞台設定だけで好き者ならしんぼうたまらん所であろう。
そして浅間の噴火を背景に「逃げ水の淵」と呼ばれる洞窟内で行われる、
真珠郎による酸鼻な第一の犯行、そして暗闇の中でのロマンチックな場面。
そして東京に戻った主人公の目の前に悪夢の如き現れる真珠郎、
更に第二の獲物を狙うその姿は偶然にもニュース映像に記録される。
映画館の暗闇に映し出される群衆の中の真珠郎の鮮烈な描写に唸らされる。
印象に残る場面を挙げて行くと切りが無いがどの道具立ても実に素晴らしい。
そして現在なら、そこまでやっといてそれは如何な物かと言われそうな、
推理小説的な謎解きよりも浪漫を優先したが如きメロウなラストも最高だ。
この辺は嗜好によって評価が別れる所だし、由利先生も形無しと云う感じだが、
このラストも含めて「真珠郎」と云う作品を愛着する所以でもある。

さて残念ながら今回角川文庫で復刻されなかったお陰で、
この名作は容易に何時でも手に取れるような作品では無い状態なのだが、
確か以前、扶桑社文庫で復刊されていた筈なのだが未だ生きているのだろうか?
ついでに以下の写真は、題字を谷崎潤一郎、序文を江戸川乱歩、
口絵を松野一夫、「紫の辯」と題された一文と装丁を水谷準が手掛けた、
豪華な体裁の昭和12年の「真珠郎」の初版本、の復刻本である。
これは1976年の角川春樹による第一回映画化作品「犬神家の一族」の公開前に、
記念出版として抽選で1000部プレゼントされた復刻本の一冊だと思われる。
勿論当時はガキだったので後に古本屋で結構お安く入手した本である。
本来だとこの初版の箱の上にもう一つ復刻版の箱が付いているらしいのだが、
奥付けの検印や表紙のパラフィン紙なども再現されていて中々の精度の復刻度だ。
当然中身は旧カナであり、やはりこの時代の小説は旧カナで読むと味わいが違う。

Sinjyu02


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